都市を一望できるその場所に立ち、目を細めてある一点を見つめ。
駆け抜ける風に背を押され、高みよりその身を躍らせ。
――それは、目標を目指す。
***
「まったく、何だってこんな渋滞が……」
クラクションを鳴らさないように注意しながら、車のハンドルを抱えるように持ち――男は若干の無精ひげが目立つその顎を無造作に置く。
……男に名はあるが、特筆して語るほどのものではない。学園都市内にいくつかある企業の、そこそこの役職についている壮年やや手前の、ただの会社員だ。
別にキラリと光るわけでもないメガネの奥の瞳は、胡乱気にフロントガラスの向こうの光景を眺めいてる。
長蛇の列だった。
そのゴールに噂の名店が暖簾を上げているわけでもなく、開放感に満たされるだろうイベントごとのお手洗いがあるわけでも――などと、至極どうでもいいことをつらつらと考えさせてくれるほどの、大渋滞だ。
もうかれこれ十分は経っただろう。その間に男はアクセルを踏むどころか、アクセルに足をつけてすらいない。
もうそろそろ靴を脱いで、楽な姿勢にシフトしてもおかしくないだろう。使い慣れた高速であったからこそ、ゴールまでまだまだ先だということも分かっている。
「――渋滞、ねぇ。学園都市でもあるもんだなぁ、やっぱり」
男が会社のあれこれで学園都市にやってきたのはほんの数年前。その数年間で使い慣れたこの区間の高速はかなりの頻度で使用していたが、驚くべきことに今日まで渋滞というものを経験したことがない。祝が付くかどうか疑問だが、記念べき一回目の渋滞だった。
外部とは数十年の隔たりがあるという科学技術が、滞りの原因であるあらゆる問題を解決している――らしい。男が知っているのはそれくらいだ。
だからだろうか、渋滞という事態に嫌気が差すと同時に、渋滞という言葉にどこか懐かしさを感じているのは。
(急いでるわけでもないし――会社にも言い分が立つし。……ゆっくりするか)
男の勤めている会社はブラックというわけではない。……わけではないが、仕事を一時とはいえ投げ出せる大義名分を得た男は、とりあえず携帯を取り出す。
音楽を聴きながらリラックスしようか、それとも、どこかの無料動画でも落としてミニ鑑賞会でも開こうか。
などと、突然出来た自由時間を有意義に過ごすべく思考していた男は――
……猛スピードで自分の車を追い越していった、おそらく車だろう排気音に吃驚して携帯を思いっきり落としていた。
緊急車両の移動用に開けられた外側のレーンに残る音が、『そこを何かが通ったのだ』と告げている。しかし、慌てて前を見ても渋滞を並ぶ車郡の中に緊急車両らしきものは見えず、それなのに走っている音はしっかり聞こえるという矛盾。
「な、なんだ――?」
男は少しばかり眉を動かしたが、自分に特に実害がないと分かるとそれ以上特に疑問に思うことはしない。それよりも、再び自由時間の有効化のために思考を始める。
――駆け抜けていった車両が、渋滞に足を止められているどの車両よりも車高の低いもので……そもそも緊急車両ですらないことには当然、気付くことはない。
実は、その排気音が『二台分』であったなど――イヤホンをつけた男には、もう、どうでもいいことなのだろう。
「き、木山先生!? いくら何でも飛ばしすぎじゃ……っ!」
「これでも遅いくらいだ!」
……右側に並ぶ車両の誰よりも、アクセルを踏んでいるのは彼女だろう。それでもまだ足りないのかギアを入れ替え、さらにアクセルを踏み込む。
エンジン音が車内にとどろき、メーターはほんわずかに右へ。……もうすでに相当な速度なのだろう――法廷速度に真正面から喧嘩を叩き売っている。
「次の分岐を左です!」
「了解した! 後ろにもしっかり伝えてくれ!」
「固法先輩、お姉様! 聞こえまして!? 次の分岐を左ですの!」
『『了解っ!!』』
「あれ!? アタシだけ!? この速度に疑問って言うか恐怖感じてるのアタシだけ!?」
