かんパレ ~波濤幻想~   作:しょっぱいいぬ

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第4話 初陣

 人類の海の天敵を、深海棲艦(しんかいせいかん)という。

 幻獣と同じく、黒い月の出現と同時に出現したこの存在は、世界大戦にて急速に発達した人類の海上戦力をもってしても、対抗の難しい力を持っていた。

 いびつな魚類のような物からヒトに近い姿をしたモノまで。それらが一様に備えていたのは、自らよりはるかに巨大な軍艦とも渡り合える火力、速力、耐久力。そしてなにより圧倒的な数だった。深海棲艦の出現により、シーレーンは各地で寸断され、海はもはや人類にとって安全な場所ではなくなった。それは長大な海岸線を有する沿岸国ほど大きな脅威であり、島国などその最もたるものだった。

 

 時を同じくして艦娘が現われていなければ、日本はとっくに滅びていただろうというのが、専門家たちの共通した見解である。

 

 

 

1999年2月24日 〇五二三 第816艦隊寮2階206号室

 

 

 多目的結晶が情報を受信。

 一乃の意識が、急激に浮上した。窓の外はまだ暗い。

 布団にくるまったまま寝ぼけ眼で多目的結晶を確認する一乃だったが、その動きが止まる。ゆっくりと、表情がこわばっていった。

 

 ―――来た―――ついに―――

 

 身を起こして情報を確認。

 

『第816艦隊出撃命令。敵艦隊迎撃任務』

 

 この場で確認できるのはこれだけだ。細かい内容は司令部端末で確認しなければならない。

 急いでベッドから降りて立ち上がろうとしたところで、膝がどうしようもなく震えるのに気付いた。

 

 大丈夫……そのために、半年間とはいえ、館山できびしい訓練を積んできたんだ。大丈夫……

 

 自分に言い聞かせる。

 

 部屋のドアが、ノックされた。

 

「一乃? 起きてるわね?」

 

 聞きなれた声。叢雲の声だった。

 

「3分、あげるわ。1分間、深呼吸したら、2分で支度して艦隊司令室まで来なさい」

「……うん」

 

 いつも通りの、そっけない声。だが、そのそっけない声が不思議と、震えを鎮めてくれた。

 

 一乃は言われた通りたっぷり1分間深呼吸し、それから大急ぎで着替えはじめた。

 

 

 

「作戦内容を伝達します」

 

 艦隊司令室に並んだ隊員4名を前に、第816艦隊司令田村一乃臨時少佐は口を開いた

 

「約1時間前に甑島(こしきじま)監視所所属の哨戒機が北上中の深海棲艦隊を発見。現在も天草灘(あまくさなだ)へ接近中と推定されます。敵戦力は軽巡3、駆逐5を確認。」

 

 艦隊司令室の壁に貼られた海域図に、敵の推定針路を指し示す。

 

「816は第814艦隊と共同でこれを迎撃、敵艦隊の天草灘への侵入を阻止します。」

 

 第814艦隊は天草下島の牛深(うしぶか)港に配置されている艦隊だ。八代湾や天草灘の入り口およびその周辺海域の哨戒を主任務としており、816にとっては『お隣さん』にあたる。

 

「確か814は定数の6隻編成だったわよね?」

 

 叢雲が木曾に確認する。

 

「ああ。重巡と軽巡が1隻ずつ所属してるな。確か……熊野と長良だったかな」

「戦力としては私達よりだいぶ強力だな」

「ええ、だから814とタイミングと合わせて、挟撃を狙います。816単独だと戦力的に劣勢だから、くれぐれも814との連携を第一に動くように」

「了解」

 

 響の返答。心なしか声がやや硬い。彼女と長月は建造されてからまだ間もなく、他の二人に比べれば実戦経験は少ない。それでも完全な初陣である一乃よりはましだろうが。

 

「それから、艦隊旗艦は木曾とします」

「俺でいいのか?」

 

 木曾がちょっと意外そうな顔をする。

 艦隊旗艦は実際の戦闘において提督に代わって僚艦の指揮を執る、いわば現場指揮官である。戦闘力に加えて指揮官としての能力が必要であり、そして何よりも提督との間に信頼関係がなければ務まらない。

 訓練ではこれまで、叢雲と木曾の2パターンの編成を試していた。

 

