キャスター?いいえバトラーです!   作:鏡華

3 / 29
ホテルの朝食のクロワッサンってなんであんなにおいしいんでしょうね。


おはようのクロワッサン

カルデアにおいて、時間というものは作られた概念である。

 

人理焼却によりカルデア外の世界一切が消滅したため、最早朝も昼も夜も既に失われた存在。

 

そのため、カルデア内では焼却以前から設定されていた時刻を暫定的に適用し、それに合わせた生活が送られている。

 

 

 

現在の設定時刻は午前6時。

 

最低限の人員がカルデアのシステム維持に勤めている以外、マスターを含めた人間はまだ寝静まっている時間だ。

 

少しでも時間の感覚を再現するため、薄暗い照明が設定されている廊下を歩く人影があった。

 

青を基調としたバトルドレスに身を包んだ金髪翠眼の少女。

 

真名アルトリア・ペンドラゴン。

 

聖剣エクスカリバーを手にかつてブリテンを治めた、騎士王と名高いセイバークラスのサーヴァントである。

 

 

 

霊子によって肉体が構築されているサーヴァントにとって、魔力の供給さえ滞らなければ疲労や睡眠は無縁の存在だ。

 

マスターが就寝中であっても、サーヴァントたちは各々が自由に時間を過ごしている。

 

娯楽として睡眠をとったり、趣味にいそしんだり、自主訓練を行ったり。

 

彼女は訓練を行おうと、手合わせの相手を探してさ迷っていた。

 

候補として竜殺しやTSUBAME殺しの姿を脳裏に浮かべていた彼女だったが、ふととある扉の前で足を止めた。

 

 

 

そこは食堂。

 

施設の特性上、扉を閉め切った部屋から光や音が漏れることは殆どないが、しかし匂いは別である。

 

扉を隔ててもなおはっきりとわかる、バターや小麦の香ばしい匂いや、ブイヨンの食欲をそそる香り。

 

ブーティカやマルタ、エミヤなどが時折手ずから料理を振舞ってくれるが、訓練やレイシフトの都合もあり、毎日毎食というわけにはいかない。

 

とはいえ職員が業務を中断して厨房に立つわけにもいかず、大半は備蓄の無味乾燥な保存食や栄養サプリで済ませてしまうことが多かった。

 

なので、このように料理の匂いを感じるというのは、久しぶりのことだった。

 

 

──誰かが朝食を作っているのでしょうか?

 

 

そう考えつつ、ほぼ無意識的にアルトリアは食堂へ足を向けていた。

 

 

 

無機質な音と共に扉が開けられると、ふわり、とより強い香りが漂ってきた。

 

その香りの発生源となっている奥の厨房を覗くと、そこには1人の女性。

 

オーブンから何かを取り出し、振り返ったところでアルトリアと目が合った。

 

 

「おや、おはようございます」

 

「おはようございます……貴女は確か……」

 

「はい、バトラー……もといキャスター、アントナン・カレームです。騎士王様」

 

「私のことをご存知で?」

 

「はい。マスターと契約している方の情報は全てこの施設のデータベースから頭に入れました。料理を作る上でお客様の好みを知るのは必須過程ですから。

いやぁそれにしてもサーヴァントはいいですねぇ。眠る必要がないから時間の全てを料理に注ぎ込める!生前はどうしても部下に仕事を分けざるを得ませんでしたが、仕込みや下ごしらえも自分の手でより理想に近づけられるというのは、まさに夢のようです……!」

 

 

頬を上気させて語る彼女は、心底嬉しそうといった様相である。

 

死して英霊となってなお、自らの分野を追求せんとするその姿勢は、王としての生真面目さを持つアルトリアには素直に好ましく思えた。

 

 

「ところでそれは……」

 

「ああ、朝食を作っているところです。マスターに合わせて日本食も考えたのですが、まだ納得できる味に至りませんでしたので、手前味噌ですが祖国のものを」

 

 

アルトリアが覗き込んだカレームの手元──オーブンから取り出した天板の上には、美しい黄金色に焼きあがった三日月、もといクロワッサンが、整然と並べられていた。

 

 

「これはまた何とも見事な……」

 

「朝からしっかり食べる人のために他にも何品か作っているのですが、とりあえずのメインです。お食べになられます?」

 

「えっ」

 

 

カレームの提案に思わず声を漏らしてしまったアルトリアだが、彼女は実の所、カルデアに来てから食事を口にしたことはあまりない。

 

