京太郎のペットな彼女   作:迷子走路

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※10/2一文修正
 京太郎の台詞で季節を間違うミスをしていたので修正しました。 


『咲は今日から少しずつ』

 この場に立ち尽くしてどれだけの時間が経っただろうか。

 ただ何となく、何となく。別に約束をしているわけではない。

 けれど、何となく。

 ただ気が向いたから少しの間を待ってみただけ。それだというのに、■■■(待ち人)は一向に現れない。

 誰かと何かを競ってる訳でもないのだが、一度待つと決めた事が自分を意固地にさせているだけだと思う。

 このまま帰ればそれまで■■■(その人)を待つ為だけに費やした時間が無駄になる。ただそれがイヤだから。

 例えどんなにそれが短い時間でも。ここから待つ時間の方が長くても。

 ここまでの時間がもったいないから。無かった事にするくらいならば、もう少しだけ待ってみる。別にそれ以外の意味なんて、きっとない。

 

「あれ、こんな時間まで何やってるんだ」

 

 そんな言葉が届くまで暫く。その時の自分は空を見上げていた。

 黄昏時をとうに越え、目線を落とすと既に足元すら暗く染まり上がっているが、それでも音は良く澄んでいた。

 聞き間違えるはずの無いその声は、ここまで待った自分への労いの欠片もないものだったが嫌な気は全然起きない。

 むしろ当然といえば当然な反応。

 自分が勝手にやった事だから。だからさっきまでの感情も勝手に水に流し、引き寄せられる様に声の方へ歩んでいくと、互いの顔はもっともっと近づかないと見えない事に気付く。

 それだったら。もう少し近づいたなら、すかさず腕でも組んでみても良いかも知れない。そうすれば、きっと隠せていない今の表情を悟られる事はないだろうか■■■■――――――――――

 

 

 

「っ~~~、うぅ~~~……」

 

 くしゃりくしゃりと、咲は下書き用のノートのページを千切って丸めて捨てる。

 彼女が麻雀部の事情を知ってから数日。

 色々あったが、本日とうとう京太郎がその日から初めての部活見学へ向かった為、いつもより早くに帰宅した彼女は制服を脱ぐよりも先に机に向かい、思いつく限りの文章を認めていた。

 しかし、結果はうんうんと唸りながらペンよりも消しゴムの方が忙しなく動く始末。

 結局、何回目ともなる書き直しに所々消しきれない程に跡が残ってしまい、読み辛くなったそれは幾度と訪れた限界に遂に全部書き直し(リセット)が決行されてしまう。

 因みに限界と言うのは作者である咲自身の心の限界というのも大きい。

 いつか書こう書こうと今まで先延ばしてきたが故に、いざ書いてみると消極的な性格の彼女にとって執筆というものが如何に神経を磨り減らす作業であるのか。それを本人は全く理解していなかった。

 ただ今回、この場合においては彼女が選んでしまったジャンルが大きな原因であるとも言える。

 

「やっぱり恋愛系のお話何て私には無理だったかなぁ……でも他に京ちゃんの好きそうなジャンルは書ける気が全然しないし……。どうしたらいいのか分かんないよー、京ちゃーん…」

 

 情けない声を出し、ある意味で元凶とも言えるこの場にいない相手の名を呟きながら机に突っ伏す。

 彼女の性格からして元より誰にも相談なんて出来ないし、出来る限りしたいとも思えない複雑な気持ちを抱えたまま、咲は目の前に立ち塞がる自分の目標に挫けそうになっていた。

 そんな風に一頻り唸って悶えていると、ふと時計に目が行く。

 

(まだこんなに早い…いつもなら帰ったらご飯とかお風呂の支度する時間だったのに)

 

 考えてみれば最近はずっと放課後の時間は二人で図書室に入り浸っていたのだと実感する。

 勿論、偶にはそんなではない日もあったが、そんな時は中学の頃の様に一人でも足を運んでいたのだ。

 そんな、だからだろう。

 京太郎を教室で見送った後、気が乗らないからとそのまま家に帰ってはみたが、ただ意味も無く暇を持て余してしまっていた。

 

(京ちゃん、明日は一緒に帰ってくれるかな)

 

