極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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四十七話

 久高島。

 そこは、沖縄でも最大級の聖地とされる、太平洋側に浮かぶ小さな有人島である。

 沖縄本島から船でおよそ二十分ほどと程近く、本島からでものその姿を目視することができる。

 沖縄に伝わる創世神話における創造神降臨の地であり、また、神に仕えるのは女子である、という信仰からその最重要部であるクボー御嶽は男子禁制の地として定められた。

 沖縄の近辺で『まつろわぬ神』が潜伏する地として、これほどの優良物件はないだろう。

 キズナが拠点とする地は日本海側であり、沖縄本島をまたいでの移動となるのでカンピオーネからも十分に距離を取ることができる。

 人々に信仰されてきた霊地は、それだけで『まつろわぬ神』に力を与えるものであり、傷ついた『まつろわぬ神』が傷を癒すために立ち寄るのは、自然の摂理ともいうべきものであった。が、しかし。それ故に潜伏地が特定されやすく、キズナの下に迅速に捜索結果が届いたのも初めから候補地が絞り込めていたからであった。

「ふぅん。話には聞いていたけれど……」

 島に降り立ったキズナはぐるりと視線を巡らせた。

 雨こそ降っていないものの、今にも大粒の雫を降り注ぎそうな雰囲気を醸し出している空の下で、一級の霊地は常と変わらず強い霊気を放っている。 

 キズナの目には、その霊気が多いに偏向しているのが分かる。

 渦を巻くように、肉眼では捉えられない世界の力が島の中心部分に吸い寄せられている。あたかも、ブラックホールが、周囲のガスを吸い込んでいるかのように、急速に霊気が一点に集中しているのである。これは、キズナが島に上陸してから突然起こった現象であった。とすれば、宿敵の襲来を感じ取り、『まつろわぬ神』が呪力を急いで蓄え始めたのかもしれない。

 時刻は夜の十時を回ったところである。

 夜闇が満ちて、少ない人家の明かりが僅かに見えるのみである。人口の少ない離島というのが幸いした。さらには、相手は嵐神である。黒雲の天蓋を見れば分かるとおり、すでに大雨の兆候は十二分に現れており、相手がその気になればすぐにでも台風に匹敵する風雨が島を襲うであろう。人工の光の少ない島で、土砂降りのベールが降りたなら、常人の目に神話を再現するかのごとき死闘が映るとも思えない。これならば、戦闘しても多少はごまかしも利くだろう。

「さすがは、創造紳降臨の地ってところかしら」

 『まつろわぬ神』が要求する供物を軽々と用意する土地の力は桁外れである。

 興味深いとは思う。

 彼女自身が巫女として十八年間活動してきたのだ。神に仕えるのではなく、不躾にも神殺しを為した身ではあるが、女子なのだから聖地に足を踏み入れてもいいだろう。もっとも、信仰心など皆無である。知的好奇心の赴くままにこの島を調べてみたいと思ってしまった。

「まあ、その前に邪魔者を始末しなければならないんだけど」

 相手が戦闘準備を始めたのは、キズナの接近を感じ取ったからであろうが、キズナもまた敵の居場所を明確に感じ取れている。

 となれば、もはや問答の余地もなく死力を尽くすのみである。

 身体には戦意が充溢し、これでもかというくらいに呪力が漏れ出ている。それは、敵に対する警告であり、徴発であった。《鋼》の軍神の性を刺激して、背を向けさせずに戦うためのものである。自らの存在を徹底的に島内に隠れ潜むまつろわぬペガサスに向けて誇示し続けることで、相手の土俵からこちらの土俵で戦おうとしているのであった。

