京太郎のペットな彼女   作:迷子走路

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『優希の試練①』

 人生にはいくつもの出会いと別れが付き纏う。

 それは本人たちの想像していないタイミングで運命の出会いを果たす等という事も在り得ない話では無いし、その逆もまた然り。

 見た目が少し不良っぽい金髪の少年と、見た目と中身が一致するぐらい読書が好きな少女がちょっとした出会いを果たした後に今も尚、その関係が続くと誰が予想しただろうか。

 あまつさえ、それが今では家族を除いて最も仲の深い異性になるなどと当の二人ですら思いもしなかっただろう。 

 

 "事実は小説よりも奇なり"と言う。

 

 思いもしない関係が突然出来上がる事なんて、よく有る事とまでは言わないにしても、異常やオカルトといった言葉で表現するほど珍しいものでは無いのかもしれない。

 故にそう、誰も思いもしない様なタイミングで良好な仲を築き上げていた二人の少女の関係が変わる事も……きっと珍しくは無いのだ。

 

――――――

 

 一組の男女の関係がまたほんの少し変わり始めている今より、少し季節を遡る。

 それは夏が終わり、蒸し返すような暑さが尾を引きながらも徐々に涼しげな風が吹きはじめる時季。

 今の二年生がまだ一年生だった去年。とはいえ、日数的には一年にも満たない数ヶ月前にそれは"起きていた"。

 

「のどちゃん、転校ってどういうことっ!!?」

 

 運動部の掛け声にも負けないその声は、旧校舎に存在するが為に普段は静かな麻雀部の部室には驚くほどに大きく、その場に居合わせていた部員全員が思わず耳を塞ぎそうになるほどだった。

 声の主、片岡優希の悲鳴にも似た怒声の入り混じった叫びが部屋中に響き渡り、一人の少女にその剣幕は向けられる。

 その相手、今しがた「のどちゃん」と呼ばれた人物。原村和は謝罪の姿勢を崩さぬまま、下げた頭によって見えない角度で唇をぐっと噛み締めた。

 彼女の立場で語るなら、自分で勝手に決めて、その結果失敗し、そしてその判断が今、大きな過ちとなって自分自身の首を絞めているこの状況。

 胸が痛く、苦しい。じんわりと浸っていくような嫌な熱さが呼吸を乱していく。加えて喉はカラカラに渇いていて声を絞り出すのさえやっとの中、一人の少女はひたすら頭を下げ続けている。

 普段は冷静な和だが、流石にこの状況では何も考える事が出来なくなっていた。

 こうなってしまう前に予め頭の中で考えてきた台詞は想像の中より遥かに傷つけてしまった親友の叫びと表情によって、ぽろぽろと抜け落ちてしまう。

 

「……ごめん、なさい優希、言い訳はしません。全部私のワガママが招いた結果です」

「っ…! そんな事、知らない! 私が聞きたいのは……!!」

 

 一度点いてしまった火は自力では簡単に消えはしない。そんな中で出てきた模範的な回答は今の彼女には逆効果でしかなかった。

 今となっては下げてしまった頭は(おもり)をつけているように上げる事が出来ない。震えの混じった優希の声を聴くと、どうしてもその表情を浮かべてしまい、むしろ苦しくても、この姿勢の方が楽な気さえ思い始めていた。

 一触即発。

 そんな危うい状況をいち早く正すかのようにこの場で最も権力のある人物の両の手から一喝が鳴り響く。

 乾いた音が耳に届いたその瞬間、元の空気に引き戻される様に二人の少女は一瞬息が止まり、反射的に音の発生源である麻雀部長の竹井久へと視線を移した。

 

「はいはい、優希はその辺にしときなさい。言いたい事は分かるけど、とりあえずは和の事情もちゃんと聞かせて貰わないといけないんだから」

「ぅ……わかった、じょ」

「部長、あの、私は……」

「和。転校なんて昨日今日で出てくるほど軽い話題じゃないわよね? この場できちんと説明して貰わないと流石にこちらとしても困るわ」

 

 そんな久の対応によって二人の少女は少しとはいえ、心を落ち着かせる事が出来た。それがどんなに難しくても、この場では無理矢理にでも感情を押さえつけるしかないと思う他無い。

