極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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四十二話

 キズナがギリシャで引き起こした騒動は、大きく分けると二つだ。

 一つはヴォバン侯爵と共にまつろわぬテュポーンを招来したこと。もう一つはルシファーの権能によって暴走したキズナが瘴気を撒き散らしたことである。龍巳を襲った件に関しては二人の間のことなので、いいとしても、撒き散らされた瘴気の影響を調べたり、被害者の有無を確認するなどの仕事が待っていた。

 放置する手もあったが、キズナ自身が暴走時の自分を人に知られたくないというのに、自分でその痕跡を抹消する活動に出たのであった。

 そうした活動の結果、キズナの権能による影響はほぼ完全に取り除かれ、街には平穏が取り戻されつつあった。

 それでもオリンポス山の近隣はしばらくは立ち入り禁止が続くだろう。

 ヴォバン侯爵とテュポーンとの戦いがそれだけ大きな爪痕を残していたのである。登山道は一部崩落しているし、整備のためにさらに時間を費やさねばならない状況だ。

 

 キズナは昼食を終えた後、特にすべきこともないので部屋の中で本を読んで過ごしていた。

 デザートに用意したシュークリームとコーヒーにはまだ手をつけていない。

 昼の柔らかい日差しが室内を照らし出す。

 外の音も聞こえない、静かな空間を重んじるかのように、足音を潜ませてやってきたのは龍巳であった。

「終わった?」

 キズナが尋ねた。

「ああ」

 龍巳は頷いて、カバンをソファに放り投げた。

「仕事終わりのサラリーマンみたい」

「やってることは似たようなもんだ。高卒で働いてる連中も、こんな感じだろう。まあ、昼には帰れないだろうけどな」

 キズナは立ち上がると、キッチンのほうへ向かって歩いていった。

「ねえ、コーヒーならすぐに出せるけど、どうする?」

「じゃあ、もらう。アイスで」

「了解」

 キズナはグラスに氷を入れて、コーヒーを注いだ。急激に溶けた氷の中から空気が抜ける音がする。

 キズナは、コーヒーを龍巳に差し出すと、再び自分の席に戻った。

 龍巳とは、自然と向かい合う形でテーブルに座った。

「一応、俺たちがする仕事はもうないな。後はギリシャの方たちに放り投げるしかない」

 龍巳が言うと、ホットコーヒーを啜っていたキズナも頷いた。

「うん」

 事後処理に奔走したとはいえ、キズナが引き起こした騒動でもあった。

 この街の居心地がいいとは言えない。

 キズナにとって重要な用件はすべて終えた。後は、早々に引き払うだけでいい。

「東京に戻るか? それとも、アルメニアか?」

 龍巳とも話をつけていた。

 次にどこに行くか分からないが、近くこの国から出発すると。

「考えたんだけど」

 キズナはカップを置いて、言った。

「イギリスに行こうと思うの」

「イギリスに? またなのか?」

「そう。また」

「理由は、あるのか?」

 キズナは春にも龍巳と連れ立ってロンドンを訪れている。

 そこではアイーシャ夫人と激突し、直後にまつろわぬ韋駄天を相手に激しい戦いを繰り広げた。

 キズナは最近、どの国に行っても戦ってばかりだが、ロンドンは大都市ながら短期間でカンピオーネ同士の戦いから『まつろわぬ神』とカンピオーネ二人の戦いとかなりの打撃を受けている。

「アレクサンドル・ガスコインに会おうと思うの」

「黒王子か。カンピオーネ同士の会合ということか。アポは取っているのか?」

「まだ。これから、取るつもりだけど、できることならアリスにも同席して欲しい」

「それでイギリスか」

 プリンセス・アリスと黒王子アレクサンドル。

 この二人の因縁は、欧州呪術界では非常に有名だ。

 時に対立し、時に共闘する悪友のような関係で、二人の微妙な関係は政治的な駆け引きの中にある。

「なるほど、あの《鋼》の軍神のことか」

「そう。アイツについて、この時代で一番詳しいのはアレクサンドルだもの。アリスもいろいろと知ってそうだし、いっそこっちの情報を開示して正体を探ってみようとね」

「そうか」

 龍巳はコーヒーを口に含む。

 キズナがそうと決めたのなら、龍巳のほうから言うことはない。

 アレクサンドルもアリスも、最後の王関連には手を焼いている。ならば、こちらの要請にも簡単に応じてくれるはずだ。

 何せ、キズナは世界で唯一、最後の王と直に接し、言葉を交わし、命をやり取りしたのだから。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 数日後、キズナはイギリスを再訪していた。

