極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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五話

 目も眩むような閃光と全身を引き裂かれるような衝撃。耳の置くがギンギンとしている。落雷の直撃を受けたのだ。

 周囲には真っ黒になって煙る木々。

 緑豊かな山の中腹に、突如開いた巨大なクレーター。

 隕石でも衝突したかのような惨状は、『まつろわぬ神』が片手間で引き起こしたものだ。

「あたたー。くそ、目がチカチカするぅ」

 クレーターの中心に仰臥するキズナは、額を押さえてうめいていた。

 現場の状況と、キズナの様子はとても同じ攻撃を受けたとは思えない。雷撃を放った当の本人も、驚きを隠しきれない。

「直撃だったはずですが」

 弾かれた感覚はなかった。間違いなく、直撃だったはずだ。実際、キズナは地面に叩きつけられているし、呻いてもいる。だが、ダメージがあまりにも少ない。カンピオーネの呪力への耐性を鑑みれば、今の一撃で倒せるはずもないが、それでも全身に火傷を負うくらいはあってしかるべきである。

「如何なるからくりか。私の攻撃に耐える何かがあるということですか」

 何かしらの能力で防いだのは確かだ。

 その正体まではわからないが、ダメージを完全にゼロにすることはできないようだ。ならば、攻撃を続けて攻略法を探るのが得策だ。

「風よ、吹け。雲よ、空に満ちよ」

 聖なる力を使うための聖句を唱え、雷雲を呼び寄せた。

 瞬く間に疎らだった雲は厚みを増し、黒々とした雷雲となって夜空を覆う。

 『嵐』の権能だ。

「さあ、曝け出してもらいましょうか!」

 刀身には風を、空には雷を集中させる。今や、空全体が一つの使い魔になったも同然である。地上にあるすべての命を焼き払うことすらも造作もないことだ。

 雷鳴が轟き、風は渦を巻く。

 局所的な暴風雨は、ただ一人の敵を倒すために呼ばれたもので、その力を一度解放すれば人間の軍隊を一撃で消滅させることができる。

 この力を前に、果たしてキズナはどのように対応するのか。

 それが何よりも楽しみなのだ。

 

 

 □

 

 

 また、嵐か。いい加減にしろ、とキズナは心の中で叫んでいた。

 ドイツでヴォバンと戦った時も、風雨雷霆を操る権能に苦戦したというのに、またしても同じような権能を使ってくるとは。 

 確かに、世界中の神話を紐解けば、必ずと言っていいほど嵐に関わる神は現れる。

 古の人々の生活に密着した自然現象だからこそ、嵐の力を持つ神は多い。畢竟、『まつろわぬ神』が嵐の力を持つ確率も高くなる。

 それにしても、二連続はない。

 嵐の神の何が面倒かと言えば、その性質上、雨風雷を自在に操ってくることである。風の神であれば、風。雷の神であれば、雷を権能として振るうが、嵐の神は、それらを同時に使ってくる。それが、面倒なのだ。

「……ッ」

 眩い閃光の煌きは、キズナにとって死をもたらす魔手である。

 転がって避けると、キズナを捕らえ損ねた雷撃によって地面が沸騰し、爆ぜた。

 爆風と散弾の如き砂礫を全身に受けて、キズナは大きく飛ばされた。

「まったくもう、容赦ないな」

 それでも、キズナに傷はなく、すぐに立ち上がった。『まつろわぬ神』やカンピオーネクラスの攻撃ならばまだしも、その余波で突破される守りではない。その気になれば、今の砂礫くらいはすり抜けることもできるが、今回は衝撃を利用して距離をとったに過ぎない。ダメージはゼロだ。

 目的は、山に分け入ること。木々の中に身を隠し、反撃の機会を窺うことだ。

 目立つ虹弓を霧散させ、キズナは野山に分け入っていく。

 人が歩く道はなく、下草は縦横無尽に生えている。風雨に曝されている木々が大きくざわついているが、それでも、その枝葉は天蓋となってキズナの姿を敵から隠してくれている。

「夢に遊べ。是ならば是。否ならば否。別つことに意味はなし」

 聖句を唱えて世界と同化し、自分の気配を霧散させる。

 消すというよりも、溶け込むのに近いだろう。この権能は空を舞い、攻撃を受け流すものと同じものだ。

 思うが侭に世界を『遊』ぶ。

 あらゆるものから自由になることこそが、本来の権能。

 かつて、まつろわぬ荘子から簒奪した、逍遥遊の力だ。

 月明かりが雷雲によって遮られた今、山に潜むキズナを見つけることは砂漠の中から一粒のダイヤを見つけるに等しい労力を必要とする。

 敵からはキズナは見えず、そしてキズナは敵を捕捉している。

 宙に浮いたままの敵は、地上のどこからでも狙撃できる。しかし、虹弓は、弓そのものも輝いているため、目立ちすぎるという欠点がある。よって、キズナの戦法は、ヒット・アンド・アウェイ。射ったら逃げるを繰り返すことだ。

