極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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五十一話

 キズナが龍巳と連れ立って日本にやってきたのは、アレクサンドルとの会談から三日ほど経ってからであった。正史編纂委員会には一切連絡を取らず、秘密裏に入国したキズナたちは、突然の里帰りを敢行した。

 奥多摩にある月沢家。

 由緒ある神社を代々管理する家柄で、正史編纂委員会の中でも重鎮の一つに数えられる名門である。それもそのはずで、月沢家は陰陽道の大家である土御門家と共に安倍晴明の家から派生した一族であり、日本の媛巫女の源流の一つである。土御門家から分かれた媛巫女の家系は今や日本中に散らばっているが、それでも月沢家ほど色濃く血を守ってきた一族はない。土御門は政治に深入りしすぎた。南北朝時代にはすでに安倍氏は分裂して宗主争いを繰り広げていたし、足利義満に取り入り昇殿を許されるまでになった安倍有世は、大怨霊を封印するなど極めて高い呪術の才覚を示して宗主となったが、それ以降の土御門と姓を名乗った安倍氏は、応仁の乱以降、乱世が終わるまで一貫して京都で生活できないまでに追い込まれたりもした。動乱の中で、媛巫女の血はさらに細かく分かれていった。現代に残る大半の媛巫女の家系、――――すなわち、高位高官の貴族以外の媛巫女の家系というのは、戦国時代の動乱の中で土御門家のように地方に追われた家から血を取り込んだ家系がほとんどである。例えば、鹿児島の高橋家のように武家を祖としながら媛巫女の血を持っているのは、このような歴史的背景がある。

 しかし、その一方で月沢家は粛々と血を守り続けてきた。政治から一歩引いた立場を堅守して、呪術に取り組む姿勢を終始崩さなかった月沢家は、歴史の闇に埋もれて清貧に甘んじることとなったが、明治維新以降の正史編纂委員会の前身となる組織が発足するに及び、守り育ててきた血を評価され、重鎮として招き入れられることとなった。

 そうした経緯から、呪術業界における家格としては、四家にも並ぶ名門として日本中に名が知られた月沢家であるが、今となってはカンピオーネを排出した家柄ということで、その価値は極めて高いものとなっている。

 もっとも、草薙護堂の出現とキズナの出国によって、それも中途半端なものとなってしまった。もとより分家の少ない一族である。発言力、という点では、中堅どころから脱しきれていない。

 立場は微妙。経済力もそれなり。そんな月沢家本邸は、昭和の中頃に建てられた、一般的な二階建て一軒家である。

 東京都とはいえ、奥多摩の山々に囲まれたこの町は、夜ともなれば漆黒の闇に包まれる。年々寂れていくような、そんな一抹の寂しさを感じながら、キズナは龍巳と共に門を潜る。

 玄関の引き戸に手をかけて、鍵がかかっているのを確認する。鍵を出すのが面倒なので、呪術で開錠する。仕掛けられた呪的防御処置は、キズナの侵入を阻むには足りない。

 がらり、と戸を開けると橙色の電球の光に照らされたエプロン姿の女性が目を見開いてキズナを見ていた。

「き、キズナさん……ッ?」

「中居さん。お久しぶり」

 妙齢の女性は、月沢邸に出入りする家政婦の中居であった。キズナとは幼いころからの付き合いで、彼女自身も呪術師である。正史編纂委員会に属していたものの、呪術に馴染めず退職。その後、伝手を頼りに月沢家に奉公に来るという人生を歩んでいる。

「お帰りなさい、キズナさん。それに、龍巳君も。戻ってくるのなら、連絡を入れてくれればよかったのに」

「ごめんなさい。ちょっと立て込んでてね」

 キズナはにこやかに中居に応じる。明らかに面倒がって連絡を入れなかったのだが、そのような言い訳も、中居は追及することもなく受け流す。

「お荷物はキズナさんのお部屋に運べばいいのかしら?」

「あ、いいですよ。自分で運びますし」

「いえいえ。これもわたしのお仕事ですから。それに、キズナさんは奥様にご挨拶されたほうがいいと思いますよ」

「む、ぅ。……」

 当然、そうなるだろう。

 気乗りしないが、この家に戻り、ここをしばらく活動拠点にすると考えれば現在の唯一の肉親である祖母と顔を合わせるのは、至極真っ当な判断であろう。

「龍巳君のお部屋も用意しないとね。では、キズナさん。わたしは龍巳君をご案内しますから、その間に奥様のところにお顔を出して差し上げてくださいね。あれで、ずいぶんと心配されていましたから」