 わざわざ島に乗り込んだのは、敵の回復待たないため。

 相手が古代メソポタミアの嵐神から派生した強大な神格である以上、弱っているうちに叩くのがベストな判断である。

 高低差のほとんどない平坦な島を、キズナは空から眺めた。

 荘子の権能で道を無視し、直接敵陣に殴り込みをかけるのである。

 キズナは上空から敵がいると思われる呪力が最も濃い、島の中央部に向けて矢を引き絞った。低木が立ち並ぶ林となっている場所だ。

「ナウマク・サマンダボダナン・インダラヤ・ソワカ」

 帝釈天の呪力を目一杯に高めて、キズナは虹の矢を射放った。

 一筋の矢は、失速することなく、むしろ加速を繰り返して一直線に標的に襲い掛かる。そして、矢は込められた呪力を炸裂させて、周囲一帯の木々を薙ぎ払って虹の爆発を引き起こした。

 轟々と鳴り響く地鳴りと舞い上がる粉塵が威力の程を裏付ける。

 この一撃で仕留められるはずもないが、手傷くらいは負わせたのではないか。

「……さすがに、それはないか」

 希望的観測は、天地を遡る雷撃によって打ち消されることとなる。

 対空砲火を浴びせかけるように、粉塵の中から極太の紫電が幾条も放たれて空の彼方に飛んでいく。眩さに目を細めながら、キズナは冷静に回避を続け、合間を縫って矢を降らせた。敵を目視で確認できたわけではないが、発射地点に撃ち込めば大体当たるだろうと見積もっての射撃である。

 夜の静寂は、瞬く間にかき消され、内乱国のように激しい射撃戦が行われた。爆音に次ぐ爆音が、聖地を蹂躙し、大地にはいくつもの穴が穿たれた。

 雷撃が止み、キズナもまた様子を窺うために攻撃を一旦中止する。

 じりりとした熱が肌を焼く。それは、雷によるものだけではないだろう。敵との死闘に突入した緊張感に、身体が興奮を覚えているのである。

 次はどのような手で来るか。

 キズナは敵の一挙手一投足を見逃さないように闇に目を凝らす。

 以前の戦いでは、キズナは僅かな油断を突かれて一撃の下に重傷を負わされた。敵は屈強なる雷神であり、打撃力にも秀でているのであるから、それを念頭に置いた上で距離を取り、いつでも、どのような攻撃にも対応できるようにしておくべきであろう。

 敵の攻撃は、地上を凝視していたキズナの意表を突く形で行われたが、油断なく警戒していたおかげで事なきをえることができたのは幸いであった。

「ッ……!」

 空。今にも落ちてきそうな重苦しい雷雲がにわかに活気付き、一瞬の後に世界を真白に染めんとするほどの落雷を叩き落した。蛇のようにのた打ち回る落雷は、するどい鞭となってキズナを巻き込もうとする。

 転移。キズナは、思考に先んじる直感によって、反射的に十メートルをゼロにする。間一髪、空間跳躍によって落雷を回避したキズナは、額の冷や汗を拭おうとして、袖が焦げ付いているのに気が付いた。

「避けたと思ってたんだけどな」

 どうやら、僅かに掠っていたらしい。

 風に煽られた袖が舞い上がると、キズナの細い腕が露になる。肌には傷もなければ火傷もない。如何に強烈な雷撃であろうとも、それが呪力によって生成されたものならば、カンピオーネの肉体が帯びる抵抗力によってある程度は軽減できる。かすった程度では、キズナの肌には傷一つ付かない。しかしながら、その抵抗力は衣服にまで及ぶものではないので、下手に直撃を受ければ一昔前の漫画のように衣服だけが焼き払われて裸体をさらすということにもなりかねない。

 それは、乙女としてなんとしても避けたい事案であり、さすがに雷撃の直撃は無傷では済まないので回避に専念するのが吉だ。荘子の権能による受け流しも、汎用性があるからこそここぞというときの押しに弱い。保険程度に考えておくのが無難であろう。

「バリバリバリバリとうるさいんだけど?」

「何を今更。雷鳴とは大いなる神意の先触れにして、神威を明確に告げるもの。賢しげな人間共に畏怖の念を呼び起こすには、これくらいでもせねばならないだろうよ」

 青白い紫電を全身に纏いながら、髭面の男が出現した。力強い両足が、虚空をしっかりと踏みしめている。まるで、そこに地面があるかのような安定感だ。キズナの浮遊とは、根本的に飛行方法が異なるのであろう。