「まず、一発」

 虹弓を顕現させ、二本の矢を番える。

 イヌブラとミズナラの枝葉の間を縫って、精密狙撃で敵を討つ。

 放たれた矢は、空高くにいる軍神へと一直線に猛進する。

 虹色の閃光が、夜闇を散らした。

「さすが」

 一言賞賛して、キズナは木々をすり抜け移動する。

 今の攻撃、ものの見事に防がれた。矢が着弾する直前に、雷球が軍神と矢の間に割って入ったのだ。

 二本目はキズナが意図的に爆破した。閃光と呪力を撒き散らすことで、闇に身を潜める助けとするためだ。

 敵の正体は、すでに掴めている。

 敵の呪力の塊である雷撃をその身に受けたのだ。世界最高峰の霊視能力を持つキズナが、霊視できないはずがない。

「まつろわされた創世神か。まさか、戦うことになろうとはね」

 原初の創世神。神の中の神。この国土を作り出した、真の意味での原初神だ。日本の歴史の中で、淘汰され、来歴すらも改悪された悲劇の神と言ってもいいかもしれない。

「大汝、少彦名のいましけむ志都の石屋は、幾代経にけむ」

 生石村主真人(おいしのすぐりのまひと)の歌で、万葉集に収められている。

 大汝(オオナムチ)少彦名(スクナビコナ)は、播磨国風土記や出雲国風土記でコンビを組む国土創造の神だ。

 注目すべきは、神名に使われている漢字。

 『大』と『少』

 これは、対になっていることが分かる。

 つまり、巨人と小人の関係だ。

 巨人と小人が協力して国を作る神話は、何も日本に限ったものではない。例えば、インド神話のヴァーマナは、初め小人の姿でマハーバリに対して三歩歩いた土地を要求し、マハーバリが了承した瞬間に巨大化して一歩目で大地を、二歩目で天を、三歩目でマハーバリを踏みつけて地底世界に叩き落したとされる。

 ここでは、二柱の神が協力するわけではないが、小人から巨人へ変化するという点で、巨人と小人の世界創造と言える。

 今、キズナが敵対するのは、日本古来の創世神というわけだ。

「まあ、オオナムチと言うよりはオオクニヌシと言ったほうがいいみたいだけど」

 オオナムチとオオクニヌシは、ほぼ同一の神格だ。だが、そのあり方、神話的役割は大きく異なっている。

 オオナムチのほうが純粋に創世神に近く、オオクニヌシより古い神格だ。

 また、オオナムチを初めとする諸々の神々が、記紀神話以降オオクニヌシに統合されたと見る向きもある。オオクニヌシが持つ数多くの神名は、オオクニヌシの神徳の高さを示すと同時に、失われた複数の神々の名残でもあるというわけだ。

 キズナは、獲物を狩るハンターの如く、茂みに身を潜め機会を待っている。

 ただ射っただけでは、迎撃されるのが落ちだ。隙を作る必要がある。

「召喚するかな」

 敵は、複数の神々が統合された神格ゆえに、権能も多彩だ。

 こちらも、順次手札を切っていかなければ。

「……ッ!?」

 理由不明の悪寒が走ったのは、その瞬間だった。

 キズナの直感は、カンピオーネの中でも随一。媛巫女の力もカンピオーネの直感も、幽界にアクセスすることで得られるものだ。その二つの力を併せ持つキズナは、未来予知並みの危機察知能力を有する。

 その直感が警鐘を鳴らした。

 振り返る。

 漆黒の暗闇は、一寸先も見通すことができない古き闇そのもの。しかし、カンピオーネの透視力をもってすれば、昼間と同じだけの視界を確保できる。

 キズナの視線の先には、木の枝の上に丸みを帯びた陰がある。

「ふくろう?」

 何の変哲もない、可愛らしい猛禽類がそこにいた。

 音もなく飛ぶことで有名な鳥は、いったいいつからそこにいたのだろうか。感情を感じさせない丸い瞳で、キズナを眺めている。

「ヤバッ!」

 視線が交錯したその瞬間、ふくろうの瞳の奥にオオクニヌシを視た。 

 敵はオオクニヌシ。

 この国における呪術の創始者であり、縁結びの力を持つ神格。だとすれば――――

 

 一際巨大な雷撃が、天の高みから落ちてきた。

 

 これほどの呪力は、荘子の力では受け流しきれない。

 思考に先んじて、口が呪を紡ぐ。

「ナウマク・サマンダボダナン・インダラヤ・ソワカ!」

 慣れ親しんだ真言は、キズナの第一の権能を使うための聖句でもある。

 左手で帝釈天印を結び、右手に呪力を集中。

 虹色と青白い放電が、キズナの手の中で弾ける。そのまま、右手を空に翳し、雷撃を受け止める。

「く……!」

 身体が押しつぶされるのではないかとも思える強烈な衝撃を、キズナは奥歯を噛み締めて堪えた。

 雷撃を受け止めるのは、やはり雷撃の権能。普段は虹の弓として顕現する力は、本来雷を司るものでもあるのだ。

 もはやどちらの力か分からない。

 鬩ぎあう力場は四方八方に散り、雷という形で木々を焼き払った。

 

 

 

 雷撃で削り取られた山肌は、真っ黒に焼け焦げていて、まるで巨大な爆弾が爆発したかのような状態で、無残な姿をさらけ出していた。

 木々が焼き払われて、風通しのよくなった山肌に、膝をついて蹲るキズナは、それでも目に見えるダメージはほとんどなかった。

 そのしぶとさに、オオクニヌシは感心した様子で目を見開いた。

「今のも凌ぎ切りますか」

「舐めんな。オオクニヌシ」

 吐き捨てるように、キズナは言った。

「ほう、私の来歴を詳らかにしましたか。さすがに神殺しと巫女を兼任しているだけのことはありますね」

 口調は丁寧なまま、険のある眼差しでキズナを睨んでいる。

「気分を害したかな?」

「少なくとも、よい気持ちはしませんね。私の歴史は敗北の歴史。屈辱にまみれた我が来歴を、他人に視られるのは……虫唾が走ります」

「本来は、イザナミやイザナギではなく、あなたが国土の創世神だった。出雲だけでなく、あなたの信仰は全国各地で行われていたはずよね。もちろん、その時はオオクニヌシではなくオオナムチだったけれど」

