極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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六十五話

 崇徳院の怨霊に支配されていた人々は、キズナが放った式神によって安全な場所まで運び出されている。

 正史編纂委員会の有志も協力し、受け入れ態勢を必死に整えている。

 避難場所はいくつかに分散し、戦闘に巻き込まれないように、常に京都市から距離を取るようにしている。

 エリカやリリアナ、そして龍巳は洗脳を解かれた後で清水寺に運び込まれていた。

 まだ安全といえる距離ではない。しかし、背後に山脈を背負う清水寺は、京都市内での激しい戦いによる流れ弾から身を隠しやすい場所にある。

 とりあえずの隠れ家としてはなかなか悪くない場所であった。

「ッ……!」

 京都は大炎上している。

 あちらこちらで炎が吹き上がり、歴史ある都市は原形すらも残していない。

 住宅街は壊滅。街外れにある観光地だけが、辛うじて生き残っているという有様であった。

「とんでもないことになったわね」

 絶句する龍巳の隣でエリカが呟く。

 カンピオーネの従者として、『まつろわぬ神』の脅威を幾度も見てきたが、ここまで人の生活を破壊しつくす戦いというのは初めてだった。

「住宅街で戦うっていうことがどういうことなのか、否応なく理解できてしまうな」

 リリアナも冷や汗を流して状況の推移を見守っている。

 ドラゴンとヤマタノオロチの戦いによって、京都駅が大爆発を起こした。流れ弾が地に落ちて、火柱を作る。

「リリィ。護堂と月沢様の戦い、見られる?」

「ああ、何とかなる」

 リリアナは水盤を用意する。

 それから、魔女の目を使った。リリアナの魔女の目は、遠くの景色を見ることができる呪術であるが、リリアナはその景色を水盤に映し出す呪術を並行して使用したのである。それによって、龍巳とエリカもリリアナの見る景色を映像として視認することができるようになる。

 キズナも護堂も、決して楽な戦いとなっていない。

「まさしく、災厄の化身というところね……」

「崇徳院を何とかしなければ、被害は広がる一方だな」

 とはいえ、今の段階で迂闊に戦場に踏み込んでも邪魔になるだけである。せっかく、キズナと護堂が共同で救い出してくれたというのに、その努力を水泡に帰すことはやってはならない。

 炎に包まれる京都の街。

 呪術で護身すれば、炎も煙も恐ろしくはないが、一撃で広範囲を巻き込む権能の応酬に介入する余地を見出せないでいた。

 信じて待つ、というのが辛い。

 何かできることはないのだろうか。

 龍巳だけでない。エリカもリリアナも、表情には出さないものの内心で大いに焦りを感じ、必死になって自分にできることを探っているのであった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 ビリビリとした振動と熱波が護堂に吹き付けた。

 ヤマタノオロチがドラゴンに撃滅され、空高くまで昇った火柱が京都市内を紅蓮色に染め上げる。

「ッ……と、とんでもない、なあ」

 怪獣大決戦を繰り広げた二柱の蛇神。その戦いぶりを護堂は見ることはできなかったが、凄まじい戦いであったということは、雄叫びや火柱を見れば分かる。

 最後は相打ちに終わった。

 二対三という数的不利な状態が、解消されたと思えばこの戦いの天秤はこちらに傾いているのではないかと思える。

 実際には、それほど状況に変化はないのかもしれないが、士気を上げるために自分にとって都合のよい展開を抽出するのはさして珍しいことではない。

 黄金の剣は打ち止めだ。

 序盤で為朝の矢を大分削ったが、やはり崇徳院を斬る剣を無理矢理改造したものだからか、為朝を相手にするには数も質も足りない。

「トカゲ一匹仕留めた程度で図に乗るなよ、下郎。この俺がいる限り、テメエに未来はねえんだよ!」

 護堂の守りを消し去った為朝は、次こそ護堂を射殺そうと矢を放つ。

 威力もさることながら、真に恐ろしいのはその正確性。

 未来予知でもしているのか、護堂の逃れる先に矢が忽然と現れるかのようで、護堂は先ほどから冷や汗を流している。

 雨のような矢。

 すべてが必殺を意図したものである。

 これは避けきれない。

 護堂は《鳳》の化身を使い、神速に突入する。

 矢は遅くなり、地面を畑のように掘り返すだけ。

「俺を相手に、速いだけの権能なんぞ通じるものかよ」

 分かっている。

 キズナのペガサスすらも射落とさんとした弓の使い手に地上を走るしか脳のない護堂の『鳳』が効果的だとは思えなかった。

 神速は速さで相手を翻弄するかもしくは撤退に使用するかしか使い道のない化身で、副作用でしばらく動けなくなるという致命的な欠点もある。生き残るためとはいえ、発動させた以上は時間をかけることなく勝負を決めなければならない。

