部屋の中でカチ、カチ、と音がする。
まるで時計の様に規則正しい間隔で咲は手にしているシャープペンをノックし続けた。
やがて芯が全て出切ると、それをもう一度補充しては再び同じ事を繰り返す。
五分ほどそんな事をしていただろうか。
やがて口から溜息を溢すと、そのまま立ち上がり、芯の入っていないそれを片手に自分のベッドへ倒れこんだ。
「はぁ…やっぱり集中できないよぉ」
既に風呂も食事も済ませた咲はいつでも寝れる様にパジャマに着替え、自分の部屋でそんな事を呟いていた。
『やっぱり麻雀って…大キライかも知れない』
あの後、京太郎に自分の昔話を語った彼女はその事についてぼんやりと天井を眺めながら考える。
思えば誰かに自分の過去を少しでも話したのは初めてだった気がする。と、そんな風に思いながら目を閉じると彼女にとって聞きなれた声が聞こえてきた。
「おーい、俺はもー寝るからちゃんと電気消して、あんまり長電話とかするなよー」
「はーい、わかってるよおとーさん」
部屋の戸の向こうの足音が遠ざかっていくと、咲はチラリといつの頃かこの部屋に移動してきた電話の子機を見つめた。
実はこの宮永咲という少女はパソコンや携帯電話という文明の利器を持っていない。
決して買い与えられない訳ではないのだが、使う事がないからと彼女は父親の負担を考えて今も遠慮しているのだ。
とはいえ、現役女子高校生の咲に対して流石に携帯くらいはと彼女の父親である宮永界は考えていたりするのだが、買い与えられるその本人が断っているのだから何とも複雑な思いをしている。
そんな風に彼が思っていた時に咲が普段は殆ど使われていない子機電話を部屋に運んで良いか尋ねてきた。
それならいっそ携帯を…と切り出しては見たものの「家どうしでしか使わないから、わざわざ新しいの買わなくていいよ」と頑なに提案を断ってくる娘に、流石の父親も今では「ねだって来たらでいーか」と諦めてしまう。
その結果、今ではすっかりと咲と京太郎の会話専用の電話に化けたそれに視線を向けるが、それも一瞬の事で直ぐに目を閉ざした。
「さすがに今日は…気まずいよね」
自分にとっても面白くも無い過去を話したばかりで、その相手と何を話せばいいのか解る筈もないのは仕方ない事だろう。
京太郎が麻雀部へ行くと言った時、昔その麻雀で自分のお年玉を巻き上げられていたのだと話した。やがてそれが嫌で身に付けた技術で勝つ事も負ける事もしなくなると嫌な顔をされたり無視されたりしたのだと語った。だから自分は麻雀がキライなのだと、目の前の少年に少女は全てを…打ち明けた。
その事を言い終わった直後、黙って聞いていた京太郎の返答を彼女は待とうとは考えない。
何故なら彼の事をそれなりに見ているつもりだった咲はこの話に対する返答になんの期待もしていないのだから。
むしろ何も言ってくれない程度で良いとさえ思っているくらいだった。自分でもこんな話をされても曖昧に返事するぐらいだろうなと考えると、彼にはせめて頭の中に描いている「何か思ったよりくだらねーな」とかそんな返事さえ言ってくれなければそれだけで良かった。
そのような事を思っていると、彼はこちらを見ていた目線を前に向けて、口を開く。
『そっか。そういう事なら仕方無いかァ。俺でもそんな事あったら誘われてもやりたいなんて思わんだろーし』
その時の返事は正直、意外だった。と、持っている大事な"贈り物"のシャープペンを見つめながら思い返す。
実際のところ咲の考えは存外、的外れという訳ではない。
