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ただ、走る。一陣の風のように。
様々かつ数多の障害物を、減速すらせず、流れるように。
障害物となったモノは、本当に風か吹いたようにしか感じなかった。
急がなければ、ならない。一秒たりとも遅れてはならない。
否、むしろ猶予を稼がなければならない。減速やブレーキ。そんなものは単語そのものが存在しないと言わんばかりに――
――さらにギアを一つ、上げる。
走る、などという悠長なことはもはや言っていられない。駆けるなどでは足りない。
翔ける。翔け貫ける。
しかし、なんということだろう。信号が赤に変わってしまう。歩行者も自動車も、みな止まる。
止まっていられない、急いでいるときに限って、信号が変わったり交通機関の乗り物が発車してしまうことはないだろうか。
今が、まさにそれだ。
信号であれば多少無視してでも、という時があるが、交通量が多く、飛び出せば自分だけの被害では済まされない交通事故に発展するだろう場合では、そんなこと出来るはずも無い。
片側3車線。学園都市でも動脈に例えられる大きな通りである。コレに捕まってしまえば数分の足止めは確実であり、信号の向こうにあるバス停目当ての人々が、何度も何度も悔しい思いをしたことだろう。
……だが、その例に倣ってはいられない。倣う、つもりもない。
ギアをもう一段階上げる。既に横を走る車の速度を超えているのだが、構わず上げる。
そして信号前にも関わらず、大きく踏み込んだ。
凶悪な加速。強靭な踏み込みにより打ち出されたその身は、しかし20m近い距離を越えられるわけがなく。しかも数メートルも前から飛んでしまっては中央線を越えることも難しいだろう。
――しかし、次の瞬間。『本命の踏み込み』が、信号機に炸裂した。
赤を点すものではなく、進行方向上の道路側に突き出るようにある『青』の信号へと。
高く、さらに高く。どんな大型車でも届かない到達点へ。そんな交通事故など起こしようもない高さ。
着地点は赤の信号。そこから誰もいない歩道へと。
ほんの一瞬の出来事。僅かに気付いた歩行者が少し遅れて騒然とするが、一連の動作で一切減速しなかった存在にはどうでもいいことだった。
なおも翔ける。待たせるわけには行かない。遅れるなどもってのほか。
――目的地(ゴール)は、もうすぐなのだ。
――その少女は、ただただ待つということなどできず……ハラハラし、ソワソワしながら待っていた。
無理を言ってしまったのではないか? 無理をさせてしまっているのではないか?
急がせたあまり、怪我をさせてしまったのではないか?
そんな不安ばかりが、両手で押さえた胸を次々と過ぎる。心配そうに視線を送ってくる級友も、この時ばかりは無視してしまった。
今朝の自分のおろかさを罵りたい。今朝まで戻れるならばやり直したい。
しかし、当然そんなことが出来るはずもなく……。 一縷の希望を、先日わずかな高揚と共に入手した携帯の番号に込めてコールした。してしまった。
それが、もう五分ほど前。いや、『まだ』五分ほど前だ。
交通機関を利用しても片道最短で20分は軽く掛るだろう道のり。往復で最短40分。交通の神様に愛されまくっていれば出せるだろうタイムなのだ。
しかし、『それ』がないことに気付いたのが、お昼休み終了30分前。次の授業の用意のために、昼食を早めに済ませて準備するほどの内容である。
最速で来れたとしても、10分前。間に合うかどうか、ぎりぎりだった。
……それでも、そんな状況でも。
自分を案じるよりも、無理を言ってしまった相手の心配をする少女に、女神は当然――
――微笑んだ。
口に手を当る。信じられないものを見るように、目を見開く。
視線の先は、固く閉ざされた常盤台中学の校門。その門を軽々と超え、まっすぐ直線距離をこちらに向い、信じられない速度で走ってくる人物。
『彼』は自分の前で急停止したにも関わらず、とんでもない速度で走ってきたにも関わらず、息一つ、服一つ乱さず恭しく一礼した。
「――絹保お嬢様、大変お待たせしてしまい、申し訳ございません」
