かんパレ ~波濤幻想~   作:しょっぱいいぬ

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第一章 学兵提督(1999年2月20日~3月9日)
第1話 熊本警備府


 1945年8月。

 

 終結を目前にしていた第二次世界大戦は、世界中の誰一人として予測しない形で幕を下ろすこととなった。

 

 衛星軌道上に突如現れた黒い月、そしてそれに続く陸海からの人類の天敵の出現である。

 

 人類は、天敵――幻獣(げんじゅう)、そして深海棲艦(しんかいせいかん)と名付けられた異形のものどもと、種の存続をかけて戦うことを余儀なくされた。

 

 

 

 ―――それから50年、戦いはまだ、続いている。

 

 

 

 1997年4月、ユーラシア大陸最後の砦、仁川要塞が陥落、人類は4000万の死者を残してユーラシア大陸から絶滅する。

 これにより人類の生存圏は北米、南米の一部、南アフリカ、そして日本を含む東アジアの一部のみとなる。

 

 同年11月、日本侵攻の動きを見せる敵勢力の意図を(くじ)くべく、日本自衛軍海軍は西日本の海上戦力を動員。朝鮮半島からの侵攻ルートを遮断するため、要塞化した対馬(つしま)を中心とした周辺海域の制海権を奪取すべく、深海棲艦勢力に対し一大海戦を仕掛ける。

 

 後に言う、対馬海戦である。

 

 この戦いにおいて海軍は、艦娘(かんむす)の集中投入により、数に勝る深海棲艦隊を撃破。一時的に同海域の制海権を奪取する。

 しかし、損害は実に参加戦力の半数以上にのぼり、対馬要塞もその機能を喪失。西日本の海上戦力は著しく低下した。

 その結果海軍は、対馬海戦のわずか1か月後、対馬を迂回するように韓国済州島から侵攻した幻獣の上陸部隊を阻止しえず、幻獣の九州西岸上陸を許すという痛恨の失態を演じることとなる。

 

 そして翌1998年9月、九州に上陸した幻獣に決戦を挑むべく、自衛軍は陸軍のほぼ全戦力に当たる20万を九州南部八代(やつしろ)平原に結集する。

 対する幻獣は2000万。

 

 八代会戦と名付けられたこの戦いで、自衛軍は生物兵器をも投入し、同地を焦土としながらもかろうじて戦術的勝利を得る。

 しかし、その代償として参加兵力の8割を失い、陸軍は事実上無力化する結果となった。

 

 

 

 1999年1月、悪化の一途をたどる戦況を受け、日本国国会において三つの法案が可決される。

 

 一.本州への幻獣上陸阻止を目的とした、熊本要塞を中心とした九州中部の防衛線の構築

 二.壊滅した佐世保鎮守府の戦力再編と、その間の代替としての熊本警備府の設立

 

 三.14歳から17歳までの少年兵、『学兵(がくへい)』の強制召集

 

 これによりかき集められた10万人の少年少女達が、本州防衛の時間稼ぎのため熊本要塞に投入されることとなる。

 政府は、これらの学兵の大半が夏の自然休戦期を待たずに死亡すると見ていた。

 

 そして1999年1月29日、九州南部をほぼ制圧した幻獣が熊本へと侵攻を開始。未完成ながら辛うじて要塞化の成った防御陣地群がこれを迎撃し進行を阻止。

 また、海上でも同日、深海棲艦隊が東シナ海より襲来。新編間もない熊本警備府艦隊が五島列島沖でこれと交戦し、撃退する。

 

 

 ――熊本の地をめぐる、約3か月に及ぶ陸海の戦いが、この日をもって、幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 かんパレ ~波濤(はとう)幻想~

 

 

 

 

 

 

1999年2月20日 〇二二六 東京発熊本行 軍用列車「橋立(はしだて)」2両目車内 

 

 

『ご乗車の皆様にお知らせします。当列車はまもなく広島駅に到着いたします。停車時間は15分となります』

 

