街の出口から、奥まったところに位置する礼拝堂の屋根を戦士が見上げていた。
清々しい朝だ。感性が人並みのイリスはそう思う。
人並みのーーそう、服装と目や髪の色を抜きにすれば、周りから彼女はただの人間に見えるだろう。
「待たせたかしら」
この友人がいれば更に。
イリスの短く切り揃えたおかっぱが揺れる。今のイリスは妖気を最小限まで抑えているため、相手が誰かはわからないのだ。
「早かったな、セレナ」
「ええ。昨日やっと指令が来たの。覚醒者討伐なんて久しぶりだわ」
友人ことセレナは、嫣然と微笑む。それには妙な色気があり、イリスはこれが同期か……と気後れする。
何年か戦士をやって友人より高いナンバーを得たイリスだが、それは単なる時の運でしかない。
ちょうどイリスたちが印を受ける直前、愛憎のロクサーヌが粛正され、その首を取ったテレサがローズマリー討伐後にその座に着いた。
その際ロクサーヌによって多くの戦士が死亡し、イリス達は実力もないまま大幅に番号を繰り上げられた。
おかしなことに、歴代最弱のこの世代の中でもナンバー4以上は人知を超えている。
ナンバー3の座を争うソフィアとノエルはそれぞれ怪力と脚力に優れ、その2人もナンバー2のイレーネは倒せない。
そして彼ら3人が束になってかかっても勝てないのが、当代どころか歴代最強と目される微笑のテレサなのだ。
考えるのもアホらしいほど、彼我の実力差は大きい。
そこまでで思考を止め、イリスは首を振った。
「お前の妹も良くやっているそうだな。すっかり戦士達の話の種だ」
「あら、あの子も大人気ね。私みたいだわ」
「お前のそういうところ、嫌いじゃないぞ」
「褒め言葉と受け取っておくわ」
ふふふ、と笑うセレナが実は全く本心を見せていないのはいつものことである。
戦士の中にあって異質な存在。大切な家族を殺されたにもかかわらずその目は曇っていない。
そして、常人にはその心中を計ることはできない。だからこそ下位の戦士たちには、彼女が神秘的に、美しく見えるのだろう。
ただし、負の感情に支配されずに妖魔の力を強くすることはできないはずなのだが……
「なあセレナ。訓練生の時、同期で狼を手なずけた奴がいただろう」
「そうね。それで?」
笑いを引っ込め、セレナは清水のように澄んだ両目をイリスに向けた。
「お前が何か動物を飼えるとしたら、何を望む?」
「妹も同じことを聞いてきたわ。だからこう答えた。やっぱり鳥かしらって」
「鳥?」
おうむ返しをするイリスに、友人は右腕で空を指差した。
「私は空から組織やこの大陸を悠々と見下ろして見たいの。でも無理でしょ。だから私の代わりに飛ばすの」
セレナの人差し指が滑らかに雲をなぞっていく。その自信に満ちた態度にイリスは目を伏せる。
やがてナンバー1桁の戦士が街の出口に姿を現した。足取りは悠然としていて、実力者特有の貫禄が空間に漂う。
彼女は穏やかな顔をセレナに向けると、一言問うた。
「あら、あなたと一緒に戦うのは初めてね。名前は?」
「ナンバー23、セレナよ。よろしく頼むわ」
「そう。ナンバー3のソフィアよ。よろしく」
腎力のソフィア。イリスは彼女と覚醒者討伐に参加したことがあったが、ソフィアの強さは身をもって知っていた。
腎力ばかり強調される面があるが、彼女は上位ナンバーの例にもれず基礎体力でも大きく他を上回っている。
「そうそう。ナンバー9のフィオラってあなたの妹なんですって?どんな子なのかしら」
現に、ソフィアの口調は何気なかったが、既にセレナは間合いを詰められていた。目に見えない圧力で壁にじりじりと追い詰められ、前はソフィアの体、両脇は腕で封じられる。街の外壁を壊そうとあがくセレナに、戦士は自分の顔を寄せる。
「どうって……あの子と戦うつもり?身内の評価を抜きにすると、いい加減な子よ。」
「ふうん。他には?」
「他には……純粋よ」
セレナは澄んだ銀の目をすっとそらせる。
「自分で確かめてみなさいよ。百聞は一見に如かずっていうでしょう」
「そうね、やっぱりそっちの方がいいかしらね」
ソフィアはあっさり引き下がると、不意に妖気を引き上げた。
