極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

47 / 67
四十六話

 人々が憩いの場としてきた人工海岸には、直径数メートルにもなる大小様々な穴がいくつも穿たれて、とても遊泳できる状況にはない。

 雲の切れ間から天使の梯子が降り注ぐ午後、風が凪いで穏やかとなった気候も何とか生還を果たしたキズナを癒しはしない。

 荘子の権能の奥の手を使い、死を生に塗り替えたことで命拾いしたキズナだが、消耗も激しい。

 ペガサスも手傷を追ってどこかに消えたが、おそらくは再戦することになるだろうし、今は何としてでも回復して、次の戦いに備えなければならない。

 霊薬を飲んで治癒力を高めてから、倒れこむようにして布団に潜りこんだキズナは昏々と眠り続けた。

 キズナが身体を休めている間に、龍巳は現地の呪術師と協議を行っていた。

 龍巳とキズナが宿泊している宿が、会議室を貸してくれたので、そこで話を進めることとなった。

「この度は遅参してしまい、申し訳ありませんでした」

 侘びを入れるのは、奄美大島で足止めを喰らっていた正史編纂委員会の鹿児島分室に属する呪術師の代表である。

 チームリーダーとも言うべき人物で、歳は三〇を過ぎたくらいの男性だった。

 二〇に満たない龍巳に頭を下げるのは、違和感があるが、キズナと龍巳の関係を考えれば、龍巳の立場は相対的に極めて高いものとなる。

 カンピオーネの愛人枠というのは、それだけで発言力を得るものである。

 草薙護堂に愛人を送り込もうという計画が持ち上がっているのも、こうした背景があるからだ。

 とはいえ、自分がそのような立場になっているというのは、龍巳にとってはあまり愉快なことではない。

「とにかく、話を前に進めましょう」

 侘びを受けた龍巳は、苦笑いをしながらも情報の共有を行うべく会議を進める。

 最優先とすべきは、『まつろわぬ神』の行方を探ることである。

 会議室にいるのは、鹿児島分室から派遣されてきた職員から選ばれた三名である。

 鹿児島分室の副室長である遠山雄吾。

 姫巫女の遠藤夏喜。

 そして、神降ろしの媛巫女、高橋晶。

 雄吾は、二人の媛巫女を指して言う。

「この二人が、『まつろわぬ神』を目視と霊視で確認した者です。すでにお伝えしたとおりですが、《鋼》に纏わる神格だと」

 敵の属性は《鋼》。しかも、直前に竜蛇の神獣を倒してその血肉を得ているという。それはつまり、自らの性が活性化していたということだ。

「それで、その神獣はその後どうなりましたか?」

 龍巳が尋ねると、晶が答えた。

「ペガサスによって胸を抉られた後は、そのまま息絶えました。死骸は、結晶状になり、その後砕けてしまいました。風化したような感じでしたね」

「そうですか」

 龍巳は、晶の答えを聞いて安堵した。

 《蛇》に連なる神や神獣の血肉は《鋼》の神格にとってこの上ない滋養強壮剤となる。

 もしも、竜蛇の神獣の遺骸が残っていたら、ペガサスはそれを喰らってあっという間に力を取り戻すであろう。

 相手から得られるだけの情報を得た後は、こちらの今を伝える。

「現状をお伝えします。敵に関しては情報が少ないものの、嵐の権能を持つ神格であり、ペガサスの姿で現れました。ですが、戦いの中で姿を変え、壮年の男性へと変化しました」

