あれから出水たちと別れた俺は、ユイが呼んでいるという開発室にやって来ていた。
ボーダーの開発室はその名の通り、
かく言う俺も、昔からこう言った技術系の仕事には興味があった為、たまに足を運んでトリガー開発の見学をさせてもらうことがある。
俺は自動ドアの前に立ち、パシュっという軽い音と共に扉が開かれたのを確認すると、そのまま開発室に足を踏み入れた。
「失礼します」
「あっ、パパ! いらっしゃいです!」
開発室に入った俺を最初に迎えてくれたのは、純白のワンピースに身を包んだ小さな女の子……ユイだった。
ユイ──今は無きSAOのメインシステム《カーディナル》の《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》の試作1号。コードネーム《Yui》。つまりAIプログラムだった。
紆余曲折あって現在では俺と恋人のアスナを《パパ》《ママ》と呼んで慕うようになり、俺とアスナもユイを本当の娘のように可愛がっている。今では開発室のマスコットのような存在だ。
「ようユイ。緑川から呼んでる聞いて来たんだが、どうかしたのか?」
「用があるのは私じゃなくて、鬼怒田おじさんです、パパ」
「鬼怒田さんが?」
「おお、来たか桐ヶ谷!」
そんなユイに続いて俺を迎えてくれたのは1人の男性。
ボーダーの上層部の1人で、この開発室の室長である
AIであるユイはMMOの世界でしか自分の体を持たない。
当時ユイに外の世界を見せてやりたいと考えていた俺は、トリオンを使った技術でそれが実現できないかと考え、開発室の門を叩いたのが始まりだ。
そしてありがたいことに完成されたAIの存在に興味を持ってくれた鬼怒田さんが率先して俺の相談に乗ってくれた。それからは俺と鬼怒田さん、そしてチーフエンジニアの雷蔵さんをはじめとした
「こんにちは鬼怒田さん。今日はどうしたんですか?」
「うむ、実は今新しいトリガーを開発しておるのだが、おまえさんから戦闘員としての意見を聞きたい」
「いいですよ。俺の意見でよければ喜んで」
俺が開発室に足を運ぶようになってからは、鬼怒田さんからのこう言った頼みを聞く事は多くなった。もちろん断る理由はないので、俺はそれを快く引き受けた。
「あ! 私も鬼怒田おじさんをお手伝いします!」
「おーそうかそうか、ありがとうなユイちゃん」
仏頂面から一転して、ニコニコと笑いながらユイの頭を優しく撫でる鬼怒田さん。
誤解のないように言っておくと、鬼怒田さんには離れて暮らす娘さんがいて、ユイを見ているとその娘さんを思い出すらしい。決して鬼怒田さんにアレな趣味がある訳ではない。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ううむ……やはり新型トリガーの開発は、
「そうですね、
「ですが攻撃力を特化すれば、その分トリオンの消費が多くなります。そうなるとトリオン効率が悪くなってしまいますので、玉狛支部の《双月》のように短期決戦型になってしまいます。継戦能力を重視している本部の規格からは外れてしまいますよ」
「そこはその分、耐久力を下げてトリオンを調節するしかないな。それでも弧月と同等の耐久力にはなるはずだ。同時に重量もレイガスト以上になってしまうけど、他の3つに比べて攻撃範囲を広くとれる」
「確かにそれはできんこともないが、それでは重量があまりにもかさみ過ぎではないか? 重すぎてまとも振れなくなっては、本末転倒だろう」
「一応トリオン体で持てるギリギリの重量を想定していますけど、スラスターのような重量をカバーする為の専用オプショントリガーの開発も視野に入れておいた方がいいかもしれませんね」
「うむ。では仮にそれを開発すると想定してのコストだが――」
開発室で交わされる、俺と鬼怒田さんとユイの3人による議論。主題はもちろん、新型トリガーについてだ。こうやって意見を出し合いながら議論を重ねることで、開発の幅が広がる。今回は3人だけだけど、たまに他のエンジニアの人たちも加わってグループディスカッションが行われることも珍しくない。
俺はエンジニアじゃないけど、こういった時間は楽しく有意義に感じている。
「む? もうこんな時間か」
そう言った鬼怒田さんに釣られて、ふと時計を確認すると、すでに時刻は夜中の9時を回っていた。どうやら議論に夢中になるあまり、帰宅予定の時間をかなりオーバーしてしまったらしい。
ポケットから取り出した携帯端末の画面を見てみると、妹からの『早く帰って来い』メールが数件来ていた。
