触覚に飾られたる
百万の恵まれたるものどもの父
イグナヰィ……イグナヰィ……エエ…ヤ・ヤ・ヤ……ヤハアアア……
歌。唄。詩。
……強壮なる死者よ―――
ンガイの森へ―――来れかし―――
痴愚なる笛吹きのフルート。
―――淫蕩なる総ての母―――名付けられる者の妻
―――凶夢……満ち溢れん―――
ヒトならざる出鱈目に狂った嬌声。
イア! イア! シュブ=ニグラス!
闇の羽撃き。奇異なる哄笑。昏き詠唱。
気づけば私は、魔性を感じさせる鬱蒼とした森の中にいた。
光届かぬ森の奥から、想像を絶する音楽が響いてくる。
その忌まわしい音色に合わせて、冥く冥く澱んだ闇が無様にのたうち踊っていた。
イグナヰィ。
イグナヰィ。
「あぐっ……ぁぁぁ!」
やがて、森全体が
木々が震え葉の一枚一枚がざわめき
思わず、耳を押さえて蹲る。
森の鼓動に、大地が鳴動する。
冥く蠢く森は、まるで一つの影絵のよう―――否。
それは紛れもなく、影だ。
宇宙的形態を取る外なる世界の存在が、この星に落とした影なのだ。
全身を流動させる巨大な“何か”が、嗤う。
身の毛立つ呻き声と共に……
それは燃える三つの眸を持つ黒翼であり、また5つの口と無数の触手を持ち鉤爪を振り回して夜に吠える三重冠を戴く無貌の怪物であり、鏤められた石英の如く輝く黄金の巻き枝を生やした半ば折れた巨木だった。
影が咆哮する。
あらゆる時空の果てまで響き渡る、断末魔の如き狂気の産声。
そのおぞましい聲を聴いた私の魂は、砕け散ってしまいそうになった。
《フングルイ ムグルウナフ クトゥグア フォマルハウト ンガア・グア ナフルタグン イア クトゥグア》
「―――えっ?」
狂気の咆哮を打ち消し、私の内に響く詠唱。
旧支配者である“生ける炎”の為の祝詞。
「混沌を撃ち払う、数少ない手段―――」
《フングルイ ムグルウナフ クトゥグア フォマルハウト ンガア・グア ナフルタグン イア クトゥグア》
空が紅く輝く。
昏き世界の闇を払う、太陽よりも眩く輝く星が此処に生まれた。
―――フォマルハウト星。
「“白き王”よ。汝には何時か、妾を必要とする時が訪れるだろう。その時の為に、確とその瞳に灼きつけよ。邪悪を祓う暴虐の光を―――」
そして、あの祝詞が響く。
「フングルイ ムグルウナフ クトゥグア フォマルハウト ンガア・グア ナフルタグン―――」
無数の光球が顕現し、闇を祓う。
膨大な熱量が空間ごと森と大地を灼き尽くし、忌まわしい音色を掻き消す。
爆音がおぞましい叫びを塗り潰して行く。
そして、最後の一節。
「イア! クトゥグア!」
暴虐の光―――神の力が、世界を浄化する。
乱舞する閃光が邪悪を舐め尽くし、掻き消していく。
浄化される世界に、聲の無い断末魔が上がった。
邪悪を祓う暴虐の光―――その光景は、まるで烙印のように刻み込まれた。
私の魂の奥深くへと。
眩い閃光の中、私の意識はゆっくりと溶けていく。
閃光が収まり、私はあの石造りの回廊に戻っていた。
にも拘わらず、私の意識に在るのは先ほどの光景。
(クトゥグア―――凄まじい力があるっていうのは、インスマウスのときのアレで十分理解してる)
けど、さっきの“アレ”は……冥い闇に棲まう存在は何だったのだろうか。
「N#■r■?■⊿§∑■p」
私の首に両手を回したままの体勢なクトゥグアが、何事かを口にする。
それは異質な単語であり、どうやら人間の言葉ではないようだ。
しかしその単語は何処からか混じったノイズに遮られ、良くは聞き取れない。
「ちっ……“検閲”か」
「“検閲”?」
そういえばちょっと前に、此処でなら“検閲”が弱まるだとか何だとか言っていたのを思い出す。
一体何の話なのか、今度こそ聞かせてもらおう―――口を開きかけた、その時。
「!?」
「イタクァ? ……ふむ。灼き切れていなかったか」
私の前方に渦巻く焔の中から、目視出来る程濃密な冷気を纏ってイタクァが飛び出してきた。
しかもその姿は、女性体ではなく氷の竜だ。
美しい翼を広げ、猛る暴風を纏い、此方に向かって猛然と飛翔してくる。