「ええ。わたしがそう判断しました」

 

 一乃はうなずく。実際には叢雲と相談しての上だが、こう言うように念を押されていた。

 知ってか知らずか、木曾はにやりと笑って「了解」と敬礼して見せた。

 

「他に何か質問は……?」

 

 4人の顔を見回す。木曾は不敵に笑い、長月、響は真剣な眼差しでこちらを見返す。

 最後に目を合わせた叢雲は、こちらの視線を受け止め、小さく頷いてくれた。

 一乃は息を吸い、きっと前を見据えた。

 

「よろしい。わたしたちの初陣です、各員の奮励努力を期待します。第816艦隊、出撃!」

 

 4人が一斉に敬礼し、一乃は答礼する。

 その手が震えていることに全員が気づいていただろうが、それを指摘する者はいなかった。

 

 

 

 朝焼けの天草灘を、4つの影が疾駆する。

 

「天気晴朗なれども波低し、ってとこだな」

敵前回頭(トーゴ―ターン)でもする気? 言っとくけど、付き合わないわよ?」

 

 先頭を行く木曾が軽口をたたき、叢雲が応じる。

 

「木曾、水偵を飛ばさなくていいのか?」

「敵の推定速度から考えてもう少し後だな。いま飛ばすと敵発見の前に燃料が尽きて、肝心の時に帰艦中、なんてマヌケなことになりかねないからな」

 

 木曾が運用する零式水上偵察機は816の眼ともいえる存在だ。

 艦娘の運用する航空機の航続距離は、実際の航空機に比べ圧倒的に短い。偵察機を運用できる艦が2隻以上いる艦隊ならば交互に偵察機を飛ばすといった工夫もできるが、現状の816の編成では運用に慎重にならざるを得ない。

 

『814の水上偵察機が敵艦隊を発見したわ。位置情報を送付します』

 

 一乃から通信。814から送られてきた敵艦隊の情報が、艦隊司令部を介して全員に送付される。

 

「これは……司令官、敵艦隊がふたつに分かれたみたいだね」

 

 響の言うとおり、深海棲艦隊を示す光点が二つの集団に分かれていた。まっすぐ北の方角に向かう艦隊主力から少数の艦が分かれ、北東の天草灘方面…つまりこちらに向かっている。

 叢雲が頷いた。

 

「追撃する814に気付いたのかもね。二手に分かれて向こうも挟撃を狙う気かしら」

 

『814より入電。作戦を変更。814艦隊はこのまま北上する敵主力艦隊を追撃。816は前進、天草灘に接近する分艦隊を迎撃するわ。なお、814の水偵が触接を継続中』

「正面対決ってとこか。ま、わかりやすいな。各艦、散開して並列陣で索敵にあたるぞ。叢雲が右、長月が左、俺と響が正面だ」

「了解した」

 

 木曾の言葉に、長月が唇を引き締める。

 816は並列陣をとり、原速まで速度を落としながら慎重に前進する。

 

 右翼方向を警戒していた叢雲がさっと身をかがめ、手を水平に横に伸ばして合図した。

 ほかの3人も素早く姿勢を低くする。

 

 右1時方向、水平線に影。

 

「深海棲艦を確認。ふん……僥倖(ぎょうこう)ね。敵はまだこちらを発見してないみたい」

 

 海洋ほ乳類に似たその形状からシャチ、などとも綽名される、醜怪な歯をむき出しにした異形が2、そのシャチもどきの上に白い仮面をつけた人間の上半身を生やしたような姿が1。

 

『…分析完了、駆逐ロ級2、軽巡へ級1。いずれも通常の個体と推定』

 

 深海棲艦達は816の眼前を横切る形で一心に天草湾方面を目指している。敵偵察機は後方を警戒しているのか姿が見えず、身をかがめて様子をうかがう4人に気付いた様子はない。

 

 絶好の、好機だった。

 

「一乃、仕掛けるなら今よ」

 

 通信の向こうで、大きく息を吸い込む気配がした。

 

『各艦、戦闘を許可します、攻撃開始!』

 

「よぉし! 単縦陣で仕掛けるぞ、続け!」

 

 木曾が一気に最大戦速で突進した。各艦が後に続く。

 

