フレンチトーストのフレンチって、人名由来でフランス全く関係ないってマジぃ?
くぁ、と。
誰も見ていないのをいいことに、カレームは大きな口を開けて欠伸を一つ。
まだ空も白んでいないような早朝。
この時刻に食事の下拵えや準備を行うのはカレームの日課ではある──寧ろ、厨房から離れている時の方が少ない──が、煮える鍋に今にも頭を突っ込みそうに船を漕いでいるのは珍しい。
そもそも、睡眠や食事を必要としないサーヴァントにはまず見られない現象ではあるのだが、これはカルデアの召喚・霊基維持システムが原因である。
より多くのサーヴァントを並列して召喚・利用できるように、喚ばれたサーヴァントは基地に存在の起点を置いた上で、一時的な受肉を果たしている。
その霊基を維持するための魔力の大半はカルデア内の電力から変換されたものを使用しており、供給ラインは数少ない管制室スタッフに一括して管理されているのが現状である。
しかし、戦闘時や新しくサーヴァントが召喚された時など、優先的に魔力を集中させる必要が出た場合や、一時的に電力が不足した場合にはその供給量に偏りが生まれ、受肉したサーヴァントには、魔力不足が眠気や空腹として現れるのだ。
カルデアに在留しているサーヴァントが増えるにつれてこの現象の頻度は高くなり、必然的に食堂の重要性が高まっているのだが、それはまた別の話。
そして、カレームは今まさに供給が不足している状態であり──時間が悪いこともあって、睡眠と食事の両方に飢えているのだ。
「むぅ……ふあ、ぁ……駄目だ。ねっむぃ……」
幾度目かもわからない欠伸に目を潤ませながら、鍋底を焦がす火を一旦消して、背伸びをする。
靄がかかったような頭をゆらゆらと動かしながら、ほぼ無意識下で食品棚に手を伸ばし、コーヒーの袋を引っ張り出した。
客にはきちんと豆からブレンドしてミルで挽いたものを出すのだが、今は自分が飲むだけなので、ドリップタイプのインスタント。
カップにセットし、湯を注ぐと、水分を得た豆が膨張し、湯気を立てる。
立ち上る深い香りを吸い込むだけで、彼女は頭の中の霧が少しだけ晴れるのを感じた。
蒸らしながら数回に分けて湯を注ぎ切った後、コーヒーの成分が湯に染み出し終わるタイミングを見計らって、コーヒーバックを取り外して、カップの縁に口をつける。
シャープな苦みと僅かな酸味を舌の上で転がしながら、とは言えカフェインにそこまでの即効性はないため、未だ鈍い頭でシンクにもたれかかって、二口目。
「う~ん、やっぱり空きっ腹にブラックはきつい……まかないでも作るかあ……」
硬くなったパンがあったかなぁ、などと考えながら、カップ片手に厨房を歩き回る。
──牛乳に、卵に、バター……シナモン、ナツメグ……は出すの面倒くさいし、バニラエッセンスだけでいっか。
自分用であるが故の物臭思考で食材を選別しつつ、コーヒーをちびちびと飲みながら文字通り片手間に調理を進めるカレーム。
ここにエミヤやマルタがいれば行儀が悪い、とお説教の1つでも入るのだが、生憎今は彼女1人。
咎める者は誰もおらず、彼女は自らの
「…………あ、あのう」
「──ブッ!!!????」
不意に聞こえてきた第三者の声に、カレームは勢い良くコーヒーを吹き出しかけて──すんでの所で留まった。
しかし即座に飲み込んだそれは食道以外にも僅かながら漏れ流れ、思いっきり咳き込んでしまう。
「わっ……!ご、ごめんなさい!驚かせるつもりはなかったのですけれど……!え、えぇと、おはようございます……?」
あたふたと、覗き込んでいた厨房の入り口から駆け寄ってくるのは、ぬいぐるみを抱えた少女、アビゲイル=ウィリアムズ。
つい先日召喚された、エクストラクラス・フォーリナーのサーヴァント。
「……………………い、いいえ。大丈夫です。こちらこそ、お見苦しいところを大変失礼しました……はい、おはようございます……まだ深夜の部類だと思いますけど……」
完全に油断していた──もっと言えば、完全にプライベートモードだった姿を見られたショックと羞恥心で、内心でジタバタと暴れながらも、何とか現実世界では頭を抱えるのみに抑え、返事をすることに成功する。
慌てて緩めていた胸元を整えつつ、平静を保つことに尽力するカレーム。
