細かいことは気にしない。
たとえば、朝の登校と夕方の下校。人通りの多い中で、見られることももしかしたら、あるだろう。
細かいことは、気にしない。
たとえば、ゲームセンター。本当はいけないことだが――記念、そう。記念にゲームで使うコインをお持ち帰りするために、女の子一人が制服のままコインゲームに興じていれば、店員や男子に見られることも、まあ、あるだろう。
細かいことは――気に――。
たとえば――シャワールームで。
たとえば――自室で、寝ているときも。
「はははっ……いっそ全部吹き飛ばしちゃおうかしら?」
「美琴さん、落ち着いてください」
全部吹き飛ばしてしまえ『あの視線』の主ごと。……なんて危ない考えを、本気で選択肢の一つにあげてしまうほどに、美琴は参っていた。
晴れ渡った空に入道雲は高くそびえ、強い日差しは木陰によって程よく優しくなり。かすかな涼を伝える風が、何とも心地いいはずである。
しかし、そんな程度では――たまりに溜まった美琴の心泥をぬぐうに足りていないらしい。
……美琴が相談したのはあのファミレスの一度きり。ストレス、気のせいと自分に言い聞かせていた。平静を装い、誰にも心配をかけまいと。
しかし日に日に――どころではない速度で元気の無くなっていく美琴を、彼が気付かないわけがない。だからこそこうして人気のない、リフレッシュできる空間へと美琴を招待したのだが……。
「やっぱり、気分は晴れませんか……?」
「うん、ごめん……」
深音から手渡された缶ジュースを開けるのか開けないのか。カチカチと音を鳴らすようにプルタブに爪を引っ掛けて、それを覇気無く眺めている。
やっと、というよりも偶然だろう。缶ジュースの口が開いても、それに口を付けることは無く――深いため息をつくだけだった。
(……あまり、よくない傾向ですね)
目に見える被害があるわけではない。ただ視線を感じるというだけなのだから。
その視線の相手が分かりでもすればまた話は変わってくるのであろうが――振り向いても誰もいない、ということが多い。誰かがいても、美琴を見ているわけではない。
自意識過剰なのかという美琴の自己嫌悪と、自分が我慢すればという考えの悪循環が起きていた。たかが視線。無視すれば――
「美琴さん、確認ですが――いま、その視線というのは?」
「え? ……そう、ね。今はない、みたいだけど」
そんな美琴が顔を上げれば、当然彼女の前には深音がジュースを片手に立っている。しかし、その眼は美琴を見てはいない。顔さえも向けていない。
……ふざけも、妥協さえも一切許さない真剣な顔で、何も見逃さぬと眼を見開いて周囲を識別している。
気配察知により神経を尖らせ、電波ソナーの精度を高めている。
……それが、今深音に出来る最大限だった。美琴が周囲を気にするというのなら、自分がその分の警戒を肩代わりすればいい。
問題の先送りでしかない上に気休め程度にしかならないだろう。だが……『何もしない』という考えだけは叩き伏せた。そんな選択肢、引いた瞬間に破り捨てて踏みにじっている。
しかしその気休めが――今の美琴にとっては大変ありがたかった。
ただ守られる立場に甘んじるなど彼女らしく無いだろうが――理性と感情は別、ということだ。
――まだ少し力ないが、笑顔になるだけの余裕は戻ったようだ。
――目ざとく周囲を警戒している彼に、獣耳とふさふさの黒い尻尾を幻視できるまでに余裕だった。
「――群れのボスかアンタは」
「はい?」
美琴の言葉の意味が掴みきれていないのか、周りに気を配りつつも首をかしげる深音。
……いつぞやの、超辛カレー事件のときに、彼を子犬と比喩したが……訂正しよう。彼は犬ではない。美琴の頭に浮かんでいるその動物は、イヌ科ではあるが、犬ではなかった。
――童話では悪役によく抜擢され、孤高孤独な例えをするときに用いられるその『獣』。
――だが、ご存知だろうか。その獣は家族――身内には、大変穏やかで甘い。それは、群れのボスになると顕著だという。
まあもっとも、そんな豆知識のような動物知識を美琴が知っているわけがない。なんとなく、深音を動物に例えただけだった。
「なんでもないわよ。……でもまあ、その。ありが――」
……ありがとう、は言葉にならず。手から滑り落ちた一口も飲んでいないジュースが鈍い音を立てて地面に落ち――地面に染みを広げていく。
――眼に見えてわかる明らかな異常。上目遣いに見てくる美琴の眼は、確実に何かを訴えている。
深音は、即座に周囲への警戒レベルを最高にまで跳ね上げる。聞いていた以上に美琴の反応は酷く……危機感さえ感じさせるものだったからだ。
しかし――深音の常軌を逸した察知能力にも、その視線の主は引っかからない。
美琴も立ち上がり、深音と背中を合わせるように立って視線の大元を探ろうとして……。
「あれ?」
……そんな、素っ頓狂な声を上げた。
「――どうかしましたか?」
「いや、なんていうか……消え、た?」
背中越しに感じる人肌の温もり。その瞬間、消えた……としか表現しようが無いほどに、視線が途切れたのだ。
今までに無かったことに戸惑い、正しく『合わせて』いた背中を離し――
(またっ!?)
