「どうかなさいましたか?至高の御方々」
再び問いかけるNPC、アルベドをモモンガは見つめる。艶やかな黒髪、ヘビのような金眼、顔に影差す太い角。モモンガたちに向ける眼差しは僅かに細められ心から心配するかのよう。
(これは……いや、これはなんだ?)
まるで本物の人間のように顔を歪めて自ら語りかけるNPC、ユグドラシルのサービスがすでに終了したことを示す時刻、感情表現豊かに揺れる尻尾、自分の手が頭にめり込む恐怖体験、そのまま骨伝導で伝わる衝突音。これら多様な異常現象がモモンガの鋭敏な思考回路の元で1つの答えを出す。ということもなく混乱している。
(なんだこれは。なんだこれは⁉︎)
怒涛の展開に曝されたモモンガの興奮は止まることを知らず。緊張の糸はどこまでも張り詰めーー不意に落ち着く。突然の沈静化に困惑しつつも今度こそ彼の頭に名案が浮かぶ。
(ぷにっと萌えさんが言っていた。冷静な論理至高こそが、心を鎮めて視野を広くするのが重要だと)
ーーそうだ、俺は1人じゃない。具体的にはそこにもう1人いる。一旦投げよう。
冷静に考えた結果としてもっと考えたいとりあえず考える時間が欲しいという身もふたもない結論に至ったモモンガは真っ白い美女から視線を逸らし黒衣の美女へと目を向ける。そこには掛け替えのない彼の仲間が7本の立派な尾をぴんと伸ばして微動だにせず立っていた。固まっていた。動かざること殺生石の如し。本数は2本足りないが。
(うんこれ多分エンダースさんもいっぱいいっぱいでいらっしゃる。本格的にどうしよう)
密かに困るモモンガにそのまま止まったエンダースさん。そんな2人を差し置いて最初に動いたのは静かに様子を窺っていたアルベドであった。先まで自らに向けられていたモモンガの視線、動きにつられて自分も見た先にはエンダースさんの姿が。どうやら尻尾がこの上なく逆立っている様子とあれば頭脳明晰な、本人は気付いていないがモモンガたちより遥かに明晰な思考回路を持つ彼女は状況把握を開始する。
「モモンガ様並びにエンダースさん様、もしや何らかの異常事態を察知しておられるのでしょうか」
(例えばお前とかな)
アルベドは自らの上位存在が極度の緊張状態にあることを看破(尻尾の挙動を見たら子供でもわかる)して3度目の問いかけを行う。守護者統括という誉れ高き地位を与えられながら異常事態に気付くことなく、それどころか至高の御方々が自分を見つめながら創造主や己について色々お話になっているくふー!などとウキウキ気分になっていた自分を責める気持ちや、偉大な方々の御心を煩わせるものへの憤怒を美貌の裏に隠しながら。同時にアルベドだけではなく頭を下げたままのセバスとメイドたちも気を引き締める。そしてモモンガの存在しない心臓もきゅうと引き締まる。
気を落ち着かせるためにゴクリと喉を鳴らす、ことには失敗するもそれに誘引された精神の沈静化を迎えてモモンガは決意する。とりあえず落ち着きたいし一旦外に出ていてもらおう、と。決意という割には小さな一歩かもしれないが、会社の後輩以外の部下を持ったことのないモモンガには大きな一歩だ。セバスとかアルベドとか殺気やばいし。
「モモンガ様、エンダースさん様、どうか我々にご慈悲をお与え下さい。御方々の危惧を理解することもできない不出来な我々にどうか挽回の機会を!」
(わあいこの子が何を言っているのかこれっぽっちもわからないぞお)
言っている内容はもちろんのこと、物理的に圧迫されているかのような威圧感とか、涙が今にもこぼれ落ちようかと潤んだ瞳や悲壮感あふれる声色といった感情表現とか。ユグドラシルでは、いや現在のゲームでは到底不可能なことだ。高度に思考をして人間のように情感のこもった流暢な会話をするなどあり得ない。複雑な表情など数パターン仕込むのがせいぜいだ。プレイヤーキャラクターだって
