薄暗い洞窟に、霧散した人狼のポリゴン結晶が幻想的に輝く。
普段なら息を呑むような物だが、生憎とエステルにはそんな余裕はなく、棍にしがみつきながらその場にへたり込んでしまった。
ぬかるんだ地面だろうが関係ない。未だ心臓の鼓動が強く打ち続けている。それを整えようとするが、全く収まらない。
初めて感じた死の恐怖。
初めて陥ったHPゲージのイエローゾーン。
それを実感し、見てしまったことで、エステルは改めて死と隣り合わせであることを認識してしまった。
「は…はは……危なかった…な……」
恐怖によって震える声を絞り出す。
視界の隅にある自身の体力が半分以下になっている。一撃でここまでやられたのだ。単純に後一発で自身のアバターは霧散して、現実世界の自分は脳を焼かれて死に瀕していただろう。
すっかり腰が抜けてしまったので、立とうにも立てない。だが、立たねばさっきの人狼がリポップしかねない。そうなったら次こそは命がないだろう…。
「だ、大丈夫カ?エッちゃん…。」
先程まで岩陰で震えていたアルゴが、恐る恐る出て来て声を掛ける。その顔色は…少し青く見えるのは、余程犬系に対してのトラウマでもあるのだろう。
「な、なんとか、ね。ほんと、首の皮一枚繫がった、っていうか…」
「よ、良く倒せたナ。」
「このときばかりは、あの不良中年に感謝しないとね。」
人と話すことで、若干恐怖が和らいだのか、声の震えが徐々に収まりつつある。それに伴って、棍を支えにゆっくりとエステルは立ち上がり、少々乱れた服を整える。
「うへ…膝が泥だらけ…。」
「帰ったらお風呂にでも入ろうカ。宿代も今回のお詫びもかねてオレッちが出すヨ。」
「え?そ、それは流石に悪いわ。ほら、結果的に無事なんだし…。」
「駄目ダ。エッちゃんが良くても、オレッちが納得いかないんだヨ。オレッちの犬嫌いがなかったらこんなコトには…。」
「そ、それはしょうが無いわよ。誰だって苦手な物はあるんだから、ね?」
「えぇイ!じゃあこのポーションもオレッち持ちだヨ!」
「ちょっ!?えっ…んぐぅっ!?」
アルゴがいきなりアイテムストレージから取り出した瓶。その蓋を開けると、エステルの口に無理矢理ねじ込んだ。口に流し込まれる独特の風味と舌触り、そして喉越しと共に、イエローゾーンに陥っていたエステルのHPゲージは、ほぼ満タンまでに回復していった。
「とりあえず…この奥にある隠しログアウトスポットとやらの正体を見て、そのうえで情報発信しないとナ。…悪いけどエッちゃん、もう少し手伝ってくれないカ?」
「まぁ…いいけど、さっさと終わらせましょ。さっきの奴がリポップしたら、次は無いかも知れないし。」
「OKだヨ。」
ようやく落ち着いたエステルと共に、洞窟の深部へと進んでいく。さっきのようなモンスターの出現を危惧してか、慎重に潜っては行くものの、とくに遭遇することはなく、ややあって最深部…と言うには大袈裟なものだが、通路の突き当たりまで辿り着いた。
「…どうやら、やっぱりガセネタだったみたいだネ。」
「少し…骨折り損だったような気もするけど、これで他の皆がこのに近付くことも無さそうね。」
「まぁ、もう少しレベルが上がったらさっきのモンスターを狩りに来るかも知れないけどナ。」
「確かに…EXPそのものは良かったけど、あたし的にはもう二度とゴメンだわ。」
「それはオレッちも同じくだ。」
冗談も程々に、そろそろ戻ろうか、と話を切り出したときだった。
「ン…?」
「どーしたの?アルゴ。」
「いや…そこの壁…何か書いてあるナ。」
アルゴは情報収集や偵察を要とした攻略の手助けを予定しているため、索敵スキルや隠密スキルなど、そういった割り振りを考えている。その中で、初期のスキルポイント配分で取得したのが暗視スキルだ。その名の通り、暗所での視力低下を抑える効果もあるのだが、如何せん未だ低レベルで、スキルその物の効果も薄い。先ほどの敵には、眼が暗所になれていなかった事もあって効果を成さなかったが、目が慣れてきた今なら壁面に描かれた何かを見つけるのには労することはなかった。
