極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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五十八話

 キズナが葛の葉に会いに行った後、龍巳は護堂と連絡を取った。

 日没まであと僅かというところであったが、護堂が京都市内に到着したということなので出迎えに向かった。

 相手はカンピオーネであるが、歓待の用意はしていない。本来、出迎えるべきは正史編纂委員会であり、龍巳はキズナの部下という立場である。当然、カンピオーネに礼儀を示すわけだが、決して彼の家臣というわけではない。

 今回は、あまりに性急な行軍で、草薙勢との意思疎通をしっかりしていない。

 どこまでが護堂の担当でどこまでがキズナの担当なのか。その辺りは話を詰めておかなければ、後々利害の衝突があるかもしれない。

 そういった問題を事前に排除するのも、部下の務めである。

 斯くして、龍巳は最新のカンピオーネと出会った。

「始めまして、草薙護堂様。私は、水原龍巳と申します。月沢キズナの使いです」

 龍巳は努めて冷静に、カンピオーネと向き合う。

 キズナ以外のカンピオーネと出会うのは、これが初めてではない。さらに護堂の人となりは以前から調べていたので、恐怖はない。こうして近くで見ても、膨大な呪力以外に特筆する要素はないように思える。もっとも、見た目はカンピオーネかどうかに関わりない。彼らの最大の特徴は常識はずれなまでの行動力である。普通の人間の感性とは一線を画す発想とそれを実際に行動に移す力は、すべてのカンピオーネ共通するものである。二人のカンピオーネがどのように一つの問題に対処するのか。しかも、直前に激突した二人である。折り合いをつける必要があった。

 龍巳に挨拶されて、護堂も応じ、その仲間――――エリカ・ブランデッリ、リリアナ・クラニチャール、万里谷祐理もそれぞれの挨拶を投げかけた。

「太刀の巫女はいらっしゃらないのですね」

「太刀……もしかして清秋院のことですか?」

「はい。お仲間と聞いています。私も日本の呪術界で育った人間ですから、彼女の名は以前から伺っております」

「ああ、そうですか。清秋院は、グィネヴィアと戦ったときの疲労があったものですから、今は休んでます」

「なるほど」

 龍巳は頷く。

 神剣天叢雲剣を振るう『太刀の巫女』。平安時代にキズナが呪術制度を整えた後の時代から始まった伝統で、今や知る者もいないが、その始まりはキズナである。現在の『太刀の巫女』である清秋院恵那はスサノオの肝いりで、その神力を借り受けることもできる希代の媛巫女である。そういったこともあって、キズナや龍巳はこの少女が気になっていたのである。

「ああ、立ち話もなんですからどうぞお座りください」

 龍巳が護堂たちを席に誘導する。そこに護堂が声をかけた。

「あの、水原さん」

「はい」

「俺よりも年上ですし、タメ口でお願いできないでしょうか」

「うん? タメ口。……しかし」

 龍巳は言いよどむ。

 会ったばかりのカンピオーネにタメ口というのは、さすがに憚られる。気心が知れているのならまだしも、彼とは初めて会ったばかりである。その状況で、タメ口は立場として問題があるように思う。そうしていると、エリカが進み出て言った。

「水原さん。カンピオーネへの尊崇は須らく呪術師が持つべき感情ではありますが、護堂はそういった形式に拘らない人柄です。これからのこともありますし、ここは護堂の意思を尊重してくださらないでしょうか?」

 エリカは交渉事を行う際の、丁寧な口調で龍巳に願い出た。

 護堂もそれに追随して頷くので、龍巳は折れて口調を普段のそれに戻した。

「なるほど、それならそのようにする。これで、いいかな」

「はい、それで」

「それであれば、草薙君もタメ口でなければつりあいが取れないな。政治的にも、必要なことと思ってタメ口で話してくれ」

「ん、分かった。水原さん」

 護堂は頷いた。さん付けで呼ぶのは、体育会系の名残で龍巳が先輩だからであろうか。そこだけは、どうしても抜けないらしい。

 それから、草薙一行が席に着き、正史編纂委員会を代表して冬馬が全体を総括を担当する。

「あの、龍巳さん。月沢さんは?」

 祐理に尋ねられた龍巳は、キズナが神祖を訪ねに行ったことを語った。

「ほう、なるほど。では、月沢さんは神祖の居所を探り当てたということですか」

「神祖さえどうにかしてしまえば、儀式は止められる。月沢様が神祖に会いに向かわれたのは、わたしたちも希望が持てるわね」

 エリカはキズナの行動をそのように分析した。

 神祖ではカンピオーネには勝てない。キズナが神祖を止めるために動いたのであれば、そうそうまずいことにはならないのではないか。

「ところで、例の封印の地というのはどこにあるんだ?」

 護堂が龍巳に尋ねた。

「まだ、聞いてなかったのかな。怨霊神が封印されているのは、ここの目と鼻の先にある白峰神宮の地下深くだ。イメージとしては斉天大聖を封じていた幽界が当てはまるだろうな」

