第10話 邂逅
もともと甑島列島には東シナ海の哨戒を主任務とする自衛軍空軍の基地があり、甑島泊地はこれの警護を目的とした小規模泊地だった。
だが、対馬海戦、そして八代の相次ぐ敗戦の後、甑島泊地の運命は大きく変わる。
熊本警備府長官に就任した原口大佐が、熊本の南の盾としての甑島列島の重要性に着目したのだ。
原口長官は即座に甑島の要塞化に着手。海兵大隊を中心とした守備隊を駐屯させるとともに、第810艦隊,第811艦隊の2個艦隊から成る強力な水上打撃部隊、通称、甑島艦隊を配置した。
結果として、甑島艦隊は南から襲来した深海棲艦隊を数度にわたり撃退、熊本の南の盾としての有用性を証明した。さらに、その後鹿児島が陥落したことにより、甑島泊地は、敵地と化した九州南部に対する、のど元のトゲとなったのである。
南方の島嶼域での戦闘経験が豊富な原口長官の、
「ま、トゲはトゲで、大変なんだけどね」
甑島艦隊所属、長良型軽巡二番艦、
海に突き出た高い岬の上、木々に埋もれるように設けられた監視所である。
古びたあずまやのような貧相な外見だが、東の方角を警戒するこの監視所は、いまや敵地と化した鹿児島方面を警戒するための重要な施設だ。
眼下の海岸にはトーチカ陣地が設けられ、155mm砲の砲身が東を睨んでいる。
同様の監視所は海岸線の各所に設けられており、海兵大隊に所属する兵士や目の良い艦娘が交代で監視にあたっている。
甑島艦隊の第一秘書艦をつとめる五十鈴だが、その
双眼鏡で東を睨む五十鈴。その傍らに、不意に湯気の立つ紙コップが差し出された。
「あれ、山城?」
「……冷めるわよ」
そう言ったのは、おなじ甑島艦隊に所属する航空戦艦
「珍しいじゃない。ここまで上がってくるなんて」
紙コップを受け取った五十鈴が目を丸くして言う。
超弩級戦艦娘であり、その名に恥じない巨大な艤装を持つ山城は、艤装が重いとよく愚痴をこぼしている。艤装装着時はあまり陸上を歩きたがらず、海面から高低差30mはある階段を登って、この監視所まで来ることはめったになかった。
「……別に、たまには高いところから空が見たくなっただけよ」
山城は面白くもなさそうにそう言うと、灰色の空を仰ぐ。
「そう思っただけなのに、不幸だわ。そういう時に限って、天気が悪いんだもの」
「はいはい、まーた始まった」
五十鈴は笑った。
何かにつけてこぼす「不幸だわ」は山城の口癖だ。曇りだなんて、階段を上がる前からわかっているだろうに。
ありがたく、紙コップに口をつける。代用でない、本物のコーヒーのいい香りが広がった。こういった嗜好品は前線に優先的に回される。本物のコーヒーを味わえるのは、ある意味で最前線の特権だった。
「そういえば、戦闘日報を読んだけど、五島沖の海戦、相当すごかったみたいね」
双眼鏡を覗き込みながら、五十鈴はふと口にした。
「多数の敵機動部隊相手に殴りこんで大立ち回り、なんて水上部隊にとっては夢みたいな状況よね……815のみんなには気の毒だったけど」
五島沖海戦時、甑島艦隊は、南への備えとして泊地に待機していた。
しかし海戦の終盤、浸透した敵の2個艦隊によって後方警戒の815艦隊が敗北したことにより、彼女達にも緊急出撃命令が下ったのである。
幸い816艦隊が敵の足止めに成功し、五島沖から反転した第2特編水上部隊が間に合ったため、甑島艦隊は結局戦闘に参加することはなかったが。
「定数割れの水雷戦隊で2個艦隊相手に持ちこたえたんだから、816は大したものよね。しかも提督は学兵だって話じゃない」