「あら、あの可愛らしい姿じゃあないのね。ペガサスじゃなくて、タルフントか」

 白馬のほうが箔がつく。

 髭面の叔父さんでは、女の子の憧れには程遠い。

「私の名を視たか。そなたもまた優れた慧眼を持っているようだ」

 タルフント、と呼ばれた神は気分を害したというでもなく、にやりと笑って両刃の斧を肩に担いだ。

「如何にも。タルフントは私が有する神名の一つ。ペガサスでなければピハサシでもアダドでも構わぬ。好きなように呼ぶがいい。だが、強いて言うなれば、やはりタルフントか。この響きが私にはあっているような気がするのだよ」

「好きなように呼べって言っておいて、あっさり前言を翻すなよ」

 小さく、呟いてから、キズナは彼をタルフントと呼称することに決めた。

 ペガサスに最も近い神であるということもある。ピハサシは彼を形容する語でもあったことだし、神の名としてはやはりタルフントであろう。ペガサスの姿をしていない髭面を、ペガサスと呼ぶことに抵抗があるということもあった。

「神殺しとの戦いは、やはり竜蛇共とは毛色が違う。実にしぶとい。どれほどで倒れるか、想像もできぬほどに」

「あなたも頑丈そうね。まあ、それでも権能はいただくのだけど」

「フハハハハ。それでこそ、宿縁の敵手。そうでなければ――――面白みに欠けるというモノ」

 閃光と化したタルフントが、キズナの正面に移動していた。すでに、大斧を振りかぶっている。神速からの斬撃。斧には雷のエネルギーがこれでもかと込められていて、激突と同時に炸裂し、相手を粉砕する凶悪な攻撃である。

 以前に一度その身に受けた際には、胴体をほぼ両断されかけた。荘子の権能がなければ、その時点で終わっていただろう。

「同じ手をッ」

 キズナもまた、正面から愚直に飛び込んできた相手の攻撃をそのまま受けてやるほど素直で分かりやすい戦いはしない。

 火界呪を展開して、タルフントの身体に強かに火炎を浴びせかける。

 《鋼》にとっては、高熱は天敵である。そうでなくとも、不動明王の火界呪はあらゆる調伏法の中でも飛びぬけた威力を誇るのであるから、権能と化した際のそれは押して知るべしである。

 しかしタルフントは、キズナの反撃を物ともせずに腕を振りぬいた。爆発が空気を消し飛ばし、斧から迸る雷光が世界を真白に染め上げて、雨粒を蒸発させる。

 その段階に至って、タルフントはようやく驚愕に目を見開いた。

 手応えがなく、キズナもいない。

 炎は、ただの目くらましに過ぎなかったのである。キズナの高速移動法。使い方によっては神速すらも上回る移動術。

 キズナがタルフントの背後に現れたとき、彼女はすでに攻撃態勢に入っていた。

「せやッ」

 可愛らしい気合を発し、振るうのは黄金色の尾。

 身を捻り、回転を付けた尾が鞭のように撓ってタルフントを横薙ぎに打つ。

 接触点から呪力が爆発する。尾の一撃は鉄骨をへし折り、コンクリートを粉砕する。『まつろわぬ神』と雖も、この打撃力をまともに受けては、手傷を負わないはずはない。

「狐の尾か。なかなか奇特な物を持っているな!」

 喜悦を露にするタルフントは、その場から動かなかった。

 その反射神経にキズナは驚嘆する。自らの攻撃態勢から、即座に防御の構えを取ってキズナの尾を、斧で受け止めたのである。

 そのまま、力任せにタルフントは斧を振るう。

 キズナは尾をくねらせて斧から尾を避けて引き下がる。

 なるほど、さすがに武神だ。

 近接戦の才覚は、キズナとは比べ物にならない。

 雷の速度で移動を繰り返すタルフントは、キズナの首を刎ねるために斧を振るう。

 まるでダンスを踊っているかのように、キズナは空を右往左往しながらタルフントの攻撃から身を守り続ける。直撃を避けていながら、いつの間にか巫女服が裂け、焼け、肌の露出が増えていた。それにともなって裂傷や火傷もいくつか負った。強烈な熱と呪力は、徐々にキズナの身体にダメージを蓄積させているのである。

