極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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四話

 月沢家は、東京都奥多摩町のはずれにある神社を本家としている。普段のキズナは、学業もあって都心で暮らしているが、生まれと育ちはこの奥多摩である。

 周囲は鬱蒼とした木々がどこまでも続き、土の匂いが鼻腔をくすぐる。

 耳に心地よい、葉擦れの音。風が木立の間を吹き抜けて、肌をなでる。降り注ぐ蝉の声は、複数の種類が入り混じった混成大合唱。幼いころから慣れ親しんだ、自然の声にキズナは、しばし耳を傾ける。

 都心では、ミンミンゼミの声を比較的よく聞く。アブラゼミもそうか。ヒグラシの鳴き声は、本当に久しぶりに聞いた気がする。

 高校に進学してから、実家にはあまり顔を出していない。

 正月には帰っているが、ここ二年は盆に帰ることがなかったのでヒグラシの声を聞きそびれたのだと思う。

 実家裏の山道を、一歩進むごとに踏み折った枝が小気味よい音を立てる。

「あー、面倒くさい。暑い。お勤めとはいえ、巫女服でこんなとこ行くとかアリエナイ……」

 白衣に緋袴は典型的な巫女装束。

 陽光に煌く金糸の髪に、蒼穹のような透き通った瞳とのコントラストがまぶしい。

 実家が神社であり、正史編纂委員会において媛巫女の称号を持つキズナにとっては、仕事着とも言うべき衣服なのだが、獣道を掻き分けていくにはどうにも都合が悪い。

「ぐだぐだ言わないで、黙ってお勤めしなさい」

 しわがれた声で叱責された。

 数メートル先を歩く、齢七〇になる祖母だ。足腰はいまだ健在。一年のほぼすべてをこの奥多摩の山で過ごし、必要と判断すれば山道を悠々と登っていく。

 そのうち、山姥になってしまうんじゃなかろうかと、内心思っていたりする。

「まったく、お前は礼儀がなっとらんのだ。この前の縁談も、断りなしに蹴ってしもうて」

「あれは、おばあちゃんがわたしに断りなしに入れたからでしょー」

 言っても聞かないことは百も承知で、ささやかな反論をする。

「なんじゃ、その言い草は。早いうちによい家の男と縁を持っといたほうがいいに決まっとる。だというのに、せっかくの良縁を蔑ろにして……」

 ぶつぶつとそれこそ念仏のように愚痴を言う。元々我の強い人で、自分の意見を第一とするワンマンなところがあったが、ここ数年でその傾向は緩やかに強まっている。

 祖父が不慮の事故で死んでからだ。

 そう思うと、キズナも感情任せに反論できない。

 それに、昔から適当に遊んで暮らしていたキズナは、祖母のお小言を聞き慣れている。馬耳東風を素で行くキズナは、もちろんこの小言を聞き流す術に長けている。

 面倒な話は忘却の彼方へ。

 小鳥のさえずりと、蝉の歌に耳を向け、生命の息吹を感じる。

 それだけで、自意識ははるかに拡大していく。

 大気の流れも、大地の呪力も、手に取るように感じ取ることができる。

 森は命の宝庫。

 都心に比べて、ここは生命力に溢れている。

 こうした自然と精神を同調させるのは、一流の武芸者や呪術師のみが到達する無我の境地というものだが、その領域に祖母の小言から逃れるためだけに到達したキズナは、通常の呪術師の条理の外にいると言っても過言ではない。

 山道を上った先には、小さな祠があった。

 キズナの胸の高さしかない祠は、年月の経過で木が黒ずんでいる。基礎となる石は苔が生えていて、その周りは昨年の落ち葉が絨毯のように降り積もり、柔らかな土壌を形成している。

 日の光が斑に差し込む、山の中。

 月沢家の氏神とかいう名もなき神の社をきれいにする。それが、この日のお勤めだった。

 祠の扉を開けて、中に入った一年分の土を掻き出して、それから基礎の石に張り付いた緑の苔を削り落としていく。とても単調な作業ながら、神様相手なので、丁寧な仕事をする。いい加減に生きるのは、人間の前だけだ。一応、巫女であり呪術師だから、キズナは神様の前では真面目にしている。もちろん、気に入らないところがあれば突っかかっていくのがカンピオーネだ。それはキズナも例に漏れない。真面目に仕事をしているのは、こういった作業が苦にならないからでもある。

