高層ビルのようだ。と、それを見たものはまずそう比喩することだろう。文系思考の人であれば『計画性なく積み上げられた』という前語がつき、かなりビターな笑顔を浮かべること間違いない。
……それがふらふら、ふらふらと揺れながら前進しているのだ。いつ倒壊してもおかしくなく、大変危なっかしいことこの上ない。
「ま、前が、見えないっ――!」
うず高く詰まれたその建材は、数多の書類だった。一枚一枚は当然軽い紙も、数千数万となれば相当な重さとなるのはご存知だろう。
1メートルはあるそれを、何とかなるでしょという根拠もない確信を持って積み上げてそのままリフトアップ――した瞬間に『下ろせば崩れる』と直感してから後悔しているのだ。
詰るところ、鉄装 綴里の完璧な自業自得なのである。廊下ですれ違う男性アンチスキルも居たには居たのだが、手を貸せば崩れるとこれまた直感し、壁に張り付いて道を譲ることしかできなかった。
「せ、先輩ぃ、言われた資料集め終わりまし――わきゃあ!?」
「おーう、お疲れじゃ――きゃあ!?」
後輩の声が聞こえ、コーヒーを片手に振り向けば、視界を覆いつくすのは紙の雪崩。運動神経が良いと自他ともに認めている黄泉川でも、なすすべなく飲みこまれていった。
他のアンチスキルのメンバーが目を丸くしていたのは――紙雪崩に驚いてか、それとも意外なほど可愛い悲鳴をあげた黄泉川に対してか。
とりあえず、一同は「やっちゃった……」と青い顔をしている鉄装のために十字を切る事にした。
「……てっそお……」
あ、十字じゃたりねぇぞこりゃ。と誰かがつぶやき――ゆらりと身体を起こした黄泉川からにじみ出るオーラから必死に目をそらしていた。南無南無と手を合わせることも忘れない。
(あ、これ死んだ。私死んだこれ)
「せめてもの情けだ……選ばせてやるじゃんよ……」
うつむいていて、黄泉川がどんな表情をしているのか、うかがい知ることはできない。
しかし選択肢があるのであれば、と……精神的なダメージよりもお財布的なダメージを希望したい鉄装には好都合といえよう。
「右手の拳骨がいいか? それとも左手の拳骨がいいか?」
――それ、選択肢って言いません、先輩。
久方ぶりの着弾。
それは威力・衝撃・音ともに、本家本元を上回っていたという。
――
「せ、先輩、なん、か威力上がってません……?」
「ん? まだこれでも半分だぞー鉄装。ほれ、さっさと起きて手伝えっての」
『竹を割ったような性格といえば』そんなランキングを催せば、黄泉川は確実に上位に食い込むだろう。それも、常連として。
さっぱりと水に流して、さっさと回収作業に移っていた。
後腐れない、といえば良いだろう。鉄装の頭ひとつで済んでいるので、周りにとってはギクシャクする職場と引き換えなら安いものだ。鉄装にとっては手痛い叱責だが、自業自得と自覚しているため受けるしかない。
「……でも先輩、なんでポルターガイスト現象の資料なんか見直すんですか? あれって確か、管轄が先進状況救助隊に完全に移されたはずですよね……?」
鉄装は痛む頭を抑えながら、床に散乱した書類を集め――当然といえば当然の疑問を黄泉川に投げる。
いうなれば専門家が担当するのだから、自分たちの出る幕はほとんどない。現場でこそアンチスキルは動くだろうが、調査などは向こうが主導することになるだろう。
「……その先進状況救助の連中からお達しがあったんだよ。『保管しているポルターガイストに関する全データを処分しろ』ってな。しかしコーヒーほとんど空でよかったじゃんよ……」
「ですねぇ、自分でいうのもあれですけど資料にかかってたらアウ……へ?」
せっかく集めた書類が、また手から滑り落ちる。それに特に何をいうでもなく、黄泉川は淡々と、流し読む程度に内容を確認して回収を続けている。
「じゃ、じゃあこれ処分しないとまずいんじゃないですか……?」
「アホ、よく考えてみるじゃんよ。全データの処分だぞ? 数年保管が義務だってのに、整理でもなけりゃ提供でもない。そもそも終わってもないのに『消せ』なんていうか普通? ――それに、その通達が『上』を通して、遠まわし的な命令と来てやがる」
言われて気付く違和感。しかし、なぜ? という疑問が浮かぶだけで、それが果たして、どんな考えや思惑があってのことなのかが分からない。
「えっと、つまり、どういうことなんですか?」
「だぁかぁらぁ、それをこれから調べるんだよ。わざわざ上層部に命令させてまで処分させようとしたんだ。連中にとって知られたくない情報がこの中にあるかもしれないってことじゃんよ」
