ジャイアントトード、という名称のモンスターが居る。
牛を超える巨大な体を持ち、長い舌を伸ばして山羊などの家畜を一飲みにしてしまうような、カエルだ。
たかがカエルと侮っていれば、それが命取りになる。
山羊を丸々飲み込んでしまうのだから、大抵の人間も余裕だろう。
実際、このモンスターが繁殖期に入る時期には、人里の子供や農家の人が行方不明になることもあるのだとか。
見た目はただの巨大なカエルだが、その危険度は無視出来ないレベルである。
アクセルの近郊に居る、本当に低レベルのモンスターというのは既に駆逐されてしまっているらしい。
だから、アクセルに居る最近の新米冒険者は、初めての討伐がこのカエルというのがザラであり、
「うぉぉぉぉぉおお! 来るな、こっちに来るな! クリスっ、クリスさんっ! クリス様ぁっ!! クリムゾンビアーを帰ったら奢るんで助け、おぉぉぉおおおお!!」
俺もその例に漏れず、逃げ惑っていた。
クリスに借金して買った安物の槍を持ってはいる。
だが、武器があるからと言ってどうなるというわけがない。
相手は巨大生物だ。モンスターを倒せることが冒険者にとって当たり前だとは言え、これをいきなり相手取るのは些か無謀が過ぎないだろうか。
というか、安全圏から俺の様子を伺っているクリスはまったく動いてくれる気配がない。
おい、パーティ。俺、君、仲間。一時的なものとは言え、借りっぱなしの身分とは言え俺は仲間ですよね! なんで静観決め込んでるんでしょうかあの美少女は!
「頑張れー! そいつくらいなんとか出来ないと、この先一生どうにもならないぞー! 大丈夫、ジャイアントトードの食事は丸呑みだから、捕まったら助けてあげるよー!」
遠くからそんな、無慈悲な声援が飛んでくる。
捕食されかけたら助けてくれるらしいが、それってつまり命の危機がなければ手を出してくれないということだ。
畜生! だが、彼女の言うとおりである。
ただ逃げ回るくらいなら、誰にでも出来る。アクセルの街がいくら平和だからと言って、その外にはこういったモンスターが蔓延っているのだ。
冒険者は街の外に出て、ギルドに張り出されている依頼をこなすことの方が多い。ならば、この巨大カエルに立ち向かえずしてどうする。
「くそ! やってやる! やってやる!!」
足を止めて、槍を構えながら振り返る。そこには威圧感たっぷりなカエルが居て、丸い目玉をギョロギョロと動かし俺を見ていた。
やっぱ怖い! モンスター怖い! アニメとかゲームの主人公すごい!! こういう奴らに物怖じせず立ち向かってるんだから!!
「ちくしょぉぉぉおおおっ!!」
悲鳴混じりの雄叫びを挙げて、俺は無謀な突撃を行おうとした。その瞬間――。
「ヒィっ!?」
俺の真横に、カエルの舌が叩きつけられた。
ヌメヌメの粘液が少し顔にかかる。生暖かくて気持ち悪ッ!!
「イヤァァァァアッ!!」
だが、相手の攻撃が外れたならば今がチャンスだ。相手だって生き物、槍が脳天を貫けば死に至る可能性が高い。
精一杯の気合いを込め、改めて突撃開始。狙うは顔。狙うは脳。槍によるリーチを活かして突き立てれば!!
