極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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八話

 火炎を母とし、灼熱を産湯としてその神は降臨した。

 眼を開いたその瞬間からそこは炎の海であり、その炎は即ち彼の住処でもあった。

 顕現してしばらくの間彼は産湯の心地よさを堪能し、それから感覚の触手を現世に伸ばした。

 そして、失望する。

 なんということだ。この時代、この国はこれほどまでに信心を失ってしまったか。多くの者が、仏の道を見失い、自らの浅知恵で生み出した科学などというものに心を奪われている。

 欲が欲を生み、地獄の如き混沌の坩堝と化した世界は、直視することすらも忌諱してしまうほどに穢れきっていた。

 なればこそ、『我』が降臨したのだろう。

 この煩悩にまみれた世界には、もはや言葉では足りぬと。

 圧倒的な暴力でもって、無理矢理にでも仏道に引きずり上げねば、浅ましき小知はすぐにでも人界を滅ぼすであろう。

 いまだ顕現は不確かで、不完全。

 口惜しいが、すぐには動けぬ。だが、完全にこの世に降臨した暁には、この世の煩悩すべてを焼き払って見せよう。

 さしあたっては、我欲の王たる神殺しを討滅するところから始めよう。

 

 

 

 ガス爆発じみた呪力の奔流が、博物館の二階から上を粉々に吹き飛ばした。

 灼熱の劫火が満遍なく館内を舐め、瞬く間に歴史ある史料が焼滅してしまった。

 呪力の猛りを感じた瞬間、身近にいた裕三と案内の呪術師を掴んで屋外まで一気に飛んだキズナは、博物館の駐車場に二人を降ろして、膝をついた。

「何人助かったかな」

 巨大なキャンプファイヤーと化した博物館を見て、キズナは呟いた。

 きっと死者は出ただろう。

 あれほどの火炎に曝されたのなら、苦しみを感じる間もなく蒸発したに違いない。

 それだけはせめてもの救いになろうか。

 死者を数えても仕方がない。より重要なのは生きている者の数だ。

 キズナが連れ出せたのは二人。それも内一人は元凶とも言うべき男だ。小悪党は生き汚いというが、こういうところに運を使っているのだから、それは生き残るだろう。

 不幸中の幸いなのは、ここが小高い岡の上だということ。

 しかし、丘を下ればすぐに住宅街だ。山の木々に火が燃え移るだけでも、大災害を誘発する。

「炎に倶利伽羅剣。考えるまでもなく、不動明王様か」

 諸仏の王とまで呼ばれる最強の仏である。

 生まれついてのまつろわす神。戦神として、日本でも篤く敬われてきた歴史がある。

 これは強い相手だ。

 まずは距離をとり、相手を観察することとしよう。

 キズナは近くのワゴン車の鍵を呪術で開けて後部座席に二人を押し込み、自分は運転席に座った。

 指先から電流を流して強制的にエンジンを始動させる。

 実は龍巳が免許を取得したのと同時期にキズナも運転免許を取得していた。

 一応、運転はできるのだ。

 ただし、同じ年に運転免許を取得した若葉マークの所持者と比しても、その運転は決して上手いとはいえないレベルだ。

 踏み込むアクセルで急発進。

 ブレーキをかけずに坂道を下りるという狂気じみた運転で、一路住宅街を目指した。

 

 

 ■

 

 

