極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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四十八話

 キズナはふとした拍子に別世界にいた。

 周囲には草木が無造作に生えていて、苔むした岩の間から清水がこぼれ出ている。

 夏というのにひんやりとしていて、原生林の只中にいるのだと理解させられる。

「幽界か」

 夢見の法。

 眠っている間に、意識だけを別の場所に飛ばす呪術である。

 幽体分離に近いが、こちらは物質界に干渉するほどの力はない。思念体でしかないので、それなりに呪術の心得のある相手でなければ、意識する事すらできないだろう。

 とはいえ、カンピオーネであるキズナの精神に働きかけるというのは生半な手段では実現できない。キズナの夢と、幽界を直接繋いだ何者かは、人ならざる者という事であろう。

 それも、大体予想は付いたが。

 幽界は肉体ではなく精神が支配する世界だ。

 よって、精神体であるキズナも活動に支障を生じる事はない。念じて呪力で肉体を構築し、手の平を握ったり開いたりして調子を確認する。

「問題なし、と」

 次いで、目を瞑って意識を集中する。

 幽界ならば、キズナの霊力は極限まで高まる。

 相手を探るのも、大した労力は使わない。

 近くを流れる川の上流に、強力な神気を確認する。覚えのある力を懐かしく思いながら、キズナはその場所を明確にイメージする。

 次の瞬間には、キズナは寂れた庵の前にいた。

 少し呆れる。

 貴人の住むべき場所ではない、と思いながら、相手は人間ではないのだから人の価値観で判断してはならないと思いなおす。

 庵の中には何もない。

 調度品もなければ、布団もない。しかし、何もない空間ながら、圧迫感は非常に強い。

 蓆の上に胡坐をかくむさくるしい大男の存在感が、あまりにも圧倒的だったからだ。

「天下の英雄神が寂れたところにいるのね」

 しかしながら、キズナは臆する事なくため息混じりに言う。

「未だにあんなつまらん現世を彷徨うてめえには言われたくねえな」

 価値観の相違が明確に出た。

 キズナはこの場を寂れたと評し、大男は現世をつまらんと表現する。

「まあ、座って一献やろうや。まさか、その歳で未成年なんて言うんじゃねえだろな」

「頭を穿たれたいのなら遠慮するな。すぐに楽にしてやる」

 青筋立ててキズナは言う。

 左手にはすでに虹の光が収束しつつあった。

 誤解のないように言うと、キズナはまだ未成年である。この春高校を卒業したばかりの十八歳だ。当然、日本の法では飲酒は厳禁とされる。

 しかし、この法を抜ける道がキズナには二つある。 

 一つは、彼女がカンピオーネである事。

 カンピオーネにはあらゆる法が適用されない。殺人罪すらも、咎められる事がないのである。飲酒の年齢制限など、あってないようなものだ。

 そして、もう一つは彼女が転生の権能で生まれ変わった存在だということである。

 生まれは平安時代で、そこで百余年生きた後に現代に生まれ変わった。活動時間は百年以上であり、流れた時間は千年になる。

 が、しかしそれは他者に指摘されて嬉しいものではない。

 永遠の十七歳を自称する痛い同輩ほどでなくとも、未成年という言葉に魅力を感じる年頃である。特に年齢は、いつの時代も女性の頭を悩ませるワードである。

「その辺りになさいませ、御老公。女性に対してあまりに無神経な発言かと思います」

 一触即発の空気に割って入ったのは透き通った女性の声。

 いつの間にか、十二単の見目麗しい女性が部屋の隅に座っていた。『まつろわぬ神』ではない。しかし、その身に蓄えられた呪力は常人のそれとは桁外れであり、霊的にも突出した存在であると伺える。