 『大汝、少彦名のいましけむ志都の石屋は、幾代経にけむ』

 先ほどキズナが口ずさんだ和歌はオオナムチを礼讃するものだ。志都の石室の位置は明らかになっていないが、 平田篤胤の『古史伝』によれば、島根県大田市の静之窟としている。

 その他、オオナムチを称える和歌は数多く残っている。

 『大汝、少彦名の、神こそは、名付けそめけめ、名のみを、名児山と負ひて、我が恋の、千重の一重も、慰めなくに』

 詠んだのは、大伴坂上郎女。ここで言う名児山は、福岡県の山のこと。

 『大汝、少御神の、作らしし、妹背の山を、見らくし良しも』

 和歌山県の妹背山を作ったのは、オオナムチとスクナビコナだという。

 この三つの和歌を見ただけで、オオナムチとスクナビコナが日本各地で信仰されまた、国土創世神として認知されていたことが分かる。

 また、大伴家持の歌には、『大汝少彦名の神代』という言葉が出てくる。イザナミでもなければ、イザナギでもない。オオナムチとスクナビコナこそが、本来この国を作り上げた神なのだ。

 これらの和歌は、すべて万葉集に収められている。

 万葉集の成立は七五九年以降とされているが、それは日本書紀や古事記よりも半世紀ほど後の時代だ。つまり、このあたりまでは、イザナミやイザナギよりも、オオナムチとスクナビコナのほうが影響力を持っていたということだ。

「でも、オオナムチはそのあり方を日本書紀や古事記で書き換えられることになる。そこには、大きな政治的意味合いがあった」

 オオナムチとスクナビコナは国土創世の神として高い知名度を誇っていた。

 しかし、そこには大きな問題を抱えていた。それは、この二柱は国土の神ではあっても、国家の神ではなかったという点だ。

 折りしも、七世紀から八世紀と言えば、日本が日本国としての形を整えつつある時代だ。

 天智天皇の対外出兵――――白村江の戦いで大陸との文明レベルの差を痛感し、国家というものを強く意識した直後の時代だ。

 神話とは、民族の歴史。

 それを編纂するのは、統治者の権利だ。

 日本書紀の編纂事業は、大陸に対する憧れであると同時に、国家の枠組みを定めて、その行く末を安泰にするためのものでもあった。

 日本書紀の編纂に着手したのは、天武天皇だが、最初に『天皇』を名乗ったのは彼であり、『日本』という国名を定めた人物でもある。

 その他、氏姓制度の再編、律令制導入に向けた法整備など、天武朝は近代国家を作るために邁進していた。

 そうした時代にあって、オオナムチとスクナビコナは邪魔だったのだ。国家神ではない在野の、古き縄文由来の神ではなく、当時としては最新の学問である儒教的な創世神が求められた。

 知名度の低いイザナギとイザナミは神話を作るのに適していたのだ。

 この二柱が元々は淡路島の神で、海洋民族由来の神だということは有名だ。

 天沼矛で混沌をかき回して国を作るのも、漁業の道具から国が生まれる神話類型の一つであり、その様子は製塩作業を髣髴させる。

 それに、イザナギとイザナミが淡路の神だったということも、創世神に選ばれた理由としては大きい。

 なぜならば、天武天皇の名は『大海人』。由来は、幼少期に養育を受けた凡海氏に因むもので、この凡海氏は、海部一族の伴造だ。そして、海部とは徳島県の地名でもある。つまり、天武天皇にとって、四国近辺は幼いころから縁のある土地だったということだ。

 イザナギとイザナミが最初に産み落とすオノゴロ島が淡路島や沼島なのも頷ける。

 そして、国家にとって都合のいい神を作ったところで、古き神王は零落させられた。

「オオナムチが、古事記でオオクニヌシにされるに当たり、まず、スクナビコナとの関係を白紙化された。オオナムチとスクナビコナはコンビでいなければ創世神たりえない。でも、古事記のあなたはスクナビコナのことを知らなかった。かかしの神様に尋ねるまで、その名を知らないなんて本来はありえないこと。そのように描かれたのは、二神の間を分断することで、信仰の基盤を破壊するためだった」

 オオクニヌシはスクナビコナと協力して国土を作るが、最後まで一緒というわけではない。途中でスクナビコナは常世に帰ってしまうからだ。

 日本書紀でも同様だ。ただし、古事記ではスクナビコナが去った後、ほかの神の手助けを受けるのに対して、日本書紀では単身国家創造を完成させる。

「この時点で、オオクニヌシはスクナビコナから独立した神になり、スクナビコナは無名の神にまで貶められた。オオクニヌシ敗北の歴史。ま、こんなところかな」

 霊視と知識を練り合わせ、敵の歴史を推察する。敵の成り立ちが分かれば、能力も予想できる。

「あなたは、神道において呪術の創始者とされている。得意技は、鳥獣から田畑を守るお呪い。それに一八〇柱も子どもがいるあなたは、縁結びの神様でもある。その二つの力でふくろうを使い魔にしてわたしの位置を特定した」