 ここにきて深海棲艦側もようやく、急接近する816に気付いたようだ。慌てて陣形を変更しようとしている。

 が、

 

「遅いな!」

 

 その機先を制するかたちで、木曾の装備する14cm単装砲2門が火を噴いた。

 一隻の駆逐ロ級の至近に水柱が上がり、木曾は即座に誤差を修正、第2射。

 艤装の観測機、そして艦隊司令部からの観測情報の支援を受けた一発は狙いたがわず、駆逐ロ級の『装甲』を突き破り、ロ級はその醜悪な歯の間から形容しがたい声を絞り出し、傾いた。

 この間、わずか5秒強。

 

『ロ級中破!』

「続けて仕掛けるわ!長月、響、続いて!」

 

 砲撃を続行する木曾の脇をすり抜け、3隻の駆逐艦が敵艦隊に向けて一気に接近しながら砲撃を開始。

 接近戦は駆逐艦が最も得意とするところだ。3隻の統制のとれた砲撃が次々と敵艦に命中する。

 

『駆逐ロ級1撃沈、軽巡ホ級小破。反撃、来るわ!』

 

 傷つきつつも軽巡ホ級が5inch単装砲を発射。だが、不利な体勢でこちらの砲撃にさらされながらの応射である。先頭を航行する叢雲は高速で蛇行。危なげなく砲撃を回避してみせる。そちらに気を取られたロ級を、木曾の砲撃がまともに捉えた。

 

 深海棲艦のもつ『装甲』は正確には『装甲力場』、と呼称されている。一言でいえば、不可視の、力場(エネルギー・フィールド)とでもいうべきものだ。艦娘も、艤装を装備することで同様に発生させることができる。

 基本的に元となった艦種が装甲の厚い艦種であるほど出力が高い、つまり『厚い』。

 駆逐級の装甲力場とて小火器程度ならば寄せ付けない出力を持つが、巡洋艦の砲撃をまともに受けて無事で済むか、問われれば、答えは否だ。

 

 結果として木曾の14cm砲から放たれた徹甲弾は、持てる運動エネルギーをロ級の装甲に叩き付けて力場を突破。船体に突き刺さり、コリオリの力でもって存分に引き裂いた。

 ロ級は半ばまっぷたつになり、ひとたまりもなく海中に没した。

 

『ロ級1、撃沈!』

 

「魚雷、発射する!」

「了解。合わせる」

 

 距離を詰めた長月と響が61cm魚雷を発射。6発の魚雷がわずかな時間差を置いてへ級に殺到。へ級は回避行動をとろうとするが、すでに損傷を受けたその動きは、6本もの魚雷を回避しきるにはあまりにも遅かった。

 

 爆発。

 

 下半身を砕かれたへ級は一瞬天を仰ぐようにのけぞり、そしてゆっくりと沈んでいった。

 

『ホ級、撃沈。敵艦隊の殲滅を確認』

 

 一乃の声に、長月が息を吐く

 

「やったか……」

「まだよ。気を抜かないで周辺警戒を継続」

「む、すまない」

 

 しばし周辺を警戒する面々。こちらの索敵をすり抜けた残敵、特に潜水艦がいるとかなり厄介なことになる。

 が、幸いなことに、どうやら今回に限ってはそれは杞憂(きゆう)だったようだ。

 ほどなくして一乃から通信。

 

『814艦隊から入電。敵艦隊を撃破したそうよ。他に敵影確認されず。作戦は終了です。……みんな、お疲れ様。念のため周辺を哨戒してから、帰投してください』

 

 叢雲がふっと息を吐いた。

 木曾が口の端を上げ、単装砲を肩に担ぐ。

 

「勝った……勝ったんだな」

 

 長月が笑みをこぼし、響が無言で微笑み、頷いた。

 

 

 

 神経接続を解除した一乃は、薄暗い戦闘指揮室の中で一人、ほっと息をついた。

 

 初陣は、戦闘開始から終了までわずか5分足らず。目まぐるしく押し寄せる各種の情報を制御するのに必死で、指揮官として何か考えるまもなく終わってしまった。

 だが、結果として、816は誰ひとり傷つくことなく、敵を殲滅した。これ以上ない戦果と言えるだろう。

 思い出したように、どっと疲労が押し寄せてくる。

 