「玻璃の……」

「お久しぶりです。晴明。その説はお世話になりました」

 茶色味がかった美しい長髪。アジア系に見えるが日本人離れしたような顔立ち。生前から親交のあった、神祖の媛である。

「神祖が不老とはいえ、千年は生き過ぎよ」

「千年後に生まれ変わるなんて、途方もないことをされた晴明には言われたくありませんね」

 揃って笑みを零す。

 千年前とは、互いに立ち位置が微妙に異なっているものの、再開した傍から軽口が叩ける程度には友情は残っていたらしい。

 キズナと媛が再開を喜んでいると、そこにさらに三人目の影が現れる。

 今度は、黒い衣のミイラであった。動くミイラだ。

「美しい女性が揃うと、なかなかに眼福ですな御老公」

「そんなナリになってまで助兵衛心が抜けてねえのかお前」

 ミイラはキズナの視線を受けて頭を下げた。

「一人、このような情けない姿を曝し、申し訳ありませんな。何分、未熟者でして」

「この場にいるってこと、それそのものが一流の証なのだけど。まあ、それにしてもお粗末ね」

「お見立てどおりにございます。しかし、その粗末な術式でも、かの大陰陽師のご尊顔を拝す手助けにはなりましたな。五百年の苦心の甲斐がありました」

 五百年というと江戸時代初期か戦国時代の終わりだ。

 このミイラはその時代に一流の呪術師として名を馳せた人物か何かだろうか。いずれにしても、寿命を越えて幽界で生活するには、それだけの実力が必要不可欠だ。

 キズナはお粗末と言ったが、それはキズナ視点からであって、通常の呪術師たちからすればこの黒衣の老僧は束になっても歯が立たないほどに強力な超越者なのである。

「一つの時代にスサノオのちょっかいを受けた御仁といったところかしら」

「御老公とは、生前からの知り合いでして。まあ、腐れ縁というものですな」

 キズナよりも歴史は浅いとはいえ、活動期間でいえば五倍になる。決して油断してよい相手ではない。

「ところで、どうしてわたしを呼んだの? まさか、本当に旧交を温めるためってこと?」

 三人のうち、二人とは千年前からの付き合いである。

 スサノオというよりは彼の相方には多分にお世話になったし、媛のほうとは互いに文のやり取りをするくらいには親交があった。彼女個人の頼みを聞いた事も一度や二度ではない。

「まあ、それもあるが、第一には忠告だな」

「忠告?」

 スサノオが、キズナを呼び出してわざわざ忠告とは、突然どうしたことか。

「どういう風の吹き回し?」

「俺も地上の面倒ごとからは身を引きてえんだが、そういうわけにもいかねえ。知ってんだろ、お前さんなら、あの傍迷惑な小僧のことをな」

 そう言われて、キズナは頭に痛みを感じた。精神が、幽界に刺激されて何かを引き出そうとしている。が、やはり何も降りてこない。神界の秘事は、キズナの霊視を以てしても読み解けない。

「アイツのこと、教えてくれるっての?」

「いや、無理」

「無理って。忠告にならんでしょー、それじゃあさ」

「俺も神様の端くれだからな。規則ってのがあんだよ」

「スサノオが規則って、ほんと笑い話だわ」

 自分の姉に対して仕出かしたことを忘れたわけではあるまい。

 高天原を追放されるほどの悪事をした神様の発言とは思えない。

「御老公を縛る天界の理も強固なものです。あまり、責めないでください。晴明」

「玻璃」

 媛はくすりと笑みを浮かべる。だが、その笑みには、どことなく暗さが滲み出ていた。

「あなた様の身に、危険が迫っています」

「あの英雄神が目覚めるそうってこと」

「はい」

 千年前にキズナを打ち倒した最強の《鋼》は、それ以来文献にも登場していない。活動の痕跡も残しておらず、どうやらキズナを最後の犠牲として、以降は日本で眠り続けていると推測していた。

「やっぱり、まだ日本にいるのね」

「あなた様が討たれた後、あのお方はその場で力尽き、眠りに就かれました。その後、わたくし達で、あのお方の寝所をお移し申し上げたのです」

「へえ」

「それ以降、千年。あのお方は復活されることもなく眠り続けていらっしゃいましたが……」

「そろそろ、その眠りも限界ってこと」

 危機感がなかったわけではない。

 あのグィネヴィアという神祖が現れた際に、最強の《鋼》が蘇る可能性を感じ取っていた。ああいった手合いがいるのは傍迷惑に過ぎるし早めの始末を心がけたいところだが、それでもどれだけ復活を延期できるか。