(……この例えだと俺が上司か?そんなに怖いのか俺?……そういえばカルマ値極悪だったな。関係があるかは分からないが。アルベドのカルマ値はどうだったか……うん全くわからない。せいぜいデータ面ならなんとか思い出せるぐらいだ。玉座の間に来るのも半年ぶり、いやもっと前から立ち寄っていないかもしれない。ひょっとすると今の俺、ずっと顔を見せることも無かった社長が突然やってきて和やかに談笑してたと思ったら不意に取り乱したとかそんな感じに見えたか?うへえ近寄りたくない)
現実逃避気味に思考に沈んでいくモモンガ。本来の彼よりも動きが鈍く頭の中も若干ぽややんとしているのは少し前まで気心知れた仲間とはしゃいでいたからだろうか。そんな彼の心の弛みから生まれた何も起こらない時間で、ようやくエンダースさんが再起動できた。
「ーーそう嘆くことはない。お前たちが気付かなくても、我々が気付いたのだから、何も問題はない。故に楽にせよ」
NPCたちにとって、モモンガにとって、そして喉の病気で上手く声を出せなかったエンダースさんの中の人、田中 巴にとっても久方ぶりに聞く声がした。お淑やかそうな銀髪偽狐耳尻尾和装美少女が紡ぐ言葉は研ぎ澄まされた刀の如く冷ややかな声だったが、NPCたちは暖かい思い遣りに満ちた慈悲深き言葉として受け取った。一方モモンガは、怖いからその威圧感どうにかして!という切実な想いを読み取った。ところで尻尾は依然逆立ったままである。一切の動揺を感じさせない声色でねぎらいつつも内心警戒バリバリであらせられることはNPCたちの目にも明らかであり、むしろ偉大な御方に気を遣わせてしまっていることを気に病んで更に空気が重くなるのは当然の帰結であった。
するとエンダースさんはふところから1つの仮面を取り出し、流れるような滑らかな動きでそれを嵌めた。ゲーム内で装備を変更する際にはコンソールを操作するため、特に意味もないのに練習していたことが察せられる。
この仮面は狐のお面のような形状をしており原作では冥燐王エンダース本来の顔で、ユグドラシルでは変身スキルを利用した戦闘形態ーーつまり真の力を発揮しようというーーをとる装備だ。これまた当然の帰結としてNPCは緊張する。彼女たちにしてみれば非常事態宣言の発令みたいなものなのだから。
本人はあれ?声はしっかり演技できてた筈だけど顔に出てたかな?隠さなきゃ。ぐらいの気軽さであったが。
「あー、ごほん。アルベドたちよ。」
仮面の下で声を調整してから語りかける。仮面を外している時は転がる鈴の美少女ボイス、被っている間は魔王にして武人、力ある戦士としての声を心掛けた威厳溢れる低音と演じ分けるのだ。一人称も俺に変わる。内心びくびくしていても彼女はこだわる。
「……状況は極めて特殊だ。それは俺やモモンガにとってもそうだ。私たちも今起きていることを正確に理解できている自信はない。だからそう悩むな」
その声は大きくはなかったが広大な玉座の間に響き渡る。声量ではなく技量が生み出す迫力に呑まれNPCたちも我を忘れる。ついでにモモンガも。
聴衆の心を掴んだことを確認するように一呼吸し冥燐王は口演を再開する。心なし尾もほぐれてきた。程よい緊張感は技の冴えを一層鋭いものにする。
「得られる情報が限られている現状では、俺とモモンガが気付き、お前たちは気付けなかった、という事実も価値ある情報となる。だから俺はこう思うよ。そこにお前たちが居てくれて良かったとな」
自分たちの失態を責めるどころかそれを状況解明に有効活用してみせようと語るエンダースさん。NPCたちは向けられる思い遣りと思慮の深さにますます感服する。なにしろ彼女らは至高の41人の誰が残ったとしても完璧にアインズ・ウール・ゴウンを運営してみせるだろうと信じている狂信者たちだ。熱い視線を向けられて再び尻尾に針金が通る。モモンガはモモンガで感心していた。
(確かにアルベドたちが居なければNPCの自律化に気付かず動き回っていたかもしれない。それで他の層に行ってアンデッドから話しかけられたり、外に出て戦闘でも始まっていたら動揺はこの程度じゃなかっただろうな……待てよ、外?)