黄泉川の手には、すでに広辞苑並みの厚さはあるだろう書類が重なり、いまだ床には大量にある。
この中から、膨大なデータの中から、ある『かもしれない』証拠を見つけようというのだ。……専門家ですらない、治安維持を掛け持ちしているだけの一教師が。
冷や汗を一筋見せる鉄装に対し、黄泉川は淡々とその書類を拾い続けている。そこに、これから始まるだろう面倒極まりない大仕事に対しての悪感情は見られない。
全てに目を通すだけで、それだけ時間を要するだろう。細かい字は目に、同じ姿勢は身体に、思考を続ける脳に――相当な負担になることは明らかであるにもかかわらず。
「――花火大会のときのポルターガイスト。覚えてっか? 鉄装」
「え? あ、はい。確か、明確な施設被害が初めて出た――んですよね?」
なんとも、合ってるかどうかと不安が多分に混じってはいるが、もともとそういう性格だと知っているのでとりあえず置いておく。
「あれな、深音っちのおかげなんだってよ。――施設被害『だけ』で済んだの。あの子がとんでもない無理して、固法っちたちを助けた、らしいじゃん。かなり無理したみたいで、あの『冥土返し』に瀕死だったって言わせたらしいじゃんよ……」
「へ……?」
――再び、鉄装が集めた書類を地面に落とす。
それでも黄泉川は注意しない。
「ま、待ってください先輩! そんな報告どこにも、あそこは『無人だったから幸い』だったって!!」
現場にいち早く駆けつけた先進状況救助隊の報告書を読み、事態が深刻になってきたことを懸念し、より一層の警戒を……と会議したために記憶にしっかり残っている。
そこに、いきなり知り合いが瀕死になっていたといわれれば――今の鉄装のように取り乱しもするだろう。『あの』冥土返しが瀕死という言葉をつかうなど想像もできない。
「っていうか深音くんは大丈夫なんですか――?」
「いまんところは大丈夫、らしいじゃんよ。でも、この事件が長引くと危ないらしい」
なんと頼りない無事の知らせだろう。安心できる要素が殆どなかった。
黄泉川が相当数集めた書類だが、まだ床にその数倍の量が散らばっている。
どうしたらいいのか、何をすればいいのか。
答えを求めるように黄泉川を見るが、彼女は相変わらず淡々と――……、
淡々、と――?
「あ、あの、先輩? さっきの話ってもしかして冗談だったり、しまハッフォ!?」
――言葉での返答はなく、広辞苑ほどの厚さをもった
「わりぃけどアタシはそういう性質の悪い嘘とか冗談は大っ嫌いじゃん。全部マジだっての」
「うぅ……いや、それにしたってなんか、感情が平坦っていうか穏やかっていうか」
鉄装が知る黄泉川であれば、瀕死と伝えられた深音のもとに駆けつけるか、一人の犠牲をなかった事にした先進状況救助隊に徹底抗議する――くらいは軽くしてもおかしくない。
そんな彼女が、随分消極的ではないか……と。
「アタシだって暴れて好転するならいくらでも大暴れしてやるじゃんよ。でも、いま
固法が動いている。そして、あの『冥土返し』本人からも自分も動くという一報。そしてさらに、アンチスキルも動くのだ。
黄泉川が、ニヤリと笑う。
――どこの誰が、どんな何かをたくらんでるかはしらねぇが――あんまり、調子にのるなよ? と、言葉にしていないにも関わらず、明確に伝わってきた。
「で、でもコレだけの資料を私たちだけで見るとなると……」
「――なあ鉄装。深音っちがこっちきてまだ二ヶ月ちょっとだけどよ、お前、何回深音っちに助けられたじゃん?」
鉄装がもう何度目か分からないほどに、書類をぶちまける。
まずい。休日出勤したさいに電車に乗り遅れたときのあれだろうか。それとも紛失物を二次紛失してしまってそれを探してもらったときだろうか。
思い末してみれば、ここ二ヶ月ほどの鉄装の記憶に、深音はそこそこの頻度で登場していた。
「…………に、二、三回くらい、かなぁーと」
「おう、そっか。えらい少ないな。アタシなんか五十回超えて数えんのやめたじゃんよ」
人手不足で呼んでしまったときもあれば、偶然居合わせて、手伝ってもらったこともあるという。
「まー、アタシだけで、こんなに助けてもらってるんだ。――『アンチスキル全体』で考えたら、何回いくと思うじゃんよ?」
アンチスキル全体。――まさか、と鉄装は顔を上げる。
書類を運んでいたとき、ここにたどり着くまで、いったい何人に道を譲ってもらった? ……何人に苦笑交じりの応援を受けた?
