かんパレ ~波濤幻想~   作:しょっぱいいぬ

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第3話 出撃準備よろし

 熊本警備府は、対馬海戦において戦力の大半を喪失した佐世保鎮守府の代替として、設立された。

 ただしその任務は九州西岸の守備、言い換えれば熊本要塞の海の守りに特化されている。他に佐世保鎮守府の管轄であった九州北部海域の守備や沖縄諸島へのシーレーン確保などは、呉鎮守府が代行することとされていた。

 熊本警備府の戦力の母体となっているのは旧佐世保鎮守府所属の艦娘たちである。佐世保の戦力は対馬海戦で大幅に減少していたため、九州各地の泊地、要港部に所属していた艦娘たちがかき集められた。

 急造の警備府に残存戦力を寄せ集め、何とか自然休戦期まで時間を稼ぐ。その間に佐世保鎮守府の戦力を回復させ、自然休戦期明けに陸軍と協働して九州南部の奪回作戦を仕掛ける、と言うのが自衛軍の方針だった。

 この時期の自衛軍の公文書にも、おおむねこの(むね)の記述がみられる。

 

 

 

 ――― 少なくとも、この年の3月頃までは。

 

 

 

 

 

1999年2月22日 第816艦隊隊員寮202号室 〇六一〇

 

 

 雪に閉ざされたウラジヴォストーク港に、穏やかな冬の日差しがきらきらとさしかけている。

 埠頭にはソヴィエト連邦太平洋艦隊の艦艇が並び、水兵たちが甲板の上を忙しく行き交う。

 

 ああ、また夢を見ているな、と響は思った。軍船の記憶、駆逐艦『響』の記憶。艦娘『響』ならみんな等しく持っている記憶だ。もっとも、このころは別の名前で呼ばれていたけれど。

 

 甲板をデッキブラシで磨く兵たちの笑いあう声が、海鳥の声とまじりあう。湾内の穏やかな波が『響』の船体(からだ)を揺らす。生まれ故郷とは人も言葉もずいぶん違うけれど、この穏やかな時間は変わらない。

 

 港の埠頭に、母親に連れられた小さな男の子が立っている。よく港に(フネ)を見に来る子だ。なぜか『響』がお気に入りらしい。くるくると巻く金色の髪に、寒さで赤くなったほっぺ。きらきらとした目で『響』の方を飽きずにずっと眺めている。ときおりこちらを指差して何か熱心に言い、優しそうな母親がうんうんと頷く。

 

 

 あの子は、現在(いま)どこでどうしているのだろう。だってここ(ウラジヴォストーク)はもう―――

 

 

 

 そこで、目が覚めた。カーテンの隙間から日が差し込んでいる。響はしばし天井を見つめた後、ベッドの上に上半身を起こした。

 第816艦隊隊員寮、響の個室である。部屋は意外とゆったりとした造りで、広さだけなら警備府の寮よりも広いな、と配置された時思ったものだ。

 

 響はひとつ頭を振って夢の残滓(ざんし)を追い出すと、ベッドから出る。

 今日は確か艦隊に各種資材が搬入されるはずだ。司令官はそれが済んだら射撃訓練を行うと言っていた。準備は着々と整ってきている。816の初陣もそう遠くはないだろう。

 ひとつ大きく伸びをする響。ふと、机の上に何枚も重ねられた紙に目を止める。昨夜はこの作業にかかりきりで少々遅くなってしまった。が、その分納得の出来になった。一枚とってのぞきこみ、響は満足げに頷く。

 それから、顔を洗うために洗面室に向かった。

 

 

 

 何台もの貨物トラックが横付けされ、次々と段ボール箱やドラム缶が荷卸しされ、保管庫へとおさまっていく。

 作業員達のてきぱきとした動きに、第816艦隊司令田村一乃臨時少佐は感心して見とれていた。

 保管庫内の作業台の上では、弾薬や鋼材が、ひとりでに箱から取り出され、また箱に戻されている。一見オカルトな光景だが、それは一乃にそう見えているだけだ。いまその作業台の上では、妖精たちが運び込まれた資材を検品しているのである。見る者が見れば、手のひらに乗るサイズの3頭身の妖精たちが、一生懸命走り回っているのが視えるはずである。……それはそれでオカルトな光景といえるかもしれないが。

