かんパレ ~波濤幻想~   作:しょっぱいいぬ

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816艦隊の日常1:駆逐艦長月における密航事件とそのてんまつ

 昼下がりの穏やかな陽光が、島原の海に降り注いでいる。

 島と島をつなぐ大橋をくぐると、816艦隊隊舎のある大矢野島港湾監視所まではもうすぐだ。

 

 こうしてまた、隊舎に帰ることができるというのは、ほんとに幸運だったな、と長月は思った。

 

 先日の五島海戦で中破した長月は、海戦の翌日に熊本警備府の入渠ポッドに入渠し、治療を受けていた。

 幸い、肉体の負傷は大したことなかったため、入渠は一日で済み、隊舎へと帰還してきたところだった。

 

 入渠が済んだばかりの艤装は快調に波をかきわけ、長月はあっという間に隊舎へと到着した。主機を停止させ、艤装の調子を確かめながらゆっくりと埠頭に上がる。

 

 艤装庫で艤装をおろし、妖精たちに点検を頼む。妖精たちは長月の帰還にうれしそうに敬礼してくれた。

 

 

 荷物を入れた大きなスポーツバッグを肩にかけ、艦隊寮の扉をくぐると、甘い香りが鼻をくすぐった。

 

「あら、お帰り。早かったじゃない」

 

 厨房の入り口から顔をのぞかせたのは、叢雲だった。レトロな白い割烹着を着て、三角巾で髪をまとめている。

 

「入渠は無事すんだみたいね」

「ああ、おかげできれいに直してもらったさ。……そうだ、頼まれていたものだ」

 

 長月は頷くと、手に持ったスポーツバックを開き、ビニール袋を取り出した。

 厳重に包装されたビニールをはがすと、甘い香りがふわりと広がり、いくつかの袋に小分けされた砂糖が姿を現した。

 

「ありがと。助かったわ。あとでお金払うわね」

 

 叢雲が顔をほころばせる。

 

 砂糖はここ最近、特に入手が困難になっている物資だった。

 

 近隣の砂糖の主要な産地のうち、インドや東南アジア諸国は既に幻獣の手に落ちている。国共合作政府が(こも)って抵抗を続ける台湾とは辛うじて海路が確保されているものの、のんきに交易をしていられる状況とはとても言えない。

 国内の主要産地である沖縄からは細々と供給はあったが、鹿児島が陥落した現在、沖縄諸島への海路も日に日に深海棲艦に圧迫されている。

 熊本では、いまや砂糖はわずかな配給があるのみで、店頭にはめったに並ばない。

 この砂糖も、叢雲に頼まれた長月が今朝、熊本市内にある闇市から手に入れてきたものだ。

 

「これで、仕事がはかどるわ」

 

 満足げに微笑む叢雲。

 

「しかし……いくらなんでもこれは、作り過ぎではないのか?」

 

 長月は厨房を覗き込み、ちょっと顔をひきつらせた。

 

 厨房の中では、大きな寸胴鍋が火にかけられ、大量の小豆(あずき)が煮られている。

 

 周囲にはタッパー、ボウル、クッキー型、その他さまざまな容器がところ狭しと並べられており、例外なくあんこと寒天や小麦粉が流し込まれ、各種羊羹(ようかん)へと成形されつつあった。

 

「作れる時に作り置きしておくのよ。羊羹は保存が聞くし、非常食としても優秀だしね」

「いや、少なくとも水羊羹(みずようかん)は、あまり日持ちはしないと思うんだが……」

 

 製氷皿にみっちりと詰まった水羊羹を見て、長月はなんだかなーという顔になった。

 

 ───羊羹作りに使うので、砂糖を10kgほど手に入れてきてほしい。

 警備府でそう連絡を受けた時は、叢雲がお菓子作りとは意外だな、と思ったものだ。お菓子作りにしてはずいぶんと量が多いが、隊としての備蓄も兼ねているのだろうと、そこは不思議には思わなかった。

