極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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五十五話

 アレクサンドル・ガスコインの引き起こした大騒動は、グィネヴィアを殺害することを目的としたものであったが、東京湾を中心に活動したことから、必然的に日本のカンピオーネである草薙護堂の注目を集めることとなった。結果として、アレクサンドル、草薙護堂、グィネヴィアという三つ巴の戦いとなり、世界中の呪術師の耳目を集めることとなった。

 その翌日。

 数多の目が東京湾に向けられる中、騒ぎになることを覚悟の上で葛の葉と《鋼》の弓神は行動を起こした。

「バカな娘。せっかく、忠告したのに」

 正史編纂委員会所管の神社。千葉県の印旛沼に程近い、結界に覆われたそこは、曰くつきの呪具を封印するために設けられた封印専用の神社であった。

 住宅街から程よく離れ、それでいて東京からも近いという立地、そしてある種の霊地であるということ。これらが評価され、正史編纂委員会の発足当時から一貫して使用されている。

 その神社は、今、原型も留めないほどに破壊されつくしていた。

 葛の葉は辛うじて残った縁側に腰掛けて、空を眺めていた。何重にも施された防御結界をハッキングしたことで、警報が鳴ることもなく、正史編纂委員会の面々はこの事態に気付いてもいない。

 対策は講じていたようだ。

 しかし、どうしようもないものもある。

「ま、うちらに狙われた時点で守りきるのはまず無理なんだけど」

 どれだけ防御を固めたところで、神祖と神に匹敵する怪物を相手に人間ができることなどほとんどない。

 歪んだ扉を強引に引き裂いて崩壊した宝物庫から出てきた鎧武者はいつになく興奮した面持ちで大笑いしていた。

「フハハハハハハハハッ、ついにやったぞ! 最後の一巻きだ!」

 四国から移送された呪物。――――真っ黒な憎悪に歪む大乗経。聖なる仏典は、驚異的な呪詛の塊となって朽ちることなく幾年の時を乗り越えた。

「長かったなぁ。ああ、長かった。南北朝より幾星霜……狐! 早々に陛下をお迎えに上がるぞ! 準備をしろ!」

「命令するな《鋼》」

 葛の葉はため息をつきながら立ち上がる。

 言われるまでもない。

 葛の葉の八つ当たりを実現するために、国家転覆の大魔縁を呼び出すのは、必要不可欠である。そんじょそこらの『まつろわぬ神』ではダメだ。純粋にこの世を恨んでいる悪神であり、かつこの国を転覆させる権能を有しているあの『まつろわぬ神』でなければ意味がない。

「さあ、いくぞ狐。今日中に陛下をお迎えする」

「無理でしょ」

「あ゛?」

「いや、凄んでも無理だから。あと二日は待ってもらわないと準備できないから」

「てめえ、何年かかったと思ってんだ? 最後の一巻きが手に入った時点でお助け申し上げるのが筋だろうが。陛下は七百年に亘って封じられておられるのだぞッ!?」

「あの封印術を破るには、それに相応しい星辰ってのがあるのよ。うちとしては冬至まで待ちたいところだけど」

「待てぬ」

「分かってる。だから、明後日。満月の夜、うちの力が一番高まる時間に儀式に取り掛かるって言ってるの。成功率は少しでも上げたいでしょ」

 《鋼》にとっては、主君の復活は積年の悲願。最後の最後で失敗などあってはならない。今すぐにでも囚われた主君を救い出したいところであるが、失敗しては元も子もない。かといって、確実に成功すると言える冬至――――太陽の力が最も弱まる日まで待つという手も使えない。カンピオーネが目を光らせているからである。相手が人間であれば、何の問題もなく蹴散らせるが、主のない従属神では勝ち目は薄い。つい最近、草薙護堂に重傷を負わされたのがいい証拠である。

 おまけに、こちらが儀式をする場所は特定されていると言ってもいい。

 単に『まつろわぬ神』を降臨させるのならばまだしも、葛の葉たちの目的は封印された『まつろわぬ神』の復活である。封印の地で儀式を行わなければならないのであれば、封印の地で待ち構えればいい。グィネヴィアがアレクサンドルとの激突を覚悟しながら奇岩島に特攻しなければならなかったのと状況は似通っている。

