極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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五十六話

 ランスロットを倒した翌日、戦いの傷が癒えた護堂の下に急報が飛び込んできた。

 馨からの電話だった。

 ちょうど、エリカの家に立ち寄ったところで、リリアナと祐理も傍にいて、どうしたのかと聞き耳を立てている。

 護堂の緊迫した顔色から、よからぬ事態になったのであるとすぐに察することができた。

 護堂が電話を終えてから、エリカが尋ねた。

「馨さんからね。一体、何があったのかしら?」

 蜂蜜を溶かし込んだかのような黄金の髪を艶やかに流すエリカは、持ち前の優美さを崩すことなく護堂と向かい合った。

 彼女の脳裏には、すでに大体の予想ができていた。こういう日が近く来るだろうということは、何となく分かっていたのである。

「あのお経が盗まれたらしい」

「そう。ついに動いたわけね」

「ついにってな、エリカ」

 護堂は呆れたようにエリカに言う。しかし、エリカはそんな護堂の言葉に耳を傾けず、一人で納得している。

「こうなることは半ば予想できたことじゃない。あのグィネヴィア様と同格の神祖に『まつろわぬ神』に匹敵する何かが狙っているのよ? 護堂が手元に置かなかった時点で、盗まれるのは分かりきっているじゃない」

「そうかもしれないけど、あんなもの手元になんて置いておけるか!」

 まるで護堂が経典を手元に保管して自分自身で守護しなかったのが悪いとでも言うような言い草に護堂は反論する。

「そうだぞエリカ。あのような怨念の塊、住宅街に持ち込んでみろ。どんな被害が出るか分かったものじゃない。それに、草薙護堂の手元が一番安全とも限らないぞ」

 銀髪の騎士はエリカを睨みながらそう言った。

「分かってるわ、リリィ。わたしは別に護堂に保管して欲しいとは言ってないわ。ただ、カンピオーネの手元にない物品を神祖以上の格の存在が盗み出すということは決してありえないことじゃないということよ」

 エリカもリリアナも、今回盗み出された大乗経と同じ経典を一度だけ目にしたことがある。

 あのときは、神祖が解き放った経典の呪詛だけで境内が崩壊して、エリカたちを吹き飛ばすほどの代物だった。そんなものを住宅街に持ち込むのは、一般人を巻き込む行為と言える。騎士として受け入れられる発想ではなかった。

「ようするに、奪われるのはしかたないってこと。さあ、護堂。こうなった以上敵には次があるはずよ」

「次、か。そう言われてもな」

 護堂は困ったように頭を掻いた。

 護堂は今回大乗経の件のあらましを以前聞いていた。

 日本史の授業でも名前が出た有名な人物が、かつて『まつろわぬ神』として降臨し世の中を混乱させたと。そして、その当時の陰陽師の尽力によってその災厄の魔王は封印され、世に平和がもたらされたと。

 奪われた大乗経は、その人物に関わる遺物なのだとか。

「護堂さん。あの方々の目的は恐らく、封印された大魔縁の復活です」

 祐理が、護堂に答えて言う。

「何か、おぞましい気配を感じます。――――ここではない、別の場所で、今まさに現れてはいけないモノが現れてしまう。そんな不安な気持ちになります」

 祐理は目を瞑って、声を潜める。

 媛巫女の冷厳な言葉は、当てずっぽうではない。極めて鋭い第六感を持つのが、優秀な媛巫女である。祐理はその中でも突出した才覚の持ち主である。彼女は理性で考えるよりも、本能で感じることで物事の本質を見通すことができる。その祐理が、「まずい」と感じたのなら、事態は護堂が思っているよりもずっと危険な方法に進んでいるということである。

「まずは馨さんたちと連絡だな」

「そうね。状況を一番把握しているのはあの人でしょうし」

 しかし、その馨ですら現状を正しく認識できているか。馨の政治力は高いが、大乗経を封じていた宝物庫を中心として半径五百メートル以内の呪術師たちはすべて昏倒させられており、敵が犯行に手を染めた一部始終は一切不明であるという。

 つまり、誰に奪われたのかという点すらも推測でしかなく、その目的地もまた推測するしかない。

 幸い、封印の地は室町時代以来伝承と共に守り続けられてきた土地である。おそらくはその近辺で敵は儀式を行うのであろう。

 敵の目的が分かっていれば目的地も絞り込める。

 完全な正体不明よりはずっといい。

 