 

 だが、この分だと、下手をすると羊羹作りだけで10kg近く使っているかもしれない。

 

 たしかに叢雲は寮でもよく羊羮をつまんでいた気がするが、ここまで好きとは思わなかった。

 

「人間も艦娘も水がないと生きていけないでしょ? 水羊羹だって同じことよ」

「そ、そうか……」

 

 長月はそれ以上のコメントを避けた。羊羹の何が叢雲にここまでさせるのだろうか。

 

 ()()()()がここまで羊羹好きだとはあまり聞いたことはないから、これは多分()()()()の個性なのだろう。

 

 満足げに胸を張る様子は、昔ながらの割烹着と三角巾で髪をまとめた姿もあいまって、普段のスマートな彼女とはずいぶん雰囲気が違う。

 司令官といる時の優秀でしっかり者の秘書艦というイメージが強いが、案外こんな一面もあるのか。

 長月はこっそり笑いをかみ殺した。

 

「なに、どうかした?」

「いや……そういえば、他のみんなは?」

「木曾ならあそこよ」

 

 叢雲が食堂兼談話室におかれた古ぼけたソファを指差す。

 と、ソファの背からにょっきりと白い手が突き出され、こちらに手のひらを向けた。

 覗きこむと、タンクトップにショートパンツというラフな格好の木曾が、顔に雑誌を乗せて寝そべっていた。窓の外にトレーニングウェアが干してあるのが見える。軽く体を動かした後、シャワーを浴びてひと眠り、といったところだろうか。

 

「いま戻った。心配をかけたな」

 

 長月が声をかけると、木曾は寝そべったままひらひらと手を振って見せた。普段の頼もしさからは不似合いなほど白くてきれいな手だな、と長月は少々意外に思った。

 

 

 と、階段を下りてくる軽い足音がして、小脇に本を抱えた響が食堂に姿をあらわした。

 

「……おかえり、長月。もういいのかい?」

「ああ、見てのとおりすっかり快調だ」

「それは、よかった」

 

 丈の長いTシャツの部屋着姿の響は、こちらもうたたね寝でもしていたのか、寝癖のついた頭で、こくん、とうなずいた。まだ眠そうである。

 

 響はマグカップを取り出すと、紅茶のティーバッグ放りこみ、食堂備え付けのポットからどぼどぼとお湯を注いだ。

 

「君もいるかい?」

「ん、いただこう……ありがとう」

 

 長月は湯気の立つマグカップを響から受けとり、ひと口すすった。紅茶がじんわりとお腹の中から体を温めてくれる。

 

 響は本を片手に食堂の椅子に座り、紅茶をすすっている。しかし、その目は相変わらず眠そうにとろんとしていた。

 

 

 

 先日の五島沖海戦において、816艦隊は後方に浸透した2倍の敵を相手に、死闘を繰り広げた。

 

 時間としては決して長い戦闘ではなかったが、ほんの一歩間違えれば艦隊が全滅していてもおかしくはないギリギリの戦いだった。

 中破した長月だけでなく、他の3人も細かい負傷は数知れなかったし、それ以上に精神をすり減らしていたと言っていい。

 

 艦娘の肉体の傷は、入渠ですぐ治癒するが、心の方はそうはいかない。

 

 彼女たちは、こうしてそれぞれのやり方で、ゆっくりと戦闘のストレスをほぐしていた。

 

 

「司令官は、病院からまだ帰っていないのか?」

「そ。なんでも、勲章をもらえるみたいなの。総軍司令部での伝達が終わったら、連絡を寄越すはずよ」

 

 そういえばちょっと遅いわね、と叢雲が、食堂の壁にかかっている時計を見て言った。時刻は午後の2時をまわっている。

 

「──ああ、そうだ。闇市で、砂糖の他にもいろいろと買ってきたんだ」

 

