次の日になっても、砂浜で海に「返して、返して」と叫んでいた千歌ちゃんの声が頭から離れなかった。
曜ちゃんを殺したのは私だ。
千歌ちゃんと一緒にいる。
千歌ちゃんの1番の友達でいる。
それを願っていた曜ちゃんを苦しめ続けていたのは、私がいたからだということは紛れもない事実だ。
梨子「私が死んでしまえばよかったのにね…」
後悔なんて言葉じゃ言い表せない気持ちが止めどなく溢れる。私はなぜ生きているのだろう?
可愛くて、器用で、みんなを楽しませてくれて、優しくて思いやりがあって、なによりもAqoursに最後の最後まで本当に愛情を注いでくれた少女。
そんな少女を殺したのは私。Aqoursにとって光のような存在を殺した。
今日のうちに目を覚まさなければ、曜ちゃんが蘇生することは無いそうだ。
千歌ちゃんは完全に壊れてしまっている。寝ている曜ちゃんを見ても、何も言わなくなって、まるで魂が抜けたように空虚を見つめている。
沼津に来て私は救われた。Aqoursに出会って救われたんだ。曜ちゃんと千歌ちゃんに出会えたから私はこうしていられる。
それを私は仇で返したんだ。
梨子「……。」
善子「ねえ、梨子。」
梨子「…善子ちゃん?」
善子「今から私の部屋に来てくれる?」
梨子「え……」
梨子「身代わりの黒魔術?」
善子「ええ。」
善子ちゃんの部屋に着いた私は、善子ちゃんの話を聞いていた。怪しげに黒魔道書と書かれた分厚い本を片手に善子ちゃんは私の質問に頷いた。
梨子「それって……」
善子「安心して。身代わりになるのは私だから。」
梨子「何を言っているの?身代わりって、そんなことできるわけが…」
善子「これしかないのよっ!」
梨子「……。」
善子「藁にもすがる思いでやってるの。ダメかもしれない。それでもやれることはしたいのよ。」
私の想像よりも遥かに善子ちゃんは強かった。私や千歌ちゃんよりもずっと強い。曜ちゃんのために自分のできることを見つけていた。
梨子「わかった。協力するよ。」
善子「ありがとう。」
でも、ここでAqoursにとって大事な善子ちゃんを失うわけにはいかない。
梨子「ただ、条件があるの。」
善子「なに?」
何も悪くない善子ちゃんが身代わりになるなんて間違ってるでしょ?
梨子「身代わりになるのは……」
それに、これは私の願いでもあるから。
眼が覚めると、波打ち際の音が聴こえるようになってきた。
ここは砂浜?さっきまで確か……
周りを見渡すと、ここは私がよく知らない海岸だった。
梨子「あっ……。」
周りを見渡す中で、一人の少女を見つけた。
梨子「っ!」ダッ
私はその子に向かって、呼吸を忘れるほど無我夢中で走った。多分、人生で一番速く走った。
もうどこにも行かせたりしない。
自ら一人ぼっちになる道を選んだ可哀想な少女。
彼女をもう二度と同じ目には遭わせない。
私は少女の背中に抱きついた。
少し筋肉質だけど女の子らしさが残る柔らかい肌。髪からふんわりと香る太陽の匂い。優しく感じるあったかい体温。
「え?」
そう。
私が聞きたかった声。
『ごめんね…ごめんね……』
泣きながら謝り続ける彼女が出てくる夢を何度見たんだろう。罪悪感がずっと私にまとわりついていた。
もう、それも終わりにさせるんだ。
梨子「……曜ちゃん。」ギュッ
曜「り…こ…ちゃん……?」
曜ちゃんは口をポカンと開けて、大きく目を見開いていた。
曜「梨子ちゃん?どうしてここに……」
曜ちゃんが驚いた表情をしていることがすぐにわかった。
梨子「会いに来たんだよ。」
曜「私に?」
梨子「うん。」
曜「どうやって?」
梨子「それは内緒。」
曜「……。」
すると曜ちゃんは私と顔を合わせた。その顔はとても悲しそうにしていた。
曜「……帰ろう。」
梨子「!」
曜「ここは梨子ちゃんが来る場所じゃないよ。」
梨子「……。」
曜ちゃんは私がどうしてここにいるのかをわかっているみたいだった。
曜「こんなことしても、誰も喜ばないよ。」
梨子「そんなことない。」
曜「そんなことあるよ。」
梨子「私じゃなくて、曜ちゃんがいればいいの。」
そう言って、私は顔を上げると曜ちゃんの視線とばっちり合った。その後、私は言葉を続けることができなかった。
……曜ちゃんが怒ってる
曜「それ、本気で言ってるの?」
ここで引いちゃダメだ。
後悔したくない。
梨子「……本気だよ。」
曜「ねえ、一発殴ってもいい?」
梨子「!?」
私の覚悟なんてすぐに打ち砕けるほど曜ちゃんはとても怒っていた。あのときみたいに怒鳴ったり、泣いたりしているわけではないけど、曜ちゃんの心の芯からの怒りが私に伝わってきた。
曜「……しないんだけどね。」
梨子「……。」
曜「ねえ、梨子ちゃん。」
梨子「……。」
曜「梨子ちゃんの思いやりのあるところ、私は大好きだよ。」
梨子「……。」
曜「でもね。今回の梨子ちゃんの行動は思いやりとか、優しさとかじゃないよ。梨子ちゃん自身がこれ以上傷つくのが怖いって思ってるだけなんだよ。」
核心を突かれた。確かにそう言われてしまったら、そういうことになる。でも認めたくない。
梨子「そ、そんなつもりじゃ!」
曜「それより他にやらなければいけないことがあるはずだよ。」
やらなければいけないこと?