 身体を起こし、机の上に転がっている二本の内の一本のシャープペンを指の間に挟むと、それをくるくる回しながら思いを馳せる。

 大事なもう一本の方は間違ってもこの様な扱いはしないが、私物であるこちらは自分が書けない時に気を紛らわす為の主な手慰み物であり、延々と悩んでいた時からのお供である。

 そのペン回しの腕前は普段の彼女から想像も付かないくらい上達していて、今日まで如何に本題となる執筆作業に手が付いていなかったが窺えた。

 そんな、それを見つめながら、明日の心配と今の後悔の板ばさみに苦悩しながら段々と気持ちが沈んでいくのを彼女は感じ始めていた。

 しかしそれを責める事は誰にも出来ない。

 見学を認めたのは自分で。それを許したのも自分自身で。

 今さらやっぱりモヤモヤするから許せなくなった何て居える筈もない。だから苦悩する。

 

(多分…部活、入っちゃうんだろうな……そしたらずっとこんな感じなのかな)

 

 そう思うほど、チクりとした痛みの様な何かは彼女の身を襲う。

 病気でも何でもないそれは、気のせいだと言い聞かせても、気持ちが沈むほどに自覚する回数は増えていった。

 

「……あっ」

 

 思わず溜息を吐いた瞬間、その手元が狂ってしまう。盛大に失敗してしまって部屋の隅に転がっていったペンを拾いに行くと同時にもう一度溜息が零れ出る。

 何やってんだろ。

 ここ最近、そう幾度と無く考えたが今日は特にそうだった。

 このまま結局、今日も何も変わらないまま一日が終わるのだろう。

 そのまま結局、明日も何も変われないまま一日が過ぎるかもしれない。

 あの日、きっと大丈夫だと思えたのが沈んでいく気持ちと共にまるで夢か嘘だったんでは無いかとさえ思えてくる。

 変わらないではなく、"変われない"。

 いつか隣に立つ事すら無くなり、徐々に距離は離れて、気付けば………。

 

(あーもう何、変なコト考えてんだろ)

 

 拾ったペンを机に置き直し、かぶりを振る。

 少し前から彼女自身に起きている、本人にとってもぼんやりとした心境の変化はそんな感情(マイナス)に歯止めをかけた。

 それはどんなに落ち込んでネガティブな思考に陥ったとしても、今までよりもほんの少し彼を信じてみようという心。

 須賀京太郎は嘘をつかない聖人ではない。

 冗談だって、しょっちゅう言うし、咲の事をからかって来たりもする。

 ここまでの積み重ねが無ければ何処にでもいる名前も知らない相手と大差ない普通の男子。

 それでも今こうしている咲にとっての特別であり、自分に優しい人間であるという事。

 …本当は誰にでも優しいお人好しだというのは当に知っている。でもそれだけではない。

 説明は難しくても。それをちゃんとした言葉には出来なくても。

 それでも彼が咲自身が理解出来る程に咲に優しい事だけは覆せない事実だった。

 以前に体調を崩した時に彼がお見舞いに来た日を思い出す。

 あの日からまた一つだけレベルが上がった関係は、咲の中で信頼と僅かな依存という感情に振り分けられている。

 約束を反故にしてしまい、更には売ってもいない本を探しに行かせてしまったにも関わらず、彼の最初の言葉は自分の心配だった。

 おどける様にしれっとその事を言うと、何に影響されたのかと思うようなちょっとクサい言葉を罰ゲームだと言ってきたりして。

 

『さっさと良くなって、元気になったら改めて今度一緒に映画見に行こーぜ。ただし、その時は俺が見たいヤツを見るコト。文句はナシだからな』

 

 流石に本人もちょろいなぁと感じたが、喜びと言う感情を理性で抑えられる程に捻くれてはいない。

 だから…、だから、きっと。多分、この人はもっと信じてもいい人なのだとその日、咲は思った。

 それ故に悩む。どんなに下手だとしても、少しでも彼が面白いと思えるような作品にしたいといつの間にか深く考える様になっていった。

 だが、残念な事にそもそも好きなジャンルが微妙に二人は噛み合っていない。

 逆を言うと、それ故に互いに薦め合う作品は双方共に新鮮な気持ちで読めるのだが、書くとなると話は別で、書きたい方向と読ませたい方向性が違ってしまう。

 本当は恋とか愛なんてよく分からない。

 けれどミステリやファンタジーといった難しいものを一から書ける筈も無く、相手が好きな少年マンガの様な冒険物語や展開も書ける気がしない。

 ならばと、消去法では在るが二人とも読んでいるジャンルの中でもほんの僅かに好みの被った、そこまで難しく無さそうなモノを咲は選んだつもりだった。

 