 このままではジリ貧である。

 キズナは思い切って地上に転移をする。追い詰められた状況でも、転移させできれば形勢を立て直せる。

「ええい、またそれか。移動経路が見えんというのは、実に厄介な技ではないか」

 毒づきながら地上のキズナを追うタルフントの前に、虹色の弾幕が張られた。

「ぬおおおおおおおおッ!?」

 小さな虹矢が、間断なく放たれてタルフントを釘付けにする。空には虹の爆発が相次ぎ、絶え間ない爆発音が響き渡る。

 一発一発の威力は低い。

 しかし、数が生半可ではなく、もはや怒涛ともいうべきものであった。

 斧を楯、筋肉と呪力を鎧としてタルフントは我が身を守ったが、さすがに肉体の欠損を防ぎきることは叶わなかった。少しずつ血を流していく身体に鞭打って、タルフントは全身を膨張させて雷撃を放った。

「うおぉッ」

 虹の矢の奔流を押し潰すようにして、閃光が落ちてくる。 

 虹の矢で多少威力が軽減したとはいえ、タルフントが全身から搾り出した雷撃であるから威力は相当である。身を翻してかわしたキズナが、爆風に煽られて弾き飛ばされたことからもその威力の程が窺い知れるだろう。

 この時点で、キズナはすでに虹の矢を目くらましとして別の攻撃を放っていた。

 真っ直ぐ飛ぶのではなく、弧を描くようにして強化されたミサイル群がタルフントに襲い掛かる。

 パンツァーユニットから射出されたミサイルは、雷撃の余波でいくらか数を減らしたものの、その獰猛極まりない攻撃性を発揮してタルフントの背後から殺到する。

「甘い、わァッ」

 タルフントは、身体を回転させて斧を振るう。雷撃の波が斧を通じて引き起こされた。まるで団扇が風を起こすかのように、雷が点ではなく面でミサイル群を押し包み、爆破してしまった。

 さすが。

 と、キズナは内心で舌打ちしながらタルフントの対応に苦々しい顔をする。

 屈強にして剛健。

 タルフントの戦闘センスと肉体の強靭さの前では、牽制を意図した程度の攻撃では手傷を与えることすら難しい。

 しかし、相手に通じる攻撃は神速、あるいは強大な呪力と肉体の前に無力化されてしまう。

 ままならないものだ。

 上空のタルフントが一際強く紫電を放つ。暴風の化身と化した巨体が、瞬間移動もかくやという速度でキズナの正面に躍り出た。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 キズナがタルフントと戦っているとき、龍巳もまた島に上陸していた。

 周囲には、慌しく行き交う正史編纂委員会の呪術師たちがいる。島民を島外に避難させているのだ。『まつろわぬ神』とカンピオーネが激突している以上、この程度の小さな島は下手をすれば水底に沈みかねない。

 二百人ほどの人口しかないものの、二百人を避難させるのは容易なことではなく、海が荒れているために真っ当な手段での脱出は不可能である。

 船には呪術的な防御処理が施され、島民たちは催眠術によって意識を混濁させた状態にした上で船に乗せられている。 

 避難誘導に関して、龍巳が関わることはほとんどない。

 彼がここにいるのは、島民に対する広範囲に渡る催眠術を笛の音によってかける必要があったからであり、その初期段階の役割を終えたからには、後は戦闘を傍観するほかに大した仕事はないのであった。

 これまで幾度となくキズナの戦いを見守ってきた。状況によっては、龍巳自身が加勢することもあったが、彼の力は神獣を相手に優位に立てる程度である。『まつろわぬ神』を相手にしては一時的に防戦できるかもしれないが、そこ止まりで、足手纏いにしかならない。