「と、まあ、俺の忠告はこんなとこだ。今はもう一人のほうもいるしな。そっちもそっちでなんとかしねえといかねえ」

 ぶつくさと言いながら、スサノオはどこかに消えていった。ここが彼の庵ではなかったのか。それとも、いくつか拠点があるのか。ただの散歩かもしれない。いつの間にか、黒衣のミイラも消えていた。彼の場合は、安倍晴明に会いに来たというだけだったのかもしれない。千年前の事件に絡んでいるわけでもないので、キズナに何かを残せるわけでもない。

「面倒見のいいことで。千年経って、丸くなったのかしら」

「昔からあのような方だとは思いますよ」

「そうだったかな」

 晴明がスサノオを知り合ったのは彼が隠棲してからのことだ。『まつろわぬ神』は地上での生活に飽きると幽界に引退する場合があるという。そうなると、まつろわぬ性を失い、本来の性質に近付くとされる。地上にいた頃の行いを恥じる、などという可愛らしい側面があっても面白いと思う。

 キズナは玻璃の媛を改めて向かい合い、供された茶のみを肴にして、昔話に花を咲かせる。

「あの晴明が、快活に生を楽しんでいるというのが、意外といえば、意外ですね。博雅様のおかげ、なのでしょうか」

「わたしは、別に普通よ。昔のアレは、あまり思い出したくない類なのだけど」

 所謂黒歴史。

 昔の自分がこの場にいたら、引っ叩いてやりたいところである。といっても、本質的には変わっていないのだろう。ただ、生活環境が変わったというだけである。

「ともあれ、晴明。元気そうで何よりです」

「今のところはね。驚いたのは、あなたがここにいるということでね。どうして、今まで音沙汰がなかったの?」

「あなたが晴明である保証がなかったではありませんか。他人の空似かもしれません。帝釈天様の権能を振るわれるまでは、様子見をしておりました」

「なるほど。確かにそれはそうだ……」

「生まれ変わる権能を持っているなど、誰が想像できますか? きっと、博雅様にはお伝えしていたのでしょうけど、わたくしにも伝えておいて欲しかったです」

 珍しく、拗ねたように言う。

 基本的にお淑やかな、世を儚む深窓の令嬢であるが、ほんの一瞬だけ子どもかと思える反応をする。極めて珍しいが、親しい間柄の者だけに見せる素顔であった。

「そういえば、博雅様といえば」

 そこで玻璃の媛は、言葉を切る。

 博雅の名が出て、意識を引き寄せられたキズナは、気付くのが一瞬遅れた。

「おーいーす。しーちゃんおっひさー」

 庵の中に、無造作に踏み込んできた金髪の少女に、キズナは目を奪われた。

 見た目の年齢はキズナと同じか、少し上くらいか。二十代の前半くらいが精精であろう。

 それだけならば、まだいい。キズナの視線を奪ったのは、その顔立ち。どことなく、キズナに似ているのである。

「噂をすれば、ですね。ちょうど、あなたのことを晴明に話そうを思っていたのですよ、葛の葉」

「え……?」

 キズナは玻璃の媛を慌てて見やる。それから、葛の葉と呼ばれた少女をもう一度見た。

「あ、マジ? やっぱり、この娘が晴明なの? 久しぶりー、ていうには時間が空きすぎた? ママでーす」

 にへら、としただらしない笑みを浮かべて手を振る少女に、キズナは目が点になって、驚愕すらも忘れてしまった。

 

 