だが、この時……俺は失念していた。
餌を捕食する時のカエルのモーションの速さを。舌を伸ばし、瞬間的に掴み取るのがカエルの十八番だ。
ならば、一度避けることが出来たくらいで奴が戸惑うわけがない。俺が槍で突くよりも先に――。
「ぶえッ!!?」
ジャイアントトードは、舌を引っ込めてから再度発射するくらい、わけもないのだ。
体に巻き付いた舌によって俺は空中に高く放り出され、そのままカエルの大きく開けた口に引っ張りこまれる。
ぬめ、ああ、ぬめってして、生暖かい……。
カエルの体の中、マジで気持ち悪い……。
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昨日、クリスから出された驚きの提案に乗った俺は、彼女の好意に対し甘えに甘え、色々と工面してもらっていた。
馬小屋という宿屋よりも格安で泊まれる施設を紹介してもらって、一週間分の費用を借りたり。
レベルをあげるにも武器を持っていなければ討伐系クエストに行けぬと、格安の槍の代金を借りたり。
そして、今こうしてジャイアントトード討伐を一緒に行い、助けてもらったり。
天使のような優しさを持つクリス様は、俺が成長してお金を返せるようになったら返してくれれば良いと言ってくれているが……。
「う、ぐぅ……ぐす、うぅ……ちくしょう、くそぉ……」
怖かった。やはりモンスターはモンスターだということだろう。
舌で身動き取れない上に、俺が飲み込もうとする度に見える筋肉の躍動が生々しくて本気で気持ち悪かった。
カエルの粘液でぬめぬめのネバネバになった体中から、生物特有の生臭さがする。
「ほら、大の男が泣かないの、みっともない」
「ありがとう、本当にありがとう。それ以外の言葉が見つからない……」
「良いよ、そういう約束だったし」
捕まったら助けてくれる。自分が言ったことをただ守っただけだと、クリスは短剣を鞘に収めながら言う。
俺たちの背後には、クリスが倒してくれたジャイアントトードの死体がひっくり返っていた。
あの口から引っ張り出されたということを思い出すと、情けなさが身に染みてくる。
「で、どうする? 依頼は三日以内にジャイアントトードを三匹討伐することだけど。今日は引き上げる?」
「いや、もうちょっと……頑張ってみます」
こぼれ落ちそうな涙を我慢しながら、鼻声でクリスの提案に否と返す。
ただ助けられるだけで、終わるわけにはいかない。男の意地というものもある。
「でも……いや、ごめん。わかった。ダイナがそう言うなら、また捕まるまで見守っていてあげるよ」
「ありがとう。その時はまた、お願いします」
本音を言ってしまえば手伝って欲しいところだが、これも修行の一環である。
この世界では、レベルアップに必要な経験値は倒した者だけにしか入らないらしい。
だから、今回クリスが倒してくれたジャイアントトードから俺に入る経験値は0。これじゃあ、いつまで経っても俺のステータスがあがらない。
俺に授けられたものを活かすためにも、自分でなんとかしなければならないのだ。
「さて、そう言っている間にほら、出てきたよ」
カエルの粘液でぬめぬめになった手を拭き取り、気を取り直して槍を握っているとクリスが西の方角を指して言う。
そこには一匹、地面を盛り上げて掘り返すように出てくるジャイアントトードの姿があった。
「さっきの二の舞にならないよう、頑張ってね。潜伏!」
俺の背中を押す言葉だけを残して、クリスの気配と姿が消える。盗賊スキル、『潜伏』の効果だ。
「……はぁ。やらないといつまでも成長出来ないしな」
深く溜め息を吐いて、少しずつジャイアントトードに向けて足を動かす。
逃げ腰でいる限り、俺に授けられた特典は機能しない。なら、多少無理をしてでも一歩を踏み出す必要がある。
勇気を。胆力を。できる限り、逃げない心を振り絞ってモンスターと戦う。
今の俺に必要なのは、諦めない心なのだ。人生の負け組と卑下していた自分から変わるために、第二の人生をこの世界で送るために。
「迷ったら負ける、攻めろ……! 俺!」
今ここで、冒険者としての己を確立しろ!!
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「はい、お疲れ様。なんとか二体討伐出来たね」
「はぁ、ぜぇ、やった……ぜ、こんちく……しょう!」
クリスの労いの言葉を受け、俺はその場に大の字に倒れる。体力もかなり消耗しているせいで、言葉が上手く紡げなかった。
逃げて、避けて、刺して。逃げて、避けて、叩いて。逃げて、避けて、薙いで。逃げて、避けて、刺して。
決してスマートとは言えない戦法だが、それでも勝てたのだから良い。なんて言われようが、俺の第一歩を踏み出せたことに心には達成感が満たされている。
しかしこれで、カエルの舌の動きにさえ注意していれば倒せない相手ではないことがわかった。
そう出来るようになるまで、夕方近くまで時間が掛かってしまったが……。
「最後の方、カエルの舌を切り落とすなんて驚いたよ」
「なんとか、見えるように……ぜぇ、なった、からな」
クリスが笑顔を浮かべ、俺が終盤やってのけたことに感嘆を口にする。
そう。“成長する才能”という女神から得た特典が発揮しているのか、俺の動き方や槍さばきは最初とは裏腹に見違えるものになっていた。
とは言っても、素人に毛が生えた程度だろう。アニメや漫画で見るような達人めいた動きなど出来るはずもなく、ちょっと相手の攻撃が見えるくらいである。
だが、相手の攻撃に慣れてしまえばこちらのものだ。体力さえ伸ばし、一体一に持ち込めればジャイアントトードとも渡り合える。
それが一日で証明出来ただけでも、儲け物だ。
「……これは良い拾い物をしたかもねぇ。じゃあ、街に戻ろうか」
「よーっしゃあ! 風呂に入りたい……」
体を起き上がらせて、グッと伸ばしながら今の気持ちを口から漏らす。
俺の体は、カエルの粘液が乾いてパリパリになっている。生臭さは抜けず、さっぱりしたい。
クエストは三匹の討伐。報酬は十万エリスで、ギルドにカエルの死体に持っていけばその分だけ買い取って貰える。
ん? ギルドに死体を持っていけば……?
