極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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四十五話

 カンピオーネと『まつろわぬ神』が戦うとき、基本的に呪術師はその戦いに一切干渉しない。

 カンピオーネも『まつろわぬ神』も、人間の常識から逸脱した怪物であり、人間の創意工夫と全力を駆使しても万に一つも勝ち目がないというほどの天災である。よって、その二者の激突に際しては人間はただただ巻き込まれないないように退避するしかなく、成り行きを見守るのに徹するのが定石である。

 カンピオーネは、人の助けを必要としない。

 事実、キズナは沖縄に向かうという呪術師たちが奄美大島で足止めされたという話を聞いたところで、落胆もなければ呆れもなかった。

 いてもいなくても大差ないのだから、来れないからといってどうということはない。

 ただ、気になるのは奄美大島で竜蛇と戦ったという《鋼》の軍神のことだ。

「ペガサスが『まつろわぬ神』ってのも、違和感があるのだけど」

 キズナは、イスの肘掛に頬杖をついて呟いた。

 座っているのは、窓際の広縁に置かれたイスだ。

 日が昇ってそれなりになるのに、窓の外は相変わらず薄暗い。よほど分厚い雲が立ち込めているのだろう。

「そうか? 確かに神獣のほうが似つかわしいが、それでも神話上の怪物だろう。『まつろわぬ神』になってもおかしくはないじゃないか」

「そうなんだけどね。やっぱり、神様ってイメージじゃないから」

 目を瞑る。

 外に放った式神と視覚を共有するためだ。

 欧州の魔女は、自らの視覚を飛ばす『魔女の目』なる呪術を使うというが、キズナの式神もそれに負けず劣らず応用性が高い。

 飛ばした式神は一〇〇羽の鳩だ。折り紙から生成した鳩は、本物そっくりに変化して、街中に飛び散っていった。

 式神から式神へ視覚を移動させれば、『魔女の目』の数倍の速度と監視範囲を誇るようになる。

 式神の使い方としては、基本中の基本ながら、これほど多くの式神を同時に扱える呪術師は皆無と言っても差し支えないだろう。

 

 

 ペガサスのイメージは、白馬だ。そして、美しい翼。神様というよりは、英雄を運ぶ神馬という印象が強い。

「外見がペガサスだというのなら、おそらくはそうなんでしょう。ただ、《鋼》っていうのは、どうもね。だって、ペガサス自身は、《鋼》ではないもの」

「まつろわす神のグループだったな。竜蛇を倒すのが使命だとも」

「竜蛇だけじゃない。日本では鬼にもなる。結局、倒して奪うのが、彼らの性であり、水や火との縁が深いのが基本ね。後は、戦場における不死か。まあ、ペガサスとはなかなか結びつかないよね」

 キズナは、背凭れに体重を預けた。

 瞼の裏には、暗雲立ち込める沖縄の空と風雨に曝される街並が見える。

 ペガサスと思しき天馬と出会った媛巫女が、《鋼》の気配がすると言っていたことや、実際にペガサスが竜蛇を討ち果たしていたことなどを考えて、《鋼》なのは間違いない。ただし、ギリシャ神話のペガサスそのものは、《鋼》というには要素が少なすぎる。

「じゃあ、答えは限られてくるね。まあ、直接視ているうちに分かるだろうから、いいんだけど」

 敵の正体が分からないからと言って、キズナにとって大きな問題になることはない。

 草薙護堂であれば、相手の神格を知ることが戦力の拡充に繋がるのでそうも言っていられないが、キズナは多くのカンピオーネと同じく単純威力系の権能だ。いざとなれば、相手が何かも分からないままに討伐するという手もあるし、彼女の霊視能力ならば、大抵の『まつろわぬ神』の氏素性は読み取れる。

 最強の《鋼》ならばまだしも、そうでもない通常の神格ならば、遅れを取ることはまずないだろう。

 もっとも、基本的にカンピオーネよりも『まつろわぬ神』のほうが格上なのだから、気を抜いては痛い目を見るのは確実である。

「そろそろか」

 キズナは瞼を開き、立ち上がる。

 式神による警戒網の外縁部に、強烈な雷光を確認した。

 こうしている間にも、この街の上空に到達していることだろう。

「じゃあ、龍巳。一っ飛び行ってくるから、街のことはよろしくね」

「気をつけてな」

 沖縄に駐留する呪術師は少ないながらも皆無ではない。

 奄美大島に足止めされている一団の代わりに接触してきた正史編纂委員会のメンバーもいるのだ。彼らと協力して、キズナと『まつろわぬ神』との交戦範囲から一般人を遠ざけられるだけ遠ざける。