顔が赤くなっていることに当人は気付いていない。
「……それで、如何しました?寝つけませんか?サーヴァントの霊基に慣れていないのでしょうか。ホットミルクならすぐにお出しできますけれど」
「あ、あの、えっと…………い、いけない子だとはわかってるんですけれど、その……」
姫君へ傅くように視線を合わされる対応にどぎまぎしつつ、精一杯、自分の思いを伝えようと言葉を選ぶアビゲイル。
が。
──くーきゅるるるる…………。
不意に、彼女の腹部からの可愛らしい音。
コンロは止められ、鍋の煮える音すらもない静かな厨房に、その音は嫌に響いた。
「…………!え、と、その、嫌だわ、こんな、はしたない……」
かあ、と先程のカレームに負けず劣らず顔を真っ赤にさせたアビゲイルは、照れ隠しか、自責の念か、強くぬいぐるみを抱きしめ、俯く。
「──ああ、成程。突然の空腹感で目が覚めてしまったと。サーヴァントはランダムな魔力不足でそうなってしまいますから、最初のうちはその感覚には中々慣れないでしょう」
カレームは柔らかく微笑みながら、慰めるように軽くアビゲイルの髪を梳くように頭を撫でた。
滑らかな指通りが心地良い。
「実は私もお腹が空いてしまって、他の皆には内緒でつまみ食いをしてしまおうとしていたところなんですよ。
──よろしければ、ご一緒に早めの朝食でもいかがです?」
しぃ、と、口元に指を添えて、いたずらっ子のようにウインクを1つ。
アビゲイルは、誰かと共に「悪い子」になる背徳感と、抗えない誘惑の甘露に、知れず喉を鳴らした。
***
貸し切り状態のフロアで、複数人掛けのテーブルを独り占めして座る。
たったそれだけの贅沢でも、清貧に慎ましく暮らしてきた幼い子供にとっては胸を高鳴らせるには十分で。
調理の合間の虫養いにと淹れられた紅茶に息を吹きかけながら、自分のために人が朝食を作ってくれる姿を遠目に眺めれば、気分はお庭でティータイムを過ごすお姫様のよう。
照れくさいようなちょっぴりの居心地の悪さと、抗えずはしゃいでしまう童心の狭間でしきりに居住まいを正すアビゲイル。
少し気を大きくして行儀悪くテーブルに肘をついたり、足をプラプラと揺らして満悦していると、厨房の方からワゴンを動かす気配を感じたので慌てて手と足を揃え直した。
「お待たせしました」
「い、いいえ!全然、待ってなんかいませんわ!」
「そうですか?それなら良かった。色々と用意していたもので──」
と、話をしながらアビゲイルの前に器が置かれる。
そこには黄金色に焼かれたトーストが2切れ程。
「まぁ……!とっても美味しそう!」
「貴女の時代にはまだアメリカには無かったのでしたっけ?これはフレンチトーストと言って、ブレッドに卵と牛乳を滲みこませて焼いたものです」
「な、なんて贅沢な……!そんなの、絶対に美味しいに決まってるわ!」
年に一回のベーコン付きパンケーキがご馳走だったプロテスタントの彼女にとっては言葉だけでも大変な刺激で、食べる前から両手で頬を押さえて口内に唾液を溢れさせてしまう。
が。
「ふふ、そうでしょう?──でも、今日はもっと贅沢をしてしまいましょうか」
「え?」
にやり、と悪い顔で笑うカレームの手には、フレンチトーストが乗っているものとはまた別の器。
そういえば、ワゴンの上にたくさんの器が乗っていたような──。
「え────えぇ!?」
純白の生クリームが、どさり、と擬音が聞こえてきそうな程大胆に、アビゲイルの目の前の器に盛られる。
彼女が呆気にとられている合間に、シンプルな見た目だったフレンチトーストの見た目はどんどんと変貌を遂げていった。
手始めの生クリームの横にまんまるとしたアイスクリーム、宝石のように散りばめられる色とりどりのフルーツたち。
それらの上から降り注がれるシナモンシュガーと、仕上げとばかりに添えられるミントの葉。
完成形として再びアビゲイルの前に示された皿の変わり様は、例えるならば魔法でドレスを拵えられたシンデレラのような。
「こ……!こんなご馳走、新年のお祝いでも食べたことないわ……!い、いいんですか、こんな贅沢!?」
感嘆に打ち震えるアビゲイルに、カレームは笑顔で返す。
「せっかく誰もいないのですし、こういう時にこそ好き放題すべきですよ。私も一緒に食べるので、これで共犯ですね。重ねて言うようですが、皆さんには内緒ですよ?」