「じゃあ、ダイナ。カエルの死体は任せるよ」
「ちょっと待ってクリスさん! 俺ひとりじゃこんなデカイのは無理ですって!」
最早体力の限界も近い。こうして合流した後に少しの休憩を挟めたのだが、それでも俺の筋力などおざなりなのだ。
現代日本のもやしっ子に、重量のあるモンスターの運搬など到底無理な話なのである。
「いや、何も全部持って帰れってわけじゃないよ? 一匹くらいで良いからさ。トレーニングだと思って、ね?」
むぅ、そう言われてしまうと何も言い返せない。確かに、一匹くらいなら引き摺る形でも持って帰ることは可能だろう。
今から急げば、夜までにはアクセルの街まで運べるはずだ。明日は筋肉痛確定だろう。
「わかった。頑張るよ」
「うんうん、頑張れ、頑張れ」
白い歯を見せて軽快な笑みを浮かべたクリス。畜生、美少女にそんなこと言われて頑張れないわけがない。
悲しい男の性だった。
「……それにしても、本当」
カエルの足を抱えるように持って、アクセルまでの道をズルズルと歩いている途中。
敵の気配が無いか警戒しつつ前を歩いているクリスが、ポツリと口から声を漏らす。
「なんだよ」
「いや。一日でまさか、やりきるとは思わなかったなって」
どういうことだ? とクリスの言葉に首を傾げる。
「本当なら、ジャイアントトードって四~五人のパーティを組んだり、中級冒険者が討伐するようなモンスターなんだよ」
「……は?」
「ああ、怒らないで。別に無理させるつもりは無かったから。そのためのあたしなんだし」
いや、それでもですね?
「だから、うん。一日でここまで戦えるようになるとは思わなくてさ。まるで、御伽噺に出てくる勇者みたいだなって。名前も変だし」
「名前のことは置いておいてくれ。そういうお国柄なんだよ」
そりゃあ、和名なんてものがこの中世ヨーロッパ風の世界に馴染み深いわけもない。
それに、この短期間の間でなんとか出来るようになったのも神様特典という奴のおかげだ。俺自身の才能でもなんでもない。
「なんか、不満そうだね? せっかく褒めてるのに」
「いや、別にそういうわけじゃないよ。ただ、俺は勇者なんて柄じゃないからさ」
ここで調子に乗って、勇者になろうなんて思い立つほど俺は軽くはなれない。
一歩一歩、この世界では堅実に力を付けて積み立てていくつもりなのだ。
世のため人のためー、なんて言えるほど俺は正義感があるわけじゃない。
「クリスに助けてもらったから、もしもクリスが困ってる時には助けたいと思うけどね」
「お、言ったな? 期待しちゃうぞー」
「ああ。そのために強くなるさ」
イタズラっぽく笑うクリスにつられて、俺も笑顔を浮かべながら返す。
本当、今こうしていられるのは全部クリスのおかげなのだ。早いところ借金を返して、生活に余裕を持たせて、なんとか彼女に恩を返せる立場になりたい。
なら、そのために強くならなければならない。
自分に出来る努力をし続けていれば、きっといつか与えられたものが花咲くはずだから。
それ以外に期待出来ない点は、まぁ情けなくもあるけれど。
「それじゃあ、早速今夜はダイナに奢ってもらおうかなー。今日は一回、助けたわけだし?」
「はいはい。でも、あんまり高いのは勘弁してくれよ」
この世界に来て一日しか経っておらず、そして彼女とはそれだけの付き合いでしかない。
でも、これも彼女の持っている空気感というか、一種の魅力なのだろう。
気軽に話し合えて、仲良く出来るということ。
……本当、良い子だと思う。
心の中で感謝をしながら、俺はズルズルとクリスにからかわれながらもアクセルの街へとジャイアントトードの死体を運ぶ。
今夜の飯は、今までで一番美味しい。そんな予感がした。