「すみません鬼怒田さん、今日はもうこれで失礼します」
「ああ、長時間すまんな。今日もなかなか有意義だったぞ」
「こちらこそ。ユイ、帰るぞ」
「はい、パパ。鬼怒田おじさん、バイバイです!」
「またいつでも遊びにおいで」
鬼怒田さんに頭を下げて挨拶をすると、ユイは両目を閉じて、呟くようにある言葉を口にする。
「トリガー
その瞬間、ユイの体が眩い光に包まれる。そしてその光の中でユイの体は粒子となって消えていき、光が止むとそこには1本のトリガーホルダーのみが残された。
このトリガーホルダーこそが今のユイの本体。通常ならトリガーホルダーの中にはトリガーの本体とされる《チップ》がセットされているのだが、このホルダーは鬼怒田さんお手製で、チップの代わりにかつて《ナーブギア》に内蔵されていたローカルメモリがセットされている特別仕様だ。
トリオン器官を持たないユイがトリオン体に換装する為には、他者にトリガーを起動してもらって、その起動者のトリオンを分け与えてもらう必要がある。もちろんその起動者は主に俺だが。
因みにこれはトリガー同士の《臨時接続》をヒントに思いついた技術だ。ただしまだまだいくつか問題点がある為、未だに本部と三門市の中でしか起動を許されていない。だからまだアスナたちにはユイのことは話していない。理由はもちろん、完成した時に驚かせたいからだ。
「では鬼怒田さん、失礼します」
「ああ、またな」
俺はユイのトリガーをポケットにしまうと、もう一度鬼怒田さんに頭を下げて、開発室を後にした。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「うわ、またスグからのメールだ。これはかなり怒ってるな」
基地内の通路を歩きながら、俺はそう1人ごちる。さっきから数十分に1回の頻度で妹の直葉からのメールが届いている。内容はどれも早く帰って来いとのことだが、どうやらなかなかご立腹らしい。これは早く帰らないと晩飯を抜きにされかねない。
なので俺は少し急ぎ足で基地の出口へと向かって歩く。だけどその時、背後から誰かに声をかけられた。
「よう桐ヶ谷、久しぶり」
男の声。聞き覚えのあるその声に、俺は反射的に足を止めてしまう。そして振り向き様に、その相手の名前を口にした。
「迅さん」
「ぼんち揚げ、食う?」
その人はボリボリとぼんち揚げを喰らいながら、どこか含みのありそうな笑みを浮かべてそう問い掛けて来た。
サイドを残してオールバックにした前髪とブリッジ部のない珍しい形状のサングラスが特徴で、その身には青色のジャケットを羽織ってる。
彼の名前は
その理由はいくつかあるが、まず、迅さんはボーダーでも数少ないS級隊員の1人だ。S級隊員の詳細は割愛するが、その実力は折り紙付き。ボーダーの司令や本部長からの勅命を受けることもあるらしい。
「珍しいですね、玉狛支部の迅さんが本部に顔を出すなんて」
「そりゃあ顔くらい出すよ。おれみたいな実力派エリートはどこでも引っ張りだこだからな」
ぼんち揚げ片手に腹立つほどのドヤ顔の迅さん。
迅さんが所属しているのは本部ではなくて《玉狛支部》と呼ばれる、警戒区域の外縁上に存在している6つの支部の1つだ。ボーダー支部には基本的にA級を目指さない隊員が所属していることが多く、地域住民の窓口になっているのだが、玉狛支部だけは特殊だ。なんたって所属している隊員が全員A級の少数精鋭部隊で、A級1位の俺たち太刀川隊を差し置いて《ボーダー最強部隊》って呼ばれてるんだからな。実際、彼らは強いからそう呼ばれるのも仕方ないけど。
「桐ヶ谷も近いうちに玉狛に来いよ。小南とかが会いたがってるしな」
「小南に限っては、戦いたがってるの間違いでしょう?」
「そうとも言うな。あ、因みにもし来るなら今度の土曜日がオススメだ。その日はレイジさんが食事当番だからな」
「絶対に行きます」
俺は反射的にそう答える。
レイジさんが食事当番と聞いたら行かない訳にはいかない。あの人が作る料理はどれも絶品だからな。特に初めて食った《肉肉肉野菜炒め》は美味かった。あの味は中々忘れられん。アスナには悪いが、俺はあの人の作る料理も好きだな。
「……で、迅さんは俺に何の用ですか? ただ雑談する為に、ここで俺を待ってた訳じゃないですよね」
「ん、まあね」
俺の問いに対してあっさり肯定する迅さん。