 龍巳がキズナのためにしてやれることはこのくらいだ。

「行ってきまーす」

 軽い態度でキズナは壁をすり抜けて外に出た。

 下界のことは気にしなくてもいい。

 龍巳に任せたからには、完全に任せ切りにする。

 キズナは海岸上空に向かって飛んだ。

 一応の配慮として、人気のない場所を選んだのである。

 さすがに、この嵐の中で遊泳する猛者はいないようで、海岸は白波にもみくちゃにされて龍巳と共に過ごしたのと同じ場所とは思えないほどの荒れようだった。

 ここなら、全力で戦っても人的被害はでなそうだ。

 そこに、空から声が落ちてくる。

「見つけたぞ。古き戦士。神を殺した魔王よ」

 雷鳴に混じる声は、威圧的でありながら柔らかい。囁くような口調だった。

「その気配は、以前から感じていた。我が風が、そなたの存在を如実に伝えてくれたからな」

 渦巻く雲から現れたのは、白銀に輝く見事な天馬であった。

 おそらく蹄から背までで二メートルはあろうか。白き翼は大の男の背丈ほどもあり、紫電がその周囲に飛び散っている。

 見るからに雷神といった風だ。

「その外見。本当にペガサスなのね。じゃあ、ペガサスって呼べばいいのかしら」

「ふむ、確かにその名は今の私を表現するには最適とも言えるだろう。ゆえに、私はペガサスだ」

 などと韜晦してみせるペガサスは、まったく本心を明らかにしていない。

 彼の答えはペガサスでもいいというだけで、ペガサス以外の名を隠している可能性を否定していない。となれば、多くの神々がそうであるように、あれはペガサス単独の神格ではなく、隠し名を持つ雷神ということになろう。

「それで、どうしてわたしの前に出てきたのかしら? 聞くところによれば、あなたは竜蛇を討ったそうね。それで満足はしなかったわけ?」

「竜蛇を討ち亡ぼすのは、我ら《鋼》の宿縁だ。そして、そなたたち神殺しを討つこともまた、我らの義務であり本能――――性とも言うべきものだ。満足するしないの問題ではないのだ」

 やっぱり、とキズナは内心でため息をつく。

 今も昔も変わらない。

 《鋼》の神々のこうした行動が、キズナを戦いに巻き込んでいくのだ。

「言ってることがまんまタケミカヅチと同じじゃないの」

 かつて、激闘を繰り広げた《鋼》の雷神を思い返してキズナは郷愁の念に駆られる。

 剣を象徴する《鋼》と雷神は結びつきやすい。征服の象徴でもあるから天空神とも集合する。ペガサスも、そういった過程で《鋼》を獲得したのであろう。

 さらに詳しく敵の素性を探るには、一戦に及んで敵の神力を感じる必要がある。

 知的好奇心が刺激されながら、キズナは頭上のペガサスを見る。

「ッ!」

 そこにいたはずのペガサスが消えた。視覚がペガサスを捉える前に、キズナの超感覚が危険を察知した。荘子の権能で短距離転移。一〇メートル真横に空間跳躍すると、一瞬前までキズナがいた空間が紫電に焼かれ、膨大な熱量から大気が弾けた。

「不意打ちとは、軍神らしからぬことをするわね」

「失敬な。ここはすでに戦場。敵を前に隙を見せるほうが非難されるべきだろう」

 ジグザグな軌跡を描いて、ペガサスが飛ぶ。

 声は、テレパシーによってキズナに届けられる。器用な事だ、と素直に感心する。

「神速使いか」

 想定していたことではあった。

 雷神が神速を使えないということは、まずないだろう。まして、相手は馬だ。

 神速の突進は、破壊力に重点を置いた一撃だ。

 ペガサスの周囲は雷撃と呪力の壁に包まれており、それが雷の速さで突っ込んでくるのだから、まともに受ければ粉々に粉砕されてしまう。

「けれど、ただ速いだけなら……」

 キズナは虹の矢を番える。

 ペガサスの神速は、目では追えない。

 しかし、それは致命的と言えるほど不利な状況に追い込まれることを意味しない。

 これまでに幾度となくこうした敵と戦ってきたのだから。

「もう慣れてる」

 キズナは重力に身を任せて落下しながら、次にペガサスが通るであろうポイントに狙いを定めて矢を放った。

 

 

 

 □

 

 

 

 神速を見切る目を心眼と呼ぶ。

 主に、寝食を忘れて修行に励み、遥かな高みに手を伸ばした一部の武芸者が体得する技法で超一流の騎士であるパオロ・ブランデッリですら擬似的に再現することしかできないというのだからその難度の高さが窺える。