 護堂はおそらくは今一番事情を知っていると思われる馨と落ち合い、直接話を聞くことで今後の方向性を定めようと思い、アポを取ることにした。

 護堂がスマートフォンを取り出したまさにそのとき――――。

「万里谷!」

「きゃッ!?」

 護堂は手に持っていたスマートフォンを取り落とし、そして祐理のてを引っ張った。

 何事かと祐理は目を白黒させるが、それと同時にエリカとリリアナが動いていた。

 鉄と鉄がぶつかる音が響き、火花が弾ける。

「ッ……!」

 エリカは不快そうに顔を歪ませて、クオレ・ディ・レオーネに呪力を込める。

 自分の家のリビングに唐突に敵が現れるのは、優雅さを絶対とするエリカにとって恥である。まんまと敵の侵入を許していたということなのだから。

 祐理の背後に立ち上がったのは、黒い影のような人型であった。

 のっぺりとした凹凸のない人の形をした影と言うべきだろうか。

「なんだコイツ!?」

「使い魔の類ね。メイド・イン・ジャパンの呪術なのかしら?」

 影の伸ばしてきた手を剣で払い、エリカは余裕の表情で切り返す。リリアナがそれに続き、黒い影は後退した。

「エリカ。この家の結界、穴だらけなんじゃないのか?」

「失礼ねリリィ。このわたしがそんな初歩的なミスをするわけないでしょう」

 エリカはリリアナに言い返す。

 黒い影は一体だけだ。そして速さも力強さも二人を倒すには足りていない。『まつろわぬ神』の配下とは思えない脆弱さなので、おそらくは呪術師の類が送り込んできたのであろう。

 狙いは何か――――。

「考えるだけ無駄ね」

 相手に発声器官が備わっているとは思えないし、簡素な作りのゴーレムのようなこれと意思疎通ができるとも思えない。

「レディの家に土足で踏み込んで、無事でいられるとは思わないことね」

 エリカは閃電の如き速さで刺突を繰り出し、黒い影を胸を抉る。影の動きは遅くて単純。最初の数合で、エリカは倒せると確信した。

 リリアナは一歩引いて護堂と祐理の護衛に就く。

 狭い室内で二人掛りは機動力を下げ、相手を利する。実力で圧倒しているエリカに後を任せて、自分は守るべき者を守ろうと判断したのである。

 

 

 

 エリカが切り倒した影は、空気に溶けるように消滅した。

 危なげなく襲撃を切り抜けたエリカは汗一つかくことなくクオレ・ディ・レオーネを一振りする。

「なんだったんだ?」

 護堂が呟く。

「宣戦布告ってとこかしら」

「宣戦布告だって?」

 エリカの解釈に護堂は首をかしげる。

 護堂に対して、一体誰が宣戦布告を行ったというのか。悩んだのは一瞬であった。つい先ほど大乗経が盗まれたという話をしたばかりであった。このタイミングで襲撃があったというのは、おそらく草薙護堂に対しての宣戦布告。

「この程度の使い魔であなたをどうこうできるはずがないもの。だったら、使い魔の敗北を考慮した上で寄越すわけだから、これから護堂と戦うって宣言しているようなものでしょう」

「んな、迷惑な」

 護堂は頭を掻いて吐き捨てるようにいった。

「草薙護堂を敵として認識しているのは確かでしょう。相手には神祖が就いています。戦略面では『まつろわぬ神』以上に厄介な相手ですから、どうぞお気をつけください」

 リリアナもエリカと同じ意見のようだ。

「ああ」

 『まつろわぬ神』は、ある程度行動が予想できる。神話的背景に従った性格で降臨するのが、『まつろわぬ神』の法則だからである。

 しかし、神祖は権能に届く力がなく、『まつろわぬ神』のような割り切った思考をしない。グィネヴィアが長年策謀を繰り返していたことからもそれが窺える。

「ランスロット卿との戦いが終わったばかりですのに」

「しかたないわ祐理。護堂はカンピオーネなんだもの」

「ああ、もはや語るべくもないな」

 祐理の心配する言葉に、エリカとリリアナは割り切ったように言った。

 護堂はため息をつく。

 どうして、休む間もなく敵に狙われなければならないのか。

 カンピオーネになってから、一ヶ月以上平穏が続いたためしがない。毎月命懸けの戦いを繰り返しているように思える。しかも、こちらから手を出していないのに、トラブルが向こうからやってくる。今回の件もそうだ。草薙護堂は争いを望んでいるわけではないのに、勝手に相手から敵認定されるのだ。