 そう言い残して、中居は龍巳を引き連れて廊下を歩いていく。横長の和風建築であるこの家は、東端に客人を宿泊させる客間がある。龍巳をそこに案内しようというのである。

「じゃあ、龍巳。また、後でね」

「ん、いや。俺もご挨拶させていただかないと」

 龍巳としても宿泊させてもらうのなら、一家の主に最初に挨拶しておかなければならない。客間の場所は知っているので、荷物を中居に任せてキズナの祖母のいる部屋に共に向かうことにした。

「いいや。わざわざ来てもらわんでもいい」

 そこに、やってきたのはキズナの祖母であるつむぎである。紫色の和装をさらりと着込む、老女であった。少しやつれたか。伴侶が事故死して以来、めっきり老け込んだつむぎは、自ら死が訪れるのを待っているかのようである。彼女がその気になれば、至純の域に達した霊力で若返ることも不可能ではないというのに。

「龍巳君。久しぶりだね」

「はい。お久しぶりです」

「孫が迷惑をかけていると思うが、どうか見捨てないでやってくれな」

「ちょっと、迷惑って何さ。迷惑って」

 キズナは心外だとばかりに口を挟む。

「神々との戦いにまで連れ出してんだから、迷惑以外の何があるんだい? 龍巳君の心の広さに感謝しな」

 この祖母。キズナがカンピオーネだからといってそれ以前と対応を変えるつもりは毛頭ないのである。自分の親族だから害されないというような自信に基づいた行動というよりも、達観しているという感じか。半ば世捨て人といった様子で、キズナの持つ権威や権力にさしたる興味を抱いていない。

「しばらく、ここにいるんだろう?」

 唐突に、つむぎはキズナに尋ねた。

「え、あ。うん。まあ、その予定」

「食事がいるのかどうかは、中居さんにきちんと伝えな。分からないと迷惑だからね」

 それだけ言って、つむぎは自分の部屋に引っ込んでいった。

 老年とは思えぬ足取りである。まだまだ長生きしそうだと、キズナは心なしか安堵する。

「さて、それじゃあお部屋に行きましょうか」

 

 

 

 キズナは一旦自分の部屋に向かう。

 キズナの部屋は二階の外れにある八畳ほどの和室である。

 布団、本棚、テレビ、化粧台だけが室内にはあり、それ以外は置かれていない。この部屋に戻ってくるのは春に日本を出て以来のことだが、それ以前も都心の学校に通う都合上、独り暮らしをしていたので、実は自分の部屋という実感はそれほどないのだ。

 長期休業中に帰ってくる程度の部屋なので、今回の久しぶりの里帰りもこれといった違和感を抱くことがなかった。

 キズナは座布団の上に腰を下ろしてテレビの電源を入れる。

 これといって見たい番組があるわけではない。手持ち無沙汰になってしまったから、何気なくテレビをつけただけである。

 近く、アレクサンドルが動く。

 そうなれば、表立った動きはないにしても裏――――すなわち、呪術業界では激しい動きがあるだろう。

 月沢の家を拠点としたのは、一つにはそうした動きを把握するためである。

 ニュース番組を眺めていると、戸の外から中居に声をかけられた。

「何、中居さん」

 キズナが返事をすると、中居が戸を開けて室内に入ってきた。中居は、古い木箱を持っている。中居はキズナの前に正座し、木箱を置いた。

「今日の夕ご飯の相談に来たんです。キズナさん。何か、ご希望はありますか?」

「ん、いや。特にないかな。おばあちゃんが食べるのと同じでいいよ」

「そうなると、今日はカレーをメインにすることになりますけど」

「いいね。カレー」

「ふふ、魔王様のお口に合うかどうかわかりませんけれど」

「やめてよ、そういうの」

 頬を膨らませてキズナは拗ねた風を装い、中居は微笑む。

 それから五分ほど談笑を続けた。キズナには土産話はたくさんあったし、中居にはつむぎとの日常というネタがあった。気負うことなく、次々と言葉が出てきた。中居はキズナにとっては姉のような立ち位置にいる。キズナのことを、妹のように大事に思っているというのが、その言葉からひしひしと伝わってくる。

