オールド・ワンは満足であった。自身の外側をガチガチに固めた増設装甲、幾分か出力の上昇した【特別性コア】、それらを身にまといながら上機嫌に体を揺らす。
あの強襲部隊は最初の敵としては最高だった。最後に戦った重量機体に至っては名前持ちだったらしく、そのコアも武装も装甲も素晴らしいものだったから。残骸から剝ぎ取った装備は正しくオールド・ワンの血肉となっている。
他の部隊員の装備も中々で、少なくとも廃棄予定だったパーツよりは数倍マシな性能。新しい武装、パーツ、コアで身を固めた三機は意気揚々と渓谷を後にし、現在はガンディア方面へと進んでいる。
どこに向かうか、それは全く決まっていなかった。
ガンディアの部隊を蹴散らし、その装備を奪った事に満足し、ふと我に返ったとき次の予定を立てていなかった事に気が付いた。元より生存、そして新たな戦場を求めての旅だった、目的地など決まってはいないが当面の小目標とでもいうべきか、それは必要だと感じた。
オールド・ワンがガンディア方面へと向かっているのは、単純に敵が多いからだ。シーマルクや帝都に向かっても問題はないのだが、祖国に対して牙を剝くというのは元兵士として何となく嫌な感情を抱いていた。元味方よりも、嘗て敵対していた組織の方が銃口を向け易い、僚機にとっては目くそ鼻くそ程度の違いかもしれないが、オールド・ワンにとってはそれなりに大事な事であった。
シーマルク領内の渓谷を離れ二日後。
スラスターを使わずに徒歩による移動で二日、途中途中に連続稼働によって蓄積した熱を逃がすための放熱作業、コアの再充電、関節部位や足裏の摩擦損傷の確認、遭遇戦を避けるための索敵――休憩も含め、凡そ一日十五時間程を移動に充てた。
BFの足で十五時間、それを二日続けた結果、三機はシーマルクとガンディアの国境付近にまで足を進めていた。
国境と言っても現在はシーマルクの防衛部隊も、ガンディアの侵攻部隊も存在しない、薄い金網と【ボーダーライン】の看板があるだけ。無論両国の国境警備隊が定期的な警戒は行っているが、現状そこまで大した戦力は留まっていない。
最早この国境が何の意味も持たないことを、ガンディアも帝都も、シーマルクさえ理解しているからだ。元より法を守る気がない国と、破られても相応の戦力を持たない国、両国の関係性を表すならばそれで事足りる。
現在、オールド・ワンは高低差によって生まれる陰に身を潜め、本日何度目かの放熱作業とコアの再充電を行っていた。時刻は真夜中、時計も既に二時を回った頃。三機は身を寄せ合うようにして陰に潜み、絶えず探知機による索敵を行う。
警戒はカイムとカルロナの担当、AIは疲れ知らずで有人機と比べ良く働く。食事も睡眠も必要ないのだから当たり前だが、こういった安全地帯の無い場所での休息では非常に有難かった。
オールド・ワンは機体を放熱モードに設定し、装甲の間に僅かな隙間を空け休憩に入っている。オールド・ワンとて無敵の兵士ではない、如何に優れた経験と知識を持っていても疲労が蓄積すれば肝心な時にミスを犯しかねない。
オールド・ワンは息抜きも兼ねて胸部のハッチを解放した。
パイロットが搭乗する為のハッチであるが、彼自身が戦地でコレを開いた事は数度とない。シーマルクからの脱走を含めると、今日で十日近く経過していた。流石にコックピットに籠りっぱなしというのも、何か精神的に悪い気がしたのだ。
ハッチを開くと、中に籠っていた熱気が外へと放出され、同時に夜空に輝く星々が視界に瞬く。冷たい空気が素肌を撫で、鼻から入って来る空気が美味しく感じられた。既に味覚など無い筈なのに、おかしいと自分でも思う。
見上げた無数の星々を見て、オールド・ワンは素直に綺麗だと思った。夜空などモニタ越しに見ていただけで、裸眼で見上げるなど何年振りだろうか。もう気が遠くなるほど昔の事の様に思える、それこそ
「これで、良かったのだろうか――」
