「あぁ、お帰り、遅かったわね」
時刻は既に夜、ハイネの機体が出力低下を訴え、丁度視界も悪くなってきたし引き上げようというオールド・ワンの提案に、渋々といった様子のハイネを連れ三機は帰還した。出迎えたのはディーア、倉庫の一角に設置されたテーブルには食事が用意されており、恐らくディーアとオールド・ワン、ハイネの分だ。
献立はジャガイモのスープに小さなパン、後はサラダが一皿。この時代で言うのならば軍支給の食事より多少質素な程度、十分すぎる食事だ。
男二人の分が無いが、彼らは既に済ませたのかもしれない。
「遅くなってごめん……ご飯?」
「えぇ、丁度裏の野菜が収穫できたの、種も沢山手に入ったし、今日は良い日ね」
「やった」
ハイネは倉庫の端に機体を停止させると、そのまま膝を着いてハッチを解放。軽い身のこなしで機体を滑り降り、テーブルへと駆けた。
オールド・ワンはそんな彼女の動きに感心しながら、待機していたカルロナの隣へと機体を寄せる。カイムもオールド・ワンの横に並び、そのまま沈黙を守った。
「……食べない? 私、食べさせるよ」
テーブルに到着してから何かに気付いたのかオールド・ワンを振り返り、ハイネは気遣った様に声を掛ける。オールド・ワンはハッチを静かに開放し、「いや、自分は大丈夫だ、皆で食べてくれ」と首を振った。しかしハイネは譲らず、椀を手にしたまま「食べないと死んじゃうよ」と顔を顰めた。
「いや、心配するな、生きるのに必要な分はコアさえあれば勝手に作ってくれる、それに何年も食事らしい食事を摂っていなくてね、突然食べたら胃が驚いてしまう」
オールド・ワンが摂取しているものと言えば水位なものである。機体には空気中の水分を吸引し貯水するという機能がある、喉が乾燥すると咳き込んでしまうので少量だけ定期的に口にしていた。
尿は全てナノマシンが処理してくれるので催す事も無い。
一応食事を摂る必要が無いと説明はしたが、ハイネは不満ですとばかりに膨れていた。オールド・ワンの境遇が気に入らないのだろう、しかし今の自分は味覚も随分怪しくなってきたし、特に食事を摂りたいとも思わない。その辺りを説明すると、ハイネは肩を落として落ち込んでしまった。
「……食べられない訳じゃないのよね?」
独り二人の会話を見守っていたディーアは、ふとそんな事を聞いて来る。勿論、食べられない事は無いとオールド・ワンは頷いた。口はちゃんとあるし、噛み砕いて呑み込めば栄養を摂取する事が可能であると。
「もし固形物が駄目なら、このスープだけでもどうかしら? ジャガイモも摩り下ろしてあるし、それ程重たくは無いと思うのだけれど……」
ディーアはそう言うや否や、ジャガイモのスープを手に持ってオールド・ワンの元にやって来る。ジャガイモを摩り下ろし、塩コショウで味付けたものだろう、見ればニンジンやキャベツも少量入っていた。あれ位なら食べられるだろうかと自問する、しかしオールド・ワンが心配しているのは食べられるか否かの問題ではない。
アレを食べるという事は、誰かに食べさせて貰うという事なのだ、別段介護される事に照れや恥ずかしさがあって拒んでいる訳ではない、単純にそうなるとコックピットに誰かを招き入れなければならないという事実。
自分は四肢を切り落とされ、オールド・ワンに接続されていない状態ならば子供にも殺せる弱者と成り下がる。コックピットの手前ならば幾らでもやり様はある、しかし直ぐ手の届く距離となると別だった。
オールド・ワンが渋っているからだろう、ディーアは良い返事を貰えないと見ると「勿論、別に無理矢理食べさせたい訳では無いの、ごめんなさい、気が向いたらで良いから」と笑って見せた。
その笑顔がどうにも、人の善意をそれ程受けた事のないオールド・ワンにはぎこちなく映る。人の善意を疑いで跳ね除ける自身に対し、言い様の無い申し訳なさを感じた。自分とて理解しているのだ、彼女達に自分を害する気持ちは無いと。無論腹の底から信じられる信頼ではないが、この面々の根っこが善人である事は理解していた。
もしこれが演技だとすれば、大したものだ、自分の完敗だ。
オールド・ワンは独りそんな事を考え、静かに口を開いた。
「……スープだけ、頂くよ」
その声は良く通った、ディーアとハイネの両名がバッと顔を上げ、オールド・ワンをじっと見る。その視線に何故か羞恥の感情を抱き、何となく居た堪れなくなった。
その後妙に嬉しそうな二人が狭いコックピットに迫り、半ば強引にスープを飲ませた事を記しておく。
「ほら、美味しいから!」「冷める前に、食べる」と言いながら詰め寄る二人は善意で行っていたのだろうが、微妙に恐怖感を覚えた。