 月沢キズナの名は、今では賢人議会では恐怖の対象にもなりつつあるのだが、当人は知ってか知らずか余裕の表情でアリスの邸宅を訪れた。

 邸宅は結界で守られているのだが、それと同時に、この結界は内側から霊体が外に出ないようにするものであった。

 アリスが幽体分離で勝手に外出しないようにするためだ。

 キズナはそうした結界をすり抜けて、邸宅の中に入った。警戒されているのだろう。呪術と科学を織り交ぜた警報装置に彩られた入口を難なく抜けて、キズナは中庭にまでやってきた。

「ようこそ、キズナ。また、会えて嬉しいわ。どうぞ、座って」

 中庭に置かれた白い丸テーブルに、目的の人物が腰掛けてた。

 気さくに声をかけられたキズナはアリスに促されるままに、近付いていって、イスに座った。

 丸テーブルの上には、いかにも食欲をそそるショートケーキと紅茶が置いてあった。

「あら、彼氏さんは、いらっしゃらないのかしら」

「龍巳のことを言っているのなら、イエスよ。彼、今は諸事情でアルメニアに戻ったの」

「そう、残念。せっかく、とても美味しいケーキを仕入れたのに」

「アリスは相変わらずなのね」

「ふふ、わたしもいただきましたよ。さっき、三つほど」

「そんな元気があるんなら、本物の身体できてもいいでしょう」

「中々体力が戻らなくて」

 アリスは微笑みながら、キズナに向かい合う。

 アリスの身体は、強すぎる霊力に負けて体調不良が頻発しているのだ。キズナがかつての経験から、その状態に適したトレーニングを考案し教えたおかげでかなり持ち直したが、それでも常人からすれば脆弱な少女でしかない。

 しばらく、埒もないことを話ていたときであった。

 後方から呪力を感じて、キズナは振り返らずに挨拶をする。

「始めまして、アレクサンドル・ガスコインさん」

「アレクでいい。書くのも読むのも面倒な名で呼ぶよりはいいだろう」

 褐色の肌の青年は、無愛想にそう言った。

「初対面の女性にそのような口を利いて。相変わらずダメダメですね」

「俺も暇な身分でなないのでな。わざわざ来たからには、それなりの収穫を期待したい。最後の王について、俺の知らない情報とやらを早々に開示してもらいたい」

 アリスを無視して、アレクサンドルはキズナに言った。

「とりあえず、座ったら?」

「せっかくわたしが用意したんですから、せめてケーキくらい食べていってくださいな」

「美味しいわよ。びっくりしたもん」

「乙女からの誘いを断るのは紳士としてどうかと」

「せっかちなのは知ってるけど、話すときくらい落ち着こうよ」

「貴様等。ずいぶんと息があってるな」

 アレクサンドルはあからさまに不機嫌になった上で、仕方がないとテーブルに腰掛けた。

「さて、キズナ。アレクサンドルのような世間話もできない朴念仁には、美少女二人に囲まれた状況は辛そうですし、そろそろ本題に入りませんか」

「そうね。そうしましょう」

 アリスの発言に、アレクサンドルは再度不快げな顔つきになるが、それでも何も言わなかったのは、この場で彼が何を言ってもアリスによって玩ばれると分かっているからだった。

「じゃあ、まず今日二人と会合の機会を持ったのは、あなた達が最後の王についてある程度の知識があるからなのよ」

「貴様も最後の王には興味があるか」

「ええ。グィネヴィアと戦ったばかりなのだけど、あいつは最後の王を復活させるつもりでいるみたいだし、わたしにとっては邪魔なだけ。けど、ランスロットなんていう邪魔者がさらに加わっているのだから厄介よ」

 キズナは深刻そうに声を潜める。その気持ちの内側に、言い知れぬ苛立ちと焦りが含まれていることに、本人は気付いていないようだ。

「理解できんな。何故、貴様はそこまでして最後の王を敵視する?」

「何故って?」

「最後の王と聞いたところで、神殺しなどという連中は危機感を抱いたりはしない。しかも、貴様はあの魔女とは一度しか会っていないという。それで、何故、そこまで最後の王に拘る」