 右手に熱を感じる。

 ヤマタノオロチが滅びた直後からだ。敵に囚われていた相方が、右手の中に戻ってきたのである。

 それだけでも、十分に心強い。

 何せ、これで二対一。数的優位に立てたのである。

「源為朝。あんたは確かに強いかもしれない。とんでもない弓の腕前だってのも分かるよ。でもさ」

 為朝の矢を避けきった護堂は、薄く笑った。

「それでも、結局は従属神だろ? あんたの主人ほどじゃないな」

 護堂の挑発に為朝は頬を歪めながらも、いかにもと頷く。

「当然だな。あのお方は俺程度では想像も及ばぬ高みにおられる。そして、テメエはあの方に辿り着くことはねえ。神殺しの相手は、俺程度で十分だ」

 為朝は弓を引き絞り、護堂に放つ。

 一矢は正確性よりも破壊力に重点を置いたものだったのか、周囲の呪力を巻き込んで着弾と同時に辺りを根こそぎ吹き飛ばした。

 爆風に煽られた護堂は、空中で体勢を整えつつ軽々と着地する。『鳳』の状態では身体が羽毛のように軽くなるのである。

「鋭く近寄り難き者よ! 契約を破りし罪科に鉄槌を下せ!」

 護堂は『鳳』を切り上げて、『猪』の化身を行使する。

 足元から黒い毛皮の神獣が躍り出る。

 この近辺はすでに崩壊している。使い勝手の悪い巨獣を暴れさせるには都合がいい上に何を壊しても罪悪感が湧かない。進路上にある崩れかけた建物を適当に破壊対象に定めて、爆弾のような扱いで為朝に突進させた。

 自分に突っ込んでくる大猪を見て、為朝は蔑むように鼻を鳴らす。

「神殺しですら物足りないのに、畜生程度では話にならねえ」

 猪に対して為朝は勢いよく矢を射放つ。

 放物線を描くこともなく、視認することすらも困難な速度で猪の前足の付け根と両目を貫く。それでもまだ戦おうとする大猪だが、目が潰されては相手を見定めることもできない。

「頑張れ、そのまま真っ直ぐ突っ込めばいい!」

 護堂は猪の後ろを走りながら猪を応援する。

「神殺しの走狗如きが。せめて、今生の面目にするがいい」

 引き絞った弓を射った次の瞬間には大猪の脳天に矢が突き立っていた。

 大猪は、苦悶の声を上げた後で数歩歩いて崩れ落ちた。

 頭を潰されてしまえば、如何に神獣であろうとも生きてはいられない。実体を維持することもできずに、黒い闇の中に沈んでいく。

 消えた猪の影から、護堂は飛び出す。為朝との距離はすでに一〇メートルを切っていた。

「ぬ!」

 為朝は矢を猪に放った直後である。

 次の矢を番えるまでに、僅かに時間がある。

「天叢雲!」

 護堂が右手の相棒に語りかける。

 為朝の動きは速い。手馴れた様子で矢を番え、護堂に放つ。矢は護堂の心臓を性格に貫き、貫通していく。

 あまりに鋭い矢は射抜かれてなお射抜かれた実感を抱かせない見事な射であった。護堂は破壊された心臓から最後に送り出された血液が脳から出て行く前に、『駱駝』の化身を使った。

