月明かりに照らされ、淡い光を放つ刃が頬を掠める。
「――っ!」
己が首を切り裂かんと迫るその刃をすんでのところで身をよじって避けきり、ランサーは一旦距離をとった。
「……チッ、やはり―――」
――強い。
頬をつたう鮮血を拭いながら、舌打ち混じりにそんな事を思う。
通常、アーチャーのような汚染されたサーヴァントは理性を失い、弱体化しているはずだ。これまでのアサシンやバーサーカーを見ればそれは明白な事実であり、たとえステータスや魔力量が上がっていたとしても恐れる必要などない、取るに足らない存在だとランサーは認識していた。
だが、この英霊は違う。
泥の汚染をその身に受けながらも理性は消えず、戦闘技術は一向に衰える気配がない。それどころか汚染される前よりも強くなっているとさえ感じられた。
「どうした。避けてばかりでは私を倒せんぞ?」
口元を歪め、挑発するように嗤うアーチャー。
その表情に焦りはなく、むしろこの状況を楽しんでいるように見える。
だがその一方で、対するランサーの胸中には僅かな焦りが生まれていた。
先ほどのアーチャーの発言通り、彼女は様子見に徹していた。
まず初めに相手の力を測り、それをもとに最適な戦術を練る。それこそがランサーの戦い方であり、彼女自身もその慎重な戦い方のおかげでここまで生き残ってきたのだ。
だが彼女がアーチャーの力量を測れば測るほど、ある事実がランサーの心を焦らせる。
その事実というのは
今までの戦いでランサーはアーチャーと互角に渡り合えていた。バーサーカー戦ではあと一歩のところで邪魔が入ったとはいえ、撃破しようかというところまでたどり着いたのだ。互角といっても問題はないだろう。
だがしかし、ここに来てアーチャーはランサーを上回るほどのパワーアップを遂げていた。
例えるならば、幼虫が蛹をすっ飛ばして成虫へと進化したような変化。そんな急激な戦闘能力の上昇がアーチャーの身に起きていたのだ。
多少の強化ぐらいならば、ランサーも搦手を駆使したりして対抗できただろう。しかし、こんな異様なまでの強化をされてしまえば打つ手がない。はっきり言って詰みである。
度重なる検証の結果判明した残酷な事実が、ランサーを襲った。
――だがそれはただの
そんな残酷なまでの戦力差を前にしてもなお、ランサーの戦意は衰えていなかった。
「…ほう、まだ戦いを続けるか。自分では私を倒せないと、賢明なキミならばわかっていると思ったのだがね」
沈黙したまま自らの武器を握り直す敵を前に、アーチャーはやれやれといった様子で呟く。
――たしかに彼の言うとおりだ。普通に戦っていればランサーはアーチャーを倒せない。それは変わることのない、確定した事実である。
しかしそれは
そも、戦いというのはいつどんな逆転劇が起こってもおかしくないものだ。
圧倒的な力の差があったとしても、油断すれば一瞬で巻き返されることもある。特に英霊の戦いとなればそれは顕著であり、どこぞの黄金の王は慢心が原因で魔術師もどきに敗北を喫した、というのをどこかで聞いたことがある。
何事にも例外というのは存在するのだ。
…と、話が脱線してしまったが、ともかくまだ負けたと決まったわけではない。
「――いいだろう。来るがいい、ランサー。ここを貴様の墓場としてやる」
これ以上の対話は無意味とみたのか、アーチャーは手にした双剣を構える。
アーチャーが発する濃密な殺意を肌で感じ、ランサーは彼が本気で
そうして洞窟の前が静寂に包まれる。スイッチの入った英霊たちは互いに動かず、相手の出方を伺っている。
きっと、どちらかが動けば自ずと片方も動き出すだろう。
そんな壮絶な我慢比べの末、先に動いたのはアーチャーだった。
黒き弓兵は凄まじい加速でランサーに肉薄すると、ふた振りの刃を横薙ぎに一閃する。
刃は風を裂き、ランサーのローブを巻き込みながら彼女の腹へ吸い込まれていくが、それを黒塗りの柄が弾き飛ばした。
初撃をしのいだランサーは一歩踏み込み、鎌の先についた槍でアーチャーを刺し貫こうと突く。
しかしそれを甘んじて受けるアーチャーではない。自らの心臓へ確かに突き進んでいた槍を剣で打ち払うと、背後に無数の剣群を投影し、すぐさまそれを投射した。
「ガッ…!」
隙ができ、迫り来るすべての剣を凌ぎ切れなかったランサーの身体に数本の剣が突き刺さる。
急所はなんとか外したものの、突き刺さった箇所からは血液が流れ出す。
だがランサーは歯を食いしばって痛みをこらえ、怯むことなく鎌を振るった。
「チィッ…!」
飛び退いたアーチャーだったが、その身体はまだ鎌の届く範囲の内にあり、褐色の肌に傷がつく。
しかしその傷も深くはなく、戦闘に差し支えるものではなかった。
そうしてはからずも痛み分け―――実際にはランサーの方が重傷―――となった二騎だったが、若干のクールタイムを挟んだ後、すぐにまたぶつかり合う。
時に弓で、時に鎖で。時に投影品で、時に魔眼で。
互いに持てるすべての力を使い、彼らは敵を打倒せんとしのぎを削った。
そしてもう何度切り結んだかもわからなくなった頃。
ついに決着の時が来た。
