円蔵山の地下深くに位置する大空洞。
そこに侵入したキャスター一行は道中で立ちふさがる竜牙兵を叩きのめしながら進み、ついに大空洞の最奥――大聖杯が設置されている場所にたどり着いた。
そして彼らはそこで信じられないものを見ることになる。
「なんだよこれ…」
「これが、"聖杯"…」
ようやく現れた聖杯を前に、キャスター以外の同行者たちは言葉を失ってしまう。
その空間にはとてつもない量の魔力が満ちていた。
それこそ、魔術に関しては完璧なド素人である未来たちですら感じ取れるほどの濃い魔力だ。
それだけでも異常だというのに、その魔力はとても禍々しいものへ変化している。
まるで無数の目に見つめられているかのような気持ち悪さに、吐き気にも似た感覚を感じながら未来たちは聖杯を見つめていた。
「なんでこんなものが極東の島国に――」
『極東の島国だからこそ、でしょう。この国は比較的魔術協会の監視も薄い。だからこんなとんでもないものを設置してもバレることがなかった。西洋でこれを作っていれば、すぐにバレて解体されていたでしょうね』
「ま、そういうこった――っと、話はここまでだな。ほら、奴さんのお出ましだ」
そう告げるキャスターの先には、黒い影が一つ立っていた。
よく目を凝らしそれを見てみると、その影が人の形をしていることがわかる。
全身を黒い鎧で覆い、手には漆黒の剣を持った人物。その髪は透き通るような金髪で、その眼は髪と同じ金色に染まっている。
「キャスターさん、あれは――」
「――セイバー。お前らの代で一番有名な聖剣、エクスカリバーの担い手のアーサー王サマだよ」
その言葉が放たれた瞬間、それまでの纏わり付くような気色の悪い空気が一瞬にして変質し、今度はすべてを押しつぶすような重いものになる。
――間違いない。これはセイバーの発したものだ。
その場にいる全員がそう確信する。
あのサーヴァントはただそこにいるだけで、ここまでの威圧感を発している。
その事実はまたたく間にキャスター以外の心を絶望の淵に叩き落とした。
「――っ!」
身体が震え、背中に嫌な汗が流れる。
――なんて気迫だ。
マシュは心中でそう思わずにはいられなかった。
彼女はここまで来る間に、それなりの覚悟を決めてきたはずだった。
たとえどんな英雄が相手だろうと、自分は折れずに盾を振るい続ける。
そう決意を固め、ここまでの道のりを突き進んできたはずだった。
だが、結果はどうだ。
戦うどころかその前の時点で既に折れかかっている。
自分はあの英霊には勝てないと、心の底で思ってしまっている。
マシュはこのとき初めて、本当の恐怖というものを知った。
「…ほう、面白いサーヴァントがいるな」
ギロリ、と。
セイバーの眼がマシュの元に向く。
それだけで彼女は背筋が凍り付き、震えが止まらなくなった。
「なにぃ!? テメェ喋れたのか!?」
「無論だ。しかし何を語っても筒ぬけだからな。故に案山子に徹していた。だがそれよりも――」
マシュのすぐ隣でキャスターが何やら会話を交しているが、彼女には聞こえていない。恐怖でそれどころではないのだ。
しかしそんなことをセイバーが知るはずもなく、彼女は静かに漆黒の剣を構える。
「構えろ、娘。貴様の守りが本物であるか、私が見定めてやる」
そう彼女が言った瞬間、握っていた剣が鈍く輝き出す。
それだけではない。この空間に満ちていた魔力がまるでセイバーの剣に食い尽くされるかのように集合する。
「卑王鉄槌。極光は反転する―――光を呑め!」
やがてその魔力は束となり、セイバーの身の丈を有に超えるほどの剣を顕現させた。
「
――宝具が来る。
英霊としての本能がそう最大限の警告を鳴らす。
恐怖に支配されていたマシュは咄嗟に、宝具の展開されていない盾を前に出していた。
直後、黒き斬撃がマシュの盾を直撃する。
多大な魔力を吸い上げ、まさに黒い津波と化したセイバーの剣はマシュの盾を食い破らんとしていた。
「――ぐうっ」
宝具を出さねば。この漆黒の奔流を止めるには彼女の宝具を出さねば止められない。
それはわかっている。わかっているけれど――
「どう、して――」
ここに来て、最悪のアクシデントがマシュの身に起きてしまった。
「いや! もうだめよ! 私たちはここで死ぬんだわ!」
「所長! 落ち着いてください!」
いつまで経っても宝具を発動しないマシュを見たオルガマリーはキャーキャーと諦めの言葉を口にする。
その言葉を背に受けながら、マシュは必死に宝具の展開をしようとしていた。
だが、いくら試しても宝具が発動することはない。
――もう駄目なのか。
徐々に盾が押される中、マシュは諦めの思いを抱きそうになる。
やはり自分のような出来損ないのサーヴァントでは、フジマルたちを守れないのか。
そう思いかけたその時。
盾を支えていた手に誰かの手が触れる。
驚いて隣を見れば、そこにいたのは藤丸だった。
驚愕に目を見開き、マシュは藤丸の顔を凝視する。
――ありえない。どうしてこんな危険な真似を。
セイバーの宝具を受け止めているマシュの盾付近はいわば、死と隣合わせの場所である。
一歩間違えば盾が吹き飛び、闇の奔流が自分を呑み込むかもしれないというのに、彼は恐れずにこんな場所にやって来た。
それに加え、彼は笑っていた。
多少引き攣ってはいたものの、彼はその口元に微笑を浮かべている。
――こんな状況で? 恐怖はないのか?