 照明が半分落とされた薄暗い車内に、控えめなアナウンスが流れる。

 乗客もまばらな客車内、前から3列目の窓側の座席、軍服姿の小柄な人影が身じろぎした。

 眠っていたのだろう、倒したリクライニングシートからそっと身を起こし、目深に引き下ろしていた白い制帽を取る。下から現れたのは、まだ年若い少女の顔だった。

 短めに切りそろえた黒髪がさらりと揺れ、白い詰襟の軍服によく映えた。

 

 少女は車窓のカーテンを細く開け、車窓から外をのぞく。

 

「何をしているの?」

 

 隣の座席から声がかかった。同じくらいの年頃の少女だ。こちらは長い髪に水兵服に似た白いワンピースを着ている。

 

「ごめん、叢雲(むらくも)、起こしちゃった?」

「別に。さっきのアナウンスで目が覚めただけよ」

 

 叢雲、と呼ばれた少女は面白くもなさそうな声で言うと、座席から身を起こして目をこすった。

 

「で、窓の外がどうかしたわけ?」

「うん、呉鎮守府が見えないかなと思って」

「はあ? ……あのね、呉は山陽本線から5キロ以上南よ。おまけに山を2つ3つ越えた先。ここから見えるわけないじゃない」

「あ、そうなんだ。知らなかったわ」

 

 あははと小声で笑う少女に、叢雲は呆れたようにため息をついた。

 

「しっかりしなさいよ、一乃(いちの)。アンタ、一応それでも海軍少佐殿になるんでしょ?」

 

 叢雲の言葉に、少女……一乃は自分の着ている軍服の階級章を見やる。

 

「うん、びっくりよね。でも、あくまで臨時の少佐待遇で、実際の階級は百翼長(ひゃくよくちょう)の学兵だから」

「それはもう何度も聞いたわよ。それに百翼長だって自衛軍で言えば中尉か少尉相当じゃない。士官なら国内の主要拠点の場所くらい押さえておきなさいよ」

「仕方ないじゃない。実質半年ちょっとしか海軍士官学校にいなかったんだから。対馬と八代がなければ、まだ田村提督候補生だったはずだもの」

 

 一乃はそう言ってため息をつく。

 叢雲はふん、と小さく鼻を鳴らした。

 

「とにかく、見えもしない鎮守府なんか見ようとしてないで、少しでも寝といたら? 熊本に着いたら忙しいわよ」

「うん、そうね。そうする」

 

 一乃が素直にうなずくと、叢雲は座席に背を預け目を閉じる。

もう一度窓の外に目をやるが、時たま人家の明かりが通り過ぎるだけで、窓の外の暗闇には何も見いだせない。

 

 一乃はかぶりを振ると、叢雲にならって座席に背を預け再び帽子を目深に下ろした。

 

 

 

 

 目を閉じた、と思った瞬間、不意に浮遊感を感じた。次いで全身に衝撃。

 

 

 気が付くと一乃の上に叢雲が覆いかぶさっていた。

 いつの間にか片手に拳銃を引き抜き、ぱっちりとした目が油断なく周囲の様子をうかがっている。彼女の髪を結んでいる赤い飾り紐が、一乃の頬をくすぐった。

 

「叢雲……?」

 

 口に出したところで、自分の体が座席の足元の狭い空間に押し込まれているのに気が付いた。列車はどうやら停車しているらしい。

 

「静かに。……迂闊(うかつ)に頭を上げるんじゃないわよ」

 

 叢雲が慎重に身を起こし、白式(はくしき)拳銃を手に油断なく窓の外をうかがう。高性能をうたわれるシグ・ザウエルP226のライセンス生産品だが、彼女の手には少々大きく見える。

 

 さすがに異常を察し、一乃も慌てて足元の荷物から私物の拳銃を引っ張り出した。

 