「ハァ…ハァ…」
「フゥー………」
向かい合う二騎の英霊は既に満身創痍。
魔力も互いに多くはなく、おそらくあと一度しか宝具は使えないだろう。
しかしこのまま宝具を使わずに切り結んでいても埒が明かない。
故に彼らは己の切り札を使うしかなかった。
「その指は鉄、その髪は檻、その囁きは甘き毒――」
英雄たちは互いに、宝具発動のための文言を紡ぎだす。
片やランサーはそのしなやかな総身に魔力を滾らせ、片やアーチャーは投影した剣を二度も放り投げる。
一見、何も知らない者が見ればなんの意味もなさないように見えるアーチャーの行動だが、ランサーはこの行為の意味を知っていた。
――
互いに引き寄せ合う性質を持っているアーチャーの剣を三対放りなげ、相手の隙ができた瞬間に回避不能の斬撃を見舞うという絶技。
初見ではまず間違いなくまともに食らうであろうこの一撃だが、ランサーはこの技を知っていた。
だから避けられる――と言いたいところだが、今の所回避する策を彼女は思いついていない。
そもそもこの技はアーチャーの"必殺技"なのだ。存在を知っていたから避けられる、なんてことなら必殺技などにはなっていない。
"必ず殺す"と書いて必殺技なのだから、知っていようが知っていまいが敵を倒すことができる技なのは間違いない。
ということで完全に鶴翼三連を打たれれば負けが確定するランサーだが、彼女はそれでも問題ないと思っていた。
今の彼女は既に満身創痍。仮に生き残ってキャスターたちの加勢に行ったとしても足手まといにしかなるまい。
ならばここで刺し違えてでもアーチャーを倒すのが彼女の最善の策だ。
そう結論づけ、ランサーは宝具の発動に全魔力を傾ける。
――たとえアーチャーの刃が自分の身体を切り裂こうと、自分は自分の成すべきことをなす。
そんな決意を胸に彼女はさらなる文言を紡ぎだした。
「――これが私!」
「――
二人は互いに地を蹴り、敵へ肉薄する。
ランサーは鎌。アーチャーは二対の剣。
彼らは自らの獲物を振りかざし、最後の呪文を口にした。
「『
「『
詠唱の終わりと共にアーチャーの剣がランサーの身体をズタズタにした。
真っ黒だったローブは血に染まり、辺りに血の臭いが立ち込める。
――
奥の手をランサーがまともに食らったのを確認し、アーチャーは安堵で口元を歪める。
しかし、その笑みは数秒も経たないうちに驚愕の表情に塗りつぶされることとなった。
「――ッ! ハアアアァァ!!」
「何っ――!?」
止まらない。
ランサーはアーチャーの絶技をまともに受け、身体はズタズタになって動けるはずもないのに止まることなく突っ込んでくる。
予想だにしていなかったランサーの行動に一瞬反応が遅れたアーチャーは逃げ遅れ、その結果彼女の渾身の一撃を受けることになってしまった。
そして乱れ舞う紫色の斬撃。
彼女の全魔力を込めた全身全霊の一撃にアーチャーはなすすべ無く切り裂かれる。
かくして、長いようで短かった彼らの戦いは幕を閉じた。
* * *
「………」
静かに消えていくアーチャーをランサーはどこか悲しそうな表情で見つめる。
やがてアーチャーが完全に消失すると、今度は彼女の身体が消え始めた。
「…この聖杯戦争も終わるとなると、些か寂しいものですね」
光の粒子となって消えていく自分の身体を見つめながらランサーはポツリと呟く。
思えば色々なことがあった。
どこか懐かしさを感じる少女に召喚されたことに始まり、数多の戦闘、他愛もない思い出の数々、そしてマスターとの別れ。
キャスターとの同盟から、カルデアの人々との出会い、シャドウサーヴァントとの戦い。
どれもこれも思い起こせば濃いものばかりだった。
きっと、今ごろ洞窟の奥ではキャスターたちがセイバーと戦っているのだろう。その結果をこの目で見届けられないのは残念ではあるが、仕方がない。
自分は与えられた役目をこなすことができたのだ。とりあえずそれで良しとしよう。
そう思いながらランサーは消滅の時を待った。
…そしてその最中、無意識に自分の手が首元に伸びていることに気がつく。
そこにいつもあったもの――"マスターの形見であるペンダント"はもうそこにはない。
戦いの直前でミライへと渡したからだ。
「…そう言えば、私はどうして未来さんにあれを渡したんでしょうか」
胸のあたりまで消失が進行する中、ランサーはふとそんな疑問に行き着く。
あの時ちょうど彼がいたから? いいや違う。もっと何か別の理由があったはずだ。
残された僅かな時間の中、彼女は色々な考えを掘り起こす。
しかしどれもこれもが納得のいかないものばかり。これでは死んでも死にきれないと頭を悩ませていると、ある考えが浮かんだ。
「…あぁ、そうか。そういうことですか」
やっと思い出した。あの時自分が彼にあれを託した理由。それは――
「彼がどこか"あの人"に似ていたから――」
――うん。だったら安心だ。
そう心の中で安堵しながら彼女は眠りに付く。
最後の最後にとびきりやさしい笑顔を残して。
次回はセイバー戦。とうとう(所長の)終わりが見えてきちゃいましたね…
それではまた次回。