 この無力感は、何年経っても慣れることはない。だからこそ、僅かなりとも力になれるように方々に駆け回っているのだ。

「水原さん。あの……」

 風に巫女服を煽られながら、トコトコとやってきた夏喜が龍巳に話しかけてきた。彼女にとって龍巳は年上の異姓であり、出会ってからそう時も経っていないので話しかけにくいのであろう。口調にそれと分かるほどの遠慮が込められていた。

「何かありましたか?」

 冷静さを意識して端的に問い返す。

「島民の皆様を最後の船にお乗せしました。わたしたちも撤退の準備に入るとのことです」

「そうですか」

 龍巳もまた、船で島を後にすることになる。

 キズナを戦場に一人残すのは気が重いのだが、カンピオーネの足手纏いになることだけは避けねばならない。

 迅速に龍巳たちは船に乗り込んだ。

 大型船は、普段島と沖縄本島を繋ぐために運行している。二百人の島民を運び出すことだけでなく、荒波を越えていかねばならないということから、船は必然的に大型になる。二十分程度の船旅も、嵐の権能で引き起こされた海のうねりを越えていくのは、それだけで命懸けである。

 船体は波に打たれて大きく揺れ動き、油断すれば体勢を崩して壁や床に身体を打ちつけてしまう。

 とはいえ、それはあくまでも一般人の視点でのことで、呪術師である龍巳たちにはさほどの影響はない。個人差もあるが、船酔いもせずに通常と同じように船内を歩いている者もいる。

 その一人はもちろん龍巳であり、あろうことかこの天候でデッキに出てキズナとタルフントの戦闘を注視していた。土砂降りが一層酷くなるも、雨避けの術で身体には一切の水飛沫がかからないようにしている。龍巳のいる辺りだけ、透明なドームがあるように見える。

「こんなときにデッキにいるなんて、よほど、月沢様のことを心配されているのですね」

「高橋さん、だったかな」

「はい。覚えていていただけて光栄です」

 夏喜と同じく巫女服に身を包んだ晶が、いつの間にか背後に佇んでいた。龍巳と同じく雨から呪術で身を守っているのか、彼女の身体も濡れることなくデッキの上にあった。

 いや、それ以上にその身から漂うそこはかとない神気に意識が向けられる。

「そうか。それが、高橋さんの能力ですか」

「神降ろし。わたしのこの力は蛇神の力を僅かながらにお借りするものです。特定の神様に加護を賜るものではありませんので、清秋院さんほど強力ではありませんけど、水を操る力はあちらに負けませんよ」

 一つ結びにした髪が風に煽られる。

 その風すらも、晶の周りに至ってはそよ風のようなものである。

 大荒れとなった海に船を浮かべるのは、たとえ呪術で守護していたとしても危険である。しかし、晶が水を司る蛇神の力を降ろせばその危険性は大いに減少する。

「まつろわぬペガサス。あるいはタルフント。……日本では馴染みのない神様ですね」

「日本どころか本場でも馴染みがないでしょう。三千年前に崇められた神格ですからね」

 そう言いながらも龍巳の視線は島の上空に吸い寄せられている。

 空を縦横無尽に駆け回る虹と紫電。

 キズナとタルフントが己の持ちうる力を振り絞って死闘を演じているのである。

 キズナの勝利は揺るがないものと信じているが、仮に敗れたとしてもキズナが完全に滅せられるということはありえない。現状でキズナを亡ぼせるのは、転生に気付いた最強の《鋼》か、言霊の剣を持つ草薙護堂だけであろう。

 少なくともタルフントがキズナを殺し尽くせるはずがない。

 とはいえ、それは今のキズナの死を意味する。転生できるからといって、死を許容するわけにもいかず保険程度の認識でなければひょんなことから亡ぼされるかもしれないのであった。