 重傷を負った際にしのみ使用できる『駱駝』の化身は脚力と耐久力の大幅な増強が基本的な能力である。

「う、お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああああッ」

 増強された脚力は、一〇メートル程度の距離など一瞬で詰められるものであった。

 呪力を爆発させて跳んだ護堂は、為朝に向かって飛び蹴りを放つ。

「舐めるなよ、神殺し!」

 この程度の攻撃、避けるまでもない。

 自慢の肉体と大鎧ならば受け止めるのは造作もない。第一、蹴られる前に刃で首を落とせばいい。弓を手放した為朝は、腰に佩いた太刀に手を伸ばす。

「いっけええええええええええええええええええええええッ」

 吼えた護堂は、呪力を足の裏に集め、天叢雲剣の力を使う。 

 右手に宿った相棒がコピーした権能を護堂の身体に付与する。

 護堂の蹴りよりも為朝が太刀を抜くほうが早い。

 護堂は臆せず、そのまま成り行きに任せる。

 為朝の太刀と護堂の蹴りが激突する。刃と蹴り。常識的に考えれば、護堂が真っ二つに斬り裂かれて終わるだけだ。

 だが、そうはならなかった。

 両断されたのは為朝の太刀のほうであった。

 そのまま、護堂は為朝の胸を抉りぬく。

「が――――ッ!?」

 為朝の口から血の塊が零れ落ちた。

 胸の左半分を吹き飛ばされた為朝は、膝をつく。なお倒れまいと手を突いて身体を起こそうとするが、さすがに心臓を破壊されてはどうにもならなかったのか、力尽きて崩れ落ちた。

 護堂が天叢雲剣でコピーしたのは為朝の「貫通」の権能であった。

 『駱駝』の化身による脚力の向上にあらゆる守りを貫く貫通能力が付与されたことで、為朝の太刀をへし折り、鎧を無力化してその肉体を破壊したのである。

「は、あ。……う、ごはッ」

 護堂もまた血を吐いて、うつ伏せに倒れ込む。

 心臓が完全に壊れているのは護堂も同じだ。『鳳』を使った反動もあって、身体の硬直化が始まった。ギリギリの戦いを競り勝った護堂は、これ以上の戦いは不可能と判断した。

 キズナの加勢にいけないのが申し訳ないが、為朝を撃破したことで全体の勝利に貢献できたであろう。だが、それでも、少しでも力を貸せれば、後で文句を言われることもないだろうと、護堂は右手の相方に後のことを任せた。

 そして護堂は最後に『雄羊』の化身を使って、瞼を閉じた。

 

 

 

 □

 

 

 

 黒い羽根を撒き散らしてキズナは空を飛ぶ。

 崇徳院との距離は優に二〇〇メートルはあろう。かなり開きがあるが、キズナも崇徳院も護堂と異なり遠距離戦でも問題なくこなせることを考えれば、妥当な距離ともいえる。

 相変わらず崇徳院は金色の翼を後光のように背負い、巨木の枝に腰掛けている。

 あの余裕が憎い。

 黒い閃光を幾度も放ち、巨木の幹を削り、崇徳院を攻撃するのだが、蠢く枝や根が尽く邪魔をする。一、二本程度ならば問題なく貫通してみせるが、それが数十、数百と折り重なれば鉄壁の防壁にも相当する防御力を得る。まったく底なしの力に、キズナは改めて畏怖の感情を抱く。

 崇徳院が片手を挙げて天上を指差す。

 渦巻く雲の中で紫電が走った。

「オオモノヌシよ。三輪大明神よ。金比羅大権現との縁を以て余に加勢せよ」

 黒雲は俄に厚さを増し、重厚な積乱雲へと成長する。

 某有名映画に出てくるような巨大雲。竜が住んでいるといわれても納得の巨大な嵐の塊である。

 次の瞬間、上から下へ。目に見えない「圧」の塊とも言うべき何かが高速で移動した。

 積乱雲の真下にあった建造物の瓦礫が一様に消し飛ばされ、半径数百メートルに渡って更地となる。地面は円形に陥没し、地響きと共に舞い上げられた無数の土砂の落下音がこの世のものとは思えないおぞましい音を立てる。 現代風に言うならばダウンバーストが近い。

 極地的な発生なので、マイクロバーストと呼ぶほうがいいかもしれない。自然界で発生した場合でも風速五〇メートルを超えることもあるというが、今回のは自然界のマイクロバーストとは桁外れの威力であった。音速を超えているといわれても納得できる。

「か、はッ。は、は、は、くふぅ」

 キズナは直撃を受けた。

 咄嗟に呪力を練り、呪力への対抗力を底上げした上で、可能な限りの防御手段を講じた。荘子の権能は普段の半分程度の出力ではあるが全力でこれを行使したし、即座に発動させられる護身の術は反射的に使った。ルシファーの魔力光を落下してくる呪力の下降気流に向けて叩きつけもした。それらを受けてなお、キズナは叩き落されていた。