「――――――」
イタクァの燃える眸は、確実に私を狙っている。
ほんの数瞬の後には、私はその暴風/翼/爪牙で蹂躙されるだろう。
―――何もしなければ、の話だが。
「む? ……ほう」
左手でクトゥグアを強く抱き寄せ、右手を迫るイタクァへと向ける。
「そうだ、それで良い。中々に情熱的で妾好みだ、我が主よ」
刹那の時間を、無限に加速する意識が疾走する。
それに追従する速度で術式が奔り、世界の法則を書き換え、“力”を顕現する。
抱き寄せたクトゥグアから、焔が噴き上がる。
しかし劫火は、我が身を害する事はない。
荒ぶる焔は螺旋を描いて光り輝き、魔術文字となった後に崩れ、二重螺旋を描きながら右掌に収束、結晶化する。
クトゥグアの“力”の具現。
私がイメージしたその容は―――銃、だ。
此方を捉えるイタクァの眸に、はっきりとした揺らぎが走った。
トリガーに指を掛け、力を込める。
妙なほど馴染む感触と共に、銃が
眩い閃光が奔り、イタクァへと着弾。
氷の竜は、粒子となって崩れていった―――
「破られた……か」
「―――見事。“白き王”よ」
「そう。汝はそうでなければならないのだ」
「…………」
何故か私の足元に跪いている2人―――クトゥグアとイタクァ。
2人は同時に私の手を取ると、ゆっくり口元に寄せ……手の甲にそっと口づけをした。
それはとても厳かな雰囲気で、まるで忠誠の誓いを立てる騎士のよう。
「願わくば、“白き王”よ―――」
「実世界でも汝が、我が主でありますように」
「「これは―――そう」」
2人と私を、光が包む。
あらゆる物がぼやけ、曖昧になってゆく。
総てが光に溶ける寸前、2人の声が聴こえた。
「「来たる日の誓約である」」
「……九淨……おい……九淨……!」
「……ぅ……ん?」
誰かの呼び声に、目を覚ます。
どうしてかやたらと眠くて、瞼を開けるのがひどく億劫だった。
「ええい、いつまでそうしておるのだ! シャキッとせんか!」
(……あれ? この特徴的な言葉使いって)
重い瞼を開き、目をパチパチと瞬かせてその人物を確認する。
私の顔を覗き込む翡翠の瞳に、綺麗な白い肌。
加えて、煌く銀の髪。
「……あ……る?」
「ふぅ……やっと目を覚ましたか」
一応目は覚めたけど、意識が絶賛混乱中だ。
今の状況が、全く掴めていない。
見上げた天井は少なくとも事務所の物ではないし、背中からは冷たく固いコンクリートの感触が伝わってくる。
とりあえず起き上がろうとして……身体が恐ろしく重い事に気付いた。
「あ、あれ……?」
「無理に起き上がらずとも良い。躰が疲弊している」
「どうし……あっ」
疑問を声に出し切る前に、思い出した。
私は異世界らしき場所に連れて行かれて、そこで女性体のクトゥグアとイタクァに出逢ったんだ。
それと、あの不思議な光景を―――って、あれ?
(何か、とてつもない存在を目の当たりにしたような気が……)
するんだけど、良く思い出せない。
「大丈夫か、九淨? 何やら呆としているように見えるが」
「え? ……あ、ううん。大丈夫よ、平気平気」
「そうか? なら良いのだが」
「……それより、此処は何処なの? あの回廊は?」
「……汝、何の話をしておるのだ?」
周囲を見回してみる―――どうやら、何処かの廃ビルみたいだ。
近くの壁が壊れており、暖かな朝陽が射し込んでいる。
吹雪が止んでいるところを見ると、どうやらイタクァによる異常気象は治まったらしい。
「でも私、何でこんなところに……?」
「それを訊きたいのは妾の方だ。汝の気配を探し回っていたら……突然、此処に気配が現れたのだからな。それに―――」
アルが言葉を切り、私の目の前に複数の紙片を差し出してきた。
魔力の気配からして、アルの断片だと解る。
(ん? もしかしてこれって……)
「妾が此処に駆けつけた時―――汝はイタクァと、あの時逃げた筈のクトゥグアに関する記述を持ったまま気絶しておったのだ。……イタクァに拉致された時、一体何があったのだ?」
「――――――」
やっぱりあの2人の記述だった。
でも、どういうことなんだろう?