ナノマシンの消化協力が無ければ吐いて戻していただろう、兎にも角にも二人は加減というモノを知らないらしい。スープ自体は非常に美味しかった、改良の影響で味覚の鈍くなったオールド・ワンであったが水以外のモノを口にしたのは本当に久しぶりで、多少の塩味であっても驚く程に美味しく感じた。
尤も、こんな目にあうのは二度と御免だが。戦時中の女性と言うのは、何故こうも強かなのだろうか。
☆
「取り敢えず、服を着ようぜ、服を」
ゲイシュの弁である。
ハイネとディーアの両名にスープを流し込まれたオールド・ワンは、取り敢えず腹ごなしも兼ねて休憩に勤しんでいた。休憩と言ってもメインモニタを切断し、多少後ろに重心を移す程度のものだが。彼女達にオールド・ワンとの接続解除を頼まないのは最後の心の壁という奴である。
そんなオールド・ワンの前にゲイシュとグルードがやって来た。二人は早めに食事を摂り資材調達に赴いていたらしい、どうやら幾つかの廃材を手に入れて来たらしくホームの改修に使うのだとか。
尚、大破したハイネのBFであるが、これはオールド・ワン達が四肢の換装を手伝いクレーン要らずで装備換装を終えた、でなければ昼間から訓練などやっていられない。
そんな彼らが来て早々、オールド・ワンを見て放った一言がコレである。
「そうだね……それは僕も思っていた、流石に恥部を丸出しで過ごすのは拙いと思うんだ」
「だろう? まぁアイツ等も子ども相手だし何とも思わねぇかもしれねぇが、それじゃ風邪をひくぞ」
「失礼な、自分はもう二十後半だ」
「ファッ!?」
その後ひと悶着あったが割愛する。
どうやら彼らは自分を見た目相応の少年だと思っていたらしい、確かに見た目は少年だがコレは改良の結果外見的な歳を取らなくなっただけだ。外見が若々しいだけで、無論年を重ねれば老眼などの障害は発生する。体が大きくなると窮屈なコックピットが更に狭くなる、更に被弾面積も増えるから個人的にお断りだ。
「それにオールド・ワンに繋がってから服を着る習慣が無くなって、どうにも布を着る事に違和感を覚える、ごわごわすると言うか、何と言うか、嫌じゃないか?」
「……いや、そうは言うけれど、流石に全裸は拙いって、その年齢なら特に」
暫く年齢のカミングアウトに驚愕したままだった二人だが、グルードは何度か頭を振った後に言葉を紡いだ。どうやら何が何でも服を着せたいらしい。遅れて意識を取り戻したゲイシュも「少年ならわんぱくで済まされるが、本当の年齢を知った今は妥協できん」と断固とした姿勢を崩さない。
服がそんなに重要なのかとオールド・ワンは首を傾げるが、二人からの必死の説得が功を成しオールド・ワンは妥協案として腰にタオルを巻く事と相成った。服を着るにはオールド・ワンとの接続を解除しなければならないので、それは拒否。なのでせめて股間だけでも隠そうという流れになったのである。
タオル着用の際ゲイシュをコックピットへと招き入れた訳だが、オールド・ワンの緊張に反して彼は苦笑しながらオールド・ワンの腰に白い布を巻いてくれた。万が一とカイムに警戒態勢を取らせていたが、彼らはそれを悉く裏切る。まるで警戒している自分の方が馬鹿ではないかと考えてしまう程に。
ディーアとハイネの時もそうだったが、彼らには自分を害そうとか裏切ろうとか、俗に言う悪意とか敵意とかいうものが一切感じられない。それこそ部隊に居た頃に感じていた味方からの悪意、邪魔な奴だとか時代遅れの老兵だとか、そういう欠片すらも感じなかった。
「悪かったな、子どもだと思って要らねぇ世話しちまって」
「……いや、こんな形をしていればそう思う、自分も、年齢相応の精神を併せ持っているかと聞かれれば、首を振るだろうしな」
コックピットハッチに手を掛けて、オールド・ワンにタオルを巻いたゲイシュは申し訳無さそうにそんな事を言う。しかし見た目は完全な少年だ、そう思っても何らおかしくはない。寧ろ当然の事と言える、だからこそゲイシュに非は無いとオールド・ワンは笑った。
それにある意味、自分の精神年齢は年相応なのかもしれない。誰と触れ合う事も無く、多くを経験した訳では無く、知り学び経験したことは戦場での血生臭いものばかり。健全な精神など既に擦り切れ、淘汰された自分である、人並みの人生経験という奴は欠片も持ち合わせていない自信があった。
「ディーアとハイネもそうだと思うが、俺ァ子どもを苦しめる連中が嫌いでね、アンタのその姿を見てクソったれって思っちまったんだ、子どもの四肢をぶった切って兵器に乗せているってね、まぁ実際は違った訳だけどよ、その姿でコイツに乘ってるって事は、もうその歳の時に弄られちまったって事だろう?」
「まぁ、そうだな」
年齢としては十二歳とか、十三歳とか、第二次成長期前だったと記憶している。コックピットから飛び降りたゲイシュは、どこか飄々とした態度を取りながらも帝都に嫌悪の感情を滲ませていた。