 半年と経たずに『まつろわぬ神』が降臨するとは。

 沙耶宮馨と側近の甘粕冬馬が、空を焦がす紅蓮を見て生唾を飲んだ。

 東京都内での降臨ゆえに、即座に駆けつけることができた。

 しかし、あれは――――

「あそこまでいくと、私たちの手には負えませんねー」

「あれが、蛇神の類であれば日光の《鋼》が解放できたんだけどね。やはり、ままならない」

 馨は、部下に指示を出して周辺住民の避難当たっていた。

 『まつろわぬ神』は呪術師ではどうにもならない存在であり、いかに優秀な人材を取り揃えようとも無意味なのだ。

 あの紅蓮の輝きを目にした呪術師の誰もが、呆気に取られてしまった。

 あまりにも、規模が違いすぎると。

 神剣を携える清秋院恵那を一応呼び寄せはしたが、これはどうにもならない。

 恵那自身もそれを認めていた。

「おじいちゃまの加護を得たところで、アレには勝てないかなー。もしも神獣とかが出てきたら、多少はやれるだろうけど、神様本人はちょっと無理っぽいよ」

「まあ、そうだろうね」

 この先、あの神が異国に去るまで、眠れぬ夜が続くのだろうか。

 最悪、外国のカンピオーネに討伐を要請しなければならないかもしれない。

 その際は、この辺り一帯が消えてなくなることを覚悟する必要があるだろうが。

「かおるんー! おーいっす!」

 信じがたい速度で住宅街を突っ走ってきたワゴン車が、耳を劈く金切り声を上げて停車した。

 中から顔を出したのは、見慣れた先輩だった。

「先輩?」

「あいよ、事件の真犯人を連行してきたよーっと」

 後部座席から引きずり出された裕三に、馨はさすがに顔を引きつらせた。

 荒縄で雁字搦めの簀巻き状態である。

「あの、彼が事件の真犯人とはどういうことでしょうか?」

 一先ず事情を知っているらしいキズナに、この件の経緯を尋ねることにした。

 

 

 

 ■

 

 

 

 夜になっても、その炎は轟然と存在感を増す一方であり、消火の可能性すらも焼き尽くしているようですらあった。

 正史編纂委員会の手引きによって、周囲三キロ圏内の一般人は尽く退去している。

 勧告に従わない者もいたが、呪術師を相手に我を通せる堅気の人間がいるはずもなく、閑散とした街並みは、等身大にまで引き伸ばした玩具の街を思わせた。

 岡の上の博物館は平時の姿を思わせることはなく、その建材の隅々まで尽くを燃料として捧げている。

 冗談じみた呪力が炎となって空に昇る。

 それだけで、畏怖せざるを得ない埒外の存在を確信させるのだ。

 呪術を齧った者は皆すでに理解している。

 あれは、護摩壇である。 

 博物館を丸ごと利用して、空前絶後の規模で破邪の秘法を行っているのだ。

 執り行うのは、不動明王。

 仏の教えを守るためには暴力と破壊をも辞さない『教令輪身(みょうおう)』だ。それが『まつろわぬ神』となって降臨したとなれば、どのような災厄の種となるか想像もつかない。

