極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

63 / 67
六十二話

「ッ……!」

 怨霊の気配を感じ、護堂は総毛だった。

「草薙さん、ここに崇徳院の怨霊が向かっています!」

 祐理の直感が、興福寺に迫る危険を感じ取った。怨霊の殺意や恨みが、明確にこちらを意識しているのが読み取れる。

 どのような方法で突き止めたのかは分からないが、それでも敵に先手を打たれた形となった。

「奇妙ですね」

 冬馬が呟く。祐理は首を傾げた。

「奇妙?」

「はい。崇徳院は、月沢さんを逃がしたときに、次に敵対すれば許さないという趣旨を述べていたようですが、あちらから手を出すというのは奇妙に思います。前言を翻しているような気がするんですよね」

「月沢さんと草薙さんが別の扱いということもあると思いますけど……」

「そうですね。まあ、それもありますけど、あるいは配下の独断専行かもしれません」

「独断、ですか」

 なるほど、と祐理は納得した。

 話を聞く限り、崇徳院は誇り高い。自分の言葉を軽々しく翻したりはしないだろう。護堂との約束ではないといういいわけもできるだろうが、それも違和感がある。であれば、配下が勝手に動き出したという可能性が出てくるのであろう。

 しかし、この気配はどうだろうか。

 濃縮した呪力の塊。そこに内在する根源的な悪意。嫉妬、暴虐、殺意、失意、恨み、負の感情として挙げられる様々な感情が濃縮されているのが分かる。

 人は他者の悪意に曝されると、精神的に追い詰められるのだが、直接悪意に曝されているわけではない祐理ですら、過呼吸になりそうになる。

「とにかく、俺出てきます」

 敵が何者であれ、護堂でなければ戦えない相手だ。

 『まつろわぬ神』と相対したときの、闘争心の増加やコンディションの向上などは起きていない。攻めてきたのが、『まつろわぬ神』ではないという証拠である。

 護堂は、そう言い残して飛び出した。

 怨霊は、三条通から侵入していた。数は百ほどなので、敷地を埋め尽くすほどというわけではないが、一体一体が実体を持っており、単なる呪力の塊であったただの怨霊とは一線を画す存在だと理解できる。

 ぎらぎらと光る武器をすでに構えており、物理手段なので護堂を殺すこともできるだろう。

 とりわけ視線を引き付けるのは、怨霊たちの後ろに控える牛車であった。牛車を引くのは、半ば朽ちた一頭の牛である。百鬼夜行という言葉が脳裏を過ぎる。

「ほう、自ら出てくるか」

 声は牛車から聞こえてきた。

 深い渋みのある声であった。

「あんたは……」

「図が高いの、神殺しの少年。その歳で礼の一つも弁えぬか」

 護堂の問いを遮る誰か。怨霊、しかも顔も見せない者に礼儀をとやかく言われる筋合いはないと護堂は眉を顰める。

「少なくとも、俺はあんたを知らないし礼儀を尽くす相手とも思えないけどな」

「太政大臣たる私に、そのような口を利くか。理解し難い無知である。そなたの罪はさらに重くなったぞ」

「罪ってなんだ。俺は、あんたに罰せられるいわれはない」

「陛下に逆らった挙句私に対する暴言。天に唾するに等しい暴虐よ」

 ゆったりとした口調の中に、明確な怒りが込められているのを感じる。怨霊という存在が敵意の塊だからか、そうした感情を隠すことなく護堂に向けている。肌をジリジリと焼くような怨念に、護堂は生唾を飲む。

 とはいえ、大したことのない相手だと護堂は確信した。

「あんた、従属神とかいうのでもないただの怨霊なんだろ。それで、俺と戦うのか?」

 カンピオーネである護堂と対等に戦えるのは『まつろわぬ神』である崇徳院と彼に仕える従属神の源為朝および同盟神であるヤマタノオロチだけである。さすがに、それ以上の神格を降臨させるのはできなかったのかそれ以降に現れるのは低級の怨霊だけであった。もちろん、護堂の目の前にいる藤原頼長も崇徳院と並び怨霊として恐れられた人物で、怨霊神という形で『まつろわぬ神』になってもおかしくない人物である。が、それはそれ。『まつろわぬ神』の力は知名度ではなく自我に依存するもので、所詮はただの怨霊からワンランク程度上に上がっただけのこの頼長ではカンピオーネの相手は務まらない。

