ごぽごぽと、水の中を気泡が上がっていく音が、断続して鼓膜を震わせる。
(……意識の覚醒を、確認。周囲の状況――変化なし。外部へのアクセスも相変わらず不可……)
――眼を僅かに開けて、限られた視界から現状を確認する。緑一色に限定された世界は何一つ変わっておらず、確認の意味をすぐに失わせた。
緑の溶液と、厚いアクリルの壁。そしてその向こうには――なにもない。自分にとっては無用でしかないものが散乱しているだけ。
1mにも満たない直径のアクリル培養機と緑の溶液。これが、世界の全てだった。
(狭い、世界ですね)
変わらない感想を、以前よりもずっと淡々とした感情で。
以前ならもう少し世界は広かったのに、と声に出さずに苦笑する。
以前なら呼びかければ応えてくれた兄弟がいたのに、と声に出さずに苦笑する。
――以前なら、こんな感情を抱くことすらも、なかったのに――
(おっと――起きている時間ももう終わりですか。三分、いつもより短い――ですね。そろそろ、たいむりみっと、という奴でしょうか)
強制的に奪われていく思考。慣れてはいるが、やはり不愉快である。ギリギリまで粘るのはささやかな、そして無意味な抵抗だ。
(そういえば、学習プログラムの中にありましたっけ――)
まぶたが、意思に反して下がっていく。溶液に含まれる筋弛緩剤の所為でほとんど抵抗できずに視界は閉ざされ、緑から黒の世界へ。
(届くとは、思えませんが……それでも)
「――、―――」
気泡だけがむなしく溢れて、排出されていく。悔しさはあったがそれ以上のやはり、という諦観が大きかった。
そして、視界だけではなく思考まで狭まっていく。
今度は、せめて良い夢を。そして、次も目覚めることを願いながら、意識を手放した。
***
そこには不気味なほど烏が群がり、一見して確認できる窓という窓は全て割れている。
外壁はかつて何色だったのか、もはや判断が付かないほど風雨に晒されてボロボロになっていた。
「――まさしく、ゾンビが出てくる映画にありそうな廃研究所ですこと」
「全く不気味ね……耐震性やらが危ないから倒壊するまえに取り壊す、んだっけ? それでなんで黒子が呼び出されたのよ」
人が訪れなくなって久しいだろうその廃墟が、今日に至ってはやけに人気があった。殆どが防護メットに防護服。ゴム弾銃装備というやたら物々しい、アンチスキルの方々だけという注釈がつくが。
そして、そんな中に場違いなほど浮いている女子学生が三人。
風紀委員の白井黒子と初春飾理。そして、黒子と同じ常盤台の制服を着た、御坂美琴。
「――黒子としては、なんでお姉様がここにいらっしゃるのかというほうが疑問に思えてならないのですが……有体に言ってしまえば、私と初春は助っ人のようなものですの。って、紹介していませんでしたね。そこで高速タイピングしているのがジャッジメントの同僚の初春ですわ」
「指が霞んでるってどれだけ速いのよ……で、助っ人ってなに? アンチスキルも結構来てるみたいだし。なんかの事件の犯人でもいたりするの?」
「まぁ……当たらずとも遠からず、といったところですわね――初春が調べた結果なのですがこの研究所、動力やシステムはまだ生きているらしいんですの。しかも、研究していたものが銃器や兵器の類な上に……」
「スキルアウトのある組織が拠点にしているようなんですよー」
スキルアウト――という単語に、美琴の顔に苦いものが混じる。むしろ、学園都市に住んでいる者ならば、スキルアウト当人以外は良い顔なんてしないだろう。
大人しいものであればその辺の不良で済ませられるのだが、犯罪を平気で犯す輩もいる。
治安維持部隊であるアンチスキルがこれほど出張っているということは、その組織とやらは後者のスキルアウトなのだろうか。
「もし研究していた兵器の現物がそいつ等に渡ったらヤバい、ってことよね。大丈夫なの?」
「それについてはなんともー……ハッキングしてみたんですけど、どうもかなり特殊なものを研究していたみたいで――はい、警備システムにハッキングできました。監視カメラの映像でますよー、ついでにアンチスキルの端末にもリアルタイム送信っと。
――えっと、引き金を引けば弾丸が出るような単純な銃器は殆どなくって、重火器や光学系の兵器なんかの研究が主だったみたいです。あと、特殊装甲車とかも項目にありました」
