「何なんだよコイツ……!」
薄暗い部屋の中……モニターに映る人物の様子に、ミルキはただでさえ荒い呼吸をいっそう速めながら冷や汗を流していた。
視線の先には試しの門を背中と足で開くという暴挙を成した人物……ネット上ではごんぞう、本名をエミリア=フローレンと名乗った女がゾルディックの敷地内を我が物顔で歩いていた。その足取りに迷いは無い。
見たところ小柄で体も薄く、とても強そうには見えない。背など弟のキルアと同じくらいではないだろうか。とりあえず平凡な小娘といった印象しか無く、顔立ちも眼鏡以外は特に目立った特徴は無かった。あえて言うなら三白眼で目つきが悪いというのが特徴といえば特徴だがその程度である。少なくとも美人では無い。
しかしその一見平凡極まりない女は、ゾルディック家の正門を堂々とこじ開けて中に入って来たのだ。先ほど番犬のミケとすれ違ったがお互い威嚇するように鋭く視線を交わしたものの、女が特に怯える様子はなかった。
以上の二つどちらをとっても普通ではない。
おかしい。普通なら暗殺一家ゾルディック家次男であるミルキこそが恐れられるべきなのだ。だというのに現在得体の知れない恐怖を感じているのはミルキの方である。
その事実を認めたくなくて親指の爪をぎりぎり噛みながら落ち着きを取り戻そうとしたミルキであるが、ふいに背後から声がかけられた。
「ほほう、これはまた……」
「じ、じいちゃん!?」
ミルキの後ろに立っていたのは祖父のゼノ=ゾルディックであり、彼の視線もまたモニターに向けられていた。
「ミルよ。この子は誰だ?」
「べ、別にいいだろ。誰でも……」
「ミルキ」
「…………た、ただのネットの知り合いだよ」
「友達か?」
「はあ!? 違うよ! キルじゃあるまいし……! …………俺にコレクションを引き取ってもらいたいって言うから、執事を向かわせたのにあいつ直接渡すって言って勝手に押しかけて来たんだ」
若干事実を歪曲して話すミルキであったが、ゼノはそれに気づきつつもあえてそこには言及せず顎に手を当てて再びモニター越しに件の人物を眺める。
「ネットの知り合いなぁ……。それにしちゃあ随分な相手を引き当てたもんだ。ありゃお前じゃ勝てんぞ」
「なっ」
「身のこなし一つとっても手練れと分かる。実際に見とらんから正確なところはわからんが、少なくともお前よりは上手だろうよ。……何やら怒っているようだが、本当にコレクションを渡しに来ただけか?」
「そ、そうだよ」
どもりながら答えるミルキであるが、祖父がミルキでは勝てないと断言した相手は先ほどから電話で散々こちらに口悪く怒鳴り散らしてきていた。これまで話してみて女が非常に短気な性格でありミルキの態度に相当苛立っていることは理解していたが、自身で勝てない相手となると多少受け取り方が変わってくる。
流石に敷地内で好きにさせるほど暗殺一家は使用人を含めて甘くはないが、その怒りの矛先が自分に向かっていると思うと屈辱ながらわずかに身が震えた。
「一応聞くが、この子はここがゾルディック家とわかった上で来ているのか?」
「う、うん……」
「ほう、 そりゃあ肝も据わっとるな」
「………………」
ミルキは無言になりながらも内心「そうだよ! ここはゾルディック家だぞ!? 何であいつは普通に来てんだよ!」と、自分が呼んだにも関わらず理不尽な怒りに囚われていた。
初めはミルキの正体を知って怯える姿を見たいだけだった。
そして速やかにエミリアが謝罪し、コレクションを差し出してきさえすればミルキとしても溜飲が下がったのだ。ネット上とはいえ知り合いのよしみで、その謝罪の仕方によっては無礼な態度も許してやるかとさえ思っていた。
だがエミリアという女、初めこそミルキがゾルディックである事実を疑っていたが執事の言葉も有り信じてからの行動はミルキの予想とは正反対の方向へ向かった。
昨日の夜……取引の席で「翌日早朝に向かうから家の前まで来たら出てこいよデブ」という言葉を最後に電話を切った女は、今朝方本当にやって来たのだ。しかも怯えるどころか相変わらず電話越しの態度はデカい上に口も悪い。出てこいと要求するエミリアにミルキは「お前が来いよ! その門を正面から開けられたら会ってやる」と返したが、それすらもエミリアは軽くこなした。