「む、叢雲、何があったの? 敵なの? ここは?」

「質問は簡潔に、重要なことから聞くようにしなさい、指揮官ならね。列車が急停車、状況は不明、福岡と熊本の県境くらいよ」

 

 叢雲の答えに反射的に時刻を確認。〇五〇七。目を閉じてから数秒しか経っていないと思っていたが、どうやらだいぶ眠っていたらしい。

 

『乗客の皆様にお知らせします。この先の大牟田(おおむた)駅付近にて少数の小型幻獣が確認されております。現在鉄道警備隊が掃討中です。安全が確認され次第発車いたしますので、しばらくお待ちください』

 

 緊迫した口調のアナウンスに、客車のあちこちからざわめきがおこった。

 

「幻獣……!? こんなところに」

 

 一乃は目をしばたく。

 

「ふうん……なるほど、あそこだわ」

 

 叢雲が窓の外を凝視しながらつぶやく。一乃もそろそろと外を覗き込んだ

 

 

 暗闇の向こう数百m先、いくつものマズルフラッシュが断続的に(きら)めいている。

 

 探照灯の光に照らされ、奇怪な影絵のように異形の影がいくつも飛び跳ねる。

 

「あれは、ゴブリン…?」

 

 一乃がつぶやく。

 

 ゴブリンは体高1mほどのいびつな人型をした一つ目の小型幻獣だ。軽快に跳ねるように移動し、主にその発達した両腕に握られたトマホークで、寄ってたかって人間を引き裂く。

 飛び道具はもたず、武装した兵士ならば一対一では大した相手ではないが、とにかく数が多い。大陸の戦いでは、津波のように押し寄せるゴブリンの群れに、人類は何度も後退を余儀なくされている。

 

「ふん、前線はまだまだ先なのに、こんなとこまで浸透を許してるとはね」

 

 叢雲が目を細める。

 

 単体の幻獣としては最弱の部類に入るゴブリンだが、非武装の民間人では対処はほぼ不可能である。小型幻獣の後方への浸透は、大陸戦のころから人類にとって重大な脅威だった。

 

「とはいえ、大した数じゃなさそうね。あのぶんなら警備小隊で十分対処できるわ」

「わ、わたし達も援護した方がいいんじゃないかな」

「こんな拳銃(オモチャ)で? 陸さんの邪魔になるだけよ」

 

 声を潜めて囁きをかわしていると、ひときわ重い音とともに、これまでとは比較にならないマズルフラッシュが連続して瞬いた。重機関銃だろうか。曳光弾が連続して尾を引き、ゴブリン達が次々となぎ倒されていく。

 

「ほら、援軍もご到着だわ。この列車もいちおう防弾車両だろうけど、流れ弾が怖いから頭下げてなさい」

 

 ほどなくして銃火は徐々におさまり、あわただしくライトの光が行き交う様子が見て取れた。

 

『友軍により幻獣は掃討されました。進路上の安全が確認できましたので、当列車の運行を再開いたします』

 

 安堵の色が隠せないアナウンスとともに、列車が動き出した。

 

 

「まったく、とんだ足止めだったわね」

 

 叢雲はうん、とひとつ伸びをすると、座席に座りなおし、細い足を組んだ。

 

「あれが、幻獣なんだ……」

 

 一乃にとって、遠目とはいえ映像ではない実際の幻獣との戦闘を見るのは初めてだった。

 あの闇の中で、命をかけた戦いが行われていたであろうことを考え、一乃は小さく身を震わせた。

 

「そういう意味じゃラッキーだったかもね。安全な特等席で戦闘が見物できたんだから」

 

 肩をすくめてみせた叢雲だが、口調をやや改めた。

 

「覚悟はしておきなさいよ、一乃。鹿児島本線の線路際まで小型幻獣が出没するくらいだもの、陸の戦いは相当危ういわ」

 

 一乃にも叢雲の言うことは理解できた。

 