逆に言ってしまえば、強力なものばかりということである。バルカン砲やレーザー兵器、装甲車両といった一連のものを想像し、しかもそれが規律の取れた軍隊ではなくスキルアウトというならず者達が手にしている姿。
そんなことを考えていたからか、なお渋面になる美琴に対し、初春と黒子は意外なほど淡々としていた。アンチスキルの面々も、人数はいるが緊迫した様子はない。
「お姉様。ここは兵器の研究所というだけですの。製造工場ならいざ知らず、現物なんてありませんわ。研究も数値データと他所で取った映像データで行っていたようですし。今回の出動は、そのデータなどが万が一残っていた場合のためですの。数年前とはいえ最新兵器のデータ。学園の外でならとんでもない金額で取引されるでしょうし」
学園都市の内部と外部の科学技術の差は数十年の隔たりがあるといわれている。数年前のものでも、十分外部のものより優れているのだ。兵器そのものとしても非常に価値があるだろうが、応用すれば多方面にさらに莫大な利益を生み出すだろう。
だが、そうなってしまえば学園都市そのものが、『兵器開発の温床』として外部から批判を集めかねない。それを未然に防ぐべく、今回のアンチスキル出動というわけである。
ちなみに、初春は施設の状況を知るためのハッキング要員として、黒子は万が一逃走したスキルアウトを確保するために、とそれぞれ応援として呼ばれている。
「へー……じゃ、私の出番は無いかー……」
「……どんな状況でも一般人のお姉様の出番なんてありませんの。というより、やっぱりそれお目当てで付いてこられましたのね……初春、現場の状況はどうですの?」
「えっと、大体のスキルアウトは殆どアンチスキルの皆さんに取り押さえられているみたいです。兵器のデータについてははじめて知ったみたいで、ただ拠点にしていただけ、って感じですね。あとは研究データを押収するだけ――なんですけど」
画面を覗き込んできた2人が見やすいように、一つの監視カメラの映像を拡大する。
「とても頑丈な隔壁が邪魔しているみたいです。工具もいくつかダメになってるみたいで」
「ハッキングで開けられませんの?」
「探したんですけどあそこの扉のシステムだけがないんですよ。スタンドアローンの端末からしか開けないのか……まさか手動なんてことはないですよね」
映像では背の高い長髪の女性が、境目に指をねじ込んで腕力のみで開けようとしていた。
その努力映像を初春は淡々とスルーし、おそらく、この研究所の物であろう建築図、その空調系図を画面に出す。
「んと……人が通れそうなダクトも無いみたいです。やっぱりあの隔壁をどうにかしないといけないみたいですね」
「……私のレールガンならいけるんじゃない? ちょちょーっと行ってぶち開けてくるわ」
「だからお姉様はここでは一般人「もう隔壁前にいますけど?」……お姉様は何時の間にテレポーターにジョブチェンジなさったんですの? ……行きますわよ初春。お姉様がぶち抜かれる前に」
「え、私行く意味――……せめて否定する言葉くらい言わせてくださいよ白井さん」
景色が変わり、屋外から室内へ。物申す暇無く現地入りした2人は、アンチスキルと一般人の言い争いのまん前に現れた。
「だから! 私のレールガンならぶち抜けるって!」
「だーかーらー! そんな威力のものぶっ放したら建物ごと崩壊するって言ってんじゃんよ! ……っていうか何で常盤台の第三位がここにいるじゃん? ジャッジメントの応援は白井っちと初春ちゃんだけって聞いてるけど」
そのやり取りを少し呆れた目で眺めてからスルーし、黒子は問題の隔壁に触れる。
「厚さは――おおよそ40cm、ってとこですわね。初春、開けられそうですの?」
「んー、見た感じ端末の接続口も操作パネルもなさそうですし……向こう側にあるならこちらからは何もできないですね。白井さんのテレポートで向こうに行きます?」
「隔壁の向こうの状況が分からない以上、テレポートは却って危険。爆発物がゴロゴロしているところに飛んでドカン! なんてゴメンですの。と、いうわけで……」
黒子が、近くにいたアンチスキル数名に近づき、彼らが持っている盾に触れ、次々と能力によって『飛ばして』いく。
その行方は、当然隔壁なのだが……盾がいびつな円を描くように隔壁に埋め込まれている。そして、その円の内側に手を当てどこぞへと飛ばし……開通完了。
「さてと……行きますわよ初春。アンチスキルの皆さんも」