「まあ、相手はあなたの性格も理解していると思うわよ」

 エリカの言葉に護堂はなぜかと尋ねる。

「だって、今回復活するのは伝説の大魔縁なのだから、復活したら世の中にどんな騒動を引き起こすか分からないじゃない。護堂は、そんな怪物を放置できる?」

「できないな」

 護堂は即答する。

 よそで起こった事態ならばまだしも、日本で騒動が起きるとなると護堂は放置できない。危険が家族や友人に及ぶかもしれないのに、見て見ぬふりをするのは護堂の性格的にありえない。

「でしょ。だから、相手は護堂と戦う覚悟を決めているの。もしかしたら、月沢様とも戦おうとしているかもしれないわね」

「あの人か」

 月沢キズナは護堂と同じカンピオーネだ。ランスロットと戦う前に、暴走した護堂の足を止めるために奮戦した。

 しかし、彼女はアレクサンドルと関わりを持ち、東京湾での騒動を見て見ぬふりをした。そのあたり腹黒いというか護堂は認め難いものを感じていた。

「どの道、草薙護堂は戦いから逃れられないということだな」

 リリアナが漏らした言葉に、顔を顰めながらも反論できない護堂であった。

 

 

 

 □

 

 

 

 護堂が謎の影に襲撃されていたとき、キズナは月沢邸で昼食を取っていた。

 中居特製の温かい天ぷらそばである。

「中居さん、これおいしー」

「ありがとうございます、キズナさん」

 中居はキッチンで洗物をしている。調理に使った俎板や包丁、鍋などを洗っているのである。

 その背中を眺めながら、キズナは尋ねた。

「おばあちゃんは?」

「太極拳のお稽古に朝から向かわれました。昼食も外で摂られるとのことなので、帰ってくるのは二時ごろになると思います」

「太極拳? そんなのやってたっけ」

「半年ほど前から地域のご夫人に誘われて始められました」

「へえ」

 キズナは海老天を齧りながら、祖母が地域のご夫人に混じって太極拳に興じる様を思い浮かべる。

「ぐふッ」

 咽た。

 まったく想像できない姿を想像してしまった。偏屈ババアがと、キズナは頬を歪めて笑うのを堪える。

「それはそうと、龍巳君はまだ帰ってないんでしょうか?」

「うん。もうちょっとじゃないかな」

 龍巳は一時間ほど前に本屋に向かった。これからもキズナと旅を続けるのなら、移動時間内にできるのは読書や携帯ゲームのような持ち運びできる楽しみは重要だ。

 もう十分ほどしても龍巳が帰ってこなければ、こっちから連絡を入れて呼び戻そうとキズナは決めた。

 キズナのスマートフォンに着信があったのは、龍巳が帰宅し、昼食を終えた直後のことであった。 

 

 

「奪われた、か」

 龍巳は呟き、キズナは頷く。

 キッチンに流れるのは沈鬱な空気。恐れていた事態が起こったということが、秒針が動くごとに脳に染み入ってくる。

「血書五部大乗経。たぶん、全部揃ってる」

 連絡してきたのは馨だった。まだ日本にいるのか、ということといるのなら解決に協力してもらえないかという要望であった。

「協力するのか?」

「うーん、怨霊神ってのがね。放置するのもってなるじゃん」

 陰陽師としてのキズナの誇りを刺激する。

 彼女は魔王で神を殺した大罪人であるが同時に大陰陽師でもあり、その思想の根底には亡き師の教えが刻まれている。

 怨霊と戦い京を守護するのが努め。目の前に日本史上最強クラスの怨霊が現れようというときに、それに目を瞑るというのは、安倍晴明――――大陰陽師として活動し、数多の伝説を打ちたてた者として無視するのは具合が悪い。

「草薙君は動くのか?」

「それが、彼、襲撃を受けたみたい」

「襲撃?」

「うん。影の使い魔に襲われたって。宣戦布告と捉えているみたいよ」

「そうか。本格的になってきたな……」

 キズナと龍巳は怨霊としての彼を知らない。何せ、自分よりも後の時代の人間だったのだ。キズナが生きたのは末法以前の世界。あの大怨霊は末法以後の世界の人間であった。それだけでも、時代の転換期で大きく異なる世界にいたと思える。

「キズナさん。あのお方が蘇られるというのは、本当なのでしょうか?」

 中居はいつになく不安そうだ。

 それもそのはずだ。彼女もまた呪術の世界で生きていた経験の持ち主。大魔縁の伝説を正しく認識している。その恐ろしさは、他の『まつろわぬ神』とは比較にならない。それは、怨霊神という肩書きが、恐怖の対象として根付いているからである。