 まさか、これほど人里近くで降臨しようとは。

「そろそろ。潮時ってことなんだろうね」

 民家の屋根に登り、煌々と輝く炎を眺めてキズナは誰ともなく呟いた。

 カンピオーネは争いの人生を送るのだという。

 そうだというのなら、キズナもまたその宿命から逃れることはできないのだ。

 キズナは慌しく走り回る呪術師たちを眺めて溜息をつく。

 正史編纂委員会東京分室総出で事態を見守るしかないというのも滑稽な話だ。

「や、先輩。こんなところで黄昏てどうしたの?」

 長い艶やかな黒髪の少女が屋根に飛び乗ってきた。

 野生的な勘の鋭い少女だ。

 敵との力量差など初めから知っている。それでも、念のために忠告しておく。

「恵那。あれが出てきたら余計なことを考えずに逃げるのよ」 

 一瞬だけ、ポケーとした後、恵那は頷いた。

 アレに挑むのは死ににいくようなものだと、きちんと理解していたようでよかった。

「それで、先輩はどうなの?」

「え?」

「いやー、なんていうのかな。先輩、アレを見て全然動じてないよね。それって普通じゃないよ」

「ひどいことを言うね。君」

「ゴメンなさい。でもね、恵那的に感じたことを言っちゃうとさ。もしかして、戦おうとしてない?」

 キズナは確信を突かれたことで、僅かに動揺した。

「ふうん。やっぱり、先輩は何か隠してるんだァー」

「さすがだね、恵那」

 霊視能力はそれほど目立たない恵那だが、天性の勘を備えている。

 その野生児のような勘から逃れるのは、キズナの権能では無理だ。これは、巫女の霊視よりもより観念的なもので、そんなものから逃れる術はおそらくない。

「……仮にそうだとしても、恵那は関わらないほうがいい」

「なんか、寂しいね。そういうの」

「そうでもないよ。ちゃんと、理解してくれる人がいるからさ」

 数キロの距離を隔てて尚、その熱気はキズナたちの頬をなでていく。

 空気すらも燃えているようだ。

 大紅蓮の中にある剣の神。

 まるで、それは自らを鍛えなおしているようにも見えた。

 そして、その時丘の上の炎が一際高く燃え上がった。火山の爆発にも似た炎の猛りから、炎弾が生み出され、流星の如く空に紅蓮の線を焼き付ける。

「チィ……そう来るか!」

 覚悟していたこととはいえ、思い切るのには勇気が必要だ。

 だが、逡巡は脳を掠める前に斬り捨てた。

 即座に帝釈天の真言を唱えて虹色の弓を生成する。

 その膨大な呪力の発現に誰もが絶句する中、キズナは弓を引いた。

 降り注ぐ炎が流星ならば、天かける虹矢は弾道ミサイルだ。

 次々と炎を射抜き、紅の混ざった虹色の星となる。

 打ち上げ花火にも似た轟音の後の、静寂がキズナには痛かった。

「ああ、なるほど。神様を殺してたんだね!」

 恵那は状況を理解して、楽しそうに笑った。

「能天気だね、本当に」

 と、その笑顔に救われたようにも思いながらキズナは二度目のため息をついた。

 そして、キズナは屋根から飛び下りた。一部始終を眺めていた馨の隣に着地する。

 馨は、信じがたいものを見たというような表情をしていた。

「先輩……あなたは……」

「黙っててゴメンね。かおるん。オオクニヌシの相手をしてたの、わたしよ」

「ッ……」

 馨は、息を呑んだ。

 月沢キズナがカンピオーネであるという事実に、共にいながらまったく気づくことができなかった。

 馨だけではなく、霊視能力を持つ媛巫女たちが、誰一人としてだ。

 突然、告げられた神殺し。それは、馨に頭をガツンと一撃するに等しい衝撃を与えていた。最も身近で頼りになった先輩が、いつのまにやら神を殺して権能を得ていたというのだ。驚くとかそれ以前に、理解できないことだった。

 だが、馨は実に明晰な頭脳の持ち主だった。

 理解できないことは、理解できないこととして置いておく。その上で、それを事態の挽回にどう役立てるのかを考えることができる人間だ。

 すぐに立ち直り、キズナが神殺しだという厳然たる事実の下、自分たちが取りうる最善を模索する。

「僕たちは周辺の人払いを強化します。それからこの一帯から撤退し、さらに距離をとって監視に当たります」

 むしろ、キズナが神殺しであるのは僥倖だ。

 不動明王によって蹂躙される未来に、一条の光が差しこんだわけだ。

 この切りかえこそが、沙耶宮馨の真骨頂である。

 齢一六にして、正史編纂委員会の次期総帥の座を約束されたのは、彼女の家柄のみならず、その突出した政治能力にある。

「それでこそ、かおるんだ。これから、この地域は戦場になる。人が巻き込まれないように配慮するのは難しいから、近づかないようにね」

「はい。ご安心ください先輩。そういった裏方仕事は、あなたの下でずいぶんとしてきましたから、今さら失敗することはありませんよ」

「言うじゃないの書記どの。それじゃあ、任せた」

 にやりと笑ったキズナはそう言うや否や地を蹴って飛んだ。

 開戦の狼煙はすでに上がった。

 にらみ合いの時間も過ぎ去り、これからは血で血を洗う戦争に突入する。

 

 

 

 ■

 

 

 

 馨たちから距離を取ったキズナは、これと見定めた家の庭に着地した。

 敵は紅蓮の炎で城を構築している。

 古来、城攻めは敵の数倍の兵力を必要とする難事とされる。無論、それは神々との闘争も同じ。それに、本来キズナも城を築いて篭城するタイプの戦い方を好む。オオクニヌシとの戦いで見せた野山に潜む戦術もまた、それと同じだ。