「ちょっと記憶が曖昧なのよね……。変な場所に拉致されて、そこでイタクァと対峙してクトゥグアとも出逢って……うーん」
「ふむ……まあ、結果的に目的は達成したのだ。良しとしよう」
アルは呪文を呟くと、イタクァとクトゥグアの記述を回収した。
「イタクァを回収し、クトゥグアも戻った。だが……また覇道の魔導兵器を制御に使うのは止めた方が賢明だろう。今回のような事が再び起こらないとも限らん」
「そうね……」
色々と釈然としないものはあるけど、上手く行ったのは確かなのだ。
私はとりあえず頷く。
「此処に来る前に、覇道の連中に連絡を入れておいた。そろそろ迎えが来る頃だろう……立てるか?」
「え、ええ……大丈……痛っ!」
身体を起こそうと床に突いた両手に、突然痛みが走った。
「む? やはりまだ辛いか?」
「そ、そうじゃなくて……今、手に何か……」
痛みが走った両手の甲を見てみると―――
「これは……?」
両手の甲に、不思議な紋様みたいな傷痕があった。
見覚えのある其れを、自分の知識と照らし合わせてみる。
右手の甲―――赤い火傷痕が描く“火”の魔術紋様。焔の烙印。
左手の甲―――深い切り傷が描く“風”の魔術紋様。風の刻印。
“火”と“風”。
(状況から考えるに……もしかして、クトゥグアとイタクァ?)
私の手の甲に刻まれた其れを見たアルは、愉しそうな、もしくは逆に不機嫌そうな、そんな微妙な表情を浮かべた。
そして、彼女らしい微笑を浮かべて私に言う。
「……何やら、大分気に入られたようではないか。此れならば次に喚んだ時、素直に汝に従ってくれるやもしれんな」
(そういうものなのかしら?)
そういえば、クトゥグアとイタクァとは最終的に良い感じなってたような気もする。
「妾としては、どうやって彼奴等を手懐けたのか大いに興味があるな。―――九淨よ。如何にして妾の分身を誑かした?」
「誑かしたってあなた……人聞きの悪い」
疚しい事なんて、何一つないのだ。
あの2人としたこと(されたこと)で、記憶にある範囲だと確か……イタクァとは舌を絡める深い情を交わしたり―――押し倒されて一方的にされただけ―――。クトゥグアとは首に手を回されて正面から向かい合って熱い口付けを交わしたり、彼女の力を使う為に抱き寄せたりしたぐらいだ。
つまり2人とディープな感じのキスをした上、クトゥグアを抱擁したと………………あれ?
……まあ、それはさて置き。
あの異世界は、本当にあの2人が引き起こした怪異だったのだろうか?
それとも他の何者かの仕業なのだろうか?
私が悪戦苦闘している様を影から見て、嘲笑っているのだろうか?
―――分からない。
分からないけど……何かが動き出そうとしている。
そんな、予感がした。
「あはっ、あはははっ、ははははは♪」
無邪気で、どこか危ない気配を漂わせる笑い声が、アーカムシティの空に響く。
「“死霊秘法”の断片に魔術的な介入をするのは苦労したけど……中々上手くいったね」
アーカムシティを見下ろす時計塔、その巨大な建造物の頂上に腰掛ける影がある。
異常気象が治まり、何処までも広がる青空に一点。
その影が、笑う。
「それなりの腕前になったじゃない。これから、だね。もっともっと強くなれば、君はきっと―――」
影の中に、輝く瞳。
様々な彩を宿す、その瞳が見つめる先は―――
クトゥグア「女の主……新しい、惹かれるな。もっと大胆に妾を抱いても構わんのだぞ?」
九淨「えっ、いや、アレはアナタを使いこなす為であって」
クトゥグア「妾を使いこなすか……成程。随分積極的だな、我が主」
九淨「あれ? 何か勘違いされてる?」
クトゥグア「妾は男でも女でも問題はない。重要なのは内面だ。その点汝は、母が見込んだだけの
事はある」
九淨「な、何か褒められてる様な身の危険を感じるような……」
クトゥグア「されるのも悪くはないが、妾はする方が好みだ。―――では、始めようか」
九淨「え、何を!? いや言わなくていいですどうせナニをとか言うんでしょこれだから
ページモンスターの連中は嫌ぁぁぁー!?」
個人的にイタクァさんよりクトゥグアさんの方が好きです、はい。
クトゥグアさんを抱き寄せる場面のイメージは、肩ではなく腰に手を回してグイっとこう。
そういえばイタクァについての記述は、“ナコト写本”や“ルルイエ異本”(文書)にもあるらしいですね。イタクァの神獣形態を軽々と放つリベル・レギス……新しい。でもハイパーボリア・ゼロドライブを上回るヴィジョンが全く浮かばない。