 一方で一人蚊帳の外…とは言わないが、未だに口を閉ざして傍観している部員の染谷まこだけが、最も冷静にこの場を理解していた。

 無論それは形だけのものであり、()()()()()という形で限定される。

 彼女とて内心では穏やかであるはずもなく、その分析や考えが正しいとは限らないのは分かっていた。

 だが、反射的に出そうとした『待った』は今の面子で彼女にとって一番の仲である久が年長者として、部長としての立場で役割を担ったのだ。

 ならば自分はせめて、友人がこの場で出来ない役を肩代わりするのが筋である…と、声にも出さず、素振りも見せず、目を瞑りながら息を吐き、真っ直ぐと視線を向ける。

 

(しっかし…こりゃあ、どう足掻いても一波乱は避けられそうにないのう…)

 

 彼女の目にはこの波乱の原因を作った和が、今にも心が折れてしまいそうな程に憔悴している様に映っていた。

 そんな彼女に一番の影響を与えている優希がこの中の誰よりも冷静になれない事くらい理解出来るし、実際そんな様子は手に取るように分かる。

 何よりも一見、冷静に見える久が立場上そうしなければならない様に努めているだけだと自分だけが解ってしまった。故にまこは余計に頭を抱えてしまいそうになる手を堪えて腕を組む。

 

 そんな、彼女達にとって部員不足に寄る満足のいく結果も残せなかった夏。

 個々の大会が終わり、せめて来年の部活に繋げる何かがないかを思案していた頃。

 団体戦に望めなかった時点で起こるべくして起こってしまった事件は来年以降の清澄麻雀部の活動に大きな支障を来たす最大の壁となって現れたのだった。

 

――――――

 

 数分後、本来あるべき姿である様に部室はしん、と静まっていた。

 …もとい、不気味な程の静寂がこの一帯に生まれていた。

 今は彩りある少女達の声も、麻雀部らしく小気味よい牌を打つ音もそこには無い。

 和の弁明と言える事情を聞き終えた三人はただただ口を閉ざし、思い思いに次の言葉を思考していた。

 ほんの五分にも満たない、簡素で要点だけを並べた説明からはこれ以上の自分からの言葉はないという意思が透けて見え、真面目な性格をしている彼女の言い分としては十分な言葉だと、優希の様に付き合いが長くない二人にもそれは正しく伝わっていた。

 

『以前から東京の進学校行きを蹴って清澄を選んだ事を快く思っていなかった父に認めてもらうために賭けをしていました。去年の中学校の時の様に高校でも全国で優勝する事ができたなら、清澄(ここ)に留まる事を考えてくれる、と』

 

『でもそれは自分の驕りでした。賭けに負けた以上、今年の冬休みまでしかこっちには居られません。年が明けて、三学期が始まる頃には向こうへの引越しも終えている事になっています』

 

『何度も機会は在ったのに、今になるまで言う事が出来なかった事を今更、言い訳するつもりはありません。全部…全部逃げ続けた私の責任です』

 

『本当に、本当に申し訳ありませんでした――』

 

 纏め上げられた言葉には何の力も篭っておらず、一見して事務的にも取れる解だが久とまこには十分にその気持ちは伝わる。

 

『こんなになるまでに少しでも気付いてあげられなかったのか』

『せめて団体戦にも参加させてあげることが出来たならまだ違っただろうか』

 

 "先輩"という立ち位置である二人だからこそ、和の言葉に対して同じ感想を抱いたのだろう。

 真面目で、聞き分けの良い可愛い後輩という共通の認識を持つからこそ、その短くもはっきりと言い切った姿勢に何らかの意見をぶつけてやろうという考えは一切起きない。

 端からそういうつもりは無いのだが、だからこそ余計に何を言えば良いのか悩んでしまう。少しでも間違えた言葉をかけてしまえばそれは彼女を更に追い詰めてしまう事になるのでは…と、そう考えてしまっても仕方ない事だった。

 

 たったの数ヶ月。その期間で触れた関係だからこその気を遣った考えは、それ故に大事な一歩目が出遅れてしまう。

 

「何、それ……なんで何も話してくれなかったの? のどちゃん」

 

 二人はハッとしてその声の方へ視線を向ける。

 『マズい』

 その判断が完全に遅れてしまう。

 

「ごめん、なさい…優希」

「謝んないでっ! のどちゃんはいつもそうだ! 普段はおっとりしてても、思った事はハッキリ言うクセに、意地っ張りで…こんな時にばっかそんな風にする!」

 