 ……結局その判断が本人にとって体感的にファンタジーと同じくらい遠いモノだった訳だが、どんなに四苦八苦しようとも、彼女はもう諦める事なんて考えられない。

 

 自分に何が出来るのかを。何をしてあげたいのかを考えた日にそんな選択肢は消えていた。

 どうでも良い相手にこんな気持ちになったりはしない。

 どうでもいいのなら。その一人の為に悩むここまでの時間も気持ちも嘘になる。

 少なからず、そんな気持ちは自分の文章となって表れる。

 当たり前の様にそれは無意識で。損だ得だという感情は多分、ない。

 けれど、ほんの少しでも褒めて貰えたら。面白いと言って貰えたら。

 それだけでここまでの時間はきっと無駄なんかではなかったと思えるだろうからと、筆を執る。

 だから、もう一度頑張ってみようと椅子に座って彼女は浮かび上がる言葉を紡ぐ。

 自分に言い聞かせ、言い訳しながら気持ちと想いを込めて文字を綴る。

 何度も何度も頭を悩ませ、幾度と諦めてしまいそうな心を何とか奮わせて。

 それは、それでもその先に思い描く二人が笑顔の挿絵(みらい)を心に浮かべながら―――。

  

――――――

 

「なァ、この後ちょっと時間あったりする?」

 

 翌日、当たり障りの無い平凡ないつもと同じ時間が流れた放課後。

 終礼が済んだ事で其れ其れにざわつき出す周囲の中、どんな物語にしようかと自分の席で思考していた咲は、京太郎の唐突な誘いの言葉に現実へと呼び戻される。

 暫くは麻雀部に顔を出すと宣言していただけに今日もてっきり「行ってくるわ」ぐらいの言葉しか来ないと想像していた咲は「はいはい、行ってらっしゃい」という喉まで出掛かった機械的な返事を飲み込んだ。

 

「……えっ!? えぇっと、ど…どーしたの? 部活行くんじゃなかったっけ?」

「いや、驚きすぎだろ。別に用事があるなら無理しなくていーケドさ」

「あ、待って! 平気だからっ私、暇だったから! 全然大丈夫だよっ!」

 

 声を上擦らせながら覗き込む様な目で訴えかける咲に京太郎は思わずたじろぐが、異様に付いて来たがっている誘った相手を突っぱねる様な真似は当然出来ない。

 正直、少し引いてしまう程の食いつき方の友人に可能な限りの平常心で対応する。

 

「お、おう? そんな張り切らなくても良いんだが……ちょっと部活に行く前に図書室行くだけだぞ」

「あー……大丈夫だよ、どうせ帰るだけだったし。行くなら早く行こう? 京ちゃん」

 

 "部活"という単語に咲の頭は一気に冷えていく。

 やっぱりという感情は少なからず最初からあったが、それでも残念という感情の方が今は大きくなってしまう。

 まるで熱湯に氷を大量に投下した様な急激な態度の変化に、今度は少々の不気味さを京太郎は感じてしまうが、たかがいつもの図書室に行くだけの事に遊園地にでも連れて行ってもらう子供のような反応をされても困るので頭を切り替えていく事にした。

 とはいえ、目の前の相手の心境は到底理解は出来ないが明らかに落胆させてしまったというのは流石に感じ取れたのでほんの僅かの心苦しさを覚えてしまう。

 別に教室を移動する程度の僅かな時間にもいつも会話をしている訳ではないが、今だけは二人歩きながらの僅かな沈黙が居心地が悪く感じ、耐えられなくなった京太郎は何か話題を出そうと考えた。

 

「今日は優希のヤツが日直らしいから早く行ってもやること無くてさ、別に急ぎじゃないし、とりあえず適当に時間潰してから行こうと思ってよ」

「ふーん、じゃあ私は京ちゃんの時間潰しのダシって事なんだ」

「…咲ってたまーに刺々しい感じになるよな。悪いって、この間借りた本が面白くて昨日全部読んじまったんだ。そんな事言わないで次のオススメ教えてくれよ」

「……え? もう読んじゃったの? ちなみにどの部分が良かった?」

「ん~最初のトリックと最後のオチかなァ」

「あ、わかる! 私も発想が凄いなって~思って、それでオススメしたんだ」

 