「見事な勝利だったわ。みんな」

『こちらより数の少ない敵を先に発見して、有利な状況で攻撃を仕掛けたんだ。ここまでいい条件がそろってれば負けるほうが難しいさ。特にほめられるような話じゃあない』

 

 でも、ま、と木曾は続けた。

 

『勝ちは勝ちだな、提督。ラッキーな勝ちってのも悪くない。初陣ならなおさら、な』

『そうだね。幸先がいい。司令官、君は運がいいね』

 

 響が同意する。

 

「あはは、ありがとう。そうね、わたし、運がいいのかも」

 

 一乃は笑ってみせた。木曾の言うとおり実に幸運な勝利だったな、とつくづく思う。

 そうそう、あとで814艦隊の司令官にもお礼を言っておこう。作戦開始前に映像通信ですこし話しただけだが、確か自分と同じ新米少佐だと言っていたし…

 

 そこまで考えたところで、不意に頭に鋭い痛みがはしり、一乃は思わず息が詰まった。

 

「つっ……!」

 

『一乃? どうかした?』

「……ううん、なんでもないわ」

『……大丈夫なわけ?』

 

 叢雲の声のトーンが低くなった。

 

「ちょっと緊張して疲れただけだから。みんな、気をつけて帰ってきてね」

 

 一乃は何とかそれだけ言うと、こちらからの送信スイッチをオフにした。

 初出撃の緊張は予想していたよりずっと脳に負担をかけたようだ。頭の中で割れ鐘がなっているようだ。

 手探りで指揮卓の引き出しを開け、鎮痛剤を数錠とりだし、口に放り込んで噛み砕く。

 あれ、これ噛んじゃいけない薬だったかな、などと痛む頭の隅で考えながら震える手でヘッドセットを外すと、椅子に背を預けた。

 

 提督の脳を介し膨大な情報処理を行う艦隊運用では、副作用として頭痛が出ることは珍しいことではない、そう士官学校で習っている。

 これまで頭痛なんて出たことがなかったから油断していた。いや違う、816に着任してから初めてだ。士官学校では訓練の後に何度も頭痛に襲われてたじゃないか。

 ああもう、考えもろくにまとまらない、と一乃は眉根をギュッと寄せて鎮痛剤が効いてくるのを待った。

 

 ――― でも、勝った後なら、頭痛も悪くないかな。

 

 痛みに耐えながらも、ふとそんなことを思った。

 

 

 

「ふむ、816も無事勝利したようじゃのう」

 

 熊本警備府第814艦隊所属、初春型駆逐艦1番艦、初春は愉快そうに口を開いた。

 

『ああ、作戦は成功だ。ご苦労だった』

 

 落ち着いた若い男の声の無線が入る

 

『あちらも損害無しだそうだ。定数割れの新編艦隊の初陣だったが、見事だな』

 

 どこか安堵の色をにじませた声に、初春はからかうような笑みを浮かべた。

 

「随分と816に入れ込んでおるな。3か月前の貴様を思い出すかの、司令官?」

 

 第814艦隊司令、(ひがし)少佐は3か月前に館山海軍士官学校を出たばかりの新米少佐だった。ただし、彼の場合は徴兵年齢到達後に『志願』した正規の軍人であり、3年間の正規の提督教育を修了している。

 卒業と同時に創設間もない熊本警備府に配属され、第814艦隊の指揮を執っていた。

 

『そうだな。あの頃の僕ではああうまくはやれなかっただろう』

「そのとおりじゃな。あの時のお主は、まったくおたついておったわ」

 

 涼しい顔でしれっと即答した着任時からの秘書艦に、しばし憮然とする気配。自分で言うたことであろうに……初春はくすくすと笑う。

 

「まあまあ、そう言ったものではありませんわ」

 

 お嬢様然とした口調の、重巡熊野が口を挟んできた。

 

「提督は初陣でも十分素敵でしたわよ? わたくしがうっかり被弾した時なんか、声を裏返らせて怪鳥(けちょう)のような声まで上げて心配してくださって……」

『……それは、ほめてもらっていると取っていいのだろうか』

 

 情けなさそうな声。

 あやつの場合あれで実際ほめてるつもりだから始末に困るの。我が814の最大戦力なのじゃが、ちと奇矯(ききょう)なところがあるのが難点じゃ、などと考える初春。自分のことは棚の上に勢い良く放り投げている。