――再び、悪寒とともに視線が戻ってくる。
しかし、とっさに身を引けばまた悪寒と視線は消え――。
「……美琴さん? どうか、したんですか?」
背中に
……背中合わせ越しに深音を見上げ――現在進行形で触れている背中も見る。
「――深音。手、貸して」
まさか。いや、まさか。
でも、もしかしたら――と、再び離れて、悪寒に全身を包まれながらも深音に向き直り、右手を向ける。
「……手、ですか?」
流石に深音も振り返り、手を差し出してくる美琴を見る。何故、という感情が強いが、美琴の顔は真剣そのもの。完全に向かい合うと警戒しづらいため、右手(握手)ではなく左手を出し……美琴にガシリと掴まれた。
「やっぱり……!」
握って、離して。また握る。
眼に見えて、今度は笑顔になっていく美琴に、深音は疑問符を上げるしか出来なかった。
「あー、なんだ。そこの初々しいお二人さん。それくらいならやるなとはいわないが、堂々と異性交遊をするのはどうかと思うぞ?」
「「あっ」」
半眼で見てくるアンチスキルの女性と、苦笑を浮かべている同僚の男性。
その二人に注意されるまで、美琴は深音の手を握って離して喜んで、を繰り返していた。
***
「――さて、深音さん。二度ネタになることを承知でワタクシ今とっても、それはもうとぉぉぉおっても貴方にお願いしたいことがございますの」
「? 何ですか? 黒子さん」
日差しもまだ高い日中。太陽で熱を帯びたコンクリートは気温を更に上げて、夏をより強くしている。
――そんな中。物好きなことに屋外の、それも日差しが最高に当たる屋外カフェの一角に、その三人はいた。
「では――お隣にいらっしゃるお姉様をワタクシにプリィィィィイイイイイイイイイイイズ!!!!!」
「とりあえず落ち着きなさい黒子」
以前と違う点は――まず根本、屋外であること。適度に風が通るため、日差しの割りに暑さは感じていない(それでも紫外線対策は必須だが)。
そしてなにより、全員が起きている、というのも違うだろう。それ以外での違いはほとんど無い。
「これが落ち着いていられますかっ!? ワタクシ断固として抗議いたしますの! そんな……っ!」
――否。もう一点。
かつて、黒子にとってうらやましくも、美琴の頭は彼の膝――太腿の上にあった。しかし、今はそのようなことはしていない。
「そんなっ!! あからさまに恋人を熱演なさっているなんて!! お二人ともこの黒子に見せ付けたいんですの!?」
「こっ!? ち、ちが……ってアンタは何処にもぐりこんでんのよ!?」
『恋人』という単語に一気に赤くなり、テレポートで机の下にもぐりこんだ黒子を気配で察知する。短パンをはいていても条件反射でとっさにスカートを押さえたが――黒子の眼は、そこには一切向けられていない。
黒子の頭の位置……それは二人の座る、丁度真ん中。
そしてその眼は――仲睦まじくも重ねられている、二人の手をロックオンしていた。
一般に恋人つなぎ――と呼ばれる指を絡めあうような握り方ではなく、どちらかと言えば、深音の手を美琴が掴んでいる……が正しい説明だろう。
よそ様から見れば――美琴が一方的に甘えていると見られても、なんらおかしくは無い。 美琴も美琴で恥ずかしがりながら隠そうとしながらも、離そうという気配を微塵にも感じさせないことがそれに拍車をかけている。
――義兄妹、ではなく、黒子の言った関係にしか見えなかった。
「しょ、しょうが無いでしょ!? あの視線、こうしてれば全然無いんだから! 一時的によ一時的に!!」
「それならばお姉様! ワタクシと御手繋ぎを!! 大丈夫ですのワタクシ達は女の子同士! 変に勘ぐられる間柄には見えませんの! ……見えたら見えたでウェッヘッヘ」
手をぐにゃぐにゃと蠢かせながら二人の接点へと迫り――黒子そのものがテレポートで掻き消える。次の瞬間、黒子の頭があっただろう場所を、握り固められた美琴の拳が結構な唸りを上げながら通過した。
「ちっ!」
「初・完全回避! ですの! さあ、お姉様。この黒子と御手繋ぎを! できれば恋人つなぎでっ!!」
深音とは逆隣に出現した黒子と、差し出されたその手を交互に見る。そして、二度三度と深音の手と見比べて――おずおずとその手首を握った。
「――なんで手首ですの?」