 鹿児島本線は西九州の大動脈であり、軍にとっては最重要防衛目標のひとつである。にもかかわらず、小型幻獣の浸透を防ぎきれていないという事実が、戦況を明確に表していた。

 

「まあ、陸の戦いは陸軍に任せるしかないわね。あんたの仕事は一日でも早く海の戦いに慣れることよ」

「……うん」

 

 知らずうつむく一乃。遠目とはいえ本物の戦いを見たことで、あらためて学兵として戦地に赴くことの現実を突き付けられた気がしていた。

 だが、叢雲はそんな彼女の肩をぐいとつかんで顔を寄せた。

 

「自信がないのは当たり前。怖気(おじけ)づくのも当たり前よ。最初から自信満々の怖いもの知らずなんて、単なる莫迦(バカ)。けどね、一乃。当面は弱気を見せるのは私の前だけにしなさい。内心じゃがたがた震えてても、見せかけだけでも冷静に、余裕綽々(しゃくしゃく)。それも指揮官の大事な仕事よ」

「叢雲……」

「胸を張りなさい。たとえ中身がなくてもね。あんたは私たち艦娘を率いる、『提督』になるんだから」

 

 車窓から見える空は、うっすらと白み始めていた。

 

 

 

 

 

「すごい混雑ね」

 

 列車から降りた一乃がつぶやく。

 

 早朝だというのに、熊本駅の構内は行き交う人間で混雑していた。そのほとんどが兵士や軍の関係者のようだ。強化装甲服ウォードレス姿の人影もあちこちに見受けられる。

 列車の後方、切り離された貨物車両からは次々と物資が運び出されている。

 

「熊本要塞の大動脈だもの。兵士に物資に、いくら運び込んでも足りないわ。それに…」

 

 叢雲が駅舎の外に目をやる。

 駅前のロータリーには、大きな荷物を持った人々が長い列を作っていた。老若男女様々だが、みな一様にどこか疲れた顔である。

 

「民間人の本州への疎開も進んでるみたいだしね」

「…そうね」

 

 そちらを見やった一乃が、ふとロータリーの一角を指す。

 

「あ、あれ、士魂号(しこんごう)L型じゃない?」

 

 6個の巨大な車輪が付いた、装輪式の戦車が数台、ロータリーの一角に並んでいた。

 

「確か九州にしか配備されてない戦車なのよね。初めて見たわ」

「私も見るのは初めてね。装輪式を主力戦車にするなんて、この戦いが最初から市街戦前提なのがよくわかるわね」

「え、そうなの?」

「……アンタにもわかるように思いっきり簡単に言うと、装輪式戦車はキャタピラ式戦車より悪路に弱くて装甲が薄いけど、そのかわり速度が速いの。道路が整備されていて遮蔽物も多い街中で戦うんだったら、機動力重視って上は判断したんでしょ」

「なるほど、そういうことなんだ。叢雲は物知りね」

 

 感心して何度もうなずく一乃に、叢雲はやれやれと首を振った。

 

「いくら陸のこととは言っても、軍人ならこのくらい常識レベルだからね。恥ずかしいから他の人に聞くんじゃないわよ。ほら、迎えの人も呆れてるじゃない」

 

 叢雲の言葉に振り向くと、海兵の制服を着た伍長が慌てたように敬礼をした。

 

「し、失礼いたします、少佐! 熊本警備府よりお迎えに参りました!」

 

 一乃は顔を赤くして答礼した。

 

 

 

 

 熊本警備府は熊本市中心部から西に数km、有明湾に突き出た人工島、熊本港に併設されている。元々は佐世保鎮守府所属のいち泊地に過ぎず、熊本港の敷地の片隅に存在する小さな施設だった。しかし、熊本要塞計画に伴い、急遽(きゅうきょ)独立した指揮系統を持つ警備府に格上げされ、佐世保鎮守府に代わって九州西岸の守りを担うほどの規模となっていた。

 