 アレクサンドルは胡散臭そうな視線をキズナに送る。

 それは、アレクサンドルだからこそできる指摘であった。

 彼ほど、人を客観的に評価しようと意識するカンピオーネはいない。常に理性的であり続けようとする意識の表れである。

 問われたキズナは目を細めてアレクサンドルを見つめた後、ため息をつく。

「あなたって無駄に鋭いのね」

 頭の切れる、学者肌の人間だとは聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。

 序盤で切り札を出すのは躊躇われるが、この流れで切らないのでは出しどころがなくなる。

「理由ならあるわ。あなたが最後の王についてどの程度知っているか知らないけど、わたしはあれがどういうモノか、身を以て知ってるんだからね」

「何?」

 アレクサンドルが、ここに来て俄然興味が湧いたというような反応を見せる。

「どういうことだ。いや、待て。貴様は、いつ神殺しをしたのか不明なのだったな。だとすれば、なるほど。辻褄は合うわけか」

「本当に、鋭い人」

 アレクサンドルの理解の早さに、キズナは驚くと同時に呆れる。普通ならば、そんなことはありえないと一蹴するはずだ。

「あの、どういうことでしょうか?」

 一人、会話に置いていかれたアリスは訳が分からないとばかりにおろおろする。

 キズナとアリスは長年の付き合いだが、キズナの事情を知っているのはこの時代では龍巳だけだ。

「からくりは分からんが、この魔王は最後の王に殺された経験があるらしい。蘇生、ではないな。貴様の人としての経歴には何も見るべきものがない。とすると、転生系の権能というわけか」

「な……ッ」

 アレクサンドルの断定的な言い方にアリスは驚いてキズナを見る。

 アレクサンドルは、滅多にこのように物事を断定しない。よほど自信があるときでなければ、検証が必要だと予防線を張るなどする。

「そうね。権能の詳細は伏せるけど、そういうの、持ってるわ。本当は数十年もかからずに転生できるんだけど、アイツにやられた所為か、千年もかかっちゃった」

「千年……」

「そう。千年前の日本でわたしは魔王をしてた。当時は安倍晴明って名乗ってたわ」

「安倍晴明ですって!?」

 アリスは驚きのあまり絶句し、アレクサンドルもまた視線を険しくした。

「その名、聞き覚えがある。日本の伝説的な陰陽師だな。貴様がそうだとすれば、呪術の神童などと囃し立てられた理由も分かる」

「蘆屋道満との決闘が有名ですね。まさか、キズナがそうだなんて。不思議な感じ」

「蘆屋道満かぁ。あれは、わたしが死んだ後の創作だからなんとも。実際は外国から渡ってきた呪術神との戦いが元になっているんだけどね」

 今となっては懐かしい呪術神との激闘を思い出す。

 名前を失って日本に流れ着いた呪術神が播磨を中心に暴れまわった挙句に朝廷にまで手を出そうとした事件があったのだ。

 当時、神殺しであった晴明(キズナ)は、呪術神ということもあって、興味を抱き、積極的に討伐活動を行った。

 結果としては討伐には成功したものの、後一歩が及ばず権能の簒奪には至らなかった。

 あの神格に関して言えば、おそらくキズナが神殺しでなくとも討伐させられたであろう。

 朝廷に手を出そうというのだから、誰かがやらねばならず、呪術神ならば、その相手は当然ながら陰陽師が務めることになるからだ。

 神殺しでなければ拒否権もないので、どうあっても正面から激突したであろう。その結果がどうなるかは、神殺しであるキズナには想像もできないことだが。

「貴様が安倍晴明で、最後の王と戦った経験がある。それでいいな?」

「ええ。そう」

「ふむ」

 値踏みをするように、アレクサンドルはキズナを眺める。

 とんでもない話ではあるが、これまでのキズナの来歴が疑問点だらけだったことと、この話を繋げればすべてに辻褄が合う。わざわざ、このような嘘をつく必要性もなく、これは真実を言っているのだとしなければ話が前に進まない。

「では、聞こうか。貴様の知る最後の鋼についての情報を」

 アレクサンドルの興味は、聖杯とそれにアーサー王。そして、その背景にある最後の王だ。キズナがその正体に繋がる秘密を握っているわけではないのだろうが、それでも、実際に最後の王と対面した人物の話には価値がある。

 キズナも、アレクサンドルから情報を得るために、こちらから情報を開示するつもりでいたので、あっさりと話をする。

「あの《鋼》はね。この世に存在している魔王の数だけ、力を増すの。一撃で、街ひとつが消えてなくなるくらいの攻撃を何事もないように撃ってくる。目の前で死んだ《鋼》を自分の従者にする力もあったし、それだけじゃなくて、存在するだけで世界を亡ぼしてしまう災厄の化身でもあった」

「どういうことですか?」

 アリスが首を傾げる。

「彼がいるだけで、世界は熱気に包まれる。火山活動は活性化され、海は熱せられる。要するに地殻変動と温暖化を急速に進めるのね。他の神々とは次元が違う。全世界規模で、それをする上に本人にも止められないときた」

 当時、日本でも石見国――――今でいう島根県で発生した大地震と大津波などが、最後の王の影響で発生している。現代では、万寿地震と呼ばれているものだ。また、その七年後に発生した富士山の噴火も最後の王に触発されて起こった災害だ。