「壮年の男性?」

「はい。髭を蓄えた筋肉質な男です。また、斧と雷を使用して戦闘を行いました。会話から、ペガサスの姿と人型は、自由に使い分けることができるようです」

「それは、まつろわぬペガサスではないということですか?」

 夏喜が尋ねてきたが、龍巳は首を横に振った。

「それは何ともいえないでしょう。情報が少なすぎます。ただ、ペガサスの神格は確実に持っていると思います」

「習合ですか」

「その可能性が高いですね」

 晶の呟きを拾った龍巳は肯定する。

「ペガサスと仮に呼称するにしても、その本質は不明のままです」

「どこに『まつろわぬ神』がいるのかも、分からないということですか?」

「はい」

 雄吾の質問に、龍巳は頷いて答える。

「ペガサスは手負いの身。天気が回復していることからも、今は傷を癒すのに力を費やしている状況でしょう」

「では、私たちはこれから行方をくらませた『まつろわぬ神』の捜索に当たります」

 雄吾は端的に結論付けた。

 龍巳自身が動くというわけでもない。

 神の行方を探る一番の手立ては、神力と親和性の高い媛巫女を動員することである。

「頼めますか?」

「ええ。遅参した分だけ、働かねばなりませんからね」

「では、よろしくお願いします」

 『まつろわぬ神』が本気になって姿を隠さない限りは、その膨大な呪力から居場所を探ることは不可能ではない。

 遠距離からでも、十二分に探ることができる。

 ペガサスが打ち込んだ呪力によって、海岸は破壊されつくしているが、それはそのままペガサスを足取りを探るために使えるのである。

「あの、一つよろしいでしょうか」

 手を挙げたのは、夏喜であった。

「はい」

「月沢様は、どうされているのでしょうか?」

「ああ。彼女は、今は呪力の回復に努めています。再戦の可能性も高いので」

「そうですか」

 と、夏喜はそれだけを言って黙った。

 どういうことかと思っていたが、そこに雄吾が口を挟む。

「では、月沢様は再戦されるおつもりなのですね?」

「はい。間違いなく。当人も悔しげでしたから」

「それはよかった。私たちとしても、『まつろわぬ神』を発見しても、月沢様のご助力を賜れなければどうにもなりませんから」

「それだけはありえませんので、ご安心ください」

 キズナは悔しい悔しい思いをしたら、それを晴らさずにはおかない性質だ。ある意味では陰湿とも言えるだろう。

 

 

 

 □

 

 

 

 戦闘終了から早くも六時間が過ぎた。

 テレビのニュース番組には、沖縄を襲った記録的な大風のことが報じられているものの、人工海岸で生じた大爆発に関しては一切触れられていなかった。

 報道管制が敷かれているのだろう。

 興味本位に見に来られても困るから、ありがたいことだ。

「もう、身体は万全か?」

「うん」

 布団に包まって蓑虫になっているキズナが顎を枕にのせて気のない返事をする。

「もう今更だけど、出鱈目な身体。あれだけの呪力の消耗が、一眠りで回復するなんて非常識……」

「神殺しが今更何を言ってるんだ」

 そのようなことは、千年前から分かりきっていたことである。

 更に言えば、この半年で十分すぎるほどにその出鱈目さを発揮してきたではないか。

「いや、これでも呪術師の端くれとしてありがたい反面、認め難いところもあるわけですよ」

「科学者が非科学的なものを受け容れられないみたいな話か」

「そう。そんな感じ。非呪術的だわ。この回復力」

「非呪術的って聞くと、科学的って感じがするんだが」

「揚げ足禁止」

 布団の中から飛んできた鶴が、龍巳の額を小突こうとする。それを、すばやく人差し指と中指で挟んで受け止めた。

 紙製でありながらも嘴が鋭く尖っているために、当たればなかなか痛い。 

「危ないじゃないか。これ、結構痛いぞ」

「ツッコミ殺しとは、空気を呼んでくらいなさいよ」

「痛いって言ってるだろうが」

 過激なツッコミには呆れるものの、呪術が使えるまでには回復しているらしい。

 それならば、いつ敵が現れても問題はないだろう。

「それよりも、キズナ。あのペガサスの正体は掴めたか?」

「んー。まあ、何となくね」

「何となくか。相手。相当強力な神様みたいじゃないか」

 キズナが、一瞬の隙を突かれるというのは、あまりない。

 互角の戦いの中で、天秤のつりあいが崩れていって、というのはまだあるが、今回は正面からの戦闘での敗北間際の引き分けだった。

「まさか、斧使ってくるとは想定外だったな」

 キズナは仰向けになって呟いた。

「そもそもペガサスが人型になるなんて、誰も思わないだろう」

「そうなんだけどね」

 キズナは思わず、くすりと失笑する。

 ペガサスから人型の天空神への変身。

 それは、歴史を逆行する旅でもあった。

「ペガサスのこと」

「ん?」

 キズナの呟きに、龍巳は思わず聞き返した。

「アイツは、もともと、中央アジアから地中海にかけて広く信仰された天空神の一柱だった……」

「ペガサスが、そうなのか?」

「うん。ペガサスは、その天空神がギリシャ神話に取り込まれて生まれた神格。時代と地域によって名前を変え、同一視を繰り返してペガサスに至る、連綿と続く神話の連続の中にアイツの正体はあるの」