「幸運よね。羨ましいわ」
「すぐそこに持っていくんだから……と、」
五十鈴の眼がすっと細まった。言葉を切り、双眼鏡を覗き込む。
水平線には約20km先の鹿児島西岸がわずかに見えている。すでに人類の領域ではなくなった地だ。
その手前の海上、無数の影が、ゆっくりとこちらに向かって近づきつつあった。
「まったく、こりない奴らよね」
五十鈴は呟いて山城に双眼鏡を渡すと、監視所に備え付けられた通話装置の受話器を手に取った。双眼鏡で東を確認した山城が、ため息をついて魔法瓶のふたを閉める。
そうしている間にも、影はどんどん増えつつあった。
見かけはまるで浮遊する岩礁、あるいは巨大な海亀の甲羅のようだった。大きさはタテ横数百メートル。ゆっくりと移動するその岩礁の上には、ミノウタウロス、ゴブリンその他、幻獣がぎっしりと載っていた。
この『海亀』は、いわば幻獣の揚陸艦である。
甑島泊地は、鹿児島陥落以来、数度にわたって鹿児島からの幻獣の上陸部隊の襲撃を受けていた。
幻獣側としても、のど元のトゲであるこの甑島泊地を放置しておきたくないのだろう。甑島艦隊と守備隊は、南からの深海棲艦隊、そして東からの幻獣の上陸部隊を相手取り、日夜戦っていた。
彼方の上空に、飛行型幻獣きたかぜゾンビが編隊を組んでこちらへ向かってくるのが見える。
敵を確認したか、眼下の海岸では、トーチカ陣地が砲撃を開始。155mm砲が轟音と共に次々と火を噴いた。
「さーて、お仕事の時間ね」
艦隊司令部に敵の情報を伝達した五十鈴は、通話装置の受話器を置いた。
山城が、ゆっくりと立ち上がる。
「重たい艤装を背負ってここまで上がってきたときに限って、なんで敵が来るのかしらね……」
愚痴っぽい言葉とは裏腹に、そう言った口の端は不敵につり上がり、両の眼は幻獣の群れを鋭く見据えていた。
甑島艦隊旗艦、航空戦艦山城。
彼女は甑島泊地の戦力の中核であり、警備府第1艦隊旗艦の日向や、八代艦隊旗艦の霧島に勝るとも劣らない、歴戦の戦艦娘だった。
「それじゃ、行くとしましょうか!」
五十鈴は海へと続く階段を駆け下りる。
不幸だわ、と愚痴った山城が、後ろに続く気配がした。
1999年3月11日 一○一五 九州総軍司令部ビル
その日、
司令部ビルの正面玄関、立哨の衛兵が一瞬こちらを怪訝な顔で見て、それから慌てて敬礼する。兵の視線が、どう見てもミドルティーン以上には見えないだろう一乃の顔と、その肩の海軍少佐の階級章の間をせわしなく往復している。
一乃は顔を赤らめて丁寧に答礼し、正面玄関をくぐった。
司令部ビル1階のロビーはホテルを思わせるような内装だった。軍服を着た人間がせわしなく行き交っている。学兵と思われる高校生の制服を着た人間も見受けられた。
書類を手に持ち、司令部ビルの受付に向かい、用件を告げる。さすがに受付の事務官は一乃に驚くことはなかった。内線電話をかけ、二言三言話すと受話器を置く。
「少佐、担当の者が参りますので、恐れ入りますがロビーでお待ちいただけますか?」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
文部省のフロアを教えてもらうだけのつもりだったので、ちょっと意外だったが、おとなしく待つことにする。
なるべく目立たない隅のほうのソファに腰を下ろし、学兵提督の白い制服に、汚れがついていないか改めて確認する。
一乃は昨日、市内の病院に検査入院して一泊している。今日は退院したその足での司令部ビル訪問だった。