「なるほど。それで『最後の王』か。くだらん話だ。神殺しではなく、神のほうが世界を終わりに導く役回りとはな」

 この世の最後に現れる王、ではなく、この世の最後を導く王というのが正しい解釈なのかもしれない。

 彼が現れるから、世界は最後に向かっていくのである。

「アイツは倒しても剣の姿になって休眠するだけで、権能の簒奪はできなかった。何回か戦ったけど、最後は力及ばずぐっさりとね」

 今、思い返しても腹が立つ。

 反則なのだ、あの神は。

 権能がそもそも強力無比なのに、倒しても死なないし、何年かしたら復活するときた。それは、何度か繰り返すうちに、神殺しのほうが力尽きるというものではないか。

 根本的に、倒しきる方法を考えなければならない。

「貴重な情報だったな。では、こちらもいくつか分かっていることを開示しよう。最後の王は、汎ユーラシア的な英雄だ。ヨーロッパに限定されず、幅広い地域に伝承を伝播していった形跡がある。ブリテンではアルトス、などと呼ばれていたようだが、各地で新たな名を得ては、その地に英雄神の伝承を残している」

「汎ユーラシア的、ね。うん、そうじゃないかとは思ってた。で、そのルーツなんだけど、わたしはインドのあたりだと思うの」

「ほう。理由はあるのか?」

「実際に戦ってみて、あいつは無数の武器をぶっ放してきたんだけど、インドラやアグニみたいなインド由来の神格に纏わる権能が多かったからね」

「異なる神々の神力を扱えるというの?」

 アリスが驚いて、キズナに尋ねた。

 通常、『まつろわぬ神』は自分に関する権能しか振るえない。そうでなければ、他の神から受け継いだ武器や能力などを振るうことで間接的に他の神の神力を使えるだけだ。

「インド由来の神々の力を自在に振るう英雄か。いくらか該当する者はいるが、それだけでもかなり絞れるな」

「そう?」

「要するに、神々からサポートを受けた英雄ということだろう。ペルセウスがアテナからアイギスの楯を借りたように、最後の王も神々から何かしらの武器や知恵を借りた伝承があるのだろう……」

 そう言うと、数秒間アレクサンドルは黙り込んだ。

 それから、唐突に立ち上がった。

「なんですか、アレクサンドル。不躾に」

「確認するべきことができた。俺は、ここで帰らせてもらおう」

「ちょ、話途中で!?」

 アリスが唖然として文句を言おうとする。

 しかし、キズナがそれを押し止めた。

「最後の王について、新しく分かったことがあったら教えてね、アレク」

「それくらいはしてやろう。俺も、ヤツを知るただ一人の人間との繋がりは大切にしたいからな」

 そう言うや否や、アレクサンドルはその場から消えた。

 神速のカンピオーネは、一瞬にして肉体を雷に変換して目にも止まらぬ速さで駆けていったのだ。

「まったく、あの方ってばいっつもこうなんだから!」

 置いていかれたアリスのほうはプリプリと怒っている。

「アリス、そう怒らないでよ。まるで、朴念仁のボーイフレンドに約束をすっぽかされたみたいよ」

「まあ、キズナ。いくらあなたでも今の発言は許容できないわ。誰が、誰のボーイフレンドですって?」

「ごめんなさい。ボーイフレンドって、男友達って意味だと思っていたの。まさか、そんなに感情的になるとは思わなかったわ」

「む……ふん、キズナのようなできた彼氏さん持ちは余裕で羨ましい限りだわ」

「ええ、本当。ということで、わたしはこれからアルメニアに帰るんで」

 キズナはそう言って、席を立った。

「泊まっていかないの?」

「わたしの権能があれば、ここからアルメニアなんて、すぐだもの。さすがに神速とまではいかないけれどね」

 荘子の権能による飛行は、航空機を使うよりも簡単に世界旅行ができる優れものだ。情緒がないので、普段は使わないが、すぐに移動したいときには重宝する。

「カンピオーネって、誰でもせっかちなのかしら」

「そんなことはないんじゃない? 思い立ったが吉日(There is no time like the present.)ってのはあると思うけどね」

 カンピオーネは迷わない生き物だ。

 そのためか、行動が迅速であったり、他者から見れば性急に映ることもある。

 アリスからすれば、それは情緒のないせっかちな行動に見えるのだろう。

「それじゃあね、アリス。最後の王のこと、よろしくね」

「もちろん。さすがに、世界規模での災害同時発生とか、楽しそうとは思えないわ」

 それから、キズナもまた姿を消した。

 アレクサンドルに習って空間を跳躍し、空に。それから、風を切ってアルメニアを目指したのであった。


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