 長月は、傍らに置いていたスポーツバッグに手を突っ込んだ。

 

「自衛軍の横流し品がいっぱいあってな。医療キットや工具箱なんかもあった。きっと役に立つはず……」

 

「みっ」

 

 

「……?」

 

 長月は、怪訝な顔をした。

 

「……響、何か言ったか?」

「何も言ってないよ」

「叢雲?」

「あんたの方から、聞こえた気がするけど」

「いや、今のは私じゃないぞ」

 

 そう首をひねりつつバッグの中を探っていた長月だったが、不意に固まった。

 

 スポーツバッグをまじまじと見つめ、恐る恐る手を引き出す。

 

 

「なぁ」

 

 

 とぶら下げられた黒い子猫が鳴き

 

「なぁっ!?」

 

 と長月がのけぞった。

 

 

 

 

「長月、どうしたんだい、この子」

 

 響が目を丸くして問いかけた。

 

 騒ぎを聞いた木曾も、あくびをしながら起き上がる。

 

「なんだ、どっかで拾ってきたのか? 飼うんなら、提督に許可はとったか?」

 

 言いながら指で子猫の喉をくすぐる。子猫は「にゃあ」と存外に愛想よく鳴いた。

 

「い、いや、そういうわけではない。だいたい、私にも身に覚えが……あっ」

 

 しどろもどろに言った長月だが、ふと思い出した。

 

 砂糖を購入した、闇市の店。バッグを置いて店主と値引き交渉をしていた時だ。

 ふと気配を感じて振り返ると、野良猫の親子がバッグを嗅ぎまわっていた。砂糖の匂いを嗅ぎつけたのか、と慌てて長月が走りよると、親子は蜘蛛の子を散らすように四方八方に逃げ去った。

 ざっと見たところバッグの中身に荒らされた様子はなく、長月はホッとしてファスナーを閉めた───

 

「あの時に、バッグの中に潜り込んでいたのか……!」

 

 頭を抱える長月。

 

「市内から密航してきちゃったのか。じゃあ、外に追い出して終わり、というわけにはいかないね」

 

 響が言う。熊本市内からここ上天草までは直線距離で50kmはある。外に放り出したとして、この子猫が自力で母親の元に帰れるとは思えなかった。

 

「どうにかして、元の場所に───いや、しかし今日は816(ウチ)は待機休養か」

 

 待機休養日は、完全な休日とは違い、緊急時に出撃できる体制を確保しておかねばならない。公務であれば話は別だが、私用で遠出するわけにはいかなかった。

 

「な、なんとか司令官に頼み込んで、外出許可を……叢雲、司令官は今どこに───」

「まだ帰ってきてないってさっき言ったでしょ。ちょっと落ち着きなさいな」

 

 叢雲が呆れたように言う。

 と、その時、食堂の電話が鳴った。

 

「噂をすれば一乃みたいね……もしもし、勲章の伝達は終わったの?」

 

 受話器を取った叢雲だったが、ひとこと、ふたこと話すうちに、その眉が急角度につり上がった。

 

「ちょっと、なによそれ……なんでそんなことになってるの。───なんでそこでうかうかと乗っちゃうのよ、おバカ!」

 

 叢雲の甲高い声が響き、長月は思わず響と顔を見合わせる。

 

「……ああもう、わかったからそんな情けない声出すんじゃないわよ! とにかく、その隊長さんの言うとおりになさい。長官との面会の約束が取り付けられたら、また電話しなさい、いいわね?」

 

 叢雲は、そうまくし立てて電話を切った。ため息をついて、額を押さえる。

 

「───莫迦(ばか)は、あの子じゃなくて私の方ね……多少強引にでも総軍司令部に同行するべきだったわ」

「なにか、トラブルか?」

「ええ。どちらかというと、笑い話の(たぐい)のね……一乃を連れ帰ったら話すわ」

 