 

 何とか妖精たちの姿を(とら)えようと目を凝らす一乃に、す、と横から書類が差し出された。

 

「田村少佐、燃料、弾薬、鋼材。各種資材の納品の伝票です。ご確認ください」

 

 長良型軽巡4番艦、由良がふわり、とほほ笑んだ。

 

『資材』は艦娘の戦闘に必要な物資の総称である。燃料や弾薬などと呼ばれているが、通常兵器に用いられるそれらとは根本的に異なる物質だ。その成分や製造法は例によって軍事機密として厳重に秘匿(ひとく)されている。これらの資材が欠乏すると、艦娘はその性能を大きく落とすことになる。

 

「ありがとうございます。わざわざ警備府第一秘書艦に来ていただいて、恐縮です」

「いえ、長官からも何かご不自由はないか、よく聞いてくるように言われています。何かありましたらご遠慮なく申し付けてください」

 

 姿こそ優しげな年若い少女だが、由良はかなりのベテラン艦娘のはずだ。戦闘力だけでなく、事務能力や参謀としての資質がなければ秘書艦は務まらない。ましてや、原口長官の信頼する警備府の第一秘書艦なのだから、彼女の優秀さは()して知るべしだった。

 

「今回の納入分で当座に必要な資材量はあるかと思います。とはいえ、新編艦隊ですし、長官も出撃を焦る必要はないとおっしゃっていました」

「ありがとうございます。でも、出撃できる態勢はすぐにでも整えます。わたし達だけいつまでも後方でのうのうとしているわけにはいきませんから」

「……ご立派です、少佐さん」

 

 由良は微笑む。励ますような笑顔に、一乃は少々気恥ずかしくなった。

 

「今日は、これから訓練ですか?」

「ええ、弾薬も搬入されましたし、射撃訓練を行う予定です。隊員のみんなもそうですけど、わたしも射撃管制の調整をしないといけないので」

 

「もしよろしければ、見学させていただいてもいいでしょうか?」

「え……?」

 

 由良の意外な言葉に、一乃は目を瞬いた。

 

 

 

 

 

「それで、由良がいるわけか」

 

 埠頭に立ってにこにことこちらに手を振る由良を見て、艤装を装備し海上に立つ長月はなんだかなー、という顔になった。

 

『うん。816の仕上がり具合を見てくるようにって、長官からのご指示みたい』

「なるほどな……」

 

 しかし、由良に見られながらの訓練は少々緊張するな、と長月は内心思った。

 由良は原口長官とともに南方から異動してきた艦娘である。長月が警備府で一緒だった期間はほんの2か月あまりにすぎないし、秘書艦として忙しい身の由良とはそれほど接点があったわけではない。それでも、彼女が戦闘力と事務能力を兼ね備えた優秀な艦娘であることはよく知っている。

 

『頑張ってここで『準備万端、いつでも出撃できます!』ってところを見せないとね』

「――― ああ、そうだな。その通りだ、司令官」

 

 もう少し()れた提督なら、このような馬鹿正直な物言いはしないだろう。なるべく訓練を引き伸ばして、少しでも艦隊の編成期間を稼ぐはずだ。新米少佐ならではの気負(きお)いと言えばそれまでだが、長月は一乃の生真面目さを好ましく感じた。

 

 と、埠頭に立つ由良に木曾が片手をあげて歩み寄っていくのが見えた。何やら談笑している。そういえば木曾も、もともとは南方からの異動組だったな、と長月は思いだした。

 

『司令官、標的の配置が完了した』

 

 射撃訓練の準備をしている響から通信。

 

『それじゃ、長月、準備はいい?』

「大丈夫だ。いつでも行ける、司令官」

『了解。艦隊運用開始』

 

 艤装と艦隊司令部のデータリンクが形成され、各種兵装のロックが解除される。

 

『10秒後に訓練を開始します。……4,3,2,1、状況開始!』

 

 一乃の合図と同時に、艦隊司令部から海上の進行ルートと標的の位置情報が送信されてくる。

 

 

「よし、長月、訓練を開始する!」

 

 

 長月は主機の出力を上げ、一気に30ノット超まで加速した。

 最初の標的を確認。右手に装備した12cm単装砲をひと撫ですると、長月は眼前に砲を突き出した。

 