――しゃがんで書類を集めていたため、部屋全体を見渡すためには、デスクからほんの少し、首を伸ばす必要があった。
「一番最初のポルターガイストがあった学区って分かるか?」
「……第8学区だと何度説明したらいいんでしょうかね私は」
「ん? 第8のは本物の地震だぞ? 初期微動・主要動が確認されておるわい。正確には19学区だ。おそこは閑散地区だから、報告も少ないが……」
「――ということは、これも虚偽報告ですか。私のところだけで5件目ですよこれ」
「俺んとこ7件――はぁい8件目っと!」
「……あれ、このデータさっき見たような」
「あ、気をつけてねー? なんかデータが流用されてるのが結構あるわよー?」
「小学生の宿題ですか……」
「まだあっちのが可愛げあるわよー」
鉄装が持ってきた書類さえ、ほんの一部だったらしい。
二十名を超える教師たちが、このアンチスキル支部に籍を置くほぼ全員が、書類を見比べ、パソコンのデータと比較し、問題を見つけようとしている。
当直はもちろん、アンチスキルとして非番であるはずの教師もほとんど居た。
「全学区とはいかなくてもな、深音っちは結構有名なんじゃんよ。いや、数人に声かけたらこんなに集るとは思ってなかったけどよ……ほれ、鉄装。さっさとやるぞ。ここらで深音っちに良いとこ見せないと、大人としていろいろとやばいんだからな」
――鉄装は今度こそ、書類を落とさずに集めだした。
***
仮面を作る。
人を安心させる笑顔を浮かべる。世間知らずな子供など、これで十分。それらしい言葉を並べればさらに十二分。
仮面を造る。
目を少し鋭くして、口元を引き締めれば真摯な責任感あふれる大人。交渉の経験がほとんどない学者など、敵ではない。
「――いくぞ、もうこんなところに用はねぇが……」
――創り上げた仮面の強度は、存外に限界だったらしい。
歪む口を押さえきれず、目じりは愉悦に下がる。すれ違うものが見れば、狂気を疑い、距離をとる……そんな笑顔。
『材料』の回収も終わり、後は手順どおり進めばいい。そうすれば、『果実』は実る。
「……無駄な研究、ごくろぉさんでしたぁー……おい、出せ」
その言葉に忠実に、重々しい低音を轟かせながらそれはゆっくりと前進を始める。
止めるものは居ない。止めるだろう可能性を持つものたちは、仮面の笑顔を、仮面の誠意を、信じてしまった。
(その『失敗作』はくれてやるよ……もう十分役に立ってくれたしなぁ)
サイドミラーに映る建物を一瞥することなく――魔女は自分の巣へと戻っていった。
そして片や――随分、手広になったものだなと……自嘲にも、また苦笑にも取れる笑顔を浮かべた木山は、隔離された部屋へと続く厚いアクリルに手をかざしてただ佇んでいた。
目のしたのクマも、ボサボサの髪も変わりはない。しかし、あの夜に再会した彼女にあった何かが、大きく欠落してしまった。 ……そんな彼女に、どんな言葉を掛ければいいのか。
「――結局、また君に阻まれてしまったな……私の目的は」
「っ! で、でもこれは――!」
これは、何だろう。
最善の選択である。と、美琴は断言できる。木山は確かに専門家だろうが、たった一人だ。それに比べて、向こうは人数も、設備さえも彼女を大きく上回る。眠りについた子供たちのことを最優先するのであれば、後者に任せるのが最善なのだ。
――最善であるはずなのに、この心に重くのしかかってくるものは、何なのか。
「……すまない。意地悪を言ったな。今のは私の、我侭だ。子供たちを自分の手で救いたいという英雄願望か、それとも別の何かか……とにかく、君が気にすることじゃない。君たちの行動は正しくて……私のこの感情が、間違っているんだ」