 問題となるのは、何の化身を使うかだが。

 『猪』を使おうにも住宅街のど真ん中、その他気軽に使える化身はない上に護堂の化身は一対一で力を発揮するのがほとんどだ。『白馬』くらいしかないのだろうか。切り札を丸一日喪失するのは、できれば避けたいがそうも言っていられない。

「口の減らぬ冠者めが。地獄の底にて、己が罪を詫びるがよい」

 怨霊たちが各々の武器を携えて護堂に迫る。

 この世のものではない凄まじい形相で、野獣のような雄叫びを上げる怨霊たちに、護堂は腹を決めて『白馬』を呼び出そうと呪力を高めたそのとき、唐突に地面から突き出た鉄杭が怨霊たちの前衛を串刺しに、中世の処刑ショーの如く怨霊たちを宙に貼り付けた。

 百騎の怨霊たちは、自軍に数倍する杭の森に飲み込まれて、無残な死体を曝す。牛車も巻き込まれないはずがなく、むしろ緩慢な動作を常とし、大きな的であった牛車は逃れることもできずに引き裂かれ、打ち壊されて原型も留めないほどに破壊されつくした。

「くお、ご……」

 壊れた牛車から転がり落ちたのは、束帯を身につけた貴族の男であった。ただし、顔の半分は黒い靄に覆われて見えない。杭の間にはまり込むように地面に落ち、呻きながら視線を怒らせた。

「藤原の氏長者がそれじゃあね」

 どこからともなく護堂の前に現れた金髪の魔王は黒いコートの裾をはためかせる。言葉にはこれといった感慨もなく、鬱陶しい羽虫を義務的に叩き落したかのような無関心さであった。

「お、のれ。大罪人如きが」

「勝手な判断で他人を裁くところは、伝承の通りね。でも、残念。あなた程度じゃ話にならないの」

 次に頼長が言葉を発する前に、その顔面を杭を打ち抜く。貫かれた怨霊たちは、実体を失いただの呪力に舞い戻る。放置すれば、またどこかで悪影響を及ぼすかもしれないが、キズナの杭はそれすらも許さない。大気中の呪力を喰らい、主に還元する魔性の牙は貫いた怨霊たちを内側から消化し純粋な呪力に還元してしまう。大気に満ちた怨念に汚染された呪力すらも例外ではなく、怨霊たちは言葉にならない呻き声を発しながら穂先に吸い込まれていった。

「あんた、大怪我してたって聞いたけど」

 護堂がキズナに声をかける。

 自分とは比べ物にならないくらいの重体で、明日をも知れぬ状態だったと聞いている。祐理たちはできることならばキズナと足並みを揃えるべきだと護堂を説いていたが、同時にキズナが戦線に復帰できないとなれば単独で強大な大魔縁に立ち向かわなければならないとも話していた。

 しかし、護堂が見る分にはキズナはそんな重篤な怪我を負ったとはとても思えないくらいに力が充溢している。

 命が助かったとしても、一生身体を動かせないかもしれないとまでされていた人間とは思えない。

「持ち直したわ。もう、大丈夫。心配かけたかな?」

「まあ、少しは」

「少しかよ」

「俺たちは簡単には死なないだろ。どうせ、何か適当な理由をつけて復活するとは思ってたよ」

「へえ、なるほど」

 キズナは淡々と護堂と話しつつ、常識に囚われず、これまでの経験から正しくキズナの容態を見極めていた護堂に感心する。

 護堂の言うとおり。

 葛の葉が命を繋いでくれたおかげで早期の戦線復帰が叶ったが、そうでなくても数日のうちに動けるようにはなっただろう。もっとも本調子にまで回復するには最低でも一月はかかるだろうし、崇徳院を相手にそこまで長期の潜伏はできないので、必然的に弱体化した状態で戦いを挑まなければならなかっただろう。前日に受けた重傷を一日で治癒して戦えるまでに戻ったのは、葛の葉の命懸けの献身がなければならなかった。