曜「今、梨子ちゃんまでいなくなったら、一人ぼっちになっちゃうよ。」
梨子「ひとり…ぼっち…。」
曜「…千歌ちゃんを一人ぼっちにさせるつもりなの?」
梨子「あっ……」
曜「千歌ちゃん、いきなり友達を二人も失ったらどうなっちゃうと思う?」
それは…
千歌『……。』
私の目の前には目に光を宿していない、可哀想な一人の少女がいた。
梨子「…二人も失うなんてはずないよ。だって私は…私は、曜ちゃんのためにここに来たの。私が代わりになれば、曜ちゃんが生きられるんだよ!?」
パシンッ!!
突然、私の左の頰に鋭い痛みが走った。
曜「……。」
梨子「……。」ヒリヒリ
曜「っ!梨子ちゃんを……
ごめんね、痛かったよね。」
梨子「……。」
痛かったよ。
曜「ごめんね……」
でもこの痛みは叩かれたからじゃない。
曜「…ごめんっ……」フルフル
この痛みは胸の中の想いからくるものだよ。
そして、曜ちゃんはそのまま顔を伏せて、何も喋らなくなってしまった。
梨子「私ね、曜ちゃんが眠ってから、ある夢をよく見るようになったんだ。」
曜「……。」
梨子「それはずっと曜ちゃんが謝ってる夢。」
曜「っ。」
私を叩いてから曜ちゃんが謝り続けていた姿を見てわかったよ。
梨子「あれは私の夢で、私の想像したことだって思ってた。
でも夢じゃなかったんだよ。」
曜ちゃんはあの日からずっと、ずっとずっとずっと……
梨子「ずっとみんなに謝ってたんだよね。」
曜「……。」
傷ついた。
傷ついてボロボロになっても曜ちゃんは一人ぼっちだったんだ。それで謝りたくても謝れるタイミングがなくて、どんどん孤立していった。いくら曜ちゃんが泣いても、叫んでも、誰も助けてあげなかった。
そして曜ちゃんは壊れてしまった。
優しいはずの曜ちゃんが、人を傷つけるようなことを言ってしまうほどに。
梨子「つらいよ。」
曜ちゃんが壊れてしまってることに私は気づいていた。
梨子「つらいよ……」
それなのに私はただ見ているだけで、助けることができなかった…!
梨子「そんなのつらいよ!
なんで?なんでよ!?なんで曜ちゃんばかりこんな……こんな……ひどいおもいを……」ポロポロ
結局、私はまた泣いてしまった。
泣いても曜ちゃんを困らせるだけなのに。
最低だ。
曜ちゃんが居なくなってしまうくらいなら、私がもっと早く死んでしまえば、こんなことにならなかったのに。
みんな悲しい思いをしないで済んだのに……
曜「おはよーそろー。」
梨子「……?」
私は暖かい何かに包まれた気がした。いや、曜ちゃんに抱きつかれているんだ。
曜「おはヨーソロー。」
どうしてなの?
曜「おはヨーソロー!」ニコッ
どうしてそんなに曜ちゃんは強いの?
梨子「どうして曜ちゃんは笑っていられるの?」
曜「梨子ちゃんにも笑ってほしいからかな。」
梨子「私が笑ったって、曜ちゃんは戻ってこられないんだよ……」
曜ちゃんは目を伏せて少し微笑んでいた。
曜「それと」
突然強くなった潮風が私たちの髪を揺らす。
曜「私にはできなかったけど、梨子ちゃんには千歌ちゃんを元気づけてあげさせられるから。」
梨子「そんなこと…」
無理だよ。曜ちゃんにできなかったことを私ができるはずがない。私はそんなことができるほど強くない。
梨子「無理だよ。」
そう。やっぱり曜ちゃんの言った通り、きっと私は自分が傷つくのが怖いだけなんだ。
曜「じゃあ…」
じゃあ……?