叢雲は同行するつもりだったようだが、今回は一乃が断った。この日、816艦隊は待機休養日に指定されている。叢雲に限らず、艦隊のみんなにはなるべく体を休めてほしかった。
ロビーに設置されている大きなテレビに目をやると、ニュース番組が、先日の五島列島沖での海戦を特集していた。
戦意高揚のためだろう、あからさまに戦勝を強調した報道で、熊本警備府艦隊の勇戦が大いに脚色されて報道されている。
海戦終了後の映像だろうか、日向、飛龍を先頭に戦闘に参加した艦娘達が警備府へ凱旋し、原口警備府長官に帰投の報告をする場面が映し出されていた。
そういえば、長官にはずいぶんご迷惑をかけたなあ、と一乃は思った。
天草灘の戦闘で一乃が行った陸軍への救援要請は、軍紀違反すれすれの行為だった。
あからさまな軍紀違反にはならないように、周波数の解析には受動的に収集した情報のみを使用し、通信もあくまで正規の通信機器を介して行うなどの工夫はしたが、大声で自慢できる手法とはとても言えない。
さらに張本人の一乃は、816の帰投直後に昏倒、そのまま翌日まで呑気に眠ってしまっていた。
だが、その間に長官がいろいろと手を打ってくれたらしい。
『とりあえず勝ったから不問、そういうことにしてくれたみたいね』
目覚めた一乃に、肩をすくめてそう告げたのは叢雲だった。
それから、あんた、なんだか勲章とやらが貰えるみたいよ。とつづけた叢雲に、一乃は目を丸くした───
ぼんやりとテレビを眺めていた一乃だったが、突然、『戦場に咲くヒロイン、第816艦隊のなでしこ学兵提督』なる派手なテロップとともに出現した自分の映像に、凍りついた。
思わず、制帽を深くかぶり、身を縮める。
どこであんな映像を───ああ、そういえば前に、港湾監視所の前で
番組では816の奮戦ぶりが実際の5割増しで紹介され、勝利の立役者、とたたえられていた。
───何が勝利の立役者だ。わたしは自分の無能で、危うくみんなを沈めるところだったのに。
うつむいたまま、一乃は唇を
艦隊の危機にパニックに
叢雲に
自分の頭を撃ち抜かずに済んだのは、みんなが奮戦してくれたからだし、助けてくれた人たちがいたからだ。
───わたしは運が良かった。ただ、それだけなのに。
やがてニュースの話題は、陸の戦況に切り替わった。隅のほうにいたおかげか、幸い、周囲には気づかれた様子はない。
恐る恐る制帽のつばを上げた一乃は、手に持ったままの書類に目を落とし、ため息をついた。
きょう彼女が司令部ビルを訪れたのは、ビル内にある文部省のオフィスで、勲章の伝達を受けるためだった。
『生徒会連合特別徽章』
熊本生徒会連合の名において業績抜群の学兵に授与される
おそらく、一昨日の五島沖海戦での戦果による受章だろう。戦闘からわずか2日後の受章だが、勲章というものが乱発される昨今では、珍しいことではない。
勲章なるものをもらうのは初めてである。もう少し嬉しくてもいいはずだが、自分がそれにふさわしい成果を上げたとはどうしても思えず、素直に喜べなかった。
そんな物思いにふけっていたせいか、一乃は後ろから近付いてきた人物に気がつかなかった。
「田村少佐でいらっしゃいますか?」
九州総軍司令部の白い制服を着た女性の中尉が敬礼していた。慌てて向き直って答礼する。
西洋系の血が入ったようなスラリとした美貌の中尉で、一乃は一瞬見とれた。
「九州総軍司令部のウィチタです。ご案内いたします」
「く、熊本警備府所属、第816艦隊の田村です。わざわざお出迎えいただき、恐れ入ります」
