極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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六十一話

 怨霊神とはいえ、情け容赦なく力を振り撒く災害ではない。

 彼には人格があり、誇り高く皇として振る舞っている。仇敵である神殺しを撤退に追いやったのは、紛れもない戦勝であり、統治者である以上は家臣を労い、戦勝の宴を催すのも義務であろう。

 こうした考え方は、自然を神格化した神々とは異なり、人間の社会秩序の延長、あるいは規模を拡大したものとして現実化する。怨霊神の根底にあるのが、統治者として『我』であるからには、統治するべき民や従えるべき臣が必要である。

 そして、皇の国は着実に完成に近付いている。

 民は土地に集う怨霊と今を生きる人間たち。京都は魔都と化したために、生者にとっては汚水の中で暮らすに等しいが、健康被害が生じるようなことはない。怨霊神の権能に呑まれた人々は、生気の抜けた表情で日常を謳歌する。人間的な楽しみはなく、怨霊たちに奉仕するだけの存在となった。それは、怨霊神が生者を憎むがゆえであろうか。

 神殺しとの戦いで更地となった土地に権能で設けた「城」は、外観こそ京都御所を模しているものの、本質的には地獄そのものであった。

 内部の空間は歪み、空気は瘴気に汚染されている。まるで濃縮された汚濁の中であるかのようだ。

 しかし、それも住む者によって評価は変わる。

 大天狗、大魔縁など様々な呼称で恐れられる怨霊神にとっては日の下に比べればずいぶんと過ごしやすい。怨霊たちで賑わう仮初の「御所」で、盛大に開かれた宴は実体化を果たした嘗ての家臣たちや後に怨霊と恐れられた御霊が召喚されて一際豪奢なものとなった。

 皇に侍るのは無論随一の戦士である源為朝。

 大鎧を脱ぎ、正装にて崇徳院の勝利を大いに喜んだ。

「のう、為朝。そなたも一句詠んではどうだ?」

「ご冗談を。私は、生来の無作法者でして、陛下のお耳汚しとなりましょう」

 と、崇徳院の誘いをやんわりと為朝は断った。

 彼本人としても、主の誘いを断るのは実に心苦しい。しかし、源為朝という人物は史実からして学芸とは無縁の人生を送ってきたのである。もちろん、詩歌を吟じたことがないわけではないが、歌人としてならした崇徳院を前にしては恐縮するほかない。

「ふむ、そうか。まあ、無理強いはするまい。そなたの本分は弓取りであるからな。ところで、悪左府の姿が見えぬが如何した?」

「は、詳しくは分かりかねます。現界しているのは確かですが……」

 主君の戦勝の宴を欠席するとは不敬千万と、為朝は憤るが崇徳院はさも愉快そうに頬を綻ばす。

 彼の秩序に従う限りは怨霊たちの好きにさせている崇徳院であるが、その気になれば自由意志を奪い使役することも可能である。その関係上、彼の配下の動きは手に取るように分かる。悪左府と呼ばれた臣下はどうやら京を出たらしい。

「あやつめ。どうやら先走ったようだぞ、為朝」

「は、まさか」

「くくく、いやぁ。どのような動きを見せてくれるか、楽しみではないか」

 崇徳院は脇息に体重を預けて笑う。

 独断専行は処罰するべきではあるが、それが忠義からなる行動でかつ成果をもたらせば叱責程度で納めてやろう。無論、失敗すれば馬謖の故事を実践しなければならなくなるが、実際に今の神殺し二人は消耗している。勝ちを拾う可能性は零ではない。

 

 

 

 □

 

 

 

 時はしばし遡る。

 『鳳』の化身の副作用から立ち直った護堂は、手持ち無沙汰な時間を過ごしていた。

 正直に言えば、今すぐにでも京都に向かい、エリカとリリアナの救出に当たりたい。自分の仲間に手出しをした『まつろわぬ神』に対して、かつてない怒りを感じている。

 しかし、草薙護堂という男は、彼我の実力差というものを正しく理解しているし、真正面からこのまま挑んだとしても、エリカとリリアナを取り戻せる保証がない。

 ロスの魔王がかつて戦ったまつろわぬアルテミスが引き起こした事件が示しているように、『まつろわぬ神』がこの世に残す呪詛は、『まつろわぬ神』そのものが消滅した後にも残ることがある。仮にまつろわぬ崇徳院の呪詛がこの世に残る類であった場合、徒に崇徳院を滅ぼしてエリカとリリアナがそのまま護堂を憎み続けるということも考えられるのである。