「よく回る舌ですね。それに、呪術に対する洞察力もなかなかのもの。久方ぶりの強敵と、認めざるを得ませんね!」

 上空のオオクニヌシが、姿を消した。

 それほどの速度で、移動したのだ。

 現れたのは、すぐ目の前。剣を振り下ろし、キズナを袈裟切りにしようとしている。

「な!?」

 驚愕はオオクニヌシの口から漏れた。

 光り輝く黄金の尾が、オオクニヌシの剣を受け止めている。柔らかそうな毛の一本一本が信じられない強度と柔軟性をもっているのだ。

「あまり見ないでよ。結構恥ずかしいからさ」

 轟、と旋風が巻き起こり、オオクニヌシは弾き飛ばされた。

「くはッ」

 肺腑の底から、空気が押し出されて妙な音を出す。

 網膜に焼きつくのは黄金の閃光。

 九つの尾が、オオクニヌシの身体を強かに打ったに違いない。

「なるほど、驚きました。大陸の化生ですか」

 オオクニヌシの眼前には、蛇のようにうごめく九つの尾をもつキズナがいた。金色の髪の間から、三角形の狐耳が生えている。

 オオクニヌシの問いに、キズナは腕を組んで頷いている。

「一応、この国にもいるけどね。お察しの通り、これは大陸から渡って来た傾国の魔女、九尾の狐から簒奪したもの。実は、玉藻前の伝説のモトネタ、わたしなんだ。ちょっと暴れすぎちゃってさ」

 それを聞いたオオクニヌシは、たまらず吹き出した。

「面白い冗談ですね。それが真ならば、あなたは齢一〇〇〇を超えている」

「そうね。ごらんの通り、花も恥らう一七歳ですから」

 どこからともなく取り出した扇で口元を隠す。その様は艶があり、幼さの残る外見ながら、男の目を引く色香があった。

 もしも、冗談として受け取らなかったら、どのような返答をされただろう。

「まあ、その時は、そっ首叩き落していたところ」

「ほう、それはまた恐ろしい。まさに、傾国の魔女」

「確かに、国のことはどうでもいいんだけどね。あなたはどうかな?」

「無論、作り直さねばなりませんな。もはや、ここは私の造った国ではない。一からやり直しですよ。貴女にも見届けて欲しいものです。私がこの国を作り直す様子をね」

「無理。あなたはここで、倒れる。国自体はどうでもいいけど、人は別。結構愛着あるんだ。昔と違ってね」

「ならば、戦うしかありませんね」

「そうね。ついでに権能もくれるとありがたい」

 巨大な風船が割れたかのような破裂音が響き渡った。

 攻撃の応酬は、一秒にも満たない時間の中で行われた。

 先手はオオクニヌシ。

 会話の最中に唐突に圧縮した空気をキズナに叩きつけ、キズナは尾の一振りでこれを吹き散らした。

 オオクニヌシの権能によって圧縮された気塊は、断熱圧縮によって熱を持つ。とはいえ、現代の科学技術で瞬間的に一〇〇〇℃を超える熱量を生み出すのは不可能だ。さらに、物理法則を無視して強大な呪力が込められていることもあり、その一撃は近代兵器をはるかに圧倒するものとなる。これを何気ない会話の中で撃ち出すというのは、『まつろわぬ神』の異常性を如実に表している。

 オオクニヌシが異常なら、これを軽くあしらうキズナも異常だ。

 この一人と一柱にとって、今のは挨拶程度のジャブでしかないということか。

 にらみ合いは刹那に終わり、どちらともなく雷光が煌いた。

 いつの間にか、キズナは尾と耳を消し、虹弓を持っていた。対峙するオオクニヌシは、雷を刀身に纏わせて、剣を勢いよく振るう。

 膨張する空気が、雷鳴を轟かせる。それは、まさに断末魔の叫び声。雷撃と雷撃がぶつかり合い、互いを喰らい合う。呪力は飽和量をはるかに超え、世界が軋んでいく。常人がこの場にいたのなら、そのあまりの呪力に打たれて命を落としていたかもしれない。

 オオクニヌシの雷は包み込む面状で、キズナの雷は虹弓から放たれる一点突破の鋭さがある。どちらも一長一短があり、互いに己の長所をもって相手を短所から打ち崩そうとしている。

 雷撃の打ち合いでは、持久戦となることは必至。

 キズナは人を超えたカンピオーネだが、体力は有限だ。もちろん、神様のほうが優れているのは確実。同じ攻撃を打ち合い続ければ、どちらが先に倒れるか、火を見るよりも明らかである。

 よって、どこかでカードを変える必要がある。

 一方のオオクニヌシも、このままでは打ち負ける可能性があると考えていた。

 オオクニヌシが放つ雷撃は、嵐の権能から抽出しているものだ。しかし、キズナの雷撃は、手ごたえから判断して雷神の権能。雷を操るという点で向こうが秀でているはずだ。

 一際巨大な雷鳴が、夜闇を真っ白に反転させた。

 思考は一弾指ほどの時間も要すことなく最善を導いた。

 呪力がはじけるのは、ほぼ同時。

「我は魔を統べる者なり。生ける者も死したる者も須らく我が軍門を守る剣となり、我が砦を守る楯となれ」

「生きとし生ける者どもよ、神々の王たるオオクニヌシの名をもって告ぐ。絆を結び、敵を滅ぼす牙となれ」

 闇が戻ってきた時、戦場の景色は一変していた。

 金色の尾を再びくねらせるキズナの周囲に、黒々とした悪鬼羅刹の集団。赤い目を爛と輝かせ、禍々しく歪な形状の武器を携えている。

 オオクニヌシも、己の軍団を呼び出した。

 狼、鹿、熊、鷹といった鳥獣の類だが、この世の生物ではなく、オオクニヌシの呪力が作り出した使い魔たちだ。

 まるで地獄絵図の具現だ。

 敵を倒すために生み出されたモノたちだ。

 その思考の一片に至るまでが、いかに暴力を振るうかという点に集約されている。そんな怪生物の軍団同士がぶつかり合えば、そこに生まれるのは血で血を洗う地獄に決まっている。

 呪力で具現する仮初の命が、無限に消費されるのがこの戦場である。一対一の戦闘から、多数対多数の戦争に発展した。進路を阻む炭化した木々を、鬼たちは、その強壮な肉体で踏み砕いて突き進み、禽獣たちは軽やかな身のこなしで潜り抜けていく。

