11月6日12時55分
LANケーブルと、充電用のケーブルをベッド脇のコンセントに繋ぐ。
繋いだケーブルの根元にあるヘッドギア型の端末を、スッポリと頭に被る。
ドキドキと高まる鼓動。
起動したナーヴギア、その駆動音が心地よい。
待ち望んだ世界。
どんな世界が広がっているのだろう。
どんな冒険が待っているのだろう。
そして…アイツと会えるだろうか?
そんな期待に胸を膨らませ、備え付けられたデジタル時計を見やる。
12時59分
いよいよだ。
緊張と高揚感がピークを迎える。
そして…その言葉を紡いだ。
「リンク・スタート!!!」
陽菜は…旅立った。
剣と技と…
そして…
命懸けの世界に。
キャラメイクを終えて、陽菜改めて…アバターネーム『Esther《エステル》』は息を呑んだ。
顔つきは違えど、セッティングした赤く、長い髪を撫でる風が、はじまりの街の広場に吹き抜けた。
その少しくすぐったいと思える感覚も。
行き交う人々、NPC、その話し声も。
突き抜けるような青空と、流れる雲、そして照らす太陽も。
その全てが、エステルを飲み込んだ。
「これ……ホントに、ゲームの世界…なの?」
思わず呟いた。
そして…その声にも驚く。
長年慣れ親しんだ、自分の声だからだ。
自身の身体を見れば…キャラメイク時のそれと相違ない。先程まで三人称時点で見ていたアバター。その視点となってこの世界に立っているのだ。
手を握るように考えれば、実際にアバターの手が握り、掌に圧迫感を伝えてくる。
片足立ちをしようと考えて右足を上げれば、左足への負荷の高まりを感じ、不安定な感覚を覚える。
「じゃあ…」
ここで何をとち狂ったのか、エステルは○ョ○ョ立ちをしてみた。
が、
「む、無理!無理ィ!?」
やはり現実同様、関節に痛みが走ると共に断念した。しかし、そんな痛みさえもしっかり感じてしまえた。そんな世界。
現実の身体の頭部に取り付けたナーヴギアから発せられる電波が、脳に電気信号を送り込み、ゲームの内容に応じて五感全てを刺激することが出来る。だから、
味覚も、
視覚も、
嗅覚も、
聴覚も、
触覚も。
全てがゲームの中でありながら、現実と同じ感覚を味わえる。
「ホント…現実と変わんない…。」
蒼く澄んだ空を見上げて、ポツリとぼやく。心地良い風と、そしてぽかぽかとした日差しが、エステルを優しく包みこみ、得も知れぬ安らぎを…
「おーい、姉ちゃん。大丈夫かぁ?ラグってんのか?」
「無線か…?でもナーヴギアは基本的に有線だから、ここまで大きなラグは基本的にないハズなんだけど…。」
「と言うか何だ?今にも天国へ召されそうな顔じゃねぇか?」
「大方、VRMMOのリアリティに驚いて、そのまんまでラグったんじゃないか?」
「おう、その気持ちは分かるぜ。俺も最初は呆気取られたもんだ。」
「俺もテスト時はさすがに驚いたよ。これがホントにゲームなのかってさ。」
「あーもう!何なのよ!人が日光浴を堪能してるときに!!」
キレた。
折角の夢見心地を、男2人によってぶち壊された。
片や黒い髪の、所謂勇者顔をした男アバター、片や赤い髪にバンダナを巻いた男アバター。
キレたエステルに驚いたのか、目を丸くしている。
「だいたい!ラグって何なのよ!有線だとか無線だとかは、ちゃんとコンセントもLANケーブルも繋いでるわ!!」
「…LANケーブルとかの知識はともかくよぉ、ラグの意味を知らないってこたぁ、姉ちゃんVRMMOやオンラインゲームは初めてか?」
「…だったら何なのよ?」
「だったらよぉ、俺ぁ今からこのキリトの奴にレクチャーして貰うんだ。姉ちゃんも一緒にどうだ?」
「キリト?」
バンダナ男の隣にいる黒髪男が苦笑していることから、恐らく彼がキリトなのだろう。
「おう、コイツ実はβテスターでよ。武器の使い方とか教えて貰うんだ。」
「ふぅん。」
勇者顔とはいえど、優男に変わりない。だが、少し頼りなさげな雰囲気が感じるながらも、それを差し引いてβテスターともなれば、様々な知識を持っているだろう。となれば、エステルが取る返事は一つだ。
「確かに私はオンラインゲームのイロハについては、正直に言うと初心者だから教えてもらえると助かるわ。お願いしても良いかしら?」
「そんなわけだキリト。勝手に一人増えたがよ、構わねぇか?」
マンツーマンならともかく、二人同時に教える事になる、と言うのは流石に負担になるだろう。言いだしっぺのバンダナ男も、流石に申し訳なさそうにキリトと呼んだ彼に頼み込む。
「まぁ、二人くらいなら…な。俺は大丈夫だ。コツさえ掴めば、後は自己流でいけるだろうしさ。」