 一乃と叢雲を乗せた高機動車は陸地から数百メートルの大橋を渡り、人工島へと入る。未だ拡張工事の最中なのか、警備府の敷地の周囲ではクレーンなどの重機が何台も稼働し、工事の騒音が響き渡っていた。埠頭には護衛艦と思しき艦艇も係留されている。

 無骨なコンクリート造の庁舎の前、高機動車から降りた二人に近づく人影があった。

 

「田村少佐、お待ちしておりました。熊本警備府第一秘書艦、長良型軽巡4番艦由良(ゆら)、個体識別番号五五一号です」

 

 

 長い灰白色の髪を後ろでポニーテールにした少女が、きびきびとした動作で敬礼した

 

「本日配属になりました田村です。お迎え恐れ入ります。」

 

 答礼する一乃。叢雲も答礼するが、ふっと表情を緩めて由良に笑いかけた。

 

「同じく本日配属になった。特型駆逐艦5番艦叢雲、個体識別番号五九二号よ。…しばらくね、由良」

「やっぱり、あの叢雲ね。お久しぶり、元気だった?」

 

 親しげなやりとりに、一乃がきょとんとする。

 

「叢雲と由良さんは、お知り合いなの?」

「そ、同じ艦隊にいたわけじゃないけど、遠征や共同作戦で何度か顔を合わせたことがあるわ。駆逐艦と軽巡は何かと一緒に動くことも多いしね」

「少佐さんの秘書艦として叢雲が来ると聞いていたので、もしかしたらとは思ってましたけど」

 

 由良は優しげな口調で微笑んだ。

 

「少佐さん、この叢雲が秘書艦なら、安心ですよ。戦闘経験は十分ですし、この前の作戦だって……」

「由良、褒めてくれるのは嬉しいけど、あんまりあんたの提督を待たせても悪いんじゃないの?」

「あ、いけない」

 

 叢雲が苦笑して由良の言葉を遮り、由良は一つ咳払いをする。

 

「田村少佐、失礼しました。どうぞこちらへ。警備府長官がお待ちです」

 

 

 

 外の騒がしさと違い、警備府の庁舎内はひっそりとしており、あまり人影がなかった。

 

「申し訳ありません。本来でしたら長官への申告の後で、警備府艦隊の主だった艦娘が少佐さんにご挨拶する予定だったんですけど、今朝がた五島列島の沖合に深海棲艦隊が接近中との情報が入りまして……警備府直属艦隊のほとんどが出撃してしまっているんです」

「警備府の直属艦隊が出撃するということは、それなりの規模の敵なんですか?」

「ええ。対馬海戦からはしばらくは深海棲艦も目立った動きはなかったのですが、最近になってまた、まとまった艦隊が出没するようになってきました」

 

 そんな話をしながら歩を進め、ほどなく3人は、長官執務室と書かれた扉の前に立っていた。

 由良が扉をノックする。

 

「長官、田村少佐をお連れしました」

 

 中から返事が聞こえたのを確認し、由良は扉を開けて一乃を促す。

 

「どうぞ、田村少佐」

 

 一乃は軽く息を吸うと士官学校で習ったとおり、「入ります!」と声を上げて室内へ足を踏み入れた。叢雲が後へ続く。

 部屋の中、執務机から立ち上がった人物と正対し、敬礼する。

 

「申告いたします! 日本自衛軍陸軍関東方面軍所属学兵、田村一乃百翼長は、日本自衛軍海軍出向を命じられ、館山士官学校にて第1期提督速成特別課程を修了し、本日付けをもって海軍臨時少佐に任命され、熊本警備府勤務を拝命しました!」

「館山士官学校所属特型駆逐艦5番艦叢雲、個体識別番号第五九二号は、本日付けをもって熊本警備府配置を拝命しました」

 

 申告を受け、二人の前に立つ海軍大佐の階級章をつけた人物はうなずくと、手振りで休めの姿勢を促した。

 

「館山からの遠路ご苦労だった。熊本警備府長官を拝命している原口だ。以後よろしく頼む。田村少佐、叢雲」

 