 さて、まずは由良にコンタクトを取って、それから───、となにやらぶつぶつと呟いていた叢雲だったが、ふと、長月の方を見た。

 

「そうね。長月、帰ってきたばかりで悪いけど、警備府まで一緒に一乃を迎えに行ってもらえるかしら? 倉田隊長に頼んで、警備中隊の車を借りるから」

「えっ、それは───」

「向こうでしばらく時間がかかると思うから、市内に用事があるんだったらその間に済ませてきちゃいなさいよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

長月は一瞬迷ったが、卓の上にちょこんと座っている子猫を見て、叢雲の厚意に甘えることにした。

 

「……ああ、そのとおりだ。すまない、助かる」

「なんのこと? ほら、さっさと支度しなさいよ」

 

 長月が頭を下げると、叢雲はそっぽを向いて言った。視界の端で、木曾がやれやれと笑って肩をすくめるのが見えた。

 

 

 

「なるほどなるほど、もちろん、喜んでお貸しいたしますよ」

 

 大矢野島港湾監視所の所長であり、駐屯する警備中隊の隊長でもある倉田大尉は、温顔でうなずいた。

 

「しかし、迷子の黒猫ちゃんですか。さしずめ、名前はルドルフといったところですかな」

「るど……?」

「ああ、失礼。いや、娘が小さいころに好きだった童話がありましてなぁ」

 

 老大尉はそう言って笑った。

 

「しかし、行きはいいですが、お帰りの際は少々ご注意ください。またぞろ、田村司令目当てにテレビ屋さん方がおいででして」

「また、ですか」

 

 叢雲が眉をひそめる。

 倉田が指差す方を見ると、確かに、港湾監視所前の路上に、数台の車が停まっている。

 

「まあ、このご時世ですからな。戦場の『英雄』など、週替わり日替わりでいくらでも現れます。もう2、3日もすれば、テレビ屋さん達も新しい英雄の方に関心が向くでしょう」

 

 なんでも阿蘇特別戦区では真っ赤なロボットが大暴れしている、という噂まであるくらいです。本当ならぜひ見てみたいですな、と倉田は笑った。

 

 

 

 

 熊本市中心部、ムーンロード。

 

 開戦前は多くの市民で賑わっていたこのアーケード商店街は、現在は熊本駅の物資集積所からの横流し品が集まり、半ば公然とした闇市と化している。

 前線の各部隊にとっては必要な物資を物々交換で調達する場所であり、いまだ市内に残る市民にとっても、高価とはいえ生活必需品を入手できる数少ない場所である。警察や憲兵隊も、必要悪として黙認していた。

 

 長月は公営の駐車場に高機動車を停め、子猫を抱いて車から降りた。ムーンロードは相変わらず多くの兵士や学兵達が行き交っている。警備府に所属していたときにも何度か訪れたことがあるが、そのときに比べても薄汚れた兵士達の姿が目立つ気がした。

 

 長月が足を向けたのは、そのムーンロードの奥まった一角、とあるビルの地下にある店だった。

 

 正式な店名は誰も知らない。ただ、「裏マーケット」と兵士や学兵たちの間でよばれている。

 店主の老人は、この闇市の中でもかなりの実力者らしい。

 

 決して広くない店内にところせましと雑多な品が積み上げられており、明らかに自衛軍横流しと思われる各種の銃器から星印製菓の天然チョコまで、ありとあらゆる品がそろっている。長月が午前中に砂糖を買いに来たのもこの店だった。

 

 子猫を抱いて店内に足を踏み入れた長月を、店主の老人が鋭い目でじろりとにらんだ。

 

「猫は買いとらんぞ・・・・・・」

「い、いや、そういうわけではないんだ」

 

 長月は首を振った。

 最近はアルバイトと思われる女子学兵も見かけるのだが、いまは姿が見えなかった。

 

 子猫がバッグに紛れ込んだのは、おそらくこの店での買い物中のことだろうと長月はあたりをつけている。

 きょろきょろと店内を見回す長月だったが、その背に、声がかかった。

 