 誰よりも付き合いが長く"先輩"でも"後輩"でもない、最も距離の近かった彼女だからこそ先程の言葉を簡単に受け入れる事ができなかった。

 ずっと親友だと思っていた。だからこそ、ただ一言だけでも話して欲しかった。

 これでは、そのように思っていたのが自分だけの様な気がして。まるで「お前なんて関係ない」みたいに言われてるような…自分が和には頼りにもされないそれだけの存在だったかの様な気がして仕方がなかった。

 当然、それはただの妄想だと理解している。

 優希にとっても、和という少女はそんな事を思うような人間ではないと知っている。

 だが、そう考えようとしても上手く頭が働かない。

 ずっと一緒だと思っていた。勿論、そうなれなくなる事もあるかも知れないと、彼女の家庭の事情を聞いていた優希も分かっている。

 けれど、そうなったとしても親友の関係は続くと信じて疑わなかった。

 いつかどうしようもない理由で別れを切り出されても、受け入れて送ってやれると思っていたのに。

 

(のどちゃんが全国で優勝出来なかっただけが悪いんじゃない…だって、もしかしたら)

 

 今年の和は全国大会()()()の出場のみ。

 和は確かに麻雀が強いが、今年の全国は例年よりも遥かに怪物揃いの大会だった。

 実力不足という言葉だけでは足らない明らかな不確定要素。

 出ようが、出まいが、結果は変わらなかったのかもしれない。

 仮にこれが団体戦だったなら優希も必死で謝って、和も謝って、どんなに悔しくとも精一杯の力は尽くしたと納得出来たかも知れない。結局どうにもならないという事を前提としているならば同じにも見える違いだが、決定的と言える部分は確かにある。

 

(もっと私が頑張って最初からメンバーを集められてたら……まだ、のどちゃんにチャンスを作ってあげられたかもしれないのに…!)

 

 そう、結果は一緒だった。

 和にとって、団体戦に望めなかった事実が『個人戦で優勝するしかない』という結論に至った事で()()()勝つしかないという考えになってしまった事が全ての始まり。

 このまま何もしなければ去るしかないなら、結果は同じだと思った。

 だが、優希にとっては違う。

 友達だったからこそ、彼女にしてあげられる事は全てしてやりたかった。

 例えどんな結末になっても、納得のいくまで尽くせたならこの先もずっとそのままの関係で居られる。そうなりたかった。

 だから、言い訳の一つでもしてくれた方がマシだったのだ。

 何かのせいにしてくれた方がそっちに気持ちを押し付ける事が出来たかも知れない。

 最後まで一人で悩んで、それで失敗して、結局全部背負い込んで。

 そんな一大事に自分が全く関わっていなかった事がどうしようもなく悔しかった。大好きな親友に何もしてあげられなかった事が何よりも悔しかった。

 そんな自身への不甲斐なさにも憤ってしまい、思わず語気を荒げてしまう。

 こんなつもりじゃなかったのにと後悔する未来も今は想像できない。

 

 ほんの少し意地を張ってしまったというそれだけの理由が二人にとって大きなすれ違いを起こす引き金となってしまった。

 

「…っ」

「あ、おい優希!? 待たんかい!?」

 

 親友の言葉を()()()()自身への怒りと受け止めてしまった和は限界を向かえる。その結果、どんなに堪えようと我慢していたものが決壊しても責める事など誰にも出来ない。

 そんな感情を露にした彼女を見てしまった優希は居場所をなくしてしまったかの様に、そのまま逃げるように部室を出て行こうとする。

 他でもない親友(じぶん)がそうさせてしまった事がどうしようもなく胸を締め付け、半ば強制的に感情にブレーキがかかってしまった事で自分が何をしているのかようやく理解してしまった。

 

 やってしまった。

 私のせいだ。

 のどちゃんだけが悪いワケじゃないのに。

 ただ力になりたかっただけなのに。

 八つ当たりして傷つけた。

 何やってるんだ私は…!