以前、紙一枚あればダイヤモンドも切れると黒子が言っていたことを思い出した初春は、自分の体が真っ二つになる様を想像し、黒子にはなるべく逆らわないようにしよう、と思ったそうな。
「……久々に全力で撃てると思ったのに……」
「お姉様、最近バトルジャンキーからただのクラッシャーになってますの……黄泉川先生のおっしゃっていたとおり、お姉様のレールガンでは建物の耐久度的に危なかったですわ」
隔壁の先。照明の落ちた廊下を、手に持ったライトの光が照らしている。数台ある端末には初春が付き、情報をあさっていた。
「そりゃそうだけど……全力で能力使えないって結構鬱憤が溜まるっていうか」
「それを抑えるのも、お姉様の義務というものですの。……というより、お姉様の全力だと学園都市に雷の雨が……」
「ありましたー。研究資料と成果データ。かなり厳重なプロテクトがあったので間違いないかと」
おそらく、その厳重なプロテクト、とやらはとんでもないものだったのだろう。 隣で作業していた科学者然としたアンチスキル数名がとんでもないものを見るように、端末と初春を交互に見ている。
「さすがじゃん初春ちゃん! ……しっかし小型荷電粒子砲にレーザーソー、多連装回転式機関砲に軍用小型超電磁砲。軍用パワーアーマーに特殊装甲可変駆動の四輪・二輪の特殊車両がサイズ毎。見境なしにもほどがあるじゃんよ……まあいいや。資料やらデータやら集めて撤収するじゃんよ」
黄泉川を筆頭に、紙媒体の資料や端末をそのまま運び出すアンチスキルの面々を、学生三人は壁際で眺めていた。
「……これで、一件落着ってわけね。なんかあっさりし過ぎて拍子抜けたけど」
「何事もない、それでよいではありませんの。――さ、ワタクシ達もお暇いたしましょう。初春、支部に帰って報告書を仕上げま……初春?」
万事が滞りなく終わり、アンチスキルも撤収。……しかし、この少女だけが今だに何かを探っていた。
端末を操作しては首を傾げ、それを繰り返す。
「初春さん? どうしたの」
三人の中で唯一、電子的な情報を見ていたのは初春であり、おそらくアンチスキルの誰よりも情報を裁いたのもまた彼女。
「あ、すみません。ちょっと気になることがあって……」
「気になること?」
「んと。多分ですけど、隠し部屋みたいなのがあると思うんですよ」
さらっと。
しかし、とんでもないことを口にした。
「……どういうことですの?」
「あの厳重な隔壁の割に守っていたのが端末数台っていうのが少し腑に落ちなくて……それで過去の情報を漁ってみたんですけど、この研究所、あるときから消費電力が急激に跳ね上がってるんです」
「急激にって……どれくらい多いんですの?」
「えっと、上がる前後だと……少なくとも数十倍は軽く使ってます。それが閉鎖されるまでずっと」
「数十倍ってなにをそんなに……」
そこで思い出す。黄泉川が読み上げた、研究していた兵器の数々を。
機関砲や装甲車両はともかく、荷電粒子砲やレーザーソー、超電磁砲などは多大な電力を消費する。初春の指摘した余剰の電力がその兵器の試験に使われていたのだとしたら――。
「その現物があるってことですわね……そして、可能性があるとすれば地下」
「威力はわかんないけど、超電磁砲なんて狭い部屋で試射できないだろうし――防音やらを考えたらそれが妥当かもね……でも、案内板とかさっき見た建築図にも地下なんて無かったわよ?」
「……なるほど。確かにこういう展開の王道であれば、隠し部屋ならぬ隠し地下施設があるものですし。おおかたこの部屋のどこかにスイッチなり扉なりがあるんでしょう」
その王道とやらは本などで得たものか、それとも実体験による経験か。それはさておき、三人はおのおの、自分のできる探索方法で室内を調べる。
初春は自分の端末にダウンロード(ハッキング入手)した建築図や諸々の資料から。黒子は自身の能力の根幹である十一次元演算による地形の差異を確認。美琴は……黄泉川たちアンチスキルが見ていたのは端末や紙媒体の資料だったことを考慮し、それらから『遠い』ものを徹底的に。
結果――。
「……はは。面白くなってきたじゃないの」
部屋全体が一機の巨大な昇降機である事が判明し、現在重低音とともに下降している。
――美琴の顔は、この上無く、冒険心に満ちた少年のそれになっていた。
読了ありがとうございました。
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