様々な疑問がマシュの中で浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。
そんな困惑しきったマシュの視線を受け止めた藤丸はただ一言だけ、彼女に言葉を送った。
「信じてる」
その一言を口にした刹那、藤丸の手に描かれていた令呪が輝きを放つ。
令呪というものは通常であれば絶対命令権として使用することができる。だが、今回藤丸が無意識に使った令呪の使用方法はそれとは違う使い方だった。
そもそも令呪というのは絶対命令権である前に、一つの巨大な魔力の塊でもある。
故にマスターが望めば、令呪によってサーヴァントを魔力的な面で支援することができるのだ。
そして藤丸は今回、令呪を単純な魔力リソースとして使用した。
つまり何が起きるかというと―――
「はあああああああああ!!!」
「なにっ!?」
足りていなかった魔力がマシュの魔術回路を循環し、発現していなかった宝具が決意の雄叫びとともに発動する。
そうだ、諦めるわけには行かない。
彼女が諦めれば背後にいる未来や所長、そして誰よりも大切なマスターまで失ってしまう。
マスターが信じてあとを託してくれているのだから、サーヴァントがそれに答えないでどうする。
自分は藤丸のサーヴァントと名乗った以上、その信頼に答えるのが自分の役目だろう――!
そんな思いを含んだ雄叫びと呼応するように、出現していた魔法陣が閃光と共に城壁のような姿へ変わる。
それはこの先、遠い未来で手に入れるはずの力。
あらゆる疵を防ぎ、最期には"獣の一撃"すら阻む最高の護りの一つだ。
しかしその姿へ変わるのはまだ先の話。だからこそ、その城壁も現れたのは一瞬だけで数秒経てばすぐに元の魔法陣へと戻ってしまう。
だが、その変化をセイバーだけは見届けていた。
彼女は密かに笑う。誰にも悟られぬよう、ほんの一瞬だけ。
「――焼き尽くせ、木々の巨人!
魔力切れにより霧散する己が宝具を見つめながら、彼女は迫るキャスターの宝具を無抵抗のまま受けた。
* * *
「…私の敗北だな」
光の粒子となって消えゆく己の身体を眺めながら、セイバーはそう宣言する。
――拙い宝具ではあったが、いい守りだった。
そんな思いを胸にセイバーはマシュたちを見据え、最期にせめてもの忠告を残す。
「だが忘れるな、カルデアの漂流者たちよ。
「あぁ? おいテメェ、なにを知ってやがる?」
「フン、答えてやりたいのは山々だが、あいにくと時間がないのでな。私はこれで帰らせてもらう」
最後にその場にいる全員を一瞥し、セイバーは完全に消え去る。
彼女が最期に残した言葉に言いしれぬ不安を抱いた一行だったが、セイバーが消えた今、それを問いただすことはもう出来ない。
仕方がないのでキャスターと喜びを分かち合おうとしたマシュたちだったが、彼も同じく消えていることに気がついた。
「キャスターさん、身体が…!」
「ん? あー! まじかよ、もう強制退去かぁ!?」
どうやらキャスター自身も自分が消えていることに気づいていなかったらしく、慌てて最後の言葉を残す。
「あー、なんだ。残念だがここでオレとの契約はお終いだ。短い間だったが、まあそれなりに良い采配だったぜ」
「キャスター…」
「未来の坊主もいい根性してたぜ。たとえ無謀だとしても他人を助けようとするのは美徳だ。忘れるんじゃねえぞ」
「うん…」
「あとはお嬢ちゃん。アンタのマスターはとびきりの善人だ。たまにとんでもねえことをやらかすかもしれねえからきちんと見張っとけよ」
「はい!」
徐々に消えゆくキャスターの言葉を聞き、藤丸たちは思わず涙が浮かんできてしまう。
ここまで来れたのはひとえにキャスターやランサーのお陰だ。彼らがいなければ、きっと藤丸たちはすぐに野垂れ死んでいたことだろう。
藤丸はキャスターに『マスターとしての心構え』をもらい、マシュはキャスターとランサーに『宝具と戦闘技術』をもらい、未来はランサーに『大切な形見』をもらった。
みなそれぞれ形やものは違えど、何かしらのものをもらっている。
「それじゃ、これで今度こそお別れだ。もし次に契約する機会があれば、そんときはランサーで喚んでくれや」
手をヒラヒラと振りながら消えるキャスターに対し、藤丸たちは目一杯の笑顔で感謝の言葉を伝える。
それが今の彼らにできる最大限の恩返しだと信じて。
『ありがとう(こざいました)! キャスター(さん)!』
まさか感謝の言葉を言われるとは思っていなかったキャスターは一瞬だけ驚いた表情をみせると、すぐに屈託のない笑顔でその言葉に応じてくれた。
こうしてねじれに捩れた冬木の聖杯戦争は終わりを告げる。
これできっと自分たちもカルデアに帰れる――
そう信じて藤丸たちは所長のもとへ急いだ。
セイバー戦終了。これにて特異点F編の全戦闘も終了です。
そしてここからは特異点Fであまりいいところのなかった、所長とミライくんのステージです。