いまでこそ海軍臨時少佐を名乗っているが、一乃のもともとの身分は百翼長(少尉相当)の学兵である。このあたりの上下関係は微妙なところだった。
「では、こちらへ」
ウィチタと名乗った中尉は落ち着いた声で言うと、先に立って歩き出した。慌てて後を追う。
モデルのように姿勢よく歩く中尉に、一乃は気後れしてなかなか声をかけられなかった。
奥まったエレベーターを使ってビルの上階まで上がり、長い廊下の突き当たりの部屋の前で彼女が足を止めるまで、結局ひとことも思いつかなかった。
と、いうか、自分がどこに連れてこられたのかも把握していないことにやっと気が付き、一乃はあわてた。
「あ、あの……」
「では、しばらくお待ちください」
口を開こうとした鼻先でドアが閉まった。
ひとり取り残された一乃はため息をつくと室内を見回した。
広々としているが、殺風景な部屋だ。事務用のスチール机と椅子がひとつ。上に置かれた大きな砂時計はインテリアだろうか。
てっきり文部省のオフィスで勲章を渡されるだけだと思っていたのだが、もしかしたら少しばかり偉い人の部屋に連れてこられたのかもしれない。
受付でちゃんと行き先と用件は告げたはずなのだが…
所在無げにたたずんでいると、壁に貼られた九州中部域戦線の地図が目に入った。
以前に熊本警備府の長官執務室で見た戦況図と同じもののようだ。味方部隊や敵戦力を表しているのだろうか。いくつもピンが刺さっている。
海軍の日報には陸の戦況も記載されており、当然一乃も毎日確認している。だが、その日報のデータと比べても、この戦況図は明らかに詳細で、そしておそらく正確だった。
一乃は知らず戦況図に見入っていた。
鹿児島はほぼ幻獣勢力の手に落ち、宮崎では自衛軍が北へ後退しつつ、山岳部で遅滞戦闘を継続している。
現在、熊本要塞は南と東から幻獣勢力の圧迫を受けている状態だ。
特に東は、阿蘇山を中心とした阿蘇特別戦区に敵味方とも戦力を集中し、激闘が繰り広げられていた。
いっぽう、海上においては五島列島、甑島列島の周辺海域をめぐり、熊本警備府艦隊が深海棲艦と渡り合っている。
一昨日の五島沖の海戦で、海の戦況は一時的にせよ人類側に傾いているようだ。
指で戦況図をなぞっていた一乃は、上天草市大矢野島に刺されている小さな青いピンをみつけて、思わず微笑んだ。
「そなたの艦隊が気になるかね?」
不意にかけられた声に一乃はあわててそちらを向いて敬礼し―――固まった。
部屋に入ってきたのは固太りの大柄な男だった。九州総軍司令部の純白の制服に準竜師の階級章をつけている。
「その地図は俺の趣味でな。気に入ったかね?」
「は…はい……」
喉に物がつまったように返事する一乃。
『少しばかり偉い人』どころではなかった。
陸軍所属でない一乃ですら、顔を知っている相手だ。
「ああ構わん少佐、楽にするがいい」
芝村準竜師は固まる一乃に構わず事務机のほうに歩み寄ると、巨体を椅子に沈めた。椅子のスプリングがぎしぎしと抗議の悲鳴を上げる。
一乃からすれば、言われてそうそう楽にできるわけがなかった。
彼の本来の階級は陸軍少将。九州総軍の参謀長に当たる人物である。
原口警備府長官ですら、海軍大佐である。臨時少佐なる怪しい階級の一乃からしてみれば、雲の上の人物であった。
とりあえずぎこちなく休めの姿勢を取る。準竜師はそんな一乃を見て胡散くさい笑みを浮かべた。
「そなたに勲章を伝達するはずだった総務係長は急な会議のため出張中でな。俺がその代わりというわけだ」
代わりって、総務係長の代わりに芝村閥の若手筆頭って……!