彼も今のように仲が良くなかった一年程昔なら予想通りの返答をした可能性はある。だが、そう言わなかったのはやはりその頃よりも何も考えないで返事をするという選択肢が今は無くなっていたという事の他ない。
昔より気安くなった関係だが、昔より気を遣う関係になったと言えばそれも至って仕方の無い事だろう。
それでも少なくとも今まで打ち明けた事のなかった話を否定無く同意してくれた事は、気遣いだと分かっていても咲にとっては嬉しい事だった。
その事に内心で少しだけポカポカと胸が温かくなっていくが、その後の会話にその喜びは直ぐに萎れていってしまう。
『ホントは咲も入ってくれれば良かったんだけど。ま、やっぱり俺だけとりあえず行って来るわ』
『麻雀って大会とか男女別らしいんだよ。だからもし俺が入ってもせいぜい廃部が遠のくってだけだからなァ』
『知り合ってからそんなに経ってないケド、悪いヤツじゃないしな。そもそも俺の方から相談に乗ってやるって言っちまったのはフツーに自己責任って言うか…どっちにしても見捨てるとか後味悪ぃだろ?』
『咲は気にしなくていいって。イヤならイヤで全然それでいいっての。俺も好きでやってるだけなんだし。だいたい、まだ入部するかも決めてねーしな』
『そんじゃ咲。また明日な!』
そんな言葉を思い出していると、自然と手に力が入ってしまう。
咲は握っている件の京太郎からのプレゼントを放そうとはしない。
物にあまり頓着しない彼女だが、流石に誰かから貰ったものぐらいは別格に扱う。特にこれは今、一番仲の良い友達からの贈り物だ。普段は持ち歩かずに自分の部屋の机の引き出しに大事にしまってあるぐらいに大切にしている。
贈り主の京太郎的には、使っている所を見たほうが嬉しいと思ったりするのだが、咲はそんな事には全く気付かずに自分なりの"大事"を貫いて、今も決まった時にしかそれを使う事はない。
「よっ、と」
ベッドに横たわっていた体を起こして机に広がっている原稿用紙に触れる。
これも以前に咲が文芸部に入部した時に彼が買ってくれた物の一つだった。
シャープペンと、芯と、原稿用紙。
咲が部活にやる気になったなら、なんか買ってやると言った京太郎が自分で選んだ飾り気も無い普通の代物であるが、それでも心からお礼を言えた数少ない思い出の品である。
部活を辞めて随分と経ったが、未だに真っ白な原稿用紙はいつかそんな彼に何かを書いて見て貰う為に今でもこうして偶に引き出しの中から姿を現している。
その時にだけ使うと決めたペンだけに、未使用に近い代物と成り果ててはいるが、彼女にとっては大事な、大事な宝物のひとつだった。
「京ちゃん、やっぱり麻雀始めちゃうのかな」
自分が嫌いだからといって他人にまでそれを押し付けるのは違うという事くらい理解している。だが、やはりそれでも心の中では確かに引っかかりが残ってしまうのだ。
京太郎のことを思うならここは見守るのが正解なのだろう。
だが、理屈じゃない気持ちは心の中で燻り続けている。
もっと言えば、最近の自分は彼に頼りすぎていると思っていただけに余計にどうしたらいいのか咲を悩ませていた。
「このままじゃ京ちゃん無しじゃダメ人間になるんじゃ?」と思えるくらいには少し依存気味だったのも何となく自覚してはいる。元々方向音痴ですぐ迷子になる彼女を引っ張るように彼がなっていたのはもはや当然の事だが、それに安心して何処に行くにもその背中を追ったり隣を歩いたりしていたらどうなるか。