 そして、互いの勢力のちょうど中央で激突した両軍は、その瞬間から命を貪り食い始める。

 剣を振るえば首が飛び、牙をむけば肉が削げる。

 一歩踏み込めばその時点で命の保証はできない。すべてが、貪欲に、激しく、相手の全存在を求める世界は、極めて単純で、簡素で、醜い。

 キズナはオオクニヌシの雷撃を逃れ、辛うじて緑を残すブナの木の枝に飛び乗り、戦場を俯瞰する。

 ちょうど、オオクニヌシが、鬼を斬り殺しながら高速で百鬼夜行を突き崩しているところだった。

「総大将御自らご出馬ですか。もちっと遊び心があったほうがいいんじゃないかな」

 これから陣形を整えて、相手の軍団を攻略しようとしていたというのに、オオクニヌシ本人相手では、キズナの鬼では力不足も甚だしい。

 もちろんそれは、敵の使い魔たちにも言えることだが。

 八つの尾を一斉に振るい、群がる鳥を殲滅する。

 最後の一本は横薙ぎに。

 金属を打ち鳴らす音が響き、オオクニヌシの刃を受け止める。

「せっかち。後ろにふんぞり返るのが、大将の仕事でしょうに!」

「お言葉ながら、一軍を率いる将というのは、最も前で獅子奮迅の働きをする者にこそ相応しい称号かと」

「戦バカか。救いようがない」

「閉じこもっていては士気にも関わりましょう」

「ああ言えばこう言う!」

「その言葉、お返しいたします!」

 口論の激しさを表すように、剣戟の音はより高く、早く響く。

 オオクニヌシは一振りの剣を巧みに操り、キズナの尾を受け流している。九つの尾はそれぞれが変幻自在別個に動く。これを受けきるのは至難の業であり、目の前で実演されるとキズナも焦らざるを得ない。

「形骸を為せ」

 尾を操るキズナは、両手が空という利点を持つ。

 どこからともなく引き抜いたのは、左右の手に四枚ずつ計八枚の札。これを投擲。弧を描き、左右からオオクニヌシを挟みこむように舞う札は、キズナの呪力を浴びて鋭利な刃物に姿を変えた。

 『まつろわぬ神』やカンピオーネに呪術攻撃は意味を成さないが、高度な術式を込めた刃などを使えば傷をつけることができる。キズナの呪力を込めた刃は、オオクニヌシに傷をつけるだけの力は宿していた。

 拮抗した戦いの最中に負う傷は、それがたとえ運動を阻害しない程度であっても不利に働くものだ。オオクニヌシもそれが分かっているから、警戒せざるを得ない。だが、八つの刃と九つの尾を同時に相手取るのは、さすがに不可能だ。

 どうするのか。

 注視するキズナの前で、オオクニヌシの足元が隆起した。

「ちょ、うそお!?」

 想定外だったのは否めない。確実に一撃入ると思っていたのだが、まさかこのようなことになろうとは。大地の隆起は、キズナの足場となる木の根元にまで及び、キズナは慌てて飛び降りた。

 オオクニヌシは大地にも縁のある神。

 大地を操るのも造作ないことなのか。

 相手が使用した権能はいったい何か、考えていると集中力は自然と上がり、それに応じて瞳も色を変える。

 果たして、それが姿を現した。

 オオクニヌシは、特に権能を切り替えたわけではなかった。ただ、真打を登場させただけだ。

 地面が捲れ上がり、その下から黒い影が持ち上がる。

 影は二つ。一つ目は、漆黒の毛で全身を覆う巨大なネズミ。全高五メートルはあるだろう。二つ目は頭から尾の先まで三〇メートル近い大きな蛇だ。

 ネズミはオオクニヌシというよりも、オオクニヌシと習合した大黒天の使いであり、蛇はオオクニヌシの分身とも言うべき動物だ。

「私の自慢の配下ですよ」

 自慢げに、オオクニヌシは隣のネズミの首元をなでた。

 大きなネズミというのは、なかなかお目にかからない。蛇はよく見る。神話には数多くの蛇、あるいは竜がいて、神々と竜との関わりが一つの世界観を形成している場合もあるのだ。だから、巨大な蛇は見慣れている。

 しかし、もともとネズミにいい印象を持っていない上に、そのネズミが見上げるほどでかくなるとなったら、抵抗感を覚えてしまう。

「まったく、気味の悪い……」

 どこぞの電気ネズミほどの可愛げがあればまた別なのだが、それを神獣クラスの怪物に求めても仕方ない。

 ネズミも蛇もともに大地の象徴。

 オオクニヌシが神獣として召喚するのに、これほど相応しい生物も他にいるまい。

 闇色のネズミが、巨体に似合わぬ素早さでキズナに向かって走る。低い姿勢で加速する様は、陸上の短距離選手のようでもある。その後ろから、蛇が身体をくねらせて追随する。

「神獣は、あなただけじゃないの」

 キズナに噛み付こうとするネズミを、側面から体当たりで弾き飛ばしたのは、二頭の狛犬だった。

 苗名滝で捕らえ、配下に加えた二頭だ。

 森の木々をへし折りながら、巨大な生物たちが死闘を演じ始めた。

 しかし、蛇がまだ残っている。ネズミの背後にいた蛇の進路を遮る物は何もない。

 大きな身体で悠々と進み、鎌首を擡げる。

「遅い」

 キズナは呟き、蛇の頭を見上げた。

 いつの間にか、人影が蛇の頭に乗っている。

 その人影は、長い刀を抜き放ち、切先を真下へ向ける。

 刀身の半ばまで突き刺さり、蛇は標的を狙うことを忘れてのた打ち回った。振り落とされる前に、刀を抜き、人影は飛び降りる。

「主がピンチの時は真っ先に駆けつけてよ」

「無茶言うな。三〇〇キロは離れている」

 龍巳が刀を肩に担いでキズナの隣にやって来た。

 龍巳はキズナの神獣扱い。召喚しようと思えば距離に関わりなく呼び出すことができる。逆に言えば、キズナが呼ばない限りは、龍巳のほうから主の下に駆けつけることはできないのだ。