 葛の葉狐は、伝説に現れる安部晴明の母親の名である。

 野狐の肝を取ろうとしていた猟師に追われていたところを、安倍保名に救われて、恋仲となり、身篭った。その子が陰陽師安倍晴明であるという。

 実際には後世形作られた物語でしかないが、そこに描かれるエピソードは事実を下敷きにしたものだという。

「晴明を産んだ後でうち、殺されちゃってねぇ。あれから何回転生したかな、三、四?」

「死にすぎですよ、葛の葉」

「愛憎のもつれっておっかないねー!」

 けらけらと笑う葛の葉。

 彼女は神祖だ。

 基本的に神祖は不老で、何らかの要因で命を落としても数百年もすれば転生する。その際に前世の記憶を失った状態となるのが、キズナの転生と異なる点である。

「なんで死んでるのに、昔のことを覚えているのよ?」

「ここが幽界だからじゃねー?」

 知らんけど、と適当な回答。

 これが、母親なのかと思うと頭が痛くなる。自分に顔立ちが似ているのが、さらに輪をかけて苛立たせるのである。

「そうですね。神祖も幽界に至れば、前世の記憶を取り戻せるのです。わたくしも彼女も、『まつろわぬ神』であった頃も含めて、記憶を取り戻しています」

「ちなみにうちは、九尾ね。まつろわぬ九尾」

「それなら、わたしが千年前に殺しているけど」

「親殺しは大罪やで、晴明」

「九尾であっても発生が異なる別物でしょう。底本とした伝説は同じかもしれませんけど」

「まあ、そうだねー。うちが神様だったのなんて、それこそ紀元前ってヤツだし。晴明が殺したのは、うちの後輩って感じかな」

 晴明の隣にどっかと腰を下ろした葛の葉は晴明の肩をポンポンと叩いて、機嫌よく言う。

 伝説上有名な悪女としての側面を持つ九尾は、インド、中国、日本の三カ国に跨っている。日本の九尾は、晴明よりも後の時代に創作されたもので、九尾の権能を手に入れた晴明や、晴明に殺害された九尾の悪行を元にして派生した物語である。よって、晴明の権能には玉藻の前に関わる権能は含まれていない。このように、同じ九尾にしても出現する時代で、内包する伝説に違いがあり、土地によって性や質も異なっている。場合によっては吉兆の証とされることもあり、一概に悪とは言い切れない。

「紀元前の九尾ってことは相当初期の九尾か。『山海経』が出典になっているのかな」

 九尾についての記述で最古のものは、古代中国の地理誌である『山海経』にある。紀元前に降臨したのであれば、彼女は純粋に九尾の怪物であり、後世同一視される妲己などの悪女の性質は持っていないはずである。

「九尾の子が九尾を討って九尾の力を簒奪するなんて、できすぎな話じゃん。それってマジバナ?」

「うぜえ」

 やたらと絡んでくる葛の葉に、キズナはそう呟かざるを得なかった。

「ママに向かってうぜえとはなにかねうぜえとは。しーちゃん、これどうよ」

「葛の葉に非があると思いますよ。実の親子とはいえ、今初めて会ったのですから。それに晴明はよくできた娘ですよ。わたくしの子を立派に育て上げてくれましたし」

 晴明が生前に引き取って安倍家の養子にした三人の子は、実はこの玻璃の媛の子だったのである。後々、日本中に広がる媛巫女の基礎となった血を残した神祖は別系統の神祖の子に我が子を預けたのである。

「それに、媛巫女の家系に生まれ変わった晴明は、わたくしの子孫でもあります。あまり、わたくしの末孫を苛めないであげてください」

「うわ、言われてみればそうだ」

 月沢家は、晴明が引き取った三人の子の中で歴史の闇にあえて埋もれた一族の直系である。媛巫女の血筋という時点で、玻璃の媛の子孫という事になるが、その中でも土御門家と同じく最も遠祖に近しい血筋ということになろう。