 再び転じてコロコロと変わる咲の様子に最早、逐一驚く事も少なくなってきたと彼は語るだろう。

 普段口数は決して多くない彼女だが、話す事が嫌いなワケでは無く、単純に話せる相手と語れる話題が少ないだけというのは当に京太郎は気付いていた。

 饒舌という程ではないがそんな咲を見るのは別に嫌いではない。

 加えて、このところは本当に読書という習慣が悪くないものになってきたのでコレについてはお互いにとっても益のある事だと単純に考えていた。

 しかし、咲にとってはそうではない。

 "咲ほど"ではない京太郎にとっては単に一人の友人との話題合わせだが、"京太郎ほど"ある意味遠い存在だと思っている咲にとっては唯一の友人との大事な共通の話題である。

 これもまた環境が悪かったのだと言うより他無いが、少しでも話せる友人が極端に減ってしまった事が高校生活の二年目にして一層、彼女に響いて来ていた。

 中学の時はまだマシだったのだと、それに尽きる。

 あの頃はそこそこ話せる友人もいた。その上で自ら読書に時間を割いていたのだから別段思うところは無かったが、今は違う。

 身近では彼相手でしか好きな話題で語れず、部活を辞めた二人には時間が余りに余っていた事で一緒にいる機会が多かった。

 その事で一人より二人でいる時間の楽しさを知ってしまい、現在唯一の話し相手である京太郎との会話は必然的に一番自分が自分らしくなれるという事に繋がる。

 要するに無自覚であってもこの会話は咲の灰色がかってる青春の中でも特に楽しい時間で占められているのだ。

 どんなに普段と違う自分を見せたとしても構わないと思える相手であり、見せた所で何とも思わないであろう少年との時間は色々こじらせ気味な少女にとって不思議な魅力を感じさせられる。

 今更それは考えるまでも無い、宮永咲の日常となっていた。

 

「おーいお姫様、図書室はここだぞー」

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、終わった瞬間にその事を強く自覚する。

 思わず話す事に夢中になり、ピタリと扉の前で立ち止まった京太郎に気付かずに数メートル進んだ彼女はその呼びかけに気恥ずかしそうに歩み戻っていくのだった。

 

 

………

………

………

 

 

「…永さん……宮永さーん……」

「ぅん~……きょー、ちゃん、まだ、も少し……」

「ごめんなさい、眠いんだろうけど今日はもう図書室を閉めないといけないの。起きて宮永さん」 

「っんえ? う~ん……あれ…? きょ、じゃなくて。えと……」

 

 昨晩は物語を作る事に熟考してしまい、夜更かしをしてしまった咲はいつの間にか図書室で眠ってしまっていたらしく、軽く混乱してしまう。

 肩を揺らされながら顔を上げると、教師っぽい人が立っていた。

 そんな風に思いながら徐々に思考の焦点を合わせながら現状を把握する。

 

(誰だっけ、この先生……どうしよ、名前覚えてない…)

 

 高校生になってからすっかりと変わってしまった環境に色んな意味で諦めムードに捕らわれてしまった咲は周りに対する情報にすっかりと疎くなってしまっていた。

 今ではクラスメイトでも顔と苗字程度しか記憶に無いレベルで、関わりの薄い他クラスの同級生は勿論、上級生や話す機会の無い教師の事を記憶している筈も当然無い。

 その為、どんなに考えても名前の出てこない相手に焦りが出てくるが「多分、図書室を管理している先生だよね」と状況的に推理してみた。

 実際の所その考えは正解であり、今日は事情あって図書室をいつもより早めに閉館するので、最後まで残っていた常連客である彼女を起こしに来たという事らしい。

 考えが的中した事にホッと胸を撫で下ろすと、あれからまだ一時間程度しか経っていない事に気付いてしまった。

 

(今帰ってもする事ないなー…昨日みたいになっちゃってもつまんないし…)

 