「う、うるさいわね! どこだっていいでしょ別に!」
接触していて一番違和感が無いのが手――ということで手をつないでいたらしい。そしてかなりの躊躇いを見せて、深音の手をゆっくりと離す。
―― 一応の形だが手を取られてヒャッホウな黒子とは正反対に、美琴は警戒心全開で周囲をしきりに見渡している。黒子から見てもそんな美琴は珍しいのか、予想以上に深刻なのだと理解した。
「どうですか? 美琴さん」
そう問いかけてくる深音も、美琴を見てはいない。彼女の死角になりそうなポイントや、監視に適していそうなビルの屋上などを次々と確認していく。
(……これは、おふざけなしで――というわけですのね)
……いまだ気分は高揚しているが、黒子もテレポーターとしての空間把握能力を最大限に利用し――限界範囲内の不審を探す。
「いまんとこ、感じない――けど」
黒子でも同じなのか、それとも、たた純粋に視線の主がいないだけなのか――そう考えた黒子の手首が、強い痛みを伴うほど強く握られた。
「っ、お、お姉様?」
「――深音。黒子――
顔が強張り、その色も僅かに青く……暑さからではない汗が美琴の頬を伝っていく。
そして、その言葉を聞いた深音の行動は早い。即座に立ち上がり、美琴の背を守る位置を陣取る。自然に立っている様に見えてその実、欠片の隙も無く構えていた。
「――誰も、いらっしゃいませんが……」
当人たちは真剣そのもの。しかし、だからこそ赤の他人から見れれば――それは滑稽にしかみえないだろう。
周囲に人がいるわけではなく、そんな風に見られているわけでもないのだが……今の状況を客観的に考えてしまった美琴は――。
――ただそれが、悔しかった。
自分だけなら腹立たしい。だが、まだ我慢できる。
しかし、黒子や――最初から真剣に向き合ってくれている深音までそんな風に見られると思うと……。
「出て……きなさいよ卑怯者……! ッ! どういうつもりか知らないけどね!! いつでも相手になってやる! 陰険な真似してないで姿を現しなさい!!」
周囲の音一切合切を圧倒するその咆哮。怖気の感じる相手への恐怖感も混じり、余裕も無い。
……返答も無く、反応も無い。美琴が感じる視線と不快感も変わらない。それが美琴には、自分をあざ笑っていてるように思えてならなかった。
怒りを雷に。悔しさを強く握り拳に――変えようとしたところで、深音にその手をつながれる。
自分の手さえ傷めるほどの力で握ってしまったが――ハッと見上げた彼の顔は、いつもの笑顔だ。人を安心させる、安堵させる微笑に欠片の曇りも無い。
暴発しかけた電圧も深音を通して霧散していく。……視線も消えたこともあり、美琴の怒りも少しずつ収まっていく――もちろん、消えたわけではないが。
「ごめん……それと、アリガト……」
「さて、なんのことですか?」
大したことではない。と、言外に語る。
……つまるところ黒子では効果がなく――深音限定か、男性と触れているときに視線は消える、らしい。考えられるのは、視線の主が深音を恐れているかもしれない、という仮定。
黒子の脳裏に一瞬、陰気な男子学生像が浮かぶが、頭を振って先入観をかき消す。
――調査において先入観は、一番邪魔なものでしかない。
(――今回は、『そちら』のお役目はお任せいたしますの、深音さん)
御坂 美琴の露払い。自任している役目を再確認し――黒子はこれからの手順を考える。
――考える、その前に。
「そういえばお姉様? 有耶無耶になってしまいましたけど、黒子にお話があるとのことでしたが……」
「あ、あー……え、えっと。その、ね? あの視線がなくなるか解決するかするまで、その――深音ん家に泊まるー、っていう、報告?」
「「え?」」
黒子と深音が、二人揃って、呆けて美琴を見ていたそうな。
《 おまけ 》
「……」
「あ、あのー、佐天さん? 私のスカート上げたまま硬直しないでくれません……?」
「なんか、なんか出遅れた!」
「ごめんなさい意味わかんないですっていうか手を離しませんか? 怒りますよ? 伝家の宝刀抜いちゃいますよ?」
「さーせんっしたぁー!!」
読了ありがとうございました。
――美琴と深音が手をつないでる光景を思い浮かべてるとニヤニヤが止まりません。
誤字脱字、ご指摘などありましたらお願いいたします。