極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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四十四話

 前日までの快晴が嘘のように、沖縄の空にはどんよりとした黒雲が立ち込めていた。

 まるで、空に蓋がかぶせられたかのよう。

 風の音が窓を叩き、数秒の後には雨が降り始めるのではないかとさえ思われた。

「風吹けば沖つ白波たつた山夜半(よは)にや君がひとり越ゆらん……なんて歌があったかな」

 『伊勢物語』に載っている和歌を、思わず口ずさむ。

 前世ではすでに古典の一つになっていた書物で、キズナも目を通したことがあった。

 特別な印象に残っていたわけではないが、古典の授業で習った際に思い起こし、そしてその記憶が、遠くに見える海によって想起された。

 朝早く、馨から連絡があった。

 『まつろわぬ神』が、沖縄に接近している可能性があるというのだ。

 嵐に纏わる権能を思われ、鹿児島から媛巫女や呪術師を沖縄本島に集結させるとのこと。

 実際に、キズナが『まつろわぬ神』と戦闘することになれば、サポートメンバーなど大した役には立たない。彼らにできることは、戦場を整えて戦いやすい環境を創出することだけだ。

 今のところ、キズナの霊感を刺激するほどの神力は感じない。

 だが、そこはかとない確信はあった。

 どうにも、この暗雲は自然のものではないという直感的な確信だ。

「ゴロゴロゴロゴロとうるさいわね」

 暗雲に紫電が入り混じり、雷鳴が響き渡った。

 戦うとなれば、嵐の神だ。

 遭遇率で言えば非常に高い。地母神に並んで、嵐神は世界各国で崇拝される主神格であることが多く、その職能の幅広さから多彩な芸を持つ場合も多い。

 雷、風、雨、雹。それらの延長から植物や火山まで。およそ天候と災害は密接に絡むもので、つまりは自然現象全般に、嵐神は影響力を持つ。

 どこの国の神かでも、それは変わってくるが、概ね強大な力を有する天空神として降臨するだろう。

 天候を操るのは神の専売特許だ。

 古代人にとってもそうだが、現代人にとっても天候操作など不可能である。

 神格化されるのも当然であろう。

 とはいえ、あまりに数が多く、『まつろわぬ神』とあった場合の派手さや軍神としての力などもあって、戦う機会が多く、キズナからすればもはや戦い飽きたと言い切れるほどだった。

 ともあれ、キズナが出る必要があるのか、まだ明確ではない。

 このまま過ぎ去ってくれればよし、もしも沖縄本島に上陸するのみならず、キズナの気配を感じて近寄ってくるのなら、やはり戦わなければならないだろう。

 

 

 

 □

 

 

 

 鹿児島分室に登録されている呪術師は、沖縄県に出張する機会が多い。

 それは、沖縄分室が、鹿児島分室の出張所という扱いだからである。

 米国統治化にあった歴史などの影響で、呪術面での整備が遅れていることが要因であり、慢性的な人材不足に悩まされる正史編纂委員会では、各県ごとに分室を組織するわけにもいかず、二つから三つの県をまたぐ組織になっているところも少なくない。

 鹿児島分室に属する媛巫女は見習いを含めて三人。

 沖縄県に派遣された高橋晶は、その中で最年少の中学三年生である。

 長めの髪を一つ結びにして、前に持ってきているのが唯一のお洒落といった感じで飾り気はない。

 とはいえ、顔立ちは整っている。

 すれ違う人が、ついつい二度見してしまうくらいには。

 高橋家は『われは海の子』のモチーフとなった鹿児島湾に面する都市鹿児島市を拠点にして戦国時代の終わりから活動する名族である。

 とある事情によって混血しすぎたために、呪術師としての血統は最底辺にあるが、その分幅広く呪術を吸収してきた経歴があり、媛巫女の血も、その過程で取り入れられた。

 基本的に旧華族の家柄が大半を占める媛巫女業界に於いて、雑種的な立ち位置の晶は正直に言えば居心地が非常に悪い。

 ただ、晶が有する能力が非常に稀有なもののために悪い扱いはされていないが、両親、特に母親が破天荒極まるなど、年頃もあって悩みは尽きない。

 そんな晶が夏休みを返上して天気の悪い沖縄にやってきたのは、上司から直々に異変の調査に参加しろとの命を受けたからであった。

 実際には、すでに『まつろわぬ神』の仕業であると判明しているし、カンピオーネが滞在しているのが分かっているので、仕事をするだけ無駄なのだが、市街地が戦場になるかもしれず、嵐が過ぎ去るのをただ待つだけというわけにもいかないというのが、鹿児島分室の置かれている立場であった。