 祐理からも窘められた。

 不用意な行動は、状況を悪くするだけだと。

 戦力を整え、然るべき準備をしてから挑まなければならないと。

 護堂は運び込まれた部屋で『鳳』の硬直が解けた後から一度も室外に出ていない。外に出れば、やはり京都が気になってしまうから、自重しているのである。

 エリカとリリアナが自分に就いてきたせいで敵に囚われたのは、偏に護堂自身が不甲斐ないからである。もとより覚悟はいていたつもりであるが、同時にそんな状況には陥らないだろうという油断もあった。エリカたちへの甘えがあったのは疑いようのない事実で、それを否定するつもりはない。

 ではどうするか。

 もちろん、エリカとリリアナを救出し、崇徳院を倒す。

 それ以外に護堂の取るべき選択肢はない。それが、護堂の責任であると自覚している。

 元来スポーツマンである護堂にとって、問題は動いて解決するものであった。足を動かし、身体に刺激を与えることで、頭が冴える。こうして部屋に閉じこもっているのは、彼にとっては苦痛、とはいかないまでも落ち着かない。特に目的がはっきりしているのに、すぐに動けないのはそわそわとしてしまう。昔、京都を旅行したときに座禅を体験したが、そのときも身体に合わないと思ったものだ。

 じっとしていられない性質というのを、護堂は苦笑しつつ再認識した。

 

 

 秋も終わりに近いというのに、妙に蒸すその日を、日本の人々は後世まで記憶に留めることとなるだろう。

 前日に京都で発生した大災害は、表向きは京都市を包む有毒ガスの発生という形で報道されている。京都市のみならず、その周囲にまで避難命令が出され、歴史上で初めて、京都市近辺から完全に人気が絶えてしまった。もちろん、報道関係者には正史編纂委員会の人間が紛れ込み、記憶や認識を操作して事実を隠蔽し、果敢に危険地域に飛び込もうとするジャーナリストに目を配っていた。

 この災厄の日が、これから日本各地で頻発する可能性を、正史編纂委員会は危惧している。

 護堂とキズナが敗れれば、自ずとそういう未来が訪れるのである。

 結果がどのような形で出るにしろ、京都市は向こう数年は災厄の爪痕を残す。人間にできることは、復興に力を注ぐことだけで、事態の解決にはカンピオーネの出動を待つしかない。

 こうした状況を、護堂は静かに聞いた。

 冬馬の淡々とした説明には、一切の私情が排除されており、護堂に決断のすべてが任された。

 彼に上がどのような命令を下したのかは定かではない。

 しかし、冬馬は決して護堂に戦いを願うこともなく、ただ今の段階でこのような問題が発生しているという事実のみを伝えていた。

 護堂が戦いから逃げることがないと確信していたのもあるだろうし、護堂自身が自分の意思で戦いを決意するプロセスこそが、カンピオーネの戦いにとって必要不可欠であると半年の付き合いの中で学んだ結果なのかもしれない。

 カンピオーネの戦いは、最後は根性だ。

 体育会系の護堂の専売特許。経験や権能の数では劣っていても、これに関しては誰にも負けない自負がある。

「崇徳院でしたか。日本史で名前は出たことがありましたけど」

「そうでしょう。日本の中世史を語る上では欠くことのできない方ですからね。まあ、扱いは小さいと思いますが」

 平安時代末期に勃発した保元の乱は、朝廷の中で燻っていた様々な火種が一気に噴き出し、天皇と上皇としてそれぞれに就く摂関家と武士たちの間で大規模な内紛に発展したものであった。戦いそのものは、長期戦にはならず、敗北した崇徳上皇方は勝利した後白河天皇が下した厳しい処罰を受けることとなった。

 特に武士に対しては当時三百年余に渡って行われることのなかった死刑を適用したことで人々に衝撃を与えており、朝廷の揉め事を武士の力で解決する世の中の到来を告げるものであった。