ここでこの人と会ったのは偶然じゃない。迅さんが本部に来る時は大体上層部に呼ばれた時か、こうやって特定の人に会う為のどちらか。けど今、俺が通ろうとしていた通路は上層部の会議室には繋がっていない。と言う事は、わざわざここを通る俺を待っていたという事だ。もちろんこれは推測でしかないが、俺はほぼそうだと確信していた。
何故ならこういう時の迅さんはあの男……通信ネットワーク内仮想空間管理課、通称《仮想課》に所属する菊岡に似ているのだ。要するに胡散臭い。
「近いうちに《遠征》があるのは知ってるだろ」
「もちろん。というか、うちの隊も遠征部隊ですし」
当然だと俺は答える。
迅さんの言う《遠征》とは《
その名の通り、選抜試験で選ばれた隊員を遠征艇を乗せて
「その遠征だけど、桐ヶ谷だけはこっちに留まって欲しいんだ」
「は?」
それはつまり、俺は遠征に行かずにこっちに残れってことか。何故そんなことを……と、問い掛ける前に、迅さんはぼんち揚げを口に放り込んでボリボリと咀嚼しながら言葉を続けた。
「まだ詳しいことは言えないけど、桐ヶ谷がこっちに残ってくれた方が色々助かるんだよ。ボーダーにとっても、おれにとっても、桐ヶ谷自身にとってもね」
「……またお得意の暗躍ですか」
自分の趣味を暗躍と言ってのけるほど変わった人だ。だけどこの人には、どんな差し抜きならない状況もいつの間にか収束できるほどの手腕と能力を持っている。
「桐ヶ谷にとって決して悪い話じゃないよ。おれのサイドエフェクトがそう言ってる」
自身満々にそう言い放つ迅さんの言葉には、それを裏付けるほどの説得力があった。
サイドエフェクト──意味は《副作用》。
高いトリオン能力を持つ人間に稀に発現する特殊能力……と言ってもそれは超能力のようなものではなく、あくまで人間の能力の延長線上のものでしかない。ボーダーの隊員にも《常人の6倍の聴力》を持つ人や《経験した知識や技術を寝るだけで定着させる》などの能力を持つ人がいる。目の前にいる迅さんもそのサイドエフェクトを持つ1人だ。
そしてその迅さんのサイドエフェクトは《未来視》。目の前にいる人間の少し先の未来……それも《いくつかの起こりうる未来》が視えるという、俺が知る中でも強力なサイドエフェクトだ。
だけどそれは決して良いことばかりではない。未来が視えるという事は、同時に未来を知る者としての責任を負う事でもある。だからこそ迅さんは、最善の未来の為に暗躍を通して奔走する。普段は飄々としてるけど、実はボーダーの中で一番大変な立場にいる人なのかもしれない。
そんな迅さんの頼みを、俺はそう簡単に無下にすることはできなかった。
「今度は一体、何が視えたんですか?」
「ぼんやりとしか視えてないから、さっきも言ったようにまだ詳しくは言えない。だけど桐ヶ谷が遠征に行くか行かないかで、未来が大きく分岐することは間違いない」
つまり俺の選択1つで、未来が左右されるって事か。
実を言うと、俺は少し今回の遠征に興味があった。仮想世界とは違う本当の異世界に行くなんて、そうそう体験できることじゃない。それに向こうの
遊びではないことは分かっているが、それでも行ってみたいという気持ちは強い。
だけど、俺がその遠征に行く事で未来が分岐すると聞いてはそうも言っていられない。俺が迂闊に動くことで未来が確定し、結果的に三門市が大変なことになるかもしれない。街の安全を考えるなら、俺は遠征に行かない方がいいのだろうか……。
俺が胸の内で葛藤していると、それが顔に出ていたのだろうか、迅さんが安心させるように俺の肩に手を置いた。
「大丈夫、別に強制はしないよ。桐ヶ谷が遠征に行く未来を選択しても、そのまま最悪の未来に繋がる訳じゃない」
そう言われて、少しだけ気が楽になる。
迅さんのことだ。おそらく俺がどっちを選択しても理想の未来になるよう、暗躍を駆使して各方面に働きかけるだろう。そう考えると、今日俺に声をかけたのは保険のようなものなのかもしれない。
それでも俺は………!
「……わかりました。少し考えさせてください」
「うんうん、悩めよ若者。未来はあっという間にやって来るぞ」
ぼんち揚げを口いっぱいに頬張りながらドヤ顔されても、カッコつかないですよ迅さん。
「ああそうそう、それともう1つ」
「?」
「来月の正式入隊日に少し顔出してみろよ。おもしろいことがあるかもよ」
おもしろいこと? 何だろうか? とんでもない新人が入隊する未来でも視えたのだろうか。
「わかりました、気が向いたら行ってみます。それじゃあ」
「おう、早く帰った方がいいぞ。おまえが妹ちゃんに物凄く怒られてる未来が視えたから」
「…………」
迅さん……そんな未来が視えていたのなら、呼び止めないで欲しかった。
つづく