 身を隠すものがない以上、家で我慢する。この家の所持者には申し訳ないが、保険が降りてくれることを祈る他ない。

 聖句を唱えて、闇を実体化させる。

 大小さまざまな鬼の軍勢は、戦闘能力こそ低いものの数がひたすらに多い。使い捨ての尖兵としては有用なのだ。

 地を埋め尽くす鬼の群れは、道を漆黒の肉体で染め上げて一路岡の上の炎を目指す。

 その炎は、まるで誘蛾灯。

 鬼は誘われる蛾に他ならない。

 それであれば、次の瞬間に訪れるのは――――猛烈な熱風と閃光。

 それは火炎の土石流。

 岡の上から炎が滑り降りてくる。

 一掃。

 鬼の濁流を、炎の津波が押し流した。

 莫大な呪力が瞬間的に膨れ上がり、爆発した。アスファルトは融解し、マグマのように赤く流れてしまう。街路樹も、丘の木々も尽くが焼き払われて禿山と化した。四方を囲んだキズナの軍勢もまた、一匹たりとも残らなかった。

「すっげ」

 言語に尽くしがたい光景だったのは、認めるしかない。

 もはや、灼熱地獄の具現である。

 まさか、あの不動明王はこの世を火生三昧にするつもりではないだろか。

 そうなれば、あの神の力の届く範囲はすべて火の海と化すわけで、それは即ち東京が滅亡することを意味している。

「この国の明暗は我が手にありか。煩悩の塊を代表して一矢射てやろうかね」

 虹色の弓を構えて呪力を練り上げる。口にするのは帝釈天の聖句である。

「嵐吹き去りて虹天にかかる。この一矢は、我が敵を貫く裁きの一撃なり」

 それは砲撃を思わせる矢だ。

 神速の領域に達するその光跡を、果たしてこの場にいる呪術師の何割が見ることができただろか。

 放たれた矢は雷を振り撒きながら一直線に突き進み、炎の壁を貫いて爆発した。

 丘の頂上を大きく抉る一撃だ。

「ただの一矢じゃ、当たる訳ないね」

 強化した視力で、鎮座する不動明王を見る。

 視線が交差する。

 青黒い肉体から迸る呪力はなるほど諸仏の王に相応しい。

 言葉を一度として交わしていないにも関わらず、キズナも不動明王も互いに互いを殲滅すべしと心得ていた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 小高い岡の上に胡坐で座る不動明王は、開いた右目でキズナをしかと捉えていた。