 この乱をきっかけとして摂関家は凋落し、時をおかずして起こる平治の乱以降、平家の台頭が加速し、ついに貴族による政治は武士の力に乗っ取られてしまうこととなる。

 まさしく、日本史の転換点となった戦いと言ってもいいだろう。

 そして、この乱は同時に日本史上最大の怨霊を誕生させるものでもあった。配流先の讃岐で、天下滅亡の呪詛と共に生きながらにして天狗と化した崇徳上皇は、後々にまで恐れられる存在となってしまったのである。

「恨みを抱いて死ぬと怨霊になるって話は、よく聞きますけど、呪術の世界で言うとどうなんですか?」

 科学的にはありえない。

 しかし、護堂が身を浸しているのは科学では説明のできない呪術という裏の世界だ。

「困ったことに幽霊というのは確かに存在するんですよね。残留思念だとか、いろいろと解釈はありますけど」

「そうなんですか?」

「ええ、馨さんのお屋敷とか、よく出ますよ。ですよね、祐理さん」

 突然話を振られて、座布団の上に行儀よく正座をしていた祐理は一瞬、言葉を詰まらせた。

 馨の屋敷のことを振られても、と思ったが馨の屋敷のある部屋に、収集癖のある歴代当主の霊が度々姿を現すことを思い出した頷いた。

「そういえば、そうだったと思います。けれど、本来人の霊はそれほど強い力を持ちません。どれだけ強い怨霊であっても、人の健康を害するのが精一杯だと思います」

「その程度なのか」

「はい」

 祐理は巫女で、霊視力も非常に強い。今は『まつろわぬ神』の素性を解き明かすのに主として力を注いでいるが、護堂が現れる前までは、そうした幽霊退治などにも力を振るったことが何度かあった。

 そうして怨霊の呪術的見解を示した後で、冬馬は得意の薀蓄を披露し始めた。

「『まつろわぬ神』としての怨霊と、人々が信仰する怨霊――――御霊は区別する必要がありますね。『まつろわぬ神』の下地となるのは確かに御霊信仰ですが」

「御霊?」

「はい、御霊。要するに祀られた怨霊のことです。日本人は、怨霊をやっつけてしまおうとはしないんですよ。畏れ敬って、神社なり何なりに祀り、怒りを静めてもらおうとするわけです」

「はあ、なるほど」

「もちろん、はじめからそうではないんです。例えば崇徳上皇は死後もしばらくは罪人として扱われていました。恐ろしい姿に変貌し恨みを残して亡くなられたことは宮中にも伝わったはずですが、それでも即座に怨霊とはならなかったのです。崇徳上皇が御霊となるのは、死後およそ二十年を待つ必要がありました」

「そんなに、ですか?」

「怨霊というのは、怨霊となる人間に意思によらず、怨霊を認識する生きている人間によって成立しますからねェ。勝者の敗者に対する罪の意識が、怨霊を生み出す下地となります。崇徳院の怨霊を神霊として祀ろうと言い出したのは、藤原教長という人物ですが、この案を後白河院は受け入れました。崇徳上皇の「崇徳」という諡号はそのときに贈られたもので、それ以前は便宜的に「讃岐院」と呼ばれていたのが改められた形となります。これは、かなり大きなことです」

 大きいと言われても、護堂には何がなんだかさっぱり分からない。

 護堂が疑問を呈する前に冬馬は理由を説明してくれた。

「諡号というのはですね、天皇を称えたものでして追号とはまた別物なのです。追号は歴史上多々ありますが、諡号となると数は一気に少なくなります。最近では孝明天皇の「孝明」が諡号となりますが、明治以降諡号が贈られた例はありません。平安期を見ても、希というべきです。つまり諡号を贈るというのは、それだけ崇徳院の怨霊を後白河院が恐れていたことを意味します」

 こうした崇徳院の鎮魂を必要としたのは当時の社会不安と後白河院の周辺で生じた怪異が背景にあった。

 崇徳院の怨霊が真剣に議論されるようになったのは安元三年(一一七七年)五月ごろと見られる。この年の四月に、京は大火に呑まれ、三分の一が焼失して死者は千人を上回った。朝廷も大極殿や八省院が灰燼に帰すなど大打撃を被った。後に「太郎焼亡」と呼ばれ、翌年発生する「次郎焼亡」と共に語られることとなる災厄だが、『源平盛衰記』によれば、この大火の原因は愛宕山の天狗であるとし『太平記』では愛宕山の天狗を崇徳院としているなど、京を襲った大火と崇徳院は密接に繋がっている。