 原口長官は中背だががっしりとした体格をした五〇半ばの軍人だった。半ば白髪が混じった髪、日焼けした顔に引き結んだ口元が厳しさを感じさせる。

 

 原口は2人に執務室の一角の応接セットのソファを勧める。3人が腰かけると、手際よく由良がコーヒーを運んできた。

 

「例によってまずい代用コーヒーですまないが、まあうちの秘書が淹れたものだからそこそこ飲めるはずだ」

 

 すすめられて一乃はコーヒーに口をつける。確かに代用コーヒー独特の風味がしたが、原口の言うとおり淹れ方がよいのか、おいしい、と思えた。

 

 このご時世、本物のコーヒーはなかなかの高級品である。かつての主要なコーヒー産地のほとんどが、現在では幻獣や深海棲艦の手に落ちているからだ。

とはいえ、海軍大佐、特に警備府長官ともなれば、入手はさほど難しくはないはずである。あえて代用コーヒーを出すあたりが原口の人柄を感じさせた。

 

「それにしても、ずいぶんとまた長い申告だったな、田村少佐。よくおぼえきれたものだ」

「は、はい…」

 

 一乃は顔を赤らめた。実際、おぼえるのに少々苦労した身である。

 

「まあ、学兵提督の()えある第1期生だからな。前例のない身分ともなれば、そうなるのもやむをえんか」

 

 この時代の『提督』とは艦娘を指揮運用する能力を持った軍人を指す。しかし、艦娘の指揮運用には先天的な適性が必要であり、提督としての適性を備えた人間は非常に稀少だった。このため、適性を持つ者はその大半が海軍へ『志願して』入隊する。彼らは海軍士官学校で約3年間の特別教育を受けた後、海軍少佐として各地に任官、艦娘を指揮することになる。

 士官学校を出ていきなり少佐の階級を与えられるのは、仮にも『艦隊』を率いるからであり、なかば名誉階級に近い。

 

 

 だが、一乃たち『学兵提督』の場合は少々事情が異なる。

 

 対馬海戦で多くの提督が戦死したことにより、提督の補充は海軍にとって急務となった。そこで海軍上層部が目をつけたのが、学兵制度である。

 

 通常、提督の適性を持つ者は、18歳の徴兵規定年齢となってから海軍士官学校に入学する。だが、学兵制度が施行されれば、18歳未満の提督適性者であっても、学兵として徴用することが可能となる。

 これにより、提督の適性を持つ少年少女に速成教育を施し、提督として任官させる、『学兵提督』が誕生することとなったのである。

 

 

『臨時少佐』なる怪しげな階級も、学兵提督のために用意されたものだった。

 

 

「それにしても、1種軍装は支給されていないのかね?」

 

 原口は一乃の白い軍服を見て不思議そうに尋ねる。

彼自身が着用しているのは濃紺の海軍1種軍装だ。日本自衛軍海軍においては、白の2種軍装は夏季の制服だった。

 

「はい…いいえ、その、これは海軍2種軍装ではなく、学兵提督の制服なんです。文部省から支給されていまして……」

 

 一乃がしどろもどろに答える。

 

 学兵達は学籍のまま召集されており、その所属は文部省であるが、実戦においては防衛省――実質的には学兵が配属される自衛軍陸軍───の指揮下に入る形になる。

 このため学兵提督は、文部省に所属していながら自衛軍陸軍の指揮下にあり、かつその上で海軍へ出向して提督として任官しているという、非常にややこしい身分となっていた。

 

 先ほど原口が指摘したように、彼女の長い申告は身分の複雑さも示している。

 

「なるほど。よく見れば2種軍装とは細かい部分が違うな。九州総軍の制服も白だし、白い方が映える、とでもお役人が考えたかな」

 

 原口が感心したように言う。

 