「そうか、すまねぇな。…そんなわけだ姉ちゃん。俺はクライン。宜しく頼むぜ。」
「俺はキリト。宜しく。」
「クラインにキリトね。あたしは輝崎 陽菜。よろし…」
「ちょっ!?本名禁止だ!!アバターネームだよ、アバターネーム!!」
「アバターネーム?」
首をかしげるエステルに、本当に初心者なのだと言うことを改めて思い知らされた。よもや本名を名乗ろうとは思わなかっただけに、2人はあわてふためく。
「アバターネームっていうのは、キャラメイクするときに名付けただろ?その名前だよ。」
「え?えーっと…エステル、だっけ?」
「いや、俺らに聞かれてもよぅ…。」
「ステータスを見てみたらどうだ?」
「…ステータスって、どうやって見るの?」
「…先ずそこからかよ。」
説明書読んどけよ。そんな言葉を飲み込みつつ、ステータス画面を開く事からのレクチャーと相成った。
「おりゃあ!!」
勇猛果敢な掛け声と共に、クラインの手に持った曲刀が一閃する。現実世界ならば、首を軽く刎ねることが出来るだろう一撃であるが、哀しくもそれは空を切るだけに終わった。
そして返しとばかりに彼が狙った獲物は、鼻の両脇に雄々しく伸び立つのを突き出して疾走。
「どわぁっ!?」
クラインの土手っ腹に突っ込んで軽く吹っ飛ばした。盛大に尻餅をついた彼は、感じるはずもない痛みに対して顔をしかめる。
吹っ飛ばした相手である猪はと言うと、その光景に満足したか否か、悠然としながらのっしのっしと、元の位置へと戻って行った。
「あーあー、何やってんだよ。」
「だ、だってよぅ。アイツ動くんだぜ?」
「そりゃ動くだろ。アクションRPGでもそう言うもんだし。」
「お、俺がこんなんだと、エステルの嬢ちゃんは…。」
何せステータス画面を開くことは勿論、装備の仕方も解らなかったくらいなのだ。ある程度、VRMMOに慣れている自分とは違って、相当苦戦、下手すれば戦闘不能に…。
そう思い、キリトとクラインは件の少女の方を見やる。しかしそこには、予想に反した光景が広がっていた。
パリーンと、ガラスの割れるようなポリゴンの消失音と共に、クラインが苦戦していた敵MOBであるフレンジー・ボアは消滅した。
「へぇ。結構楽しいのね、自分で思いっきり動けるって言うのが堪らないかも!」
味を占めたのか、次のモンスター目掛けて突撃し、手に持った得物を勢いよく振るった。
結局あの後、説明書代わりとなったキリトとβテスト時代お勧めの武器屋へと向かい、自身が共にする武器を選ぶこととなった。
様々な武器を試着し、重さなどを加味した使い心地を身を以て感じてから選んで貰う予定だったのが、店に入るなり、とある武器が目に付いたエステルは、迷うことなくそれを購入。初期所持金額である1000コルが200までに減額した。
呆れるキリトを余所に、ホクホクとした顔をするエステル。購入した物は仕方ないし、合わないと思えば後々別の物を買い直せば良いと思い、装備方法を説明。見事装備したそれは、彼女の背を斜めに貫くかのように備えられていた。オブジェクト化したそれは…キリトにとって初見のものだった。見たところ槍にも見えた。長い柄、そしてその先に鋼鉄の鏃を付けた簡素な物。そう思っていたが、柄と思っていたその長細い木製のそれの両端、そのどちらにも刃がないのだ。
「え、エステル。それって…。」
「ん?棍でしょ?店に入っていの一番に見つけて思わず買っちゃった。」
「いや、『買っちゃった』って…」
βテスト時には槍はあっても、棍という武器は存在しなかっただけに、キリトも困惑した。テスト時には、一通りの武器は試してみたし、基礎武器の使い心地もある程度把握している。その上で片手直剣を選んだので、どんな武器でも初心者レクチャーなら出来るつもりでいた。
だが棍と言う物はテスト時に無かったため、使い方もそうだが、その武器特有のソードスキルの発動のコツなども解らない。それだけに、エステルのチョイスは少々困り果てた物だった。
(まぁ…はじまりの街の回りくらいなら…どんな武器でもそこまで苦戦しないだろ。)
構えて軽く棍を振るエステルを見て、そう結論付けたキリト。
しかし…
いざフィールドへ出てみれば、予想を上回る展開となっていた。
「てゃあっ!!」
鋭く振り下ろされた棍は、独特の撓りと共に空気を裂き、フレンジー・ボアの眉間に叩き付けられた。それは物の見事にクリティカルヒット判定となり、脳に強い衝撃を受けた猪は、まるで目眩でも起こしたかのようにフラフラと足元をふらつかせる。
(気絶効果…!?)