 

「ま、何はともあれ816の初陣がうまくいって良かったではないか。何せお隣さんじゃからの。これから何かと一緒に動くことも多かろう」

 

 814は天草諸島下島の西南、牛深(うしぶか)港に拠点を置いており、八代湾入り口、そして甑島(こしきじま)列島方面の海域の確保が主任務である。

 上天草に拠点を置く816とは初春の言うとおり“お隣さん”であり、共同作戦を取ることも多くなるだろう。

 

『ああ、我々もより一層努力しないといけないな。……できれば田村提督に無理はさせたくない』

 

 初春は扇で口元を隠す。まったく司令官のお人好しにも困ったものだ。そこがかわいらしくて良いのだが。そして、からかいたくなる。

 

「ほほう、それは構わぬが……しかし貴様、あの年頃の娘が好みであったのか。今日の世相からすると、少々年下趣味が過ぎるのではないか?」

「あら、提督はロリータ・コンプレックスでいらっしゃいますの? それは困りましたわね」

『いや待て、それはむしろ田村提督に失礼だ。熊野だって彼女とそこまで外見年齢は変わらないだろう』

 

 莫迦(ばか)め、それは墓穴を掘るというのじゃ。

 

「まあ、それではわたくしもロリータ・コンプレックスの対象となるのですね。安心しましたわ」

『なぜそこで安心する!?』

 

 案の(じょう)熊野に追撃され、たまらず叫ぶ東。

 

「司令官、付近哨戒完了しました。敵影、ありませーん」

 

 と、そこへ軽巡長良が水偵を回収しながら戻ってきた。

 

『そ、そうか。ご苦労だった。全艦、帰投してくれ』

「司令官、あの……」

『……なんだ』

「長良はいいと思います! 応援しますよ!」

『…………もう好きにしてくれ』

 

 戦闘指揮室で頭を抱えている姿が目に浮かぶようだ。まったく()い奴め。

 

 初春はころころと笑った。

 

 

 

 二〇〇〇かっきり、由良は腕時計で時間を確認すると、長官執務室の扉をノックした。

 

「長官、失礼いたします」

 

 ワゴンを押しながら入室。食堂で用意させた食事を乗せている。

 

 

「長官、お食事をなさってください」

 

「ああ、すまないな、もうそんな時間かね」

 

 書類が山と積まれた執務机に向かっていた原口は書類から目を上げ、腕時計を見やった。

 

「あ……」

 

 秘書艦机に向かっていた特型駆逐艦九番艦磯波(いそなみ)がハッしたように由良を見て、それから気まずそうに(うつむ)いた。どうやら気がついたようだ。

 あえて厳しい顔を向ける由良を見たか、原口は頬を緩めて背もたれに体を預けた。

 

「すまないな磯波、気が付かなかった。君も少し休んで、食事を取ってきなさい」

「……はい、あの……もうしわけありません」

 

 俯いて司令室を出ていく磯波の背を見送る由良に、原口が声をかける。

 

「昼からぶっ続けで決済処理を手伝っていてくれたんだ。まあ大目に見てやってくれないか」

「よくやっているのはわかっています。でも、よくやっているだけでは駄目です」

 

 提督は替えが利かないのだ。忙しいのは仕方ないにしても、食事を取らせず仕事をさせるなど健康管理上、言語道断。(さと)してでも食事を取らせるのが秘書艦の仕事だ。

 

「磯波の秘書艦教育はまだ始めたばかりだろう」

「だからこそです。現地教育なんですから、なおさらきちんと教えないと」

 

 秘書艦となる艦娘は本来、海軍学校で専門教育を受ける必要がある。秘書艦は艦隊運営全般で提督を補佐することが求められ、時に参謀の役も務めるなどの任務は多岐にわたるからだ。

 しかし、対馬海戦以降は艦娘の補充が急務となり、とにかく艦娘の新造とその教育が最優先にされている。このため、秘書艦教育は各艦隊による現地教育とされていた。

 

「だが、彼女は君に言われる前に気付いたようだったぞ。だから君も口に出しては叱らなかったのだろう?」

「だからと言ってそこで甘い顔をするわけにはいきません。それに…」

 