 あのような小娘が神を殺めるとは。

 しかも討ち果たされたのは、異国の神ではなく自分の同族であるようだ。

 降り注ぐ虹色の矢は視界を覆うほどの量である。

 雨霰の如く襲い掛かる矢を、不動明王は炎によって焼き払う。

 その瞬間を狙い済ました一矢が、炎の壁を突き破ってくる。

「ふん」

 竜を思わせる炎を纏った刀身が、虹色の矢を斬り捨てた。

 爆発の衝撃波を、熱風で逸らす。

「悪鬼羅刹を従え、仏に仇為すか。なるほど、貴様はオレの敵に相応しい」

 低い、獣の唸り声の如き声で不動明王は言う。

「然るに貴様の煩悩、その身体ごと焼き清めてくれよう」

 怒髪天を突く、という言葉がそのまま当てはまる。不動明王の髪は逆立ち、牙をむき出しにした憤怒の表情は、それを見た者を、ただそれだけで跪かせる恐ろしいものだ。

 不動明王は、猛る炎に自らの呪力を注ぎ込む。

 燃えろ、燃えろ、燃えろ。この世のすべてを灰燼に帰すのだ。遍く仏法に帰依し、我欲を絶ち、あるべき道へ回帰せよ。

 それを阻害するモノは、何であれ焼き払うのみ。

 それが、不動明王の本分である。

 そもそも『明王』とは密教特有の尊格で、『如来』の変化神である。

 密教には、『三輪身』というものがある。

 密教における『如来』『菩薩』『明王』をその役割や性質に従って分類したものだ。

 『如来』は、その性質そのものが真理であるため『自性輪身』。

 『菩薩』は、衆生救済のために正しい仏法を説くため『正法輪身』。

 そして『明王』は、道に外れた者を強制的に正道に引きずり戻す『教令輪身』。

 以上の三種に分けられる。

 不動明王は、『中央』の方位を守る『教令輪身』。

 数ある仏の中でも、とりわけ強力な怨敵退散・降魔覆滅の力を持つ仏尊なのだ。

 性懲りもなく襲い掛かってくる黒い魔物たちを火炎で焼き払う。

 このままでは同じことを繰り返すだけ。それでもかまわないが、芸がないのはいただけない。

「出でよ、オレの従者よ!」

 獣の咆哮めいた叫びで、呪力を爆発させると、空間に亀裂が生じた。

 その内側から光の粉があふれ出し、瞬く間に人の形を形成する。

 古の戦装束を纏った青年である。

「よう来た、制多迦童子。矜羯羅童子」

 それは、不動明王の左右を固める脇士の名である。

「これより、この小山から打って出て、忌々しき神殺しの首を上げよ。あやつは仏法の敵。一切の呵責容赦なく、首を刎ねよ」

「不動明王様の御為ならば、いかなる苦行も乗り越えましょうぞ。のう、制多迦童子」

「不動明王様の御為ならば、いかなる苦行も乗り越えましょうぞ。のう、矜羯羅童子」

 二柱の神は、同時に同じ口上を並べた。

 不動明王は、頷くと神殺しを殺しに行けと命じ、その命に従って二神は飛び立っていった。

 

 ■

 

 

 

 

 

