ある少女の斬魔大聖   作:アイオン

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第9話

 昨日のアーカムシティでの戦闘が嘘のように、アーカムシティは平和だった。

 皆、破壊ロボの襲撃は慣れっこになっているのだ。

 それくらいの逞しさがなければ、このアーカムシティで生きていけないことを彼らはよく知っている。

 

 そんな市民の1人である私は今、昨日のマーケットに向かっている。

 

 「………………」

 

 「………………」

 

 ―――後ろに銀髪少女を引き連れて。

 

 「……はぁ」

 

 「どうした?」

 

 「家に居座るのはまあ……10000歩ぐらい譲って良しとしても、外にまで付きまとわないでほしいんだけど」

 

 そんな私の文句も、アル・アジフには届いていないようだ。

 

 「魔導書は魔術師と共にあるのが当然と言ったであろう?」

 

 「どんなに粘っても、私は絶っ対に、あなたの主人にはならないからね」

 

 「妾も絶対に諦めんよ。妾はティンダロスの猟犬よりもしつこいぞ?」

 

 「テ、ティン? ……まあ、それはどーでもいいや別に」

 

 アル・アジフはしつこく私の後に付きまとってくる。

 

 (……こうなったら持久戦ね。無視を続ければ、向こうもそのうち諦めるでしょ)

 

 そう結論を出して、私は黙って歩き始めた。

 

 ……とにもかくにも、早急に別の魔導書を見つけ出さないと、覇道のお嬢様に社会的に抹殺されてもおかしくはない。

 

 (とりあえず―――ナイアさんの古書店に行ってみよう)

 

 あのときナイアさんは、店には私に合う魔導書は無いとか言ってたけど……あれだけの規模の書店だ。

 何かしら情報が得られるかもしれない。

 そう考えて、古書店の近くまで来たんだけど……。

 

 (あれ? ……空き地?)

 

 「確かこの辺りのはずなんだけど……」

 

 「何を探しておるのだ?」

 

 「あなたには関係ないわよ」

 

 「やれやれ、つれないな」

 

 ……記憶違いかと、付近を捜してもみてもあの古書店は見つからなかった。

 曲がりなりにも探偵な私は、地理感覚や記憶力にはそれなりに自信があるのだけど……。

 

 「うーん、まいったなぁ……あの店なら色々分かると思ったのに」

 

 「む。まだ魔導書探しを続けておるのか? 態々あの小娘の我侭に付き合うこともなかろうに」

 

 「それが私の仕事なのよ」

 

 「九淨、時間を浪費するのはよせ。こうしている間にも事態は刻一刻と進行しておるのだぞ」

 

 「知らないわよそんなことっ! 私は今日を生きるのに精一杯な人間なの!」

 

 相も変わらず自分理論を展開してくるアル・アジフに、声を荒げてしまう。

 

 「あなたこそ、私なんかに拘っているのは時間の浪費じゃないの? 私みたいなのじゃなくて、もっとこう使命感! とか、熱血系! とか、そんな感じのマスターでも見つけなさいよ! ……それがお互いのためでしょ?」

 

 「汝を見つけたのだって奇蹟の様な偶然なのだ、他の資質ある人間がそう都合良く見つかるはずがなかろう。魔術の才があり、“書”を持たず、邪悪に染まっていない人間……汝くらいなものだ」

 

 「評価してくれるのはいいけど、私はそんな立派なものじゃないわよ……」

 

 (私は魔術の世界から逃げたんだから……)

 

 「謙遜することはない。汝は汝が考えている以上に、強い人間のように見えるがな」

 

 「何を根拠に言ってるのかしら……とにかく、私は自分の事で手一杯なの。他を当たってちょうだい」

 

 「だから、諦めんと言っておるではないか」

 

 「はぁ……もう好きにしなさいよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 裏路地の妖しげな店を何店も渡り歩いたものの、収穫は無し。

 いつの間にか、陽も西に傾いていた。

 

 「はぁ……無駄骨かぁ」

 

 「だから時間の浪費だと言ったではないか」

 

 「五月蝿いわね……」

 