曜「やめる?」
梨子「……。」
千歌『こんなのむりだよぉ〜!』
曜『あはは。』
千歌『私が作詞なんてできっこないって…』
曜『やってみないとわからないよ?』
千歌『むぅ……』
曜『うーん。それじゃあ、やめる?』
千歌『……むぅ。やめないっ!』
曜『だよねっ!』
千歌ちゃん……
こんな気持ちだったんだね。
梨子「……やめない。」
曜「……。」
梨子「私は千歌ちゃんを元気にさせる。」
曜「…ありがとう。」
今の曜ちゃんの笑顔は安心したのか、とても穏やかだった。
梨子「だから」
曜「?」
梨子「どこにも行かないで。」
抱きついてくれていた曜ちゃんを抱きつき返す。
私の切実な願い。もう一人になんてさせたくない。
梨子「一人ぼっちでどこかに行ったりしないでよ!」
曜「……。」
凪のせいか潮風は消えて辺りは静寂に包まれる。私の叫び声が広がっていくのがわかった。
曜「そのために、おはヨーソローの呪文があるんだよ。」
梨子「え?」
それってどういう意味……
曜「だって、梨子ちゃんがそう言ってくれるだけで、梨子ちゃんの中には渡辺曜が残るでしょ?そうしたら、私は一人ぼっちじゃないから。」
よう…ちゃん………
私が曜ちゃんと目を合わせると、にっこりと曜ちゃんは笑った。
曜「………だよ…。」
梨子「!!」
いま…ようちゃん………
曜「よしっ。
梨子ちゃんと千歌ちゃんの明るい未来へ!フルアヘッツ!」ガシッ
梨子「うわっ!?」クルッ
い、いきなりなに!?
私は曜ちゃんに後ろ向きにさせられていた。
曜「全速前進っ!」
このとき、私は曜ちゃんの声から悟った。
梨子「そんなお別れっ…!」
曜「…バイバイ。」
だってその声は今まで聞いてきたどの曜ちゃんの声よりも切なくて寂しいものだったから。
とっさに感じた、曜ちゃんの雰囲気からは、これが『最期』だって暗示していた気がした。
そんなの…
やだよ!
いやだよっ!!
曜「…頑張ってね。」ドンッ
梨子「いやあぁぁっ!!」
振り返って必死に伸ばした手は曜ちゃんには届かず、ただ空を切った。
そもそも、善子ちゃんに名乗り出たときからおこがましいのはわかってた。
それでも私は本当に曜ちゃんを助けたかったんだ。一人で寂しそうに笑う少女を、私は置いていきたくなんかなかった。
梨子「ようちゃぁぁぁん!!」
曜ちゃんに押された私は海の中へ放り込まれた。そしてあっという間に、海の中で意識が遠くなっていくのがわかる。
これが最後なんて思いたくない。
でも、私が最後に見た曜ちゃんの顔は、涙でクシャクシャになって、本当に辛そうな顔だった。
もう曜ちゃんには届かないとわかっていても、私は海の中で曜ちゃんに向かって手を伸ばした。
梨子「ごめ…ん…ね……」
一筋の光も見えなくなって、私は意識を失った。
「………こ……。」
「……り……こ………。」
「り…こ…」
「りこ」
善子「梨子!」
善子ちゃんの声で私は目を覚ました。
梨子「よっ……ちゃん……」
善子「良かった…」ポロポロ
善子ちゃんは泣いていた。
善子「私のせいで梨子が死んだらって考えたら怖くて……」
そうだ。善子ちゃんは私よりも一つ下。そんな子を置いていって、こんな重荷を背負わせようとしたなんて本当にバカだ。
梨子「曜ちゃんにね、会えたんだよ。」
私は善子ちゃんを抱きしめながら言った。
善子「よ、曜さんはどうなったの!?」
曜『だいすきだよ…』
梨子「…………」
善子「り…こ……」
梨子「助けられなかった。」
善子「え……」
梨子「ごめんなさい…」
善子「…謝らないで。そもそも、こんな神事に背くような事をしようとした私が間違っていたのよ。」
梨子「でも、善子ちゃんには、曜ちゃんに合わせてくれたから感謝してるの。ありがとう。」
善子「ええ…」
泣き止んだ善子ちゃんと別れた私は、海岸沿いを歩きながら海を眺めていた。
曜ちゃんの温かい言葉は私の冷えきって狂ってしまったいた心を溶かしてくれた。
梨子「おはヨーソロー。」
曜『…バイバイ。』
二度と帰ってこない人魚姫。
人魚姫は好きな人に好きと伝えられずに泡となって消えてしまう。
曜『だいすきだよ…』
私じゃなくて、千歌ちゃんに言えたらどれだけ良かったんだろう。
千歌ちゃんもどれだけ救われたんだろう。
梨子「せめて…」
私が千歌ちゃんを支えてあげないといけない。
でも、今日は許してね。
梨子「…っ。…うぁ…ぁぁ、ぁぁ…」ポロポロ
あんなに優しいあなたを失ったことを、すぐに切り換えて明るく振る舞えるほど、私は強くない。
でも、きっと千歌ちゃんを笑顔に戻してみせるから。
梨子「……よぉ……ちゃん………」ポロポロ
だから今だけは泣くことを許してね……