 人間の使用者はほぼゼロに近く、サルバトーレ・ドニなどのカンピオーネか『まつろわぬ神』の一部が心眼に到達しているというだけである。

 キズナは武芸者ではない。

 呪術のサポート受けなければ、その運動能力は平均的な女子高生にすら劣るほどである。

 しかし、彼女には蓄積された百余年の戦闘経験と世界最高の霊視能力がある。それが、カンピオーネ特有の野生の危機感知能力と高次元で融和した結果、心眼と同等の先読み能力として開花したのである。

 ようするに、慣れだ。

 何度も何度も繰り返し見てきたのだ。神速という離れ業を。

 まして、相手は直線的な動きしかしない。

 ならば、いくら速く動こうとも、それはもはや、ただの的でしかない。

「恐るべき技能だ。神殺しの少女よ。その齢で、我が動きを見切るとは」

 白銀の身体に一筋の紅。

 ペガサスの首筋に刻まれた一条の切り傷は、キズナの矢が擦過していった証である。

「避けたの」

「そなたが私の速さに慣れていると言ったように、私もまたそなたのような敵と出会ってきた。今更驚きはすまい」

「なるほど。確かに」

 かのペガサスにとって、キズナに神速を見切られたことは大した問題ではないのだ。

 そのような敵、カンピオーネや『まつろわぬ神』を相手に戦いぬいていけばいくらでも出会うだろうから。

 ペガサスの語り口には、それほどまでに多くの敵と戦ってきたという自負が見えた。

 だとすれば、危険だ。

「私は軍神だ。《鋼》の一柱でもある。ゆえに、臆することなく、我が速さを見切ったそなたに敬意を以て挑むとしよう」

 次の瞬間、キズナは全身に均等に強い衝撃を受けて砂浜に叩きつけられていた。

「が……!」

 何が起こったのか、一瞬理解が及ばなかった。

 なんとなく分かるのは、目に見えない鉄槌が、キズナを叩き落したということだけだ。

 問題はその鉄槌の正体だが。

「うぉわッ」

 キズナは危機感に任せて砂浜を走った。

 直後に砂が抉れ、クレーターが穿たれる。吹き上がる泥が、容赦なく降りかかってくる。

「ちくしょう、風か! そりゃ、見えないって!」

 間断なく砲撃に曝されているようなものだ。

 風といっても、そこに込められた呪力は膨大で、着弾と同時に炸裂して辺り一帯を吹き飛ばす。無色透明なため、視覚に頼って回避というわけにもいかない。

 しかし、不幸中の幸いか。

 風に込められた呪力の膨大さがゆえに、キズナは攻撃の軌道をある程度予測することができているのであった。

 とはいえ、紙一重だ。

 直撃を避けているという程度。後は、荘子の権能がどこまでこの攻撃を無力化してくれてるかというところで、キズナの生死は変わってくる。

 不可視の死が空から落ちてくる。

 間断なく。

 その間隙を、潜り抜けていく。

 そこで、キズナは気付いた。

 雨が止んでいる。

 おかしなことだ。嵐の神がそこにいるのに、雨が止むというのは。

「ッ」

 キズナはペガサスを仰ぎ見る。

 白銀の翼が大きく広げられている。その周囲には、羽をばら撒いたかのような、白い天蓋が形成されている。

 白。見様によっては空色にも見える。

 氷だ。

 雹というには、あまりに大きい。その氷塊は、一つひとつが一メートルを上回っている。それが、文字通り無数に吊り下げられていうのだ。

 少女一人を殺しつくすには、過剰ともいえる凶器ではないか。

「これは、どうか」

 ペガサスが翼を小波のようにゆっくりと羽ばたかせると、それに呼応して氷柱が振るえ、キズナを目掛けて真っ逆さまに射出された。

 不可視の風が砲弾ならば、白の氷柱は散弾だ。

 キズナの退路を完全に断ちにきた。

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」

 キズナは印を結び、呪力を爆発させる。

 不動明王の大火炎を発生させ、空に向かって解き放つ。

 それは、あたかも噴火のようであった。

 氷の天蓋を一撃で砕き、水蒸気が激しく吹き荒れる。

 紅蓮に照らされる世界は、薄暗い嵐の中で煌々と輝き、ペガサスの肌を焼く。

 神速の領域に飛び込んだペガサスは、そのまま側面からキズナに襲い掛かる。炎の壁を、身体に纏った風の壁で押し退けて、キズナに迫る。

「おおッ」

 雷光の煌きを放つ刃が、身を引いたキズナの鼻先を掠める。

「なん……!」

 キズナの反応が僅かに遅れたのは、飛び込んできたのがペガサスではなく髭面の大男だったからである。だが、その身に纏う呪力はペガサスと同じ。同一神格であることは間違いない。