「雷神系の神様とは、今までに何度も戦ってきた。なんだかんだでアイツが勝ってきたからな。心配ってほど心配はしてないさ」

「どちらかといえば、信頼、ですか?」

「そうですね。そんな感じですか」

 そのとき、不意に巨大な雷撃が島の中央部に落ちた。火山が爆発したかのような衝撃が広がり、雨粒が真横に吹き飛ばされる。爆音に遅れて衝撃波が襲い掛かってくる。波を蹴散らし、雨粒は散弾のように飛び散ってくる。

「下がって」

 龍巳は晶を庇うようにその眼前に立ち、葉二に呪力を注いで音色を奏でる。

 然るべき使い手が吹けば、その思いを汲み取って最適な呪術を構築する神具は、瞬間的には『まつろわぬ神』やカンピオーネの耐性すらも抜いて術に陥れることができる優れものである。

 龍巳の笛の音が一瞬にして船を結界で覆った。

 タルフントの雷撃によって膨張した大気の鉄槌は、直撃すれば船を転覆させることも不可能ではないというほどのものであったが、結界によって逸らされたことで、船を海の藻屑に変えることなく素通りしていく。

 結界と衝撃波がぶつかったとき、ビリビリとした振動が船を揺さぶったがそれだけであった。

「今の一瞬でこんな大規模な結界を……。それ、神具ですね。人の身で、そのようなものを使うなんて」

「ありえないことではないでしょう。それこそ、清秋院のご令嬢のような例もありますから」

 龍巳はそ知らぬ顔で晶に言葉を返す。

 とはいえ、そのように簡単な話ではないのである。清秋院家の令嬢は、強力な武神が直接加護を与える見返りとして、神具を貸与されているだけである。正式な持ち主になっているわけではない。しかし、龍巳は違う。本来、人間以上の高位の領域にいる者の道具を、平然と己の物として使いこなしているのである。おそらく、晶がこの笛を吹いても、満足に音を出すこともできないだろうし、最悪力を吸い尽くされて死ぬかもしれない。神具を使うとはそれほど危険な行為なのである。

「カンピオーネにお仕えするというのは、ほんとに命懸けなのですね」

「命を懸けているのは、俺じゃないけどね」

 龍巳は笛を握りなおして、再び島に視線を戻すのであった。

 

 

 

 □

 

 

 

 身体中に痛みが走る。どこか熱を帯びたような感覚は、火傷によるひりつきだろう。

 擦り傷と切り傷が大半で、戦闘に支障が出るような重傷は一つもない。巫女服はところどころが破れてしまい、素肌が露出しているが、周りに人がいないのであまり気にすることでもないかと割り切る。それ以上に、敵をどうにかして撃ち果たさなければならないという点に思考の大部分を費やしているので気にする余裕もなかった。

 原初の雷神の系譜に位置するまつろわぬタルフントはやはり強大な神格だ。

 戦いは膠着状態に陥っているが、手数が上回っているだけで決定打を放てないキズナと瞬間火力と機動力でキズナを翻弄するも同じく決定打を放てないタルフントの射ち合いは、島の森の大半を焼き払ってなお続いていた。

「聖地が丸裸だよ。これじゃあ、調査も研究もできやしない」

 焼け残った森に身を隠し、木に背中を預けたキズナはほっと一息ついた。

 タルフントはこちらの様子を窺っているのか上空に佇むままである。

 空は相手の土俵だ。

 神速で空を駆けるタルフントを相手に、空中戦は無理があった。

 地上におりたキズナは、体勢が厳しくなるものの上空の敵を狙撃するスタイルに変更したのである。これならば、警戒するのは自分の上だけでいい。空中にいたときのように三百六十度を警戒する必要はない。

「虎穴に入らずんば虎子を得ずか……」

 もとより格上の相手だ。

 危険は百も承知で敵の土俵に上がるのも悪くはないのかもしれない。

 しかし、そうして戦術を組み立てる余裕はなかった。

「ええい、目茶苦茶なッ」

 空から雷球が落ちてくるに及んでキズナは跳ねるように駆けだす。文字通り木々をすり抜けて直進する。背後で爆発が生じたが無視だ。雷球は一つ二つではなく、無数に落ちてくるのだから。