 もっとも、キズナの転生の権能は遺伝子レベルで生前の晴明の肉体を再現する。

 彼女の遺伝子は、母の胎内で駆逐されているのだが、家系という視点では確かにキズナは彼女の末孫になる。

「えー、うちのただ一人の娘を取らないでもらえる」

「わたし以外にいないのか。今まで、結構転生、繰り返してきたんでしょ?」

「それがいないのよね。男とは数え切れないくらい寝たけどさ、できたのはあんただけだった」

「その情報はいらない」

 改めて、このアホっぽい女が母だと思うとやるせない気持ちになる。

 実際にアホみたいだと、キズナは半ば実母を蔑む。

「いやいや、晴明がどうなったのかなって幽界に来てから思い出して、気にはなってたんだけどね。まさか、羅刹の君になった挙句転生してるとはね。びっくりびっくり」

「そうですね。それは、わたくしも驚いたところです。博雅様まで一緒ですからね」

「そう、それよ。うちが聞きたかったのは、そこ。何、博雅? あの笛の博雅があんたのイイ人なわけ?」

 まさか、自分が物心付く前に消えた葛の葉が博雅に言及してくるとは思っておらず、キズナは虚を突かれた。

「なんで、博雅のこと」

「千年も前に名を馳せた人間なんだから知ってて当然。まさか、式神なんぞにしてるとは思わなかったけどね。独占欲? 九尾の子は九尾やね」

「な、何が言いたい」

「孫はいつ頃、ぐ、ふ」

 キズナは呪力をこめた肘鉄を、実母の鳩尾に突き込んだ。前のめりになる葛の葉を、玻璃の媛がため息をつきながら支えた。

「いきなり、暴力に訴えるとか、犬並みの酷さね」

「なんで、犬」

「昔から犬は妖狐の天敵だから。あれはいかん。牙が妖刀になるとかチートくさいわ」

「また、ずいぶんと現世に被れてますね。葛の葉」

「あんた、隠居したんじゃないの?」

「誰もそんなことは言ってない。儀式して、幽界に遊びに来ることはあっても、まだ隠居するつもりはないんだなこれが」

 どうやら、キズナの実母は未だに神祖として現世をうろついているらしい。しかも、会話から察するに、かなり人里近くで活動しているようだ。

 神祖はどのようにして生活しているのだろうか。

 今まで、神祖の知り合いが玻璃の媛くらいしかいなかったものだから、在野の神祖の生活が気になる。

「まあ、篭絡した男に貢がせるとかいろいろとやりようはあるのよ。金持ちイケメンに狙いを定めて、手練手管を駆使すればオッケー。あなたも可愛い顔しているし、いくらでもできるわよ」

「たぶん、そこまで俗世に染まってるのは、あんただけだと思う」

 神祖は地母神の成れの果てでもあるというが、人間社会に毒されすぎて神聖さの欠片もないのはどうかと思う。

「晴明も狐の血を引いてるんだし、男の一人や二人、だまくらかしてあれこれするくらいしてもいいもんだけどね。今度、一緒に逆ナンする? うちと晴明なら、選り取り見取り間違いない」

「いや、いい。一人でどうぞ」

「ノリが悪いなぁ。カマトトぶってもー。博雅君だったっけ。そんないいの。どんなんよ。写真は?」

「幽界にあるか、そんなんが」

 面倒くさくなってきて、キズナはいい加減な対応になり始める。泥酔した人間の相手をしているかのようである。絡みがいちいち面倒なのだ。

「博雅様の写真はありませんが、こちらの鏡に映すことくらいはできますよ」

 玻璃の媛が手の平を翳すと一枚の鏡が現れる。

「あ、ちょっと」

「どれどれ」

 止めようとするキズナを押さえつけて、葛の葉が鏡を覗き込む。

 映し出されていたのは、現世の龍巳の様子であった。病院の待合室で、新聞に目を通している姿である。キズナが運び込まれた沖縄の病院であろう。

「へえー。イケメンって感じじゃないけど、朴訥とした好青年って感じか。何、これが晴明の好みなの?」

「これってどういう意味だ」

 さすがに、恥ずかしくなったキズナは頬を紅く染めて問い返す。

「保名様も似たような性格だったではありませんか、葛の葉」

「そうだったかな」

「母の好みが娘にも受け継がれているという好例ですね」

 玻璃の媛が楽しそうに笑った。

 彼女は、晴明が生まれる前から葛の葉と親交があったらしい。同じ国に流れ着いた神祖同士、気が合ったのであろう。抗争するようなこともなく、方や貴人、方や妖狐という扱いの差はあれど当人達は変わらぬ友人付き合いをしていたのである。