そう言った彼女自身の皿の上も同様に盛りに盛っられており、それを持ってアビゲイルの正面に座る。
「ささ、食べましょう!他のサーヴァントの方に見つかってしまうかもですからね」
「はわわ……。神よ、貴方の慈しみに感謝してこの食事をいただきます……」
カレームに急かされながらも律儀に食前の祈りを済ませた後、アビゲイルはナイフとフォークを手に取った。
「共犯」というワードの甘美な響きと、それに負けずヴィジュアルから甘味を主張してくるフレンチトーストに胸を高鳴らせながら、まずは控えめに一口。
「────~~~~~~~!!!」
その味への感動と興奮は、声にならない叫びを上げるのみでは収まらず、アビゲイルはそれを大人しめに、しかししきりに手を振ることで表現した。
これでもかとカスタード液を吸い込んだ生地は最早パンとは一線を画し、噛む度にとろとろと口の中で解け、それと同時に卵と牛乳、そして仄かなバニラとシナモンの風味が広がる。
その風味はクリームとフルーツと共に頬張っても決して損なわれず、寧ろ甘味と酸味、滑らかな舌触りと迸る瑞々しい果汁の相乗効果が合わさってそれぞれの存在感が際立つようで。
口内で繰り広げられる様々な味と食感の共演に、アビゲイルの瞳は輝いた。
茶に色づいた端の方は火がしっかり通っている分食べ応えがあり、その食感の差がまた心地良い。
「うーん、やっぱり疲れた時は甘い物が沁みますねえ。お味は如何ですか?」
「──はっ、え、ええ!とっても、とっても美味しいです!」
夢中になって味に浸っていたアビゲイルは、しかし真正面からそのはしたない姿を見られているという事実に気が付いて我に帰り、居たたまれなさを誤魔化すように紅茶に口をつけた。
ストレートティーの渋味が、甘露に支配されかけていた舌と思考を現実に引き戻す。
──……そういえば、
少し落ち着いたところで、彼女は皿の一角に目を遣る。
──これって……クリーム……を、凍らせているのかしら?
その視線の先には、焼きたてのフレンチトーストの熱で下の部分が少し溶け出しているアイスクリーム。
彼女の生まれ育った時代──17世紀には未だアメリカに伝播していないものであり、サーヴァントの身に慣れていない彼女にとっては初めて目にするものだった。
小ぶりなスプーンを手に取り、つつくように少量をとる。
──冷めている物は食べたことがあるけれど、冷たい物を食べるのは初めて……。
初体験の高揚をそのままに、スプーンの穂先を口に含んだ。
「────っ!!」
ひやり、とした刺激が、フレンチトーストと紅茶で温められた口内により強烈に刺さる。
一瞬で雪のように溶けたと同時に、フレンチトーストよりも各段に強いバニラとミルクの風味と甘味が花開いた。
「何これ……!おいしい……」
「おや、アイスクリームがお気に入りですか。生クリームと同じようにフレンチトーストと合わせて食べるとまた美味しいですよ」
「……!これと……フレンチトーストを……?」
カレームの何てことは無い一言に突き動かされるように、アビゲイルはせっせとアイスを切り分けたトーストの上に乗せる。
直に熱を浴びることで溶けるスピードを増したアイスをそのままに、諸共に頬張る。
「ん~~~!おいふぃ!れふ!」
「ふふ、でしょう?」
温感と冷感が舌の上でせめぎ合い、早い段階で溶けたことでより感じる甘味が増したアイスに、フレンチトーストが食感を足すことで得られる更なる満足感。
幸福感に顔を綻ばせながら皿の上を綺麗にしていく少女の微笑ましい姿に眼福を得ながら、カレームはコーヒーを啜った。
「──さて、おかわりはいりますか?それかお茶をもう一杯……あれ?」
不意に目線をワゴンに移したカレームが、声を上げる。
「?どうかしましたか?」
「いえ、さっき見た時に比べてフルーツが減っているような……」
もぐもぐと頬を膨らませながら同様にワゴンを見るアビゲイル。
そして彼女はその視線の角度故に見つけてしまった。
ワゴンの陰から伸びる、2本の赤い角。
「き、きゃあああ!?」
「アビゲイルさん!?」
ほぼ反射的に悲鳴を上げたアビゲイルに応えるように、その角の持ち主は隠していた姿を露わにする──!