 結局、晶を送り込んだのは職場の見得が半分、経験を積む機会を与えるという今後を見越したものが半分といったところか。

「こんな嵐の日に飛行機飛ばすなんて、意味が分かりません」

 晶は奄美空港の最上階にある見学者デッキを、施設内から眺めていた。

 見学者デッキは屋外にあるため、天候不順のこの日は利用できない。本来ならば、滑走路やその周辺の珊瑚礁が一望できる最高の眺めだっただろうに。

 晶が人目を憚りながらも愚痴を漏らしたのは、自分の役目がどうにも納得できないという不満に加えて、天気が悪くなると分かっていながら無理に飛行機を飛ばした上の判断に対する不審もあった。

 海上に『まつろわぬ神』がいて、その力で嵐を起こしている可能性があるというのに飛行機を利用するなど、自殺行為もいいところだ。

 結局、風が強くなってきたために奄美空港に緊急着陸する羽目になったのだから、計画性がないといわざるを得ない。

 ブルーになっていた晶に、話しかける人がいた。

「高橋さん。どうかされましたか?」

「夏喜さん。いえ、大したことはないんです。大丈夫です」

 遠藤夏喜。

 晶と同じ媛巫女見習いで、高校二年生の才女だ。艶やかなロングヘアーに垂れ眼がちな瞳が、彼女の柔らかい雰囲気によくあっている。

「そうそう、先ほど聞いたのですが、次のフライトは未定だそうで、沖縄にいつ向かえるか見通しが立たないそうです」

「そのようですね。この雨風では、墜落してもおかしくありませんし」

 奄美大島から沖縄本島まで、飛行機でも一時間弱かかったかと思う。

 その間に、台風に匹敵する暴風雨の中を突っ切って飛び続けられるかというと、かなり怪しい。いくら、晶たちが呪術師という秘密の肩書きを持っていても、飛行機と共に海面に叩きつけられてしまえば、高確率で死ぬ。

 そのため、飛行機の発着を停止したというのは合理的な判断なのだが、奄美大島に閉じ込められた晶としては文句の一つも言いたくなる。

 天気よければ、まだよかったがそういうわけでもない。

 

「そうですね。落ちたら死ぬのは自然の摂理ですし。飛ばさないのは仕方ないですよね」

 夏喜はどういうわけか、残念そうにため息をつく。

「あの、夏喜さんこそどうかされたのですか?」

「ああ、いえ。沖縄には、今月沢様がいらっしゃると聞いておりましたから」

「そのようですね」

「是非、一度お会いしてサインでもいただこうかと」

「は?」

「ですから、サインです。わたし、月沢様のファンでして。あの方がカンピオーネであると発覚する以前に一度お会いしていまして。と、申しましても遠目から一度見ただけですけれど、あの方の巫女としての力、呪術師としての才覚、どれをとってもすばらしいの一言です」

 妙に熱っぽく語る夏喜は、晶の知る清楚で落ち着いた先輩というそれまでの認識と大きく異なる姿だった。

 アイドルに熱を上げる熱狂的ファンといった感じだ。

「そう、ですね。月沢様は、お美しい方ですし、媛巫女として彼女の力は尊敬するべきでしょう」

「ええ、もちろんです。それでいて型に囚われない所業。魔王として力を振るわれるお姿も神々しい……。是非、わたし、この目で月沢様の勇姿が見られるのでしたら、命も賭ける所存でしたのに」

 それで、朝からそわそわと落ち着かない様子だったのか、と晶はここに来てやっと夏喜の様子が集合時からすでにおかしかった理由を察した。

 てっきり、『まつろわぬ神』と遭遇する可能性があるために恐怖しているのかと思っていたのだが、まったく見当違いだったわけだ。

「ところで、高橋さん。お昼はお召し上がりになりましたか?」

「いえ、まだです。これから、レストランにでも行こうかと思っていたところでして」

「それは、ちょうどいいです。わたしもまだなのです。よろしければ、ご一緒しませんか?」

 