 ペガサスは、他の地域の神々が習合や同一視を繰り返す中で誕生した『まつろわぬ神』というのは、当初から推測されていたことである。

 それを、キズナは霊視で解き明かしたのだろう。

 直接、あの神力とぶつかり合ったのだ。読み取るのは容易だったに違いない。

「ペガサスそのものには、よくて雷神としての性質しかない。それが、嵐にまで職能を広げたのは、ペガサスのモトネタになった神が、嵐の神でもあったから」

 龍巳は何も言わず、キズナの言葉を聞く。

 キズナ自身、言葉を紡ぐことで情報を咀嚼し、自らの中で消化しているようだ。

 何となく、とキズナが言ったのは、まだ相手の神格を特定しきれていないからであろう。

「ペガサスに内包された神格は、ルウィ人が崇めた嵐神タルフント」

「タル、フント?」

「ルウィ人の主神格の神ね。稲妻を意味する別名でピハサシとも言うの。ヒッタイトのムワタリ二世が信仰したみたいだけど」

「ああ、カデシュの戦いか。世界史でやったな」

 ムワタリ二世は、エジプト最大の王ラムセス二世とカデシュにて激突し、世界最初の成文化された平和条約を締結した人物として名高い。

 となると、それだけでタルフント=ピハサシの年代は三千年は遡る計算になる。トロイア戦争が勃発した時期と重なる。

「ルウィ人の国はアルツァワ……ヒッタイトの西に位置する強国で、三四〇〇年くらい前が絶頂期だったの。当時は、ヒッタイトの東にはフルリ人のミタンニがあったし、ヒッタイトも大きな勢力じゃなかった。けど、徐々にヒッタイトが強大になってきて、ムワタリ二世の父親のムルシリ二世が、アルツァワは首都を陥落させたの。きっと、そのときにはすでにルウィ人の神様はヒッタイトに取り込まれていたのでしょうね」

 ルウィ人の国を亡ぼしたヒッタイトが、その神を取り入れて信仰した。それが、ピハサシと呼ばれる神様で、ギリシャ神話に取り込まれてペガサスとなった。

 トロイア戦争の舞台となったトロイは、アルツァワの領域内にある。ギリシャとの関わりも否定できないだろう。

「すると、ペガサスが人型になったのは、そのピハサシやタルフントとやらの影響か」

「そうね。ただ、それだけじゃないかな」

「というと?」

「タルフントはさらに別名を持ってるの。タルフントはルウィの神様。それが、さっき言ったフルリ人の神話ではテシュブって呼ばれるようになる。さらに遡れば、四〇〇〇年以上前、南メソポタミアでアダドの名で信仰されていた」

「アダド……」

 その名は龍巳も聞いたことがあった。

 メソポタミア神話で、アンズーという神王の位に手を伸ばした怪物を討伐する際に、討伐への参加を辞退した神だ。王権に手を出したものが地に落ちるという類型の最初期に当たる物語である。

「メソポタミアの国で言ったらアッカドの時代ね」

 天空神というカテゴリが時代の中で統合されていった結果、ペガサスに至る同一視の流れが生まれたということだろうか。

 メソポタミアのアダド、フルリ人のテシュブ、ルウィ人のタルフント、ヒッタイトのピハサシ。そしてギリシャに入ってペガサス。

 斧はテシュブの象徴でもあるという。

「それで、ヤツは《鋼》なのか」

「そう。テシュブは蛇神イルヤンカを退治した英雄神でもあるし、何よりもテシュブもタルフントもヒッタイト語の『征服』を意味する言葉に由来する名前なの。要するに生粋の《鋼》ってわけよ。ルウィ人では、天空神の戦車は馬が引くっていうし、ペガサスが馬なのはその辺からかなぁ」

 名を変え、姿を変えて、中央アジアからギリシャにまで至った天空神の系譜。

 それが、ペガサスの謎を解く鍵だったのだ。

 その中で最も彼に相応しい名は、

「まつろわぬタルフント。ルウィ起源なら、これが一番かな」

 ルウィ人に信仰された神様以外は、馬よりも牛との縁がある神だ。ペガサスと直接的な関係にあると考えても、タルフントとするのが最も違和感がない。

 そのとき、龍巳のスマートフォンが震えた。

 電話であった。

 相手は、鹿児島分室の副室長遠山雄吾だ。

 電話に出て、数分ほど話した龍巳は、キズナに告げた。

「キズナ。相手の居場所が分かった」

「本当? 思ったよりも早かったのね」

「隠れる気はないみたいだな」

 雄吾からの報告は、まつろわぬタルフントの居場所を伝えるものだった。

「それで、どこにいるの?」

「久高島ってとこだそうだ」

 それは、沖縄でもとりわけ高名な霊地である。

 キズナも名前は聞いたことがあった。

 沖縄の創世神アマミキヨが降り立った聖地という話だ。

「『まつろわぬ神』は、他所の神の聖地でも寝床にするっていうしね。おかしくはないか」

 居場所が分かったのなら、後はこちらから殴りこみをかける。

 キズナの傷は塞がり、体力も戻った。敵の正体も、ほぼ掴んだ。

 もはや、決着を付けること以外にすることはないのであった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。