 何にしても、もうじき日も暮れる……今日はここまでにしよう。

 さて、そうなると問題は……ご飯をどうするかだ。

 

 (今から食材を買いに行くのも面倒よね……)

 

 幸い、覇道からの依頼料があるので食料品を買えないわけではないし、私自身料理が出来ないわけでもない。

 ないのだけど……。

 

 

 

 

 

 迷った末、たかることにした。

 

 「シスター、ごはんー」

 

 「わーい、何かここで食べるのが、さも当然とばかりに振舞われてるよー。……あらあら? まあまあ、九淨ちゃん。こちらの可愛らしい子はいったい? 妹さん?」

 

 (髪色とか瞳の色とか、何一つ共通点がないでしょーに)

 

 ライカさんはアル・アジフに興味津々の様子。

 

 「あー、えーと……何ていいますか……」

 

 さて、どう説明して良いものやら。

 下手な説明をすると……ライカさんの事だ。

 面倒な事になるに決まってるし。

 そんな私の思案もよそに、アル・アジフは即座に答えた。

 

 「うむ。九淨の所有物だ」

 

 ピシィッ……!

 そんな効果音と共に、場の空気が凍りついた。

 ライカさんは顔を真っ赤にしながら、ガタガタと震えている。

 

 (完全に勘違いされてるぅぅぅぅっ!?)

 

 「あ……あうあうあ……あっ……ああっ! 九淨ちゃんっ!? ま、前々からそうじゃないかと薄々思ってたけど……あ、あああああなた、も、もしかしてぇっ!?」

 

 「ま、待って待って! 違う! 違うのっ! ライカさんが想像してるのは、きっと間違いよっ!? ちょ、ちょっと魔導書! あなた、そういう誤解を招く言い方は……!」

 

 「あ、あぁん……ごめんなさぁい……ご、ご主人様ぁ……またお仕置きされてしまうのでしょうか……?」

 

 にたりと笑うアル・アジフに、私は悟った。

 

 (確信犯ッ!?)

 

 それを聞いたライカさんは、もの凄い勢いで私から距離を取った。

 怯えきって震えながら、綺麗な瞳に涙まで浮かべ、私を見つめている。

 

 「あ、ああああ……九淨ちゃんが、つ、ついにスクブスの本性をぉっ……!」

 

 「いやいやいや! 真に受けないでよッッッ! っていうか、誰が淫魔よ!?」

 

 「ただいまーっ」

 

 「ライカ姉ちゃん、ごはんーっ!」

 

 「…………」

 

 「ダメぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!」

 

 がきんちょどもが帰ってきた声に、ライカさんは玄関の方へ駆け出すと、そのまま私から守るように、がきんちょどもを抱き締めた。

 

 「だ、ダメよみんな! 今の九淨ちゃんは危険なの変態なの異常者なの!」

 

 (へ、変態……)

 

 落ち込む私を置き去りに、ライカさんは必死な叫び声を上げる。

 

 「瞳から生気が失われるほどさんざん嬲った挙句に解体されて埋められたり! それならまだしも血塗れなのが良いとか両手両足釘で打ち付けて拘束プレイとか切り落として達磨プレイとか内臓プレイとか幼いカラダは感度がイイだとか一桁台最高だとか【検閲・中略】とかでもう何度もイっちゃいましたエヘへ☆とか、そんなエドさんも思わず後ずさって嘔吐しちゃうほどに九淨ちゃんの脳内はエログロナンセンスなの! い、いやぁぁぁぁぁ! 九淨ちゃんお願い! ど、どうかこの子たちだけは! この子たちだけは見逃してあげてっ! ……そ、そんな! 男の子だけじゃなく、女の子でもOKだなんてっ!」

 

 「―――日頃そんな目で私のこと見てたの……シスター」

 

 (っていうか今の発言からして、あなたの方がよっぽど異常者でしょ……)

 

 「……………」(ガタガタと震えている)

 

 「くじょー、しょたこんー!」

 

 「ぺどー!」

 

 「猟奇殺人者ー!」

 