「勝つために手段を講じるのは分かる、仲間が無残に死んで行くのを見るのは胸糞悪いからな……だが、だからと言って何も知らない子どもまで巻き込んだら御終いだ」
「僕も同意見だね、戦争と言っても人としての矜持を失ったら駄目だ、それが何十年前の行いだろうと、許さるべきではない」
ゲイシュの言葉にグルードは頷いていた、彼も子どもという分かり易い弱者を利用する存在を許せない性質らしい。この時代には珍しい根っからの善人、その善性はオールド・ワンであっても直視するのは眩しい程であった。
恐らくオールド・ワンは彼らの十倍、いや百倍は人を殺して来ただろう。
彼らが何年軍人をやっていたのかは知らない、しかしオールド・ワンは最新鋭の兵器として十数年前に戦線へ送られてから、今の今まで戦い続けて来たのだ。時には敵軍の前哨基地へと奇襲を掛け、逃げ惑う戦闘員、非戦闘員を無差別に殺害した事もある。幼い頃に胸に抱いた正義だとか、倫理だとか道徳だとか、そういうモノを一切合財オールド・ワンは失ってしまっていた。
「お前達は――その、優しいのだな」
オールド・ワンが何処か気まずそうにそう言うと、二人はキョトンとした表情を見せた後、恥ずかしそうに笑った。
「軍じゃ温いって言われたよ、連中は勝つ事しか考えていないからな」
「どこも考える事は一緒だ、ガンディアも帝都も、シーマルクもね」
生き残るには法も倫理も道徳もクソ喰らえ、勝者こそが正義であり力こそが絶対的な寄る辺である。この世界はそういう場所だ、優しい奴から死んで行く。恐らく彼らも、もし軍に身を置き続けていれば、そう遠くない未来に屍を晒していただろう。
「何だろうな、もし俺に力があるんだったらよ、こんな掃き溜めみてぇな世界変えてやるって、そう意気込んで戦うんだろうが、現実はちっぽけな人間の一人だ、明日の命すら分からない、弱い癖に口だけ達者になった結果、上に鬱陶しいと退役だ、ゴネていたら肉壁にでもされたンじゃねぇか?」
「はははっ、ゲイシュの誰にでも食って掛かるところ、僕は嫌いじゃないよ、そういうのは強い人間の証さ」
お道化た様に自身の過去を語るゲイシュ、それに対し明るい笑みを返すグルード。その間にオールド・ワンは強い友情を見た気がした。戦友とか背中を預ける仲とか、戦場に限定された関係では無く、気さくな友人の間柄。オールド・ワンには持ち得ない関係だった。
「……良ければ、二人の事を教えてくれ」
打算が無いと言えば嘘になる。しかし、その言葉はオールド・ワン自身も予期しない、突発的に口から出た言葉だった。言葉を発した後に、自分は何をと我に返る。しかし二人は特に嫌がる素振りも見せず、「おぉ、良いぜ!」と快諾した。
その笑顔が余りにも眩しくて、オールド・ワンは自分が何か薄汚れた存在になった様に感じた。打算に塗れた、それこそ彼らの言う道徳観や倫理観の存在しない畜生に。
「つっても俺の方は大して面白くねェしな……グルード、先にお前の面白可笑しい脱走劇でも話してやれよ」
「面白くも無いし可笑しくも無いよ、本当に命懸けだったんだからね? 下手すれば死体も残らなかったんだからね? 笑い話じゃないからね?」
「いや、かなり大爆笑」
「……君のそういうところは嫌いだよ」
オールド・ワンは二人の過去、経歴を聞いて行く。打算的な思考は、二人は何が出来て何が出来ないのか、どんな人間で自分を裏切るかどうかを計算していく。そして人間的な部分では、彼らが根っからの善であり良き人間である事を再確認していく。
きっと彼らは、余程の事でも無い限り裏切るような真似はしないだろう。恐怖もある、負い目もある、しかしそれを凌駕する善性がある。自身に余裕がある限り、守るべきものを守る、助けるべきを助ける、それを当たり前だと思っている人間だ。
こんな時代だ、綺麗ごとを並べて生きていけるなんて思ってはいないだろう。それでも畜生に堕ちる事が出来なかったのが彼等、彼女等なのだ。
彼等ならば、信じられるか?
オールド・ワンは自分に問う。腹の底から信頼はしない、けれども隣で銃を持っていても、銃口が自分に向く事は無いだろうという確信があった。ならば信じてみたい、人として、兵士として。何よりも三人で――カルロナとカイムと、三人で戦い続ける為に。
そうして男三人の夜は更けていき、束の間の平穏を享受した。
明日、明後日、明々後日と、お通夜やらお葬式やらで忙しくなるので、更新が難しくなるかもしれません。
幸いストックは残り三万字位はあるので、ちょっとの時間を見つけて投稿出来るかもしれませんが、三日連続投稿は難しいかなぁ……と。
取り敢えず明日から更新できるか分からないので、今回は6000字近く二話分投稿しておきますね。