「白峰神宮だって?」

「行ったことがあるのか?」

「ああ。まあ、一度だけ、旅行で。まさか、そんなのがいるなんてな」

 護堂は遠い目をする。

 思いのほか身近に神様が眠っていたとでも思っているのだろうか。もしかしたら、住宅地のど真ん中に封印されていたのが意外だったのかもしれない。

「しかし、ここは御所のすぐ隣だぞ。わたしの記憶では、怨霊神とやら封印されたのは南北朝時代の終わりだそうだから、天皇もここで暮らしていたのだろう?」

 リリアナが素朴な疑問を投げかける。

 なぜ、天皇が傍にいるのにそんな危険な神をこの地に封印したのかという点であった。

 答えたのは冬馬であった。

「そうですね。その辺りは謎が謎を呼ぶというところですが……おそらくは余裕がなかったのでしょう。カンピオーネがいたという記録もありませんし、『まつろわぬ神』を封印するには場所を選ぶ余裕がなかったのかもしれません」

 『まつろわぬ神』の脅威を考えれば、封印の地を人間側が選ぶ余裕はなかったのではないか、というのが冬馬の見解であった。一方で、龍巳は別の考えを示した。

「あるいは、あそこが最も都合のいい土地だったのかもしれない。神様を封印するんだ。それなりに相性のいい土地でなければならないからな」

 考えてもしかたのない問題ではあるが気になる。その気持ちは分かる。しかし、当時を物語る資料がほとんど亡失してしまっている今、どのような過程を経て白峰神宮の地に封印されたのかは分かっていない。ただ、その後の歴史の中で白峰神宮の地が特別な霊地とされたわけではないというのは分かっている。それは、明治維新まで蹴鞠の名門である飛鳥井家の邸宅があったことからも窺えるであろう。

 どのような思いで封印の地の真上で暮らしていたのか。

「ねえ、祐理。今の時点でどの程度相手の神格が読み解ける?」

 エリカに問われた祐理は、困ったような顔で首を横に振った。

「まだ神気すらも感じられていませんので、神格を読み解くのは難しそうです」

「そう。しかたないわね。むしろ、神気が漏れ出していないことを喜びましょう」

 祐理の感知能力であれば、一キロも離れていないところにある封印が外れれば感じることはできるだろう。祐理がなんともないのであれば、まだ儀式は始まっておらず封印に罅も入っていないのであろう。むしろ、現段階で神気を読み取ってしまったら、それはそれで問題であろう。

 それきり、話は途切れた。

 キズナが今葛の葉とどのような状況にあるのか謎なため、これからの行動を定めにくい。

 住宅地ということで避難勧告を出すべきなのかどうか、ということもある。それは、行政の判断になるが『まつろわぬ神』がどのタイミングで復活しようとするのか不透明なままで避難勧告はできない。

 とにかく、龍巳は今分かっている情報を護堂と共有することで事態の打開に向けて協議を続けた。

 情報が限られた中で、カンピオーネが行動する上での優先順位をどうするのかという点は特に重要である。相手には従属神もおり、どちらがそちらの相手をするのかというのは互いの意地もあって本番で仲間割れを起こしかねない。