――速度が速いと声が必要以上に大きくなるのはなぜだろう。
佐天はなるべく速度メーターを見ないように、抱えた初春の持つ地図を盗み見る。初春のナビ通りであるなら、学園都市の都市部から離れ、郊外へ向かうことになるだろう。
本来テレスティーナが留まるべきであろうMARの本部から出発し、なぜかその関連施設とも大きく離れていくことになる。
「最初から『そのつもり』だったということか……ッ!!」
その上、わざわざダミーの車両を物々しい護衛車で囲んで先発させて、という念の入れようである。
……明らかに、良からぬ事を考えているのは確かだろう。
幸いにも後発である本命……子供たちを乗せた車両が発進したときに美琴たちが間に合い、固法が透視能力で確認。そして、木山の協力者(予定)だった美琴が連絡を取り――合流した全員で、最短距離をかっ飛ばして現在に至るわけである。
ちなみに木原の駆るランボルキーニ・ガヤルドは二人乗りである。しかし、そこに乗車している人数はその倍の四人。――定員オーバーは事故の元であるが、四の五の言っている時間も余裕もなかった。
「白井さん! み、御坂さんたちちゃんと着いて来てますよね!?」
「大丈夫ですの!」
そんな木山たちのすぐ後方――とはいっても5mほど後ろだが、追従してくバイクが一台。風の抵抗を極限にまで減らすために身体を深く伏せているため、バイクが独りでに走行しているようにも見えるが、真横から見ればしっかり二人いるのが分かるだろう。
5mも……と思われるだろうが、高速走行下において5mはとてつもなく危険な距離である。前の車両がわずかにでもブレーキを踏めば、たちまちその距離は零となり――後はご想像できるだろう。
そんな危険を、当然知らないわけがない。しかしバイクの運転手である固法も、その固法にしがみつく美琴も、その危険を犯してでも一分一秒を惜しんだ。
――かの名医に背を押されるまで、諦めに殉じていたみっともない十数分間。それを、取り戻すように。
「やっぱり、春上さんも連れていかれた、って考えたほうがいい、んだよね――?」
「っ、可能性は高い……! 君たちの話を聞いても『出来すぎている』。あんなことを言われて協力しないほうがおかしい……!」
木山はさらにハンドルをきつく握る。所在が分からず、連絡も付かなくなった春上という少女を木山は知らないが――彼女が探し続けていたというその友達を、木山は知っているのだ。
かの実験に巻き込まれた子供たちの中に一人であり、自分が一番関わったであろう少女だ。その名前を忘れたことはない。
……分岐を通過すれば郊外へと続く道ゆえか、追い越すべき車も、対向車線を走る車の姿もない。 左右のどちらにも障害物のある一車線を飛ばすのは、相当精神を尖らせている必要があったため、広々とした今では若干の余裕が出来た。
もっとも、アクセルを緩めることだけはなかったが。
「――それより、いいのか? 君たちは……いまさらだが、学園都市に睨まれることになるんだぞ?」
それを言うのなら木山もなのだが――彼女はすでに『学園都市を敵にしてでも』という覚悟は出来ている。
しかし、付いてくる彼女たちはまだ学生であり、ジャッジメントや高位能力者もいる。簡単な罰則で済むとは思えなかった。
――暗に、木山はそう指摘したのだが、意外なことに同乗者である三人は笑っていた。
「木山先生、それ結構いまさらですよ? さっきはちょっと、その、足踏みしちゃいましたけど……」
「基本、アタシ達後先とか考えてないですから!」
「―― それはたぶん佐天さんとお姉様だけですの。それに、学園都市そのものの危機となれば、お上に睨まれる程度でしり込みしていられませんわ」
初春は端末の操作を一時やめてかすかに苦笑しながら。佐天はいつの間に持ってきたのか、金属バットを見せつつ膨れもしない力瘤を見せる。
黒子が一番まともそうだったのだが、小声で「まあ、お姉様の行くところ。この黒子、例え火の中水の中――よしんばベッd」と聞こえてきたので、木山も心配をやめた。
