「お久しぶりです、サヴァラン兄さん。昔よりやつれてる気がするけど大丈夫?」
「そういうお前は立派になったな、ビスケット」
ドルトコロニーを運営するドルトカンパニー、その役員の一人であるサヴァラン・カヌーレが、弟であるビスケット・グリフォンとドルト3のとある喫茶店のテーブル席で10年ぶりに近い対面を果たした。
連絡はビスケットの方からで、仕事で地球へ向かう途中であり、ドルトに立ち寄る時間が出来たので、サヴァランと会いたいとのことであった。
久しぶりの朗報ともいえるニュースに、サヴァランは喜んでその日の午後の予定をあけ、成長したビスケットと会う約束をする。
「しかし、ビスケットのスーツ姿を見る日が来るとは、思ってなかったぞ。ほんとに母さんそっくりに成ったよ」
「ああ。今の会社の人がドルト3に行くならそれなりの格好でいけ、といわれて…そんなに似てるの?」
「そうだ。母さんは包容力のある人だったぞ」
暗にビスケットの体型が、育ちに関わらず豊満である、との意図はサヴァランにはない。
ただ、歳星で買った一張羅のスーツを着て、髪型を整えたビスケットの成長した姿を喜んでいるだけである。
「しかし火星から、地球までの仕事なんて大したものだよ。よほど大きな仕事が出来るところに入れたんだな」
「まあ、できたばかりの会社だけど、そこには信頼できる人たちと支えたい人たちがいる、良い会社だと思うよ」
「それは大事な事だ。…ただ大きいだけの俺のところとは違うな、お前がうらやましいよ」
「でも、そんな兄さんの頑張る背中を見てきたから、僕はそれに追いつこうとして、ここまで頑張れたんだよ。ありがとう兄さん」
表情を暗くするサヴァランに、ビスケットは今まで言えなかった感謝の言葉を伝える。
ビスケットの言葉に、思わず熱くなる目頭を押さえつつ、サヴァランは静かに微笑む。
「そうか、それなら俺のしてきた事もまったくの無駄でもなかったな」
「そうだよ、そんな兄さんの力を貸して欲しいんだ」
「どういうことだビスケット?」
そう訝しがるサヴァランの隣に、サングラスを掛けたスーツの男が腰掛ける。
ここは四人掛けのテーブル席である為、スペース的には問題ないが、折角の兄弟対面を邪魔された気がして不機嫌な表情になるサヴァランであったが、その表情は同じくビスケットの隣に座ってきた人物を見て、驚愕の表情になる。
「ナ、ナボナさん?どうしてここに!」
「どうも、久しぶりだね、サヴァラン君。またやつれたみたいだけど大丈夫かい?」
そこに丈に合わない背広を着てサングラスを掛けた、ナボナ・ミンゴがいたからであった。
サヴァランの知るナボナは、今頃組合を押さえる手立てをドルト2で模索しているはずであり、ここにいるはずがないからだ。
「サヴァラン君、すまないが緊急で内密な話なんだ。これから話すことを驚かないで聞いて欲しい。もし、驚いても出来れば大きな声を出さないでくれるかな?」
ナボナの浮かべるいつもの困ったような笑みに、サヴァランはここが喫茶店の一席であった事を思い出し、黙って頷く。
幸いにも先ほどのサヴァランの驚きの声は、この席が店の端であるために周囲の注意を惹かなかったようであった。
「まずは、私から今の組合の状況を手短に説明しましょう。副代表のマカロン・フラグレッドは裏切り者でした」
その台詞から始まったナボナの説明は、驚くべき内容であった。
マカロンは労働者組合とは別に自身の派閥をドルト5に形成しており、その派閥は今回のナボナたちの『荷物』受け取りの後の行動が失敗に終わることを、N氏なる人物の使いから知らされている事。
その際にナボナや火星から来たクーデリアらはギャラルホルンに始末される事になっていたという事。
その後に、マカロン率いる派閥が他の労働者を扇動することで、ドルト3を占拠し、ドルト3の人々を人質にドルトカンパニーの実際の所有者であるアフリカンユニオンに、自分たちをドルトカンパニーの支配者と認めさせることが計画されていた事を告げたのだ。
「つまり、私とクーデリアさんを生贄にして、ドルトカンパニーを武力で乗っ取ろうとしているんですよ。そいつらは」
「馬鹿な、そんな事をアフリカンユニオンとギャラルホルンが許すわけが無いでしょう」