夜空を見上げていると、不意にそんな呟きが漏れた。慣れない発声にたどたどしい言葉だったが、その言葉は確かに空に溶けた。
普段見る事の出来ない美しい光景を目にして、センチメンタルな気分になったからなのか。それとも十数年間奉仕し続けていた軍人としての性、愛国心という奴が言わせたのか、オールド・ワン自身にも分からない。
後悔は無いかと言われれば、オールド・ワンは無いと言い切るだろう。
正しかったのかと言われれば、正しかったと頷くだろう。
オールド・ワンの視線はモニタ越しに、静かに佇む二機の僚機へと向けられる。オールド・ワンが気にする点は一つだけ、この戦友たちの意思だった。
死にたくない、死なせたくない、これはオールド・ワンも、そして二機も抱く確かな感情だ。しかし戦場を求めるのは自身のエゴなのかもしれない、或は全てを投げだして別の生き方を模索しても良かったかもしれない。
ただ、自分は戦いしか知らないのだ、闘争しか学ばなかったのだ、そんな自分に戦う事以外で生を謳歌するビジョンが見えなかった。自分が持つ生き方の知恵は、随分と偏ったものなのだ。
そんな事を想いながら二機を眺めていると、膝を着いたまま静かに項垂れていた二機のモノアイがオールド・ワンに向けられる。赤い眼光がまるで内心を見透かすように光り、カイムとカルロナの言葉を聞いた様な気がした。
――今更、何を言っているのかしら。
――ボスの決めた事だろ、俺はそれを信じるだけだ。
はっきりとした、渋い男の重低音と、女性らしい品の良い声。
幻聴だろう、そう思う。
考えれば
しかし切断しようにも、整備班の存在しない今コネクタを再接続する手が無い。この旅を続けるのならば延々と繋がったままである状態に慣れる必要があった。
いや、仮に幻聴だとしても構わない、オールド・ワンはそう思った。十数年という月日を経て唯一得られた絆、それが齎した幸福な嘘と言われてもオールド・ワンは構わなかった。嘘でも救われた、嬉しかった。
そうか、と。
小さな呟きを零してオールド・ワンは目を瞑る。僅かな間感傷に浸って、そのままハッチを静かに閉ざした。無機質な内部装甲が視界を覆い、同時にメインモニタの映像が網膜に出力される。
それからは無言の時を過ごした、夜風が機体の増設装甲を叩くのを黙って聞いていた。五分か十分か、既に十分な仮眠を終えた体は休息を欲していない。陰から覗ける国境付近には
この二機と、オールド・ワンを合わせて三機。
全員いれば大陸を横断する事すら容易に思える、それは思い上がりと言う奴だろうか。多分そうなのだろう、けれど存外悪い気分ではなかった。
オールド・ワンがそんな気分に浸っていると、ふと背筋に何かピリッとした刺激を感じた。それは彼が戦地で鍛えて来た第六感、シックスセンス。BFのパイロットは神経接続を行った時、通常時と比較すると感性が鋭くなるという。オールド・ワンも例に漏れず、その感性は戦場にて研ぎ澄まされ続けていた。
機能停止していた機体を再起動、低い唸り声と共にコアの再充電が終了、各部位が稼働を開始する。重低音を打ち鳴らしながら立ち上がったオールド・ワンの機体にアラートが鳴り響く、警告音は【識別信号無し・熱源接近】
オールド・ワンが弾かれたように振り向くのと、丁度段差の様になっていた高地の向こう側から身を乗り出し、斧を振り上げた敵機が攻撃するのは殆ど同時だった。振り向いたオールド・ワンのモニタに映ったのは、近接武装の実体斧を振り上げた軽量型のBF。
ガンディアからの追手か、まさか此処まで接近されているのに気付かないとは。
オールド・ワンの動きに反応し、僚機が機体を起こす。カルロナが見張りも兼ねて半稼働状態だった筈だが――モニタを確認すれば、敵機の熱源反応は恐ろしく小さかった。コアの出力も相当絞ってある、完全奇襲用のセッティングだ、これでは気付かなくとも仕方ない。通常の機体の半分に満たないエネルギー反応なのだ。