 小一時間ほどで、祠はきれいになった。

 自然の中にある祠だから、一月もすればまた元に戻るかもしれない。

「あー、一仕事したー」

 背中を伸ばせば音がなる。

 祖母は一足早く家に戻った。キズナがきちんと仕事をするのか監視するために付いて来ただけだった模様。

 自分の信用のなさに苦笑しつつ、バケツに柄杓とたわしを突っ込み、獣道を引き返していった。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 夏の夜は暑い。

 わざわざ言葉にするまでもないことだが、言葉にすることで気分が落ち着いたり、気が紛れたりすることはある。

 だから言おう。

「あっつーーーーーーーーーーい!!」

 キズナは、全力で叫んだ。

 暑くて死にそうだ。身体の内側が熱を持っている。ジメジメとした夜気は、まったくもって重苦しい。

 おちおち寝てもいられない。

 この国の夏はなぜこんなにも過ごしにくいのか。

 一〇〇〇年前からずっと、夏が嫌いだった。

 それでも、冷房という文明の利器が発達した現代には、一〇〇〇年前の京ほどの息苦しさはない。ヒートアイランド現象などという都会の生活習慣病とも言うべき自然現象が現れたりもしたが、冷房の効いた室内にいればなんの問題にもならない。

 だがしかし、こともあろうに実家にあるキズナの部屋には冷房がない。 

 お金持ちなのに、冷房がない。

 これはいったいどういうことだと。

 常から冷房の効いた部屋で、ゴロゴロしているキズナにとって、二年半ぶりの実家のそれはまさに、地獄に等しい環境だった。

 我慢が嫌いなキズナは、どうしたものかと思案して、それからある行動に出た。

 地上が灼熱地獄なら、天に昇ってしまえばいい。

 幸い、キズナは飛行能力がある。

 家人が寝静まった頃を見計らって、窓から外に飛び出した。

 風を切って山の頂よりも高く飛ぶ。

 ああ、なんと心地よいのだろうか。

 雲は浮いているだけで霧と同じ。中はひんやりとしていて身体はしっとりと濡れたが、夏の夜の熱を帯びたキズナには、ちょうどいい。

 空は、地上に比べて気温が低い。

 小学生でも知っていることだが、だからといって暑いから空に行こうとするのはキズナくらいのものだろう。

 一部の魔女を除いて、生身の人類は未だに重力の枷から逃れることができないでいる。

 一息ではるか高みに舞い上がったキズナは、雲に乗って空中を散策する。

 視界を遮るものは、何もない。

 上空には、青白い月がある。

 キズナの視力なら、この場から月のクレーターまで見ることができる。

 一〇〇〇年経って、人の営みは大きく変わった。自然も切り開かれ、闇は人工の光に駆逐されつつある。空から見れば一目瞭然だ。都心の方角は、光のドームだ。星の光も月の光も、あの無機質な光の前にかき消されるだけだ。