外界から隔絶された、今あるものを使うしかない状況のカルデアにおいて、食べる必要のないサーヴァントがそれを消費してしまうのは如何なものか、という彼女らしい理由である。

 

 

「し、しかし備蓄は有限ですし……私よりもマスターや職員の方々に優先して食べさせるべきでは……」

 

「ふふふ、騎士王様はお顔が正直でらっしゃる」

 

 

そう言って笑うカレームの目には、言葉とは裏腹に爛々とした目を三日月に釘付けにし、半開きになった口から今にも涎を垂らしてしまいそうな、お腹を空かせた幼子の如きアルトリアの顔が映っていた。

 

 

「ちゃんと多めに作っていますよ。食料はレイシフト先でしっかり調達すれば問題ありません。

それに、食事はただ栄養補給するためだけでなく、心の保養にもなります。英霊もかつては人間。それは変わりないが故に、食は必要なものであるはずですよ」

 

「確かに一理ありますが……」

 

「では、マスターの毒味兼味見役……ということでどうでしょう?」

 

「…………そ、そこまで言われては仕方ありませんね……」

 

 

しぶしぶ、といった体を装いながらも、厨房に面したカウンターの席に待ちきれないような様子でいそいそと座る。

 

その彼女の前には紙ナプキンが敷かれた皿の上に輝く三日月が置かれた。

 

知らず知らずのうちに口に溜まっていた唾液を、ごくりと飲み込む。

 

そっとつまむと、かさり、という乾いた音と共に、焼きたての証拠である熱がじんわりと指先に伝わる。

 

 

「では……いただきます」

 

 

はしたないのは重々承知の上。

 

やはり焼きたてのパンはちぎらずにそのまま食べるのが王道だろう──と、アルトリアは小さめの口を少しためらいながらも大きめに開き、三日月の切先、クロワッサンの端にかぶりついた。

 

 

 

シャクリ。

 

 

 

「……!」

 

 

幾重にも連なった層が奏でる小気味よい音の合唱が、歯から骨を伝わって直接体内に響く。

 

しゃく、しゃく、と咀嚼を繰り返すごとにその層は解け、濃厚なバターの香りを口いっぱいに爆ぜさせた。

 

日本で食べたクロワッサンは甘い味付けがされているものも多かったが、これは本場に倣って味はつけられていない。

 

二口目、今度は合唱の奥でふわりと柔らかい芯の部分が歯を優しく受け止めた。

 

バターに引き立てられた小麦そのものの香ばしい味がやってきて、思わず唸ってしまう。

 

製法から焼き加減まで繊細な技量が要求されるクロワッサン。

 

この緻密な出来映えは、芸術の域そのものだった。

 

 

「これは……実に美事です……」

 

「ありがとうございます。そうやっておいしそうに食べてもらえるのは、料理人冥利に尽きますねぇ」

 

 

恍惚とした表情とまるで犬の尻尾のようにぷんぶんと揺れるアホ毛をそのままにもぐもぐとクロワッサンを咀嚼し続けるアルトリアのその姿は、食べる悦びを全身で表しているようで、思わずカレームから笑いがこぼれた。

 

一口、また一口、ゆっくりと噛みしめて味わい続け──最後の一口になる頃にはすっかりクロワッサンは冷めてしまっていたが、それでもなお損なわない風味を、アルトリアは寸分漏らさず堪能し尽くした。

 

 

「はぁ……よい食事でした……」

 

 

ため息を吐きながら余韻に浸るアルトリアの耳に、オーブンの焼き上がりを知らせる音が入った。

 

カレームがすぐさま蓋を開けると、甘い匂いが解き放たれた。

 

否、甘いだけではない。独特なこの匂いは間違えようもなく──。

 

 

「あ、あの……まさか、それは……」

 

「はい、チョコクロワッサンです。これも味見しますか?」

 

 

返ってきた答えに、辛抱たまらずアルトリアは身を乗り出し、その姿を直視した。

 

先ほどと同様に黄金色の三日月──そして、その三日月にかき抱かれているチョコレートの大きな欠片。

 

焼きたてで少し蕩けた表面が、光を反射して照り輝いている。

 

 

「いけませんっ……!そんなものは反則です!卑怯です!悪魔的ですらある!なんと罪深い……!こんな、こんなことが──」

 

「食べないのですか?」

 

「食べます」

 

 

騎士王、即堕ちである。

 

 

トングで空になった皿の上にチョコクロワッサンが置かれる。

 