「あちらの方が早かったみたい」
即座にイリスは剣のつかに手をかけた。
その覚醒者は既に覚醒体になっていた。六つの脚で甲羅のような胴体を支え、そこから縦に突き出た顔が戦士たちを睨む。脚の節がビキビキと変形し、臨戦体制を取る。
どう妖気が暴走すればこんな姿になるのだろう、とイリスはぼんやりと考える。
ヒュンと空を切り裂く音がして、触手がイリスの肩先を掠めた。
「4人目を待っている場合じゃないようね。あれは私がなんとかするから、あなたたちは触手をどうにかして」
ソフィアの姿が流れるように消え、イリスは思わず目を見張った。
やはり上位ナンバーの力は驚異的である。
「イリス、あの哀れな覚醒者を終わらせてやりましょう」
「ああ。同感だ」
二人もソフィアを追って走り出した。
覚醒者は長い触手を飛ばして彼らの心臓を狙う。それをソフィアは危なげなく剣で切り刻んで進む。地道だが隙のない戦法だ。
イリスも剣を奮い、指よりも細い触手を切り飛ばす。横目でセレナを見ると、それ単体なら一桁ナンバー下位と渡り合えると言われる瞬間移動を使って迫る触手を回避している。しかしこのままではまずいと思ったのか、セレナの目は金色になった。
覚醒者はどうやら元防御型のようで、切っても切っても新しい触手が襲ってくる。
イリスは心臓と右脇腹を狙う触手を間一髪で避け、進行方向にあった触手を切り飛ばす。しかし、感知した次の攻撃を避けることはできなかった。浅く利き腕の筋肉がえぐられ、血が噴き出して返り血と混ざり合う。
「セレナ!援護してくれるか」
「今やるわ!」
イリスの右側に張り付き、前方向から襲う触手を切りつけるセレナ。いつの間にか妖気が大きくなり、その端正な顔には筋が浮いている。
妖気を30パーセント以上解放している、ということだ。
もう片方の腕で剣を振り回しながら探すと、ソフィアの姿は遥か遠くの覚醒者の本体近くにあった。
「……」
消耗戦、か。せいぜいそれまでもたせよう。イリスの目も金になり、顔が浅黒く歪んでいく。
ソフィアはようやく覚醒者の本体にたどり着いた。ここまで来れば、どこかしらを斬れば覚醒者は重傷を負う。
ソフィアの剣に太い脚が巻き付いた。
「お馬鹿さん」
ソフィアはしっかりと巻き付いた剣を勢いをつけて大きく振った。
覚醒者の体は猛スピードで外壁に激突し、セレナではびくともしなかった石垣が根元から砂埃をあげて折れる。
ソフィアはその上から飛び掛かり、剣を振る。
轟音をあげて石垣は粉々になり、覚醒者の妖気は途絶えた。
「ナンバー40番台の覚醒者ってところかしら。力もなければ頭もない。無様ね」
ソフィアの声は廃墟にしじまとなって反響した。
「……フィオラってさ、すごく残念な妖気の使い方をしてるよね」
「……分かってます」
暗い部屋の中でフィオラは小さく丸まった。自分なりに、自分の至らなさを熟知していたからである。
「今までどうやって生きてきたのっていう感じ。ナンバー1桁じゃなかったら確実にこの世にいないよ」
「というか、そのナンバー1桁かどうかも本当は怪しいんですよ。戦士の数が絶対的に少ないんですから」
ガラテアは首を小さくかしげた。
「本来はもっと戦士の数は多いの?」
「そうですね。ロクサーヌの件で多くの戦士が死にましたから。
今は上位のナンバーから埋めているみたいですけど、ナンバー40代からは存在するかどうか」
「ということは、今組織は訓練生を必死で増やしてるの?」
「そうだと思いますよ。わたしが訓練生だった時は、一期内の訓練生は今よりは少なかったから」
むしろ数年間で増やしすぎではないか、とフィオラは思う。
しかし、急に孤児が増えるような出来事はない。きっと、これでも組織が引き取る孤児は全体のほんの一部なのだろう。
「それより妖気の扱い方を教えてくれませんか?」
「えー、やだ。わたしもっと昔の話が聞きたいです。そんなこと全然知らない」
まだ床に這いつくばっているシェリーが、まだ幼い顔だけをあげて口を尖らせた。
組織自体の歴史すら訓練で教えてもらえないのか、とフィオラは目を見張る。
ちなみにフィオラの情報源は、姉とイリスである。