 それでも月光は以前と変わらず降り注ぐ。

 まるで、人の営みなど天地の運営にはまったく関係がないというように。生れ落ちてから死ぬまで、泣き笑い怒る人々の営みを、空の彼方から見守ってきたのだ。

 なるほど、そのあり方は確かに『母』である。

 時に苛烈なまでに人々を責める太陽ではなく月が地母神の象徴なのは、納得のいく話だ。

 まあ、日本の月神は男なわけで、それは結構レアな部類に入ると思うが。

「帰るか」

 十分涼んだ。過ぎ去った日々と自然界の永遠性に思いを馳せるのは、またいつの日か。

 明日の朝は早い。

 寝過ごせば祖母の機嫌を損なうことになる。

 それは、とても面倒なことだ。

 面倒ごとは回避するに越したことはない。

「おや、もうお帰りで」

 さっさと帰って寝ようと思い立ったとき、背後から声をかけられた。

「うーん。そうね、それは、あなた次第」

 キズナは振り返って返答する。

 キズナと同じ高度に佇む、長身の男。

 黒い髪を角髪に結い、前あわせの薄い上着と袴を履いている。見るからに古代人といった風貌は、今では博物館においてある人形くらいしか目にかかることはない。

 それを自然体で着こなしているというのは、不思議な感覚がするものだ。

 ずいぶんと、現代に毒されてきたなとキズナは思いながら、相手をにらみつけた。

 対峙したその時から、血流が急加速したような気がした。

 この日、一日の仕事で溜まった疲れも瞬時に消え去り体調面は頗る良好。アドレナリンが大量分泌されているのか、気持ちも軽くなった。

「月を肴に空を泳ぐとは、また粋なことをなさる。昨今の流行ですかな。お恥ずかしながら私は、隠居の身。いやはや世情に疎くていけませんな」

 隠居というには若すぎるが、この類の相手に外見年齢は関係がない。彼らはこの世に現れた時点で完成している。人の尺度で測ることはできない。

「隠居の身でなぜここに? 季節はずれのお月見かしら」

「ふむ。それもまた良しですが、ここは美しき少女に誑かされたとでもしておきましょう」

「あら、お上手。どっかの誰かに見習わせたいところだね」

 この世界には、『まつろわぬ神』という超常の存在がいる。

 はるか古の世界から人々の間に語り継がれてきた神話を核として形成される意思を持つ自然災害のような存在だ。

 キズナたちカンピオーネは、人の身でこの『まつろわぬ神』を殺害した者のことを言う。

 カンピオーネと『まつろわぬ神』は敵対するのが自然だ。そうあるように規定されていると言ってもいい。互いに近くにいれば、相手のことがわかる。相手を殺すために身体が創り変わるからだ。

 キズナの身体が戦うための状態に切り替わったのと同じように、相手もまた戦う準備ができている。

 軽口を交わしながら、相手の様子を具に観察するのを忘れない。

 蛇のような狡猾さと獅子のような大胆さを併せ持って敵を制するのがキズナ流だと自負している。

「『まつろわぬ神』ってのは、ずいぶんと口が達者みたいだけど、みんなそうなのかな」

「さて、どうでしょう。遠く流浪の旅の果てで、月を背負った少女を見れば、誰であろうと声の一つもかけるでしょう」

「気障な台詞をよくもまあ。でも、空は女の舞台。男のくせに上がってくるなんて、それこそ無粋だと思うけど」

 空を舞うのは女の専売特許。男は飛翔術の類は使えない。それが魔術界の常識だ。

 恨みがましくそう言うと、『まつろわぬ神』は頬を綻ばせて笑った。

「そう仰らず。私は見てのとおり禁厭(まじない)が得意でしてね。大気を友とし、雲と遊ぶのも遊興の一つ」

「ふうん、そう」

 まず相手は、この国の古い神だ。見るからに。そして、その風体を除いて目に飛び込むのは漆塗りの鞘に納まった剣だろう。

 目下のところ、武器はあの剣だ。それに呪術も使うか。敵の正体は、多彩な方面で信仰を集めた軍神と言ったところだろう。

 条件を一つ一つ精査していけば、自ずと相手の正体に行き着く。

 『まつろわぬ神』は、神話を核として降臨する性質上、その能力の範囲は伝承に縛られる。その点、複数の神格が融合していたり、歴史の中で様々な形で信仰を集めるようになった神は能力が多岐にわたって厄介だ。それでも、情報を集めていけば、霊視ができるかもしれないし、会話の中からヒントを探るのは重要だ。

「問答はこれくらいにしましょう」

 『まつろわぬ神』は世間話に興じるつもりは毛頭なかったようだ。

 滑らかな動作で、『まつろわぬ神』は剣を抜き放つ。

 月光を弾く鋼色の諸刃の剣。

 余計な装飾をそぎ落とした無骨な剣は、使い勝手を第一に打たれたように見える。

「貴女も武器を出してください。それくらいは待ちましょう」

「そ。じゃあ、ありがたく」

 呪力を左手に集中。

 青白い稲光とともに現れたのは、見事な虹色の弓。

「ほう……弓使いでしたか。それでは、この距離で戦うのは聊か不都合がおありですかな」

 彼我の距離は、一〇メートルほどだ。『まつろわぬ神』――――それも軍神となれば、一歩で詰めることができる程度でしかない。

「そうでもないよ。近いほうが、よく当たる。そうでしょ」

 気づけばキズナは、すでに矢を番えている。

 矢そのものが虹色に輝いているのは、弓と同じ呪力で生成されたからだ。

 一〇メートルも距離があれば、踏み込まれる前に心臓を穿つことができる。何より、キズナの言うとおり、飛び道具の利点は相手の攻撃の届かない位置から命を奪えることだが、距離が近ければ近いほど制度も威力も上がるのが常識だ。