奴のもとに向かわせた執事は昨夜一回ククルーマウンテンに戻りミルキにエミリアがどういった人物か報告してきたが、思えばその内容も普通ではなかった。そもそも本来ゾルディック家の執事が一般人にケータイを奪われるなどと言う醜態を晒すはずもなく、聞けば無礼な態度に対して威圧した所殴られ、その間にケータイを奪われたとのこと。
執事の情けなさに怒鳴り散らし多少の"躾"を行ったミルキであったが、祖父の言葉を聞いてようやく自分のネットゲームでの共闘相手はただ者ではなかったのだと理解が追いついた。馬鹿なと思い認めたくなかったが、こうも見せつけられては認めざるを得ない。
こんなはずでは無かったと、ミルキは「クソッ」と悪態をつくと近くの机を拳で打ち付ける。
ミルキはモニターに映る女を改めて見た。
すでに敷地内に入りこちらに向かうエミリア。呼び寄せたのはどんな経緯があったとしても間違いなくミルキ本人であり、もしこの女が暴れでもしたらその責任はミルキへと降りかかってくる。すでに祖父に知られているため隠すことも出来ない。
(…………。チッ!し、しかたがない。執事室くらいまでなら出向いてやってもいいか。品物の確認もしたいし)
ゾルディック不動の泰山もとい引きこもり……ミルキ=ゾルディックが、敷地内とはいえ久しぶりに外出を決意した瞬間である。
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世間がちょっと狭すぎやしないか。そう私が思ったとしても仕方がないと思う。
いや……なんつーか、ネトゲしてた相手がキルアさんの兄貴とか予想できねーよ。たしかに漫画でオタク描写はあったけどいったいどんな確率だこれ。
しかし怒りに任せてここまで来たが、私の目的は変わらない。ムカつく奴であることはネトゲしてた時から分かっていたことだし、私は自分のコレクションを奴に直接渡すことが出来れば満足なのだ。性格はともかくフィギュアをはじめとした品物の扱いに関しては信用できる相手だからな。性格はともかく。
……まあ会った時文句の一つくらいは言ってやるつもりだけど。
しばらく歩くと石の門と有刺鉄線で敷かれた境界線のようなものに行き当たり、そこには一人の少女が立っていて彼女はこちらに頭を下げ「お話は伺っております。執事室まで案内いたしますので私についてきてください」と告げた。ここに来てようやく客人扱いである。
私は約束の品を運ぶここの執事とアルバンスから借りた黒服たちが後から来る旨を伝えると、少女……カナリアの案内に従って執事室という名の豪邸に案内された。そこでは私を迎えに来た男同様に執事服を着こんだ4人の男性執事が待機しており、恭しく頭を下げられる。慣れない丁寧な対応に思わずなんと言っていいか迷ったが、とりあえず「乱暴な訪問をして申し訳ない。先ほど門の扉を多少傷つけてしまったので修理代を払う」と伝えると、少々意外そうな顔をされた。
「いえ、結構ですよ。お気遣い頂きありがとうございます」
「あ、いや……そういうわけにはいかないんで。気遣いっていうか、私が悪いんだし……」
「いえ、本当に結構です。むしろよく試しの門を傷つけることが出来たものだと、ゼノ様が感心なされていました」
「えっ」
おい待て今ゼノって言ったか。たしかそれここの家の爺さんの名前じゃなかったか。
…………そういえば怒りに任せてここまでガシガシ歩いてきたけど、私暗殺一家の家にダイレクト訪問してるんだっけ。そりゃあ朝っぱらから門をガンガン叩いてうるさくしてれば何事かって見られても仕方が無いか。
一応最低限の礼儀として昨日は夜遅かったから訪問を控えたし、ここに来る前に再度迎えに来た執事のケータイを借りて今から行くと事前に伝えもした。どうしようか迷ったけど泊まったホテルのギフトコーナーで手土産も買ってきた。……でもそんなナイスな気遣いもあんなご自宅訪問の仕方したら台無しだよな。いや、あのクソみたいな性格のみるく相手に気を使う必要なんか無いぜ! と割り切って何も用意してこないよりはマシだろうけど。しかしパドキア共和国に来る途中で買ったマナーブックだけでは私が礼儀作法を身につけるには足りないようだ。
時間が出来たらマナー講習にでも通ってみようかな……。ゴレイヌさんの嫁になるにはこんなことではいけない。もっと礼節や淑女のたしなみを身につけなければ!