「時間はないの。余計なことで儀式を遅らせないでよ」

「貴様こそ、失敗したら全身の皮を剥いで肝を抉る。覚悟しておけ」

 視線を交わし、そして同時に逸らした。

 もはや、それ以上の会話は必要なかった。

 葛の葉と《鋼》の立場は天と地ほども隔たっており、志を同じくしたところで永劫心を通わせることはないだろう。

 《鋼》の軍神は、苛立ちを隠そうともせず、地面を踏み鳴らして去ったいく。

 その後姿を見送って、葛の葉は物思いに耽る。

 叶うことならば、キズナがこの一件に関わらないで欲しい。

 キズナは『まつろわぬ神』やその系譜を引く葛の葉とは敵対する立場にあることは理解している。しかしそれでも、愛した男との間に生んだ唯一の娘であり、今となってはかつてを偲ぶ縁でもある。キズナ――――晴明を手放したときの心痛。数度の転生の果てにめぐり合えた奇跡にすら、運命を感じざるを得ない。月沢キズナが、安倍晴明の転生体であると知ったとき、記憶を取り戻して絶望に沈んでいた日々に光が差したような気がしたのだ。

 しかし、そのときにはすでに計画は進行していた。

 引き返すことはもはや不可能であった。この世界への復讐と八つ当たりと、娘の安全とで揺れ動く。ジレンマは今に至るまで続いている。

“切ない”

 ただ、そう思った。

 道しるべが欲しかった。

 目を瞑る。世界各国を巡って、真に楽しいと思えた日々は千年前の数年のみだったのかもしれない。

「うちは壊すよ。この世界を」

 空を見上げて、葛の葉は呟いた。

 後戻りのできないところまで来てしまった。キズナと敵対する。それを心苦しく思いながら、葛の葉は流れに身を任せることとした。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 東京湾の戦いは、アレクサンドルと草薙護堂の半共同戦線によって決着した。

 キズナはその戦いの一部始終を眺めているだけだったが、グィネヴィアが逃走を図ればすぐに射殺せるように準備をしていた。

 結果的にその必要がなかったのは僥倖であった。

 護堂との戦いの結果、呪力を消耗していたことに加えてそこそこの傷を負っていた。すぐに治療できる程度であったが、連戦は好ましくない。ランスロットの呪縛の影響で、傷を即座に治癒できた護堂とは違う。護堂は、即座に戦線復帰を果たしたが、目の前にキズナがいなかったことで戦意を萎えさせ、仲間たちの尽力によって呪縛から逃れたのであった。

「グィネヴィアが死んで、ひとつの山を越えたかな」

 月沢家に戻り、一休み。

 アルメニアに戻るのは、しばし待ってからでも遅くはない。これから、これといった用事があるわけでもない。気になるのは、葛の葉の動向だが、正史編纂委員会の情報は基本的に草薙護堂に先ず入る。キズナと護堂の二束の草鞋は、両者に不快感を与えることに繋がるので、地元にいるカンピオーネを優先しようというのが政治的な考え方であった。

 もちろん、かつての縁を利用すれば、情報を吸い上げることも不可能ではないが、かといって積極的に関わろうとは思わなかった。

 グィネヴィアという仇敵を倒して気が抜けたということもある。

「まだまだ、最後の王がどうなるか不透明だけどな」

「うん。アイツが復活する前に、なんとか攻略法が見つかれば御の字だけどねぇ」

 文字通り最強の敵。

 白銀の雷光を従える怪物。

 カンピオーネに対して絶対的な殺戮権利を有するのが、その特徴である。倒しても倒しきれず、キズナもまた千年前は全力を尽くして敗北を喫した。

 次に戦って勝てる見込みがあるとはいえなかった。

 とはいえ、それはどの敵に対しても同じことである。基本的に『まつろわぬ神』はカンピオーネよりも格上の存在ばかりだ。勝てそうにないというだけで尻込みするようでは、どこかで確実に殺される。