 目と鼻の先にいる人間大の的を外すほうが難しい。

「なるほど、違いありません」

 『まつろわぬ神』は鷹揚に頷いた。

 弓と剣。

 今、この状況でどちらが優勢かなど、考えるまでもない。しかし、自身の剣が届かぬ場所から狙われているというのに、この神は余裕の体を崩さない。

「それでは、いざ」

 『まつろわぬ神』が、剣を構えて宣戦する。

 対してキズナは虹の矢を返答とする。

 鋼の刀身が閃いた。

 空に虹の花が咲き、呪力の雲を散らした。

 

 

 

 ■ 

 

 

 

 馨の下にその一報が届けられたのは、午前二時を回った頃だ。

 媛巫女であると同時に、沙耶宮家の次期党首かつ正史編纂委員会次期総裁が確定している身にして、現役高校生でもある彼女は、一般的な高校生はおろか、呪術世界の同年代と比較しても圧倒的に勉強しなければならないことが多い。

 この日も、受験に関わりのない二年生の夏休み中であるにも関わらず、夜更けまで参考書に目を通していた。

 それが幸いして、緊急連絡に即座に応じることができた。

 

 庁舎に到着してすぐに、宿直の担当者から状況の説明を受けた。

 一時間ほど前に、奥多摩の上空で激しい呪力を観測。その規模は自然界ではある条件下を除いて発生しえないものであること。そして、その条件は、日本国内で久しく観測されなかったものだ。

 もっとも、日本がこの星の一部である以上、いずれはそういう事態が起こっても不思議ではないわけだが、実際に起こってみると、まさか、という念を拭えない。

「『まつろわぬ神』で、間違いないんだね」

 神妙な面持ちで尋ねる馨に、担当者は頷いた。

「はい」

 馨に続いて続々と人が庁舎内に入ってくる。深夜とはいえ、事態が事態だ。人員が召集されるのは当たり前のこと。しかし、『まつろわぬ神』は自然災害に等しい脅威。いかに彼らが呪術を扱えるとはいえ、人の身でできることはそう多くない。

「では、説明を」

「今から三〇分ほど前、奥多摩市上空で膨大な呪力の波を観測しました。自然界では、まずありえないものですが、グリニッジの賢人議会から取り寄せた過去のレポートから、『まつろわぬ神』がなんらかの権能を使用した際の呪力放出に近いものだということがわかりました」

 予想しうる限り、最悪の事態が現実のものとなった。馨は表情を一層引き締めた。

「その『まつろわぬ神』の正体は?」

「不明です。この『まつろわぬ神』は奥多摩市から山梨県方面へ移動しています。現地にいらした月沢アキ氏によると、呪力の発生源は二つ。どうやら、戦闘を行っている模様です」

「『まつろわぬ神』が二柱か」

「あるいは、神殺し」

 ざわ、と動揺が広がるのが手に取るように分かった。

「ご冗談を。日本から一番近い距離にいる方は、中国の羅濠教主ですよ。まさか、日本を訪れていらっしゃるわけでもありませんし」

「確かに、その通りだね」

 日本にカンピオーネは存在しない。歴史を紐解いても、それらしい記述はない。それが通説だ。

「彼らが戦っているのが、山岳地帯でよかったと胸を撫で下ろすべきか……」

 仔細はいまだ不明ながら、月沢家の当主が呪力の発生源を確認している。さすがに、その詳細までは掴めなかったようだが、『まつろわぬ神』かそうでないかは一目で分かるはず。その月沢家当主が、否定していないのなら、これは本格的にまずい展開ということになろう。

 もしも、『まつろわぬ神』の戦いが市街地で行われていたら、今頃は多数の死傷者が出ていた恐れがある。それがないだけ、マシとしておこう。

「もちろん、彼らが市街地へ移動しないとも限らない。これから最大限に警戒を強めるように。山梨分室と埼玉分室と連携をとって、『まつろわぬ神』の監視にあたる」

 山岳地帯となれば、忍か修験道系の術者が行くべきだが、それでも時間がかかる。おまけに、巻き込まれては命がない。

 日本には、『まつろわぬ神』に対するノウハウがまだほとんどない。

 マニュアルに従って、監視といざというときの避難誘導に努める他、手段がない。

「あの、沙耶宮さん。一つ、ご報告しておきたいことが」

「なんですか?」

「月沢キズナさんが、行方知れずだと」

「は?」

 馨は、珍しく動揺した。

「まさか、奥多摩に」

「はい。ですが、夜中に家を抜け出されていたらしく、連絡がつかないと」

 馨は、頭を抱えた。

 まさかキズナが現場近くにいようとは。

 一瞬、キズナの力で『まつろわぬ神』の正体を探ってもらえないか打診しようと思ったが、よりにもよって行方知れずとは。

「今どこで何をしているんですか。あなたは」

 騒ぎに気づかないはずもない。気づいていたとして、彼女がどのような行動を取るのか予想できないところが恐ろしい。

 下手に動いて、危ない目に会わなければいいのだが。

 馨は、心配しながらも、情報収集に当たった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 舞うように自在に宙を移動するキズナに対し、『まつろわぬ神』は直線的な動きで空を翔る。