 それを分かっていながら無茶を言うのは、単に駆けつけて欲しいという願望の現われでしかない。

 その身の内から溢れる呪力はもはや彼だけのものではない。キズナの力が多分に混入している。今の龍巳ならば、神獣を相手取って正面から戦うことも不可能ではない。

「あれか」

 龍巳は、弥生人のような格好の男に目を向ける。

「オオクニヌシ」

 あまりにもメジャーな神格に、龍巳は驚いた。

「大した大物だな。それに、『まつろわぬ神』は、久しぶりじゃないのか」

「まともに戦うのは二年ぶりね。権能簒奪できれば、四年ぶりの快挙だよ」

 キズナが『まつろわぬ神』と戦う機会は多くなかった。キズナ自身が、身を隠す方針でいた事と、それができる権能を持っていたことが要因だ。

 結果、キズナは今生においてまだ一柱しか倒していなかった。

「ま、いいか。倒すなら倒すでさっさとやろう」

 龍巳は提案し、刃を蛇に向ける。

「怖かったりする?」

「当然。怖くて仕方ないぞ」

 何一つ気負うこともなく、恥じることもなく、さも当然のように言った。

「家屋よりもでかい蛇なんぞ、恐ろしくないわけがないだろう。だから、さっさと終わらせようと言っているんだ」

 逃げたり、戦わないという選択肢はこの男にはないらしい。

 昔と何一つ代わらない。キズナは、龍巳が呪術の心得もないくせに、お役目だからと一人鬼に向かっていった時の事を思い出した。

 あの時は、生まれて初めて冷や汗をかいたのだった。

「まったく、もう」

 龍巳が蛇に向かう以上は、蛇の事は意識から外しても問題ないだろう。

 龍巳の言うとおり、オオクニヌシを手早く片付ける事が重要なのは変わりない。

 蛇が龍巳に襲い掛かり、龍巳は白刃を煌かせてこれを迎撃する。

 脳天に刃を突き刺した相手を、己の敵と見定めているようで、執拗に龍巳に牙を向けている。

 ネズミはネズミで、しぶとく狛犬と戦っている。尻尾が以外に強いようで、打たれた狛犬が宙を舞っている。

「そろそろ、決着をつけよう」

「なるほど、大将同士の一騎打ちというわけですか。よい趣向だと思いますよ」

「そういうの、嫌いだって」

「なら、私が貴女の首を落とすまで」

 と、と軽い音で、オオクニヌシはキズナの眼前に歩を進める。雷気を纏った両刃の刃を振りかざし、キズナの首を取りにかかる。

「せい!」

 尾の速度が、オオクニヌシの剣に勝った。

 刃を受け止め、鞭となってオオクニヌシを襲う。

 黄金の尾の一撃は、大地を大きく抉るほどのものだ。直撃は、避けなければならない。必然、オオクニヌシは尾を防ぐために剣を振るい、身を翻す。それは実に見事な手並みで、戦の当事者でなければ見入っていただろう。

 しかし、キズナはこの剣舞を打ち砕くために尾を振るう。

 速く、鋭く、激しく尾を撓らせては振るい、先端を窄めて突き出した。

「む、く。これは……」

 苛烈な攻めに、オオクニヌシがたたらを踏んで後退する。その隙を見逃さないキズナは、即座に追撃をする――――ものと思っていたオオクニヌシは、予想を裏切られた事で思考を僅かに停滞させた。

 それが、大きな隙となった。

「近いほうがよく当たるのよ」

 黄金の尾を消して、虹弓に番える一矢。

 オオクニヌシの思考の間隙を突いて用意されたこの一矢は、放たれるとほぼ同時にオオクニヌシの胸板に直撃した。

「ぐ、おおおおおおおおおおおッ!」

 強烈な一撃に、堪えきれずに苦悶の声を漏らして吹き飛んでいくオオクニヌシ。キズナの矢は、オオクニヌシの身体に突き立ったまま、爆発し雲散霧消する。衝撃は、当然オオクニヌシの全身を強かに打ち、肉体は大きく損傷した。

「が、ぐうお」

 それでも、オオクニヌシは生きていた。

 胸を大きく抉られ、多量の血を流しながらも、戦意は衰えていない。最後の爆発は、体内の呪力を高めた事で、逸らしていたらしい。

 《蛇》の属性を持つからか、その生命力には目を見張るものがある。

「なる、ほど。大したものではないか」

 血を吐きながらもオオクニヌシは立ち上がり、剣の切先をキズナに向ける。

「煌く雷光よあれ! 私の敵を殲滅せよ!」

 弱った身体からは想像もできないしっかりとした聖句を唱え、大呪力を雷撃に変換して解き放つ。

 キズナの追撃に先んじて、攻撃しておこうとするならば、最も速い攻撃であるべきだ。使い魔を呼ぶのではなく、雷撃を選んだのはそういう理由からだった。

 ところが、この雷撃は、地面を焼きながらキズナに向かい、その途中から進路を上空に変えて弓なりにあらぬ方向へ流れていった。

「何!?」

 何か、別の力が雷撃に干渉したのは確かだった。

 そして、その力は雷撃を逸らした後も、健在。

 暗き闇よりも尚暗い。この世の深遠の底を覗き見ているかのような錯覚すらも覚える。空に浮かぶ、ハンドボール大の黒い球体。

 強大な呪力で構成されたそれは、まるで空間に開いた穴。

 そして、そこから伸びる見えない魔手がオオクニヌシの身体を捕らえた。

「こ、これは……ッ!?」

 引き寄せられる。身体が空の穴に引っ張られているのだ。懸命に呪力を練り上げて、この吸引力に対抗するも、オオクニヌシはすでに弱りきっている状態。重傷を負った直後に、力を振り絞っての雷撃で、咄嗟に搾り出せる呪力には限りがあった。