正直な話、ここ一年程でいろんな場所に遊びに行った咲だが何一つそこまでの道を覚えていない。要するに一人では行った場所にさえ辿り着けない、方向音痴に更に拍車をかけた迷子のプロになりかけていた。
それなら…と、その程度の事で諦められるほど麻雀に対して張っている根も、取られようとしている実も少女にとって容易くは、無い。
(でも、やっぱり京ちゃんを麻雀に取られちゃうのは……ヤダ)
ずっと昔に置いて来た気持ちが再び心に決意の火を灯す。
芯を入れ直したシャープペンを原稿用紙に滑らせ、軽く息を吐くと同時に書いた文字を消す。少しだけ力のこもった筆の跡は完全には消えず、まるでその心情を表す様にその決意を残していた。
『もっとずっと京ちゃんと遊びたい』
『これからもこのままでいられますように』
初めてしっかりと書いてしまったその文章に何となくドキドキと心臓の音が高鳴ったのは決意から来る興奮のせいなのか、それともただの気恥ずかしさなのか。結局本人にもどっちなのかは解らぬままベッドで身悶えしながら咲は眠りにつくのだった。
――――――
窓の外から声が聞こえる。
まだ時期的に新入生が入部したり、しなかったりという頃だと言うのに運動部からは熱心な掛け声が殆ど毎日絶えることなく図書室の方まで届いていた。
この事に場所も環境が違えど、やってる事にさほどの変化は無いんだなぁと咲は何度か思う。
隣にいる京太郎にとっては既に慣れつつある状況で、彼女にとっては既にいつもどおりの日常と化しているこの時間。昨日はまだ読み終えていなかった本を返却しに二人は訪れていた。
「京ちゃん、コレとかどうかな。この本なら京ちゃんでもすぐ読めちゃうと思うんだけど」
「どれどれ…って、え~推理ものかァ。あんま好きじゃねーんだけど……マジで俺でもイケんの?」
「まじ、まじ、だよ。最近読んだ中だと一番京ちゃんにピッタリだと思うよ」
既に学校側や他の生徒から見ても、この施設の常連客である二人の会話は見慣れた光景で「本当に仲良しだな」と思わせるには十分な姿だった。
この後の流れはいつも同じ。二人で椅子に座り、数分程度、導入部分を読んでから借りるのかどうかを決めていく。
読書という行為自体、複数人で行動する必要はない。だが、この二人に関してはそんな事は全く関係ないという雰囲気が存在しているように感じられたのは、結構な頻度でお互いの会話が間に挟まるからなのだろう。
京太郎の取りとめのない感想でも咲はきちんと受け答えをするし、自分が薦めた作品がちゃんと彼の嗜好に合っているかどうか気になっている時にはタイミングを計って自ら感想を求めたりもする。
別に一切の私語が禁止されているわけではないのだから、このぐらいの会話は誰がどう咎めることも無い。大人しそうな文学少女と、いささか文学青年と呼ぶには若干見た目が大人しくない男子生徒が語らっているだけの事だと周囲も微笑ましく思っていた。
「どうかな? 推理小説って最初だけだとやっぱり良く解んないから微妙って思うかもしんないけど、読み辛いとか無いならこの後ゼッタイ面白くなってくるからこのまま読んでみて欲しいな」
「…ん? んーー…おぅ、そういうのは今のトコないな」
いつもと同じ、いつもと変わらぬ光景。
だが、今日に限っては少しだけいつもと違う所があった。
(こいつ相変わらず無防備だなァ……俺だからいいケド、他のヤツにだったら勘違いされんじゃね?)
(面白い本に熱中しちゃったら京ちゃん、麻雀部のこと今日は忘れてくれないかな?)