「これは…絵…カ?」
「言われてみれば確かに…、あたしはうっすらとしか見えないけど…。」
「何かの役に立つかも知れないナ。とりあえずメモっておくヨ。」
アイテムストレージから、アルゴの商売道具であるメモ取り用具一式を取り出すと、スラスラと壁に描かれたものを模写していく。エステルとしては、ほぼ見えないために手持ち無沙汰だったが、そう待たずしてアルゴの模写は完了した。
「よし、これでOKだヨ。じゃあそろそろお暇しようカ。」
「そうね。こんなとこ、正直長居は無用だわ。」
帰りはそう苦にもならず、人狼もリポップしないままに洞窟を出ることが出来た2人。ジメ付いた洞窟から抜け出せたことで、どれ程外の空気が、湿度が心地良いものかを実感する事となる。
「あ~!お日様って良いわね!やっぱり生きとし生ける物は、太陽の下で生を謳歌しないと!」
「大袈裟だネ、エッちゃん。まぁオレッちもそれには賛成だヨ。…最も、この太陽も作り物だけどナ。」
「野暮なことは言わない。…ところで…さ、アルゴ。」
「ン?」
「ソードスキルって武器が光って…それから身体が引っ張られるような動きになる…アレよね?」
「そうだガ?」
「そっか…あたし、ようやく…ソードスキルが使えたんだ!」
やったー!と太陽に棍を掲げ、歓喜に満ちるエステル。震えていたアルゴは、何が何やら、と言った表情で首を傾げる。そもそも、棍のソードスキルそのものは、エステルが3日間掛かっても未だ一つも発動できていないのは、アルゴも知ってはいた。が、今の今でソードスキルを発動できたというのは寝耳に水も良いところだった。
「ど、どういうことなんダ?オレッちにも分かるように、誰か説明してくれヨォ!」
「へぇ…武術の動きを入れたら、ねぇ?」
「そうなんだけど…なんか変なのよね。」
エステルが言うには、その型は既にソードスキルのモーションを試すために行った物だった。だが、現実世界では、その打ち込み型その物の威力はただ突くよりも、遥かに高い威力…いや、破壊力と言う物があった。…最も、エステルが行うと、精々瓦を割る程度だが、あのチート不良中年がやろうものならば、倍の厚さの鉄板をへっこませるを通り越して、貫通させるほどの威力を生み出す、とんでもない型である。
「しかしまぁ、普通にやったら使えないソードスキル…カ。詳しく調べてみた方が良さそうだナ。なんせ、あんな土壇場でしか出せないんじゃ、実用的とは言いがたい訳だシ。」
「そりゃまあ…確かにそうかも知れないわね。今回が偶々運良く使えて次の時には使えないなんて、笑えない冗談だもの。」
「全くだヨ。」
いざという時に使う切り札ならともかく、いざという時に使えるかどうかも解らない切り札など、ばくち以外の何物でも無い。それならば使える条件、使えない理由を解き明かした方が実用性も増すと言うものだ。
「とにかく、一度はじまりの街に戻りましょ。色々疲れたし、さっきの壁画の事についても話したいし。」
「それもそうだナ。今は兎に角、風呂に入りたいのが一番だヨ。妙にジメジメしてたし、さっきのモンスターの匂いがこびり付いてる気がするシ。」
「流石に匂いは…。」
「貴女達。」
不意に話しかけられ、エステルとアルゴは話を中断して声の主の方を振り向く。
そこには、樹木に寄り添うように佇む、一人のプレイヤー。目元から腰辺りまで覆い隠すほどの頭巾兼コートのような物を纏っている。頭巾の影で口元しか見えないが、先程の声からして女性プレイヤーだろう。
「そこ…最近噂になってる隠しログアウトスポット、なんでしょ?…なんでログアウトしないで出てきたの?」
どうやら早速偽アルゴのガセネタに釣られてプレイヤーがやってきたようだ。