いざとなれば、自分が脅して……とでも言えばどうにかなる。そう結論付けて――
今は、頼もしい味方を頼ることにした。
***
「御坂さん!」
風がうるさく唸り、しっかりと装着したヘルメットでだいぶ聞こえづらいものの、至近距離からの叫びはしっかりと聞こえた。
「合図したら思いっきり身体を左に倒して!!」
……。
美琴としては、出来れば聞こえたくなかった言葉らしい。ヘルメットのせいでまったく分からないが、盛大に頬を引きつらせていた。
言いたいことは分かる。左への分岐はかなり急なカーブらしく、それを曲がりきるには何かしらをやらなければならない。
しかし、固法の発言から『速度を落とす』というただひとつの安全牌がないとわかった今――曲がりきるにはバイクレーサー並みの重心移動が必要だということもわかる。
だがしかし、そんな高度な方法をバイク乗車歴たった二回(うちどちらも後ろに乗っているだけ)の美琴に要求するのは酷というものだろう。
……反論する暇も、反論の言葉も考えている間はない。なにせ、カーブはもう目前なのだから。
「っ、行くわよ!!」
「っああもう! 女は度胸よ!!」
やけっぱちである。ヘルメットがギリギリ地面に擦れるか否か、というところまで大胆に倒し、固法の操縦技術がそれを活かし――その難関を突破した。
前を走る木山たちはカーブのほぼ全てをドリフトのみで曲がりきるという荒業をもって攻略している。
「御坂さんやるじゃない!」
「も、もうこの先カーブないですよね? 絶対ないですよね!?」
掠った、ヘルメットちょっと掠った、と心で叫んでいる美琴。高速移動中のせいでアドレナリンが多いのだろうか、美琴もだが――六人のテンションは共通して高い。
『次の分岐を今度は右です! その車道の先を走行中!! この速度なら十分追いつけます!!!』
「あんのかよ!?」
美琴が叫ぶ――否、吼える。しかし、それで現実は変わるわけもなく……むしろ運転手二人はさらに飛ばせとばかりにエンジンをさらに唸らせていた。
まだ先だ、と思えた最後(だろうと美琴が切望している)カーブは、あっという間に目の前に迫る。
「御坂さんもう一回! 今度は右!」
「だぁもう分かってますってぇ……の!!」
片や、インテリの女性科学者。そして片や、知的メガネのジャッジメント支部長。
……それが熟練のレーサーを唸らせるほどのドリフト、コーナーリングが出来るのだから不思議である。
そして、カーブを曲がりきった全員が、その視界に、捉えた。
「――見つけた!」
いまだ、はるか前方にはあるものの。
しかし、見慣れたその車両郡は、手を伸ばせば、届く場所にあるといえよう。
「……それで、これからどうするんですか固法先輩! 追いつくには追いつきましたけど、何か手はあるんですか!?」
手が届く場所にいる。しかし、具体的に何をどうするのか、ということは話し合っていない。というより、その旨の発言を誰一人、ここにいたるまで一言も発していないのだ。
土壇場で作戦を、というのもどうかと思うが、完全の無計画よりは断然ましだろう。
「私的には、最初に停止を呼びかけて時間稼ぎって考えてはいたんだけど――っ! 向こうは、平和的な解決は選択肢にないみたいよ!?」
……固法がちらりとサイドミラーを確認し、顔をしかめる。
後ろを見れば、MAR本部から先発発進したダミーの車両郡が、物々しい護衛車両を伴って合流経路から進入してくるではないか。
「はさまれた!?」
「――本気、みたいね」
――そして、前方を走る車両の荷台は、走行中にも関わらず――。
まるで見せ付けるように、その扉を、開放した。
***
平和な街。多少のいざこざはあり、薄暗いところもある街。
そんな街で思い思いの一日を過ごす、人々を眼下に。
――それは、目標を目指す。
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