 応接セットのテーブルに食器を並べながら、由良はちょっと息を吐いた。口調を仕事モードから切り替える。

 

「……提督さんこそ、とっくに食事の時間を過ぎているのに気付いていたんじゃないですか? そのままでいれば、由良が食事を運んでくることもわかっていたでしょう?」

 

 原口は苦笑した。

 

「降参だ。さすがに君にはお見通しか」

「秘書艦教育まで気を使っていただいてありがたいですけど、そのくらいは由良達に任せてください。ただでさえお忙しいんですから」

 

 さ、冷めないうちに食べてください、と促され、原口は箸を手に取った。由良は二人分の茶を入れると、ソファーの端に腰掛ける。

 

 と、執務机上の端末から情報受信を知らせる着信音が鳴る。由良は素早く立ち上がり、内容を確認した。

 

「816艦隊司令部……田村提督からですね。戦闘報告書が届いています」

「そうか。初陣の直後なのに、真面目だな。今日ぐらいは大いに飲めばいいだろうに……いや、田村少佐は未成年か」

 

 そう言えば、と顔を上げる原口。

 

「この前はすまなかったな、スパイの真似事までさせて」

「いえ、お気になさらないでください」

「この時期になって中央から落下傘(らっかさん)の新米少佐だからな……。最初に聞いた時はいったいどこの派閥が手をつっこんできたのかと思ったが」

 

 箸を止め、ため息をつく。

 

「ふたを開けてみれば学兵提督の第1期生だからな。二重の意味で予想外だったよ」

 

 徴兵年齢の引き下げにより誕生した学兵提督。彼女たちのために急遽用意されたであろう「臨時少佐」という怪しげな階級。提督速成特別課程なるシロモノは軍機の厚い殻でおおわれ、詳細な内容は原口にも開示されていない。

 彼女と同じ教育を受けた同期は10名ほどいるらしいが、熊本警備府に配属されたのは彼女だけだ。

 

「だが、今日の勝利は初陣ながら見事なものだった。814の東少佐もなかなか頼れるようになってきたようだし、我々みたいな年寄りはそろそろ引退だな」

 

 冗談めかした口調だが、816の初陣には少しでも成功率の高い作戦を、と彼がずいぶん気を使っていたのを由良は知っている。学兵召集法案成立のニュースに憤っていた原口の姿を、由良は思い出した。

 

「まったく、あんな健気な娘さんを捕まえて、どこぞのスパイかと疑っているのだから、大人というものは(ロク)でもないな」

 

 原口はかぶりを振る。

 

 そもそも彼が警備府長官を務めていること自体が、軍内政治の奇妙な妥協の産物だった。

 

 いまでこそ熊本警備府は、佐世保鎮守府に代わる九州西岸の守りの要となり、横須賀、呉、舞鶴、大湊、那覇などの各鎮守府に次ぐ一大戦力を有している。

 しかしその一方で、海軍上層部の人間は、熊本警備府が熊本要塞ともども本州防衛のための捨て石であることを正しく認識していた。

 維新の時代から軍内の最大派閥である会津閥、対馬海戦と八代会戦で大きくその勢力を減じた薩摩閥、そして新興の芝村閥。軍内の各勢力は、捨て石とわかりきっている拠点の長に人材を出すことを渋り、さりとて海軍でも有数の戦力を指揮するポストを、他の派閥の人間が占めることも嫌がった。

 ババの押し付け合いか、はたまた取り合いか。

 そんな駆け引きの末に白羽の矢が立ったのが、派閥から距離を取っていた原口だったのである。

 

 警備府長官に就任する前、原口は那覇鎮守府に所属し、主に沖縄―九州間のシーレーンの防衛の任に就いていた。

 それ以前の軍歴も、前線の艦隊司令がほとんどであり、言ってみれば地方回りが大半を占めている。これは彼が軍内政治から距離を取っていたことと無関係ではない。実戦では堅実に軍功をあげており、もうすこし出世欲があればとっくに将官にはなっていただろう、というのが周囲の評価である。もっとも本人は、欲をかいたらどこかでしくじってとっくにクビになっているよ、と返すのが常だったが……

 