打撃武器特有の付属効果。
的確に撃ち込まれたことにより、状態異常の蓄積が急速に堪ったのだろう。元々状態異常の耐性が低い相手だからでもあるが、初期武器でこうも出来るともなれば、余程のものだ。
そうしてフレンジー・ボアが状態異常になっている間に、エステルはサクッと仕留めてしまった。
「ふぅ~。あ、レベルアップだってさ。」
「は、早いな。」
「嬢ちゃん、やるなぁ。俺なんてまだレベル1だぜ。」
かれこれ数時間ほど狩りを続けていたので、キリトは3、エステルは2、クラインはもう直ぐ2と言ったところまで成長していた。
最初こそフレンジー・ボアに吹っ飛ばされていたクラインだったが、ソードスキルのコツを掴んでからは、討伐速度がぐんと上がり、経験値を蓄積させていく。そうして数分後には、クラインも2にレベルが上がっていた。
「あ~、倒した倒した!」
「2人とも凄く飲み込みが早いな。俺よりも上達が早いんじゃないか?」
「そりゃ、先生が良いですからね。」
「おうよ。キリトの教え方が上手ぇんだよ。」
「そ、そうか?俺は割と感覚で教えてたから、2人のセンスが良いと思うよ。」
初心者2人のレベルが2になったところで、切りが良いと言うことで、草原に点々と自生している木の陰に座り込み、一息つくことにした。
時間と天候は現実世界とリンクしているのか、草原を夕焼けが赤々と染め上げる。
「綺麗ね。…これが仮想世界だなんて、未だに信じらんない。」
「…全くだな。俺もβテストが終わってから今日まで、凄く待ち遠しく感じたよ。毎日寝ても覚めてもSAOの事ばっかり考えてた。」
「ははっ、そりゃ解るぜ。こんなスゲぇもん体験したら、のめり込んじまうもんな。」
βテスターの評価した、『もう一つの現実世界』。その言葉を身を持って経験し、そして納得する。
それだけに、このゲームの開発を手掛けた茅場晶彦と言う人物の頭脳が卓越しているのだろう。聞けばSAOのみならず、ハードであるナーヴギアの開発にも携わっているという。もしかしたら、このSAOを前提としてナーヴギアの開発に着手した可能性もあるかも知れない。
「ホント、このゲームの開発者は天才だぜ。」
「茅場晶彦、ね。テレビでも結構取り上げられていたけど、確かにここまでやらかしたともなれば、それにも納得だわ。…でも。」
「でも…なんだよ?」
思わせぶりなエステルの言葉に、クラインが引っ掛かる。先程まで見せたことのないような彼女の目に、クラインのみならず、キリトも目を向け、耳を傾けた。
「ちょっと、引っ掛かるのよね。…彼のあの言葉。
『これはゲームであっても…』」
「『遊びではない』、か?」
エステルの言葉をキリトが引き継いで答えた。
SAOの開発と発表にあたって、彼の発した言葉である。
一見意味深な言葉ではあるが、その台詞の後のSAOのプロモーションに掻き消され、言葉の印象は余り人々の頭に残らなかった。
だが少なくとも、エステル、そしてキリトはその言葉に妙な引っかかりを感じていた。
普通はゲーム=娯楽であって、それは遊びという括りの中の一つになるものだろう。
だが彼は言った。
『遊びではない』
と。
「何言ってんだよ。俺らはこのでっけぇ仮想世界を楽しむために、この初回一万本ロットの少ないソフトを苦労して買ったんだろーがよ。それ以外に何があるんだ?」
「俺はβテスターの優先購入だったけどな。」
「あたしは、知り合いのゲーム店のおじさんが取っといてくれてから…。」
「お、おめぇら…。」
友人らと夜通し並んで、その果てに手に入れたSAO。だが目の前の2人は…。
どこか、クラインのアバターが噎び泣いているように見えたのは、これもSAOの技術が成せる物なのか。
「…さて、そろそろ狩りの続きでもするか?休憩は出来ただろ?」