 空に暗雲が立ち込め、大粒の雨が降り注いできた。

 雲の上には、青白い身体をくねらせる大蛇がいる。

 キズナが呼び出した神獣の一体である。

 目的はただ雨を降らせることのみ。

 すでに街が劫火に沈んだ。小高い丘は、巨大な松明のように燃え上がり、時折炎弾を噴出してはキズナを焼き尽くそうとする。

 その攻撃は当然民家を燃やし、道路を破砕する。

 まるで、空爆を受けたかのような惨状に、キズナは歯噛みする。

 被害を最小限に抑えようとするのなら、近づいて戦うしかないのだが、近づくこと自体が非常に難しい。

「どうしたもんかな」

 悩んでいると、岡の上から二つの光が飛び立つのが見えた。

「あれは……従者を召喚したのね」

 不動明王の従者となれば、大体絞ることができる。

 八大童子。しかし、現れたのが二柱だとすれば、あれはその中の不動三尊――――制多迦童子と矜羯羅童子に違いない。

「やや、こんなところに娘がおるぞ」

「やや、こんなところに娘がおるぞ」

 ふよふよと飛んでいた二神がキズナを見つけて同時に言った。

 そして、キズナの前に降り立つ。

 背は高い。二メートルはありそうだ。筋肉質ではなく、どちらかというとふくよかな顔をしている。

 長い槍と剣をそれぞれ持って、キズナと対面する。

「娘、このようなところで何をしている?」

「娘、このようなところで何をしている?」

 二神が同時に尋ねてきた。

 あれれ、とキズナは目を丸くした。

 もしかして、この神はキズナを神殺しだと分かっていないのではないかと。

「その、実は、その逃げ遅れてしまって。どこもかしこも火の海。もうだめだと」

 ならば、その勘違いを利用してしまえと、キズナは地面に膝を付いて泣いた。

「仏様が向かえに来てくださるなんて、光栄の極み……こんな地獄の中で息絶えることになっても、それは本当に幸運なことです」

 そして、息も絶え絶えと言った様子で二神を見上げた。

 その様は、まさに敬虔な仏教徒である。しかし、とてつもなく白々しいが。

「なんと、諦めてはなりませぬぞ、娘。某たちは不動明王様の使いなれば、娘一人火の中から救い出すことなど造作もないこと」

「なんと、諦めてはなりませぬぞ、娘。某たちは不動明王様の使いなれば、娘一人火の中から救い出すことなど造作もないこと」

 そして、二神はそんなキズナの演技にあっさりと釣られた。

「本当、ですか。それなら、わたしよりも先に弟を助けてくださいませんか」

「何、弟とな」

「何、弟とな」

 二神がずい、と顔を寄せてきた。

「あそこの家の中にまだ弟が……五つになったばかりなんです」

 キズナが指差す家は、キズナとはまったく無関係の家だったが、戦のあおりを受けて絶賛大炎上中であった。

 よよ、と泣き崩れるキズナは、涙を拭いながらも二神の同情を誘う。

「むむ、それは一大事。ご安心めされよ。この制多迦童子がお助けいたそう」

「むむ、それは一大事。ご安心めされよ。この矜羯羅童子がお助けいたそう」

 快諾した二神は、ずんずんと指差された家に向かい、玄関を押し破って中に入っていった。

 炎も煙も物ともしない。

 さすがに、不動明王に仕えるだけのことはある。

「なんてちょろいんだろう。いわゆる脳筋ってヤツなのかな」

 しかし、悪いヤツではないような気がした。少なくとも、あの二神は善意で行動しているようなので、今のは確実にキズナが悪い。

 まあ、一抹の罪悪感すら湧かないので、悪いとも思わないが。

「娘よ。弟君はいらっしゃいませんでしたぞ」

「娘よ。弟君はいらっしゃいませんでしたぞ」

 さて、今の内に進んでしまおうとした矢先、二神が玄関から出てきてしまった。

「すでに避難されていた模様」

「すでに避難されていた模様」

 しかも、声を揃えてわざわざ報告してくれる。

「そうですか。よかった……」

 ほっとしたふりをしつつ、この二神を観察する。

 頭はよくないようだが、実力のほどはどうか。

 従属神ともなれば、『まつろわぬ神』ほどではないにしてもそれに匹敵する力を有することになる。

 今回の彼らはあくまでも神使。神獣くらいだろうと見積もるが、それでもバックに『まつろわぬ神』がいるからには並の神獣とは比較にならない強さがあると思われる。

 この二神を相手取りながら不動明王とも戦うとなれば、苦戦は免れない。ただでさえ劣勢だというのに、そこに自立した敵が二体となるのだから厄介極まりない。

「ああ、そうだ娘よ。某、主より神殺しなる者の捜索を命じられておりますれば、そのような名の者に心当たりはありませぬかな?」

「ああ、そうだ娘よ。某、主より神殺しなる者の捜索を命じられておりますれば、そのような名の者に心当たりはありませぬかな?」

 ずずい、と顔を寄せて神殺しの所在を尋ねてくる二神。

 キズナはまさか自分が神殺しですと名乗り出るわけにも行かず、少し引きながら答えた。

「神殺しさんですか……いえ、どうやらわたしの存じ上げない方のようです。お力になれず、真に申し訳ありません」

 と、巫女生活で身につけた慎ましやかな所作で頭を下げた。

「それで、その神殺しさんはどのような方なのでしょう。もしかしたら、どこかでお会いしていないとも限りませんし」

「なるほど、それは確かに。それで、どのような御仁であったかな、制多迦童子」

「なるほど、それは確かに。それで、どのような御仁であったかな、矜羯羅童子」

 ふむう、と互いに腕を組んで悩み始めた。

 いったいどうやって探すつもりでいたのだろうか。

 それとも、いや、やはりというべきか。この二神はバカだったということでいいのだろうか。

 一応、キズナの中では神の使いだから油断はするなと安易な評価に陥らないように自制しようという気持ちが働いているのだが、このままでは『バカ』の二文字に評価が落ち着いてしまいそうである。

