「──よし!今日のトレーニングはこれで終わり!」
「はい、お疲れさまです。先輩……ふふ、今日はいつもよりはりきってますね」
「もちろん!だって今日は――」
「「カレーの日!」」
二人の声が合った後、一拍置いてどちらからともなく笑いだす。
そう、今日はカレーの日。
カレームが召喚されて以来、カルデアの食堂では毎日毎食異なるメニューが振舞われているが、中には高頻度で登場する定番がある。
特にカレーはその代表で、その人気の高さから普段よりも多めの量が作られ、事前に告知すらされるのだ。
昨夜それを聞いてから、立香の口は完全にカレー迎撃の準備が整っており、昼前のトレーニングも定められたタスクをなるべく早く終わらせようと熱が入っていた。
油断して食堂に行くのが遅くなると品切れの可能性すらあるからである。
いそいそと汗をシャワーで流し、トレーニングルームから出てきた二人を襲う強烈な香り。
「っあ~~腹減った……」
「うぅ、何回経験してもこの香りはずるいです……」
そう、カレーのスパイスの刺激的な香りである。
強烈で、独特で、それでいてどうしようもなく食欲をかき立てるこの香り。
空っぽの胃を揺さぶるどころか、直接殴ってくるような。
これが、普段よりも多めの量が作られる理由である。
この香り、強い存在感を持つがゆえに、普段よりも広い範囲まで漂ってくるのだ。
カルデアのあらゆるところまで絨毯爆撃よろしくやってくるそれに、いつもはあまり食事を摂らないサーヴァントすらもつられてふらりと食堂に立ち寄ってしまう。
結果、食堂はサーヴァントや職員で溢れかえり、寸胴鍋いっぱいのカレーはあっという間になくなってしまうのだ。
カレーの日はすなわち、立香にとって戦争を意味する日でもあった。
マシュと共に小走りで食堂へ向かい、扉を開ける。
そこには既に喧噪が。
席はどこも埋まり、各々がカレーをスプーンですくい、ナンをちぎり、舌鼓を打っていた。
扉を開けたことで一層強くなる香りを胸いっぱいに吸い込み、いよいよ空腹は頂点に達する。
「あ!マスター!いらっしゃいましたね!」
わいわいと騒がしい中をくぐり抜けるように、少し張られたカレームの音が耳に届く。
厨房では他にもエミヤにマルタ、ブーティカなどの料理を嗜むサーヴァントを総動員して注文に対応しているようで、そこもまた普段より賑やかだ。
「カレームさん、お疲れ様です。それで、今日のメニューは何ですか?」
マシュが、わくわくを抑えきれない、といった具合に頬を赤らめて尋ねる。
カレーの日はルーの味が3種類、具の種類が3種類、辛さが3種類、主食がライスとナンの2種類に細かく分類されていて、それを指定することで自分好みのカレーを選択することができる仕組みとなっている。
毎回、それを聞いて大いに悩むのが二人の楽しみなのだ。
「本日はオーソドックスな日本風カレー、ほうれん草カレー、ココナッツカレーの3種類に、チキン、海老、豆の3種類の具を揃えています」
「な、なるほど……!」
「ぐ、うう……!」
カレームが告げたメニューにマシュはまるで推理でもする探偵のように顎に手を当て、立香は頭を抱えだす。
二人の心は一つ。
――迷う!!