 だが、生きている。

 翼は折れ曲がり、頭から出血がある。内蔵や骨にも異常があるが生きている。ならば、大丈夫である。

 ルシファーは《蛇》。本家本元ほどではないにしても再生能力が付与されている。

 じくじくとした痛みに頬を引き攣らせながらも、キズナは立ち上がる。

 血に濡れた口を拭い、転送の呪術で実家が用意していた特性の霊薬を飲む。錠剤タイプなので、隙も少なくていい。それでも、完治までは数分必要であろう。戦えないほどの怪我でないのが幸いだったか。

「ほほう、よく持ち堪えたものだ。不意を突いたつもりだったのだがな」

 崇徳院は感心したように言った。

 その声は風に乗ってキズナに届く。

「似たような神様とは戦ったことがあるのよ。その経験かしらね」

 媛巫女やカンピオーネの直感に加えて嵐の神格との戦いはこれまでに何度もあった。その中には、崇徳院が利用したオオモノヌシと同一視されることもあるオオクニヌシもいた。

 今生での戦いでは比較的初期の相手である。今となっては懐かしい。あの多彩な技と往生際の悪さに、かなり苦労させられたのであった。

「やはり、相当に修羅場を潜っているようだな。なるほど、神殺しは見た目では判断できんというわけか」

「武士とかだって、ジジイが強いってわけじゃないでしょ」

「くく、その通りだな。そなたの言い分にも一理ある」

 崇徳院も消耗がないわけではない。

 護堂の言霊の剣に斬られたのは非常に大きなダメージとなっていまだに崇徳院を蝕んでいる。本質にも関わる怨霊神の力を斬られてしまったのだ。単一神格であれば、その時点で敗北を喫していたに違いない。

 さらにキズナの攻撃は、傍目には完全に防いでいるように見えるが徐々に崇徳院に消耗を強いている。今の段階では削り合いに終始しており、オオモノヌシの一撃が効いてくれたが、果たして次がどうなるか。

 よって、この機に一気に攻めてやろうと崇徳院は力を振り絞る。

 呼び寄せた積乱雲のさらにその上。はるか天上より、火球を落とす。

「う――――ッ」

 キズナは首を振って、空から落ちてきた弾丸を躱した。危うく頭が破裂するところだった。その後も一発二発と積乱雲を突き抜けて落ちてくる青白い光をキズナは回避する。

 だが、避けきれない。

 空から降り注ぐ弾丸は数を増し、豪雨のようにキズナを襲う。

 この力は、極めて原始的な天狗の力。

「羽根よ!」

 黒い羽根を飛ばして天蓋と為す。

 毒の羽毛がクッションとなって、降り注ぐ光の雨を防ぐ。

「く、そ……!」

 羽根が削られている。このまま突破を許せば、キズナの再生速度を凌駕する弾丸によって身体が粉々に打ち砕かれてしまう未来は確実に訪れる。

「だったら」

 とにかく楯の数を増やす。

 グレムリンの権能で周囲の電子機器を探り、破壊された瓦礫の中から残骸を呼び集めて強化し羽毛の上に多いかぶせる。さらに九尾の権能で式神を大量に召喚してその上に折り重ならせ、肉壁とする。視界は青白く染まっている。

 極めて原始的な天狗の権能。

 天狗は、中国では天かける狗とされ、流星などの凶星の名であった。日本でも奈良時代から飛鳥時代に中国から渡ってきた僧の言葉に表れる。もっとも星神としての天狗は日本には根付かず、平安時代の終わりまでは忘れられた言葉であった。それが山岳信仰の流行と共に復活し、山の妖怪として知られるようになったのである。

「星神としての中国産の天狗? 天狗礫に混ぜ込んだか!」

 空から石が降ってくる現象を天狗の仕業とする逸話もある。崇徳院と習合する天狗は、あくまでも日本の思想で誕生した天狗という名の妖怪である。中国由来の星神と繋がるのは名前だけだが、それを空から石を降らせるという形で天狗礫に重ねたようだ。本質としては石降らしの怪現象を実演しているに過ぎないのだが、質量を持つ呪力の弾丸というのが厄介だ。