 「ああああああっ! どこでそんな言葉覚えたのよ、がきんちょどもっ! それとそこの銀髪娘ッ! 何一緒になってこっち指差してんのよ、諸悪の根源っ!」

 

 何なのだろうか、この扱いは。思わず頭を抱えてしまう。

 

 「さあさあ、みんなご飯にしましょ」

 

 いつの間にか料理を運んできたライカさんに、はーい。

 と返事をし、がきんちょども+アル・アジフは大人しく椅子に着席した。

 

 「え、ちょっと待って! 好き放題言われた私の人格は? 名誉は? 尊厳は?」

 

 

 

 

 

 「ふーん、なるほどねー。九淨ちゃんも大変だったのねぇ」

 

 私はライカさんにこれまでの出来事を語り、拉致監禁調教犯という冤罪を晴らすことにした。

 当然、覇道のデモンベインでブラックロッジの破壊ロボとドツキ合いをした挙句、街を一部巨大クレーターにしてしまったことは割愛したけど。

 

 「……わかってもらえた?」

 

 「けど九淨ちゃん。あの子、随分九淨ちゃんに懐いてるみたいだし……あんまり邪険にするのも可愛そうじゃないかなぁ?」

 

 …………ん?

 

 「……ライカさん。私の話聞いてた? ちゃんと聞いてましたか聖職者?」

 

 「九淨ちゃんにも覚えがあるでしょ? ああいう年頃の女の子は、何かと難しいのよ。だからちゃんと見ていてあげないと」

 

 「それはまあ、そういう時期もあったけど……って! 私の事はどうでも良いのよ! それに、あの子は年頃でもないし、人間でもないのっ! あの子の正体はアブドゥル・アルハザードっていう電波受信しちゃったオジサンが綴った暗黒ノートで! 齢千年を超す人外娘なんだってばっ!」

 

 私の説明を理解してくれているのか怪しいが、ライカさんはうんうん、と訳知り顔で頷いた。

 

 「その、お父さんの……アブドゥル・ザ・アマーラさん、だっけ? もう随分と前に、亡くなられているんでしょう?」

 

 「……随分前というか、紀元8世紀の大昔といいますか。あと、アルハザードだから。プロレスの人じゃないから」

 

 「だから、きっと色々な苦労をしてきたのよ。もっと優しく接してあげなくちゃ」

 

 ……なんかここ最近、誰一人として私の話をマトモに聞いてない気がする。

 

 「九淨ちゃんが大変なら、この教会で預かっても良いし。―――ほら、みんなも新しい友達ができるから喜んでくれるわよ」

 

 そう言って視線を向けるライカさん、それを追ってみれば、アル・アジフががきんちょどもと一緒に遊んでいた。

 傍から見るとアル・アジフのその姿は、まるで背伸びしてお姉ちゃんぶっている女の子のように見えて、ちょっと微笑ましい。

 

 「教育上、止めておく事を勧めるわ」

 

 「心配しなくても大丈夫大丈夫っ。だいたい九淨ちゃんだって、うちで養っているようなものじゃない? どーんとライカお姉ちゃんに任せておきなさいっ!」

 

 「…………」

 

 事実なだけに反論できない。

 私のちっぽけなプライドなんて、根こそぎ吹き飛ばされてしまった。

 

 「ねーねーライカ姉ちゃん、しつもーん」

 

 「はいはい、なにかしらコリン?」

 

 「“てーそーのきき”ってどういう意味?」

 

 ……空気が凍った。

 

 「……い、いったい、誰から……そんな言葉を?」

 

 「あの子……きのうの夜、くじょーのへやでねてるときのはなしだって」

 

 「~~~~ッ!? ……九淨ちゃんっ! や、やっぱりそうなのねぇぇぇぇっ!?」

 

 「古本娘ぇぇぇぇぇ! もう我慢ならない! あなたはミスカトニック大学に寄贈して、平和な世界()作りにご協力してやるわっ!!」

 

 「わーい、くじょーが怒ったぞーっ」

 

 「きゃー、けがされるー。ママぁ……ママぁ……助けてーっ。きゃーきゃーきゃーっ」

 

 「アンタって人はぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

 