 晶は夏喜に誘われて、二階のレストランで昼食を取った。

 レストランの中に人はほとんどいなかった。

 夏休みではあるが、天気がこれでは人気が少なくなるのも当たり前だが、観光地としてはこれでは寂しい。

「高橋さん、もうすぐ受験ですよね。どこに進学される予定ですか?」

「普通に近くの公立校ですよ。高校に拘りはないんです。どうせ、将来は決まっていますし」

「確かに、わたしたちの先は生まれた時からある程度決まっていますけど、何事も高みを目指すのは大切なことですよ」

「といいますと?」

「お勉強も呪術と同じように頑張らないと、大切なところで力が発揮できませんから」

 それが、夏喜の自論。

 頑張るべきところで頑張らない者は、最後の最後で踏ん張りきれない。兎と亀なら、亀であるべきであり、蟻とキリギリスならば、蟻であるべきだという。

「雨だれ石を穿つ、ですか」

「はい。といいますか、晶さんの成績なら、どこの高校にも余裕で合格できると思うのですが」

「余裕かどうか分かりませんが、先生からは時折そのような言葉をいただきますね。でも、やっぱり家に近いほうがいいです」

 晶の成績は非常にいい。

 本人が望みさえすれば、偏差値の高い学校にも特別な勉強をしなくても入れるだろう。

「呪術の修行を優先したいですし、妹も小さいですからね。通学時間は、できるだけ少なくしたいんです」

「あら、そうですか。そういえば、双子の妹さんでしたか」

「はい。まだ、四つで、遊び盛りなんで大変ですよ」

「いいお姉さんですね」

「髪の毛引っ張ったりとか、止めて欲しいんですけどね」

 他愛のない話をする。

 あたかも、学校の先輩と後輩のようだ。

 同じ媛巫女という立場にある相手だから、晶も気楽に言葉を交わすことができる。

 一般人の友人が相手では、なかなかここまで踏み込んだ話はできない。家庭事情も、日頃の生活も、呪術に関わるのが多いので、どうしても口数が少なくなってしまうのである。

 友人は多いほうではない。

 ただ人望だけはあって、いつのまにか生徒会に推挙されるなどして私生活も慌しい。

 どうにも、特別視されているところがあるのだ。

 媛巫女となる少女は、多くがそのような経験があるという。

 呪術師の必須スキルとしての外国語や古典の知識が学校での勉強を大いに助けるし、巫女という立場から性格は温厚な者が多くなる。

 だから、良くも悪くも人目を引く。

 晶と夏喜はともに似たような悩みを抱えていることもあって、話し始めると終わらない。

 二人の会話は、すぐ近くに強烈な落雷が発生するまで続いた。

「ッ……」

 窓から入ってきた青白い光で、屋内が真白に染まるほどだった。

 爆弾が炸裂したかのような轟音に全身が打ちのめされた。

「音……ッ」

 晶は音の大きさに絶句する。

 自然の雷をここまで近くで経験したことがなかったからだ。

「高橋さん。これは、少しばかりまずいかもしれません」

 夏喜が、神妙な顔つきになって窓の外を見つめる。

 落ち着かないのか、視線が揺らいでいる。何かを窺っているようだ。

「夏喜さん?」

「来る」

 ゾクリ、と晶の勘を何かが刺激した。

 窓の外に見える灰色の海と空。その間にポツリと浮かぶ黒い点が、徐々に大きくなってくる。こちらに、向かってくる。

「ちょ、逃げ……」

 悲鳴は、爆発的な破砕音に呑み込まれて消えた。

 

 

 海に面した二階レストランは壊滅していた。

 巨大な物体に押し潰されて、イスもテーブルも粉微塵だ。

 晶と夏喜は、間一髪で廊下に転がり出て事なきを得たが、窓際の席だったら命はなかったかもしれない。

「痛ー」

「高橋さん。お怪我を?」

「少し、挫いただけです。治癒ですぐに治りますから」

 足を押さえて蹲る晶に、夏喜が膝立ちになってその背に手を当てる。

「すみません」

「こちらの台詞です。あなたのおかげで、命拾いしました」

 晶が咄嗟に夏喜を抱えて跳ばなければ、夏喜は今頃、この巨体の下敷きになっていただろう。

「さすがの身体能力ですね。高橋さん」

「忍者の末裔なもので」

 身体強化は、実戦的な呪術師にとっては基本中の基本ながら、習得している媛巫女は少ない。役職の違いによるものだが、様々な呪術に広く浅く関わってきた高橋家の長女は、当然のように習得していた。