「砲撃開始!」

 

 12cm砲が火を噴き、標的のやや前方に水柱が上がる。弾着の位置を確認し、すぐさま誤差を計算、さらに艦隊司令部から送信される射撃管制データと照合し照準を修正。間をおかず放たれた2射目は見事、標的を粉砕した。

 

 艦娘の武装は旧軍の軍艦に搭載されていた武装と同じ名を持つ。()()()はそのままに、艦娘が携行できるほどに小型化した、といった外見である。

 もちろん、元となった艦砲等と同じ威力を持つわけではない。ないのだが、そのサイズからは十分にあり得ないほどの威力を誇る。戦艦娘の大口径主砲などは、主力戦車の戦車砲をしのぐ威力を持つほどだ。また、提督による弾道計算他の高度なサポートにより、砲雷撃の正確さは旧軍時代の軍艦とは比較にならないほど向上している。とはいえお互いの(まと)の小ささも比較にならず、そうそう当たる物ではないという点はあまり変わらない。

 結果として深海棲艦と艦娘の間では、海上30ノット超の速度での目まぐるしい高速砲撃戦が繰り広げられることになる。

 

 長月は高速でターンしながら、12cm砲を連射する。標的の至近に連続で着弾するも、直撃には至らない。舌打ちしつつも、すぐ頭を切り替えて次の標的へ。今度は初弾から命中した。すかさず身をひるがえして最後の標的へ照準。1発、2発、3発目で標的は粉々に吹き飛んだ。

 

『状況終了。長月、おつかれさま』

 

 指定された訓練ルートを航行し(走り)きり、長月は深呼吸して息を整える。

 

『標的の破壊率、8割以上。すごいわ』

「まだまだ、だ。2割近くは外している。それに、浮かんでいるだけの標的(ダミー)相手だからな」

 

 一乃の賞賛に、長月は首を振って答えた。

 

「だが、司令官のサポートは的確だった。ずいぶんと動きやすかったよ」

『ありがとう。でも、わたしもまだまだよ。射撃管制がよければ、長月の命中率ももっと上がっただろうし』

「そうか。では、お互いまだまだ向上の余地あり、ということにしておこうか」

 

 仮にも艦隊司令官相手に、気安すぎる物言いかな、とも思ったが、一乃は気を害した様子もなく、『そうね』と笑った。

 

『司令官、標的の再設置を始めてもいいかい?』

『うん、お願い。次は響の番ね』

 

 響からの通信が入り、一乃が答える。長月も準備を手伝うべく、隊舎の方に航行する。

 

「しかし……この標的は響が用意してくれたのか?」

 

 現在使用している標的は、適当な廃材や発泡スチロールを寄せ集め、想定座標の海面に浮かべただけの物である。鎮守府などではセンサーを内蔵した専用の訓練用標的なども使用しているが、前線の小規模艦隊にはそんなものを用意する余裕はない。日常の訓練だったらこれでも十分である。

 

 その手作り感ただよう標的には、マジックペンで何やら角が生えて牙をむき出した怖い顔の女と、『ぶらーじぇすきぃ・からーう゛ぃ(敵艦)』と書き込まれた紙が貼り付けられていた。

 

『そうだよ。この方が実戦をイメージしやすいだろう?』

『うん、いいアイディアよね』

「あ、ああ……そうだな」

 

 どちらかというと、先日警備府で行われた節分の豆まきを思い出した、とは言わないでおこう。と長月は賢明にも思った。

 

 

 

 

 

「ご苦労さまね、由良」

「叢雲」

 

 艦隊隊舎の入り口で、由良はばったりと叢雲と鉢合わせた。

 

「そろそろお帰りかしら?」

「ええ、長月と響の様子も見せてもらったし、田村少佐にご挨拶だけさせてもらおうと思って」

「そう。長官にいい報告はできそうかしら?」

「そうね、二人ともいい動きだったわ。田村提督の艦隊運用も問題なさそうだったし、すぐにでも実戦に出られそうね」

「長官の思惑はどうあれ?」

「……そういじめないで」

 

 由良は苦笑した。叢雲はひょいと肩をすくめる。

 