「……いいですよ。でも妖気の話の方が先です」
2つの意見がぶつかったら、より必要な意見を通すのが筋だ。
「まず妖気の話をしよう。昔の話は後の楽しみに取っておこうね、シェリー」
「いいよ。妖気の話、おもしろくしてね」
「……面白くかぁ、うーん……」
廊下の予備灯に光が灯り、我に返ってガラテアは室内のろうそくを吹き消す。消灯時間だ。
溶けたろうの先から細い煙がしゅっと立ちのぼり、窓から差し込む月の光に白く反射した。
「まず確認だけど……一般的に、力が手に入ればできることも増える、だから強くなるために、それぞれに合ったやり方を探してやり続ける、なんて言われるよね」
ちらりとガラテアは横目でシェリーを見た。
「この言葉を元に考えるとそのやり方は、フィオラにとっては妖気の扱い方の習得なんでしょ」
「はい。つまり、肉を切らせて骨を絶つ、ということですか?」
「まあ、そういうこと。じゃあ扱いの練習に入ろう」
相手は不意に寝台から立ち上がると、部屋の隅に向かう。フィオラが夜目で見ていると、長い銀髪が月光に揺れる。
人間ではなくなってしまったことをどう思ってるのかな。
だがとてもそんなことは聞けず、結局無難な質問に変わった。
「ガラテアのやり方は何ですか?参考程度に教えてください」
「最近は、頭で考えてることが実際にできるようにすることかな。体が動かなきゃ意味ないし」
壁にもたれかかるシェリーが早くもあくびをかみ殺した。ガラテアは苦笑してその頭を撫でる。
「もう眠いでしょ、話が終わるまで寝てていいよ」
「さて妖気の練習をするよ。まずは妖気を出そう。力が格段に上がるでしょ」
「……そうですね」
力という言葉を聞くだけで、フィオラの胸の中に熱い興奮が沸き起こる。死や覚醒に対する恐怖でさえ一瞬薄らぐ。
全身の妖気がトクンと音を立てて波打った。
「じゃあ次。右腕に血管の筋が見えるでしょ?腹から腕に妖気が広がってくのを想像して、実際に妖気を出してみて」
恐る恐る妖力を解放すると、右腕に妖気が入り込んで来るのが分かった。肘が、筋肉が何かに圧迫される薄気味悪い感覚が強まっていく。
気持ち悪い、と思ったとき、ガラテアがフィオラの目を覗き込んだ。
「はい、そのままキープ」
水を入れた皿を片手に、ガラテアはフィオラを立たせて窓に連れていく。
皿を渡され覗き込むと、月光に照らされて銀の目が見えた。
「ほら、目は銀のままだ」
「こんなに出しておいて?」
フィオラは思わず声をあげた。しー、静かに、とガラテアが唇に人差し指を当てる。
「分かったでしょ。普段はそこまで気を張らなくていいんだよ。今妖気を出した状態でも目の色は変わってない。
例えると、火薬はあるけど火は目の前じゃない。1メートルくらい離れてるの」
かなり意外だった。
「じゃあ、わたしが妖気を使えないのは、どの段階で体に何が起こるかを把握してないからってことですか?」
「そういうこと。こればっかりは経験が物を言うし、体が覚えるまでやるしかないね」
「わかりました。体が覚えるまで数日間ここで過ごすことにします」
「やったー、フィオラさんとまだまだ戦ってみたい!ねえフィオラさん、戦士になったらわたしは強くなれますか?」
目を輝かせて一回り小さな体が飛びついて来る。
3年前のわたしも、ねえねえルヴルさん、なんて親しげに呼んでいたなぁ。
懐かしい記憶が蘇り、暗闇の中でフィオラは目を閉じ微笑んだ。
「黒服さん。わたしは少し強くなったと思います」
「ならばこれからもこんな機会を設けよう」
「ありがとうございます」
仏頂面の黒服を後に、礼を言ってフィオラは歩き出す。次の任地に向かうため。
憎い妖魔を倒すために。姉に認められるために。もっと力をつけなくては。
そのためなら、たとえ自分の命を狙う組織であろうとも利用してやる。
実際に殺されさえしなければいいのだから。
フィオラは男を振り返ると、その服の端を強く握りしめた。
「そこで黒服さん、1つ提案があるのですが」
「……何だ」
「わたしを、妖気の扱いに長けた戦士と2人で行動させてほしいのです」
荒野に吹く風がフィオラの2つに束ねた髪を、激しく吹き上げた。