 そうして話をしている時のことであった。不意に祐理がそわそわとし始めた。あからさまに不安げな顔をしている。

「万里谷祐理、どうかしたのか?」

「はい、あ、いえ。それが、どうにも気分が優れないといいますか。気持ちの悪い何かが迫っている。そんな気がするのです」

「なに……。わたしにはまだ何も感じられないが。けれど、あなたが言うのならそうなのだろう」

 リリアナが表情を改めて、エリカと目配せする。

「外の空気を吸ったほうがいいかもしれないな。新しい刺激を感じて、感覚が砥がれるかも」

「なるほど。では、窓を開けますが、よろしいですか?」

「はい」

 龍巳の提案を冬馬が受けて、会議室の窓を開けた。

 冷たい秋色の風が流れ込んでくる。今日は風が強い。カーテンが大きく煽られて膨らんだ。

「なんだ、あれは……?」

 リリアナが窓から身を乗り出して空を見上げた。

 龍巳の目には、まだ何も見えない。リリアナは魔女の才能がある少女である。祐理ほどではなくとも、霊視能力があり、その感性で以て見えない何かを

 それと時を同じくして、

「あ……くッ、ぅ……!」

 祐理が咳き込み、その場に崩れ落ちた。

 エリカと護堂が慌てて祐理を支え、その背を摩る。祐理の顔色は悪い。血の気が引いて、冷や汗をかいている。

「万里谷。しっかりしろ!」

 護堂が祐理に呼びかける。

 祐理は息を荒げながら、顔を上げる。

「……めて、だ、さい」

「どうした?」

「窓を閉めてください! すぐに!」

 祐理が喉を裂かんばかりに叫び、その切迫した声に窓から身を乗り出していたリリアナは慌てて窓を閉めた。それと時を同じくして、空をどす黒い呪力の奔流が埋め尽くした。

 誰かが悲鳴を上げた。

 ガタガタと窓が揺れ、異様な重圧に汗が噴き出してくる。呪力を感じ取ることができる龍巳たちは、それがどれだけ危険な力なのか理解できた。理解できたからこそ、怖気が止まらない。

「なんだ、これ!?」

 呪術の知識のない護堂が叫ぶ。

「分からないわ。けど、無関係ではないでしょうね。途方もない怨念の塊だわ!」

「これは、あの経典の呪詛に似てる。間違いなくかなり強引に封印をこじ開けるつもりだ!」

 エリカとリリアナが顔面を蒼白にして護堂に答えた。

「龍巳さん。月沢さんは!?」

「分かりません! ただ、無事なのは確かです!」

 冬馬に尋ねられて龍巳は言った。

 キズナとの繋がりは確かに感じられる。しかし、莫大な呪力の迸りが京都市の空を駆け巡っている影響で、念話が通じない。スマートフォンを取り出して、連絡を取ろうにも電波障害が発生しているようで圏外だ。

「クソ、どうなってる……」

 凄まじい怨念は上空で収束し、渦を巻いている。

 これほどの呪力が流れ込んだ京都は今や魔が跋扈する地獄に等しい状況となった。その中心地は、白峰神宮である。

「民間人の安全確保を!」

「今、可能な限りで人払いの結界を張ってます! 私も参加しますので、後はよろしくお願いします!」

 冬馬は慌てて会議室を飛び出て行った。

 有事の際には、個々の判断で白峰神宮の周囲に人払いをかけるように近隣に派遣されていた呪術師には命令が出ている。結果、それぞれの呪術師が独自に動き、人払いの結界を張っている。空は怨念に塗れているが、物的被害及び人的被害はまだ出ていない。避難するのであれば、今のうちに動かなければ致命的に遅れる。

「護堂!」

「ああ。すぐに行こう!」

「万里谷祐理、あなたはここで霊視を」

 エリカに呼びかけられた護堂は跳ね上がるように立ち、リリアナがそれに続いて祐理に言った。

「はい。微力を尽くしますので、皆さんもどうかご無事で」

「水原さん。万里谷の護衛をお願いできますか?」

「ああ。請け負った」

 龍巳は刀を呼び出して、護堂の頼みに応える。祐理には戦闘能力はない。誰かが傍で守らなければならない。その役割は、支えるべきカンピオーネがこの場を離れている龍巳が一番都合がいいのであろう。

 そうして、護堂たちは会議室を飛び出していった。

 空気が澱み、死んでいくのが分かる。

 窓の外では人払いの結界によって無意識下に訴えかけられて避難誘導される一般の人々がいる。十分もすれば、この近辺はもぬけの殻となるだろう。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 空に莫大な呪力が立ち上った時、ついに《鋼》が動き出す。

 大弓を構えて矢を番える。大鎧の男は、収束した呪力の塊である矢を無造作に空に打ち上げる。

「南無八幡大菩薩!」

 轟、と巻き起こる呪力の猛り。

 砲弾のような勢いで打ち上げられた矢は放物線を描いて白峰神宮に落ちる。矢は本殿を刺し貫き、大爆発を起こして本殿を消し飛ばした。

 その直後、爆心地に引き寄せられるかのように、空の怨念が地上に雪崩を打って落下する。

 空の怨念が地下に吸い込まれ、若干の沈黙の後、さらに強大な呪力が逆流して吹き上がる。それを見て、主君の復活を確信した。

「陛下。今、お傍に参上いたします」

 彼は地を蹴り、風を切って呪力の源へ急ぐ。黒い呪力は宙空で形を取り、やがて人の姿を取った。心臓が激しく高鳴る。自分の力も急激に上昇するのを感じて、気分が一気に高揚する。