 そして、そうした文学が成立する背景にあった崇徳院と大火との繋がりを明確にしたのは崇徳院に恨まれていると自覚する後白河院であった。

 醍醐天皇を死に追いやった菅原道真の前例が頭を過ぎったかもしれない。また、太郎焼亡の同年六月、ついに「鹿ケ谷の陰謀」によって平清盛と後白河院の関係は決定的になってしまう。この数年の間に後白河院の近臣に不慮の死が相次いでいたこともあって、精神的に追い詰められていた後白河院は、自らの政治的正当性を危険に晒してでも、追いやった崇徳院の名誉を回復する手続きを主導していくこととなる。

 崇徳院の鎮魂は、早良親王に「祟道」という追号を贈った前例を参照して進められたという。

 これ以降、戦に敗れて都落ちした天皇には「徳」の字が贈られることとなる。

 源平合戦で海中に没した安徳天皇。承久の乱で敗れた順徳天皇や顕徳院(後鳥羽天皇)、南北朝期に吉野で崩御した後醍醐天皇にも元徳院という異称がある。

「怨霊が怨霊を生み出す――――崇徳院の後、怨霊はますます強く意識されます。後鳥羽天皇などは、生前から崇徳院のような怨霊にはならないと自ら誓っておられたにも拘らず、後に起こった様々な怪異災厄と結び付けられて怨霊化して御霊となりますし、後醍醐天皇の崩御に対して北朝方は怨霊化を防ぐためかすぐに鎮魂に乗り出します。敗れた天皇が怨霊となることを、勝者は常に恐れていました」

「そういえば、あのまつろわぬ崇徳院は南北朝のころに顕現したらしいですね」

「そうですね。具体的には分かりませんが、あの乱にまつろわぬ崇徳院の力が何かしらの形で関わっていた可能性は大きいと思いますよ。この国の歴史的災厄の前後三、四年は崇徳院の式年祭と重なっていたことも影響して、幕末まで明確に恐れられていましたから、日本最大の怨霊と言っても過言ではないでしょうね」

「式年祭?」

「一定期間ごとに行われる祭祀のことです。例えば崇徳院の式年祭と災厄の関わりを見ますと、二十年式年祭の翌年に壇ノ浦の戦い、百年式年祭の四年後に元が使者を送ってきて、二百年式年祭は南北朝の動乱期、三百年式年祭の三年後には応仁の乱が勃発して京都が焼け野原になり、四百年式年祭の翌年に足利義輝が松永久秀に殺されるという大事件が起きます。室町幕府崩壊の序章ですね。で、五百年式年祭の三年前の万治四年一月十五日京都で火災が発生して、御所や公家の屋敷が燃えてしまいます。さらにその四日後、江戸では空に「光り物」が現れ昼のように明るくなったとのことです」

「光り物。彗星とかですか」

「かもしれませんしUFOかもしれません。どちらにしても、そういったものは不吉の象徴として扱われますからね。こうした災害を受けて四月に改元して元号は寛文となります。しかし、翌年の寛文二年には京都で大地震が発生して、御所にも被害が出たとのことです。そして、六百年式年祭の三年後には明和事件で幕府と朝廷の関係が悪化し、七百年式年祭、ついに幕末の動乱期に突入します。七百年式年祭は文久四年、一八六四年だったのですが、干支で言うと甲子(かっし)に当たります。この年は甲子革令なんて思想があるように変乱が生じる年と信じられていて、四年後の戊辰に至って王朝は滅びるとされました。ええ、幕末の戊辰と言えば、戊辰戦争。江戸幕府の崩壊と王政復古の流れに当時の人は崇徳院の怨霊の姿を見たのかもしれませんね」

「そう言われると、確かにすごいかもしれませんけど、結局こじつけじゃないですか?」

 得意げに話す冬馬には悪いが、単なる偶然で片付けてもいい気がする。確かに、百年おきに何かしらの事件が起きているようだが、それもこじつけようと思えばいくらでもこじつけられるものである。