「大丈夫よ、中居さん」

「キズナさん」

「いざとなればわたしが戦うし草薙君もいる。カンピオーネが二人いる国に降臨する時点で、死亡フラグ立ちまくりだって」

 キズナは笑って鷹揚に構えた。

「大怨霊だか大天狗だかいろいろと側面持ってるみたいだけど、所詮は『まつろわぬ神』。勝てる相手に違いはないわ」

 キズナが思い出すのはプラチナの雷を振るう剣の神。あの英雄神に比べれば、この世を恨んで彷徨う怨霊など何ということもない。

「怨霊と戦うのは慣れてる。戦うことになっても、中居さんは心配することはないよ」

「キズナさん……」

 中居の顔色は優れない。そんな中居に龍巳は声をかけた。

「中居さん。別に『まつろわぬ神』と戦うことが確定したわけじゃないんですよ」

「え?」

「まだ、蘇ったわけじゃないからです。これから、そう時間はないでしょうが、主犯を探し出して儀式を止めれば、怨霊神が蘇ることはありません」

「それでは……」

「まずは儀式を止めるのが先決ね」

 キズナは椅子を引いて立ち上がった。

「相手が相手だから探すのは苦労するかもしれないけど、封印されている場所は特定されているんだから、何とかなるんじゃないかな」

 

 

 そして魔王たちは動き出す。

 決戦の地は京都。

 戦いの中心地へ向け、二人の魔王はついに移動を開始した。

 

 

 

 □

 

 

 

 

 

 時が移ろえば景色も変わる。

 千年前、何もなかったこの場所も、今や都市に呑み込まれ、自然は駆逐されてかつてを偲ばせるものはほとんど失われてしまった。

 時の流れを如実に感じさせられる。

 神祖は人とは異なる時間の中を生きている。そして、世の中を動かすのは人間だ。葛の葉たち神祖は、その流れの中に身を委ねるしかない。

 とはいえ、この百五十年の変化は目を見張るものがある。

 記憶を取り戻してずいぶんと経ったが、科学技術の発達は人間の生活環境を信じ難い速度で変化させていた。

 しかしながら、そのような激流にあって変わらないものもある。

 葛の葉の目の前には風情ある神社がある。 

 信太森葛葉稲荷神社。

 自分の名が冠された神社は、葛の葉にとってかけがえのない思い出の場所である。千三百年の歴史を誇る神社は、中世に入って葛の葉を若宮葛ノ葉姫として祀り始めた。多少細部を異にしているが、葛の葉と安倍保名との出会いと別れのエピソードの舞台となった場所である。

 計画を持ちかけられ、それに乗ったその時から葛の葉一度たりともこの神社に顔を出さなかった。

 悪事をなそうとしている。

 国に害を与えようとしている。

 どう取り繕ったところで、保名が喜ぶはずはない。

 どこにでもいるような、少しばかり陰陽道に秀でた、葛の葉からすれば特筆すべきところのない男だった。

 それでも、出会ったばかりの女を助けるために、『まつろわぬ神』が遣わした人間の狩人と相対する阿呆でもあった。共に手を取り合い、協力して播磨の翁が放った追っ手を打ち破った時の爽快感は、言葉にできないものがあった。

 保名と夫婦になり、晴明を産み、育てる。順風満帆な生活が送れると、子どものように信じていた。

 現実は甘くなかった。

 保名は播磨の翁の放った刺客の手に掛かって暗殺され、葛の葉は人ではないことを知られて討伐された。幼い晴明だけは、保名の縁を頼りに逃がすことができたが葛の葉はついに討たれることとなってしまった。

 思い出すだけで身体中に激痛が走るような気がする。

 こんなことなら、戯れに幽界に足を踏み入れるのではなかった。すべてを忘れたまま、能天気な神祖でいればよかった。

「保名……うちは、まだ生きてるよ……」

 呪術に秀でた神祖であろうとも死者蘇生はできない。

 葛の葉は鳥居の柱を撫でた。

 ぴりりとした感触が肌を駆ける。結界に触れるものがいる。

「日本に来るなって言ったでしょ」

 葛の葉は、憂鬱な表情で、背後を振り返った。

 そして自分とそっくりな顔立ちの――――自分の愛娘と視線を交わすのだった。

 

 

 

 

 

 

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