「ぬぅ、気取られたか!しかし問題はない!元より鬼は正面から奪い喰らうのが本懐ゆえな!というわけで──娘!その『ふれんちとぉすと』なるものを吾にも寄越せ!」
「きゃー!きゃー!」
可愛らしい顔立ちを懸命に厳めしく見せ、アビゲイルに迫る角の持ち主と、それに対して──と、言うよりは眼前に突きつけられる角に──半ばパニック状態で叫び続けるアビゲイル。
「くはは!怖いか!そうであろうそうであろう!何、吾は首魁の器ゆえ、寛大である!怯え平伏するのならば命までは獲らぬわ!くはははは──は?」
「なーにやってるんですか、茨木さん」
ポコン、と間抜けな音を立てて、角の持ち主──茨木童子の頭に、盆が勢いよく置かれる。
「まったく、貴女は毎度毎度……厨房から勝手に料理を持ち出したり、他のお客様から奪おうとするのはやめてくださいと言っていますよね?最初から素直に注文してくれれば大人しく出しますのに」
「うぬぬぅ……子供のように説教するでない!大江の鬼共が首魁である吾が、おいそれと人間に平伏すわけにはいかぬだろうが!
ふん……それに、
「まぁ、私は一撃でやられるであろうことはその通りですが……あれ、確かアビゲイルさんのクラスってバーサーカーに一方的有利じゃありませんでしたっけ?」
「え?えぇ、よくわからないけれど、確かマスターがそんなことを言っていたような……」
「にゃんとぉ!?」
基本的には小心者である茨木は、その言葉ですぐさまアビゲイルから距離をとった。
無論、先程まで恐喝されていた彼女も茨木に恐怖心を抱いており──結果として、互いが互いを怖がるという、よくわからない構図が完成した。
「……見たところ、貴女も魔力不足で空腹なんでしょう?大人しく席に着いていただけたら貴女の分も出しますから……」
「ぐぬぬ……いや!鬼の首魁として、ただ施しを受けるなど我慢ならぬ──ということで!汝から脅し取る、という体で行くぞ!」
「いや体って言ってる時点で……まぁ、いいです。それでいいです。で、どうやって脅し取るんです?確かに私は戦闘では雑魚も同然ですが、暴力に訴えられて料理を作るような真似はしませんよ?」
この悶着は茨木がカレームに菓子を強請る──本人曰く「強奪している」──時のお約束のようなもので、カレームとしては完全に子供の駄々に付き合っているようなものだった。
しかし、今回に関しては、少しばかり毛色が違った。
「汝の体たらく──間抜けな姿をマスターにバラされたくなかったら、吾に甘味を献上するがいい!」
「な……!?貴女、まさか……見ていたんですか!?ということはアビゲイルさんが来る前から隠れていたんですか!?いくらなんでも小心者すぎません!?」
「ええいうるさい!それはこの際捨て置け!
……ククク、とは言え、汝はこの条件は無視できまい?」
「ぐっ……、確かに、アレをマスターに知られるのは……。……はあ、わかりました。今回は私の負けです。大人しく献上させていただきます……」
「きゃははは!良い良い、殊勝な奴は嫌いではないぞ!」
がっくりと項垂れるカレームとは裏腹に、茨木は勝利に酔いしれて胸を張る。
このように両者の勝敗がはっきり分かれるのは非常に珍しい。
惜しむらくはそれを目撃した者が一人しかいなかったことか。
「──……ねえ、カレームさん」
「はい?何でしょう」
「私も、カレームさんの見て欲しくない姿、見てしまったのだけれど……もっとたくさんフレンチトーストを食べなければ、私、マスターにそのことをうっかり喋ってしまいそうだわ。ねえ?」
「えっ……まさか茨木さんの味方をするなんて!?嘘でしょアビゲイルさん貴女そんなキャラだったんですか!?」
「だって、貴女の作る料理がとても美味しくて、こんなものを知ってしまったから……私、わがままでいけない子になってしまったわ。責任、とってくださる?」
「うぬぬ……わかりましたよ、わかりました!2人分作りますよチクショー!」
まさかの双方から恐喝に涙目になりながら、カレームは厨房に駆け込んでいく。
「くはは、やるではないか汝!か弱い
上機嫌に話しかけてくる茨木に対して、アビゲイルはいたずらっ子な笑みと共に、ウインクで返した。
[絆Lv. 2で解放]
彼女の人生は、華やかなシンデレラストーリーとして語られる。
齢10にも満たない頃に困窮した家族から間引きされるように捨てられ、転がり込んだ安食堂での下働きの中でその類希なる美的センスと料理の才覚を表した。
そしてわずか17歳でフランス貴族であり政治家でもあるタレーランの目に留まり、彼のお抱え料理人として世界に名を馳せることになる。
……しかし、彼女の死後、書き残された手紙等の大半は何故か処分されてしまい、墓の場所すらも近年まで判明していなかった。
そのため、為した偉業に反して現代における知名度はやや低く、その影響が彼女の霊基に脆弱さとして現れている。