「一つの問題を片付けただけ。いろいろと、問題は山積みだねぇー」

「そうとは思えないくらいだらけているじゃないか」

 キズナは龍巳が泊まっている客間の畳に仰向けに寝転がっていた。すっかり、気が抜けている。

「お前の母上のことは、どうするんだよ」

「何かあっても草薙君が動くって。大乗経があんのは、印旛沼の宝物庫だし」

 日本中の宝物庫の中でも最強クラスの防御設備を敷いている。相手の地力を考えればそれでも苦しいことに変わりないが、外部に連絡を取るくらいは可能であろう。

 一報が入れば、護堂にも連絡がいく。そうなれば、舞台を京都に移して決戦を挑むだけとなる。

「やることないな、博雅」

「突然どうした、晴明」

 ごろんと、うつ伏せになったキズナが唐突にかつての口調で話しかけてきた。胡坐をかいて座る龍巳は胡乱げな視線をキズナに向けた。

「デートしよう」

「本当に突然だな」

「山がある。ハイキング日和だな、これは」

「お前、山登りなんて狂ったか!?」

「失敬な!」

 キズナは、両手で上半身を押し上げて背中を逸らすように顔を上げた。

 しかし、龍巳がこのように思うのも仕方がない。

 キズナは生粋の運動嫌い。千年前は歩くことすらも億劫というほどで、現代はそうでもないが魂の底に染み付いた好き嫌いは如何ともしがたい。

 未だに呪術に頼らなければ平均的な女子高生以下の体力しかないキズナが、積極的に足腰を使うハイキングをしようと言い出すのは、初めてのことだった。

「御岳山に、久しぶりに行こうと思って」

「む、なるほど」

 気の迷いかとも思ったが、御岳山に行くというのは、多少納得のいく話である。何せ、そこの山頂にはキズナが最初に修行した武蔵御岳神社がある。今生のルーツとなる霊地ということで、多少なりとも思い入れがあるのだろう。

「時間もあるし、行こうと思えばいつでもいけるが、今からとなるとずいぶんと遅くなるぞ」

「夜遅くなれば外食でもすればいい。いざとなれば飛べるしね」

「移動の問題はないか」

 キズナは空を飛べる。その気になれば契約を結んでいる龍巳を召喚などという荒業も不可能ではない。交通の発達した現代にそこまでする必要性はほとんどないので、今までに数回しか使っていないが、移動そのものに不都合はない。

 山登りといっても、御岳山登山鉄道を使えば足を動かす必要もなく比較的快適に山頂まで行ける。

 その駅まで行くのに今、龍巳たちのいる場所からだと遠回りをしなければならないので面倒だが、その手間を除けば武蔵御岳神社に向かうのにさしたる苦労はない。

「まあ、じゃあ行くか」

「よし、行こう」

 珍しく、キズナは意気揚々と立ち上がる。 

 好奇心を刺激される場面以外でキズナがこのように動くのは滅多にない。龍巳は可笑しなものを見たとでも言うように笑ってキズナに続くのであった。

 

 

 

 武蔵御岳神社は、伝説によれば紀元前九十一年の建立であると言われている。御岳山の山頂に鎮座し、中世以来山岳信仰との結びつきを強くし、霊場として珍重されてきた歴史がある。

 当然ながら武蔵野を守る媛巫女が派遣されるべき格を有しており、江戸幕府からも非常に尊崇されていたのである。

 現代に至っても、霊場としての格はそのまま受け継がれ、東に属する媛巫女の中から力のある者、将来有望な者などが派遣される寺社の一つとなっている。

 近場の奥多摩に住し、桁外れの才覚を持つキズナが派遣されるのは、至極当然のことだろう。

 キズナにとっては、現世における最初の職場となる。

「最初は、山の上とかアホかと思ったけど」

 キズナは境内に向かって歩きながら、懐かしそうに回りを見回している。

「ケーブルカーもあるし、登るのに苦労しないから楽でよかった」

「手を尽くして楽しようとするよな、お前」

「楽できるなら楽したいでしょ。艱難辛苦を与えたまえ、なんてわたしは言いません。月に願うなら幸せ以外にないっての」

 御岳山の山頂には、ケーブルカーで行ける。

 苦労して歩く必要はなく、山登りを苦痛に感じる運動嫌いでもハイキング気分で参拝することができる。

 晩秋に差し掛かり、紅葉はほぼ終わっている。葉が散り、寂しくなった木々の鎮守の森を眺める。

「この神社、社自体はこの本殿だけじゃないだろう」

「まね」

「ヤマトタケルとか祀ってるところもあるんだっけ」

「あんなとこ行ってられん!」

「なんで」

「遠い」

「ああ」

 龍巳はすぐに納得した。

 そもそもキズナがここまで来たのもケーブルカーのような足があったからである。しかし、ヤマトタケルを祀っている社までは徒歩四十分ほどもかかる。平坦な道ならばまだしも、そういった山の中に点在する社に向かうには山道を歩いていかねばならない。

「それに必要もない」

「ないか。そうだな」

 ヤマトタケルに用はない。

 用事があれば飛んでいくこともできるが、今回はそこを目的にしたわけではない。

「じゃ、行こ」

 キズナは本殿に参拝した後で、龍巳の手を取って目的の場所に向かった。

 行き着いた先は、北野社。本社玉垣の中にある社の一つである。

「道真公か」

 龍巳は呟く。

 千年前、キズナがまつろわぬ帝釈天を討った戦いは今でもありありと思い出すことができる。

 あの戦いの直前、帝釈天が雷を内裏に落とした際、国家安定のために菅原道真の怨霊が落雷の原因であると話を摩り替えて公表した。キズナが直接関わったわけではないが、当時の陰陽師たちの意思がそこにあり、生前に無実の罪を押し付けられて死んでいった道真は死後も怨霊の名を押し付けられることとなってしまった。