「ッ」

 正面に雷球が浮かんでいる。空から放つのだから、キズナの進行方向に雷を落としていてもおかしくはない。キズナは踵を地面にめり込ませるようにして急激に方向転換する。真横に、倒れこむように頭から飛んだところに、雷球が蛇のように伸びて襲い掛かった。

 間一髪であった。

 解き放たれた電気エネルギーはキズナを捉えることなく背後の闇に消えていく。

「せーふ、ってわけでもないか」

 バリバリと音がする。

 起き上がってみると、最悪なことに大小様々な雷球に取り囲まれていた。

 

 

 森の一画が吹き飛んだ。舞い上がる木々の欠片をすり抜けて、キズナは空に舞い上がる。雷球の攻囲の最も薄いところから抜け出した。

 風と雨と雷が支配する空へ。

 キズナは押し上げられた。

 それが意味するところは、

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」

 右手に倶利伽羅竜王之太刀を出現させるのと、雷の斧が振るわれるのは同時であった。

「うあああああああッ」

 刃が激突し、空中で呪力と熱が弾ける。

 筋力に劣るキズナが不利であり、一度は太刀ごと打ち砕かれたのであるから正面から受け止めたりはしない。後方に跳んで勢いを殺す。

「それで、逃げられると思うな」

 吹き飛ばされるキズナより、神速で動けるタルフントのほうが数倍以上も速い。

 その神速の権能を、事もあろうに斧に付与して全力で投じたのである。

「そ、れは……ッ!?」

 反則、と言葉は続かない。

 轟、という竜巻めいた大斧の一撃を、キズナは虚空を蹴って避けたものの余波で視界が回った。そこに追い討ちが加えられた。

 タルフントは両手をがっしりと握り合わせた拳骨を、キズナの腹に叩き込んだ。真上から振るわれた怪力に、キズナは声もなく地面に叩き落される。荘子の権能でいくらか軽減できているとはいえ、今のは効いた。

「か、……ふ。ごほッ」

 背中から焼けた地面に叩きつけられたキズナは、起き上がろうにも吐血してしまってどうにもならない。

「そろそろ決めるとするか。神殺し!」

 斧を回収したタルフントが、頭上から落下してくる。

 墜落の威力をあわせた力技でキズナを両断するつもりだ。

「う、おおおおおおおおおッ」

 膝が震える。

 視界が歪む。

 それでも、ここで崩れるわけにはいかないとキズナは気炎を上げて立ち上げる。

 タルフントの斧がキズナを捉えるまさにその瞬間、地中から立ち上がる一本の杭がタルフントの右肘を刺し貫いたのである。

 丸太のような腕があっさりとへし折れて、斧があらぬ方向に飛んでいく。

「ぐ、なッ」

 キズナの目には、驚愕に歪むタルフントの顔が実に滑稽に映る。

「確信したな」

 キズナは対照的に笑んでいる。口を汚す紅を、赤い舌でぺろりと舐め取り、真紅に咲いた双眼でタルフントを射抜いた。

「わたしを相手に勝利を確信するなんて、千年早いんだよ!」

 杭の葬列が立ち並ぶ。

 右腕を失ったタルフントを狙う杭は、地面から突き出してくるという特性上究極の不意打ちである。消し飛んだ木々に変わり、禍々しい闇の杭が島を覆っていく。

 『血界・禍つ杭(ファング・オブ・ドラキュリア)』。

 杭の一本一本がキズナの牙だ。

 相手を傷付ければ傷付けるほど、刃は鋭さを増し、そして主は強化される。攻撃範囲は地上のみ。だが、だからこそ地に足をつける者には圧倒的な脅威となって立ちはだかるのである。

 地上にいては串刺しになると、タルフントは逸早く離脱を選択する。雷の化身たるタルフントは杭より速く空に舞い戻るのである。

 だがそれは、あまりに軽挙で分かりやすかった。

 地上で追い込まれれば、空に逃げる。それは、先のキズナがやらかした失態の再現ではないか。右腕を落とされてすっかり失念していたらしいタルフントの行動を見越すのは、容易なことだったのだ。