「しかし、これは……」

 晶と夏喜は壊滅したレストランに突っ込んできたものを見て、改めて絶句する。

 それは、大きな岩のような物体だった。

 ごつごつとしていて、レストランに入りきっていない。ところどころから、赤黒い血のような液体が流れ出て、床を汚していた。

「『まつろわぬ神』というよりは、神獣ですね」

「はい。おそらくは、水の精気の集合体。外から全体像を確認しないと分かりませんが、竜の類でしょう」

「とにかく、離れましょう。この大きさです。身じろぎしただけでこちらが巻き込まれかねません」

「そうですね」

 空港中に警報が鳴り響いている。

 人は少ないものの、皆無ではない。晶のように島内から外に出られなくなった観光客や空港職員がいるのだ。神獣の出方によっては施設が倒壊することもありえるとなれば、迅速な避難が肝心だった。

 晶たちは、正史編纂委員会の職員たちと合流を果たした。

「神獣がここまで近くに現れた以上は、この施設の中にいるのは危険過ぎる。施設外に避難させよう」

 上司がそのように判断をくだした。

 施設の周りは自然豊かで建物は少ない。避難場所と定めた市営の運動場は歩いていける距離ではなく、バスを動かすこと方向で行政と交渉することになったが、それまでの時間を過ごすのに、ターミナルに程近い倉庫やビルに分散して入ることになった。

 晶が空港の駐車場に出たとき、神獣の咆哮が響き渡った。

 膨大な呪力が辺りにばら撒かれる。

「黒い竜。やっぱり、水の神獣」

 風と雨で視界が遮られる中で、動き出した竜を晶は目視で捉えた。

 全長三〇メートルほどの東洋竜だ。蛇のような身体で背中に白い体毛を生やし、頭には鋭い一対の角があり、口の中にはワニのような牙が並んでいる。

 神獣を間近で見るのは、これが初めてだ。

 起き上がった竜は、逃げ惑う人間にはまったく興味を示さず空を見上げている。

 その竜の胴体に、一条の雷が突き立つ。

 雷鳴と竜の咆哮がビリビリと肌を振るわせた。

 打ち倒された竜が、そのまま空港ビルに倒れこみ施設が崩落する。

「雷神。竜殺しの……《鋼》!?」

 粉塵は強い風によってあっというまに消えてなくなり、後に残されたのは物言わぬ竜の骸と空を悠々と舞う翼ある白馬。

「高橋さん。あれ、ペガサスって神獣ですよね」

 夏喜が雨に打たれながら、晶に話しかけてくる。

「そのはずですが。……《鋼》の気配がします。神獣ではなく『まつろわぬ神』。それも軍神のはずです」

 翼を持つ馬で有名なのはギリシャのペガサスだ。

 《鋼》の英雄ペルセウスの愛馬であり、蛇妖メデュサの流した首から生まれたとも伝わる神獣だ。また、キマイラ退治で有名なベレロポンの馬として登場することもある。

 本来の役割は、ゼウスの雷を運ぶことだというから、雷を司るのは間違っていない。

 唖然としている間に、ペガサスは吹き荒れる風を物ともせずに南へ飛び去っていった。

「行きましたか?」

「どうやらそのようですね。命拾いしました」

 『まつろわぬ神』と対峙したら、万に一つも救いはない。

 神獣が相手でも上位の呪術師が命懸けで何とか互角といったところなのに、『まつろわぬ神』はそんな神獣を片手間で倒す。人間など、指先一つで殲滅できよう。

 彼らに対抗できるのは、カンピオーネをおいて他にはいない。

 そして、『まつろわぬ神』もまた、カンピオーネを敵視しこれを打倒すべく動くことが多いという。

 ペガサスが飛び去った方向を、晶はハッと見やる。

「沖縄の方角」

「月沢様に連絡を差し上げなければ!」

 ペガサスが沖縄に向かったとなれば、その目的は間違いなくカンピオーネだ。

 竜退治を終えたその足で、魔王退治に向かった可能性が高い。

 そうなれば、沖縄のどこかが戦場になる。市街戦となれば、被害は甚大なものとなるだろう。それを防ぐのが、晶たちの仕事である。

 キズナに連絡を入れたり、沖縄への避難勧告を行ったりと、その後も晶たちは休む間もなく働き続けなければならなかった。

 




今日でグレムリン退治から一周年。
高橋晶目出度く登場。ただし、ここではモブ。
法道が千年前に倒されているため、極普通に媛巫女をしています。

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