「月沢さん! お身体はもう大丈夫なんですか!?」

 そこに、祐理と恵那、そして冬馬が駆けつけてきた。

「はぁい、祐理。大丈夫大丈夫。この通りピンピンしてるよ」

 キズナは祐理に柔らかく手を振って、自分の健在さをアピールした。

 祐理は、キズナが嘘を言っているわけではないと読み取って、安堵の息を漏らした。それから、ふと辺りを見渡す。

「……葛の葉様は?」

「あー、あの人なら気にしないでいいよ」

「月沢さま?」

 ぞんざいなキズナの言葉に祐理は言葉にできない違和感を覚える。しかし、その違和感が具体化することはなかった。二人の間に何かあったことは窺えるが、そこに踏み込むのは野暮というものだ。

 キズナは吸血鬼の権能を解除して杭を消滅させる。見るからに圧迫感のあった光景が、瞬時に元通りの静謐な寺の姿を取り戻す。

「それで、草薙君。あなた、これからどうする?」

「そりゃ、今すぐにでもエリカたちを助けに行きたいさ」

 護堂は即答した。

 体調は万全で、戦えない理由がないからだ。普段、戦うことに躊躇して積極性を見せない護堂だが、一度理由を見つけると、呵責容赦なく戦う戦士の本能を持っていた。

 気に入らないから戦うというある種人間の根源的闘争心を持つ護堂は、仲間に手を出されたその時点で崇徳院とその一派に対して並々ならない怒りを抱いている。

 しかし、今にも繰り出そうという雰囲気の護堂を圧し留めたのは祐理と恵那であった。

「草薙さん。エリカさんたちを救い出すには、言霊の剣を用意する必要があると思うのですが」

「そうそう。手っ取り早く確実にするにはそれしかないよ」

 二人に言われて、護堂は確かにと思い、さらにキズナは眉を顰める。

「草薙君。まだ言霊の準備ができてないの?」

「まだって。突然襲撃されて、準備してる余裕もなかったんですよ」

 護堂は頭を掻いて言い訳する。

 『戦士』の化身の発動条件を満たすためには、斬り裂くべき神格の知識を必要とする。そのための教授の術は、長続きしないので、予防的にかけておくのは難しい。その性質上、突発的な戦闘では『戦士』の化身が使えないことも多く、今回の敗戦もそれに起因していると言ってもよかった。

「じゃあ、早く準備しちゃって」

「いや、はあ……」

 キズナにあっけらかんと言われて、護堂は返答に困る。

 キズナが事情に詳しくないのだから仕方がないのだが、改めて赤の他人に言われるのは気恥ずかしい。この場合頼るのは祐理と恵那になるわけだが、彼女たちも頬を赤らめてそっぽを向く。

「?」

 その微妙な変化にキズナは言い知れない不快感を覚える。

 理由も分からずいらいらするのは、護堂たちの反応が問題だからだ。甘ったるい空気を出しながら、恋人なのか友人なのかはっきりしろよと怒鳴りたくなるような関係を、他人に見せ付ける。それも無自覚にだ。それが、キズナを苛立たせる。別に多くの女性と関係を持つことを問題視するわけではない。キズナの感性もまた中世的である。赤の他人の恋愛相手が男だろうが女だろうが、そこに愛があれば苦言を呈することもない。しかし、見せ付けるものではないし、初々しい感じを醸し出すものでもないはずだ。これは、思わず手が滑って虹矢をぶち込まれても仕方がないのではないか。

「では、月沢さんはこちらへ」

「はい?」

「草薙さんの準備が終わるまで、そう時間もかかりませんがこの時間を使って京の現状をお伝えしようと思います」

 冬馬が機転を聞かせてキズナを別の場所に誘導しようとする。これ幸いと、恵那が護堂の手を引いて建物の中に連れ込み、祐理が慌ててその後を追う。

 声をかけるまでもなくそそくさと消えていく背中に好奇心がそそられたが、冬馬の提案も確かに捨てがたく、龍巳の安全をどう確保し彼を取り戻すのかということを考える上で京都市の現状は確かに必要な情報なので、そちらを優先することとした。