 ……アル・アジフという異分子はいたけど、それは教会での―――私とライカさんとがきんちょどもの暮らしの、いつもの光景。

 私が好きないつも通りの光景だった。

 

 ―――血の様な色彩の黄昏と共に、()()が現れるまでは。

 

 突然。

 突然だった。

 私の体に悪寒が奔った。

 まるで真冬の寒空に何も纏わず放り出され、冷水を浴びせかけられたかのような感覚。

 心臓に氷の刃を突き立てられたかのような、神経を剥き出しにされ、直接氷水の中に浸されたかのような、比喩でも何でもなく本当にこのまま凍死してしまうんじゃないか、そんな風に考えてしまう程に異形じみた名状しがたい致命的で絶望的な感覚が、私を冒していく。

 

 もしかしたら、私はこの瞬間、本当に死んでいたのかもしれない。

 

 カツン……カツン……と、やけに甲高い足音が聞こえてくる。

 ―――そうして絶望は、その姿を現した。

 

 死んでいたのは、実際にはほんの一瞬だっただろうか。

 

 開け放たれた教会の扉から、夕陽が射し込む。

 黄昏に照らされ、その少年は立っていた。

 黄金比を体現したかのような相貌をもつ、人外じみた美しい少年。

 穏やかな笑みを―――どこか狂気を孕んだような微笑みを浮かべて、ゆっくりと私たちの下へと歩いてくる。

 その微笑みに、私の体は震えていた。

 体をキツく抱き締め、強引に震えを捻じ伏せようとするけど、体は云う事を聞いてくれない。

 誰もが少年を見つめていた。

 いや、魅入られていたというべきか。

 目を逸らすことが許されないような、目を逸らしたらどうなってしまうのか。

 

 (……ヤバイ。いくらなんでも、アレはヤバすぎる)

 

 危険なんていう次元じゃない。

 目の前のアレと関わるくらいなら、死んでしまった方が楽かもしれない。

 女の私から見ても綺麗な黄金の髪、見たもの全てが魅入られるであろう金色の瞳。

 けど……。

 

 ソレは、一切の光を発していなかった。

 金色の闇、金色の深淵(Abyss)、暗黒より深い無明の金色。

 

 私の本能が警告を発している。

 逃げろ、逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ……けど、体は動かない。

 動こうともしない。

 

 「なっ……い、いったい何なんですか、あなたはっ!?」

 

 しかし、この異常な気配に呑み込まれそうになりながらも、ライカさんは気丈にも少年の前に立ちはだかった。

 

 (ダメっ! 逃げてッ!)

 

 「女ッ! 其奴から離れろ!」

 

 私は心の中で、アル・アジフは口に出して、絶叫する。

 ……けど、遅かった。

 

 「邪魔だ」

 

 「えっ?」

 

 少年がつぶやくと同時に、魔力が炸裂した。

 少年にとっては大したことでもないのだろう。

 だが、たったそれだけで、ライカさんは軽々と吹き飛ばされて、祭壇に叩きつけられた。

 跳ねるように床を転がり、動きを止めた。

 ……ピクリとも動かない。

 それらは一瞬の出来事であり、私は身動き一つ出来ずに呆然と眺めていることしかできなかった。

 

 「ライカ姉ちゃぁぁぁぁぁぁんっっっっ!」

 

 がきんちょどもの悲鳴が、礼拝堂に木霊する。

 

 「……………ッ!」

 

 それは、凍りついた私を瞬時に溶かしてくれた。

 私は衝動的にライカさんに駆け寄ろうとして……それを押し留めた。

 目の前のアレを相手に、背を向けてはいけない。

 有りっ丈の勇気を振り絞り、少年の前に立ち塞がる。

 

 「九淨! 其奴は拙い!」

 

 アルの制止はもっともだった、少年の前に立っているだけでも精一杯だ。

 けど、ここで退くわけにはいかない。

 

 「……うぅっ……っ……」

 

 背後から、ライカさんの呻き声が聞こえた。

 

 (良かった……生きてる)

 