今日一日、やたらと咲が近くに居るような気がしていた京太郎はこの時になってようやく違和感に気がつく。
近くに居るような、ではなく。実際、近かったのだ。
結局大した作戦も思いつかなかった彼女は実力行使と言わんばかり彼の周りに引っ付いて歩いた。お昼も自分から誘い、休み時間もチャイムと同時にすぐに駆け寄りに行く。
今日の宮永は積極的だ。と、その事でクラスメイトの間では話題になっていたが本人はそんな事には気付きもしない。一つに集中すると大抵、何処か別のところでヘマをしてしまうのも彼女の愛嬌の一つと取れる箇所だろう。
…で、そんな事を続けていれば京太郎とて流石に気付く。
むしろこの瞬間まで気付かなかったのは彼が余程その状況に慣れてしまっていたのか、単純にニブいだけなのかは定かでは無い。
いつもの時間。この瞬間に隣の咲と肩が触れ合った。
そのぐらいどうしたと思うかもしれない事だが、二人にとっては全く違う状況なのである。何故なら、普段の咲は
普段どおりならば彼女は話し易い様に
人間、長い付き合いともなると、お互いの決まった距離感やポジションというのは知らず知らずの内に固まってしまうものである。
自分の場所だと決まってもいないのに毎回同じ席に座ったり、二人一緒にいる時はどちらが右と左に立つか決まっていて同じように並んで歩いていたりする。
だからこの瞬間、普段は在りえないぐらいの近さに咲がいて初めて彼は気が付いた。
(女子って何かいい匂いするよな。こいつは多分なんもつけてねーんだろうけど)
(うぁ、なんかちょっと恥ずかしくなってきちゃったかも…)
正直な話で言うと、京太郎はスタイルの良い女子が好みである。特に胸の大きな女の子がタイプだった。
だから、大変失礼な話であるが宮永咲という少女は彼の好みのタイプでは無いというのが彼の素直な評価である。
であるが、それとコレとは別な男女間の距離というのは存在する。
多感な男子高校生であれば例え意識していない異性であっても、相手の香りや、触れ合うほどに傍に居られたりすれば、それなりに反応してしまってもおかしくはない。逆に女子高校生であっても似た様に意識してしまう事だって別に変な事では無い。
一概にそうではないが、今回に限っては少なくとも京太郎は少しドキッとしてしまったのは事実であるし、咲は単純に体の接触自体にお互いを意識してしまっていた。
これでおかしな雰囲気の一つでも作る事ができればきっと既に二人はただの幼馴染の関係ではなかったかもしれない。それでも変わらずの関係でいられるのはこの状況でさえも二人は"受け入れてしまう"ぐらい相性が良かったのだ。
(ま、いっか咲だし。変に気ぃ回す必要は無いか)
(このくらいは大丈夫だよね? もうちょっと……は、避けられたらヤだしなぁ…止めとこ)
このようにして、今日も二人は日常的に経験値を着々と増やしていくのである。
――――――
それから暫くの間はそんな時間が過ぎていった。
だが、来るべき時は待っていなくても訪れるもので…とうとう京太郎はその口を開いた。
「咲、それじゃ俺は」
「京ちゃん」
そろそろ行く。
その言葉を咲は言わせたくはなかった。
「京ちゃん」
考えに考えた結果。出たのはおそらく一番狡いと思う答えで、それを口に出すのか何度も自問した。でも、それ以外で彼をどうにか出来そうな案は出てこない。
嫌な人間だと思われたらどうしよう。
重い女の子と思われたくはない。
でも、言わないと行ってしまうなら……そう結論した咲は意を決する。
「京ちゃんは…麻雀のルールも知らないんだよね? もしも入部するとしてさ、そんなんでやっていけるの?」
「あ~…ま、そこはホラ、俺が勉強すりゃいいし」
「でも言ってたよね。京ちゃんが入っても団体での大会参加に近づけるワケじゃないし、雑用ぐらいしか当分は出来ないかもしれないって」
俯き、スカートの裾をギュッと握り締めながら咲は静かに叫んだ。
声は京太郎にしか届かない程に抑えている。だがその気持ちは抑え込まず、確かに咲は叫んでいた。
「だから……無理して行かなくても、いいんじゃないの? 京ちゃんがまた何か始めるなら応援はしたいよ。でも…ただの数合わせで、無くなりそうな部活の雑用係なんてして欲しくない」
「お、おいおい咲さん?」
「私、やっぱり麻雀がキライ。京ちゃんにまで押し付けたくないけど、それでも京ちゃんまでイヤな気持ちにさせたくない……」
「いいから聞けってーの」
そんな決心を、目の前の男子は空気を読まずに一蹴する。
俯いていただけに、頭上から襲ってきた軽い衝撃は彼女にそこそこのダメージを与えた。