 ちらりと、呪力の動きを感じて地上に目をやると、以前自分を打倒したカンピオーネが仲間と共に駆けて来るのが見えた。一瞬、ここで雌雄を決しようかとも思ったが、今はとにかく主君の下に馳せ参じるのが最も大切な臣下の義務であると断じて無視する。

 そして、辿り着く。

 黒い風を纏った強大な『まつろわぬ神』。

 束帯を着て、頭には冠を載せている。精悍な顔立ちは知的そうで、怨霊という呼び名からは程遠く思える。

 感激に身体が震え、鎧が音を立てる。そして怨霊神はゆっくりと《鋼》を振り返る。慌てて、兜を脱ぎ、武器を外してその場に跪いた。

「顔を上げよ。為朝」

 かつてと変わらぬ声に《鋼》の弓神――――源為朝は涙を流さんばかりに心を動かされ、命のままに顔を上げた。

 束帯の怨霊神は、ふと空を見上げ、それから周囲の街並を眺めた。

「余が不覚を取ってから、長き月日が流れたようだな」

「は、この為朝。陛下のご尊顔を拝謁するこの日を一日千秋の思いで待ち望んでおりました」 

 実に七百年の月日が流れた。それまで、幾度も怨霊神の復活を試み、そのたびに失敗を繰り返した。しかし、それにもめげず、主を救出することだけを望んで我が身を粉にして戦い抜いた。その苦労が、今報われたのである。怨霊神は、為朝の苦労を偲び、そして笑った。

「それでこそ為朝。忠臣の鏡よ。誉めて遣わす。そなたの武勇と忠義、これからも頼みとしているぞ」

「は! ありがたき幸せ! 誠心誠意お仕え申し上げます!」

 隠しきれぬ喜悦を顔に張り付かせ、再び頭を下げるのであった。

 そこで、ピクリと為朝の肩が震えた。

「ふむ……」

 怨霊神の視線が為朝からその背後へ向けられる。

 神社の参道の先、鳥居の前にいる人影に鷹揚に話しかけた。

「驚いたぞ。この国に、神殺しの大罪人が生まれていようとはな」

 

 

 

 □

 

 

 

 怨霊神と向き合った護堂は、ごくりと生唾を飲んだ。

 エリカたちは戦いに巻き込まれるのを警戒して後ろに下がりつつ、周囲の状況を観察している。

 ここは住宅街だ。

 人払いの結界が機能しているものの、逃げ遅れた人がいる可能性も否定できない。

「何用だ、神殺し。余の復活を寿ぎにでも参ったか?」

 極めて自然体に、怨霊神は振舞っている。護堂を敵と見定めながらも、冗談を飛ばすくらいには余裕がある。護堂のほうは、従属神も含めて二対一の状況に、どう戦おうかと頭を悩ませているというのに。

「別に、あんたの復活を祝おうなんて思ってない。むしろ、こっちは迷惑してるくらいだ」

「ほう」

 護堂は、不利だからといって腰を低くするような真似はしないし、逃げるようなこともしない。勝機は戦っているうちに見えるだろうと割り切って、挑むだけだ。

「あんたのことは知ってるよ。有名だからな。だからって、怨霊になって人を呪うなんて、そんなことしちゃいけないんじゃないのか?」

「豎子が余に道理を説くか。くく、面白い。そのように口を聞く者はこれまでに一人としていなかったぞ」

 怨霊神は愉快そうに笑う。風にゆったりとした袖が舞い、それだけを見れば雅さに目を奪われてしまう。所作の一つひとつが、非常に美しいのである。

「そなたの言い分にも一理ある。確かに、世を騒がせ、人を害すは悪道よ。しかしな、そなたもまた忘れておるぞ。余は怨霊神。世人に斯くあれと願われたからこそ、この仕儀となったのだ。つまりは、余が力を振るうことを世人もまた願っておるということだ」