「しかし、田村少佐、気をつけたほうがいい。私も夏は2種軍装を着ているからわかるが、白い制服は汚れが目立ってな。それこそコーヒーでもこぼしたら台無しだ」

 

 一乃は思わず手に持ったコーヒーカップを両手で押さえた。

 原口が笑う。笑うと厳しい口元が緩み、ずいぶん人の良さそうな顔になることに、一乃は気づいた。

 

「いや、すまん。おどかすつもりではなかったのだが。……さて、では本題に入るとしようか」

 

 由良が、進み出て一乃の前に数枚の書類を並べた。

 

「田村少佐、君には新編艦隊を率いてもらうことになる。本来ならば艦隊の発足式その他をするところだが、見てのとおり当警備府自体が突貫工事もいいところでね。すまないが省略ということにさせてもらいたい」

 

 一乃は「失礼します」と断り、テーブルの上に広げられた書類を手に取った。書類の表題には『熊本警備府所属第816艦隊』と書かれていた。

 

「軽巡1名に駆逐艦が叢雲を含めて3名……水雷戦隊でしょうか」

「そうだ。1個艦隊の定数6名には足りんが、欠員は都合がつき次第補充する。駆逐艦2名は建造から間もないが、軽巡はそれなりの実戦経験を積んだ艦娘を配置する。君の秘書艦ともども、隊の核にするといいだろう」

 

 由良が手際よく熊本要塞の地図を広げる。原口は地図の西側、つまり九州西岸部を指しながら続けた。

 

「816艦隊の主任務は沿岸部の哨戒、警備だ。具体的には主に天草灘(あまくさなだ)と島原湾の哨戒を担当してもらうことになる。上天草(かみあまくさ)市の大矢野島(おおやのじま)港湾監視所に隊舎を用意した」

 

 一乃はじっと地図を見やった。熊本市の西南から尻尾のようににょっきりと突き出た宇土半島、その先に続く天草諸島。なるほど、この場所なら島原湾、天草灘と八代湾の両方ににらみを利かせられる。周囲は海のため、飛行型を除いて幻獣の接近は困難であり、とりあえずは深海棲艦との戦いを考えればよいだろう。

 

「島原湾、天草灘は熊本からの海の玄関口だ。ここの安全を確保することは熊本防衛上、極めて重要となる。深海棲艦を相手にする際は他の艦隊とうまく連携してもらうことになるだろう」

 

 原口は顔を上げると、一乃の眼を見て言った。

 

「今日の情勢では艦娘も、提督も貴重だ。田村少佐、くれぐれも無理はしないようにしてくれ」

「了解しました」

 

「叢雲も、秘書艦として少佐をよく補佐してやって欲しい」

「言われるまでもありません」

 

 原口は二人の返事にうなずくと、壁にかけられた九州中部域戦線全体の戦況図を見やった。

 

「816艦隊の発足をもって、熊本警備府艦隊計15個艦隊が揃うことになる。我々の目的はただ一つ、5月の自然休戦期までの3か月間熊本の海を守り抜くことだ」

 

 戦況図には原口の、いや由良の手によるものか、地図のあちこちに几帳面な字で、陸海の最新の戦況が書き込まれているようだった。

 

「陸軍も幻獣の圧倒的な物量を相手に、あらゆる戦力を投入して防衛にあたっている。学兵もその例外ではない。我々が粘れば粘るほど、陸の戦いが楽になる。……子供たちを守る助けにもなる」

 

 原口は一乃の方を見て、気が差したようにかぶりを振った

 

「いや、いまさら貴官に言うべきことではなかったな。田村少佐、貴官の勇戦に期待する」

「はっ! 微力(びりょく)を尽くします!」

 

 一乃は立ち上がって敬礼した。

 

 

 

 

 

 上天草(かみあまくさ)市は熊本市内から西南に約50km、車でなら1時間半ほどの距離にある。

 海軍大矢野島(おおやのじま)港湾監視所は、上天草市の西南、島原湾に面した海辺にあった。

 