御坂 深音。少し前に寮の執事になり、あることをきっかけに他愛のないおしゃべりをしたりする、数少ない異性。
差し出されたその袋を呆然と受け取るのは、湾内 絹保。以前、美琴たちの罰則であるプール掃除を深音が代わりにやった際、手順などを細かく丁寧に教えていた少女だ。
「あ、ありがとうございます! で、でもどうやって……?」
片道20分。それを、どうやったのか、何をしたのか。目の前の執事は5分足らずでやってきたのだ。疑問に思って当然である。
結果。ギリギリどころか、大幅な余裕が出来ていた。先ほど心配そうな視線を送ってきた級友も、信じられないと眼を大きく開けて驚愕している。
――そこで頭を上げた深音の顔。笑顔はいつも見ているが、執事としての笑みではなく――言うなら深音本人の笑顔。
「絹保さんからの『お願い』なんです。――コレくらいの難題、物の数じゃありませんよ」
でも内緒ですよー? と、悪戯っ気混じりに自分の口を人差し指で塞ぎ、軽くウインク。
「おっと……それでは、絹保お嬢様。私はコレにて失礼いたします。なにかあれば、またご連絡ください」
そのまま立ち去り、校門の守衛に一言二言つげて――おそらく常盤台の寮にだろう、帰っていった。
――去った後見送っていた絹保は、少し危ない時間になって友人が呼びに来るまで、ずっとポーッと見ていたそうな。
***
「――と、いうことがあったんですの。それを語る湾内さんのお顔はそれはもう王子様をロックオンしたお姫様状態でした」
「――アイツは何してんのよ……ってかどうやって五分でこれるわけ……?」
帰りのバスの中、つり革に掴まりつつ他愛もない話をしていた黒子と美琴。その中で語られたのが、深音の疾走事件である。バスに乗って五分などとっくに過ぎており、窓の外を見てもまだまだ先。
「それはなんとも――バイクなどで法定速度を無視して信号一切合切無視すればギリギリ、出来るかもしれませんが……いえ、問題はそこで……はなくもないですけど、別のところですの」
「なによ別って。湾内さんもその忘れ物? 届けてもらって助かったわけでしょ?」
黒子はいやいや、と首を振る。
「いえ、助かっている人たちが、自分も自分もーと深音さんに助けられたことを自慢話のように語りだしたんですの。――ええ、皆さん湾内さんの様に王子様を以下略ですの。――お恥ずかしい話、ワタクシも何度か門限破りを深音さんに助けていただいたことが」
「――ごめん、私それしょっちゅう。この前深音が休みの日に呼び出したし……」
「「…………」」
高性能なバスの、静かなエンジン音がやたらと聞こえる。そしてそれがやたらと空しくもあった。
「――お姉様、少し前まで『何でアイツが『兄』で私が『妹』なのよ』とおっしゃってましたの」
「ごめんやめて。ホントやめて。何を根拠にして言ってたのか自分でも分からないから。この前の携帯の契約くらいしか何か手伝った記憶ないからホント」
つり革で全身を支えているかのように脱力する美琴。
一週間近くそれを言っていたため、その分の蓄積がそのままダメージとなったのだろう。
「……よく考えればもっていなくて当然ですのに、ワタクシ達一切気付きませんでしたの」
『携帯? ……皆さん何か携帯しているんですか?』
と、いつものメンバー五人(美琴、黒子、佐天、初春、深音)で食事していたときに出た驚愕の発言がこれである。携帯電話を持つ・持たないの話ではなく、『携帯電話』という存在すら知らなかったという。
通信機は知っているが、電話を知らない。理解する際も『登録した周波に連絡できる通信機』と間違いではないが、どこかチグハグだったという。
そのまま、なくて不便あって便利と美琴たちと一緒に契約をしたのだ。……その際アドレス登録一番を勝ち取ったのが佐天である。
そのときのやり取りを思い出し、携帯のアドレスを見つつ笑う二人。深音の名前と電話番号。そして何のひねりもない自分の名前をローマ字で打っただけのメールアドレス。
……それを眺めていた黒子が、小さな疑問を持った。
「そういえばお姉様。ふと、思ったのですが――」
「んー?」
「深音さんはどちらに下宿なさってるんですの?」
「…………あれ?」
……長い空白は、それだけ長い長い沈黙だと思って頂きたい。