「そんなつもりじゃないわよ。お互い、秘書艦は楽じゃないってこと。そうでしょ?」

「それは同意するけど……」

 

 由良はふと唇に指を当てて言った。

 

「そうね、ひとつ言っておくわ。木曾にね、聞いてみたの。田村少佐はどう?って。そうしたら怒られちゃったわ」

「木曾に?」

「ええ。『あのなあ、俺はもう816の艦なんだぞ。つまらないことを聞くな』って」

「……そう」

 

 叢雲は言葉少なにうなずく。

 

「辛いところよね、お互いに。……それじゃあね、また来るわ」

 

 そう言ってすれ違う由良の背に、「戦闘指揮室は地下の突き当たりよ」と声がかかる。

 振り向くと、叢雲は肩越しに手を振りつつ、埠頭へと歩いていくところだった。

 

 

 この日の射撃訓練は、夕刻まで続けられた。

 

 

 

 

 

 

 第816艦隊の隊員寮は隊舎から徒歩30秒の距離、つまりすぐ隣に建てられている。

 鉄筋コンクリートの四角い3階建ての建物であり、そっけない外見だが、作りは意外としっかりしていた。

 1階の半分が食堂や浴場などの共有スペースであり、1階の残りと2,3階が隊員の居室となっている。洗面室やトイレは共用だが、各居室は比較的余裕をもって造られており、各部屋を個室として使用しても最大2艦隊、12名が入居可能である。

 

 1階の食堂兼談話室も、1度に10人以上が食事を取れる広さがあった。ただし、今は住人が艦隊司令以下5名しかいないため、少々寂しい、といえるかもしれない。

 それでも、816艦隊の面々は、夕食後のくつろぎの時間を思い思いに過ごしていた。

 

「あっ……」

「おい、あぶないぞ、提督」

 

 椅子から立ち上がった途端ふらついた一乃の腕を、木曾がつかんでいた。

 

「あ、ありがと。木曾」

「気をつけなさいよ、一乃。アンタただでさえとろいんだから。艦隊運用の後は急な動きは控えなさい」

 

 羊羹を切った皿を卓の上に乗せながら、叢雲が注意する。

 

 艦隊運用時、提督は神経接続によりネットワークと脳を直結し、膨大な情報を処理する。個人差や慣れはあるが、長時間の神経接続は脳にかなりの負担をかけることとなる。今日は特に半日ずっと射撃訓練を行っていたため、一乃の脳にはそうとう疲労がたまっているはずだった。

 

「大丈夫かい、司令官?」

「うん、ありがとう響。何度か神経接続しているうちに、脳が少しずつ適応していくはずだから」

 

 一乃はそう言うと手に持ったマグカップに緑茶のティーバッグを入れ、備え付けの電気ポットから湯を注ぐ。安物の茶でも、胃に入ればとりあえず体をあたためてくれた。

 食堂に置かれた型遅れのブラウン管テレビでは、学兵部隊の特集が流れていた。お決まりの突撃行軍歌(ガンパレード・マーチ)とともに、学兵の駆る装輪式戦車、士魂号L型が勇ましく突撃し、一斉砲撃で中型幻獣ミノタウロスを撃破する。

 

「雑な編集だな」

 

 木曾が一言で斬り捨てた。

 学兵戦車隊の映像と、爆散するミノタウロスの映像では、明らかに周囲の風景が異なる。少し注意をして見ていればわかる、いい加減な造りの戦意高揚番組だった。

 

「陸では学兵がろくな訓練もされず、次々と投入されているらしいな。あんな風に見事に戦車を操れる学兵部隊が、果たしていくつあるのか……」

 

 長月がテレビを見ながら言った。

 

「熊本の学兵の訓練期間は6か月だったかしら?」

「当初はな。その後、1か月減り、2か月減り、今の訓練期間は1か月まで減らされている。もっとも、その訓練期間もなかば守られていないらしい。当然、戦力としては当てにならず、本当にただの数合わせとして投入されていると聞いた」

「そうなんだ……」

「っ、いや、司令官も学兵だったな、すまない」

「気にしないで。……わたしも提督適性がなかったら、今頃ああいう学兵部隊に配属されていたんだろうけど」

 