「長月?」

 

 振り向くと、見知った顔が訝しげにこちらを見ていた。

 

不知火(しらぬい)か。どうしたんだ、こんなところで」

「それはこちらのセリフです」

 

 そう言って歩み寄ってきたのは、八代艦隊の秘書艦である陽炎型駆逐艦2番艦不知火だった。

 

「不知火は、買い出しです。・・・・・・どうしたんです、その猫は?」

「いや、それがその、迷子の子猫というか・・・・・・」

 

 

「そういうことですか。なんというか、ずいぶんと親切ですね」

 

 長月が事情を説明すると、不知火はあきれたように言った。

 だが、その目がちらちらと子猫の方を見ているのに長月は気付いた。

 

「その、撫でてみるか?」

 

 試しにそう言ってみると、不知火はあからさまにギクリとした。

 

「い、いえ、結構です。不知火は目つきが悪いので、猫に嫌われますので」

 

 口ではそう言いつつも、視線が長月の顔と子猫をせわしなく往復している

 

「別に嫌われてないと思うぞ。ほら」

「あ」

 

 ひょい、と長月が不知火の手を取り子猫の頭に持ってくると、子猫は自分から不知火の手に頭をすり付けた。

 

「う・・・・・・」

 

 不知火は顔を赤らめ、しばしそのまま身動きしなかったが、ハッとしたように身を引いた。

 

「し、失礼。取り乱しました」

「別に取り乱してはいないと思うが・・・・・・」

 

「買わないのなら商売の邪魔だ。とっとと出ていけ」

 

 無愛想な声が割って入り、不知火と長月は顔を見合わせてそろって顔を赤くした。

 

「っと、すまない。えー、さて、ここからお前のお母さんやきょうだいがどこへ行ったかだな……」

 

 長月が改めてあたりを見回すと、子猫がにゃあと鳴いた。

 店の天井近くにある通風窓を見上げている。

 

「そこは……」

「……通風のために普段は開けている。たまにそこから野良猫が侵入してきて困っている」

 

 相変わらずの無愛想な声だったが、長月は思わず目を見張った。

「そ、そうなのか……ありがとう、親父さん」

「わかったらとっとと出ていけ。商売の邪魔だと言っている」

「不知火、その、すまないが……」

「わかりました、本当に、親切ですね」

 

 不知火はうなずき、壁に手をついた。長月は子猫を服の胸元に入れると、彼女の背を足場に、通風窓へとよじ登る。窓は、長月でもなんとか通り抜けられた。

 

「すまない、助かったよ。この礼は、今度させてもらう」

「お礼をしてもらうほどのことはしていませんが……でも、そうですね。こんど、冒険の顛末(てんまつ)を聞かせてください」

 

 不知火はこちらを見上げ、わずかに微笑んだ。

 

 

 

 通風窓の先は立ち並ぶビルの隙間だった。小柄な長月でも、通り抜けるのがやっとだ。

 

「こっちでいいのか?」

「にゃあ」

 

 昼間でも薄暗いビルの間を抜け。

 

「ここをよじ登るのか……」

「みっ」

 

 2mはありそうな塀をよじ登って、その上を歩く。

 

 すでに長月は、全身ほこりまみれになっていた。

 

「とりあえず、私でよかった。木曾や叢雲の白い制服じゃ目も当てられないからな」

「にゃあ」

 

 そんな言葉を交わしつつ、さらに奥へ。

 

 

「にゃっ」

 

 と、子猫が不意に長月の胸元から飛び出し、走りだした。

 

「あっ、おい!」

 

 慌てて後を追う長月。

 

 子猫の後を追って曲がり角をまがって、思わず足を止めた。

 

 路地の先の袋小路、ちょっとした広場のようになっているそこに、無数の猫たちが集まっていた。子猫はそのうちの一匹の猫にすり寄っている。たしか、あの時見かけた母猫だ。

 