「あぅっ、き、京ちゃん!? 私、今大事な話を」
「さっきから聞いてりゃー、な・ん・で、咲なんかに俺の未来決められないといけないんだ」
「だ、だって」
「だいたい入るか決めてないって言ったよな? ちょっと見学に行って、そこで何か思いつけば宣伝だって出来るし。どんな部活かも分からないのに誰か入ってくるワケないだろ」
場所が場所なだけに京太郎も声を抑えながら説教を始める。
ここで「誰の為を思って」という返しを彼女がしないのはさっきまでの自分の言い分が"建前"だったからだ。咲にとって『狡いと思う答え』だったからこそ上手く言い返すことが出来ないでいる。
あくまで"京太郎の為"というのは彼が諦めてくれやすいように考えた台詞だった。なぜなら宮永咲にとっての本音は昨日までと何ら変わらず『麻雀に負けたくない』という単純な答えなのだ。
彼なら流されてくれるかもしれないと思っていたその小さな計画は完全に予想外の形で裏切られる事になってしまう。
「…京ちゃんはそんなにその片岡さんって人が大事なの?」
小さな子供が怒られた事にへそを曲げて抵抗するような、か細い声でそんな言葉が漏れてしまう。
なんでそんな台詞が出てきてしまったのかと冷静になった時に考えてしまうのだが、今の咲にはどんなに考えても答えは見出せなかった。
その質問に本当に何でもないように京太郎は答える。嘘の下手な彼が何でもないように答えるのだから本当に今は何でもないのだろうと咲には解ってしまった。
「ただの友達だよ。急に何だってんだ……はぁ、あのな? 俺が今さら咲に黙って部活とか始めると思うか? 安心しろよ、んな事はしねーから」
「あ…」
きっとここが引き際なのだと理解する。
最初から知っていた事だった。須賀京太郎という幼馴染が友達を見捨てるような人間で無い事くらい。
だから咲に黙って部活を…麻雀をしない。
そして、だからきっと最後には『友達』の為にきっと麻雀に触れてしまうのだ。
そろそろワガママも終わらせないと。と、残念に思いながら彼女は諦めようとする。これ以上は本当にこの関係に溝が出来てしまうかもしれない。
咲にとって「まったく咲は~」と思われるくらいは覚悟していた。だが、この関係まで終わらせようとは微塵も思っていない。
呆れられるくらいならまだ許せる。だが、飽きられるのだけは絶対にされたくはなかった。
「うん、そだね……ゴメンね変な事言っちゃって。じゃあ私、先に帰るから。また…明日ね」
「え? お、おう」
あっさりと返された掌に思わず京太郎は面を食らってしまう。
そんな状態の中で図書室を出て行く咲の後姿を見ながら彼は後頭を掻いた。
あんな事を言う彼女は初めてだったと心の中で考え、それでもあんな態度を取る彼女を見るのは初めてではなかったと思い起こすと、軽く息を吐いてポケットから携帯を取り出した。
――――――
「やっちゃった……明日ちゃんと話せるかなぁ…?」
とぼとぼという音が聞こえそうな足取りで咲は昇降口まで来ていた。
飼い主に見放された動物の様な雰囲気を醸し出しながら、明日の事を考えるとやっぱりさっきまでの会話が彼女の気持ちをより一層落ち込ませてしまう。
言い過ぎただろうか。
嫌われたりしていないだろうか。
面倒くさい奴だなんて思われてないだろうか。
不安が募るばかりで、ふらっと歩いた瞬間に頭に何かが触れた。
今度は痛い衝撃等ではなく、軽く撫でられるような優しい触り方で一回だけ、ぽんと手を乗せられる。
そんな一瞬の出来事の後に、隣から見知り過ぎている男子が鞄を背負いながら通り過ぎた。
「文学少女のわりに足速いのな、意外だったわ」
「京、ちゃん? あれ、え? 麻雀部は?」
何で彼がいるのだろう。そう思いながらもそんな相手は靴を履き替えている。
ほら行くぞ、と言わんばかりの態度に混乱しながらも咲は急いで靴を履き替えて追いかけた。
黙っていたのは数十秒ほど。
校門を出ると京太郎の方から口を開いて話しかけてきた。
「さっき優希には連絡した。今日はちょっと来れそうに無いって」
「え? 優希って…片岡さんだよね。だってさっきまで行くって……」
一歩遠慮していつもより後に立つ彼女の方を一向に向こうとしないので少し不安になり始めていると…そのまま前を向いたまま京太郎は返事をした。
「あんなままで部活見学なんて行けるか。お姫様がへそ曲げてるってのにさ」
「別にへそなんて曲げてないよっ」
「それにこっちのが付き合い長いだろ。別に明日廃部になるって話じゃないんだし、今日くらいはお供させてくださいな」
その言葉に一瞬だけ立ち止まってしまう。
(もしかして私のため?)