「ふむ、なかなか硬い守りだ。では、こうしよう」

 光雨が止んだ。

 僅かな沈黙。無論それが嵐の前の静けさだと承知して、キズナは一旦守りの一部を解除して崇徳院の次の行動を観察する。

 崇徳院は、行動しなかった。

 代わりに、積乱雲が弾けとんだ。周囲が燦然と明るく照らされる。

「な、なに……!?」

 規模も桁も違いすぎた。

 積乱雲を蹴散らしたのは、太陽とも見紛う青白い光の塊であった。

 直径にして二〇〇メートル近くはあるだろうか。眩しすぎて、その全体像が捉えられない。

 崇徳院が降らせていた石がそのまま大岩に代わったというだけなのだが、一撃の大きさが違いすぎる。

 もはや隕石。

 こんなものが落下したら、京都市が壊滅する程度の被害ではすまない。

 畿内が消し飛ぶ可能性すら、否定できない。そこから生じる二次被害、津波や地震などは日本全国に影響を及ぼすだろう。

「こんなの落としたら、あんただってただじゃすまないでしょ!」

「そうなればそうなったで運命であろうよ。最悪でもそなたは死ぬ。余もそうなるかも知れぬが、神殺しを討伐するという偉業は神々の間に余の名を知れ渡らせるであろう。それに、生き残ったら生き残ったで一から国を興せばよいだけの話ではないか」

「このドアホウがッ」

 キズナは翼を羽ばたかせて飛び上がった。

 崇徳院の自滅願望に付き合うつもりは毛頭ないが、このままでは否応なくそのような未来が待っている。さらに、崇徳院が自分の権能に巻き込まれて死ぬ保証もなく、キズナと護堂亡き後の日本で好き勝手する可能性のほうが大きい。大事なものを守れなかった上に敗死、さらに国が滅んだとなれば神殺しの完全敗北となるわけで、そんなものを許すわけにはいかない。

「偽りの創世記をもって、わたしはここに創造を為す!」

 ルシファーの権能で強化された闇の呪力が、青白い星の輝きを喰らう。

 空に現れた第二の星は、星の始まりの姿にして最期の姿でもあった。ブラックホールを思わせる超重力が崇徳院の星を削り、その中心に吸い上げていく。

 強烈な重力が周囲の瓦礫を吸い上げて、地盤すらも飲み込んでいく様は圧巻の一言に尽きる。

 世界が終わるのではないかと思わずにはいられない。

「うぐ、ぐ」

 キズナは苦悶に顔を歪める。

 腕に裂傷が走り血が零れる。

 重い。

 素の筋力で鉄の塊を支えているような気分である。

 闇の天蓋は地上のあらゆる物を喰い散らかしながら、空から墜ちる星を受け止めていた。

 懸命に呪力を込めて、ひたすらに一心に重力星に年を送る――――。

 

 

「ぐ、は――――げほ……」

 キズナは再び地に墜ちていた。

 墜天使の翼は根元から抜け落ち、肉体は幼さを残す十代の姿を取り戻した。ルシファーの権能が限界を迎えて解除されてしまったからである。

 うつ伏せになっていたキズナは身体を起こした。

 モノクロの星の激突は、実際には数秒間の出来事でしかなかったのだが、体感時間は異様なほど長く感じられた。

 キズナはしぶとく生きている。

 地上はもともと瓦礫と更地が点在するこの世の地獄であったが、キズナの重力星は崇徳院のマイクロバーストを上回る範囲の瓦礫を一度に吸引したために、見渡す限りすっかり地面が露出してしまっていた。

 草薙護堂を巻き込んでいなければいいのだが。

 彼には念のために一枚の呪符を渡していた。『雄羊』の化身を使ったときに、死んだままで戦場を離脱できるようにオートで活動する式神を持たせていたのである。それが、上手く機能して、無事に遠くまで逃れられていればいいのだが。

 為朝は消滅している。

 京都市内に感知できる呪力は、今やキズナと崇徳院だけである。

 正真正銘、これが最終決戦というわけだ。

「後輩が、仕事したってのに。先輩が倒れてるわけにはいかんよね……」

 意地っ張りなキズナらしい。

 負けたくないものには何が何でも負けない。それ以外はどうでもいいと放置する彼女だが、琴線に触れるものにはとことん執着を見せる。

 大事な龍巳に手を出した崇徳院を叩き潰すことも、後輩の護堂に戦果で勝ることも、キズナのプライドを守るために必要不可欠なものである。

 呪力は八割方喪失。

 肉体面もダメージが大きい。ルシファーが解除されたために自己回復も遅くなった。治癒術では時間の問題から表面的な怪我しか治せず、先ほど飲んだ霊薬が内蔵の傷を修復しているがとても間に合わない。