「な……ッ。そんなわけないだろ! 誰が危ない目にあって喜ぶって言うんだ!」

「控えよ。これ以上の問答は無用。余は余の心のままに生きるのみよ。邪魔立てするのなら、それ相応の対価を支払うことになろうぞ」

 怨霊神の視線が、その時初めて護堂に収束したかのような気持ちになった。

 目の前の『まつろわぬ神』を放置するわけにはいかない。相対して、護堂は改めて思った。

「陛下」

 為朝が腰を浮かせる。それを、怨霊神は手で制した。

「よい、為朝。余も久方ぶりに力を振るいたい」

「は、承知しました。存分にお働きくださいませ。それと陛下」

「なんだ」

「この国にはもう一人神殺しがおります。そやつが現れた場合は如何様に?」

「許す為朝。そなたの武勇を示すがよい」

「御意」

 為朝は弓に伸ばしていた手を引っ込めた。

 護堂との戦いは、あくまでも主の戦いであるとして自分は後方に下がることとしたのである。護堂にとっては都合のいい展開だ。二柱の神を相手にするのは骨が折れる。正直、避けたいところだった。とはいえ、怨霊神はどのような手を使ってくるのか不透明だ。相手に合わせて手札を切り替える護堂は、好きなように攻撃を繰り出せるわけではない。

 怨霊神が手を護堂に翳した時、反射的に護堂は叫ぶ。

「我が下に来たれ勝利のために。不死なる太陽よ。我がために輝ける駿馬を遣わしたまえ!」

 ウルスラグナの『白馬』の化身だ。

 十の化身の中でも比較的発動させやすく威力も高いため、重宝する化身である。民衆を害する大罪人に対して使用できるという発動条件は、怨霊神相手には適合しやすく、考えるまでもなく発動させられた。難点はその高火力に周囲を巻き込みかねないということだが、そうも言っていられない。

 東の空から沈んだはずの太陽が顔を出す。罪人を焼き払う太陽のフレアが、怨霊神の頭上に降り注いだ。

「太陽の欠片のようだな」

 怨霊神はふっと微笑み狙いを護堂から降り注ぐ太陽光線に切り替える。呪力が爆発し、何事かを呟いた後で、黒い太陽が生まれた。

 

 

「な……ッ!」

 護堂は目を見張った。

 十の化身の中でも最高峰の威力を誇る『白馬』の炎が受け止められているのだ。白い太陽光線は黒い劫火が凝り固まったような球と激突し、互いに喰らい合い、それどころか押し戻そうとしてくる。ついには抗しきれなくなり、同時に爆発して霧散してしまった。発生した熱と衝撃波が住宅街を襲い、周囲の家々がなぎ倒されて瓦礫となる。護堂もまた吹き飛ばされて瓦礫の山に埋もれた。

「ぐ、おおおおおおおおおおおおッ」

 自分の身体に圧し掛かる瓦礫を『雄牛』の怪力で押し退けて、護堂は脱出する。

「エリカ! リリアナ!」

「大丈夫よ! 護堂はそっちに集中して!」

「こちらは問題ありません!」

 エリカとリリアナはさらに距離を取った。怨霊神の力が想像以上だったため、巻き込まれる心配があったからである。

 草薙護堂は万能のカンピオーネではないし、絶対性のある権能を持っているわけでもない。人間のサポートがあって初めて真価を発揮できる未熟さを残している。そのために、エリカとリリアナは付かず離れずの距離で彼を見守るし、護堂も心して戦える。