 平均した速度は大きく変わらないが、瞬発力は相手のほうが上らしい。

 威力よりも速度を重視した三連射で牽制しつつ、距離をとる。空中戦は足を動かす必要がないという点で、動きながら狙いをつけやすい。とはいえ、二種類の権能を同時に使用するというのは、離れ業でもある。必要だから習得しただけであるが、なかなかできることではない。

 キズナの武器が弓で、相手の武器が剣となれば、勝敗を別つのは互いの距離だ。

 相手の間合いの外から攻撃すればよいキズナと、間合いを詰めなければならない『まつろわぬ神』では、キズナのほうに勝機がある。

 もっとも、それは人間が武器を扱う上での常識であり、カンピオーネと『まつろわぬ神』の戦いでは通用しない。あくまでも、目安として捉えるべきだろう。

「さっきから、掠りもしない」

 キズナが放つ矢は、どれも敵の身体に突き立つことなく黒々とした夜の山肌を抉り取るだけに終わった。

 かっこつけて近いほうがよく当たるとは言ったが、やっぱり当たらないものは当たらない。

 しかし、それはキズナの射撃センスがないというわけではない。キズナの能力ならば数キロ離れた的の中央を射抜くことも可能だ。だが、今回は相手が悪かった。鹿や熊ならばともかく、音速で移動することも平気な人間大の的を正確に射抜くとなると、それはそう簡単なことではない。

「面でいこうか」

 ちょこまかと動く相手なら、逃げ場を与えないようにすればいい。

 避けるということは、当たればダメージになるということでもある。

 キズナは一矢を番えて、相手の頭に向かってひょうと射た。

「今さら、そのような……ッ!?」

 繰り返される連射を華麗にかわし続けた『まつろわぬ神』もこれには驚きを隠しきれなかった。

 放たれた矢が、数十本に分裂、光のシャワーとなる。さらにそれら一矢一矢は、分裂を続け、文字通り膜状に広がった。

 それは、虹色の絨毯爆撃。

 逃げ場の一切を与えぬ、光の雨は敵に着弾すると同時に爆発した。

 夜空に咲く大輪の花。

 虹色の爆風は、虹色の煙となってその威力の程を物語る。

「今の内に」

 地上を目指す。

 正面戦闘は苦手だ。山岳地帯なら身を隠す場所も多々あるので、地上戦に切り替える事とした。

「煌く雷光よあれ! 私の敵を殲滅せよ!」

 背筋を震わす危機感とともに、飛びのく。

 虹の煙を貫いて、一条の雷撃がキズナを掠めていった。

 雷を操る権能。

「今の策はなかなかのものでしたが、一矢の呪力を分散させた分、威力が下がりましたな」

「それでも、手傷くらいは負ってもらえると思ったんだけどね」

「ええ、この通り。多少の擦り傷は頂いてしまいました」

 右手の甲には、痛々しい傷がある。剣で斬り払ったときにできたのだろう。

「とはいえ、この程度でこの私が倒れるはずもありません。あまり、甘く見ないで頂きたいものです」

 キズナに剣の切先を向ける。

「私は、神々の王たる存在。この命、決して安いものではありません」

 丁寧な言葉遣いとは裏腹に、この表情、口調には嘲笑めいたものがある。

 再び、閃光が迸る。

 蛇のような雷撃が、キズナへ向けて落ちてくる。

 威力、速度ともに申し分ない。

 まさに神威を表すかのような、圧倒的な呪力の奔流は、上級呪術師をその守りごと灰にするだけの威力があった。直撃すれば、一堪りもない。

 もちろん、それは当たればの話だ。

 キズナは、敵が攻撃を放つその瞬間から回避行動を取っていた。雷撃は確かに早いが、軌道から出てしまえば当たることはない。

 結果、キズナは五体満足でそこにいる。

「なるほど、素早い。では、貴女の真似をしてみましょう」

 だが、次の攻撃には瞠目せざるを得なかった。

「ちょ……」

 無数というに相応しい雷撃が、地上目掛けて撃ち落された。

 

 

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