 満身創痍。

 しかし、崇徳院もここまでの大技を放った直後で消耗しているのは確実である。見るからに呪力が目減りしているのである。気力を振り絞って、今このときに持ちうる総てを叩き込む。

「立ち上がるか。その身体で」

 崇徳院は、立ち上がるキズナに感服したようににやりと笑った。

「であれば、そなたの肉体を余すところなく破壊し尽くす以外にはなさそうだな」

 崇徳院は、右手を真上に突き出した。

 手の平には漆黒の太陽がおどろおどろしく脈打っている。

「たく、ほんとにあんただって内側はボロボロだろうに」

 妄執というのか根性というのか。

 ここまで来ると、キズナも呆れるやら感心するやら複雑な気持ちになる。

「でもね、その一撃。――――わたしには届かない」

 轟、と空から気流が吹き降ろされる。

 崇徳院の真上に突如して現れた巨大な岩石の塊に、大気が撹拌されて荒れ狂う。

「何?」

 崇徳院にとっても掛け値なしの不意打ちとなった隕石は、巨大すぎて落ちてきているのかどうかも分からないが、数秒後には崇徳院を押し潰してこの死闘のフィナーレを飾るであろう。

「そうか。創世の権能……。星を生み出すまでがそなたの力であったか!」

 崇徳院は太陽の矛先をキズナから隕石へ切り替える。

 キズナの重力球が吸い上げた様々な物体、呪力がそのまま一つの塊となって落下してくるのであるからその威力たるや、それまでのこまごまとした攻撃とは比較にならない。

「だが、甘い。温い。この程度で、余をどうにかできると思うでないぞッ」

 崇徳院の太陽が空に花開く。

 灼熱が隕石を受け止めて融解させていく。

「どこまでもしぶとい」

 崇徳院の全力が、キズナの隕石を上回っている。空から落ちる巨石を、受け止めるだけでなく押し戻すなど、誰が想像できるだろう。直前にキズナと同じく巨大な星を落としたばかりだというのにだ。

 このまま押し潰せるとは思わないほうがいい。

 ここが、勝負どころだ。

『巫女よ。己にも楽しませろ』

「誰が楽しむか、脳筋馬鹿」

 一〇〇〇年前から何も変わらない《鋼》に、キズナは噴き出しそうになる。

 危機的状況にあっても戦いを楽しむという発想は、キズナには理解できないものであるが、味方にすれば扱いやすく頼りになる。

「よし、合わせろ天叢雲!」

 右手に召喚した天叢雲剣を握り、キズナは崇徳院にその切先を向ける。

「魔軍を滅ぼす雷撃の神威を今ここに。空に満ちよ、嵐天の精。天を翔けよ風雨の王。裁きを下せ。雷火の鉄槌。虹を渡り、天より降れ!!」

 キズナの小柄な身体から虹色の呪力が噴出する。

 帝釈天の権能の奥の手。最大火力の一撃は、虹の矢となって敵を葬り去る。

 光が駆け抜けた後には何も残らず、ただ空しく風が吹きぬけるのみとなる。

 インド神話最大の兵器であるインドラの矢を再現する虹の奔流を、今回はそのまま打ち出さずに天叢雲剣に収束する。

(ここ)に須佐之男命、国を取らんと軍を起こし、小蝿さす一千の悪神を卒す!」

 天叢雲剣の言霊を呟き、親和性を高めていく。

 何と言うことはない。一〇〇〇年前に幾度も重ねた一撃である。

「一千の剣は掘り立て、城郭として楯籠り給う!」

『是所謂、天叢雲剣なり。ちはやぶる千釼破の鋼なり!』

 言霊が重なり、インドラの矢と天叢雲剣が結び付く。

 天叢雲剣は虹色に染まり、眩い虹の煌きを放つ。

「いくぞ、天叢雲剣。久しぶりの怨霊退治だッ」

『応、悪神邪神をまつろわす最源流の《鋼》の刃。とくと味わわせてやろうぞ!』

 キズナが地面を蹴ると、輝きは一筋の虹と化して一直線に崇徳院に向かって奔る。

 天叢雲剣を鏃とし、キズナ自らがあたかも一本の矢であるかのように世界を斬り裂く光となったのである。

 崇徳院は、接近は許さないとばかりにどす黒い呪力の波をキズナに叩き付けるが、キズナが纏う虹の光は黒い波をあっさりと斬り開き、崇徳院に迫る。崇徳院は左手を突き出して天叢雲剣に翳す。左手はあっけなく裂け、その胸に虹の光が突き立った。