 

 

 キズナにとって、この権能は実戦で初めて使うものだった。

 どのような効果なのかは勘でわかるので問題はなかったが、目で見るのと頭で思い描くのとは印象が違っている事もしばしばだ。

「偽りの創世記をもって、わたしはここに創造を為す。潰れて落ちろ、オオクニヌシ!」

 空に浮かぶ重力の星は、キズナの呪力によって力を増していく。

 四年前に討伐した西洋の創造神ヤルダバオートから簒奪した重力制御の権能だ。

 ヤルダバオートはキリスト教のグノーシス派に語られる世界と人類の創造主=デミウルゴスの一柱であり、ユダヤ教のヤハウェと同一の神格だ。

 グノーシス主義では、この世は偽りの神(ヤルダバオート)がイデアに憧れて造り出した物であり、そのために不完全で悪に満ちたものになったという世界観となっている。

 重力の底に落ちていく瓦礫の山。炭化した木々、キズナとオオクニヌシの使い魔たち。それだけに留まらず、ついには地面がひび割れて捲れあがる。

「や、やばッ」

 キズナは慌てて狛犬を送還し、龍巳に声をかけた。

「ミスったーー! 博雅、何かに捕まって!」

 ミス? といかにも不穏な言葉に振り返ってみれば、世界の終わりを見せ付けられているような光景が広がっているではないか。

「何? って、うおあ!?」

 重力が力を増していく中で、あらゆる物が吸い込まれだした。大気が唸りをあげて一点に吸い寄せられている。

 龍巳は近くの大木に刀を突き立て、吸い寄せられる身体を地面に繋ぎとめようとする。

 蛇もネズミも、なす術なく吸い上げられて奇怪な音を立てながら重力の底に引きずりこまれていった。

「お、おい。これ何とかしろ!」

「もうちょっと待って。後ちょっとしたら掌握できるはず!」

「ちょっとってどれくらいだ!」

「分かんないけど、ちょっと!」

 もともと、オオクニヌシの力で変わった地形が、さらに変わろうとしている。

 木々が引っこ抜かれて空に落ちていく。地面もそれに続く。分厚い岩盤が轟音とともに空を飛ぶ様は、もはや映画の世界だ。

 キズナは念を送り、加減しろ、加減しろと重力に命令を出し続ける。吸い上げるのはオオクニヌシだけだと狙いを絞らせようとしているのだ。

 そのオオクニヌシは、大地の神としての本領を発揮していた。

 地面に仰臥する体勢でしがみつき、呪力によって大地ごとより地中深い部分に固定化しているのだ。これによって、オオクニヌシの周囲だけは、地面が引き剥がされないでいた。

 キズナは必死に呪力を操り、重力場の制御に当たる。 

 初めて使う権能が、想像以上にじゃじゃ馬だった。だが、それもここまで。懸命な努力の結果、かちり、とパズルのピースが嵌った。

 手綱さえ握ってしまえば、後はこちらのもの。

「よし、上手くいった」 

 キズナの意思にやっと応えてくれた。

 重力場は力を失い、徐々に消えていく。

 龍巳も引き寄せられる力が消えたことで、地に足をつけて一息ついた。

「とんでもない力だったな」

 景観ががらりと変わっていた。

 山の形がおかしなことになっている。さっきまでは緑溢れる山だったはずなのに、今では、木々が尽く引き抜かれ、瓦礫が点在するだけの更地と化していた。

「いやはや、凄まじい。今のが貴女の切り札ですか。さすがに、肝を冷やしましたよ」

 オオクニヌシは、血に濡れた身体のまま、なんとか立ち上がっていた。

 ヤルダバオートの重力場に耐え切ったのは、見事という他ない。

「地に足つけた《蛇》はこれだから面倒なんだ」

 キズナは呆れを込めて言った。

 生命を象徴する《蛇》の属性は、そう易々と死ぬ事がない。

 面倒くさい事この上ない。

「でも、今のあなたは弱りすぎている。攻撃が終わってもいないのに、終わったと思っているくらい、危機察知能力が衰えているからね」

 その瞬間、上空で空間が大きく捻れた。

「な……!?」

 さすがのオオクニヌシも、言葉を発することができなかった。

 空に現れたのは、直径五〇メートルはあろうかという巨大な岩塊。ところどころに木々の緑も見える。

「創世神の力。ただ、重力で吸い込むだけだと思ったら大間違い」

 重力で吸い込んだ物を圧縮し押し固め、一つの塊とする。

 それは、まさに星を造る作業の再現だった。

「バカな! こんなことが!」

 巨大質量に押し出された大気が暴風を撒き散らす中で、オオクニヌシの声はキズナの下には届かない。

 人間大の相手に落とすには過大な質量が、一片の容赦もなくオオクニヌシの上に圧し掛かった。

 

 

 

 □

 

 

 