 なら、今は目の前の少年に集中しないと。

 そう自分に言い聞かせ、少年の金色の瞳を見据える。

 たったそれだけでも、全身から冷汗が噴き出る。

 足は小刻みに震え、喉がカラカラに渇いていた。

 

 「……ははっ」

 

 そんな私の姿はあまりにも滑稽だったのか、少年は嘲るように乾いた笑い声を出した。

 

 「あんたっ……何がおかしいのよッ!」

 

 少年の恐怖から逃れようとするかのように、私は怒りを込めて叫ぶ。

 

 「九淨! その男は拙い、拙いのだ!」

 

 アルが悲鳴にも似た声で叫ぶ。

 

 (そんなこと……一々言われなくても分かってるわよっ!)

 

 けど、ここは私がどうにかするしかない。

 ライカさんとがきんちょどもを守れるのは、私しかいないんだ!

 

 そんな私をよそに、少年はまるで小動物に対するソレで、優しく微笑んだ。

 

 「はじめまして……になるかな? 大十字九淨。もっとも、余は貴公(あなた)の事を、おそらくは貴公以上に知っているが」

 

 「――――!? あんたッ、何で私の名前を!?」

 

 驚く私の問いには応えず、少年はそっと手を翳した。

 翳した掌に閃光の様な光が生まれる。

 

 「―――九淨!」

 

 アルが駆け出す。

 その間にも光は輝きを増し、光弾を形作った。

 目を開けていられないほどの閃光を掌から放ち、少年が告げる。

 

 「不公平なので名乗っておこう。余はマスターテリオン。魔術の真理を求道する者なり」

 

 少年の掌から、動けない私に向かって、光弾が放たれた。

 

 「くぅぅぅっ!」

 

 光弾が爆ぜ、閃光が礼拝堂を染め上げる。

 

 「九淨――――――っ!」

 

 ―――閃光が、引いた。

 

 「……なんとか間に合ったな」

 

 間一髪のところで、私はまた、マギウス・スタイルになっていた。

 全身を包み込む黒翼が、光弾から私を護ったようだ。

 私は安堵に胸を撫で下ろしつつ、少年、いや―――マスターテリオンへと向き直る。

 

 (マスター……テリオン)

 

 私はその言葉の意味を考える。

 

 即ち―――

 

 大いなる獣(マスターテリオン)

 聖書の獣(マスターテリオン)

 七頭十角の獣(マスターテリオン)

 

 「ブラックロッジの大導師! マスターテリオン!?」

 

 「左様! そして彼奴こそが妾の“敵”だ!」

 

 マスターテリオンは金色の前髪をかき上げながら、大仰な仕草でこちらに一礼した。

 

 「以後お見知りおきを、マスター・オブ・ネクロノミコン。今日はアル・アジフが選んだ新たな術者を一目見たくてね、こうして伺わせてもらった」

 

 私はちらりと、背後を盗み見る。

 倒れ伏すライカさんと、涙で顔をぐしゃぐしゃにして、怯えているがきんちょたち。

 

 「女性に手をあげるなんて、どうも育ちがよろしくないらしいわねぇ……? テロリスト野郎っ!」

 

 「はて? ……ああ、先程のシスターか。それはすまなかった。だが、別に死んだわけではあるまい?」

 

 「あんたッ……!」

 

 「それに余は、()()()()()()()に気を付けながら歩けるほど神経質ではなくてな」

 

 「――――――――――ッッッッ!!」

 

 完全にキレた。

 怒りが一瞬で沸点に達し、目の前が真っ白になる。

 私は、怒りに任せて腕を振りかぶって―――目の前に立つ奴の顔面に、全力で拳を叩きつけた。

 

 「……ッッ!」

 

 開いていた教会の扉から、外へと吹き飛んでいくマスターテリオン。

 私はすぐさま駆け出し、後を追う。

 宙を舞っていたマスターテリオンは空中で一回転すると、優雅に地面に着地した。

 口の端から伝う血を舐め取り、凄絶な笑みを浮かべる。

 

 「余の防禦陣を打ち破り、傷を負わせるとは……中々にやるではないか」

 

 笑みを浮かべるその面は、どこまでも癪に触る。

 