一乃は内心で絶叫した。
芝村一族は、ここ数十年で急速に勃興した新興の名族だった。
軍需産業を核としてこの国の政治、経済、軍事に急速に影響力を拡大。いまや明治維新の時代からの勢力である会津閥と薩摩閥に匹敵するほどの勢力を誇っている。
また、芝村一族と言えば、その強烈なキャラクターでも知られている。
徹底した能力主義を取り、優れた者は血縁など関係なく一族に迎え入れる。その物言いは
とりあえず、絶対関わっちゃいけない悪の結社っぽい人たち。
小市民である一乃などからすれば、そんな印象だった。
が、現実にはまさに今、その悪の結社の大物幹部が目の前でふんぞり返っているわけである。
半分パニックになりながらも、一乃は、何とか姿勢を正して声を絞り出した。
「その、お、恐れ入ります。熊本警備府所属第816艦隊司令、田村一乃海軍臨時少佐であります。本日は……」
「田村少佐、芝村に挨拶などという無駄な物はない。覚えておくがいい」
挨拶の途中で凍りつく一乃。
典型的な芝村的物言いである。もはや涙目の一乃だった。
準竜師は分厚い顔をゆがめてにやりと笑った。
「そなたが来ると聞いて、一度顔を見ておきたいと思ってな」
「は、はあ……」
「先日の五島列島沖の海戦では、見事な戦果を上げたそうだな。良い部下をもって、原口長官も鼻が高いのではないか?」
「い、いえ自分は決してそのような……」
「田村少佐。芝村には挨拶はないと言った。それは見え透いた
「……はい、いいえ、準竜師。あの戦果はわたしの力ではありません。ただ、艦隊のみんなの奮戦と、周りの人たちの助けがあったからこそです」
───勝手に口が動いていた。
勝手に口が言いきって、それから初めて、一乃は慌てた。
「ふむ……」
「い、いえ、その……た、大変失礼いたしました」
慌てて気をつけの姿勢を取る一乃。準竜師は興味深そうに一乃のほうを見ていたが「まあ、よかろう」と椅子に背を預けた。
「そなたがそう言うのならば、そうなのであろう。配下の艦娘に恵まれたようだな、少佐」
「は、はい。恐縮です」
準竜師はデスクの引き出しをあけて小箱を取り出し、立ち上がった。
「受け取るがいい、田村少佐」
無造作に差し出された小箱を、一乃は若干ぎこちなく受け取った。箱の中には、金色を基調とした生徒会連合特別徽章が納まっていた。
「当初、この安っぽいバッジをそなたに渡すために、文部省が式典を計画していてな。市役所からも、熊本市長が直々に授与者を務めたいとの申し出があった。人気者だな、少佐」
「は……?」
式典? 熊本市長? 一乃は思わず耳を疑った。先ほどロビーで見たニュース番組といい、なんだか自分のことなのに完全に自分の手を離れてひとり歩きしている気がする。
「それぞれに思惑があったのだろうが、どちらも原口長官から辞退の申し出があり、単なる伝達となったわけだ。まったく、お優しい親父殿だな」
芝村準竜師は愉快そうに哄笑した。
そんな事情があったとは夢にも思わなかった。
「その安っぽいバッジをどう使うかは、そなた次第だ。せいぜいうまく使うがいい、田村少佐」
「は、はい、ありがとうございます」
かかとを合わせ、あえて学兵式の敬礼をする一乃に、準竜師はひとつうなずいたが、ふと思いついたように言った。
「ふむ、そういえば田村少佐。そなたは陸の学兵部隊に所属したことはなかったな?」
「はい、そのとおりです」
「今日はこの後、なにか予定はあるかね?」
「は……? はい、いいえ。わたしの艦隊は本日待機休養日ですが……」
戸惑いながら答えると、準竜師はにやりと口元をゆがめた。
「後学のために、陸軍の学兵部隊を視察してみる気はないかね? ああ、無理にとは言わんが」
陸軍少将にこう言われて、嫌といえるわけもない。
「は、はい! 喜んで!」
一乃はほとんど反射的に返事をしていた。
九州総軍司令部ビルから車で10分と少し。一乃は学校の門の前でぽつねんとたたずんでいた。
手には『第62戦車学校』と書かれた紙片。九州総軍司令部の車でここまで連れてこられ、この紙切れ1枚で、ぽい、とひとり置き去りにされたのである。
「表記が違うけど……本当にここでいいのかな……」
何度も校門と紙片を確認する。
校門にかけられた看板には、『尚敬高校』と刻まれていた。
とりあえず、入ってみなければ始まらない。一乃は気を取り直すと、校門をくぐり校舎へと足を進めた。
やや不安ではあったが、正直なところ、同じ学兵として陸軍の学兵部隊には興味がある。よくよく考えてみれば、芝村準竜師の提案は一乃にとってもある意味では渡りに船だった。