 護堂は怪力の化身で冷蔵庫の残骸を持ち上げ、怨霊神に投じた。

 冷蔵庫の残骸には護堂自身が呪力を込めた。音速近くにまで加速する冷蔵庫は、物理的破壊力が極めて高いのだが、それと共に呪力爆弾として機能するようにしているのである。

 それを、怨霊神は一歩も動かずに焼き払った。空から墜ちてきた雷撃が、一瞬にして冷蔵庫を打ち砕いたのである。

「うおおおおおおおおおおおおおおおりゃあああああああああああああああ!」

 護堂は全力投球を始めた。

 ボールではなくコンクリート塊や材木などを怪力によって投げつける。

 人間が相手なら、たとえ呪術師であろうとも押し潰し、粉々にすることができる攻撃であるが、怨霊神は風や雷を呼んでこれを迎撃する。

「くそ、全然当たらないじゃないか」

 毒づく護堂を他所に、怨霊神が笑う。

「どうした神殺し。そなたの器量はその程度だったか? それならば、あの陰陽師のほうが幾分かましであったぞ」

 バチ、と音がするや否や、護堂の身体を黒い雷が貫く。目の前が白黒したが、気合で耐える。カンピオーネの呪力への耐性が、雷撃の影響を最小限に留めた。

「太陽神の末裔たる余に太陽をぶつけるとは、誠に浅はかよ」

 さらに雷撃が加速する。幾重にもなる雷の檻が護堂を囲い込む。

「オオモノヌシよ。ここに威光を示せ」

「我は義なるものたちの守護者を招き奉る」

 怨霊神が雷の蛇を叩き落すと同時に、護堂は右手を翳して『山羊』の化身を行使した。日本最大の怨霊神の復活に際して、世間の人々の恐怖は限界にまで高まっている。京都中から祭祀の力で呪力を掻き集め、さらに天叢雲剣の協力を仰いで相手の雷を吸収し、再利用する。

「何……?」

 怨霊神が目を剥いた。その怨霊神に対して、護堂は一気に掻き集めた雷を打ち出す。特大の雷撃が、怨霊神を包み込む。

 地面が激しい電流に粟立ち、沸騰して爆発した。紫電は空にまでたち昇り、夜の京都を明るく照らす。

「なんだ、あれ……」

 手ごたえはあった。しかし、カンピオーネの勘が敵がまだ倒れていないことを告げている。

 粉塵が風に流れた後に現れたのは、一頭の竜だった。身体中が焦げているのが見て取れる。

「神獣……? いや、まさか、従属神とかいうのか?」

 神獣というには格が高い。間違いなく、神に属する怪物である。それを、召喚した挙句に楯にしたのである。

「ありかよ、畜生」

「くはははッ。いやあ、余の雷撃を斯くも鮮やかに返すとは。さすがに驚いたぞ。その右手にあるのは、天叢雲だな。久しいな」

 全身を焼かれた竜が動く。血が滴り落ち、今にも崩れそうな身体を持ち上げる。

 その後ろで怨霊神が右手を挙げた。

「天叢雲よ。そのような有象無象の手にあるは神剣の姿にあらず。あるべき場所に戻るがいい」

 その瞬間、護堂の中から天叢雲剣の感覚が消えた。

 消えた天叢雲剣は、空間を飛び越えて怨霊神の前に浮かんでいた。

「な、天叢雲!?」

「何を驚く。余もまた本来の持ち主の一人ではないか。もっとも、数多の神々の中でこの神剣を奪うことができるのは余くらいのものだがな」

 確かに、天叢雲剣は怨霊神の血筋との深い関わりがある。《鋼》の武具としてではなく、儀礼祭祀を目的としたものではあるが、無縁ではない。

 怨霊神は神剣の柄に手を伸ばすが見えない磁場に弾かれたかのように拒絶される。天叢雲剣は意思を持つ神剣だ。怨霊神に振るわれるのを拒否したのであろう。しかし、それすらも愉快とばかりに怨霊神は頬を緩めて天叢雲剣を無造作に手の甲で弾く。弾かれた神剣は、怨霊神が呼び出した蛇神の尾に突き立ち、そのまま肉の中に埋もれて消えてしまった。

 そして、蛇神が咆哮する。

「交わした約定の通りだ、安徳帝よ。余と共に無念を晴らそうぞ」

 怨霊神の声に応えるように、竜神が再び吼える。 

 それだけでなく、竜の頭は二つに割れ、さらに三つに割れ、最終的に八首に分かれたのである。

「壮観だな。安徳帝、いや、ここはヤマタノオロチと呼ぶべきか」

 護堂はさすがに唖然とする。

 戦いに参加していない弓使いの従属神に加えて、さらにヤマタノオロチを使役するなど常軌を逸している。

「これが、大天狗の権能だってのか」

 慄然とした護堂の言葉を聞きとがめたのか、怨霊神は不愉快そうに顔を顰めた。

「神殺し。余を大天狗などと呼んでくれるな。あの「今様狂い」と同じ渾名で呼ばれるのは、寛大な余でも癪に障るぞ」

 怒りの念を察したのか、ヤマタノオロチが八つの鎌首を擡げて雷の息を吹きかけようとする。

 護堂が唇を噛み締めて、次の手を打とうとしたとき、一条の雷光が天下り、ヤマタノオロチの頭の一つを打ち砕いた。

「月沢さんか!」

 雷撃の主は、キズナが跨るペガサスであった。神速による不意打ちの突進。制御の難しい神速であっても、相手が巨大なヤマタノオロチであれば、直撃させるのは容易かったのであろう。

 天馬を駆り、キズナは再び空に駆け上る――――。

 

 


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