それを、今度はチョコレートを落とさないよう、尚のこと慎重に持ち上げる。

 

顔に近づけると、よりはっきりとわかる濃厚な甘い匂い。

 

いてもたってもいられなくなったアルトリアは、すぐさまそれに食いついた。

 

一口でチョコレートまで到達するよう、先程よりも気持ち大きく口を開けて。

 

 

しゃくっ、じゅわり。

 

 

口の中に入れた瞬間、ぎりぎりのところで形を保っていたチョコレートがとうとう蕩け落ちた。

 

しゃくしゃくとした食感はそのままに、汁気のないクロワッサンを補完するように甘く、とろみを帯びた液体が舌を撫でる。

 

 

「ん~~♡」

 

 

チョコレートと一緒に自分も溶けました、と言わんばかりの蕩けた表情で、頬を抑えて悶絶するアルトリア。

 

 

「こんな美味しさ卑怯です……」

 

「昔から人気ですものね、パン・オ・ショコラ。チョコレートが溶けてしまっているのはアメリカ式ですが、好みに合わせて焼き加減を数パターン分けてもいいかもしれません。

ところで騎士王様、ポタージュも作っているのですが、そちらも召し上がりますか?」

 

「是非!」

 

「ほう、珍しいなセイバー」

 

 

快活に答えたアルトリアの背後から、低い声が聞こえた。

 

その瞬間、彼女はブリキ細工にでもなったかのようにぴしり、と固まる。

 

 

「シロ……い、いえアーチャー……」

 

「1度食べ出すと加減ができないから、と断食を目の前で宣言してきたのはどこの誰だったかな」

 

「こ、これは……そう!毒味!毒味です!マスターの口に入れるものに何か不備があってはいけないと」

 

「一口も食べないなどと豪語していたのはどこの誰だったかな」

 

「うぐぅ」

 

 

淡々としつつも確実に棘が含まれた言葉に、ダメージを受けるアルトリア。

 

心なしか顔も青い。

 

 

「待ってくださいエミヤさん。そうとは知らず無理に勧めたのは私です。非は私にもあります」

 

「ほう、無理に勧められた割には、随分と、幸せそうに、食べていたな?」

 

「だって……このクロワッサンがあまりにも美味しくて……」

 

「…………なるほど、私の料理では力不足、ということか」

 

「へっ」

 

 

予想外の言葉に、アホ毛と共にアルトリアが反応する。

 

 

「騎士王殿の舌を唸らせるには、オレの腕はまだまだ未熟ということか……断食というのも、自然にオレの料理を断るための体のいい方便なのだろう?」

 

「シロウ!?呼び方がかなりよそよそしくなってます!セイバーと!いつも通りセイバーと呼んでください!あとシロウの料理はとても美味しいですよ!!」

 

 

落ち込んだように頭を垂れるエミヤ。

 

横から見たカレームからすると大根もいいところなわざとらしい三文芝居だが、取り乱しているアルトリアは気づいていないようだ。

 

エミヤの体を揺さぶったり、胸板に両の手の拳を軽くぶつけたりしているが、当の本人は全く折れることはない。

 

 

「すまない、カレーム。しばらく君一人に厨房を任せる」

 

「えっ」

 

「えっ!!?」

 

 

言葉は揃うものの、その語気は対照といっていい程にちぐはぐだ。

 

 

「さすがに相手を満足させられない上で厨房に立つほど厚顔無恥ではないのでね。私は精進ついでにしばらく自主謹慎とさせてもらおう」

 

「それって……シロウの料理が食べれないってことですか!?そんな殺生な!!あっ待ってください話は終わったと言わんばかりに足早に去らないでください!!シロウ!!シロ────ウ!!!」

 

 

すたすたと軽やかに去っていくエミヤの背に、膝が崩れ落ちながらもすがるように手を伸ばし、悲痛な声を上げるアルトリア。

 

恋慕する相手と引き裂かれる悲劇のヒロインのような大仰な仕草で泣き崩れる彼女をカウンターごしに見るカレームはどう声をかければいいものかわからず、痛ましいまでの沈黙が訪れる。

 

 

 

 

──なんで私間男みたいになってるんでしょう。

 

 

 

 

カレームの心中に浮かぶ疑問に応えるように、チン、とオーブンが音を立てた。

 

 

 




パラメーター


筋力 D

敏捷 C

幸運 A

耐久 E

魔力 C

宝具 B+

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。