「おうよ!…って言いてえところだがよ。俺ぁここで一旦落ちるぜ。実は17時30分にアツアツのピザを注文済みでな。」
「ん、もうそんな時間か。」
「思えば随分長い間狩りをしていたのね。」
ステータス画面を見れば、現在の時刻は17時10分。武器選びで1時間弱費やしたとして、3時間近く狩りをしていたことになる。昼食から通してダイブしていたので、若干の空腹感にも苛まれてきたのも事実だ。クラインのピザと聞いて、キリトに加えてエステルも、腹の虫が唸り声を上げたような気がした。
「あたしもそろそろ一旦抜けようかしら?確かにお腹空いてきたかも。」
「俺は…もう少し潜っていよう、かな。」
「だったらよぉ、フレンド登録しとこうぜ。次にPT組むときとか、メッセ飛ばすのに便利だしよ。」
「いいわね。キリトもどう?」
「いや…俺は……」
出会って数時間という仲だが、それでもフレンド登録と言う行為に戸惑いを見せるキリト。現実世界とは違い、そこまで躊躇う物なのか。そんな彼を見て、エステルとクラインは目を合わせて瞬き数回。
対し、バツが悪そうに視線を泳がせるキリト。
「まぁ無理にとは言わないわ。仮想世界と言っても出会って数時間の相手に友達になりましょ、なんて言われたら戸惑う人もいるでしょうし。」
「ま、気が向いたら登録しようや。少なくとも俺は、お前が申請してくれるなら万事OKだからよ。」
「モチのロンであたしもよ。」
「…悪ぃ。」
2人の気遣いが身に染みるのか、それとも辛いのか。キリトはようやく聞こえるくらいの声で詫びた。
「んじゃ、今度こそ落ちるかね。」
そう言ってクラインが指でステータス画面を開き、落ちる準備…つまりログアウトに掛かろうとして10秒ほど。
ピザを楽しみにして落ちようとしていた彼の表情は、喜々に満ちたそれから、怪訝な物へと変わっていった。
「あれ?っかしいな…ログアウトのコマンドがねぇぞ?」
「は?そんなわけ無いだろ?よく見てみろって。」
ありえないことを言ってのけるクラインにキリトは疑いを掛けながら、自身もステータス画面を開き…そしてクラインと同じく、怪訝な表情を浮かべた。
「本当だ。ログアウトボタンがない…?」
「え?じゃあ…ログアウトできないの?」
「みたいだな。クライン、GMコールはしてみたか?」
「一応さっきからかけてるんだがよ、ウンともスンとも言いやしねぇぜ。」
「やれやれ、1日目からログアウトボタン実装不備とか、かなり致命的だな。対応に追われてるのか?」
「だったらよぉ、緊急で全員ログアウトとかするんじゃねぇのか?そうでもしねぇと…」
「17時28分。もうピザが届いてるんじゃない?」
「あ……、オレのピザがぁ……。」
クライン、男泣きである。
だがこればかりはどうしようもない。
そして彼に掛ける言葉も見つからない。
古来より、食べ物の恨みは恐ろしい、と言うが、クラインの怨み辛みはいかがな物か。
「…まぁクライン。兎に角今は他のプレイヤーのGMコールが対応されるのを待つしか無いよ。」
「…だな。ピザは諦めるか…。」
「…あー、お腹空いたなぁ…。はじまりの街のご飯でお腹ふくれないかしら。」
「お腹がふくれた気になるだけで、現実世界じゃ満腹感はないし、栄養も摂れないぞ。」
徐々に空腹感と不安が広がる。ログアウトできない不安が、空腹感を駆り立てているのか、3人の表情には目に見えて影が落ち始めた。
そして…
荘厳な音が、徐々に暗く鳴り始めた草原を駆け抜けていく。
規則的に重く、そして大きく鳴り響くそれは、陰りを落とし始めた3人の顔を上げさせるには十分な物で、下手をすれば一層全域に聞こえそうなほどだ。
「なんだ…はじまりの街の鐘が…?」
はじまりの街に備え付けられた大きな鐘の音だと解るのに、そう時間は掛からなかった。
そして…その鐘の音が引き金になったと言わんばかりに、3人の視界はホワイトアウトした。