「早い話、ガセネタだったヨ。中にはモンスターと行き止まりにある変な絵だけサ。」
「え…?じゃあ…ログアウトは…。」
「ん~、残念だけど、できないわね。あたしも少し期待はしてたけども…。」
「そん…な…。」
一縷の希望に縋ってここまで来たのだろう。力無く、へなへなと地面に座り込んでしまう女性プレイヤー。
正直…ログアウトスポットのガセネタ説が公表されれば、このプレイヤーのように絶望を味わう人々が多々現れるだろう。しかし、偽情報によってモンスターにやられて命を落とすよりも、落ち込んでも生きながらえる方が大切だ。命は落とすと拾えないが、気持ちは落ち込んでも、這い上がる事は出来る。
目の前の彼女に同情を禁じ得ないが、それでも死ぬよりかは幾分マシだ。
「あー…そのー、気持ちは分かるけど、さ。」
「入試が…模試が…!」
シクシクと涙声でひり出した言葉は、何ともリアリティに溢れる物だった。エステルとアルゴは顔を見合わせ、目をぱちぱちとまばたきさせる。
「えっと…リアルのことを尋ねるのはマナー違反だと思うけド…。」
「もしかして今年…というか年明けに受験…だったりするの?」
恐る恐る、というような声で二人は尋ねると、女性プレイヤーは力無くコクリと頷いた。
Oh…と2人の中で再び同情が生まれる。
受験…それは人生の岐路となるであろう、学生にとっての鬼門でもあり登龍門。それに向けての模試と言う物は、受験生にとっての重要な通過点だ。それを逃すと言うことは…
「ん~、そういえばあたしも来年模試だなぁ…、全然進路とか決めてないや。」
「ちょっ!?エッちゃん!リアル情報禁止だヨォ!?」
「あ、そういえばそうだった。…でもこっちも聞いちゃったから、これでお相子で良いんじゃない?」
「そりゃそうかも知れないけどサ…。」
そんな漫才のようなやり取りをしていると、女性プレイヤーはすくっと立ち上がり、踵を返して歩き始めた。
「お、戻るのかイ?」
「ここにいても、意味が無くなったもの。だったら戻るしかないでしょ?」
そりゃごもっとも、とアルゴが肩をすくめると、エステルの方は女性プレイヤーに駆け寄っていく。
「じゃああたし達も今から戻る予定だし、ついでだから一緒に行きましょ!」
「え……で、でも…。」
「まぁ良いんじゃないカ?旅は道連れってやつサ。街に戻るまでだし、そう悪くない話だと思うゾ。」
確かに、1人よりも3人の方が良いには違いない。ここに来るまでは正直楽ではなかっただけに、そう思案し口を開いた。
「…勝手にすれば?」
「OK!じゃ、パーティ組もうゼ。いいだろエッちゃん。」
「モチのロンでしょ。お願いね、アルゴ。」
エステルとのパーティリーダーとして登録されているアルゴは、手慣れた操作でメニューを開き、目の前の女性プレイヤーへとパーティ申請を行う。申請許諾に、女性プレイヤーは少々戸惑うも、それでもYESをタップして、晴れて2人のパーティに1人加わる。
「えっと…Asu…na…?」
「っ!?な、なんで…私の名前を…!?」
「……もしかして…パーティ組むの、初めてだったのカ?」
コクリと力無く頷いた彼女は、フードの影でわからないが、恐らく小恥ずかしさと共に、恐らく自分の名前が露呈していることに対しての懐疑的な視線をこちらに向けていることだろう。
「視線の左上にサ、自分のHPゲージの下に二本、新しくゲージが出来てないカ?」
「…出来てる、けど。」
「その左端に英語で、オレッちとエッちゃんの名前が記載されてるんだヨ。逆もまた然り、ってネ。」
「………アルゴと、エステル…?」
「そ、オレッちがアルゴ。んでこっちが…」
「エステルよ。よろしくねアスナさん。」
「…アスナでいいわ。…よろしく。」
こうして…暫定的にではあるが、3人のパーティは組まれた。
だがエステルもアルゴも知らない。
組んだ相手が、後にソードアート・オンライン最強ギルドの副団長になる人物だなどとは…。