校舎に入ると、まずロビーに設けられた売店が目に入った。
「あの、第62戦車学校はこちらでよかったのでしょうか」
とりあえず売店にいた女性に尋ねてみると、女性は目を瞬かせた。
「あら、こちらは尚敬高校ですよ。確かにいまは戦車学校ですけど……」
「ええと、その……」
やはり何かの手違いか?しかし、いくらなんでも仮にも総軍司令部が……
言いよどむ一乃をみて、女性ははっと手を打ち合わせた。
「あら、もしかしたらプレハブの子たちのことかしら。ええと、ごめんなさい。つい最近ここに間借りした子たちがいて……あ、ちょうどいいわ、ねえ、ちょっとそこの人!」
後半は一乃の背後に向けての呼びかけだった。
「はいな、なんでしょ?」
「あなたたちにお客さんみたいよ。案内してもらっていいかしら?」
振り返ると、白が基調の制服を着て、髪を明るい色に染めた少女が歩いてきた。おそらく一乃と同年代だろう。
「ええですよ。どちらさんのご用で?」
「第62戦車学校の設営隊長はいらっしゃいますか?」
「委員長やね。司令室におりますよ。ウチは第62戦車学校の加藤いいます」
「熊本警備府の田村です」
「警備府……ああ、見慣れん制服や思うたら海軍さんですか───んん?」
加藤と名乗った少女は一乃の制服を見て、一瞬不思議そうな顔をした後、慌てて敬礼した
「あわわ、少佐さんだったんですか。し、失礼しました」
「あ、その、気にしないでください。わたしも学兵なんです。あくまで海軍での仮の階級ですから」
一乃の方も慌てて顔の前で手を振った。同年代の学兵にかしこまられると、また違った居心地の悪さがあった。
一乃が加藤に案内されたのは、学校の裏手に当たる敷地だった。2階建てと1階建て、大小の2つのプレハブが建っている。
「ウチ達はここの女子高の敷地に間借りしてるんです。あっちが校舎で、こっちが隊長室です」
小さい方、工事現場にあるような部屋ひとつぶんくらい大きさのプレハブ小屋に案内される。
「委員長~、いてはりますか~? 海軍のお客さんですー」
「ああ、加藤さん。入っていただいてください」
加藤にどうぞ、と促され、一乃は足を踏み入れる。
執務机に向かっていた人物が、さっと立ち上がって敬礼をした。一乃も急いで敬礼をする。
「お初にお目にかかります。第62戦車学校設営委員長、善行です」
「熊本警備府所属、第816艦隊の田村です。本日はお忙しいところお時間を割いていただき、誠に申し訳ありません」
善行と名乗った千翼長は、痩せ型の引き締まった体つきをしていた。髪を自衛軍風に刈り上げ、丸い小さなレンズの眼鏡をかけている。若いと言えば若いが、学兵という年齢ではない。
学兵小隊はその編成の間、自衛軍の軍人が教官兼隊長を務めることが多い。善行もおそらく、自衛軍出身なのだろう。
「ありがとうございます、加藤さん。授業に行っていただいて結構ですよ」
「あー…ほな、失礼します」
こちらを興味津々という顔で伺っていた加藤は、小さく舌を出すと部屋を出て行った。
「申し訳ありません。なにぶんまだ召集されたばかりの学兵ですので……」
謝る善行に一乃は慌てて手を振る。
「いえ、わたしも同じです。少佐なんて名ばかりの学兵の身分ですから」
「……そうでしたか。なるほど、816艦隊───失礼、道理でお若いと思いました」
善行はちょっと目を見張った後、眼鏡を直した。
「それで田村少佐、せっかくお越しいただいて申し訳ないのですが、実はわが隊はまだ戦車が配備される前でして」
なるほど、周囲に戦車やその格納庫と思しき建物が見えなかったはずだ。
「そうなんですか。やっぱり配備されるのは士魂号なんですか?」
「……ええ、その通りです。あれは少々特殊な兵器でしてね。整備の人員と一緒に到着する予定です」
善行は眼鏡を押し上げながらうなずいた。
「特殊……というと、足まわりあたりでしょうか?」
先日の海戦で816を支援してくれた士魂号L型の巨大な車輪を思い出す。
「さすが、よくご存じですね。ええ、なにぶん脚部に負担がかかる戦車ですので」
「え、きゃくぶ、ですか?」
聞きまちがいだろうかと首をひねる一乃。
「はい。人工筋肉は柔軟ですが、無理をすればねんざや肉離れを起こすのは人間の足と同じです」
「ねんざや肉離れ……戦車がですか!?」
ますますわけが分からなくなる。あの巨大な車輪が捻挫? シャフトの故障か何かの現場用語だろうか?