 「余裕かましてんじゃないわよ!」

 

 「待て、九淨! 熱くなり過ぎだ!」

 

 アルの叫びは、だかしかし私に届いていなかった。

 右の拳に魔力を集中させる。

 荒れ狂う力が迸るソレを、マスターテリオンへと向ける。

 

 「だが、闘争本能をまるで制御出来ていない。それでは猪と何ら変わらん」

 

 「その私に殴られたのは、どこのどいつよ!」

 

 私の拳が再びマスターテリオンの顔面を捉えた……はずだった。

 しかし、拳はマスターテリオンの体をすり抜け、虚しく空を切った。

 

 (なっ……!?)

 

 「魔術とは感情を理性で制御し、昂ぶる魂を魔力と融合させ、精錬、精製するものなのだ」

 

 背後から聞こえた凍えるような冷たい声に、慌てて振り返る。

 ―――振り返った私の鳩尾辺りに、マスターテリオンの掌が、そっと当てられた。

 

 次の瞬間、私の身体を衝撃が突き抜けた。

 

 「―――――ァッッ!? ガフッッッ!!」

 

 「九淨ッ!」

 

 内側から内臓を引っ掻き回されるかのような、おぞましいまでの激痛。

 血液混じりの吐瀉物を撒き散らしながら、私はその場に崩れ落ちた。

 魔力で掻き乱された私の身体からは、力が抜け、呼吸すらままならない状態だ。

 

 「九淨! 九淨ッ! 大丈夫か!?」

 

 アルが懸命に、私に呼びかける。

 

 (……グッ……か、なり……マズ、イ……かも)

 

 意識を繋ぎ止めるのが精一杯な私を、マスターテリオンはトドメを刺そうとするワケでもなく、退屈そうに髪を弄りながら見下ろしていた。

 

 「ふむ……もう少し出来るかと思ったが、今の貴公では話にならぬか。よろしい。アル・アジフ、例の新しい鬼械神を喚び給え」

 

 「……汝!」

 

 (……何ですって?)

 

 怪訝そうな私に気付いたのか、マスターテリオンは続けた。

 

 「覇道財閥が余に対抗する為に造った、あの機体の事だ。あれならば、少しは勝負にもなろう」

 

 「―――余は生身で十分だ」

 

 な、生身?

 

 (巨大ロボット相手に、素手で殴り合いをするつもり?)

 

 血溜まりに沈んで冷静さを取り戻した私を、マスターテリオンの言葉が混乱させる。

 

 「……喚ぶぞ、九淨」

 

 しかし、アルから意外な言葉が飛び出す。

 

 「え、えぇ? な、何言ってるのよ?」

 

 戸惑いを隠せない私。

 しかし、アルの表情は真剣そのものだ。

 

 「それだけ絶望的な戦力差なのだ。このままではなぶり殺しにされるだけだ」

 

 声色には、焦燥が滲み出ている。

 

 「それに……汝がここで殺られれば、あの女や童たちも死ぬことになるのだぞ」

 

 「―――ッ!!」

 

 気絶しているライカさんと、泣きじゃくるがきんちょたちの姿が浮かんでくる。

 僅かばかりだが、回復した体力を振り絞り立ち上がる。

 

 「でも……デモンベインは、あの格納庫の中じゃない! 乗ろうにも……!」

 

 「大丈夫だ、昨日使用した際に、既にシステムを掌握しておいた。後はこちらの座標を送ってやれば喚ぶことが出来る。“招喚”の理屈と同じだ」

 

 (昨日……? あの魔術装置の事?)

 

 「……なら、悩んでる場合じゃないわね」

 

 「話は纏まったかな? では始めようか―――」

 

 マスターテリオンは上空へと舞い上がっていった。

 

 「いくぞ、九淨! 今、儀礼の聖句を転送する!」

 

 「……っ、またアレに乗ることになるなんてね! 良いわよ、やってやろうじゃないっっっ!」

 

 

 

 憎悪の空より来りて

 正しき怒りを胸に

 我等は魔を断つ剣を執る

 汝、無垢なる刃―――デモンベイン!

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