 

 謝ってしまえば済むという考えは根を張ってしまったさっきまでの勢いに呑み込まれて全く思いつかない。お互いが冷静さを欠いたことが、事態をより悪い方へ悪い方へと流して行ってしまう。

 だから、今は感情を剥き出しにして走り去っていく優希の背中を和は呆然と見つめるしかない。

 やがて思考が追いつき、ふらふらとした足取りで彼女を追いかけようと滲む視界の中を歩もうとした……が、それは久に掴まれた腕によって阻まれる。

 こうなる事を止められなかった久はバツの悪そうな表情をしながらも振り払おうとする和の腕を離さなかった。

 

「っめないで……ゆ、きがぁ…ッ、はな、してぇ…っ」

「わかってるから、今はちょっと落ち着きなさい。こんな状態で追いかけても余計拗れちゃうわよ」

「ぅ…っ、ぅ…~~っ!」

 

 小さい子供をあやす様に頭を撫でながら優しく抱きしめる。

 それは落ち着きを取り戻すまで。引き攣る様に揺れる彼女の体が治まるまでそうしていた。

 考えてみれば先程の説明や普段の様子から察するに和は優希が此処にいたからこんな賭けに挑んだのだろう。そんな相手に拒絶されればこうなってもおかしくは無い。

 そんな中で、そういえば自分も、まことこんな風にすれ違って喧嘩をした事があっただろうかとぼんやりと思い返す。あまり記憶には無いが、ちょっとくらい言い争った事もあったような気がした。

 だからこそ、今かけるべきと思う言葉は意外にもすんなりと口から零れ出る。

 

「大丈夫、今はちょっと優希も冷静じゃないだけだから。向こうだって本気で和を怒ってるんじゃないと思うの」

「……でもっ、あん、な…怒った優希、初めて、で」

 

 その返事に、「あぁ、この二人はあまり言い争ったりしてこなかったのだろう」と久は理解した。

 日常的にとは言わないが、もう少しお互いの嫌な所をぶつけ合ったり、口喧嘩をしたりしていればこんな風にはならなかったかもしれない。

 だが、一緒にいればいつかは衝突する何かが起きるのは必然的な事だと思った。

 

「ただ…優、希と…皆と、離れっ…たくなかったっ…だけだったの、に……ごめん、なさい…ごめんなさい…っ」

(それが今日、こうなっちゃったってワケかぁ…)

 

 大事な後輩を傷つけないように出そうになった溜息を飲み込みながら、まこに視線を送る。

 すると、その視線を察した彼女は無言で携帯を取り出し、右の耳にそれを当てる身振りをしながら左手でオーケーサインを返した。

 きちんと考えが伝わっている事を確認すると「お願いね」と表情で返事をし、未だに崩れ落ちそうな和を支える事に専念する。その後でまこは音を立てないように部室の外へ出て行き、携帯の電話帳から『片岡優希』を検索した。

  

「さぁて、何ていったもんかのー……」

 

 ここまでの流れを傍観していた彼女は、頭を捻りながら今の状況に少しだけ不安を覚えた事を気のせいだと忘れ去る。

 久の行動はきっと正しいのだろう。

 あのまま和を行かせたとして。そのまま追いついたとして、きちんと話して関係を修復出来るとは到底思えない。

 こちらはそれでいい。だが、優希はどうだろうか。

 今は意固地になってはいるが、基本からして彼女はちゃんと相手の気持ちを汲める人間である。だから居たたまれなくなって逃げてしまったのだ。

 

 あのまま直ぐにでも追いかけさせてやった方が、何だかんだいっても傷が浅い内にどうにかなったんじゃないか?

 

 そんな、たらればの考えを切り捨てて、今は何を話すのかが重要だと自分自身に言い聞かせる事にした。

 こっちもそうだが、勿論あっちだって同じくらい大事な後輩である事に未だ変わりは無い。

 両方共の気持ちも分からないではないからこそ、きちんと言葉を選ばねばならない。それもまた先輩として大事な役割の一つなのだ。

 

――――――

 

「はい…はい、わかってるじょ。…ちゃんとのどちゃんと話す…じぇ」

 

「のどちゃんをお願いします。さっきのはホントにすみませんでした…」

 

 勢いのまま部室を飛び出した優希は、まこからかかって来た電話に当たり障りのない返事でそう返していた。

 空返事とまでは言わないその言葉にこれ以上の追求をせず、言質のみを取ったまこはとりあえずの納得をして短く会話を切り上げる事にする。

 

『今日中とは言わんが、こうなったらしゃあないじゃろう? まぁ分かっとるみたいじゃけー今日はこのまま帰ってもえーから……あんま気ぃ落としなさんな』

 

 今日は週末で学校が休みだったのが幸か不幸なのか、最低限の所持品しか無かった為、無鉄砲な行動を起こした現状でも再度部室へ戻る必要の無い優希は持っている携帯を握り締めたまま思考を止めた。