 喜ぶべき場面だろうが、長月はそれどころではなかった。

 

 こちらを半ば取り囲むかのように並ぶ猫たちの間から、明らかな敵意がこちらに向けられている。

 

「いや、待て。確かにその子を連れて行ったのは私だ。だが……」

 

 つばを飲み込み、慎重に口を開くが、猫たちの敵意には変化がない。低い唸り声が、そこかしこから聞こえてくた。

 ちょっとでも刺激したら一斉に襲われかねない。長月の背筋が寒くなった。

 

 が、その時

 

「ぶにゃう」

「うわっ?」

 

 いきなり長月の背後から低い鳴き声がひびき、長月は驚いて振り返った。

 

 いつの間に近づいてきたのか、長月のすぐ後ろに大きな猫がこちらを見上げていた。1mはあろうかという巨大な猫で、茶色い毛並みに赤いチョッキのようなものを着ている。

 

「ニャーゥ」

 

 猫は長月を見上げ、一声鳴いた。やたらと威厳のある声だった。

 

「ねこさーん、どこー?」

 

 高い、声がして、さらに向こうから、小さな人影が走ってくるのが見えた。

 駆逐艦娘である長月よりさらに頭ひとつ分は背が低い。おそらく10にも満たない少女だった。

 

「こっちに来るな、危ないぞ!」

 

 慌てて声をかける長月。少女は目を丸くしてこちらを見たが、直後にパッと顔を輝かせた。

 

「あ、ねこのおかあさんのこども、かえってきたのね。えへへ、よかったねぇ」

 

 少女はにぱっと笑った。頭の両側でむすんだ、黄色いリボンが揺れた。

 

「おねーさんが、つれてきてくれたんだ。えらいねぇ」

「あ、ああ。いや、元はといえば、私が連れて行ってしまったんだが……」

 

 言いながら長月は驚いた。

 赤いチョッキを着た猫と、そして少女が現われてから、周囲の猫たちの敵意が嘘のように霧消していた。

 

 猫たちは一声鳴き、一匹、また一匹と、広場から姿を消していく。

 最後に残ったのは、赤いチョッキの猫と、親子だけだった。

 

「ぶにゃう」

 

 また、チョッキを着た猫が鳴いた。

 

「ええとね、わかいものたちをゆるしてほしい、って。このこがかどわかされたと思っていたのだ……かどわかさ、ってなにかな?」

 

 少女がいい、首をかしげた。

 

「あー、さらわれる、という意味だな。いや、そもそも私が間違って連れて行ってしまったことには変わりないんだ。むしろ謝らせてほしい」

 

 長月はそう言って首を振った。

 まるで猫の言葉を通訳しているかのような少女の言葉だったが、なぜか疑問を感じなかった。長月の前に、親子が進み出てくる。

 

「すまなかった。きみを親元に帰せて良かったよ。気をつけてな」

 

 長月が声をかけると、子猫が「みぃ」と鳴き、母猫は、長月に、まるで頭を下げるようなしぐさをした。

 

 親子は身をひるがえし、いつのまにか現れた他のきょうだいたちとともに、路地の奥へと姿を消した。

 

「にゃーお」

「うきしろのむすめよ、かんしゃを、だって。さんねんのおんもみっかでわすれるなどとぬかすやからもいるが、われらはうけたおんは9のせいをへてもわすれぬ……ふぇぇ、むずかしいよ」

 

 長月には、巨大な猫がまるでにやりと笑ったように思えた。

 

「ナーオウ」と猫は別れを告げるかのように鳴いて、くるりと踵を返して歩み去る。

 

「あ、まってなの、ねこさん」

 

 少女がててて、と後を追いかけたが、不意にぴたりと足を止め、くるりと振り返った。

 

「おねーさん、ありがとうね。ねこのおかあさんのこどもがかえってきて、とっても嬉しかったのよ」

「……ああ、私も、あの子をお母さんの元に帰してやれて、嬉しいよ」

 