 昨日は興が乗っていたが今日はまた気分が違う。

 あーでもない、こーでもないという度々ある、言葉にならない気分で取り組んでも結局何も出来ないまま終わるのは何回も経験済みだった。

 …実の所、本当はほんの少しだけ"用事"を考えてあったりするのだが、それをするにはまだ色々早い気がしてならないと感じてしまい、あまり気が進まなかった。

 

「でも帰ってもする事無いしなぁ……」

「大丈夫、宮永さん? 本当にごめんなさいね無理に起こしちゃって」

「あ、いえ…大丈夫です先生。こちらこそすいませんでした」

 

 荷物をまとめながらそんな事を考えていたが、このままではある意味せっかくの機会を逃してしまう事に一先ず、とりあえずはという気持ちで一つの決意をし、教師と共に図書室を出て鍵を閉める音と同時に咲は……『質問』をした。

 

「あ、あの! 先生っ…ち、ょっと、いいですか!?」

「え? えぇ、はいどうぞ、何を聞きたいのかな?」

 

 再三、何度も確認している事だが、咲には友人と呼べる友人が"少ない"。

 理由は機会を逃し、話せるタイミングと話す勇気が無いからという彼女なりの悩みが原因である。

 プライドは多分ある。というより変に有るが故の苦悩とも言えるのかもしれない。

 だから事実として、彼女は京太郎以外と殆ど話す事がない。別に話せない事は無いが、無駄に緊張してしまう上に、普段喋らないのに急に話し掛けて来た変な人物だと思われてしまうのではないかと根拠の無い卑屈な発想がいつの間にか心中に根付いてしまっていた。

 別にそんな事無いし、だからどうした。と京太郎なら言うだろうが、咲にとっては一人あぶれてしまった状態から複数集まっている相手に話しかけるに等しい勇気がいると例える程の事で、その為なかなか発言をする機会がない。

 その中でも教師というのはまた違った立場である為、そんな理由で聞くに聞けなかった質問もクラスメイトより何倍も聞き易く、今、ここでそうしなければ絶対に後悔すると判断した。

 

「ま…麻雀部の部室って何処か…わかりますか!?」

 

 こればかりは京太郎に聞くことが出来ない事だった。

 変に期待させる可能性だって有るし、そうでなくとも貴方がいるからと言う理由を本人に直接話す訳にも行かない。

 何よりも麻雀部は旧校舎内にあるのが問題であり……。

 

「出来れば、その…地図にしてくれると助かるんです、ケド……」

 

 同じ学校の生徒ならば呆れられるか馬鹿にされるか。

 どんなに事実としてそうでないとしても、輪をかけてレベルの上がった極度の方向音痴である彼女にとってそんな不安は「先生相手ならまだ耐えられる」という妥協でしか拭えないぐらいの事だった……のだろう。

 

――――――

 

 地図を見ながら何とか旧校舎にたどり着いた咲は早くも後悔をし出す。

 そもそもここまでの事を中々行動に移せなかったのは、彼女なりに色々早すぎる気がしたからだった。校舎内に入ることなく、門の前で背中を付けて佇みながら今なら引き返せる事を悩むが、足は地面に吸い付いている様に動かない。

 一つ、時間的に早い事。

 凡その予想でしかないが、多少迷って遅くたどり着いたとはいえ、まだまだ日が高いので一時間くらいはその場で何もしないでいなくてはならないと考えていた。

 二つ、時期的に早い事。

 昨日は一人で帰ったが、待つと言う事は一緒に帰りたいと言う理由以外考えられない。

 当然それは彼相手であろうと気付くだろう。

 まだ二日目。たったの二日目だ。正直に言って、長い時間相手を待って移す事にしてはかなり重たい行動であるというのは、ひしひしと感じていた。

 粘着質な人間と思われたくはないし、ストーカー気質と疑われたら物凄く凹むだろう。 

 なのに、足が動かない。いっそ帰ってしまえば何ごとも無く明日が迎えられると言うのに、一人家に居るよりもずっとこの場で待つ時間の方がキライじゃなかった。

 

「……ただ何となく。別に、京ちゃんと約束なんてしてない。ただ気が向いたから少しだけ待ってるだけ。もう少し待っても来なかったら帰ればいい」

 

 昨日没にした物語の文章の一部が頭を過ぎった。

 口にすればそれはやっぱり恥ずかしい文章な気がしたが、恋愛小説を書くと決めた以上、せっかくなので成り切ってみたら何か変わるかもしれない。

 