 このような人物だからこそ、軍上層部にとっては熊本警備府長官に適任だったともいえる。

 地方回りの偏屈(へんくつ)な戦争屋が、清廉(せいれん)な歴戦の勇将として、捨て石警備府の看板に祭り上げられた、というわけだ。

 指揮下の提督たちも、軍内政治にあまり関わりのない、よく言えば実戦派、悪く言えば世渡り下手な者たちが配属された。

 

 たが、そうなったらそうなったで、今度は一部のお偉いさんが、熊本警備府が原口をトップに軍閥化するのではないかと心配しだしたらしい。中央の意を受けた人物が艦隊司令部に無理やりねじ込まれたり、情報畑の人間が警備府の周囲をうろつくようになった。

 そもそも熊本が5月まで持ちこたえることができるかどうかもわからないというのに、まったくうんざりさせられる話だった。

 

「まあ、田村少佐に関しては、そういった心配は必要なさそうに見えたがな。学兵とは思えんほどそつがなかったが、そのあたりの仕事ができるほど大人にも見えなかった」

「はい。由良も、そう思います」

「彼女の秘書艦はどうだね? 君は面識があると聞いたが」

「……わかりません、そこまで接点があったわけではないので。彼女……叢雲五九二号は、戦闘経験も豊富ですし、秘書艦としても優秀だったと思います」

 

 由良は言葉を慎重に選びながら答えた。

 

 最初に顔を合わせたとき、彼女は呉鎮守府旗下の桂島泊地艦隊に所属していた。

 当時那覇鎮守府に所属していた由良は沖縄-九州間の輸送船団の護衛任務を担当しており、桂島艦隊とも合同で作戦を行う機会が多かった。その頃から由良は原口の秘書艦を務めていたし、叢雲も秘書艦資格があるということで、何度か作戦の打ち合わせなどもしていた。

 一昨年の対馬海戦でも、お互いに那覇、呉からの応援艦隊の一員として参戦しており、作戦前に偶然顔を合わせて久しぶりに挨拶をしたのを覚えている。

 

 ――― その後桂島艦隊は、対馬要塞を巡る攻防で、提督の指揮艦もろとも壊滅した。

 

 辛くも後退に成功した由良は、桂島艦隊で生き残ったのは彼女のほかわずか数人だったことを戦闘詳報で知り、胸を痛めた。

 しかしその後は顔を合わせる機会もなく、彼女がどういう経緯をたどって田村少佐の秘書艦となったのかまでは、由良も知るすべもなかった。

 

「この前も、釘を刺されちゃいました。秘書艦はお互い大変ねって」

「あー、それはなんと言うか、重ね重ねすまなかったな」

 

 由良は苦笑し、「いいんです」と手を振った。

 

「……でも田村少佐との相性は良さそうでした。秘書艦の仕事もきっちりこなしていましたし」

「ふむ、なるほどな。まあ、本来はどこの派閥にいようが、余計なことをせずにきっちり仕事をしてくれる限りは何の問題もないんだが」

 

 茶をすすり、ほう、と息を吐く。

 

「まったく、南にいたころはこういったわずらわしいことまで考えずに済んだんだがなあ」

 

 そう言って笑う原口の白髪が、近頃一層増えた気がして、由良はいたたまれなかった。

 

 由良は警備府艦隊の中でも、もっとも原口と付き合いが長い艦の一人だ。沖縄諸島、東南アジア、大陸戦と数多くの戦場で苦楽を共にしてきた。

 

 たとえ誰が相手でも、由良だけは最後まで提督さんの味方。

 そう、決めていた。

 

 まあ、とりあえずは……

 

「提督さん、おかわりはいかがですか?」

 

 かたわらに置いていた、小さなおひつを示す。

 

「ん、ああ、いや、今日は一日書類漬けだったからな。そんなに腹が減っているわけではないんだが……」

「毎日お忙しいんですから、しっかり食べるものは食べてください」

「しかし、腹が出てもみっともないしな」

「何をおっしゃるんですか。提督さんはむしろもう少し恰幅(かっぷく)がよくなったほうがいいんです。疲労で痩せほそった司令官なんて、部下が不安になりますよ。……ね?」

「わかったわかった。いただくよ。君にはかなわないな」

 

 照れたような、はにかむような笑顔は、ずっと昔から変わらない。

 

 提督さんから茶碗を受け取り、由良は飯をよそい始めた。

 

 

 

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