 だから、晴明の父親についても玻璃の媛は知っている。龍巳が似ているというのは主観でしかないが、キズナを惑わすには十二分に効果があった。

「わたしがこの駄狐の影響を受けてるみたいに言わないで」

「駄狐とはなんだ駄狐とは!」

 慌てて否定しようとするキズナに葛の葉が反論する。

「ええ。まあ、あの人と雰囲気が似てるのは認めよう。うん、晴明の呪力を受けているだけあって、相当力を溜め込んでるみたいだし、何より美味しそう……あ、待って、鏃が当たってる晴明!」

 キズナが小型の弓を出現させて、葛の葉をひっくり返し、額に突きつける。片手で打てる程度の小型弓は、思念一つで矢を発射する。引く手間はいらない。

「あははー。ちょっと、無言は怖いわー……」

「死ぬ?」

「て、転生まで時間がかかるんだから遊びでも神祖殺しちゃだめだってば!」

 冷や汗を垂れ流しながら引き攣った笑みを浮かべる葛の葉に対してキズナは無表情である。

 何とか、キズナの拘束から抜け出た葛の葉は、ふうと一息ついた。

「まったく、本気にしすぎ。死ぬかと思ったわ」

「口は災いの元ですよ。葛の葉」

「いやいや、災いの元は我が娘でしょー。魔王ですもん」

 葛の葉は、乱れた髪をどこかから取り出した櫛で梳き、服の皺を伸ばす。

「他の女に寝取られたくないのなら、夜の営みがんばるしかないよー。まあ、晴明の話を聞く限り、あまり上手じゃなさそうだけど」

「な、なんの話だッ!? とんだ風評被害だッ」

 夜の営みといえば、思い当たるのは確かにあるが、それが葛の葉に伝わっているのは果たしてどういうことか。『晴明の話』というのは、一体何なのか。

「そりゃ、晴明は千年前は満足にやってなくて、今生になってようやく乙女としてアプローチしてんでしょ。しかもへたれって。そりゃ経験足りんでしょ」

「余計なお世話なんですけどね」

「先達に教えを請うのも世の流れ。ママはたっぷりねっぷりレクチャーしてあげるから博雅君交えて一戦どうか、あぶなーッ!?」

 葛の葉が首を縮めて身を低くしたところを、虹色の矢が通り抜けて行った。

 キズナの矢は、庵の壁を撃ち抜いて、あらぬ方向に飛んでいった。

「マジで射るヤツがあるかッ。死ぬかと思ったわ!」

「娘の男に手を出そうとする女は死ねばいいのよ!」

 キズナは弓の第二矢を構える。

 今度の弓は大型だ。『まつろわぬ神』に放つものと同等の呪力を注いでいる。神祖がいくら女神を祖とする超越生命体とはいえ、カンピオーネの本気の一撃に耐えられる身体ではない。

「まあまあ、お二人とも、その辺りで。真面目な話もできません。葛の葉も、娘をいつまでもからかっているものではありませんよ」

「しーちゃんまで晴明のほうに回るか」

 窘められて、葛の葉はしゅんとする。キズナは、そこでやっと弓を消した。

「真面目な話って」

「あなたを討ち果たされたお方についてです。といっても、わたくしにも口にするのは憚られるのですが」

「教えてくれるの?」

「直接には。ですが、旧交を温める中でうっかりが過ぎることもあるでしょう」

 それは、とんだ言葉遊びだ。しかし、彼女は神界の理からも外れた身である。神々のルールも、スサノオほどには明確に適応されないのであろう。

「あの方は神話の世界での夫だったのです」

「夫……? つまり、あなたは神話の中で英雄に救われる姫って立ち位置だったわけ?」

「はい」

 玻璃の媛は悲しげに頷いた。

 《鋼》の英雄の多くが持つ特徴として竜殺しが挙げられるが、その中でも竜への生贄にされた女神や姫を救い出し妻とする類型が有名である。ペルセウス・アンドロメダ型神話と呼ばれる類型だ。

 そして、彼女は自分の出生の秘密を語りだす。

 地上に降臨した理由が、最強の《鋼》に命を捧げるためであったことや、古代のカンピオーネに匿われたこと。最終決戦に於いて、最強の《鋼》の従属神が放った矢によって命を落としたことなど。