オーソドックスなカレーは当たり前のように絶品だ。絶対美味しい。
最早約束された勝利である。
しかし、だからといって残り二つが不味いわけがない。
今もなお襲い来るスパイスの香りが証明している。
あえて自分の知らない領域に踏み込むのも手だ。
煮込まれたほうれん草の風味はスパイスにより一層深いコクを与えるだろうし、ココナッツのほんのりとした甘みも良い調和をもたらすだろう。
どれをとっても外れはない──だからこそ、どれが自分にベストなのかを見極める必要がある。
例えば、どの具とルーが一番相性が良いか。
例えば、ライスとナン、どちらがより合うのか。
傍から見ていたサーヴァントたちは、その時の二人の様子を後にこう語る。
──特異点で苦渋の決断を迫られているようだった。
「……っよし!決めた!日本風カレーのチキン!中辛でライス!」
「私は……ほうれん草カレーの海老、中辛で、ナンをつけてください!」
「はい、かしこまりました!」
注文を終えた二人は、既に何か一仕事終えたかのような面持ちで席に座る。
そして思わず周囲を見渡して、他人が食べている皿を確認してしまう。
ほうれん草カレーからとろりと煮込まれた豆をすくって口に運ぶアーラシュや、ココナッツカレーの乳白色にナンを浸すカルナなどにうっかり後悔が芽生えかけるのを叱咤し、自分の判断を信じて料理が来るのを待つ。
「お待たせしました、ご注文のカレーです」
「!」
二人それぞれの前に皿が置かれる。
立香はライスの上にカレーが掛けられている一皿。
マシュはナンが乗せられた皿とルーが入れられた小ぶりの器。
中にごろりと入っているチキンと海老に、どちらとも知れぬ腹の音が鳴った。
「じゃあ……」
「さっそく……」
「「いただきます!」」
立香は手を合わせた後、すぐにスプーンを手に取り、ルーとライスの境目をすくう。
ナンにも合うように少しとろみが抑えられているルーが、米の一粒一粒に絡みついているのが見てわかった。
そのまま口に含むと、じんわりとした野菜──特にタマネギだろうか──の甘味。
一拍置いて、スパイスの刺激とコクのある旨味ががそれを覆うように襲い掛かる。
噛むと白米がより絡み、その甘味をもってよりスパイスを引き立てた。
大き目に切られた鶏肉を口に入れると、弾力のある食感と共に脂が染み出す。
やはりこのボリューム感はトレーニング終わりの男子高校生には欠かせない。
「ん~~~~!やっぱりおいしい!」
「はい……ほうれん草の深い味わいがスパイスとよく合って……海老もプリプリで甘くて……とても美味しいです……」
マシュの方を見ると、味に浸りつつも次のナンを千切りルーに浸しているところだった。
深い緑色のルーの中から覗く大ぶりの海老は淡い赤で、その対比にやけが目に惹かれた。
しかし、それはそれ。
あちらも勿論おいしそうだが、今は他の皿に構っている余裕などない。
一心不乱にカレーを空の胃にかき込むと、辛味がじわじわと舌の上に残り、体全体が熱くなってくる。
先程シャワーで洗い流した皮膚の上に、うっすらと汗が滲み出した。
傍らで結露を這わせるグラスを持って氷水を喉に流し入れると、消化器官から熱が一気に引いていくのを感じる。
「────!!」
急激な温度変化にぶるり、と身を震わせつつ、悦に浸るような表情の立香。
何を隠そう、この人類最後のマスター、カレーを食べる時のこの瞬間が大好きなのである。
さて、続きを食べようと改めてスプーンを持ち直したその時。
「──何この騒ぎ?英雄たちが揃いも揃って子供みたいに、バッカみたいね」
と、冷や水をかけるような言葉を誰に投げつけるでもなく、それでいてこの場にいる全ての人物に投げかけるように言うのは、食堂に入ってきたジャンヌ・ダルク・オルタ。
いい攻撃材料ができたとばかりに、にやにやと嫌な笑みを貼り付けている。
そしてカウンターの奥に座っている人物に目をつけると、より口角を上げ、つかつかとそちらに歩み寄る。
「あらあらごきげんよう聖女様、相変わらずの間抜け面だこと──て、何それ?」
自身の原型、ジャンヌ・ダルク。
意気揚々と突っかかりにいったはいいものの、オルタの視線はしかし、彼女の皿に向けられた。
「むぐ。……何って、ココナッツ豆カレーですが?」