 政治的に不可欠だったといっても、心苦しいものはある。

 霊的存在にそれなりに敬意を抱くのが陰陽師だ。

「久しぶりに、ね」

 キズナがこの神社に奉職していたのは一年余りと短い期間であった。

 その間、道真を祀っているこの社への参拝を意識して続けていた。どこか、後ろ暗いものを道真に感じていたからである。

 グィネヴィアを倒し、当面の目標が失われた今、ふと以前のことを思い出すことがあった。

 これからどうしていくかを決める前に、今一度道真を祀る社に詣でようと思い立ったのである。

 龍巳もまた、手を合わせて祈った。

 

 

 

 目的を達した二人は、談笑しながら神社を後にする。もう日が暮れそうで、早いところ下山したかった。

 犬を連れた参拝者を躱して二人は歩く。

「正直、道真公がこうして祀られているというのは驚いたもんだ」

「ああ、確かに」

 キズナは笑う。

「怨霊って側面が強かったはずなのにね」

「学問の神様とはなぁ」

「それは、よかったのかな」

 現在では菅原道真と言えば怨霊が有名だが、その別名でもある天神となれば学問の神様として名高い。北野天満宮など、全国各地に天神を祀る神社があり、受験生の聖地として親しまれている。

 それは、千年前にはありえなかった信仰だ。

「怨霊は自然災害と結び付くけど、その記憶が遠のくにつれて、平安京きっての天才って部分が強調されるようになったんだろうけどねぇ」

 キズナは思うところがあるのか髪を弄り、空を見上げた。

 生前の功績を称えられて神に昇格する人間は少なからずいる。その思想は世界各国共通で、古代ギリシャにはヘラクレスのように神の座に召し上げられた英雄がおり、インドにはカルナという英雄が死後に父であるスーリヤと一体化したとも伝わる。

 日本に於いても、名のある英雄豪傑は祀られて神として扱われる。

 絶対的な神が存在せず、素朴な祖先崇拝を現代に残す日本では、人の霊が神となるのも不自然なことではなく、諸外国よりも垣根が低いということもある。

 安倍晴明のように、神社で祀られる英雄は僅かではあるが各集落、家庭というマクロな視点では家族から神が出るということにもなる。

 日本では神の存在が非常に身近なものだったのだといえる。

 菅原道真はそういった神へ昇格した人間の一人とも言えるが、怨霊として恐れられたという点が通常と異なっている。

 怨霊を祀り上げて鎮め、そしてその力を利用する御霊信仰を、キズナたち千年前の陰陽師は利用して菅原道真を怨霊にでっち上げた。

 時代が下って、怨霊であることが薄れ、そして菅原道真の人となりや悲運の人生が人口に膾炙するに及んで、学問の神様へと昇格した。

 今の日本では怨霊としての菅原道真よりも学問の神様としての菅原道真のほうが知られているのではないだろうか。

「そのうち、北野天満宮にでも行ってみる?」

「おお、いいな。やっぱり京の都は落ち着くしな」

「決まり。それじゃ、落ち着いたら次は京都ね」

 キズナはくすりと笑う。

 京都に二人で行くのはいつ以来になるだろうか。

 キズナと龍巳の本当の意味での生まれ故郷に、はるかな時を超えて凱旋する。そう思えば、心が浮き立つような気がするのであった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 天と地の狭間。

 不死の世界でそれはまどろみの中にいた。

 身体の感覚はなく、水面を漂う木の葉のように流れに身を委ね、夢の中にたゆたう。

 栄光はなく、恥辱に塗れ、憎悪と怨嗟の中でただそうあれと突き放されたが故に、それはただただ憎しみの塊として世界に再臨した。

 封印されて幾年の月日が流れた。 

 それのために用意された狭間は闇に覆われ、そのあまりにも濁りきった怨嗟の声に満ち満ちている。

 狭間に罅が入る。

 思い出す。己の誓いを。呼ばれている。聞き覚えのある声だ。

 長すぎた眠りはようやく終わり、地上に歓喜と絶望が蘇る。

 

 ――――斯くあれと、そう望んだのはそちらであろう。

 ――――なれば、その望みを叶えて進ぜる。

 

 炎のように燃え上がる黒い気炎が立ち上り、不吉な調べを奏で始める。

 望まれるがままに、己が望みを成し遂げよう。

 黒い神は、夢より醒めて、狭間の罅に手を伸ばした。

 

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