「ええ、もちろんそうです」

 と、冬馬は悪びれもせずに言う。

「しかし、そのこじつけこそが怨霊を生み出した原因です。先ほども申しましたが、怨霊は生きている人間が身近な災厄と結び付けることで誕生します。こうしたこじつけが幕末にまで影響したのは確かでして、孝明天皇が崇徳院の御霊を京都に移し、白峰神宮で祀ろうとしたのも、こうした背景を受けてのことです。実際、中川宮朝彦親王は、世の中の動乱を崇徳院の怨霊のせいだと考えていたことが分かっていますしね」

 さらには崇徳院が呪詛したのが、天皇の血筋であったことも大きかったのであろう。

 天下を滅亡させるという明確な呪詛を残して崩御した。それが、当時にしてもかなり衝撃的だったに違いない。怨霊になるのは有力者だが、作るのもまた有力者だ。歴代の天皇に常に意識されていた崇徳院が、数百年に亘ってあらゆる災厄と結び付けられたのも至極当然というわけだ。

「そういえば、一番最初の式年祭はどうなったんですか」

「昭和のですか。まあ、世界大戦も終わってましたからね。それほど、大きな問題もなかったようですよ。東京オリンピックの年に行ったのですが、あったことといえば、当日の午前0時ごろに白峰御陵のある白峰山の麓の小学校が原因不明の火災で全焼したことと鎮火後に突然雷鳴が轟いたという怪異くらいですか。地元の人は祟りだと恐れる人もいたらしいですよ」

「一応、あるにはあったんですね……」

 昭和になっても、そのような事件が続いたとは。確かに、それまでの国家的大事件とは規模も影響も小さいが、こじつけられる災厄が起きているということが、迷信を深める一助となっているのは間違いない。

 最強の怨霊というのが、あらゆる災厄にこじつけられて語り継がれた末に誕生したものだというのがよく分かる。

 まつろわぬ崇徳院は言った。

『余は怨霊神。世人に斯くあれと願われたからこそ、この仕儀となったのだ』

 と。

 まさしく、その通り。

 『まつろわぬ神』を生み出すのは人間が語り継いできた物語であり、怨霊と崇徳院を結び付けてきたこの国の人々がいたからこそ、まつろわぬ崇徳院が誕生するに至ったのだ。

「不幸中の幸いと言っていいか分かりませんが、あのまつろわぬ崇徳院が降臨されたのは南北朝時代の前半ごろだそうです。現代に降臨されるよりは、権能の幅が小さいかもしれません」

「習合やこじつけが、昔のほうが少ないからですか。でもなぁ」

 それでも能力が多彩に過ぎる。

 『災厄』という概念そのものと言っても過言ではない怨霊神。その中でも最大最強と恐れられる大魔縁だ。その力の多彩さたるや護堂の十の化身に負けずとも劣らない。しかも、それを自由に使い分けることができるのだから、強くないわけがない。

 まいったな、と護堂が頭を掻いたまさにそのとき、邪悪な力の胎動を護堂たちは感じたのであった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 興福寺に迫っていたのはおどろおどろしい百騎ばかりの怨霊たちであった。

 どれも鎧姿で、眼窩は落ち窪みやせ衰え、死相を浮かべている。武器は主に弓矢と太刀、そして薙刀である。

 そうした怨霊の軍の中に、牛車があった。

「ふぅむ、やはりここが怪しいの」

 牛車の中で、ぎらぎらとした赤い目を輝かせる怨霊。悪左府――――藤原頼長である。保元の乱での敗死後、崇徳院と共に怨霊として祀られた御霊であり、崇徳院の怨霊を生み出す権能によって顕現した。力は『まつろわぬ神』に遠く及ばないが、それでも神霊に迫る程度の能力はある。

 興福寺。

 保元の乱では、ここに住す僧兵を頼みとして為朝の夜襲案を否定した。その結果逆に敵勢の襲撃を許し崇徳院方の敗北に繋がってしまった。

 同じ轍は踏まない。

 敵が逃れた場所を京都近辺の霊地のどこかであろうと推測し、該当箇所を虱潰しに当たった結果興福寺に逃げ込んだことが判明した。

 敵が主に牙を剥く前に仕留める。

 たとえ、主の考えに背くことになったとしても、世の正義のために武器を取るべきであるというのが頼長の考え方である。

「天に代って大罪人を誅すべし」

 決意の言葉は言霊となって怨霊たちを鼓舞する。

 呪いの気配は空気を殺し、実体を得るに至った怨霊たちは対霊結界を物ともせずに興福寺に攻め入ったのであった。

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