「カレー?カレーなのそれ?私の知ってるカレーってもっとこう……茶色くて、刺激的な匂いがするものなのだけど。あなたのそれ、むしろ甘い匂いがしない?」
「ええと、そう言われましても……あ、甘口なので確かに匂いの刺激は少ないかもしれませんね」
「甘口ィ!?あなたってこんなところでも空気を読まないワケ!?ほんっっっと、呆れた……カレーと言えば辛いものでしょうに。
……あぁそう、アイツが食べてるみたいに、辛さに汗をかきつつ食べるのが様式美なんでしょう?ちょうどいいわ、アレと同じものを頂戴」
「……え?」
ざわり、と。
不意に、空気が凍った。
食堂の視線はオルタに集まり、どこからともなく小声で話す言葉が聞こえる。
「……な、なによ。何か文句でもあるわけ!?」
「いえ……文句というか……その……あの人と同じというのはどうかと……」
「料理人風情が、客の注文に文句つけるの?いいからさっさと出しなさい」
「あのですね……」
「構わんだろう。出してやればいい」
「エミヤさん……でも……」
「本人がそれを望んでいるんだ。好きにさせてやればいいさ」
「…………はぁ、わかりました。では、そこの────李書文さんが食べている、チキンカレーの、
「ええ、そう言ってるでしょう」
「…………かしこまりました」
しどろもどろに応えるカレームに対する苛立ちを露わに、オルタはジャンヌの隣の席に乱暴に腰掛ける。
「あの……大丈夫ですか?」
「は?あなたまで何よ。あぁ、もしかして肉を食べること?ご心配なく、私はあなたみたいにクソッタレな教えも、それに基づく菜食主義も、一切持ち合わせていないんで」
「いえ、そうではなく──」
「……お待たせしました。チキンカレーライスです」
ジャンヌの言葉を遮るように、オルタの前に差し出された皿。
隣の白いカレーと見比べて、きちんと茶色い、カレー然とした姿にオルタは満足げに鼻を鳴らす。
しかし、彼女は気付かなかった。
他のチキンカレーに比べて、随分とその色が黒っぽいということに。
「ふん、よく見ておきなさい、カレーというのはこういうものよ」
と。
得意げにジャンヌと一瞥した後、一口。
もぐもぐと口を動かす様を、いつの間にか周りの人々は固唾を吞んで見守っていた。
「……ふうん、まあまあ美味しいじゃ────~~~~~!!!!!?」
ほんの数瞬。
それが彼女が平静を保っていられた時間であった。
ぶわり、と一気に汗が吹き出し、顔に血が上る。
思わず口を押さえ、椅子の上で悶え狂うオルタ。
カレームがカウンターから差し出したグラス──インドのヨーグルトを基にした飲料、ラッシーである──をひったくるように掴み、一気に流しいれる。
その様子を見て、あぁーと、納得と憐憫の籠ったため息があちらこちらから聞こえる。
「やっぱりこうなりましたか……」
「中華や中東の香辛料を好む奴らに合わせていった結果の、辛口とは名ばかりの超激辛だからな」
「表記を変えた方がいいかもしれませんね……」
「いや、奴はそれ以前の問題だろう」
カウンターの奥では料理長・副料理長の臨時会議が小声で行われ始めた。
「っは……!?……ぁ……?」
オルタは起こったことが理解できないのか、息を切れさせながら頭に大量の疑問符を浮かべている。
一部始終をずっと隣で見守っていたジャンヌは、まるで世話焼きな姉のように心配の目を向けていた。
「だっ、大丈夫ですか……!?無理をせず、食べれないなら他の人に食べてもらいましょう……!」
──しかし、この言葉が駄目だった。
どうしようもなく、駄目だった。
「……ふ、ふふふ、無理……?馬鹿にしないでちょうだい!私は憎悪の炎を操る竜の魔女よ……この程度の苦難……笑って吞み込んであげるわ!!」
「いや、食事を苦難と捉える時点でもう駄目なのでは?」
「ところであなた、さっきの白い飲み物もう一杯ちょうだい。いいえ、別に辛さを紛らわせるとか、そういったことではないのだけど、ほら、汗をかくから水分は必要でしょう?」
冷静なカレームのツッコミは宙にかき消えた。
その後、多くのギャラリーに見守られながらオルタは決死の表情でカレーを完食し、それはカルデア内で勇者として語り草になるのだが──それはまた別のお話。
プロフィール[絆Lv.1で解放]
身長/体重:162cm・50kg
出典:史実
地域:欧州
属性:中立・善
性別:女性
本人曰く、「最も五感が鋭かった頃」の姿での現界となっている。