「ぬ、ぐおおおおおおおおおおおッ」

 崇徳院の身体をそのまま消し炭にできるかと思ったそのとき、崇徳院は自らの身体を即座に再構成してキズナの突進を受け止めた。

 再生ではなく、異界から肉を呼び寄せて身体に憑依させているのか。虹の呪力に焼かれて蒸発しているというのに、次々とおぞましい肉の塊が這い出てきて、キズナの力に拮抗しようとしている。

 なんという執念だろうか。

 空の太陽を維持しながら、自分の命を削ってキズナを打倒しようとしている。

 格を完全に破壊し尽くさなければ、崇徳院は決して止まらない。

「足りぬ。足りぬぞ、神殺し! 余を、滅ぼすのであろう! この程度で、余は滅ぼせんぞ!」

 再生した左手で、崇徳院はキズナの首を鷲掴みにした。キズナの全身から噴き出している虹の呪力が絶え間なく崇徳院を焼いているというのに。

「いい加減、観念しろよ怨霊風情が!」

 キズナは呪力を練り上げて、力の限り天叢雲剣を捻じ込んでいく。深く深く、刃の根元まで。崇徳院は口から血を吐き、前のめりになる。空の星に押し潰されているかのような姿勢である。崇徳院の限界が見えた。このまま押し切る。

「う、おおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああッ」

「来い、神殺し! 決着を、つけようではないかッ!」

 崇徳院も自分の呪力の総てを注いでキズナを叩き潰そうとしている。

 この戦い、気合で負けたほうが死ぬ。引くことも、進むこともできず、この場で決着を付けるしかない。完全に互いの力が拮抗したかのように思われたまさにそのとき、どこからともなく心に響く笛の音が二人の耳に届いたのであった。

「この、音は……」

 美しい和の音色。

 ゆったりとした、精妙な音楽はまさに天上から降り注いでくるかのようであった。

 余分な音が介在しない世界の終わりにも似た虹色の世界で、そのありえない音色は復讐と怨念に塗れた崇徳院の意識を遠い過去に捨て去った京での日々に引き戻した。

 ほんの一瞬の意識の喪失は、そのまま大きな隙となり、示し合わせたかのように一歩踏み込んだキズナは最後の言霊を紡ぐ。

「ナウマク・サマンダボダナン・インダラヤ・ソワカ!」

 帝釈天の言霊で一気に炸裂した虹の力がついに崇徳院の身体を貫通し、吹き荒れる呪力の奔流が世界を虹色に染め上げた。

 

 

 

「は、あ。……ふ、ぐ」

 キズナは崇徳院を貫いた勢いのまま、一〇〇メートル近くを駆け抜けた。

 虹色の光はすでに消え、天叢雲剣を地面に突き刺して、膝をつく。息切れと動悸が激しい。呪力はすっからかんで激しい倦怠感に包まれる。

 このまま、倒れこんで眠ってしまいたいという欲求に支配される。

 崇徳院は肉体の大半が消し飛ばされていながら立っていた。しかし、その力はすでにない。空の太陽も消滅し、瓦解した隕石が降り注いでいる。

「ああ、なるほど。……これが余の終わりであったか」

 振り返ったキズナと崇徳院は視線を交わした。

 キズナは何も口に出さない。喉が嗄れ、一言も発することができなかったからである。何か、気の利いたことでも言えれば格好もついたのだが、そのような余裕はなかった。

「くく、いやあ……堪能したぞ、神殺し。誉めてつかわすぞ。……その人生にかかる数多の苦難を余からの褒美と思いありがたく受け取るといい」

 崇徳院はそう言い残して崩れ落ちた隕石の雨の中に消えていった。

 まったく以てありがたくない褒美を遺されても嬉しくもなんともない。とにかく総てが片付いた。倒すべき敵を倒し尽くし取り戻すべきものの尽くを取り戻した。 

 キズナはそのまま、脱力して倒れ伏す。

 『まつろわぬ神』の消滅によって、肉体の戦闘態勢も解けた。今となっては、ただ溜まりに溜まった疲労をどうするのかという問題だけが、彼女の前に寝そべっているのであった。

 


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