「まあ、その通りでしょうなあ」
ナボナの説明に、思わずもらしたサヴァランのつぶやきに対し、サヴァランの隣に座る男が同意の言葉を発する。
「武力による違法行為、これを許しちまうとギャラルホルンが存在する意味がねえ。恐らく最大の力でこれをねじ伏せるでしょうなあ」
「あ、あなたは一体?」
「どうも、申し遅れやしたな。鉄華団顧問のカリー・ジャワナンといいます、どうぞよろしく」
「鉄華団!あのクーデリア配下の、武装犯罪者組織と聞いているが」
「ああ、ギャラルホルン経由で聴いてるなら、そうなるでしょうなあ」
サングラスを外し、サヴァランに笑いかけるカリーことマルバ・アーケイの顔は確かに悪い笑みであったが、どこと無く人目を惹きつけるものがあった。
そしてマルバは、簡単に今までの経緯をサヴァランに説明する。
「とまあ、クーデリアさんとうちらはパートナーみたいなもんでしてね。一蓮托生というやつですわ」
「…対話による問題解決か、成る程何事も武力で解決を第一とするギャラルホルンとは合わない。むしろ俺から見たら、あなた方のほうが合理的なように思えるくらいです」
「そりゃあ、うちらも商売でクーデリアさんと組ませてもらってる面もあるんで、商売人ならそうでしょうな」
実際、秩序の崩壊していた厄祭戦前後の状況ならば、ギャラルホルンの手法は迅速な問題解決手段であったが、ここ百年ほどに限っていえば、問題は解決するがそれによって生じる周辺への損害を考えると、ギャラルホルンが出てこないほうがましだったという事例はいくつも出てきている。
無論、その事実はギャラルホルンにより情報規制されているのであるが、人伝によりじわりじわりと、静かに広まっているのが現実である。
「さて、こちらの提示できる情報はこんなものですが、どうしますかサヴァランさん?」
「どうする、というと?」
「今までの情報を踏まえて、あんたはどう動くかと聞いていんだよ、サヴァラン・カヌーレ。頭の良いあんたなら、このナボナさんたちがどうなるかはよくわかんだろ」
サヴァランにはわかってた。
このままでは、どうあってもナボナたちは助からない事をわかっていた。
武力を背景にした行為をギャラルホルンが見逃すはずも無く、どのような手段を用いてでもこれを殲滅するであろうことも、その後に起きる暴動すらギャラルホルンに殲滅されるであろう事も。
そして、その後に残されるドルトカンパニーの被害が甚大なものであり、最悪組織自体が解散されることも考えられた。
地球出身の者たちはただ地球へと帰れば良いだけであるが、コロニー出身の者たちはどう扱われるだろうか。
放棄されたコロニーにそのまま残されるか、ついでとばかりにヒューマンデブリとして財政の足しにでも売り飛ばされるか、あるいは暴動の加担者として抹殺されるのか、どの道悲惨な末路しか思いつかない。
ならば、どうするか?
一瞬の自問の末にサヴァランは口を開く。
「俺は、ドルト2で生まれたサヴァラン・グリフォンとして、最後までナボナさんたちと共にありたいです」
「…サヴァラン君、ありがとう。その言葉だけでも私は嬉しいよ」
「ありがとう兄さん。兄さんならそういってくれると思っていたよ」
「腹は括れたようだな、サヴァランさん。ならここからは俺たちも協力させてもらうぜ」
涙ぐむナボナと純粋な笑みを浮かべるビスケットの二人。
残るマルバはサヴァランの肩に手を回し、もう片方の手でサヴァランの胸をポンと軽く叩く。
それだけの行為であるが、サヴァランは自身の緊張がほぐれるのを感じた。
「じゃあ、どこか場所を変えて話そうか。これからの俺たちの『ドルトカンパニー乗っ取り作戦』についてな。あんたが作戦の肝だからよ、よろしく頼むぜ」
そのほぐれた緊張は、マルバの発言ですぐに台無しにされ、サヴァランの胃腸薬に頼る日々は、まだ終わりそうに無かった。
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マカロン説得の簡略図
N氏の代理人「つまり、マカロンさん、貴方がドルトの王になるんです」
マカロン 「俺が、ドルトの王!?」
駄目そうですね。