 羊羹をひとつつまむ。甘い。

 テレビの中では士魂号L型に搭乗した女子学兵が凛々しく敬礼していた。

 

堅田(かただ)女子……熊本市内の学校だね」

「すでに実戦にも投入されているそうよ。女子学兵は戦車兵が多いらしいわね」

「戦車兵が?」

「ええ。女子の方が小柄だから狭い車内に向くし、男子よりも粘り強く戦う、なんて説もあるみたいよ」

「へえ、そうなんだ」

 

 叢雲と響の会話を聞きながら、一乃はぼんやりと茶をすすった。召集され、戦車兵となった自分を想像してみる。申し訳程度の訓練期間で戦車に乗せられ、幻獣との戦いの最前線に放り込まれる。仲間は一人減り、二人減り、そして……ひとつ身を震わせ、一乃はかぶりを振った。自分はここで、のんきに何をしているのだ。

 

「……ごちそうさま。そろそろ、部屋に戻るね」

 

 茶を飲みきり、今度はゆっくりと立ち上がる。その背に声がかかった。

 

「一乃、焦るんじゃないわよ」

「……え?」

「陸は陸、海は海、アンタはアンタよ。あんたはただ、816と自分のことだけ考えてなさい」

「……わかってるわよ、それじゃあ、みんな、おやすみ」

 

 一乃はそう言って背を向け、2階の自室へと向かった。

 

 

 

「……といって、わかってないわね、あれ。部屋に戻ったらさっそく仕事してるわよ。おおむね素直だけどへんなとこ頑固だから」

 

 叢雲が羊羹をつまみながらため息をつく。

 

「まあ、新米少佐はそんなもんだろ。最初から(はす)に構えてるよりはいいさ」

「叢雲は司令官のことをよくわかっているんだな」

「士官学校の間、一緒だったからね。軍機だから詳しくは言えないけど、それこそおはようからおやすみまで、24時間一緒だったわ」

「その、提督速成特別課程、というのはみんな君のように最初から秘書艦がつくのかい?」

「ええ、秘書艦の先払いね」

「なるほど。最初から秘書艦とコンビで学べるわけか。確かに合理的だな」

 

 長月が感心したようにうなずく。

 が、叢雲は肩をすくめた。

 

「まあ、私と一乃はうまくいった方よね。……お互いの相性がいまいちだったコンビは、あまり愉快じゃないことになったわ」

「なるほど……」

 

 全員がそろって顔をしかめる。艦娘の立場からすれば、提督との相性が合わないというのは非常に深刻な問題である。艦隊運用はある意味お互いの感覚を共有するにも等しいため、信頼関係がとにかく重要となるのだ。

 

「ま、一乃がこの先どうなるかはみんな次第ね。甘い顔しないで、せいぜいかわいがってやって頂戴(ちょうだい)

 

「秘書艦兼艦隊参謀兼先任軍曹殿は大変だな」

「さりげなく先任軍曹役まで押し付けないでくれるかしら? その辺は木曾に任せるわよ」

 木曾の混ぜっ返しに、叢雲は澄まして答えた。

 

 

 

 

 

 くしゅん。

 

 一乃は自分のくしゃみで目を覚ました。

 もたれていた机から身を起こす。どうやら書類を書きながら眠ってしまったらしい。時計を見ると深夜の1時だった。肌寒さを感じ、ぶるり、と身を震わせる。まもなく3月とはいえ、まだまだ夜は冷える。日頃から体調管理については、叢雲に口うるさく注意されている。風邪でもひいたら何を言われるかわかったものではない。

 静かに部屋の扉を開ける。深夜の寮の廊下は、しんと静かだった。

 足音を忍ばせて洗面室へ。コップに水を汲み、あおる。

 窓の外からは波の音が聞こえる。そういえば、熊本に来てからなんだか波の音がずいぶんと複雑に聞こえる。館山でもさんざん聞いていたはずだけど、土地が違うと波の音も違うのかな……などとぼんやりと考える。

 

 窓を押し開けると、冷たい空気とともに潮の香りが吹き込んでくる。

 

 闇の中にたゆたう海を、一乃はじっと見つめた。

 

 

 

 

 第816戦隊に出撃の命令が下ったのはこの2日後、2月24日のことだった。

 

 

 

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