「……おい、おいフィオラ!」
「うるさいなので叫ばないでください。あと近寄るのも禁止です」
先程からずっとこの調子で取りつく島がない。1戦士のくせに全くもって癪に触る態度だ。こいつに少し哀れみを感じたのが間違いだった。
それでも黒服は怒りをぐっとこらえ、会話を続けることに力を注ぎつづけていた。
「話を聞け。任務だ!」
暗い雲が晴れ、日が冗長にその姿を現す。一陣の風のように振り返ったフィオラの眼が鈍い光を放つ。ここに来て半時間の攻防はやっと終結したようだった。
「次はどこですか。黒服さん」
立ち止まって腕を組み、鋭利な声で問うフィオラ。意図せず黒服の手に力が入る。
だが我慢だ、我慢。そう自身に言い聞かせ、黒服は会話の糸口を掴む。
「喜べ。今回お前が相手にするのは妖魔ではない。覚醒者だ」
「そうですか。それは良かった」
一気に上機嫌になるフィオラ。以前覚醒者討伐を言い渡した時、飛び上がっていたのは今でも健在のようだ。素晴らしいまでの変わりように黒服は内心で苦笑した。
口調は無愛想なままだが語気の上がりようは一目瞭然なほどで、正に単純馬鹿とはこのことである。
「それともう1つ情報だ」
「と言いますと?」
黒服は口元の黒布を少しずり上げた。
「実はこの覚醒者狩りは元々別の戦士が担当することになっていてな。それを無理やり交代させた。ここまでするのには当然理由がある。
お前は今日からナンバー9だ。異論は認めない」
「やはりそれは変わりそうにありませんか」
「当然だ。現時点でナンバー9の欠員を埋められる実力があるのはお前だけだからだ」
「だから何度も言っている通り、わたしがナンバー……」
黒服は素早くフィオラの口をふさいだ。
「異論は認めないと言った。それとも、組織の方針に逆らう気か?」
「……」
フィオラは足に力を込めると足場の岩場を蹴った。いい感じに岩が削れ、下の方へと転がっていく。
「お前の言いたいことはもう十分聞いた。それは全て組織に報告してある。その上で組織が決定したのだ。素直に従え」
「わかりました。つまり、この覚醒者討伐は、わたしの戦力増強ということですか?」
「その通りだ。お前にしてはやけに聞き分けがいいな」
「わたしだってわざわざ組織に目をつけられるようなことをするつもりはありませんから」
フィオラは吐き捨て、無念そうに再び足場を蹴った。ここで反抗しないあたりさすがに状況判断は適切だ。
「まあ、わたしの実力がナンバーに見合うようせいぜい努力しますよ。他の戦士に迷惑はかけられません。それで、どこが集合地ですか?」
「ソドンの街だ」
「……もうそろそろ完全に融合した頃か」
すっかり色が抜けたガラテアの髪を見まわしてイリスは言った。
「えっ、本当?」
「ああ。この分ならあと数日で訓練に参加できるようになる」
「やったー」
ガラテアの喜ぶ様子を見てイリスは首を傾げる。
「お前、剣を持つことに躊躇いとかはないのか?」
ガラテアは目を僅かに見開き、それから控えめに首を振った。
「まあ、何もないと言ったら嘘になるけど……こうなった以上一生懸命やる以外に道はない。わたしは死ぬためにフィオラの手を取ったわけじゃないんだから」
フィオラの名前を出すとイリスはそれ以上突っ込む様子を見せなかった。
「年齢の割に割り切るのが早いな。その調子でいてくれ」
「そ、そうかな?」
ガラテアは内心で冷や汗を拭う。
別にイリスのことを信用していないわけではない。しかしガラテアが気がかりなのは、自分が訓練生の中で目立つことだ。黒服は目立った者から目をつける。良く目立っても組織の駒になるよう洗脳され、悪目立ちしたら場合によっては殺される。ただの勘だ。
しかしこういう時の勘は当たることを考えて損はない。
だからイリスが何かに気づくそぶりを見せたら、今後同じ行動は絶対にしない。同じ轍は踏まない。イリスが不審に思うことは黒服も同じように疑いの目をつけるだろう。
そんなことを考えていたガラテアに、イリスは突如口元に指を当てた。
「しっ、静かに!黒服の足跡だ」
「こんなところにいるのが見つかったら……」
罰を受けるかもしれない。同時に2人の頭に浮かんだのはそれだった。
殺人を犯した戦士は粛清する。その唯一絶対の掟以外、組織は何かの罪に対してきっちりと罰を文章化していない。例え同じ罪を犯したとしても、その時の状況やその他のことで罰が重くなったり軽くなったりする。
しかし、戦士が訓練生と一緒にいるのは、あまりよろしくない状態のはずだ。もし戦士と訓練生が混じっていいのならば、一体何のために戦士と訓練生の部屋がある場所を分ける必要があるのだろう。
「ガラテア、ちょっと我慢してくれ」
イリスはそう言うと、ガラテアの腕を掴んで宙に持ち上げた。捻るように動かされ、必然的にガラテアはイリスの背におぶさる格好になる。
「イリス、何をーー」
言い終わる前に突如として目の前の風景が溶け始めた。硬質の壁がまるで液体のように前から後ろへと流れていく。
長い銀髪が勢いでなびき、鞭のような音をさせて通りすぎる。
イリスが尋常でない速度で駆けている。湿った空気が顔を打つ。人間じゃできない、こんなこと。思わずガラテアは顔を埋めた。
「強くなるということは、それだけ人間から離れていくことなんだよ」
下からイリスの声が聞こえる。ガラテアはそれに答える余裕もなく、ただただ顔ををもっと埋めた。
数日が過ぎ、ガラテアは同室のシェリーと共に広い広い部屋の入り口に連れてこられた。狭くて中はよく見えないが、剣と剣がぶつかり合うような金属音がこもって響いている。
一体中で何が起きているのか。ガラテアは当惑しシェリーと顔を見合わせた。
「お前たちには今日からここで戦士としての剣の扱い方を学んでもらう。とりあえず中に入れ」
黒服に続いて広間に入る。
ガラテアと同じくらい、もしくはもっと幼い訓練生たちが2人1組になって剣で戦っている。皆が目で追うのがやっとの速度で動くので、邪魔にならないように3人は端のほうへ寄った。
「これが、お前たちがこれから使う訓練用の剣だ。戦士が持っている剣とは違って刃が鈍い。だが、充分相手に怪我をさせるだけの威力がある。扱いには注意しろ」
黒服が指差した先には、石の壁に立て掛けられた2本の剣があった。偽物じゃない。どうみても本物だ。
「……万が一相手に剣が当たったらどうするの?」
シェリーが不安そうな面持ちで恐る恐る尋ねる。口には出さないがガラテアも同感だ。危ないことこの上ない。
「お前たちは半人半妖だ。普通の人間より頑丈にできている。それに我々も見張っている。心配することはない。いいから剣をとれ」
忙しくせかす黒服。全く疑念は晴れないままガラテアは、用心深く剣の柄を握った。そのまま持ち上げてみると、あまりの重さに足がふらついた。
こんな物をフィオラは軽々と振り回していたのか……
それでも壁に手をつくと、すぐに剣が振れるようになる。
人間だった頃は持ち上げることすらできなかっただろう。今剣を持ち上げているのは妖魔の血肉だ。
肌は白くなり髪は色が抜けた。その代償に力が与えられる。
イリスの言葉が骨身に染み、ただひたすらにガラテアは剣を振り続けた。