彼らは交互にスイッチが入る仕掛けでもあるのだろうか?頭の中身を出し切ったエンダースさんの思考が止まればモモンガの頭脳の回ること回ること。もちろん中の味噌こそ失われてから数分経つが、落ち着きさえ取り戻せばやるべきことの1つや2つは思いつく。正体不明の彼女らも、言葉をかければ忠実な部下として応じることは既に仲間が実証済みだ。ならば自分もやってみせようと、偉い人らしさを意識しながら指示を与える。
「まずすべきは確認、何から何までに異変が及んでいるかの確認だ。とはいえエンダースさんが言った通り、詳細は我々2人で直接調査する必要性がある。よってお前たちに先んじてするべき最低限の使命を与える」
モモンガはエンダースさんの言葉からしっかり偉い人らしさの出し方を学び取っていた。考える時間を稼ぐために嘘は言わず、考えているとおりのことをゆっくりと言う。ただし、それが重要で理に適っているのだともっともらしく。
そうしてモモンガはセバスにプレアデスの1人を付けてナザリック周辺の調査を命じた。この時、なるべく平和的に配慮するよう言いつけたことが彼女たちに大なり小なり驚きを与えた。大はカルマ値の低いもの、モモンガの極悪に近しいものである。なにせ彼らの悪性を端的にゲーム的に表現するならば、敵対的なものはぶっ殺し、中立的なものは不意にぶっ殺し、友好的なものは利用するだけ利用してしかるべき後にぶっ殺すというアライアンスなのだから。
このことに対するNPCたちの反応は3つに別れた。知能高き者はモモンガの高い警戒心を肝に銘じた。善性の者ーー該当者はみな高い知能も併せ持っているーーはそれに加えて同胞でありながらモモンガと相反する
「セバスについていく1人を除くプレアデスは9階層の調査だ。上階からの侵入者に警戒しつつ何らかの異常が発生していないか目を光らせよ。そして最後にアルベドだが……」
ちらりとアルベドに視線を送る。それに気付いてにこりと微笑みを返してくる。己が主人たちが、高い警戒心を抱いてことにあたっていると知る今の彼女は極めて真面目だ。しかしその凜とした態度と美しい笑顔にかかる山羊角からの陰影が貼り付けた仮面のような印象をモモンガに与える。
(エンダースさんは本当に仮面を被っていても分かりやすいんだけどな。アルベドも腰から生えてる翼に感情が出たりとかしないのかな?)
そう考えて思い出してみると、自分が異変に気付く少し前、視界の隅で黒い何かが動いていたような気もしてくるから不思議だ。しかしその頃のモモンガはエンダースさんから部下を洗脳する上司の屑、ペロロンチーノの親友という謗りを受けていた。
(それを見て喜んでいたとすると、アルベドはすごいサドということになるのでは……)
そうではないかと思うとそう見えてくるものだ。
彼女の名誉の為に補足しておくと、長い間姿を見せなかった主人が2人もやってきてくれた上、自分のことについて色々お話になるというしもべ垂涎ものの状況に思わず舞い上がったというのが真相であり、後に本人から聞いたモモンガが猛省することになる。それはそれとして彼女がすごいサドなのは事実だが。
「私とエンダースさんにも認識の相違がないか確認が必要だからな。これより2人で話し合う……暫しの間、誰からの邪魔も入らないように玉座の間を守護する門番が必要だ。その役目をお前に任せる」
2人だけで話したいから出て行けという横暴をオブラートで厳重に包みつつ、お前を重用しているのだぞと機嫌を取ろうとするとこうなる。しかし功を奏したようで、大任を与えられたアルベドの黒翼が歓喜に震える。やはり動くのだなとモモンガは感心した。
「次の指示は追って与える。重大な異変があれば随時報告せよ。その場合は玉座に通しても構わん」
「畏まりました、モモンガ様」
「それでは直ちに行動を開始せよ」
「承知いたしました、我らが至高の御二方よ!」
ぴたりと揃った声が響き、跪拝を終えたNPCたちは退席する。巨大な扉が開いて彼女たちを次々に呑み込み、最後に振り返ったアルベドが頭を下げる姿を残して静かに閉まる。
「「ふぅ……」」
思わず漏れるため息ふたつ。
仮に部外者が見たならヤバい奴らがいなくなって特にヤバいのが2体残ったというところだが、彼らは互いのことを知っている。ここに残った2人は、ちょっとアインズ・ウール・ゴウンが好きすぎたりちょっと冥燐王エンダースが好きすぎたりするだけの平凡な人間で、苦楽を共にした友人である。台風一過とはいかないがひとまずは休憩できる。
「ひとまずお疲れ様でしたモモンガさん」
「エンダースさんもお疲れ様でした。さっきの魔王ぶりはなんというか流石でしたね」
「演じるのは本分ですから。それを言うならモモンガさんもかっこよかったです。咄嗟にあれだけ指示を出せることこそ流石ですよ」
「エンダースさんの魔王ロールを聞いたらちょっと安心しまして。しかし緊張しました。冷たい水でもグイッと飲みたい気分だ」
「飲めるんですか?」
言われてモモンガは考え込む。これまでに得られた情報から推測すると今の自分はーー骨だ。
「エンダースさん。俺どういう顔してます?」
「ーー骨ですね」
満場一致で骨だった。
「よくよく落ち着いて考えると、水が飲みたいとか喉が渇いたという感覚はないような……」
「ところでモモンガさんモモンガさん」
「おっとなんでしょう」
「私はどういう顔してます?」
(顔は見えないんですが)
改めて正面から向き合ってみる。自分より一回り小さいので少し見下ろす形になる。紫装束のほっそりした
「……に、似合ってます、よ?」
「えへへ」
どうやら褒めるのが正解だったらしい。本人の姿での着こなしではなく、原作を再現した外装を評価した場合、果たして彼女を褒めたことになるのだろうか?
