かさ、かさ、と丈の低い草が揺れる。薄緑の葉の先端から、水滴が落ちて水溜まりを作る。
その水溜まりを甲冑のように鈍く光るブーツが踏み込んだので、澄んだ水が土埃と混ざって濁った。
フィオラは組織へと続く林の中をぼうっと歩いていた。
一時の熱情が冷めて冷静になると、人間何をすればいいのか分からなくなるものなのだ。
……覚醒者を殲滅するためには、どうすればいいのか?
普通に考えれば、地道に倒して回るしかない。だが、戦士がこの世に存在する以上覚醒者は生まれつづける。
そして、根源である戦士を全滅させると、今度は覚醒者に太刀打ち出来なくなる。
その時点で、覚醒者を殲滅することはほぼ不可能だ。
ただ一つ、希望があるとすれば、フィオラが最強の戦士になるしかない。
誰かと共闘しようとはフィオラはこれっぽちも考えていない。どこから組織に情報が漏れるかわかったものではないからだ。
戦士は信用できない。それはエルダの件で懲りている。
だが、自分が全戦士、全覚醒者を超える強さになれるかというと、あまり期待は出来ない。
ナンバー2イレーネ、ナンバー3ノエル、ナンバー5エルダ。フィオラが見た限り、彼らの実力はフィオラと遠く離れている。
なぜそこまで差がつくのか。
妖魔の肉と肉体の相性か。経験か。判断力か。必殺技の有無か。それとも、運か。
だが、省みて自分は、ナンバー23の戦士にも勝てないような弱い戦士でしかない……
落ち込んだフィオラの肩を、誰かの手が叩いた。
「どうした。難しい顔をして」
顔を上げると、見慣れた黒服がフィオラの右横に佇んでいた。
肩からばしっと手を払いのけ、フィオラは短く答える。
「ぼうっとしていただけです」
「そうか。まあいい、任務を伝える。場所はアイアスという村だ。ここから南西に5日歩いたところにある」
「了解です、行きます」
フィオラは背後の黒服に目を向けることなく歩き出した。
期待を裏切ったエルダ自体も憎いが、エルダを送り込んだ組織も憎い。
組織に対するわずかばかりの信頼も消え去り、今組織に所属しているのは覚醒者を殲滅するためだけだ。
ハンネの最期の形相を思いだし、フィオラは手のひらに爪を食い込ませる。
とりあえず、やるべきことは2つ。
まず、覚醒者を1匹残らず倒す。そのために自分の力を誇示し、なるだけ多く覚醒者討伐の任に当たれるようにする。
次に、組織に利用されないようにする。近づいてくる戦士を警戒し、何も情報を与えない。期待しない。2度といいように操られないように。
フィオラは大きく息を吸い込むと走りだし、その姿はみるみるうちに消え去った。
アイアスの村へは1日で着いた。雲はますます重くなり、カラスが地面をかすめて低く飛んでいる。
村には鼻をつく血の臭いが立ち込め、やせ細った肉の上を大勢の妖気が動いていた。
「遅かったか」
目を閉じるとフィオラは背中から大剣をぬきはなつ。
この分では生き残っている人間はいないだろう。妖魔に食われたかもしくは元々妖魔だったか。
とにかく人間をかばう必要はない。簡単だ。ならば、さっさと倒して功を認めてもらおう。
1番手前の死体の山に群がる妖魔ににじり寄り、まずは3体を切り伏せる。
驚いて飛び上がった妖魔を2体串刺しにし、流れるように胴体を切断する。
脚に妖気を集中させ、一瞬で道を30メートルほど飛び越す。垂直方向に飛べるのに、地面の水平方向に飛べないわけがない。跳躍は、フィオラの唯一自負できる特長だ。
跳躍している間も、フィオラは感覚を網の目に張り巡らせ、奥に潜む妖魔を探る。
2つ目の山を片付け次へ跳躍しようとしたとき、フィオラは横の家を見て足を止めた。
赤いものがべっとりついた大きな扉に妖魔が1匹張り付いていて、その足元に息のない男が転がっている。
妖魔は扉を激しく叩き続け、フィオラが剣を構えて迫っても見向きもしない。
なぜ?もしかして、中に人間がいるのか?
フィオラが無意識に剣を引きつけたたのとほぼ同時に、扉が砕けて飛び散った。
妖魔を追って家に飛び込む。暗い部屋で妖魔が子供の首を掴みあげていた。それだけ確認すると、フィオラはうなじから喉に剣を突き刺す。
紫の血を噴きだして妖魔は子供の首を掴んだままどうと横に倒れた。
重ねて妖魔の頭を切り落とす。紫の血が小綺麗な敷物や壁に飛び散る。
圧力から首が解放された子供が、空気を求めて咳き込む。
フィオラが無表情で近づくと、怯えたのか這って奥に逃げようとした。
「怪我はありませんか?」
「ぎんがんの、まじょ……」
子供の歯がかちかちと鳴る。家全体から、乳のような柔らかい匂いが漂う。甘みと生臭さが混ざって、泣きたいような感覚にふとフィオラは襲われた。
「……なさそうですね」
フィオラはあくまで表情を保つ。
少なくともこの子は戦士になることはない。それだけでフィオラは男の子が羨ましくなった。
自分にとって戦士として生きることはすなわち、誰かを殺すことだったのだから。
……やめよう。急がなきゃ。
戦場に不釣り合いな郷愁を振り払うように、フィオラはすたすたと家を出た。
夜空の下の暗い部屋の中で、寝台に寝そべってガラテアは長い脚を組み換えた。
岩肌が剥き出しの粗野な壁には、同室のシェリーが座り込んでいる。
「じゃあ、60×60は?頭の中で考えて」
「えっと、1200!」
ガラテアはもう一度脚を組み直した。
「どう考えたの?シェリー」
「えっと、60は6×10でしょ、それを2回かければいいからまず10を2回かけて100」
「うん」
「それで6を2回かけるから12。12×100は1200……」
シェリーは不思議そうにガラテアを見る。
「6を2回かけたら36でしょ。6×2じゃない」
言われてシェリーはつたなく指を折る。満月に指が照らされ、白く光る。
「……わたし、計算は苦手。今まで誰も教えてくれなかったもの。どうやったらガラテアみたいにすらすら出来るの?」
「慣れればできるよ。シェリーは戦うのが私より上手でしょ、あまり気にしない方がいいと思う」
「うん、そうだよね!」
窓から風が吹き込み、落ち葉が部屋の中に入ってきた。シェリーが立ち上がってつまみ上げる。
「もう秋かぁ。でも、寒くないね」
「この体のおかげだよ」
「冷たいけれど苦しくない。便利だなぁ、このからだ」
暇になったのだろう、シェリーは寝台に横になった。
ガラテアは寝返りをうち、長い銀髪を指に絡ませる。
ガラテアに、正義感というものはない。ただ、嫌いなものが嫌いなだけだ。
銀髪を指から放し、ガラテアは寝息をたてる姿に呟く。
「シェリー、おやすみ。明日もわたしの訓練に付き合ってね」
それからふと思いついて、言い添える。
「……よい夢を」
少女の微笑は、満月に照らされて白く見えた。