それは木山の、ささやかな意地なのだろう。子供たちのことを第一に考えていたのだから、美琴が考え付いた言い訳じみた正論などすぐに考え付いた。
考え付いて、鎌首を上げた自分の欲望を押し殺し……テレスティーナに頭を下げたのだ。自分の研究データが少しでも役に立てばと、今までの全研究データが入った端末も渡した。
そうして、自分の役目は、終わった。何一つなせないままに――終わったのだ。
「……君のお兄さんにも悪いことをしたな。子供たちを助けるという私に協力してくれたのに、結局は私では何もできなかった。彼に無理を強いなくてもあの子達を守る手立てがあったというのに、私は考え付きもしなかった」
それも、テレスティーナには解決する手段があるという。むしろ、生身でそれをやり遂げていた深音に目を丸くしていたほどだ。
「……先生が帰り次第、彼に投与されている薬を中和してもらおう。それで、終わりだ……」
木山の言葉は、美琴たちに向けている。
しかし、自分に言い聞かせているようでもあった。
「……まだ、終わってないですよ――木山先生」
「なに……?」
初春は、木山に駆け寄り――その腕をとる。非力な彼女の腕力でも容易く揺さぶられるほどに、今の木山は、空っぽだった。
「だって枝先さんたちは、まだ目覚めてないんです。それに、テレスティーナさんをお手伝いすることだってできるじゃないですか! まだ終わってなんかいません! 勝手に終わらせないでください!」
見上げてくる目は、かすかに涙で滲んでいる。しかし、どこまでも真っ直ぐなものだった。そして、その背の高さも――教え子たちとなんら変わらないだろう高さ。
(――そうだ、な。まだ、終わっていない)
終わりは、子供たちの目覚め。いや、笑顔での目覚め。
――それを、迎えていないのだ。エンドロールには早すぎる。
不健康ながらも目に見えて活力が戻っていく木山に、安堵のため息をついた美琴たち。先に先進状況救助隊の本部へ戻っただろうテレスティーナに合流すべく出口に向かい――。
――軽く息を荒げて駆け込んできたカエル医師と、鉢合わせた。
かの医師を知る者がいたなら、おおよそはその様子に驚くだろう。彼が走るとなればそれこそ九割九分の死が確定したほどの重傷患者のためか、数百人数千人単位の自然災害や事故などによる被害が出たときくらいだろう。
いぶかしげな顔で見てくる少女たちを無視して進み、今では深音だけとなった特別病室を確認し――その表情を険しくした。
「――いや、むしろ深音君を連れて行かれていないだけ幸運だね……」
「せ、先生。どうしたんですか? 子供たちなら、も「……木原だ」……っ!?」
木山の言葉をさえぎるように告げた、その姓。
「木原――って、あの実験の責任者とか言う、木原――幻生? だっけ」
「? テレスティーナさんのことではありませんのお姉様」
嫌な沈黙が、美琴たちの間にも流れ始める。
木山はなりふり構わず全力で走り出していた。カエル医師もそれを見送り、深音の元へ向かう。
「ま、待ってください! 説明をお願いします!」
「急ぐから端的に言わせてもらうよ? 今回の『事件』の黒幕が彼女だ。テレスティーナ=木原=ライフライン。君に話した実験の木原 幻生の――孫娘だよ」
理解はいまだ、追いつかず。
――時間はそれを、待とうとすらしなかった。
読了ありがとうございました。
誤字脱字・ご指摘などございましたらお願いします。