 そこに、空から紅蓮の流星が降り注いだ。

 キズナは大きくバックステップを踏み、二神は為す統べなく巻き込まれた。

「ギャー!!」

「ギャー!!」

 冗談のような熱の中、冗談のような叫び声がした。

 爆発炎上し、道路には大きな穴が開く。黒煙が濛々と上がる中で、野太い声が聞こえてきた。

『何を遊んでいる。神殺しは目の前だ。さっさと斬り捨てよ!』

「不動明王かッ」

 声の主は、不動明王でいいのだろう。

 ガラス色に変化した瞳が、その声の主を確かに視た。

 そして、煙の中から二神が現れる。

 傷はなく、強壮な肉体に槍と剣を構えている。

「よくよく見れば妖しき力を感じるぞ。おのれ、某を謀ったか娘。嘘を吐くとは、仏道はおろか人倫にも悖る外道めが」

「よくよく見れば妖しき力を感じるぞ。おのれ、某を謀ったか娘。嘘を吐くとは、仏道はおろか人倫にも悖る外道めが」

 声を揃えてキズナを避難する二神。

「ふん、騙されるほうが悪いのよ。騙されるほうがね」

「なんという哀れな思考。驚天動地の愚かしさよ。狐の如く狡猾な娘め。そっ首掻き斬って主のもとに送り届けてくれるわ。外道めが」

「なんという哀れな思考。驚天動地の愚かしさよ。狐の如く狡猾な娘め。そっ首掻き斬って主のもとに送り届けてくれるわ。外道めが」

「く、このひょうきんなヤツだと思ってたけど、なんかすっごくウザイ」

 憤怒の表情は、キズナに騙されたことに対して相当怒っていることを表している。

 参ると足を踏み出した二神に対して、キズナは指を鳴らして呪力を練り上げる。

 轟。

 斬。

 二神は真横から襲い掛かった巨大な物体の衝突と呪力の斬撃によって吹き飛ばされた。

「ギャー!!」

「ギャー!!」

 二神は、生垣を突き破り、とある民家の玄関を砕いて燃え続ける屋内へ叩き込まれた。

 急激に酸素が家の中に入り込んだことで爆発が生じた。

 家はその衝撃で脆くも崩れ落ちた。

「妙なものに絡まれていたな」

 狛犬の背に跨った龍巳がキズナの隣に飛び降りてきて言った。

 二神を吹き飛ばしたのは、二頭の狛犬のタックルと龍巳の斬術であった。

「制多迦童子と矜羯羅童子よ。信じられないくらいアホだけど、たぶん強い」

「そうか、それはどの程度だ」

「神ほどでなく、神獣よりは上ってところ」

「それなら、俺たちで抑えられるか」

「できる?」

「やるさ」

 龍巳は刀を肩に担ぎ、狛犬は返事をするように唸った。

「お前にはさっさとこの騒動を収めてもらわないといけないからな。言われたとおりに街を式で区切ったし、朝までは持ちそうだから、後ろの心配はいらない」

「それを聞いて安心した。この火がどこまで広がるか見当もつかなかったからね」

 龍巳が狛犬に跨って駆け回っていたのは、キズナの命を受けて水天の種字を指示された箇所に刻み込んでいたからだった。

 空の竜が降らせた雨にさらに呪的効果を上乗せして消火するための呪術だった。

「早く行け」

「任せた」

 左右に狛犬を侍らせて、龍巳は敵を見据えた。

「神殺しが行ってしまった。なんたることか」

「神殺しが行ってしまった。なんたることか」

 燃える瓦礫から抜け出してきた二神は、龍巳と狛犬を睨みつける。

「あの愚か者に従う外法の鬼と犬か。某の道を阻むのであれば容赦はすまい」

「あの愚か者に従う外法の鬼と犬か。某の道を阻むのであれば容赦はすまい」

 二神が武具を構えなおした。

「いきなり大将首が取れると思うなよ」

 龍巳は呪力を刀身に込めて、相対する。

 キズナの加護を得た龍巳は、確かに鬼と呼ばれるだけの力がある。

 それを見て取って、油断ならぬと感じたのか、二神は表情を引き締めた。

「良き敵と見受けた。鬼退治は仏道を守る者としての義務。まず、貴様から討ち果たそうぞ」

「良き敵と見受けた。鬼退治は仏道を守る者としての義務。まず、貴様から討ち果たそうぞ」

 えいえいおー、と掛け声をかけて、二神は龍巳へ向かっていく。

 刀と剣、槍と爪がぶつかり合って激しく火花を散らせた。


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