「ところで、それは?」

 キズナは、中居が持ち込んだ古い木箱に視線を向ける。

「これですか。覚えてませんか? 救急箱ですよ」

「ああ、そういえば」

 かつての記憶を思い起こすと、確かにこのような救急箱があったような気もする。キズナは怪我をする機会がほぼなかった上に、多少の怪我ならばすぐに治癒させることができるので縁がなかった。そのせいか、年季の入った救急箱を見ても、懐かしいとかいう念に駆られることもなかった。

「怪我、したの?」

 キズナには中居がなぜ救急箱を持ち運んでいるのか理解できなかった。見たところ、彼女が怪我をしたということもないようである。

「いえいえ。わたしも多少は呪術を齧っていますから、救急箱でどうにかなる程度の怪我ならすぐに治せます」

 そう言いながら、中居は救急箱の蓋を開けて中から箱や瓶を取り出してキズナの前に並べていく。

「ええ、と。まあ、絆創膏とかはいいかな。とりあえず、治癒の霊薬をいくつか見繕っておきました。これから、命懸けの戦いになるでしょうし、持っていて損はありませんからね」

「え、本当?」

「ええ。どうぞ、お持ちください」

 カンピオーネの肉体は常人とは比べ物にならない頑丈さで、治癒力も高い。しかし、同格以上の敵と戦うのが常であるカンピオーネにとっては、霊薬の補助は非常にありがたいものとなる。カンピオーネの治癒力を高める霊薬はとりわけ効果が高い。

 キズナは茶色い瓶を取り上げて中を覗き込む。開封済みではあるが、白い錠剤が半分以上残っている。このほか、液体の薬やティーパックのような形で小分けにされた薬品などもあり、その効能や服用方法などは様々である。

「あ、そうそう。これが一番大事だった。はい、これ」

「ん?」

 キズナの手の平の上に、中居は白い箱を置く。

「なんこれ」

「経口避妊薬。大事でしょ」

「いや、そりゃ、大事だけど」

「本当は男性が配慮するのが一番なのだけど、月沢家は女所帯でしょ。すぐに物が用意できませんでした。あ、必要なら後で言ってくださいね。わたし、ひとっ走り薬局まで行ってまいりますので」

「いやいや、いいから。別にそんな配慮はいいから」

「配慮はって。ダメですよ。あなたはまだ十八なんですから。カンピオーネとはいえ、先のことをしっかり考えて。その場の勢いで行為に及ぶのは、決して誉められたことではありませんからね」

 訳知り顔で、中居が言ってくる。性に関する話は苦手なキズナは言葉少なに頷く。何か言えば墓穴を掘る。この話題は可能な限り避けたい。

「聞いてますか、キズナさん」

「聞いてる。でも、大丈夫だから。その辺りは」

「本当ですか? まあ、何かあったら言ってくださいね。ヤル前には飲んでおくんですよ」

「もう、ヤルとか言うなよ」

 渡された薬を巾着の中に纏めて放り込み、口を縛って横たえたスーツケースの上に置く。

「そうだ。正史編纂委員会から何か接触はあった?」

「委員会から?」

「そ」

「いいえ。特には」

 中居は不思議そうな顔をして首を振る。

 正史編纂委員会がキズナの動きを把握しているのかどうかは、正直なところ分からない。秘密裏に入国し、そのサポートを《アルメニア修道会》に総て任せたのは、グィネヴィアにキズナの存在を悟らせないためである。ここで、月沢家に正史編纂委員会が何かしらの接触を持ったとしたら、キズナは自分の計画を見直すことになったかもしれない。

「わたしのことは、秘密にしておいてね」

「分かりました。そのようにしておきます」

 くすり、と笑って中居は部屋を辞した。

 

 

 夕食を摂り、シャワーを浴びた後、キズナは龍巳を泊めている客間に足を運んだ。

 龍巳はすでにノートパソコンを立ち上げていて、情報収集を行っていた。

「何かあった?」

「動きはないな。まあ、ネットで分かる範囲ではだけどな」

 懇意にしている呪術師らが出没する掲示板などを見ているが、彼らの書き込みにはこれといった変化は見られない。アレクサンドルが大きな動きを見せれば、ネットもざわつくはず。正史編纂委員会の電子部門が情報統制している可能性もあるが、それにも限界はある。