たっぷりとバス停間一つ分。思考停止と高速思考の末の発言が「あれ?」なのだ。
「いや、あれ? って……まさかお姉様」
気付いた黒子も、アドレス欄に記入されているべき現住所が空欄だったために気付けたのだが、美琴は違う。あれ、あれ? と繰り返し呟いて自分の記憶を紐解いていく。
終いには深音の存在を知った件の地下施設まで遡ってみたものの、深音が今現在どこに住んでいるのか全く分からなかった。
「義理がつきますけど、妹であるお姉様が知らないってどういうことですの……?」
「待って! ホント。知ってる! 多分知ってるはず、なんだ、けど――……ゴメン。知らない。でも結構早い時間からいるから寮の近くじゃないの……?」
「いえ……ワタクシも以前おやすみの日に呼び出してしまったのですが……それでも寮にいらっしゃるまで15分はかかっていましたし……今日の移動速度で考えたらかなり遠いところではないかと」
そういえば昨日呼び出したときもそれくらい――との美琴の発言はスルーしていただきたい。
住んでいる場所を知らない。コレは相当だった。深音よりも後に知り合った佐天の住所を知っているのに、仮にも家族である深音の現住所が分からないのである。
「そういえば――私達って深音のこと、あんまり知らない……?」
「……まず、住所を知りませんの」
携帯をしまった黒子が、人差し指を伸ばす。一つ目。
「誕生日は?」
「――も、ですの。好きな食べ物などは」
美琴は首を振る。二つ目、三つ目。二つ目の誕生日は深音の都合上微妙なところだが、カエル医師が書類を申請しているのだから、それらしい日に決められているはずだろう。
二人揃って、苦笑いを浮かべる。
そのときは――まだ、苦笑いであった。
Q.趣味は? A.さあ……。 四つ目。
Q.休みの日は何をしていらっしゃいますの? A.……勉強、とか? 五つ目。
Q.……私服姿、見たことある? A.執事服しかありませんの……。六つ目。
以下常盤台寮に着くまで。黒子の指は何度も曲げて伸ばされ……とうとう、数えるのをやめた。苦笑いから、頬が引きつり、やがて苦笑いから笑いが消え……完全に無表情になった。
知っていることの、あまりの少なさ。
あまり話したことのない級友だとしても、もう少しくらいは知っているだろう。
かといって、今更面と向かって教えてもらうのも気が引ける。
深音のことだから、なんの躊躇いもなく教えてくれるだろう。だが逆に、聞けば簡単に答えてくれる内容でさえ二人は知らなかったのだ。
……これは、聞けない。逆に、聞いちゃいけない。
「お帰りなさいませ、美琴お嬢様。黒子お嬢様――……? お二人ともどうかなさいましたか? ……えと、具合でも悪いのですか? でしたらすぐ医務室に――」
黙りこんだ二人を執事として迎えた深音だが、様子がおかしいことに気付いて心配そうに深音自身で接してくる。
なんでもない、と慌ててそれだけ告げて。
……それだけで、心から安堵した表情する深音を見て二人はアイコンタクト。
――まだ間に合う。調べよう。
明日から週末。調べる時間は、あるはずだ。
< おまけ >
「っていうか、湾内さんは何忘れたのよ?」
「その授業、体育で水泳でしたの……成績に結構影響のあるタイム測定がありまして……」
「……あの子、確か水泳部っていってなかったっけ?」
「……けっこうなうっかりさん、と思ってくださって……その――……」
――黒子はそれ以降、喋るのをやめた。
< おまけ そのに >
「いいですか深音ちゃん。女の子のわがままは程度を超えたらその子のためにならないのですよ」
「程度――ですか」
「そこは深音ちゃんの度量なのです。深音ちゃんが簡単だ。と思うくらいなら、内緒の仕草でウインクしてあげたら女の子なんてもうドキュン! なのですよ!」
――犯人は、この人であった。
読了ありがとうございます!
アニメ基準でなら黒子と初春の風紀委員の原点? が描かれるのですが……。
「完璧に深音も、美琴ですらちょっとしか出てないのにどう進めよう……」と悩んだ結果、題名だけ似せて深音の話にしてみました。
誤字脱字・ご指摘などございましたらお願いいたします。