 

 

 

 □

 

 

 

 護堂の準備とやらは五分とかからず、キズナも今分かる範囲の情報を確保したので二人のカンピオーネは再び東金堂の前に集合した。

 見た目には何も変わっていないが、護堂はキズナが何も問わなくても分かるくらいに覚悟を決めた表情をしていた。

「さて、じゃあ準備も整ったことだし、攻め込んでやりましょうか」

「ああ、と言いたいところだけど、結局どうやって京都に行くんだ? 車を使うって手もあるけど」

 しかし、運転していくと時間がかかるし敵の襲撃を受けやすい。こちらの動きは敵にすぐに伝わるだろう。迎撃されて、京都市に近付くのもままならないということもあるかもしれない。

「それなら、これを使うから大丈夫」

 パチン、とキズナが指を鳴らすと、そこに現れたのは雷光の輝きを纏う実に雄雄しいペガサスであった。サラブレッドをさらに一回り大きくし、筋肉の鎧を見に纏った巨体を持ちながら、どことなく女性的な繊細さを兼ね備えた不思議な神獣である。

「こいつ、この前奪われたんじゃなかったか?」

「一回消したからリセットされた。そっちの猪も多分同じような状況でしょ」

 言われて納得する。

 確かに、怨霊に襲撃されたときに護堂は自然に猪を使おうと思っていた。それは、猪が再び護堂の支配下に戻ったことを意味している。しかし、それでも崇徳院の呪詛を受ければ同じことの繰り返しだ。

 そして、そうならないために護堂の『戦士』がある。

「しかたないから後ろに乗せたげる。もちろん、変なとこ触ったら蹴り落とすから」

「触らねえよ!」

「王さま。変なことしてペガサスに蹴り殺されちゃエリカさんたちを助けられないから気をつけてね」

「清秋院まで何言ってんだよ!」

 軽口を交わしてから、馬の巨体に二人で跨る。

 ペガサスの神速ならば、京都市内まで一瞬で到達できる。雷光を運ぶペガサスは、そのまま雷光の速度で空を駆けることができるのだ。

「草薙さん。月沢さんも、どうかご武運を」

「ああ、ありがとな。万里谷」

 最後まで心配してくれる祐理に護堂は安心感を覚える。キズナもまた微笑みを浮かべた。

「どんと任せておきなさい。みんなで帰ってきて、ハッピーエンドにするからさ」

 キズナは踵でペガサスの腹を軽く蹴る。手綱を持って、ペガサスに思念を送ると、大きく嘶いて走り出した。

「そ、そういえば俺。乗馬の経験ないんだけど!」

「大丈夫。空飛んじゃえば振動なんてほとんどないから!」

 ペガサスの加速力は凄まじく、一〇メートルほどで最高速度――――神速に到達する。世界がほとんど停止するに等しい時間遅延の中で、キズナと護堂は雲の上にまで上昇する。

 神速の世界は珍しくもない護堂だが、空を飛ぶのは初めてだ。

「これはひどいな」

 キズナが呟き、護堂は同感だと相槌を打つ。

 京都市の上空だけ、気流が違うのだ。空気の質も腐臭に塗れたように悪質である。

「生き物に対してはこの上ない毒ね」

「毒!? じゃあ、この中にいる人は」

「生きてるよ。多分、思考能力を奪う退廃の毒。イメージとしては麻薬に近いね。どっちにしても碌なものじゃない」

 しかし、不幸中の幸いなのは命に関わらないということだ。

 もしも、これが人命を害するようなものならば龍巳やエリカとリリアナの命は絶望的だっただろう。そこは、疫病の神ではなく、皇に連なる怨霊だったからであろうか。

 ペガサスの侵入を、崇徳院は感じ取ったのだろう。

 前方から怨霊の群れが押し寄せてきた。掴まれば、以前と同じくペガサスの暴走を許し、キズナと護堂は振り落とされることになる。

「来るよ」

「ああ、分かってる」

 護堂の目に闘志が灯る。

 右手には焼けるような熱がある。怨霊の雲と激突する直前、護堂は迷うことなく、黄金の剣を引き抜いた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。