「やっぱ、草薙君を監視するのが一番かな」

「式でも飛ばすか。万里谷さんに勘付かれるぞ、たぶん」

「そうなるわよね。かといって近付けば、グィネヴィアは警戒を強めるだろうし」

 キズナはドライヤーのコンセントを差して、シャワーで濡れた髪を乾かし始めた。

「ここで乾かすのか」

「だって、洗面所寒いし」

 季節は十一月。秋も深まり、紅葉はすでに終わりつつある。それに伴って、気温は低下の一途を辿っている。夜の洗面所は、足先から冷えの手が身体をよじ登ってくる。

 畳はフローリングよりも冷えにくく、素足で歩き回りやすい。もちろん、暖房が入っていればその場に座ろうが寝転がろうが関係ない。

 ぺたんと畳の上に座り込んだキズナは、シャンプーの匂いを漂わせながら髪を梳る。

「寒いなら、もっと暖かい服着ればいいだろう」

「後で羽織るよ」

 キズナの服は桃色の薄手のパジャマだ。風呂上りで身体が火照っているうちはいいだろうが、夜が深まれば、徐々に寒くなってくるだろう。くるくると丸めた布の塊を膝の上に乗せているのは、そうなったときに羽織るカーディガンなのだ。

 キズナはドライヤーのスイッチを切ってコンセントを抜くと、カーディガンを羽織って龍巳の隣に移動した。

「そういうのよく分かんないな」

「グレムリンの権能があるのにか?」

「楽できる分、本当の使い方が分かんない」

 キズナのグレムリンの権能は、世界各国あらゆるコンピュータに侵入し、クラッキングを仕掛けることができるという現代社会に即した最悪の権能である。物理的な破壊手段としては、他の権能に一歩劣るものの、文明を崩壊させることが可能という点で、隔絶した脅威度を誇っている。そういった便利すぎる力を持っている反面、従来の方法での作業は苦手なのである。

「あ~、明日からどうするかな」

 キズナはため息をつきながら、胡坐をかく龍巳の膝に頭を乗せて、寝転がった。

 龍巳は気にせずタイピングを続ける。

「グィネヴィアが表立って行動を起こした以上、世界の呪術師の目は日本に向けられるからな」

「アレクがぱっぱと動いてくれれば、いいのだけどね」

「どうやら黒王子は、草薙氏との関係は冷え込んでいるらしい。例の神具の件で正式に抗議しているようだからな」

「となれば、アレクが東京で事を起こそうってのを見過ごすってのは希望的観測かなぁ」

「おそらくは、少なからずトラブルが起こるだろうな」

 目的のために手段を選ばないアレクサンドルの策は、東京に何かしらの悪影響を与える可能性もある。そして、善良ぶっている草薙護堂が、正義感を出してそれを妨害するという展開は、至ってシンプルな構図であろう。もちろん、この二者が都心で激突すれば、どのような災害を誘発するか分かったものではない。

 おまけに――――。

「何、その目は?」

「いや、ここにも騒動の火種になりそうなのがいるなと思ってな」

「酷いな! せっかく距離を取って様子見に徹してるってのに!」

「自覚はあったんだな」

 状況を引っ掻き回して混沌を生み出す。

 あらゆるカンピオーネが等しく持つ、特性の一つである。もはや、それは運命とも言うべきものであり、彼らから騒動を切り離して考えることは事実上不可能であろう。

 もちろん、アレクサンドルと草薙護堂が激突しかけている東京都内に月沢キズナを放り込めば、一瞬にして大爆発ということになりかねない。

 そうなって得をするのは誰かと言えば、グィネヴィアである。

 キズナが奥多摩に引っ込んだのは、自分が介入することでグィネヴィアを利するのが嫌だったからなのである。

 アレクサンドルが国産みの神具を用いて事態を動かすまで、キズナたちはすることがない。

 争いの気配は明らかに漂っているので、多くの勢力が「様子見」に徹し、事態の推移を見守っているという状況なのは間違いない。しかし、キズナたちに関して言えば、どのような結果になるのかではなく、いつ介入するべきかという視点で物事を注視しているという点で大きく異なっている。

 数日もしないうちに、グィネヴィアは死ぬだろう。

 アレクサンドルが本気になって狩りをするというのなら、それは避けようのない事実となって彼女を襲うのはもはや確定事項である。

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