(せっかく待ってあげた時間がもったいないから。だってもうちょっと待ったら来るかもしれないし……そしたらやっぱり、損したって思う)

 

 思うだけなら案外すんなりと言葉は出来上がることに調子付いた彼女は目を瞑りながら偶にブツブツと口に出しては構成を組み立てていく。

 

(そしたら……手を繋いで…ってまだ早いかな? でも手くらい恋愛ものなら普通だよね。話進まないし)

「でも急にやったら不自然かなぁ」

「何が? つか、こんな時間まで何やってんだよ」

 

 聞きなれた声の介入に反射的に驚きの声が漏れてしまう。

 考えていた事が事だけにその衝撃は中々良いダメージとなって体から飛び出した。

 

「ぅわァ!? き、京ちゃんいつからいたのっ!??」

「さっき。門に見覚えある顔があると思って来て見たら本人だし、目、閉じてるし。立ったまま寝てるのかと思ったぞ」

 

 そんなに時間が経ってしまっていたのかと動揺する。

 だと言うのに、そもそも悩んでいた理由の解決策すら考えていない状態で本当に待ち人と遭遇してしまい最早逃げ道は無くなってしまった。

 

「で、何やってたんだ? 部活行くって言ったろ?」

 

 一緒に帰りたくて待ってただけだよ。

 それがすんなり言えたらどれだけ楽だろうか。

 言えるはずも無い言葉を呑み込んで考える。が、納得のいく答えなんて出るワケがなかった。

 

「……まァ、いいや。とりあえず帰ろーぜ」

「ぁ、うん…」

 

 その言葉を皮切りに、いつもとは違う帰り道をいつもの二人で歩く。

 そこにはいつもなら隣同士で歩く筈の二人が、少し斜めの線に並ぶ形で影が揺らいでいた。

 京太郎が前に立ち、その少し後に咲が立つ。

 何となく無言で、お互い顔を合わせることなく同じ道を進んでいく。

 

(どうしよう、何か言わないと…京ちゃんには変なヤツだって思われたくないよぅ…)

 

 軽率だったと後悔しながら考えるが答えは出ない。一つ以外は。

 もう言うしかない気がしていた。別に、言っても問題は無い筈だと言い聞かせる。

 だって相手はこの男だ。きっと、多分、大丈夫。

 だから、お願いだから距離を取ったりだとかはしないで欲しいと願って声を絞り出した。

 

「その…暇、だったから…いつもみたいに京ちゃんと帰ろうかなっ…て思って。でも思ったより、部活って時間掛かるんだな……って」

「はァ? なんだそれ、ただ待っててもつまんないだろーが」

「まぁ…うん。暇だった……かな」

 

 忠犬かなんかかよ。

 京太郎はそう思ったが口にはしなかった。

 振り返ってはいないが、咲の声がいつもより小さく、最近の自分相手にする声量ではないと感じた為である。

 咲の考えている事は本当に分からない。

 だけど、京太郎にとっても別に悪くは無い気持ちにはなっていた。

 友達と帰りたくて待つくらい経験が無い事も無いし、おかしいと思う事では無い。

 咲の場合は友達付き合いが無さ過ぎてちょっと度が過ぎてるだけなのだろうと楽観的に考える事にした。

 だってあの咲だ。どんくさくてポンコツで、見といてやらないとこっちが不安になる様な、そんな女子だ。

 忠犬とは妙だが、どことなくしっくり来てしまう表現だとさえ感じる。

 だったら主人を待ったサキ公には褒美くらいやるか、と未だにしょぼくれている咲に茶化すように、少しおどけた感じで声を掛けた。

 

「って、なーに沈んでんだよ。疲れるくらいなら最初から意地になるなっての」

「…え?」

「ほらそこの自販機でジュースくらい奢ってやるから、途中でバテんなよー」

 

 別段気を遣ったわけではない。単純に京太郎も自分を待ってくれた相手に気を良くしただけで深い意味は無いし、本気で主人の気分を味わっていると言う事も無い。

 咲は咲で何でジュースを買ってもらえるのか解らず動揺するが、京太郎は何故か機嫌が良いようにも見えた。

 何ひとつ想像と同じ事にならなかった事態に混乱の極みに達するが、考えていたような展開にはならないであろうという事がジュースを受け取った瞬間に理解でき、ようやく心から安堵する。

