百合ぐだ子 作:百合と百合と百合と
それから沖田と立香は八橋を頬張り続けていた。
目の前の景色は長屋ばかりで良いとは言えなかったが、白い浮き雲と明るい夏空が見上げるだけで十分な肴だった。
日が沈むまでの間、何回か茶をお替わりしながら穏やかな会話を続けた。
青空が夕緋色で染め上げられた頃、店の前を二人の男が通り過ぎた。
店の屋根で羽根を休めていた烏が啼きながら飛び立つ。沖田はその男の足取りを注視していた。
「藤丸さん、申し訳ない」
沖田は懐から財布を出して、銭を立香に渡した。
「私の代わりに勘定を済ませて、先に本願寺に戻って下さい。
私はあの男達を追います」
「……いきなりどうしたの」
沖田が鞘と柄に手をやる。中で鋼の当たる音が聞こえた。
「あの顔、恐らく指名手配中の攘夷志士。追跡して確認します」
「斬りあいになるんじゃないの?」
「その時はその時です」
沖田は立香の表情を見て微笑んだ。
「大丈夫。私、こう見えても結構強いんですよ?」
それでは、と最後に付け加えて、沖田は鋭い目つきで男達を追っていた。
一人残された立香は、とりあえず言いつけ通りに支払いを済ませて、このあとどうするべきか迷っていた。
沖田の腕は十分に理解している。しかし朝の会話の内容がどうしても気掛かりだった。史実の沖田総司は肺結核に冒されていたと聞くが、現時点で既にその症状は出ているようだった。
立香は走った。
もし、万が一を思うと居ても立ってもいられなかった。
既に沖田の姿は見えなくなっていたが、すれ違う人々に見かけたかどうかを尋ねることで道に迷うことはなかった。ただそれでも土地勘のない道を行くのは困難で、 否応なしに時間は取られていた。
分かれてから三、四十分経ってようやく沖田の姿を見つけた。立香は物陰に隠れ、魔術の詠唱を始めた。
交錯する刃と刃。
沖田の剣捌きは見事な物だった。
がたいのいい男二人の刀をたった一人で受け止め、まるで三本の剣があるかの如き神速で圧倒していた。
狭い路地裏で、風のような身軽さで躱し、いなし、距離を詰める。男達の後退する一歩分が、沖田の三手に相当していた。
男の内の片方が態勢を崩した。その隙を見逃さず繰り出された突きは、守るために構えられた鋼すらも貫いて男の首に突き刺さった。
「化け物かよ……」
残った男が冷や汗をかきながら戦慄に震えていた。
杞憂に終わったか。
立香がそう思ったその時だった。
「ゴフッ」
赤い鮮血が流れた。
男の物ではない。沖田のものだ。
「コホッ、ゴホッ」
戦いの緊張が身体に障ったのだろう。
咳き込む度に口から紅い物が溢れ出て来る。右手で口を覆っていたが、発作はどうしようもなく止まらない。その状態で男の剣を的確に躱していくものの、先程の動きからは信じられない程沖田の足は覚束なかった。
「何だか知らねえがこれで終いだ!!」
男が力強い一撃を放つ。
対する沖田は日本刀を支えにして立つのがやっとの状態だった。
覚悟を決めて目をつぶったその時だ。
「ガンド!!」
長屋の陰に隠れていた立香が詠唱を終え、指先から呪いの弾丸を男に繰り出した。速度も威力もそれ程高くはなく命中こそしなかったが、男を怯ませるのには十分だった。
「でぇりゃあああああ!!!!!」
その隙を突いて勇ましい雄叫びと共に沖田の前に飛び出し、未熟ではあるが八極の拳を男に撃ち込む。何の受け身も取らず食らった一撃は男の身体を宙に吹き飛ばした。
「大丈夫?」
「藤丸さん、あなた一体……」
「しっ。じっとしてて」
沖田の肩を右腕で支えながら左手を胸に当てて、応急処置代わりに傷を癒す魔術を行使する。
人理修復の戦いで身に付けた立香の技術だった。
「ちっ。妙な技を使いやがる。だが……」
男が起き上がる。
「二人まとめて叩き切ってやらァッ!!」
空中に飛び上がり、立香達を真っ二つにせんと刀を振り上げ、刹那の内に下ろされた。
しかしそれは、沖田の目にはとっては鈍重に過ぎた。
発作が治まった沖田は素早く刀を構え直すと、男の攻撃のタイミングに合わせて斜め上方向に斬り上げた。
数秒後、浪士の身体が力なく地面に落ちる音が響いた。
「……終わったね」
立香が言った。
その言葉に振り向くことなく、沖田は自分の掌を見つめていた。
「信じられない。
発作が始まったら数十分は止まらなかったのに……」
「沖田……?」
「お願いがあります」
振り返ると、朝に見た縋るような目つきで沖田は立香に頼んだ。
「私の……。
私のお医者様になってくれませんか」
昼間あれだけ高く上がっていた太陽が、地平の向こうに沈みかけていた。
次回は小休止で別の鯖にするかも。
魔術と八極拳についてはメディア嬢と書文先生に教えて貰ってるから多少は出来るんじゃないかということで