「わたしから目を離しちゃ、ダメじゃないの」

 呪力を振り絞った転移を見逃すのだ。

「ぬッ」

「斬ッ」

 片腕での対応は遅い。遅すぎる。キズナの太刀が、残された左腕を斬り飛ばす猶予を与えすぎたのである。

 焼き斬られたから血は出ない。

 代わりに肉の焼ける嫌な臭いが一瞬だけ漂った。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ」

 タルフントの全身が一気に膨れ上がったかのような錯覚。

 目を潰さんとするほどの強烈な雷光が世界を白く染める。

 かつてない最大威力の雷撃を解き放とうとしているのだ。しかも、その準備段階でこれだ。周囲に無差別に雷撃を飛ばし続けているせいで、真正面から近づけは焼かれてしまう。

「そなたは強い。認めよう。私が打ち倒してきた数多の敵の中でも最強であろうよ。故にこそ、私はそなたを討ち果たし《鋼》の面目を保たねばならぬ! 我が雷撃の前に骨も残さず消えるがいいッ!」

 タルフントの周囲は雷撃によって白く輝いている。それ自体が強力な攻勢結界だ。キズナの攻撃もあの雷に焼かれて無力化されるだろう。

「夢に酒を飲む者は、(あした)にして哭泣(こっきゅう)し、夢に哭泣する者は、旦にして田猟す。其の夢みるに(あた)りては、其の夢なるを知らざるなり。夢の中に又た其の夢を占い、覚めて後に其の夢なるを知る!」

 荘子の聖句を唱えたキズナは、タルフントの雷の中へ身を躍らせた。

「何ッ」

 驚愕するのも当たり前だ。

 如何なカンピオーネの耐久力も、今のタルフントの雷撃圏に飛び込んで生を拾えるほどではない。

 だというのに、

「ビリビリうるさい。あんたはさっさと、わたしに権能を寄越せばいいのよッ」

 全身に火傷を負いながらも、雷撃をすり抜けてきたキズナがタルフントの鳩尾を思い切り殴りつけたのだ。

 めり込む拳。

 身体能力の大幅な増強は、金色の狐に変身したからこそのものだ。

 変身したことで耐久力を上げ、荘子の権能でダメージを最小限に抑える。あえて危険を冒すことで、敵の全力を封殺する。

 今、こうしている間にもキズナは全身に雷撃を浴びている。

 呪力を限界以上に引き出して荘子の権能と九尾の権能をフル稼働させ、さらに平行して聖絶の言霊を叫んだ。

「墜ちろ、タルフントッ!」

 桃色の呪力が金色の尾を包む。

 神殺しの呪力で武装した九本の尾がタルフントの身体を貫いた。傷口から呪詛が入り込み、タルフントを体内から侵していく。

「ご、お……ッ」

 呻くタルフントにキズナは真上から尾を叩き付けた。

 鉄骨が拉げるような音が響き、タルフントが墜落する。隕石の落下もかくやという勢いで落ちた先には、ドラキュラの牙が涎を垂らして待っていた。

 腹や胸に穴が開き、内部は呪毒によって汚染された。 

 それでも、タルフントは諦めずに戦う力が残っている。蓄積した雷撃のエネルギーを治癒に回せば致命傷は何とか塞げるだろう。

 だが、それもさらに深い傷を負ってしまえば、叶わなくなる。

 回避しようとするも、間に合わなかった。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ」

 魂を焼ききるかのような絶叫が響き渡った。

 呪力の大爆発が生じる。

 タルフントの肉体に蓄えられた膨大な雷が、一挙に解き放たれたのである。

 それは一撃でキズナの杭を消し炭とし、さらに上空に伸び上がってキズナに襲い掛かった。せめて相打ちに持ち込もうという、タルフントの最期の反撃であった。

 

 

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