「私、エンダースさんですよね」
「哲学はちょっと……」
「いや人格の連続性とかそういった話ではなく。モモンガさんが
「どこから見てもエンダースさんですよ」
「まさか本当にエンダースさんになる時が来ようとは。生きていてれば良いことがあるものですね」
まるで自殺を考えていたかのような物言いに内心ぎょっとしつつも返す。
「本当に、ですか?」
「紛れもなく、仮装ならざる
立ち昇る鬼火のようにゆらゆら揺れる7本の尾。彼女の蕩けるような喜びがにじみ出ているかのようだ。
古来より飲酒や薬物、舞踏といった手段で酩酊状態となり精神を溶かすことで神との合一を図る神秘主義運動が世界各地で行われてきた。今の彼女もまたそれであり、つまり軽くトリップ状態だった。
もっとも、突然の異常事態にパニックめいて躁状態になっているというのが強いのだが。
(浮かれてるなあエンダースさん。俺と違ってあの不思議な沈静化が起こらないのか?もしかするとあれはアンデッドの能力、精神作用無効が現実になったということなのだろうか)
モモンガの
(他者から与えられる感情ならともかく自分で勝手に興奮するのは耐性で弾かれないが、気持ちが昂ぶって取り乱すのは精神作用なのでフラットな状態に戻される、とかそういう……?)
と、ここまで考えてモモンガは苦笑する。コンソールを開くとかログアウトしてみるとか、大して何かを試したわけでもないのに自分はここが現実、ユグドラシルと地続きのリアルとして受け入れていることに気付いたからだ。ゲームではあり得ないことは幾つも見ている。現実世界ではあり得ない肉体を得ている。だが仮想世界が現実になったなどという荒唐無稽な絵空事を自然に受け入れたりなど出来た最大の理由は、友と一緒にいるからだろう。この1週間共に遊んだ友人が、1週間一度たりとも喋ることのなかった彼女が嬉しそうに話しかけてくる。
そんな彼女がリアルと受け入れていた。というのも、物理学を嘲笑うような不思議な骨と化したモモンガより、異形なれど地に足ついた人間的な肉体を得た彼女が変化を如実に体感していた。吸気が肺をいっぱいに膨らませる。横隔膜を調節して思うままの声を披露する。病に侵された身体では諦めていた声が出る。非現実的な現実世界でなければあり得ない。ならばそれが答えなのだろうと彼女は思ったのだ。
「とはいえ色々と確かめないといけないこともありますし、検証を始めましょうか」
「了解です。ふふふ、私も頭がわやになってる自覚はありますのでモモンガさん頑張ってください。何か必要があれば指示してもらう感じで」
「さすがに丸投げされると困るのでそこはもうちょっと頑張りましょうよ」
仲間の頼りなさに頭を痛めつつもモモンガの口元に笑みが浮かぶ。(比喩表現である。その表情筋は既に異次元へ散った)彼女の頼りなさは元来のものである。これは非常事態への焦りゆえではない。ここ一週間ずっとこうであり、かつてみんなが揃っていた頃もこうだった。
そんな性質は時に反感を買い、たまには説教もされたが、
(これからどうなるかわからないけど、俺がしっかりしないとな)
モモンガにとってエンダースさんは掛け替えのない存在だ。孤独を耐えて守り続けたギルドに彼女は帰還して、その努力に意味を与えたのだから。彼女に頼られて奮起せぬ筈がなかった。
「でも冥燐王エンダースは問題解決を人任せにして思考を放棄するような魔王なんですか?」
「全然そんなことないからちょっと待って凄い役に立つ何かが思い出せる気がしてきた私は大船」
それはそれとしてモモンガもエンダースさんに頼るのだが。一介のサラリーマンにはどう考えてもキャパシティオーバーなのに、やれば出来る甘えたがりを遊ばせておく訳がないのだった。