「ところで」
私が自身の行儀悪さに地味にへこんでいると、ふいに眼鏡をかけた執事が声をかけてきた。たしかゴトーと名乗っていたな。
「もうすぐミルキ様がお出でになりますが、その前にひとつ質問をしてもよろしいでしょうか?」
お、なんだあいつ来るのか。ここまで来てようやく出てくるとか本当に怠惰極まりない奴だな。
私は目的の人物がようやく出てくる事実に表情を明るくさせたが、対してゴトーは表情こそ笑顔だが空気が先ほどよりぴりっと張り詰めている。
「え……と、なん、でしょうか」
「ミルキ様からは客人と伺っておりますが、どういったご関係かお聞きしても? ああ、お気を悪くなさらないでください。何分家業故にゾルディック家は敵も多いのです。余計な外敵から主を守るのが我々執事の役目でもありますので、ミルキ様にお会いいただく前に少々確認をさせていただきたいと思いまして」
「はあ……なるほど」
おい、なんだよ私今の気のない返事は。淀みなく喋る眼鏡執事に対して私の会話スキルが情けなさ過ぎて泣ける。同じ眼鏡なのにこの差はいったい……。
つい「どうしたらそんな綺麗にスラスラ喋れるのかなぁ」と羨望の眼差しで執事を見る私だったが、質問された内容に思わず首を傾げた。どういった関係か? まあネット仲間と答えるのが事実だし妥当だろう。友達では無いしな。
でもここで警戒されたまま待つのも何だし、ネット仲間以上にこの執事を納得させる問答無用の答えは無いものか。そう思いしばし考え込んだ私は、ふと私とみるくの関係を端的にあらわす言葉を思いついた。
そして私はおもむろにパーカーのジッパーに手をかける。
私の動きに執事たちが警戒を強めたのが分かったが、それに構わず私はジッパーを下げてパーカーの前をはだけるとばっと左右に開いてその下にあった物を彼らに見せつけた。
「同好の士……ってやつかな」
後になって思えば何でこの時の私は超ドヤ顔の決めポーズ付きでこれを言ったのだろうか。きっと緊張故に変な脳内麻薬でも出ていたに違いない。
私の着ていた萌え系魔法少女のイラストばーん! の「覇王少女リリカル☆ウオラ」の文字ばーん! なキャラTに、執事たちはしばしの沈黙でもって返す。そして眼鏡の執事は眼鏡のツルを指で押し上げると、ほがらかな笑顔で私にソファーを勧めた。
「失礼いたしました。ではエミリア様、ミルキ様がお出でになるまでこちらでしばしお寛ぎください」
その一歩距離を置いたような丁寧な対応が逆に居たたまれなくなり、自らの行動を後悔した私は無言でソファーに座り出された紅茶を一気飲みした。
…………恥ずかしい。
その後目的の人物であったみるくもといミルキが現れたのだが、奴の開口一番の言葉は「お前ふざけんなよ! そのTシャツ10年くらい前のみこなんのサイン入りの限定一枚視聴者プレゼントじゃねーか着てんじゃねーよ! お前の薄汚い汗でサインが滲むだろうが! つーかもう大分色あせてんじゃねぇかお前これ着た上に洗っただろ何回も! 今すぐ脱げそれも買う!」だった。ちなみに私は即断ったけどな。他は全部くれてやるがこれだけは譲れない。このTシャツはまだお金があまりなかった頃、どこぞのポケモンマスターを目指す少年のごとくハガキ1,000枚書いて懸賞で当てた私の宝だ。絶対にやるものか。
しかしミルキはしつこかった。
クソが。やっぱりこいつをコレクションの引き渡し先に選んだのは間違いだったかもしれない。