「ぬうッ!」

 さらに上段から斧を振り下ろすペガサス。

 その嵐を具現化したかのような大斧の側面に、倶利伽羅竜王之太刀を叩き付ける。

 炸裂する炎と紫電が、両者が弾き飛ばす。

「それが、あなたの本来の姿?」

 体勢を立て直したキズナはペガサスに尋ねた。

 黒い髭を蓄えた壮年の男性だ。 

 後頭部に巻き毛を纏めて結い上げており、衣服はかなり古い時代のものであろうか。チュニックの上には幅の広い肩掛けを羽織っている。肌の露出は少ないが、その身体つきは強壮と表現する他ないほどに、筋肉質だというのが分かる。

「如何様にも取るがいい。私にとって、あの姿もこの姿も等しく我が身体に相違ない」

「どっちがどうというわけではないか。ただ、化身ってわけでもないみたいだし。要するに戦いやすいように形をかえただけってことかな」

 おそらくは習合によって複数の神格を手に入れたからこそできる芸当だ。

 ペガサスに類縁の神格を強調することで、人型を取ったというところだろう。

 自らの神格を切り分けることで、分身するような神もいる。

 自らに内在する力の扱い方次第で姿が変わるのも、取り立てて不思議に思うことではないか。

「では、潰させてもらおう。遥か古よりの慣習にしたがってな」

「冗談。潰すのはこっち。あんたの権能、ありがたくいただいてやるわ」

 大太刀を構えて抜かりなく相手を見る。

 ペガサスは、人型になっても能力に変わりはない。よって、間合いを詰めるのは、やはり神速。

 キズナの目の前に移動したペガサスの鋭すぎる斬撃が横薙ぎに振るわれる。

 首を刈りにきた斧を、軽く屈んでやり過ごしたキズナは、相手の喉を目掛けて刺突を放つ。

 背を逸らせてペガサスはそれをかわした。

 そのまま、キズナは刃を真下に下ろす。

 ペガサスを縦に両断するためだ。が、やはり相手は軍神だ。背を逸らしたままで、キズナの太刀の側面を斧で叩き、そのまま身体を反転、キズナの腹に強烈な蹴りを入れた。

「が、ふ……ッ」

 思い切り吹き飛ばされたキズナに、雷撃が襲い掛かる。

 呪力を練り上げて雷撃を受け流すと、次の瞬間には目の前に斧が迫っている。

 雷撃は目くらまし。

 神速での接近を直前まで悟られないようにするためのものだったのだ。

 キズナは大太刀を前面に押し出して、楯とする。

「うぐッ」

 しかし、ペガサスの斧は重すぎた。

 超絶した筋力から放たれる雷撃斧はキズナを太刀ごと巻き込んで地面に叩き伏せた。太刀を砕いた斧が腹部にめり込む。

 血が喉奥からこみ上げる。

 一撃で、内蔵が目茶苦茶に破壊されたようだ。

 僅かな隙に、強烈過ぎる一撃を貰ってしまった。

「終わってみればあっけないな」

 斧を肩に担いだペガサスは、キズナが逃れられないように大きな足で踏みつける。

「ぐ、く。……何があっけない、だ」

 腹を押し潰されたキズナは、それでも血に濡れた顔で笑う。

 想像を絶する怪力であった。キズナは微動だにできない。

「戦場で果てるは本望だろう。迷わず逝け」

 両手がしっかと柄を握った大男が、斧を振りかぶった。これを振り下ろせば、キズナの頭はトマトを磨り潰すかのように、まっかなペーストとなるだろう。

「そう、それはこっちの台詞なのだけど」

 キズナの言葉を、ペガサスは負け惜しみとでも取ったのか。とりわけ反応を示すことはなかった。しかしながら、ペガサスは爆弾の近くで会話をしていたという事実には気付いていなかった。

 キズナが倒れ伏したこの場にあるのは、砕け散った大太刀と死に瀕した神殺しがいるだけだ。

 砕けた武器に何ができるかと、高を括っていたのか。

 何れにせよ、それは大きな誤算であった。

 倶利伽羅竜王之太刀は、キズナが不動明王の火界呪を封じて生み出した太刀だ。

 その本来の姿は炎そのものであり、倶利伽羅竜王之太刀は、いつでも炎の姿に立ち返ることができるのだ。

「な、ごあッ」

 気付いた時にはもう遅い。

 キズナの手を離れた倶利伽羅竜王之太刀は、雪崩を打つように炎に戻り大爆発を引き起こした。持ち主であるキズナもペガサスも区別なく、周囲諸共吹き飛ばしたのであった。


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