 あのまま再び和に会う気力は今は無い。

 だが、問題の先延ばしは更に問題を作る原因にもなりかねない。

 しかし、戻るにも帰るにも一歩踏み出す勇気が足りていなかった。

 

(この後、どうしようかな…)

 

 少しずつ冷静さを取り戻していくと余計に気まずさが蘇ってくる。

 いや、むしろどんどん気まずさも不安も大きくなってきている気さえした。

 親友を泣かせてしまった事が深く深く胸を刺す。

 何より自分がそうなのだ、向こうだってそうに決まってる。

 

(もう、のどちゃんと普通に話せなくなっちゃったら、どうすればいいんだろう…)

 

 転校までもう何ヶ月かしかない。

 その間に今日出来てしまった溝を埋める事が出来るだろうか。

 そんな不安が芽生え始めた瞬間にはもう、優希は呆然として立つ事しか出来なくなっていた。

 そう考えているだけでも時間は過ぎていく。

 道の片隅で少女は進む事も戻る事も出来ずにいた。

 休日だけに目の前を通り過ぎていく人影は多いが、悩める彼女に気付いても話しかける者はいない。

 当たり前といえば当たり前の光景。

 こんな状況で話しかけてくるとすれば、それは何かの勧誘かナンパぐらいのものだろう。

 

 そんな狙ったかのようなタイミングで、少女と少年は初めて言葉を交わした。

 

「おい、お前大丈夫か? 何か顔色悪ィけど…」

「……誰だお前は。今は、ほっといて欲しいじぇ……」

 

 気付くと、目の前には平均より大きそうな身長の私服姿の男子が立っていた。

 人生初のナンパかとも思ったが、そんな事はどうでもいい。親切心からの言葉だったかもしれないが、この状況ではただただ煩わしく、優希は意図してはいないが不機嫌そうな声でそう返事をした。

 別に今の状況に酔っている訳ではない。だが、何を考えようと考えまいと、今はどんな相手に話しかけられても鬱陶しいとしか思えなかった。

 そんな返事をされた相手が取る行動はめげずに押すか、諦めて退くかしかない。

 そして、普段の彼ならばコレで退いたかもしれない。

 だが、何処かで見たような。というより、ちょっと前までの彼の幼馴染みの様な状態の目をした少女をどうにも放っておく事が出来なかった。

 

(ったく、咲のヤツの頼み事でムダ足踏んだばっかだってのに……仕方ねェな)

 

 優希にとっては初対面の相手だが、必ずしも相手も同じだとは限らない。

 現に彼女は清澄という敷地内では学食に行く生徒達を中心にちょっとした有名人だったりする。

 

 入学してから殆ど毎日学食にタコスを買いに来る女生徒。

 校内、校外問わずに常にタコスを持ち歩くタコス女。

 

 そんな相手を少なからず見かけたり、知っていたが為に話しかける事に抵抗は少なかった。

 普段が普段だけに、今の彼女はどう見ても普通では無いと分かる。

 だから、話しかけようと決めた時点でこの男にとっては、それだけで十分だった。

 そんな中で、ちょうど昼時で腹も空いているなと思った瞬間、何を言うか。どう行動するかを思い付くのは早く、すかさずその話題で相手に興味を抱かせる。

 

「なら別にいーけどよ。あー、それにしてもなんか腹減ってきたなァ。今日はタコスでも食いたい気分だわー」

 

 人間、どんなに落ち込もうとも、追い詰められようとも欲求には逆らえない生き物である。

 当然、優希もこの時間ならばそうなるのは当たり前の事だ。

 どんなに他の事で忘れていても、一度思い出してしまった以上は抑えようとしても抑えられないぐらい気になって仕方なくなってしまうのも無理はない。

 そんな様子の彼女を見てニヤリと笑うと、続けてとどめの言葉を言い放った。

 

「お前オススメの店とか知らねーか? 付いてくるなら特別に奢ってやらんでもないぞ?」

「………………い、行く…じぇ」

 

 いつまでもここに居続けても仕方ない。それに、相手が少しでも嫌な雰囲気をしていれば幾らなんでも誘いには乗らなかったが、少し目立つ見た目と身長の威圧感に反し、表情や仕草から何処と無く無害そうな男だと判断した優希はそれを受け入れる。

 悔しそうな、恥ずかしそうな表情をしながらも少しは元気になった様子の彼女を見て、ナンパ男…のつもりは全く無い少年、須賀京太郎は満足気に笑った。




※今作は基本ハッピーエンドです。

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