 少女はにこっと笑って、ばいばい、と手を振り、巨大な猫の後を追って駆けて行った。

 

 長月は、自然と微笑んでその背を見送る。

 

 普段ならあんな幼い少女がひとりで出歩いていて大丈夫なのかと心配になるところだが、あの大きな猫がついていれば大丈夫だと、なぜか思った。

 

「さてと、」と長月は口に出し、ほこりまみれになった制服を手ではたいた。

 

 これから警備府に戻って、司令官と叢雲を迎えなければならない。ああそうだ、不知火にもまた改めて礼を言わないとな。

 

 長月は足取りも軽く歩き出す。

 

 

うきしろ(浮城)のむすめ』、そう呼ばれていたことに気づいたのは、ずっと後になってからのことだった。

 

 

 

 

「あれ、長月ちゃん?」

 

 警備府の駐車場に高機動車を停め、そのそばで海を眺めていた長月は、聞き覚えのある声に振り返った。

 柔らかそうな黒髪を後ろでふたつ三つ編みにした、おとなしそうな印象の少女が、こちらに歩いてきた。

 

「ああ、磯波(いそなみ)か。しばらくだな。元気だったか?」

 

 特型駆逐艦9番艦である磯波は「長月ちゃん、この前は大変だったね」とおずおずと微笑んだ。

 

「長月、待たせたわね」

 

 その後ろには、叢雲と、そして一乃が続いている。

 一乃は長月の顔を見るなり、小走りに駆けよってきた。

 

「あ、長月、もうケガはいいの?」

「大丈夫だ、司令官。そういうそちらこそ、顔色が良くないぞ」

「あはは、その、いろいろとあってさすがに疲れた、かな」

 

 一乃は苦笑いした。

 

「ええと、それじゃあ磯波、いろいろとありがとうございました。長官にもよろしくお伝えください」

「とんでもないです。田村司令、お気をつけて」

 

 磯波はぺこりと頭を下げ、「長月ちゃんごめんね。こんど時間のある時に、ゆっくりお話ししようね」と告げ、小走りに去った。

 

「長月は、磯波と知り合いなの?」

「ああ、磯波とは建造時期が近いんだ。佐世保ではよく、磯波や響と一緒に教艦にしごかれたよ。しかし忙しそうだな」

「秘書艦見習い中みたいよ。長官との会談にも同席してたわ」

「そうか、そういえば前にそんなことを言っていたな」

 

 そんなことを話しながら高機動車の扉を開け、乗り込む。

 

「司令官、いろいろとあったそうだが、大丈夫だったか?」

 

 大まかなあらましは、行きの車中で叢雲から聞いていた。

 

「うん、とりあえず。……原口長官、気にすることはないって大笑いしてくれたわ。悪ふざけの好きな御仁(ごじん)だから、って」

「ほんと、アンタ上司には恵まれてるわね。救援要請の件といい、長官にはよくよく感謝しときなさいよ」

「わ、わかってるってば」

「ま、いい勉強にはなったわね。九州総軍の参謀長と個人面談なんて、なかなかできる経験じゃないわよ?」

「うん……でも、あんな経験は、もう最後でいいかなあ」

 

 茶化すように言う叢雲に、一乃はひきつった顔で答えた。芝村準竜師との面談は、だいぶトラウマになっているらしい。

 

「大変だったな、司令官」 

「ありがとう、長月。……でも、そうね。今日はいろいろな人に会えたから、そこは良かったかな」

「そうか、奇遇だな。私もだ、司令官」

「長月も?」

「ああ。私の方はむしろ『人』は少なかったんだが」

「え? どういうこと?」

 

 きょとんとした顔をする一乃。

 

 長月は口の端を吊り上げ、さて、何から話そうかと思いながら、高機動車を発進させた。

 

 

 

 

 

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