「まあ、そこはやはり、通常の戦車とは違いますので……何しろ120mm砲を撃たせたら反動に耐えきれず脚がもげたという例もあったぐらいで……」
「え? わたしの見た戦車小隊は問題なく120mm砲で一斉射撃をしていましたよ!?」
「は?」
ぽかんとした顔をする善行。
「え?」
一乃もようやく、自分と善行の間で、何かが食い違っているらしいことに気がついた。
「……あー、その、田村少佐。私は芝村準竜師から、熊本警備府から提督が視察に見える、とだけ聞かされておりまして……
「は、はい、準竜師はその、後学のために、と……」
一乃はしどろもどろに説明を始めた。
「なるほど、そういうことでしたか。あの方も人が悪いというか、お戯れが過ぎるというか、なんというか……」
説明を聞き終えた善行はこめかみのあたりを押さえて下を向いた。
ひとつため息をつき、気を取り直そうとするかのように冷めた茶をすする。
「あの、善行隊長……?」
「失礼。───田村少佐、貴方は人型戦車という兵器はご存知ですか?」
「人型戦車ですか? ええと、たしか陸軍で開発されていたロボット兵器ですよね。開発に失敗したと聞いていますが……」
そう言いかけて、一乃はハッとした。
「まさか、この小隊に配備される戦車って……」
「はい、お察しのとおり人型戦車なのです」
善行は重々しくうなずく。
「でも、先ほど『士魂号』と……」
「装輪式戦車の『士魂号L型』とは違い、『士魂号M型』は人型戦車なのですよ。確かに、同じ士魂号の名を冠しているのが不思議なほど異質な兵器ですがね。まあ、そこは開発予算獲得の都合というか、独立独歩の熊本の気風というか……」
善行が苦笑交じりに説明する。
「なるほど、脚部というのは、本当に
一乃は納得してうなずいた。
「先ほどまで、てっきり人型戦車の視察にみえたのだと思いこんでいまして。失礼しました」
「とんでもありません。でも、それは確かに、配備前なのが残念ですね。そんな珍しい『戦車』なら、ぜひ見てみたかったです」
「あー、私としてもぜひご覧いただきたかったのですが、まさにそこが問題といいますか、なんと申し上げたらよいか……」
「問題、ですか?」
いまひとつ要領を得ない一乃に、善行は言いにくそうに口を開く。
「この隊はいわば人型戦車の実験小隊です。人型戦車の開発を推進していたのは陸軍内の一派……具体的に言えば芝村です。付け加えるなら、私も一応、芝村閥の人間ですね」
前半はともかくとして、後半は一乃でもある程度は予想はついた。芝村準竜師の紹介なのだ。芝村の息のかかった隊であるのは当然だろう。
「それがなにか……」
「私のような末端の千翼長でも、海軍の日報は閲覧できます。───先日の五島列島沖の海戦における第816艦隊の活躍ぶりはよく存じ上げています。テレビでも盛んに報道されていますしね」
思わぬ言葉に、一乃は顔を赤らめた。
「いえ、あれはただ隊のみんなが頑張ってくれただけで……」
「ああ、申し訳ありません。お世辞のつもりではないのです。田村少佐」
善行は一乃の方をまっすぐ見た。
「中央の肝いりの学兵提督の第1期生、当初不安視されていた新米提督が、わずかな戦力で倍以上の敵を防ぐという抜群の戦果をあげたわけです」
「い、いえ、ですからそれは……」
「そんな新進気鋭の注目株、勇将原口長官の秘蔵っ子が、今日、九州総軍トップにして芝村閥の重鎮である芝村準竜師と面会。直接勲章を授与され1対1で密談し、さらにそのあと、準竜師子飼いの新兵器実験小隊を視察した」
「……は?」
「そういうことになるわけです。はたから見ると」
善行の言葉を理解し、一乃の顔からみるみる血の気が引いた。
誰だ、その三文戦記小説に出てきそうな華麗なる若きエリート軍人は。
そんなど派手な存在、軍内の各派閥の怖い人たちが放っておかないだろうことぐらいは、一乃でもわかった。
「あ、あのっ! それはいくらなんでも事実誤認というか、誇大広告というか……! むしろ詐欺、詐欺です!!」
「お気持ちはわかりますが、このさい事実がどうであるかは関係ありません。周囲からどう見えるかが問題なのです」
正論だった。ぐうの音も出ない。
長官が式典だの市長だのを辞退してくれたのは、わたしがなるべくこういう面倒事に巻き込まれないように考えてくれてたんだ……と一乃はいまさら気づいた。
なのにわたしときたら、芝村準竜師の誘いにのってホイホイとこんなところまで来てしまった……!