 ジュースをくぴくぴと飲んでいる最中に隣の京太郎の顔をのぞき見る。

 

(京ちゃん、普通だ……あー良かったぁ……嫌われちゃったらどうしようかと…)

「そーそー咲。麻雀部だけど、今年は大丈夫そうだってさ」

 

 安堵した瞬間にそんな言葉が頭に降りかかり、少し驚きながら見ていると目線が合った。

 何故か、少しだけ逸らしたくなって缶を握る手へ視線を移す。

 

「去年の部長の竹井先輩ってんだけど生徒会…じゃなくて学生議会長何だけど…とにかく会長がさ、ちょっとだけ根回ししてくれてたみたいなんだ」

「そんな事出来るの?」

「さァ? でも実際去年のメンバーで今年の会長相手にあくまで『お願い』ってことで今年まで"部"としての形を残してくれないかって頼んでたらしいぞ」

「へぇー凄い人だったんだ」

 

 話半分といった気持ちで咲は要点だけ聞いて喉を潤す。

 要するに、京太郎が今年は部活に入る必要が無くなったという事だけ内心では嬉しいと思いながら理解した。

 

「どのみち今のトコは旧校舎を部室に使いたいって部が無いのが大きかったのかもな。元会長との約束も守れるし、当面は大丈夫って事だわ」

「部室?」

「ほら、部員が足りないと同好会的な扱いになるらしいから部室を持つ理由がなくなっちゃうんだってよ。麻雀部って旧校舎(あそこ)の屋根裏部屋っていう結構設備が整った場所占拠してるから」

「あー、部じゃなくなってそこが埋まっちゃうと道具とかそういうのが…」

「そ、面倒ってコト。一回明け渡したら返せってもそうはイカンだろーし」

 

 学校としても"部活"じゃない麻雀部にいつまでも好条件の場所を渡す理由が無いのだからこの『お願い』とやらはかなりの効果があるといっていいだろう。

 コレは一年、目を瞑って後はどうにかするというのが大雑把な内容であり、可能な限りは今後も工面するらしいが、来年以降は元会長をそこまで詳しく知らない世代にバトンが渡されるのであくまでお願いが完全に通る保障は今年が限度らしい。

 つまり来年部員が集まらなければ麻雀部は正式に同好会になる事もあるという事で、そうなれば改めて京太郎は数合わせに参加する可能性がある…という事である。

 

「……じゃあ、京ちゃん明日は?」

「さァなー。でももう新入生は殆ど部活入ってる時期だし部員の集まらない部のアピールなんて文化祭とか校外で来年清澄(ウチ)を受験しそうなとこに声掛けるとかそんなだろうから無理に顔出す事は無いな」

 

 やった!

 声には出さないが、そう喜んでいる自分がいるのは間違いなかった。

 自分でも驚くほどにその気持ちは鮮明で、同時にこの間の二人の帰り道で気付いた、頭の片隅にある可能性に咲は胸を高鳴らせた。

 

 咲にとって、自分の書いている小説は未知のものである。

 自分に経験なんてない。今後もするとは思ってない。

 そう、本人は思っていた。

 

 ふと、カランという音が鳴り、顔を上げると京太郎がいつの間にか少し離れた位置から空になったジュースの缶をゴミかごへ投げ入れていた。

 

「おーしっ!…そうだ、明日暇なら本屋に行かねーか。本当は昨日発売だったんだけど……」

 

 急ではなくなった事で彼にも余裕が出たのかもしれない。

 意図するでなく、間接的に咲と一緒に帰る発言に思わず手を自分の頬に伸ばす。

  

 もしかしたら今の気持ちだって、ただ彼が必要だから大丈夫だって分かって安心してるだけな気がして。

 一方的に頼りにしてるだけの関係をそんな風に言ったらダメな気がして。

 でも、もしかしたらってそんな気もして。

 本当の本当に、恋とか愛なんてよく分からない。

 けれど、もう。してしまっていたのかも知れない。

 

 指に残るいつもより熱い体温を感じながら、咲は飲み乾した空き缶を棄てて少しだけ躊躇うように駆け寄っていった。

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