 港湾監視所の敷地に入り、警備府の高機動車から降りた一乃と叢雲の前に3人の少女が並び、一斉に敬礼した。

 

球磨(くま)型軽巡5番艦木曾(きそ)、個体識別番号第五七一号」

 片目を黒い眼帯で覆った少女が不敵に笑った。

 

睦月(むつき)型駆逐艦8番艦長月(ながつき)、個体識別番号第一〇一二号!」

 三日月の形の髪飾りをつけた少女が、生真面目に背筋を伸ばす。

 

(あかつき)型駆逐艦2番艦(ひびき)、個体識別番号第一〇二一号…」

 黒い帽子をかぶった少女が、落ち着いた口調で申告する。

 

「以上3名!本日付けで第816艦隊に配置されました!」

 

 黒い眼帯の少女――木曾が代表して申告し、一乃は丁寧に答礼する。

 

「本日付で第816艦隊司令を拝命しました田村です。こちらは秘書艦の叢雲。館山士官学校より配属となりました。以後よろしくお願いします」

 

 ちょっと言葉を切って叢雲のほうをちらりと見る。叢雲がかすかに頷く。

 

「……それから、わたしに対しては『普段どおり』の言葉遣いで結構です。――わたしも、そうさせてもらうわ」

「はっ―――それじゃ遠慮なく、提督のご命令のとおりにさせてもらおうか」

 

 木曾が姿勢を崩して首を回した。

 

 それを横目で見た長月は少し迷ったようなそぶりを見せた後、休めの姿勢をとった。

 

「あー、それでは、改めて。長月だ。よろしく頼む、司令官」

「こちらこそよろしくね、長月」

 

 一乃は微笑んだ。

 

 この時期、大半の艦隊において艦娘たちの艦隊司令に対する言葉遣いは『黙認』されている。

 大戦中の軍艦の記憶を持つとされる彼女たちからすると、軍隊式の上下関係に準じた敬語はどうも馴染まないらしい。乗員であった旧軍の軍人達はいわばパートナーではあるが、上官でも部下でもなかったからだ。また、彼女たちの性格、言葉遣いは彼女たちの自己認識の形成に関わっており、無理に矯正をすると精神安定に悪影響を与えるという学説もあった。

基本的にほとんどの艦娘は司令官の命令に忠実に従うし、礼儀や上下関係もおおむねわきまえている。

 言葉遣いくらいは、というのが多くの現場の提督の方針だった。

 

 

「聞いてはいたけど…やっぱり学兵なんだ」

 

 興味深そうにこちらを見る響に一乃は向き直る。

 

「ええ。だから少佐といっても『臨時』少佐なの。私の本来の階級は百翼長。それだって、文部省が海軍に出向させるにはある程度の階級が必要だからって、無理やり2階級も特進させただけだもの。」

 

「2階級特進の前渡しってか? 縁起でもないな」

 

 木曾の端的(たんてき)な感想に、長月が一瞬ひやりとした表情を浮かべるのがわかる。

 

 一乃は一瞬考え、そしてことさらおおげさにふき出してみせた。

 

「本当にね。でも、すでに一度死んでるんだったら、二度死ぬことはない、そう考えることにしてるわ」

 

「……なるほど、確かにそうだな」

 

 木曾は一乃の目を見てにやりと笑った。

 

 

「いつまでも立ち話というのもなんだし、とりあえず、一乃に隊舎を案内してもらえるかしら?」

 

 叢雲が、口を挟んだ。

 

「それもそうだな。ま、これからよろしくな、提督」

「こちらこそ、木曾」

 

 響もね、となおこちらを興味深げに見る響に、一乃は笑いかける。

 

「では、まずは艦隊司令執務室に案内するよ。こっちだ、司令官」

 

 長月が先に立って歩きだし、一乃はそのあとに続く。

 

 

 

 

 埠頭に打ち寄せる波が、夕日を反射してきらきらと光っていた。

 

 

 

 

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