たったそれだけの事で胸のつかえは取れてしまいそうになった。
だってそうだろう。今、間違いなくこの幼馴染は麻雀より自分の方を優先して追いかけてくれたのだ。
同時に今までの焦っていた事の理由も何となく気付いてしまう。なんでこんなタイミングで…と思いながらも気づいてしまったからにはどうしても確認がしたかった。
「ねぇ」
でもそれ以上を言うのを何故だか躊躇ってしまう。これ以上、言えば二人にとって何かが変わってしまいそうな気がして仕方なかった。
「えと…京ちゃんは私を置いていったりしない…?」
「どした急に…あァ、そういえば前に映画見に行った時は本編が終わった瞬間、俺がトイレに行ったら咲、半べそかきながらずっと席に座ってたな」
「ちょ! なんでいきなりそんな事思い出すのっ!? あれは余韻とかに浸ってただけだからね!」
「外で待ってても来ないから店員さんに説明して入れて貰ったときは何やってんだアイツって思ったなァ…」
「も、もう京ちゃんのバカ! こっちは真剣に……」
本当にこの男と一緒にいると大事な所で空気を読んでくれないと思ってしまう。
今だってコレだ。だからきっとなかなか進展しないのにもこんな理由がまだまだ存在するのだろう。
「だから置いていったら、そん時みたいになるだろ?」
「……ならないよ」
「へいへい、黙って置いてかないから心配すんなって」
咲にとって麻雀は苦手な存在になっていた。
だから昔のように"麻雀に奪われる" という事を嫌っていたのは確かにある。
でもそれと同じくらいの理由もあったのだ。
宮永家は理由あって家族が別々に暮らしている。咲にとって大好きだった姉もそうだ。その姉は高校を卒業した今でも麻雀の記事が載っている雑誌で度々見かけている存在で、そんな姿を見ているとどんどん距離が離れていっている事を思い知らされた。
だから宮永咲にとっての須賀京太郎もそう。
ただただ単純に"このまま自分が置いていかれてしまう"事が一番イヤだったのだ。
「むぅ…じゃ京ちゃん今から証明してよ! これからお供してちょうだい」
「お、どっか行くのか? いいぜ、何なりとお申し付けくださいってな」
「この間行ったカラオケ屋さん行こっ。京ちゃんのおごりで!」
「はァ!? いやからかい過ぎたのは謝るからマジで勘弁してくれよ、今月欲しいものあるから二人分は流石にピンチなんだって!」
いつの間にか立場が逆転し、前に立っていた咲の後から情けない声が聞こえてくる。
多分、きっと大丈夫だと彼女は結論した。
こんなにも楽しいなら、たとえ京太郎が部活を始めても何も変わりはしないのだと。
「冗談だよっ、ありがと京ちゃん」
だから今は柄にも無く大きな声で叫ぶのも悪くない。そんな事を思いながらイタズラっ子のような笑みを浮かべて少女は振り返った。
――――――
麻雀部への勧誘用のビラを印刷し終え、部室に戻った優希は置いて行った携帯のメールを確認すると残念そうに溜息を漏らしていた。
「京太郎、今日は来れないみたいだじぇ…」
「ま、用事なら仕方ないじゃろ。辛気な顔せんで、ほれ。掃除して今日はあがりんさい」
昔の活動報告と内容が違いますが、そう変化したと思って下さい。