 そして、自らの真の名。

 そこまで言われれば、あの剣神の隠された名にも思い当たる。

「その上で、あなたに申し上げます。晴明。あなたではあのお方には勝てません。おそらく、今生も」

「勝てないって言われると、ムカッとするところはあるわね」

「晴明」

 母が子を叱るように、玻璃の媛は言葉に力を込めた。

 しかし、キズナは頑として受け容れない。それは、どうにも納得できないからである。

「とにかく、あれが復活しないようにすればいいんでしょ。グィネヴィアをなんとかすれば、多少は伸びるでしょうし、その間にまた対策を考えるわよ」

「そう、ですか。やはり、あなたも羅刹の君、なのですね」

 諦めたような憂いを込めた言葉で、玻璃の媛は会話を締めくくった。

 権能によって転生したキズナであっても、彼と次に対峙してまた転生できるかどうかは不明だ。それだけの戦力差がある。

「では、今日はこの辺りでお開きにしましょうか」

 夢の世界に亀裂が走る。キズナを幽界に留めていた力が消え、意識が肉体に引っ張られているのである。ずいぶんと、無茶な術式を組んだものだと、キズナは感心した。

「それでは、また。晴明。どうか達者で」

「ええ、また」

「晴明。アイツと戦うことになったら、幽界に逃げ込みなさい。そうすれば、死ぬことにはならないでしょ」

 最後に、葛の葉がそんなアドバイスを残して、夢の世界は崩れたのだった。

 

 

 

 □

 

 

 

 夜も深まる東京の街並を、鎧武者が睥睨する。

 相変わらず憎悪に歪んだ顔つきで、苛立たしげに腕を組んでいる。

 ビルの屋上を流れる風は速い。

 風に煽られる衣が音を立てる。

 男は、そのまま臆することなく地上を睨み付けた。

 卓越した視力は豆粒以下の大きさになった地上の人間をはっきりと捉えている。その気になれば、この場から狙った獲物の心臓を射抜くことも難しくはない。

「高いところが好きなのね。弓使いだから?」

 その背後に、金色の少女が現れた。

 直前まで気配を悟らせない、見事な隠形術だ。

「女狐か」

「その呼び方好きじゃないな。で、モノは揃ったの?」

 扇を広げて口元を隠す葛の葉は、視線だけを男に向けた。

「まだだ。まだ、足りん」

「なぁんだ。呪法を執り行うにしても触媒がなければ話にならないでしょ。降臨させるのではなく、封印されたアレを呼び起こすのだから、中途半端……」

 そこで、葛の葉は言葉を切った。

 葛の葉の足元に、黒々とした鉄矢が突き立っていた。

「口を慎め、女狐。あのお方を指してアレなどと。王と呼ぶことすらも不敬に当たる、高貴なお方だ。次は脳天を撃ち抜くぞ」

「ふん、やってみなさいな。封印を解くには神祖クラスの術者が必要なんでしょ。ご主人様を復活させたければ、あんたこそさっさと下準備を済ませなさいな」

 男は舌打ちをして、視線を再び眼下に向けた。

 何を思っているのだろうか。

 好きに苛立っていればいい。葛の葉は、《鋼》の類は嫌いなのだ。彼がイライラしている原因を積極的に取り去ってやろうとは思わない。

 利害が一致しているからこそ、協力しているだけなのだから。

「じゃ、何か用事があったら天狗でも遣わしてねー」

 そう言って、葛の葉は姿を消した。

 男は、視線すら向けずただ無視した。彼にとっても葛の葉は神祖というだけの価値しかない。仲間というよりも消耗品である。

 彼女の言うとおり、今の葛の葉には利用価値がある。

 彼の主人を復活させるには、それなりの術者を揃えなければならない。彼女が一人いれば、その手間が省かれるのである。

 降臨させるのではなく、封印を解くことによる復活。それこそが、彼の悲願だ。降臨させるのでは、異なる神格になってしまうので、彼を創造した主とは同一神格であっても別個体になってしまう。

 忠義を全うするには、どうしても封印を解き放たねばならない。

 それまでは、あの不敬な狐の行動にも目を瞑っていてやると、男は葛の葉を見逃したのであった。

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