 クレーターに蓋をするように、半ばまで埋まった隕石。

 遠くから見れば、山に瘤ができているように見えるだろう。

 人里で使える類の権能ではない。この戦い方は、周囲を破壊することが前提になってしまう。別の使い方を模索していかなければならないな、とキズナは権能の扱いについて、今後の課題を見つけた。

「ふいー」

 呪力も体力も大分消耗した。

 『まつろわぬ神』がいなくなったことで、心身の絶好調さが消えている。今は、戦いに勝利した後の高揚感とも思える余熱が胸の鼓動を高鳴らせていた。

「と……」

 力を使いすぎた反動で、足腰が覚束ない。

 ふらついたところを優しく受け止めるのは、傍にいた龍巳だった。

「怪我は?」

「多少。まあ、すぐ治る程度」

「そうか。それは、なにより」

 龍巳の見立てでも、大きな怪我はないようで、疲労によってふらついているだけのようだ。距離をとって戦うようにしているキズナは、戦場での怪我も比較的少ない。もちろん、それはカンピオーネというくくりで見た場合だ。見るからに重傷だという時ももちろんある。今回は、割りと上手く戦いが運んだようで、龍巳は安堵した。

 まさに、その瞬間だった。

「あ、ぶない!」

 キズナが、龍巳を押し倒した。

 龍巳は、何がなんだか分からないままに尻餅をついた。

 キズナが龍巳の上に乗る形となり、龍巳の頭上を何かが擦過していった。

 その物体は、すぐ背後の木にぶつかって地に落ちた。

「マムシか」

 それは、歳経た一匹のマムシであった。木にぶつかった事で、首を折ったのかピクリとも動かない。その身体から、呪力が煙のように湧き出し、たゆたう。

「まさか、オオクニヌシ。御身なのですか?」 

 呪力の質は間違いなく、オオクニヌシのそれ。

 問いを投げかける龍巳に、オオクニヌシの御霊は揺れ動き、答えた。

「如何にも。……よもや神王たるこの私が、敗北の憂き目にあおうとは。世の中ままならぬもの」

「どうやって、わたしの攻撃から逃れたの? 確かに、あなたの身体を押しつぶした感覚があったんだけど」

 キズナは、相手が言葉を発することができると知って、問うた。

「できることなら、この力は使いたくなかったのですが、神殺しに敗れた挙句、権能の簒奪を許すなどもっての外。苦渋の決断でしたが、自害することとしました」

「なんだって!?」

 驚きの声を上げたのは、龍巳。

 『まつろわぬ神』が自ら命を絶つなど、聞いたことがない。それに、自害したといっても目の前に霊体とはいえ存在しているではないか。その矛盾は如何なるからくりが可能とするのか。

「そう、そういうこと」

 そして、キズナは納得した様子。龍巳は、どういうことだと尋ねた。

「オオクニヌシは、国譲りの伝承を利用したの。国譲りの際に高天原の使者にオオクニヌシが出した条件は、大きな宮殿を建てる事。そして、この世を去る代わりに、幽界の主になった。つまり、自分の命を絶ち、この世を去る事で、逆に自分の存在に永遠性を与えたの」

 その故事に倣うなら、キズナの攻撃から逃れるためにあえて自分の命を絶ち、霊的存在になって攻撃を無力化したというところだろう。

「その力、リスクも大きいみたいね」

 キズナの言うとおり、この故事はこの世を去ることを前提としたものだ。つまり、発動後は肉体を失い霊的存在となった後、幽界に行くことになる。そして、一度幽界に旅立ったら、もう戻ってこられない。

 『まつろわぬオオクニヌシ』としては、これが最後となろう。

「その通りです。幽界に旅立つ前に、せめて一矢報いたかったのですがね」

 それで、蛇に宿って噛み付こうとしたわけだ。

 本当にささやかな反撃だった。

「まあ、それはそれでよし。そろそろ向こうに行かねばなりません。最後に、貴女の名を聞かせていただきたい。貴女は私を知っているが、私は貴女を知らない」

「……月沢キズナ」

 しばしの逡巡の後、キズナは名乗った。

「月沢キズナ。良い名ですね。……私を倒した者の名、しかと胸に刻んでおきますよ。それでは、また。縁があったら会いましょう」

 最後の声は茫洋としてとらえどころがなく、目の前から聞こえているはずなのに、背後から聞こえるようでもあった。そして、煙の如き呪力が霧散し、声が聞こえなくなって初めて、この戦いが終わったことを実感した。

「行ったのか?」

「うん。今度こそ、終わったよ」

 キズナは油断なく周囲を見回してから、敵がいないのを確認して龍巳の胸に額を押し付けた。

「はあー。また、権能とれんかった」

「そんなこともあるだろう」

「そんなことばっかだから困るの」

 命がけで戦って、結果として残ったのは大規模な環境破壊。やるせない気持ちになるのは致し方ない。

「……寝る」

「おい」

「笛、持ってきてる?」

「笛? ああ、当然だ」

 龍巳は頷いて、肌身離さず持ち歩く竜笛を取り出して見せた。

「吹いて」

「寝るんだろ」

「聴きながら、寝る」

「それは、また器用なことだ」

 龍巳が止める間もなく、キズナは瞼を閉じた。龍巳に身体を預けたままだ。

「やれやれだな……」

 正史編纂委員会がこの地に現れる前に退散したいところだが、これはこれで仕方ない。なるようになるさと思えるようになったのは、キズナに振り回されてきたおかげだろうか。

 龍巳は、竜笛を口元に運び、ゆっくりと吹き始めた。

 オオクニヌシの権能が消え、力を失った雷雲が風に乗って流れていく。

 雲の切れ間から差した月光が、龍巳とキズナを照らし出していた。


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