「そ、その、勲章の伝達といい、視察といい、準竜師は、なんのお考えがあってのことなんでしょうか……」
「あー、申し訳ありませんが、それは私にも分かりかねます。何かの布石かもしれませんし……あの方の性格上、あるいは単なるお
お、お戯れ……
一乃は気が遠くなってきた。
バッジをひとつ貰いに来ただけのはずが、なんでこんなことになるんだろう───
「あの、倒れても、いいでしょうか……」
「心中お察ししますが、それはできればご勘弁を」
善行は苦笑した。
尚敬高校の校門を出た一乃は、肩を落としてトボトボと歩いていた。
善行隊長はどうやら同情してくれたようで、何かと親身になってくれたが、この事態をどう報告するか、考えただけでも頭が痛い。
とりあえず善行のアドバイスのとおり、警備府にすぐ連絡して原口長官との面会の約束を取り付けた。ついでに叢雲に連絡をして、きっちり怒られた。
「まずいと思ったら、とにかくすぐに報告して謝ってしまうのが一番です」とは彼の弁であった。
長官は夕方まで外出中ということで、面会の約束は17時となった。時間を確認すると、まだ14時前。警備府までの移動時間を差し引いても2時間以上はある。
そういえばまだ昼食を取っていなかったが、食欲がない。それよりも、少し静かなところで頭を冷やしたかった。
けど、この目立つ制服で、あまり変なところをうろつくのも良くないかな……
と、一乃は道端の標識に目を止めた。
「あ……図書館……」
見覚えのある標識だった。そういえば、先日の作戦会議の帰りに通った道だ、と今さらながらに気が付いた。
『お前には戦争以外のことを考える時間が必要だ』
木曾との会話を思い出す。
あの時は、作戦のことで頭がいっぱいで、そんな余裕がなかった。
ちょうどいい、少し本でも眺めながらクールダウンしよう、と一乃は図書館の方角に足を向けた。
熊本市立図書館のロビー。一乃は深々と息を吸い込んだ。本の匂いを嗅ぐのも、ずいぶん久しぶりな気がした。
「仕事以外の本、よね」
呟き、館内へと足を進めた。
戦時中である。図書館の中は照明も抑え気味で、閑散としていた。が、それでも窓際の閲覧席には人影があった。
おそらく学兵だろう。一乃と同年代の女子学兵が、机に本を積み上げ、熱心に調べ物をしている。
難しそうな専門書をすごいスピードで読み込んでおり、一乃は思わず感心した。
と、一乃の視線を感じたか、少女が本から顔を上げ、こちらを見た。
まっすぐな眼差しがまともにぶつかり、一乃は思わず中途半端に会釈をして視線を逸らした。
取りつくろうように傍らの本棚に向き直って、動物に関する本が並ぶ棚だったことに気が付いた。
目についた本を、一冊手に取って開いてみる。イルカの写真集だった。海が深海棲艦の領域となってからは、海洋生物の写真は貴重だ。
もともと動物は好きなほうだ。イルカたちの愛らしくも優美な姿に、一乃は思わず立ったまま写真に見入っていた。
さほど厚くない写真集である。結局立ったまま読み切ってしまい、一乃は本棚に写真集を戻した。どうやら上下巻の2冊組みのようだったが、もう1冊は貸し出し中なのか、本棚には見当たらない。
未練がましくしばらく周囲の本棚を探していた一乃だったが
「探しているのは、この本ではないのか?」
不意に後ろから声がかかり、驚いて振り返った。